お知らせ
0年
2015年2月1日
第9回利根川 川歩き(平成23年5月9日~11日 )

4組 川合 兵治
バンザーイ!!
平成19年10月31日に河口の銚子をスタートしたこの利根川歩きも、足掛け4年の歳月を経ていよいよ(当面の最終目的地)八木沢ダムに向かう日が来た。(当面の最終目的地)というのは、八木沢ダムに堰き止められた神秘的なムードが漂う「奥利根湖」の先にあるといわれている利根川源流までの残り約20キロの行程はボートを必要とし、沢登り、岩登りありの道なき道を行くことになり、古希を迎えた体には冒険が過ぎるということで断念した次第である。また日を改めて、別ルートで源流を確認する案も出ているが、「利根川歩き」としてはこれが最終回となる。
また今回は、3月11日に発生した東日本大震災被災状況も配慮し、予定を延期する意見も出たが、「だからこそ元気を示そう」ということで川歩きは決行することにしたが、当初計画していた12期全体の希望者を募っての湯檜曽温泉での大打ち上げ会は取りやめとした。

1日目 台風1号がフィリピンはルソン島近辺で発生し、その影響が危惧される中、全員5時起床で元気いっぱいJR水上駅に午前9:20集合。そこから水上高原スキー場、藤原スキー場、宝台樹スキー場などのある奥利根スキー場群の入り口「大穴スキー場」近くの前回最終地点、大穴変電所前(河口から約259キロ)までバスで移動、側のコンビニで昼飯の弁当などを調達し、10時にスタート。熊が出る可能性があるということで、西條は用意してきた小さなカウベル、川合は道端に置き忘れられていた熊除けの鈴を鳴らしながら、榎本は呼びこの笛を時々吹きながら、平均勾配約7度のバス道を歩く。この日は心配した台風1号の影響は全くなくピーカン。標高600メートル前後あるこの行程の5月は、鮮やかな新緑と満開のさくら、さらには八木沢ダム途上にある奥利根三湖のうち二つ、藤原ダムの藤原湖と須田貝ダムの胴元湖にゆったりと貯えられた水のエメラルドグリーンに彩られ、所々で利根川の清流に接することができ快適そのものであった。
お蔭で大過なく(期待していた?熊に出会うこともなく)午後2時過ぎには一日目の宿「民宿やぐら」に到着。早速民宿の露天風呂を満喫。夜は近辺で獲れたという月の輪熊のクマ鍋で精をつけ、山菜料理を愉しむ(普段でも、民宿の直ぐ近辺まで熊や野ざるがエサを獲りに出没し、奥利根名物?のマムシも徘徊し、地元の人は今でもサル以外は折りにふれて食べるという)。
(さらに…)
2015年2月1日
思い出を綴る(1)
私は現在NHK大津放送局に週2日勤めている。仕事はテレビの午後6時10分から始まるローカルニュースの制作。具体的にいえば、ニュースを取材した記者が送ってきた原稿をデスクが手を加えたものをテレビで放送するために、新聞でいえば「見出し」にあたる「タイトル」や映像の撮影場所、日時のほか、ニュースの内容やインタビューなどを簡潔に文字で表記するための作業をしている。
これまでの人生を少し逆上って思い返すと”放送”になんらか縁があるようだ。小学校6年の時、夏休みを迎える直前のある日のこと。小学校の教室に幾つもの大きな機械が持ち込まれた。機械とは録音機とか集音機のことで、”子ども会議”の模様を収録に訪れたのだった。やって来たのは当時、大阪梅田の阪急百貨店の屋上にあった新日本放送であった。
マイクロフォンを柱のように立てたり机の上に置いたり、収録準備をしていた。そして機械の調整を終わって、耳にレシーバーを付けた人が、”議長”の私に指を差して「議会を始め」の合図「Q」を出した。
多分、顔は強張り、緊張しながら開会を宣言して議事がスムーズに進行したように思えた。この日の議題は「近づく夏休み」だった。各議員からは「夏休みになったら学校の北部を流れる淀川には危険なので近づかないようにしよう」とか、「家では親のお手伝いをしよう」など、”優等生”のような意見が積極的に提案され、すべて全員一致で可決され、収録は約1時間で終了。やり直しはされなかった。
収録後、放送局の人が「放送は今収録した会議の様子を20分ぐらいに編集して、次の日曜日に流します」と告げて引き揚げていった。
日曜日の朝、私は自宅のラジオの前に立ち刻一刻と迫る「放送」に緊張して待ち構えた。いよいよ放送開始。
アナウンサーが「今日は大阪市立浦江小学校の子ども議会の様子を・・・」と紹介したのに続いて、私の声が電波に乗って初めてラジオから流れた。その声は・・・・・
「ただいまからぎだいをはじめます。」と言ったのだった。私は肝が飛び出すほどびっくりした。”議会を始める”と当日言ったつもりが、あがっていて”議題を始める”になってしまった。幸い傍には誰もおらず、瞬間は胸をなでおろしたものの、”放送”なので誰かが気づいているだろうと思い、とてもはずかしい気持ちになったことを今も覚えている。
中学2年生の頃、生徒会の顧問をされていた美術の担当でフランスの印象派の画家セザンヌの影響を受けたという奥田先生に「大淀中学校にも放送設備があればいいですね」と話したところ、その後、何か月かして先生が職員会議に計られた結果、”学校放送”の実現を生み、機材が導入されるに至った。先生の指導を受けて生徒会の役員が交代で昼休みの時間に、校内に音楽を流したり、生徒の呼び出しをしたり一生懸命設備を活用した。当時音楽はLPレコードをターンテーブルに乗せてかけていたが、私は数枚のレコードの中で「ペルシャの市場」が大好きで、当番に当たると何度もこの曲をかけた思い出がある。また学校では、各教室の黒板の上辺りに四角い箱形のスピーカーが設置され、国語の時間だったか、生徒全員が席に着き、スピーカーから流れ出るNHK第一放送の「次郎物語」に聞き入っていた。
余談になるが、この年、奥田先生が私ともう一人の友人と一緒に大阪梅田の御堂筋にあった映画館「梅田シネマ」に招待してくださったことがある。上映していたのは55年米・伊合作の”トロイのヘレン”、一人の女性をめぐってギリシャとトロイが10年も争うという物語のシネマスコープ。この映画に出演していた美しい女優、ロッサナ・ポデスタのにわかファンになったことと”映像”に対する興味を持つきっかけにもなったと思っている。
2015年1月1日
「12期の広場」 1月号のラインアップ
12期の皆さん 明けましておめでとうございます。
昨年は春の大雪、夏の大型台風、秋の御嶽山噴火や広島の土石流など自然災害が多く、暮れの選挙の慌ただしさもあって落着かない年でした。
今年こそは平かで、健やかな年になってほしいものと祈ります。
「12期の広場」での交流は、昨年10月の同窓会での愉しい再会の余韻を残したまま、新しい年に入り、2011年の正月の創刊から5年目を迎えます。
創刊号の酒井代表幹事のことばで「母校市岡にあった中庭のように、誰でも立ち寄れ、友と語り合うことができる場」として設けられたネット上の仮想広場ですが、今、バックナンバーを読み返してみると、仲間の輪が広がり、広場が大きくなっていることに自画自賛とは言え少々驚いています。
昨年の記事の中では「北村先生からの読書感想文」や「同窓会に参加できなかった仲間の近況・短信」がとりわけ関心を集めたように思います。また学級文集「独白」や「烏合の衆」、懐かしい写真の数々の発掘も「広場」ならではのうれしい収穫です。記事から窺える仲間の活動の幅は大いに広く、ウォーキング(歩こう会、歴史散歩、川歩きなど)、スポーツ(水泳、テニス、太極拳、登山など)、国内外の旅行、文学・芸術(短歌、俳句、誌、絵画、書道、写真、舞踊、音楽など)、社会奉仕(NPOボランティア、ワイズメン、地域貢献など)はもちろん、まだまだ現役で、仕事に研究に後進の育成にと活躍されるなど、夫々が充実した人生を楽しんでいることに圧倒される思いです。なにかと口実を設けての飲み会、女子会、そして病気・健康自慢、孫自慢もまたささやかな楽しみです。
筆者自身も8年前に始めた高齢者医療支援のNPO「ホームケアエクスパーツ協会」が、今では地域に欠かせない活動拠点の一つに成長していることに感慨をおぼえます。「大介護時代」といわれる昨今、いずれ自分が面倒をみられる側になるまでには、次の世代にバトンを渡せるよう微力を尽くすつもりです。
さて新年号のラインアップは下記の通りですが、児玉さんに「俳句」の投稿をお願いしました。ながい俳句歴をもつ児玉さんの佳句をお楽しみください。今年は俳句や短歌の特集を組むのも面白いかもしれません。HP委員としては多くの方々の自薦他薦の投稿を期待しています。今年もますます広場での交流の輪が広がりますよう、多くの皆さんに寄稿やコメントで参加をお願いいたします。
- 「明けましておめでとうございます」 酒井 八郎 同窓会代表幹事
- 「俳句との出会いあればこそ」 4組 児玉 恭子
- 「写真短信-年の瀬風景」
最後に残念なお知らせがあります。川合兵治君(4組)が昨年末に急逝されました。奇しくも「12期の広場」2011年創刊号に「利根川歩き」の達意のレポートを寄せ、その後8回に亘る連載記事で楽しませてくれた大企画も、川合君のリーダーシップがあってのことでした。2月に逝った「凡」さん(村木雅章君)のことも合わせ、ご冥福をお祈りするとともに、残された我々が日々見守られていることに合掌したいと思います。
2015年1月1日
明けましておめでとうございます。
代表幹事 酒井 八郎
12期の皆様、そして、この広場をご覧下さいます皆様、明けましておめでとうございます。謹んで新春のお慶びを申しあげます。
5年ごとの同窓会が、還暦後は2年ごとに大阪で開催、その翌年、市岡東京12期会が東京で開催されてきました。
ご協力ありがとうございました。2年後、また元気にお会いしましょう。(最終幹事会会場にて)
昨年10月19日(日)ホテルクライトン新大阪での同窓会には73名の学友が参加し、北村彰一先生、福井金治先生がご臨席下さいました。福井先生は17期同窓会とかけもちのため本会終了とともに移動され、北村先生は初めて二次会にも参加され、みんなと一緒に数曲歌って下さいました。いつも12期同窓会を気にかけて下さる先生方に心から感謝申し上げます。
同窓会はその詳報をすでに11月号の広場に掲載しましたように、再会を喜ぶ皆さんの熱い気持ちと趣向をこらしたプログラムなどで大いに盛り上がり、盛会裏に終えることができました。
本会に先立ち行われた辻紘一郎君(8組)の再生医療に関する特別講演では、自身の研究内容とその成果を分かり易く解説して頂き、大好評でした。
「懐かしい学び舎・学級写真」のDVD(小椋勝先生が製作・提供いただいたもの)を会場で放映したことや受付での玉手箱から自分の着席テーブル番号を取り出す方法をとったことなど、新しい形も試みました。結果、懐かしい映像を背景に、初めての学友との会話が一層はずむなど好評であったと判断しています。さらに何と言っても今回の同窓会の一大共通項は「一年生夏の宿題ー読書感想文」返却でした。案内状と一緒に届けられた「セピア色の原稿用紙」と再会し「直接北村先生にお礼申し上げたい」と多数の方々が参加され、会場は高校時代そのままにタイムスリップしたようでした。
二次会も歌や踊りやおしゃべりで盛り上がり、「六甲おろし」の大合唱などで元気一杯でした。本会の司会担当の川村浩一君、古藤知代子さん、二次会の司会進行役の原清明君、吉岡佳子さんはじめ幹事のみなさんのご苦労に頭が下がります。お蔭をもちまして笑顔満開の盛大な同窓会になりました。
11月30日、最終の幹事会を開催しました。ここには、高橋三和子さん、八島節子さん(1組)、北浦昌子さん(2組)、石井孝和君、清水誠二郎君、小牟礼康子さん(3組)、古藤知代子さん(4組)、川西庸雄君、段中文子さん(5組)、武田博君、畠平雅生君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君(7組)、川村浩一君、川副研治君、塩野憲次君、八島平八君、末廣訂君(8組)と私の20名が参加し、反省会、DVDと同窓会写真の発送作業を行いました。
改めて参加者の皆さんのスナップ写真(撮影は川西君、酒井)を拝見しますと、うれしそうに笑う顔、顔、顔が一杯です。
同窓会に関する準備、当日の運営、その後の処理、そのすべてを無事やり終え今、同窓生皆さんの温かい友情とご支援、幹事みなさんのご協力への感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
「12期の広場」の「利根川 川歩き」のメンバーで何度もその紀行文を書いて下さった4組の川合兵治君が、昨年12月に亡くなられました。ちょっと口をとがらせて淡々と話されていた姿が思い出されます。昨年の初めには8組の村木雅章君も亡くなられています。つつしんでご冥福をお祈り申しあげます。
今年は未年、羊毛が温かいのは1平方cmに密生する毛の本数の密度が他の動物よりはるかに高いからだそうです。
我が12期同窓会の交友密度も年と共に更に高くしたいと思っています。そして2年後の同窓会で元気にお会いしましょう。
新年を迎え、皆様と皆様のご家族一同様のご健康、ご多幸を祈念いたします。
2015年1月1日
俳句との出会いあればこそ
私の住まいする地域の氏神様は野村胡堂の名作「明神下の平次」で有名な神田神社です。俗に神田明神として通っています。小さな神社ですが、江戸三大祭りの一つである「神田祭り」や「商売の神様」として大変に賑わっています。
12月31日の夜は、門が閉じられ参道は人人で埋め尽くされます。そして夜半12時、年明けと同時に開門です。門前の人波が、大波となり、境内へと流れ込みます。私もその大波の一波となってお参りします。
今年はカナダから来た孫(男10歳・女6歳)を連れて初詣です。その時の情景を句にしました。

毎日の習いとして手帳にメモ書きほどの日記を書いております。元旦は新しい手帳への書き始めです。今年の健康を願っての句が三番目です。
思い起こせば俳句との係わりが出来たのは昭和60年の春、ボランティア活動の折に「お茶飲みながら俳句しない」と誘われたことから始まりました。
都会に生まれ育った私は日本人の一般的な四季の変化を楽しんではいましたが・・・
ミクロ的な自然までは見ていませんでした。
誘われて「伊藤希眸・けやき」に入会しました。ついで、結社京鹿子東京支部(本部は京大俳句の流れをくむ京都吉田山)へ、現在は京鹿子同人です。今日まで28年もなぜ続けられたのでしょうか。
作者の話、共感者の話、師の解説に五七五の17文字が、どんどん膨らみ未知の世界に入り込み今まで知らなかったことを学べる楽しみと、面白さに引き込まれた様です。
街路樹の紅葉と散る木葉、ショウウインドウの飾り、街を行き交う人々の装いとか、今月の催し物と、キョロキョロと目に入る小さな、それでいて豊かな季節の変化を楽しみに街中を歩いております。この楽しみ方こそが、長年の俳句が、教えてくれたのです。
小さな私の自然を大切に、句種を拾いに万歩計を持って今日もあるきます。

2015年1月1日
写真短信 年の瀬風景
2014年12月1日
「12期の広場」12月号のラインアップ
12月です。机の前のカレンダーも残りこの一枚のみかと思うと、時の速さはますます加速するようですね。今年も多事多難。それを象徴するようについ先頃も長野県白馬地方で直下型の激しい地震があり、多くの建物が倒壊し多くの人々が痛みました。以前、お正月の門松の南天を「難を転じる」と書きましたが、なかなかどうして、そんなささやかな望みさえも思い通りに行かないようです。社会や政治経済、自然など、私たちを取り巻く環境にまつわる不安が更に大きくなっているのではないでしょうか。私事でも娘が事故に逢うなど、古希をこえても人生、一筋縄ではないものだと痛感し、改めて腹を括り直しています。とは言っても時は移ろっていくもの。1年という区切りを年末でつけて、気持ちを新たにするのも暦と人がなせる貴重な知恵と道理、そのならいに素直に従い前向きの12月にしなければと考えています。選挙もあり一層、慌ただしい年末になりそうですね。
「12期の広場」で言えば、今年のビッグイベントは10月の同窓会でした。11月号でその詳報をお届けしましたが、ここでは当日同じクラスのB君から渡された一枚の小さな写真を紹介します。
貼り付けた写真がそうです。皆さん、いつ、どこで撮った写真か、わかりますか。
1959年3月の修学旅行の写真で、撮影場所は阿蘇山の駐車場付近のようです。写っているのは主に7組と8組の面々で、5組が一人います。
左はこの写真を保管していたB君で、少年の面影がもっとも色濃く残っています。修学旅行に来ていた他校の生徒とあわや喧嘩か?との場面があったと言う柔道部の猛者です。その横はY君、やはり柔道部です。小柄でしたが、抜群の運動神経の持ち主、朴訥としながらも繊細で心優しい学友。すでに鬼籍にあります。中央がH君。言動が極めてユニークであった印象を強く記憶しています。その横がK君。席次トップ争いの常連の秀才で、同期でただ一人東大進学を果たしました。右はT君です。彼は私が1年の時にすぐ前の席でしたが、男前で当時から大人の雰囲気を持った同級生の一人でした。高校2年のおわり、年齢16~17才の写真ですから、当然、皆さんピカピカの少年です。
時は春、今まさに大海に漕ぎ出す益荒男と言えば恰好良すぎるでしょうか。
書きつくせない物語があふれ出て、頬がゆるみ、胸の中がぼうと暖かくなります。同時に共に私たちの時代を生き、また生きるという、同窓会で感じた共感が甦ってきました。
さて「12期の広場」今月号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
「近況短信」は前号からの続きです。今月号は参加できなかった同窓生の分です。
- 「近況短信」 - 同窓会出欠返信書から -
- 「松下幸之助翁生誕120年と創業の地碑建立10周年を記念して」 8組 末廣 訂 君
2014年12月1日
「 近 況 短 信 」ー 同窓会出欠返信書からー
「朝晩は少し凌ぎやすくなってきましたが、まだまだ残暑厳しい折柄、そんな時に同窓会のお知らせが。何とあの北村先生からの読書感想文の返還が?『え、えええ』と言う感じです。その作文の原稿を押し入れにいれてそのまま忘れておられたとの事が書かれていました。在学時に教えていただいた時の本当にまじめな先生のお人柄を彷彿とさせられるエピソードだと思いました。普通ならこんな作文、処分したかもしれないのに、大切に保管されて、しかもみなさんに返還して下さるなんて、生徒のことを本当に大切に思ってくださった先生に改めて御礼申し上げます。先生、有難うございました。ちなみに、私の息子は先生と同じ京都大学の卒業ですが、学部は工学部電子工学科。47歳になる息子が在宅の時に、実はこんな感想文がおくられてきたんだけど、読んで見ると言って見せましたら、まず、第一声が何を書いているのかわからへんなあ、でした。私も高校一年のとき、こんな本を読んでこんな事を書いていたなんて、しかも漢字のまちがいだらけ、本当に恥ずかしい限りです。最後になりましたが、幹事の皆様にはいつも有難う御座います。みなさまお忙しいのに色々とお世話いただきまして本当に感謝です。」
1組 矢田 昭栄 (茨木市在住)
「幹事の皆様、お手数をおかけします。さてこの度は北村先生からの57年ぶりのプレゼントにびっくり致しました。何より社会科で読書感想文を提出した事を全々記憶しておりませんでした。北村先生が両手をかざしてバレーボールに一生懸命加わって楽しんでおられた姿は今も覚えております。『57年間も大切にお持ち頂きありがとうございました』とお伝えくださいませ。先生方はじめ同窓の皆様の御健康を祈っております。」
1組 文屋 久子 (松井)(宗像市在住)
「同窓会の案内、ありがとうございます。主人の退職後、福岡県宗像市に移り、8年。静かな静かな生活、忙しい毎日と違い楽しめるようになりました。田舎ですよ。九州を少しづつまわっていこうと計画。ただ8年前に人口関節手術(65才まではテニスをしていたのですが)し、股関節に金属が入っていますので気を付けながらの動きになります。今回の同窓会は残念、又の時を楽しみに。元気なら良いのにね。12期の広場を毎月楽しみにしています。」
1組 押田 明子 (林)(横浜市在住)
「アルバイト、おけいこ事、その他で忙しい毎日です。月に6日のお休みです。この夏、体をきたえる暇もなく、いきなり孫たちと一緒に富士登山を試みましたが、日頃の運動不足で足がつって登れず、八合目で私一人下山することになり、残念でしたが良い思い出になりました。読書感想文には驚かされました。」
1組 上原 澄子 (大川)(沼津市在住)
「返事が遅れて申し訳ありません。今回は用事があり欠席いたします。残念ですが・・・。幹事さんのお骨折りありがとうございます。門田さん、中井さん、平野さん、西田先生も彼岸の人になってしまわれたこと、淋しいです。御盛会であります様、祈っています。(北村先生、御前先生にもお会いしたかったです。)読書感想文、懐かしく読み返しました。」
2組 坂野 雅子 (堀内)(東京都杉並区)
「幹事の皆様、いつもお世話様です。すっかり忘れていた感想文が入っていたのにビックリしてしまいました。何とも拙い字と文章でしたが現在の自分と根っこの部分は変わっていないことに感慨を覚えました。北村先生には長い間保存していただき感謝の念で一杯です。数年前から安曇野にある息子(独身38才)のリンゴ園『坂野農園』の手伝いに、月一度通っています。『ボケ防止』には農作業が一番と思っていましたが、最近チョット『ン?』の日が多くなって来ました。」
2組 藤本 加奈子(井堀)(西宮市在住)
「幹事の皆様方、いつもお世話さまです。折角ご案内頂いたのですが、同窓会当日はあるNPO法人の理事会と重なり出席することができません。今年も昨年のフランス。アルザス地方に続き、娘と二人で9月初旬ロンドンに9泊してマイペースで海外を楽しんで来ました。アパートメントホテルなのでマーケットで食材を買い込み調理したり、高速列車で小さなアンティークの町を訪ねたり、秋のイギリスを満喫しました。但し70才を過ぎると体の回復力が弱って来るので脚や体のアチコチに痛みが残り出欠の返信が遅くなり申し訳ありませんでした。」
4組 石丸 可子 (大網)(尼崎市在住)
「57年前の感想文、驚きました。全く書いた覚えがなかったので、ワクワクドキドキしながら読みました。57年前の自分に再会したような不思議な感覚を味わせて頂きました。こんなに長い間大事に保管していて下さった北村先生に、お届け下さった皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。」
4組 船越 祐子 (三原)(広島市在住)
「永い間、同窓会のお世話を続けて頂きありがとうございます。皆様にお会いしたいと思いながら、
月日がすぎてしまいました。この度、私の住んでいます安佐南区内で土砂災害という未曽有の大惨事が起きました(心配された古藤さん、網野さんからお電話いただきました。) 私方は、災害地区から少し離れていて大丈夫でしたが、多くの方々が亡くなられ胸が詰まる思いです。今は、1日も早い復旧を心からお祈りします。」
5組 中山 賀弘 (東京都在住)
「昨年度、『東京12期会』の同窓会に初めて参加しました。半世紀ぶりの学友達との再会に心ときめきました。お電話を通してですが、恩師ー北村先生のお元気なご様子にも接する事も出来、併せて当時の授業中に書いた或る読後感想文(現物)も送って頂き、大感激でした。(「『第6回東京12期会』雑感近況」に投稿させて頂きました。)
6組 久保 武治 (奈良市在住)
「元気にしております。1年に1度受ける人間ドッグでは目(黄斑変性疑)、糖尿病境界値、etcと言われますが、日常生活には何ら支障なく、ほぼ毎日2~3時間のtennisを楽しんでおります。74才になりますが、8年前に退職以来年に1度名古屋の全日本ベテラン選手権に毎年出ています。市岡の頃強かった人々程ではありませんが、健康保持のバロメーターになっています。ご盛会を祈ります。
6組 佐藤 裕久 (宮城県仙台市)
「小生、定年退職後、健康法をかねて太極拳をはじめ約5年になります。今年度、所属の太極拳協会も参加する『いきいき祭』への第2チームのメンバーとなりました。来年も元気か?と考え集団練習参加を了承しました。第2チームといっても小生以外は太極拳歴10年以上のベテランばかりで、出場当日73才となる小生でも新人の部類です。7月から毎月2回の日曜、7名全員揃っての集団練習は小生には欠席が許されない状況。しかし、市岡の同窓会開催と同じ10/19が集団練習日となりました。そんな訳で残念乍ら同窓会を欠席させて頂きます。市岡高校12期同窓会が大盛会であるよう祈念しています。また、代表幹事・酒井さんはじめ幹事会の皆さん、いつも乍らのご苦労に感謝しています。
7組 橋本 豊 (横浜市在住)
「驚きました。57年前の『社会科の読書感想文』を返却願えるなんて!作成、提出した記憶は全く残っていませんが、悪筆な字体は今も変わらず、自ら記したものと確信致しました。北村先生をはじめお世話を掛けた同窓会幹事の皆様に心から感謝申し上げる次第です。大阪へは冠婚葬祭で出向く程度で、現在の横浜での生活に馴染んでおります。ただ、言葉だけはなおらず、最近ではコテコテの大阪弁男との異名をとり、地域活動に精を出し、元気に過ごしております。お誘い頂いた同窓会には欠席となりますが、本会の一層のご発展をお祈り申し上げております。」
![]() 何の話ですか。 宮下君、そのVサインの意味は何ですか。 |
![]() 皆さんニコニコ顔。重松君は特に嬉しそうですね。 |
7組 大西 佑治 (我孫子市在住)
「当日は自治会のバス旅行の挙行が最終的に決定し、副会長としては欠席できませんので、誠に残念ながら同窓会はパスさせていただきます。東京市岡会には、又、出席したいです。当日は盛会になりますよう又、皆様方の増々のご健康を祈念しております。」
8組 村崎 浩昭 (神奈川県平塚市)
「3年前の急性心筋梗塞、その後の心房細動が一段落したかと思うと今夏の人間ドッグで腹部大動脈瘤が発覚しました。今後半年毎の経過観察が必要です。70才を越えると色々な所にガタがきています。」
8組 萩原 貞雄 (東京都八王子市)
「ゴルフ少々、仕事少々、酒少々、病気少々、つきあい少々、の生活です。返事が遅れてすいません。」
8組 緒方 宏文 (東京都三鷹市)
「仕事から離れて今年で10年になり、肉体的にも精神的にも幸い安定期に入っています。心身の健康の為毎早朝の近くのコミュニティ・センターでの体操、公園での太極拳を楽しんでおります。少々の緊張と社会との接点を維持するため、株式投資で毎日のニュース等を楽しんでいる今日この頃です。皆様のご健康をお祈りしております。」
2014年12月1日
松下幸之助翁生誕120年と創業の碑建立10周年を記念して
今年平成26年は福島区と大変ゆかりの深い松下幸之助翁(明治二十七年十一月生まれ)の生誕120年の記念すべき年である。そして大開公園に創業の記念碑建立から十年の年月が流れた。当時松下電器OBの一人として記念碑の建立にお手伝い出来、記念碑建立のいきさつやエピソードを歴史研究会30周年記念誌に書いたが、改めて当時を振り返ってみたいと思う。
松下電器を定年退職した平成13年の秋に福島区役所が主催する生涯学習講座で当会の前事務局長の井形正寿氏を講師として「大開と松下幸之助の跡地」を見学する会に参加した。創業の家や第一次、第二次本店工場等の説明があり、松下電器OBでありながら知らないことが多く、目から鱗が落ちた思いをした。
創業の大正時代の初め、大開地区は井路川や池を埋め立て、新開地として開発が進み、家や工場が建ち、各方面から人が集まってきて、変化が激しい時代であった。
記念碑の除幕式に参列された幸之助翁長女の幸子さんが「このあたりはすっかり変わってしまって、昔の面影がありません」と参列者を前に話しておられたのが印象に残っている。
大開公園に記念碑建立を機に、翁の足跡や跡地を訪ね、当時の大開地域を写真に収めて、かなりの量の資料になっている。また新聞社や放送局に協力してもらい取材活動もした。
毎日新聞では5回にわたりシリーズ「幸之助を語る、創業の地・大開で」と題し5名のゆかりのある方に取材し、同行した。
5人の方は「十一会の子孫」「松下家の植木屋」「翁の愛息を献身的に看病した医師の子孫」また「幸之助翁がよく買いに行ったタバコ屋の娘さん」等で直接お聞きして深い感銘を受けた。その中で幸之助翁が松下の本社を門真に移転して数年後、大開を訪問した時 に、幸之助翁は「わしも2億円の借金ができたわ」という話があり、慌てて松下の株を売ったが、その後松下株が上昇。後で幸之助翁の言いたかったのは「大きな借金ができるほど会社が大きくなった」という事だとわかり皆が驚いた等々エピソードが聞けた。
また記念碑建立の場所が大開公園に決まるまでの苦労話がある。大阪市は公的な場所で「公人」ではなく「私人」の記念碑は困る、ましてや民間の会社の記念碑は言わずもがなであった。幸之助翁は大開時代に区会議員に当選、その後の公職歴をみても公人の役割をされたことは明白である。また上福島公園にある「洋菓子ヒロタ」の記念碑やその他の事例を示したが結論が出なかった。そして思いついたのが大開小学校50周年記念誌の末尾についていた幸之助翁の詩文「道」を他の大阪市文学碑と同様の扱いとする提案を出し、やっと建立の許可が下りた。
碑は平成16年11月27日翁の生誕110年の日に除幕式を行った。その後も大開公園を中心にして「ふじ祭り」や「ぜんざいパーティ」等地元の行事として続けられている。
記念碑の建立までに皆で何度も話し合った旧福島区役所地下の会議室が懐かしい。
また表面に出ない立場で応援・支援をしてくれたのが当時の松下電器本社である。ほぼ当初から部長職2名が実行委員会のメンバーに入って終始難問を解決してくれた。また記念碑の寄付が始まると本社から部課長職に声をかけ、5000名を超える現役の方から浄財をいただいたことを決して忘れてはならない。
今年は生誕120年をどのように表したらよいのか福島区歴史研究会でいろいろ話をして、記念の講演会を開催する、と同時に福島図書館では地元大開の展示会を開くことに決定した。
この記念講演会の講師が元松下電器社長の谷井昭雄氏に決まるのには偶然があった。
谷井氏は学校法人「関西大倉」の理事長をされており、当会の太田会長とは学校の理事会で時々同席するので「ダメモト」でお願いしたところ、快く引き受けていただいた。講演会では幸之助翁と直接の上司、部下としての裏話が聴けるものと楽しみである。
話によると谷井氏は個人的に学校と何の関係がなかったが、関西大倉の前身であった「関西商工」に幸之助翁が通ったことがあり、理事長を引受けられたと聞き、大変興味深い話だと思った。
また11月15日の記念講演会では下福島中学校のブラスバンド演奏や講演後、大開幼稚園児の花束贈呈が予定されている。
11月15日 午後2時から『松下幸之助翁生誕120周年記念講演会』(福島区歴史研究会・福島図書館・福島区役所の主催)が福島区民大ホールで開かれました。(冒頭の写真)
参加者は福島区在住の近隣の皆さんはじめ、区域外の人を含めて、400名。会場はほぼ満席で立ち見がでる盛況ぶりでした。ご存知の通り、福島区歴史研究会は古代史から近代にいたるまでの福島区関連の歴史の顕彰と再発掘をテーマに、その実績も30年におよぶ歴史を持っています。またそのメンバーに生物担当であった小椋先生、同期の末廣、武田両君、そのほかにも先輩、後輩の市岡の卒業生諸氏が参加しており、母校の市岡高校とゆかりが深い研究会です。(末廣君は事務局長です。)
講演会では現パナソニック特別顧問の谷井昭雄氏(松下電器産業4代目社長)が『師に学び人と街を愛する経営の心』と題して約1時間、講演されました。
講演は谷井氏が、この地-福島区大開で松下電器産業を創業した松下幸之助翁との出会い、その想い出を中心に、翁の人となり、経営理念を紹介する意義深いものでした。参加者の中には熱心にメモをとる姿があちこちで見られ、講演後の質疑応答も若い人から質疑がでるなど関心の高さを示しての大盛会でした。
2014年11月1日
『12期の広場』11月号のラインアップ

思えば「12期の広場」が2011年元旦に第1号が発刊されて丸4年が過ぎようとしています。その前年の2010年11月は大忙しの月だったこと、そして除夜の鐘を聞きながら真夜中の0時を迎えるときの「ときめき」を思い出しています。
幸いにも同窓生のご協力を得て記事や写真、ハッピーな映像が寄せられて幹事や編集委員の抱負と共に初版を飾ることが出来ました。卒業50周年という区切りが「12期の広場」誕生のきっかけでしたが、間もなく5年目を迎えるこの広場も一つの区切りを迎えます。HP委員一同はこの機会にマンネリに気を付けて初心に戻り、いつまでも「ときめき」を感じられるように努力していきたいと思っています。
さて、10月19日(日)に第11回同窓会が開催されました。昭和60年に始まって30年目の節目を迎えられたことは、幹事の皆様のご努力の賜物だと感謝しています。毎回参加していただいた先生方と、前回を上回る同窓生諸兄の参加はうれしかったですね。
この11月号は同窓会の特集となりました。どうぞお楽しみください。
- 「12期同窓会が開催されました。」
- 「恩師の先生方からのメッセージ」
- 「 近 況 短 信 」- 同窓会出欠返信書から-
- 「写真集」
- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
林芳子(リム パンジャ)さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: