12期の広場

12期の広場

「同窓会33年によせて ①」

8組  川村 浩一
 
1990年同窓会。筆者は右端で、左から、竹田、酒井、三井、
杉尾、山本、塚本、平田の皆さんで、格好が良いですね。
 
 先日、6月30日に母校・同窓会館にて幹事会があった。今年、喜寿にて同窓会をいったん終了とするとのこと。
 この最後の同窓会の標語は?という酒井君の問いかけに「まだ七十七、もう一花咲かせよう」と提案。却下されたようだが、いいと思うんですがねー。 



 幹事会後の食事の席で一十百千万健康法が話題になった。私は大学の友人から「一日に一万歩歩き、千文字書き、百回笑い、十人の人と会い、一回感動する」と教えられたが、いろいろ亜流があるようだ。変わらないのは一日一万歩くらい。段中さん(5組、旧姓高田)は「千文字書くのは無理、千文字読むことにしている。」とのこと。また柏木さん(7組、旧姓後藤)は「一回発見し一回感動する」と言っている。いずれにしても大いに人と会い、脳と心を鍛えた方がいいようだ。気心の知れた旧友とたまに会うのは心身を若返えらせてくれる。  
 思えば12回の同窓会のコアの「効用」はこれだったのかも知れない。
 最初の同窓会は33年前の1985年(昭和60年)だそうだが、その頃、同窓会的に私は住所不明者であった。そのあとクラス幹事が私の住所を見つけてくれ、第2回の1990年(会場はホテルニ
1995年の同窓会。左から、大谷先生、荒川、山元、軽矢、新田、
平田、酒井、脇、榎本の皆さん。笑いがはじけています。
ューオータニ)に初参加。同じく京都在住の塚本建生君(8組)を誘った。このときの塚本君のはしゃぎぶりは今でも同窓会の話題にのぼる。翌年、塚本君は亡くなり彼をしのび、又一人残されたお母さんを慰めることもあって年3回彼の家に市岡の仲間が「よもぎ会」と称して集まった。このあたりのことは「12期の広場」2011年7月号に書いている。高校の同窓会HP→12期の広場→バックナンバーとクリックしていくと見ていただけますが、もっと簡単には「塚本建生」をキーワードに検索してもらうと初っ端に出てきます。(https://www.reihyo.com/?p=214)  
 因みに山本芳彦君(8組-当時大阪大学理学部数学科教授)もこの時出席していた。「12期の広場」2011年4月号に山本君のことを書いているので、もう一度読んでください。検索は「山本芳彦 市岡」で初っ端に出てきます。
 第1回を除いて多分皆勤。第3回の1995年はホテル堂島。この頃から幹事になった。この幹事会がまたいい。これまでの形の同窓会は終わるとしても、何らかの形の同窓会は続くと思われるので皆さん!ぜひ幹事会から参加ください。
 米国の研究にこんなのがあります。
 ビジネスマン何十人かに協力してもらっての調査。それぞれの今抱えている課題について
①日頃しょっちゅうあっている人
②かつて仲良くしていたが今は疎遠になっている人
にアドバイスをもらい役に立った程度を評価した。すると②の方が高得点だったそうだ。
別に同窓会を損得で考える必要はありませんが、たまに会う友人の意義を証明しています。
今後も年に1、2回会って大いに笑いたいですね。
 
追記
  この原稿を書くにために日記を開いた。以下はその時の備忘用メモ。ただし、記憶が曖昧な2000年までと限定したが、書かなかったものを含めて、かなりある。自分は人付き合いに淡白な方と思っていたが、意外である。

1985年には1回目の同窓会のあとだが塚本君の家を探し出して訪問している。
左から平野、稲田、末廣、堀田、源長、林、川村、東野、戎田の皆さ
ん。3年8組の面々で、中央のお二人がクラスの女子同級生でした。

1985年はいつどこで?上野君の50周年の文を見るが、見当たらない。
 
1990年9月30日:同窓会の連絡あり。塚本君に伝える。案内書と同窓会名簿を送る。

左から平野、稲田、末廣、堀田、源長、林、川村、東野、緒方の皆さん。3年8組の面々で、中央のお二人がクラスの女子同級生でした。

1990年11月17日:卒業アルバムや同窓会名簿で一所懸命昔を思い出そうとした。1990年11月23日(金) 卒業30周年の同窓会
 Hオークラ(正しくはニューオータニらしい) 鳳凰の間 16時 110名 8組は19名 
 玉田先生、白井先生、北村先生ほか恩師臨席。
 会費15000円、2次会は梅田の紫光、会費5000円。クラス幹事は末廣、林。
1990年11月24日:まだ同窓会の余韻あり。
1990年11月26日:東森君の住所を調べて張君に伝える。
1990年11月28日:山岡君の住所を調べ張君に連絡。山岡、東森両君に名簿を送る。
1990年12月 6 日:京大の名簿から福島君の住所等調べTELする。
1990年12月29日:塚本君が来る。飲む。
 
1991年11月24日:塚本君の通夜 市岡の同窓生13人日集まる。
 
1995年の同窓会は10月21日、堂島ホテル。
  2時前から準備、4時本番。2次会は梅田グランヴィアのアブ。その後、8組の仲間とラーメン。
 
2000年3 月18日 同窓会準備が動き始める。
2000年4 月19日 茨木徳秀園でお花見。幹事、同窓生とその奥さん方5人含めて38人。
2000年7 月22日 ほの字の里で幹事会、24人参加、その内宿泊は13人。
2000年8 月15~18日 あちこちに電話など。
2000年10月28日、卒業40周年記念同窓会。
  ホテルグランヴィアのアブ、102人。8組は19人。3次会に稲田君の馴染みの北新地の店。

“「同窓会33年によせて ①」” への1件のフィードバック

  1. 川村浩一(8組) says:

    後藤赫子さんからメールあり。
    一十百千万健康法について「一日一回発見、一回感動」ではなく「一日、一発見一感動」と訂正。発見と感動が別々でなく発見と感動がくっついている。確かにその通り。
    「生涯学習、生涯青春」と結ばれていました。
    同期の人たち、皆さん新しいことにチャレンジされている。頼もしい。

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