お知らせ

0年

しまなみ海道を歩いてきました。- ①

7組  張 志朗

  奈良市岡歩こう会の春のウォーキングは「しまなみ海道を歩く」で、5月21日、22日の一泊二日の日程で行われました。
  案内状に、しまなみ海道は「瀬戸大橋、明石海峡大橋についで最後に完成したルートです。車だけでなく、自転車やウォーキングのルートも用意された“人にやさしい”橋です。5月の薫風にふかれて眼下に瀬戸内海を眺めながら様々な橋をわたりませんか」とありました。野や山を歩くのはよくあることですが、海の上を歩く機会はそうありません。またしまなみ海道は初めてと言う事で、家内を誘って行ってきました。
 
 久しぶりに一泊の遠出です。前日からあれやこれやと準備にバタバタ。案内状にウォーキング予定距離は6km程度とありましたが、調べてみると、尾道から今治までのしまなみ海道は、全長が70km。なにがあるのか分からないので、足回りだけはちゃんとしておこうと、少々おおげさな格好で出かけました。(結果的には大正解でした)参加者は総勢37名、12期は久保田靖子さん(1組)、古藤知代子さん(4組)、高見政博君(6組)そして私と家内の5名です。
 21、22日ともにお天気は、絶好の五月晴れ、また道中は観光バスでした。
 初日、バスは8時に奈良グループを乗せて出発。大阪グループが乗り込んだのが8時50分で、因島大橋の向島アンカーレイジ(吊り橋のケーブルを引っ張っている“重し”)下に着いたのが、午後1時前でした。しまなみ海道は正式な呼び名が「西瀬戸自動車道」です。尾道水道に架かる「新尾道大橋」がその下り方面の始点になるのですが、私達は「新尾道大橋」をバスで通過し、しまなみ海道の一番目の島の向島に入って「因島大橋」からウォーキングをスタートさせました。ここでは「因島大橋」の橋桁を、真下から見上げる形になります。

(さらに…)

「12期の広場」 5月号のラインアップ

 5月、皐月です。花が咲き乱れ、新緑が目に映える美しい季節になりました。戸外に出れば柔らかい日差しにつつまれ、自然に足どりものびやかになり、頬をなでる風は実に気持ちが良いものです。
 うららかな陽気に誘われるように、ちょっと離れた公園(「桜の広場」と呼ばれている)までカメラを持って出かけてみました。それは山の南斜面に開発されたニュータウンの裾にあたる場所にあります。一帯は北側が林立するマンション、南側が木々が生い茂る自然のままに残されています。
 道すがら、メタセコイアの巨木の木立の中を通るのですが、昨冬、雨のように葉を落とした紡錘形の枝先には薄緑の若葉が見事に出そろって紗のカーテンそのものの風情です。キジバト二羽が羽根を休めていました。公園とそこへの小道は呼名のとおり沢山の桜が植えられており、もともとの雑木とあいまって視界は緑一色です。ちょっとした森の感じで、歌うような鶯の鳴き声や鳥のさえずりが響きます。足元には可憐な草花とつつじの群生。つつじは蕾が大きく膨らみ、すでにところどころで大ぶりの花を開いています。サクランボウの実を付けた桜も数本見受けられ、また桐の巨木になんと紫の花が咲いていました。下手な写真を添付しますが、ご覧ください。

 5月5日の端午の節句が立夏です。立春も、立秋も、立冬もその季節感がピンとこなかったのですが、立夏はそうではないようです。1時間ほどの散歩でしたが、汗をかきました。柔らかい日差しにやけつくような初夏のそれがたしかにあります。皐月は田植えがさかんに行われ、早苗を植える月と言うのがその由縁だそうです。苦手な夏が近かいとは言え、5月は始まったばかり。原稿を書きながら、薫風に身を任せてふらっとどこか行こうかなどと考えています。
 さてわが「12期の広場 」5月号のラインアップです。今月号は2編で以下の通りです。お楽しみ下さい。先日、九州の文屋久子さんから『「市岡高校12期の広場」楽しく読ませていただいております。忙しい事と思いますが、楽しみにしている私のような者がいることを覚えていてくださいね。』との葉書を頂きました。うれしい話で感謝、感謝、力が入ります。
 
 1.  「市岡の森のお花見に行ってきました」           7組  張 志朗
 2.  「美術展と東京メンバ-」                    5組  泉 信也
以 上                  
 

市岡の森のお花見

張 志朗 (7組)
 
 4月9日、此花市岡会主催のお花見が、舞洲の市岡の森で開かれました。関西は桜が満開になる直前から寒い日や雨の日が続き、この日の前日、前々日も雨。荒天で中止になったことのない、市岡の森のお花見も今年ばかりは駄目かと心配していましたが、雨は上がり、晴天とは行かないまでも、春の日差しのなか風もなく暖かなお花見日和となりました。
 舞洲は「舞洲スポーツアイランド」と呼ばれる人工島で、ユニバーサルスタデジオジャパンがある、此花区の桜島と此花大橋で結ばれています。此花大橋は大阪港に出入りする貨客船に配慮してか、海面から橋桁までが非常に高く、橋の上からは大阪湾全体を一望することができます。
 午前10時半頃に、JR夢咲線(以前の桜島線)の桜島駅に到着し、駅前から多くも先輩や後輩とともにバスに乗りました。バスの終点である、舞洲ロッジ前のすぐそばの小高い丘一帯が「新夕陽ケ丘」でその東斜面に我が「市岡の森」があります。舞洲ロッジの玄関前で受付をすませ、準備していただいていたお弁当やビールなどを持って丘に登り、いつも食事場所として利用している東屋に向かいました。
 この日の全体の参加者は150名程度ではなかったかと思うのですが、例年に比べるとやや少ない感じです。やはり、前日までの雨の影響があったようです。12期は代表幹事の酒井八郎君(4組)はじめ、清水誠治郎君、石井孝和君(3組)、竹田裕彦君、原清明君、古藤知代子さん(4組)、段中文子さん(5組)、武田博君、畠平雅生君(6組)、榎本進明君、末廣訂君、川村浩一君(8組)と私、張志朗(7組)の合計13名でした。
 石井君は滋賀の大津から、榎本君は神奈川県の横浜からの初参加でした。榎本君は翌日、港中学の同窓会が予定されていて、それに合わせて1日早めに来阪しての参加でしたが、2月に腰の再手術をしたばかりで、頑丈なコルセット着用していました。しかし元気一杯、市岡の森でのお花見を十分に楽しまれたようでした。
 肝心の桜ですが、満開の見事な咲きっぷりでした。このお花見は、毎年の4月第2日曜日の固定開催ですので、いままでは満開に間に合わなかったことの方が多かったようです。しかし今年は絶妙のタイミングで、満開の桜の花一色でした。12期が記念植樹した桜も立派な花を咲かせていました。
 11時過ぎに、此花市岡会の大山会長、市岡高校全体同窓会の佐藤会長の挨拶があり、お花見会が始まりました。続いて市岡高校の福島学校長から、母校の新入学者数と今年の大学進学状況報告を中心とした、挨拶がありました。昨年は入学者数が定員割れを起こす事態になりましたが、今年は競争率1.15倍で定員320名が無事入学しました。これは学校長はじめ、教職員の先生方、学父兄の皆さん、在校生の皆さんの熱意と努力の賜物と、大きな拍手が起こりました。
 特に、この日会場にきていた吹奏楽部のみなさんが、入学希望の中学生へのプレゼンテーションに積極的に一役買ったとの校長先生の話が印象に強く残りました。
 お花見は、卒業年次ごとに車座になって盛り上がりました。満開の花の下、高校19期でしたか、ギターを持ち込んでの合唱が始まるなど大賑わい。12期の私達も美味しいお弁当とビール、原君が差し入れてくれた焼酎を堪能しました。
 やはり、同窓生が集まると、その元気な姿とお喋りがなによりもうれしいことです。
 話題は健康を含めての近況や最近の関心事、趣味など、つきることはありません。12名全員とじっくり話をしたかったのですが、そうも行かず、石井君とはいまも仕事に頑張っている話、竹田君からは外国旅行者が急増したお蔭で、生け魚など鮮魚を扱う家業が大忙しになった話、
榎本君とは、二回目の腰の手術で体から取り出した長いビスとチタン製の支持具を前にしての話など、大笑いしたり、真剣に耳を傾けたりしました。後日、末廣君からお願いしていた資料を送って頂いたのですが、その中の書信に「昨日の市岡の森の花見—見事に満開、はじめてでしたね。横浜から榎本君が来てくれた。またいつもの顔がある。しかし、年々、一寸ずつ、変化していますね。いつまで続くか、会うたびに生きているよろこびを感じます。」とありました。
 お花見では母校現役吹奏楽部の皆さんの楽しく素晴らしい演奏が披露されました。
 一心に学校生活と音楽を楽しむ姿に、思わずうるうる。また、礼儀正しく、高校生らしい素直な姿に、清々しい気持ちになりました。「吹奏楽も若人らしく、はつらつとした演奏でした。」と石井君も書き送ってくれました。
 「前日までの雨模様もみんなが集う場所には何の心配もなく、原君の焼酎に勢いを得て、いつも通り、ワイワイ言いながらのお弁当にブラスバンド演奏、大判の歌詞プレートを見ながら声を張り上げ校歌を歌う。あっという間の宴でしたね。今年は横浜から榎本君がコルセット姿で初参加、ありがたいことです。」と酒井君が送ってくれたお花見写真の手紙に書いてありました。
 お花見が終わったあと、バス停前の「浪速津焼陶芸館」の喫茶コーナーでコーヒーを飲み、またそこでひとしきりお喋り。
 お喋りは「中年女性の専売特許」ではないなーなどとつぶやきながら、午後3時過ぎ、充実した気分で市岡の森を後にしました。     
 

美術展と東京メンバー

泉 信也(5組)
 
 桜の喧騒もおわり、新緑と薫風が心地良い時候となりましたが皆さま元気にお過ごしのことと思います。
 去る4月12日、このところ恒例となった圓尾兄の美術文化協会への出展作品を見る会がありました。場所は上野の東京都美術館、集まったメンバーは画伯を囲んで西條、中柴、萩原、平松、森重、山田、泉の8名。なかでも圓尾、平松、森重の三兄は梅香中学以来の仲良しと云う。またいつもなら居るはずの榎本、大石橋の両兄の不在は都合とはいえ残念でした。

 圓尾兄の所属する美術文化協会は1939年に前衛的な画風の作家41人により創設された会で、全国各地での公募展など活発に新人の発掘、育成を行ってきています。今度の77回展も289点の力作がそろい、見て回るだけでも相当のエネルギーを必要としました。写真にあるように出展作は「手品師」、どこかトランプ、安倍似のあやしげな手品師の背景にいろいろな寓意が隠されているようだが、作者はどうぞ見る人が好きなように解釈してほしいと云う。日頃芸術には縁遠い面々ですが、ここは萩原兄の鑑賞コメントが的を射ているので骨子をご紹介します。
「先の読めない現下の社会情勢を映したような絵柄で、危うい時代を予感させるテーマが描かれている。にもかかわらずユーモアを感じさせるタッチと明るく多彩な色使いで、良い将来を暗示する楽観性に共感させられます」
 皆さんも「金太郎シリーズ?」など多くの作品を目にされたことと思いますが、常に「明るさの希求」が通奏低音のように流れている圓尾兄の絵を、門外漢ながら応援し続けたいと思いました。
 難解な前衛作品の数々の鑑賞に疲れた後は軽く一杯、これが楽しみで展覧会は口実という筆者のような輩もふくめ、駅前で早めの飲み会が始まりました。

 

近況など参加者の「ひとこと」をご紹介してこの稿を終わります。
圓尾:東京も会を重ね、こう云う懇親のきっかけにしてもらえるのは幸せ。
平松:花の名所、目黒川散策の日々を楽しんでいます。実は川は汚い!
森重:公開のコメントは敬遠、久しぶりに顔を合わせるのは歓迎。
西條:そろそろ川歩き、5月後半で案内するので乞うご期待。
中柴:家の建て替えを計画中。画伯の大作を飾れるような部屋を!
萩原:永年の翻訳業をリタイヤ、「TIMEを読む会」を始めました。
山田:芸術は分からん!と云いながら作陶三昧。10月に作品展で飲もう。
泉:未だ娑婆に片足をとられながらも、山登り三昧です。川歩きも!

「12期の広場」4月号のラインアップ

美しいピンク色のこぶしの花です。
 4月です。待ちに待った桜の花が咲きました。
 春がゆるやかに動き出し、街も人も華やかに色どりを取り戻して行くようです。新年度、新学期が始まり、入社式、入学式に向かう新入社員や新入生を見かけましたが、りりしい若人の姿や着飾った親御さんとピカピカの学生服に身を包んだ新入生の姿は、眺めるだけで心が温かくなりますね。
 週に3回ほど早朝、通学生の多い阪急電車で大阪や神戸にでかけます。車窓から見えるバス停に列をなす学生達も3月は、そのほとんどがノートや教科書を開いていました。しかし今、その姿はありません。燦々と輝く陽光を浴びて楽しそうに談笑しています。
 先月、私達の入学60年の節目の年に母校への入学志願者が定員割れを起こすのではないかと大層心配しましたが、市岡高校の入学志願者率は115%で、320名の第72期生が無事、入学を果たしました。希望を胸に新しい旅立ちに臨む72期生の皆さんの前途に幸多かれとエールを送りたいと思います。
 先日テレビを見ていましたら、「4月は出会いの月」とのコピーが目にとまりました。月並みと言えば失礼かもしれませんが、その言葉がストーンと私の胸におちました。
 振り返れば、60年前に市岡高校に入学し、多くの素晴らしい恩師と多彩な学友に出会いました。そして今、それがささやかな自身の人生の貴重な糧の一つであったと思っています。代表幹事の酒井八郎君が卒業50周年記念で参加した母校の「第62回 卒業式 」で話した「人は人の中にあって磨かれる」との言葉がありますが、これも得難い出会いがあってこそのこと。72期生の皆さんにもそんなすばらしい出会いに恵まれることを願わずにはおれません。
 残念ながら老境にある私達には、老化に向き合い、出会いよりむしろ、別れに向き合う方が多いのが日常であるようです。9日、舞洲の市岡の森でお花見がありますが、同窓生との旧交を温め、元気に楽しく4月を満喫したいと思っています。
 
 さて、我が「12期の広場」4月号のラインアップです。とは言いましても記事は一篇で、それなりにお楽しみください。
 
 
 1.「豚汁会に行ってきました」          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7組  張 志朗
以 上

豚汁会に行ってきました。

 3月5日、市岡高校同窓会の恒例行事、「豚汁会」に行ってきました。
 久しぶりの母校で、在学時通いなれた当時の裏門(現在はここが正門)から入ると懐かしさがこみあげてきます。3月初旬にしては暖かい日でした。正門から会場の「100周年記念会館」までは縦長の運動場の横を通るのですが、野球部の練習風景はなく、代わりに女子ソフトボール部の皆さんが一生懸命に練習していました。キビキビとした練習風景を見るのは心地よいものです。男子生徒と女子生徒の比率が逆転し、女子生徒が多いせいなのかな、などと思いながら敷地の南西にある会場に到着しました。
 12期同窓生の参加者は、酒井八郎君、川村浩一君、岸川常正君、田端建機君、古藤知和子さんと私、張志朗の6名でした。
 定刻の12時、全体同窓会の佐藤会長の挨拶から会が始まりました。
 冒頭、佐藤会長は、明治37年から始まった「豚汁会」について「一時中断がありましたが、新制高校なった戦後からは絶えることなく続く、市岡高校独特の恒例行事であると」と紹介され、続けて6日の入学願書締め切り日を前に、入学志願者数が定員をオーバーしたことを報告されました。参加者は勿論、市岡にゆかりのある皆さんが、心配していた問題だけに、安堵の溜息が広がりました。
 続いて旧制中学45期の益正行大先輩の乾杯の発声で、会食が始まりました。
 まずは会の名称になっている、豚汁です。暖かかったとは言え、早春の一日、また時間も正午ですから、熱々で美味の豚汁は絶品の「御馳走」です。100年以上も前の母校で教師と生徒が一堂に会して和気あいあいと豚汁を食べたことに思いが至り、時は流れ時代は変わりましたが、その味は格別なものでした。食糧難の時代背景があって中断された後に、戦後、同窓会が主体になって復活し、今日にいたっていると言いますから、他校にはない自慢の行事と言えるのではないでしょうか。
 豚汁会に参加していつも思う事ですが、80才を越えた旧姓中学の大先輩から、つい最近卒業したての若い同窓生まで一堂に会することが出来るのは、まさにこの会ならではのことで、この行事を絶えることなく続けてほしいと言うことです。
 会も一段落したところで参加者の皆さんのショートスピーチがありました。このスピーチは参加者の皆さんが学ばれた時代と学校生活の一端をうかがい知ることが出来るもので、古い校歴を持つ市岡ならではのもの、大変興味深いものでした。
 戦時中の「住友伸銅所」(住友電工の前身)の防空壕で空襲に曝された話や、旧制中学から新制高校への移行で男女共学になり、市岡高等女学校(現在の港高校の前身)などから女子生徒が入って来た話、旧制中学43期で入学し、新制高校第1期での卒業した話や、「窓ガラスは割れ、ボロボロの校舎」で勉学とクラブ活動にいそしんだ話など、話題は尽きませんでした。スピーチはさながら市岡の歴史を俯瞰するよう展開して、一筋に連なる言葉と想いを通して、校歴とは、伝統とは何であるかを考えさせられました。
 12期の皆さんもショートスピーチをしました。酒井君は彼の教え子が姪にあたる11期の先輩との出会いに人の縁を痛感した話をし、川村君は現在の関心事が「古都としての『京都』と時代としての『昭和』です」とますます盛んな好奇心について話しました。豚汁会の会場で「タカラジェンヌ誕生」と書いた、資料をもらったのですが、演劇と映画鑑賞が今もっとも興味があることと言う岸川君は「ついに市岡の卒業生にタカラジェンヌが出る時代になったのか」と会場をわかせました。田端君は「先輩と持病の話を楽しんだ」と元気一杯で、古藤さんは山歩きと町内会のお世話にいそがしいとこれまたお元気です。私は役目通り、「『12期の広場』を見て下さい」とアッピールしました。
 締めは恒例の市岡高校吹奏楽部OB・OGバンドの演奏でした。この日編成は29名で、参加者に合わせた選曲とアンサンブルです。「となりのトトロ」に始まり、「美空ひばりメドレー」が入るなど、会場は大いに盛り上がりました。
 OB・OGバンドは2月26日に第9回定期演奏会を終えたばかりです。会場は「エルシアター」で観客数が420名の大盛況だったそうです。残念ながら私は所用のため参加できませんでしたが、「豚汁会」の会場でOB・OGバンドのトロンボーン奏者の高橋正憲(高校18期)さんからその時のアンケートについての「解析まとめ」を頂きました。「まとめ」はA4版で22ページにわたる労作で、ここに収録された248の感想文は、実に多彩、心あたたまるものでした。紙幅の関係上、多くは掲載できませんが、高齢者のいくつかを紹介します。
 「アンサンブルステージ、良かったです。中高吹奏楽を聞く機会が多い中、大人の演奏を楽しませてもらいました。」
 「市岡高校の大ファンです。情報が入らず、苦慮しています。市岡高校の演奏に加えて礼儀良さに感銘を受けています。今年こそ全国大会に行ってもらいたいものです。OB・OGバンドも吹奏楽コンクールにエントリーされてはいかがですか。」
 「音楽はみんなの心をひとつにしてくれる。すべての曲に勇気と元気をいただき、若い皆様と一緒にたっぷり楽しませていただきました。次回お会いする日を楽しみにしております。」
 定期演奏会は次回が第10回目です。次回は万障繰り合わせて必ず行って見ようと思っています。読者の皆さんも是非、ご一緒下さい。
 「豚汁会」は午後2時過ぎ、OB・OGバンドの力強い伴奏で校歌を斉唱してお開きとなりました。
 

「12期の広場」3月号のラインアップ

 3月、いよいよの春-弥生です。庭の水仙もようやくその花を咲かせ、枯れ木のようだった紫陽花の枝先の新芽が薄緑の衣をまとい始めました。気温は寒と温の交番ですが、寒にも温にも確かな春への足取りが感じられます。
 風が冷たい早春とは言え、やわらかな日差しはありがたいもので、そんな事にさえささやかな幸せを感じてしまうのが少々口惜しい。また今月下旬に満開の桜に再会出来ると思うと、あの厳しい寒波が別世界のことのように感じられるのが不思議です。ともあれ爛漫の春がすぐそこにあることを素直にうれしいと思っています。
 
 お気づきの方もおれられかもしれませんが、この3月は12期の私達が市岡高校を受験して、60年の節目になります。言わば「還暦」になるわけで、過ぎ去った長い年月がずしりと胸におちます。また新年号のラインアップで初孫の高校受験について触れましたが、そのめぐり合わせの妙や、母校の入学希望者の定員割れと存続問題を考えてしまいますね。
 60年前の1957年3月18日、午後の入学試験を控えての昼休みに、経験したことのない違和感を感じて母の作ったお昼弁当を半分も残したことを良く覚えています。やはり相当にプレッシャーを感じていたのでしょう。筆者の孫(岡山の県立高志望)を含めて、母校市岡高校を受験する後輩たちがプレッシャーに負けることなく実力を発揮できるよう、心から祈りたいと思います。
 2月の新聞報道によると、今年の市岡高校志願者数の一次集計では定員の82%だったそうです。願書の受付最終締め切りが3月6日ですから、定員割れが回避できるかどうか、まだ不明と言うことにはなりますが、おおかたの判断は厳しいようです。
 新年号に『市岡高校への入学は、まさに筆者の人生のとばくち、と同時にすばらしい恩師と多彩な個性をもった学友にめぐりあい、そして営々と培われた伝統にはぐくまれた高校生活であったようです。その市岡高校が定員割れから存続の危機にあると言いますから、あらためて、いたたまれない気持ちになります。市岡高校は卒業生である私達が拠って立つ所の母校、現役生徒にとっては大切な伝統ある学び舎です。なにがなんでも、この危機を乗り越えられるよう切に願うばかりです。』と書きましたが、受験60年の節目を思う今、尚更にこの気持ちはつのります。改めて母校の存続問題が円満に解決するよう、強くお願いしたいと考えています。
 
 さて「12期の広場」3月号のラインアップは次の通りです。記事が一つですが、ご覧下さい。
 
1.   「スケッチを楽しんでいます。」
 
                                 以 上

スケッチを楽しんでいます。

 右の写真は酒井八郎君から届いた「神戸スケッチ会」の作品展の案内状です。酒井君は、奥様の通子さんともどもに「神戸スケッチ会」発足時からのメンバーで、作品展も彼の自宅店舗の2階がその会場になっていました。残念ながら私は所用のため、「神戸スケッチ会作品展」に行けませんでしたが、後日、酒井君と奥様の作品を見たくて、自宅を訪れました。
 「神戸スケッチ会」のことを少し書きますと、発足して10年。絵を画くことを趣味にしている会員さん15名程度(最高齢者は83才で60才台が主なメンバー)の自由で気楽なグループだそうです。例会はその月の第二日曜日。午前10時に予定された場所に集合して、思い思いにテーマーを決めて午後2時までスケッチ、その後、出来上がった絵を並べて全員で合評会をしておられるそうです。スケッチをする場所は神戸市内が中心ですが、時には東は尼崎、西は加古川あたりまで足を延ばすとのことです。
 酒井君は現役商店主。平日は午前9時から午後6時過ぎまでしっかり仕事をこなし、休日は町内会の所用やその他地域行事などへの参加があり、毎回参加と言うわけには行かないようですが、なんとか時間をやりくりして積極的に参加しているそうです。
 2014年7月号の「12期の広場」で彼のスケッチ(タイトル-「私のスケッチブック」)を紹介させてもらった事があります。そこに以下の文章があります。
『「6インチの荒目ヤスリ」、「1000番の耐水ペーパー」、「0.7mmのストレートドリル」、「K18の6mm引輪」、「シルヴァー3mmのパイプ線」、「0.5カラット用Pt DIA 6本爪」などなど、小学校教員をやめて45年、毎日、ノギスと時計用ピンセットを片手に、細かい宝飾品パーツや時計部品を扱い続けています。縁あって5~6年前くらいから一級建築士の建築デザイナーの指導を受けながら、グループで街のスケッチに出かけるようになりました。「ここで」と思ったら3~4時間、座ったまま。スケッチブックと格闘していますが、いつも時間不足、技能不足で引き揚げる始末です。』
 今回私が店舗兼自宅を訪れたが夕刻。奥様も同席されコーヒーを頂き、作品を拝見しながらお話ししました。
 酒井君は「びっちり4時間、ただ絵を画くことに没頭できるのは、雑事に追われる日常とは全く異なった格別のものです。ただ腕前が上がらないのが残念」と笑っていました。
 神戸は北が緑一杯の六甲山地、南が豊かな大阪湾、それに抱かれるように美しい市街地が広がっています。また由緒ある神社、仏閣、ポーアイと呼ばれる人工島や、異国情緒豊かな港の風景と有名建築物群、そしてそこに息づく人々の生活など、スケッチの対象には事欠かないようです。
 奥様が「神社でスケッチしていると普段はめったに聞かない太鼓の音が響き、巫女さんが緋袴を風にそよがせ通りすぎます。港のスケッチでは行きかう船の汽笛がボーと聞こえます。長く神戸に住んではいますが、こんな所があったのかとの新たな気づきにちょっと驚いたりしますね」と話してくれました。あのいまわしい震災の記憶がよぎるだけに、なにげない神戸の日常をスケッチすることの喜は、ひとしおしみじみとしたもののようです。
 朝早く起き、弁当を作り、スケッチ用具を肩にかついで出かけるそうです。そして現地への行きかえりもワイワイガヤガヤと楽しく、スケッチに夢中になってお弁当を食べるのを忘れることもあったそうです。また作品をポストカードにした所これが好評、作品展会場で品切れになったそうです。
 無理を言って奥様の作品も掲載させて頂くお許しをいただきました。酒井八郎君の作品と併せてお楽しみ下さい。                        
( 張 志朗 - 記 )

明石中崎公会堂から明石天文台を望む
(酒井八郎)
神戸ハーバーランド赤レンガレストランに
(酒井通子)


伊丹荒牧バラ園にて
(酒井八郎)
伊丹荒牧バラ園にて
(酒井通子)

       

「12期の広場」2月号のラインアップ

桜の木も雪で真白です。
 2月、如月です。最近の口癖が「おおっ寒い!」。外出から帰った時は勿論、暖房の効いた部屋を出る時も入る時もこの言葉が口をついて出てきます。ちじこまって身の丈までが小さくなりそうです。
 大寒を前後して寒波におおわれた関西でも今年の冬の寒さは、ことのほかきびしいものになりました。雪も良く降り、そして積ります。庭の水仙と蝋梅の蕾が寒さにふるえているようです。なんと5cmほどのつららができ、玄関アプローチの枕木までもが霜柱でうきあがる始末です。
 暦は立春が目の前ですが、春はまだ雪のなか、厳冬まっただ中です。
 
 先日、末廣君からお誘いがあって、伊丹市図書館であった「第2回浮世絵師―又兵衛まつり」の講演会に一緒に行ってきました。演題は「生き延びた村重の子孫たち」で、講演者は有岡城(兵庫県伊丹市)城主であった荒木村重の子孫にあたる荒木幹雄氏(山梨県在住。塩山市民病院皮膚科医長)でした。伊丹市は一昨年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の重要な舞台でもあり、個人的には20年間ほど生活した所。大河ドラマの「黒田官兵衛、有岡城幽閉の段」への関心も重なっての講演会参加でしたが、内容は期待にたがわぬ、興味深いものでした。
 まず、講演をされた荒木幹雄氏の古文書調査や現地踏査が真摯で細やか、ねばり強いものであることに感嘆しました。その詳細は割愛しますが、それらを通して「黒田官兵衛は、小寺政職(こでらまさもと)に本来殺害されるところ、有岡城に幽閉されることによって荒木村重に命を助けられ、黒田官兵衛とその子孫の黒田藩主は、代々、荒木村重に感謝をしていた」とする説を主張するに至ったとの話に驚きました。荒木氏は具体的にその多くの根拠を示されましたが、その中でも、黒田家が村重の子孫を家臣にし、その多くを黒田領内(黒田藩と秋月藩)で保護していたとの複数の古文書説明は、説得力十分。もともと、大河ドラマでの官兵衛の有岡城行きと1年にも及ぶ地下牢への入牢、そこからの生還の描き方に釈然としていなかっただけに、そうであったのかもしれないと、この説が腑に落ちました。そのほかにも丹念に拾い上げた古文書調査を通して、広く知られている「通説」を覆す解釈をいくつか聞くことができました。
 世の常として「歴史」の多くが「勝者の歴史観」によるものであるだけに、取り残された多くの古文書や埋もれた「歴史資料」から立ち上がってくる「新」史実は、実に人間くさく、魅力的、今日的であると再認識することができました。また会場には末廣君(大阪福島区歴史研究会事務局長)は勿論のこと、歴史を愛好し研究しておられる多く同年輩の方々が居られましたが、それを目の当たりにしては、意義あることをするわけでもなく、漫然と過ごす時間が多い自身の来し方を、反省することしきりでした。
 
 さてわが「12期の広場」2月号のラインアップは次の通りです。中断していた東京市岡12期会の皆さんの第3回目の「川歩き」が再開されました。お楽しみ下さい。
 
 1.「 川歩き再開 」          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3組  西條 軍蔵
 2.「 第8回市岡OB写真クラブ作品展 」
 3.「 2月の写真 二枚 」
以 上

川歩き再開

3組 西條軍蔵
 
 メンバーの体調不良等があり昨年11月9日(水)に約1年半ぶりに川歩きを開始しました。
メンバーは今回も泉 榎本 大石橋 山田 西條の5人です。三つ目の川は多摩川とし羽田空港近くの天空橋を出発点とし奥多摩湖を目指す予定。

もっとも河口に近い五十間鼻で
今は赤れんが堤防の内側に民家があります


 久しぶりのことと、後期高齢者5名のため初回はウオーミングアップなので軽く歩く予定。
出発して最初の橋が大師橋(川向こうが川崎市の川崎大師) 昔の赤レンガ堤防が残る多摩川の漁師街をぶらり。
 今は堤防も整備され 川原は緑地が続く。 対岸は川崎市、第二京浜の六郷橋を過ぎ京浜急行 東海道線の鉄橋近くの六郷土手駅近辺で昼食とる。
 午後出発頃より北風が強くなり 北に向かう我々には少々こたえる。  多摩川大橋を過ぎ ガス橋、緑地、テニスコート、球技場が多くある。

昼食後、広い緑地の水辺では水鳥が遊ぶ
吹きさらしの河原、河口から12キロ地点


 キャノン本社を右に北風のなかを一生懸命に歩く。しかし昔に較べスピードは遅い。  東海道新幹線の鉄橋近くで最後の休みをとり、丸子橋(中原街道)で警視庁交通係りのおまわりさんに写真シャッターを頼み記念写真とする。

最終地点の丸子橋から対岸の武蔵小杉方面を望む

今回の終着点東急東横線多摩川駅に到着。   
毎度おなじみで楽しみでもある打ち上げのため東横線で二駅先の自由が丘駅近くの和バル「SOU」で乾杯!次回は春の予定として解散した。

お巡りさんは快くシャッターを切ってくれました
道を挟んで建つ丸子橋の記念碑とお巡りさん