お知らせ
2018年
2018年4月1日
2018年 豚汁会の報告
同窓会恒例の「豚汁会」、毎年3月の原則として第1日曜日に母校・同窓会館で行われています。今年は3月4日、大阪の最高気温が21℃、コートが邪魔になる程の春の陽気でした。

その昔の3年間、ともに過ごした仲間との屈託のないバカ話も楽しいものです。
まず、佐藤会長のあいさつ。
今年の入学希望者数は定員の90名オーバーとかで「廃校」の恐れが少し(?)遠のいたとのことです。でも大阪ベイエリアの人口減少がはなはだしいので、先行き安心はできないともおっしゃっていました。

浅見さんは中学40期生、皇紀2600年(昭和15年)に入学され敗戦間際の昭和20年3月に卒業されたとのことです。もちろん卒業式などなし。平成7年3月、母校の卒業式に出席し中学41期の皆さんと一緒に、50年ぶりの卒業証書を授与されたそうです。90歳。お元気でした。
勤労動員のこと、大空襲のこと、終戦後の混乱など先輩方のご苦労は大変でしたが、我々は幸せな時に生まれたものです。子供や孫もいい時代を享受してもらいたいものです。
じゅうぶんアルコールが回った頃、参加者一人ひとりの近況報告。9期生は17人参加されていました。
最後は恒例の吹奏楽部OB、OG(18期生から66期生)による演奏。
「イン・ザ・ムード」(ジョン・ガーランド作曲)、「初恋」(村下孝蔵)、「和田アキ子メドレー」「ひばりメドレー」そして校歌の合唱。アンコールは「ピンクレディメドレー」。
会長をはじめお世話くださっている方々ありがとうございます。いつまでも続けてもらいたいものです。

このあと、周君を見舞い喫茶店でおしゃべりして解散しました。
この日、参加した12期の皆さんは、加齢による多少の不具合はあるものの、元気です。酒井君は毎日店に出て、終日、接客に奮闘していますし、末廣君は福島区の歴史研究会の会長になって、頑張っています。古藤さんは、町内会のお世話で忙しそうで、私と言えば京都三昧。ボケないために少々の仕事(ISO審査員をしています。もう来なくてもいいと言われるまで続けてやろうと思っています。)とお茶のお稽古。年に1回ほどのお茶事と数回のお茶会を楽しんでいます。
十ン年後の豚汁会に12期生が最長老組としてグループで参加したいなと思っています。私も頑張りますので皆さんもその時まで体力、気力を温存しておいてください。
2018年4月1日
「一枚の写真」 昭和の大阪駅前旭屋書店付近

この写真は昭和38年頃に大阪駅前旭屋書店付近を撮影したものだそうです。6組の井東一太郎君が、メールでわざわざ送ってくれました。そのメールに以下の文章が添えられていました。
「『市岡12期の広場』で古荘さんの歓迎会で旭屋書店の話が出ていましたが、我々の時代では懐かしく感じる場所です。その時代の大阪駅前の写真を高校10期の先輩からいただいていました。ご本人の了解を得ましたので、広場に掲載していただいてもOKです。写真は、高校10期玉井信之氏の提供です。」
この文章にもあるように、ここは実になつかしい場所で、今はその面影を探すすべが無いほど変わってしまった場所でもあります。市電がまだ走っていた頃で、自動車やバスもあの時代の古い形です。三輪トラックで荷積みをしている姿まで写っています。
映画の広告用看板は、ペンキで描いたこんな看板だったのですね。左はピーター・オトゥル主演の「アラビアのロレンス」、右は看板の上のマークから推測すると、松竹映画の邦画のようです。題名が「真っ赤な恋の物語」と読めますが、どんな映画だったのか、全く記憶にありません。
4年前の「12期の広場」10月号に、ニックネーム「井の中の蛙」さんがこの付近の想い出を書いています。そのくだりを一部抜き出して下に添付します。
『古い話であるが、旧大阪駅の南正面に木造2階建ての「旭屋書店」があってしばしば通ったものである。高校時代はここで主に参考書を、社会人になってからは文庫本や仕事に関連した専門書などを買った。培風館の「数Ⅲ精義」(岩切精二 著)を学友に薦められて買って帰り、それだけで賢くなった気分になったのもここ。二十歳すぎの悩み多き時期に「人間のしるし」(モルガン)を買い求めて行ったが探せず、やむを得ず同年輩の女子店員に聞いた所、「宗教書ですか?」と言われて慌てた事もここ。よほどにやせ細って暗い顔つきをしていたのだろう。』
皆さんにとっても思い出の多い場所でしょう。また写真に写っているものが何か分かる方も居られる思います。是非、それを投稿して下さい。
2018年3月30日
此花市岡会 市岡の森“お花見”のご案内!!
此花市岡会 会長 大山 泰正
此花市岡会 会員各位
さて恒例行事の「市岡の森」でのお花見会を今年も開催致 しますのでご案内
申し上げます。 お知り合いお誘い合わせの上ご家族共々ぜひ多数のご参加をお待ちしています。 |
2018年3月29日
市岡高校バレーボール部同窓会の「バレーボールを楽しむ会」が行われました。(報告)
桜が咲きはじめ、少し肌寒さが残る3月24日(土)、母校体育館に今季卒業生(70期生)の10名を含む、37名のOB・OGにご参加いただき、現役チームとの練習試合や歓談など、楽しいひとときを過ごしました。
2018年3月8日
第2回市岡ピンポン同好会のご報告
2月27日(火)HPC西なんば卓球センターにて、市岡19期の「マツキヨ」こと松本喜代子さん(旧姓 鈴木)の初参加のもと10名で開催された。前回のプレーの情けなさが身に染みたか、事前練習に励むもの、なけなしの金をはたいてラケットを新調したものなど、前向きに取り組む雰囲気にあふれ、前回とは見違えるレベルでラリーが展開された。
2018年3月1日
「12期の広場 」3月号のラインアップ

今年の2月は、日本列島全体がまれにみる厳しい寒波に覆われ、雪がほとんで積もらない関西でも、積雪や路面凍結による被害や交通マヒがありました。気温が氷点下を記録することもあって、露出配管の給水管が凍結して破裂しないかとヒヤヒヤ。孫は何度も雪合戦が出来たと喜んでいます。寒がりの私は、雪合戦などとてもとてもで、どこに行くのも手袋が欠かせません。お蔭で、手袋を二回も落としました。三回目の手袋を「100円ショップ」で買い求めたのですが、何と品切れの店が何軒もあったのには驚きました。それほどに、寒さが厳しかった言うことでしょう。
これから「雛祭り」「東大寺二月堂のお水取り」「春のお彼岸」「選抜高校野球」と、「春への階段」を登り切って、桜咲く爛漫の春です。今しばらくは「三寒四温」に注意が必要なようですね。
先月号でピョンチャン(平昌)冬季オリンピックは、時差がないので寝不足にならないと書きました。どうしてどうして、結構な夜更かしを繰り返しました。
「冬季五輪史上最多のメダル獲得」との報道が躍るように、日本選手の活躍は目を瞠るものがありました。また雪上、氷上競技の種類の多さ、その醍醐味や奥深さを再認識。そして、選手たちの心技体と精進、それにまつわる物語に感動と勇気をもらい胸が熱くなりました。
特にひたむきに競いあい、そして深くリスペクトしあう選手の姿は、勝ち負けや損得、面子にこだわる世界を飛び越え、人の美しさを鮮やかに浮かび上がらせた感動的なものでした。今月、開催される「冬季パラリンピック」がまた楽しみになります。
さて、わが「12期の広場」3月号のラインアップです。記事は、8組の辻紘一郎君が社長をしている「株式会社 ツーセル」(広島市)訪ねた、以下の二編です。お楽しみください。
広島を訪ねたのが1月23,24日の二日間ですが、その後の2月5日、辻紘一郎君が「JVA2018」の中小機構理事長賞を受賞したとの知らせが届きました。「JVA2018」は日本の「未来を切り拓く起業家とベンチャーキャピタリスト」を表彰するもので、今年は、11名が受賞しています。地方都市からの受賞は、広島県の辻君と新潟県の方のお二人、また細胞を使った再生医療関連では辻君を含めてお二人のみです。今後さらに注目を浴び、期待されるものとして共に喜びたいと思っています。
1. 「細胞再生医療のもう一人の旗手、辻 紘一郎君」・・・・・・・・ | 7組 張 志朗 |
2. 「自然治癒とは何か」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 8組 榎本 進明 |
2018年3月1日
「同窓生を訪ねて」 細胞再生医療のもう一人の旗手、辻紘一郎君

昨年の東京12期会で、榎本君に広島行きの計画を話したら「旅行を兼ねて行ってみたい」と返事があり、すんなり決まりました。そして、大雪で交通混乱が起こっていた首都圏、横浜から例の腰痛対策用のコルセットを装着して来てくれました。
榎本君は仕事で何回か広島に来たことがあるとの事ですが、私は30代に6年程住んだことがあります。広島市は中四国最大の都市で、都市機能と人々の生活とのバランスの妙があり、瀬戸内とそれにそそぐ川と山並みに囲まれた美しい街でもあります。なつかしさがこみ上げました。
(株)ツーセルの本社は広島駅からタクシーで15分程度の市街地中心部にある、「広島産業文化センター」ビルの11階にありました。ここには本社機能と要の製剤化技術開発設備「gMSCセンター」(細胞培養を主にしている)があります。
「市岡の自負を胸に」

「忙しすぎて迷惑では」との思いがよぎりましたが、辻君の満面の笑みと「遠路はるばる御苦労様」の言葉に気分がほぐれ、いつもの「市岡のよしみ」です。彼はこの時間まで昼食もとれなかったようで、食事をしてもらいながら、再会を喜び、いろいろと話をしました。
まずは、辻君の写真入りで印刷されたプロフィールを頂きました。1941年生まれの次に1960年大阪府立市岡高等学校卒業の文字が光っています。1964年信州大学農学部卒業後、中外製薬株式会社に入社、1985年東京大学で農学博士号を取得、「開発研究所実験動物・安全性センター長・メディカル事業部部長」を経て、2001年に退職、同年に科学技術振興機構(JST)のプレベンチャー事業「骨・軟骨再生療法チーム」サブリーダー、2003年に株式会社ツーセルを起業、社長に就任とあります。また、座右の銘は「自然流(じねんりゅう)で行こう」だそうで、「力まず」「はしゃがず」「嘆かず」「腐らず」「おごらず」とあります。同窓会で会うたびに感じていた辻君のかわらない明るさと元気、形にはまらない発想やチャレンジ精神が、座右の銘とダブってうれしくなります。
会社規模について聞きました。広島には本社と「gMSCセンター」、出汐(でしお)オフイス/ラボがあり、東京の文京区に「東京オフイス」があるそうです。資本金は10億8250万円、従業員は50名です。
起業16年目に入ったツーセルとはどんな会社なのかを知りたいと思って辻君を訪ねたのですが、これがなかなか難しい。ツーセルの資料によれば、「間葉系幹細胞をターゲットにした、研究・開発・上市(マーケティング)の一貫体制を持つ価値創造会社」とあります。まず「間葉系幹細胞(MSCと言います)」ですが、成体幹細胞の一つで、人の骨髄、脂肪、臍帯、滑膜(関節周囲にある組織)などに含まれています。この幹細胞が骨、軟骨、腱、脂肪、神経に分化する能力をもっているので、これを抽出し、培養すると同時に、それを再生医療に実用化するための研究や開発を行い、薬や治療法として医療現場に提供する会社と理解しました。したがって事業の内容は、多岐にわたっています。末尾注①をご覧ください。
「優れものの“無血清培地”」

「gMSCセンター」は人の自然治癒力に全幅の信頼を置く辻社長の想いがつまった施設です。ここには第1培養室から第3培養室、そしてそれに関わる各種先端精密機器があります。私達が見学(ただし窓越し)できたのは第3培養室の一部のみでしたが、品質が安定していて、しかも元気がよく、安全でフレッシュな幹細胞をつくる意気込みが窓越しに伝わってきます。しばらくすれば、この施設がさらに大規模になり、将来の工場の心臓部として稼働することになるのかと思うと胸が躍ります。
「“絵描き”のスピリット」

彼は、今も時間を見つけては絵を描いています。彼にとっては絵を描くことが、リフレッシュすること、自分を見つめること、思索すること、そして、今日に続く創意とエネルギーを生み出すことなのかも知れません。社長室の窓から見える安芸の宮島の弥山(みせん)や春、桜でピンクに染まる黄金山は、それを刺激してやまないようです。

辻君が最初に話してくれたのが「常識」をこえる事です。幾つかの例をあげながら話してくれましたが、普通定年を迎える60才を越えて仕事をやめるのではなく、新規事業の起業に身を投じ、その社長を15年にわたり務めている事に始まり、東京ではなく、中四国第1の都市とはいえ、地方都市である広島で先端的なバイオベンチャーを牽引している事や、ツーセルの研究・開発でも多くの特許や周辺技術をユニークに組み合わせて相乗効果を引き出している事など、その説得力は抜群です。
バイオベンチャーにおいて資金提供をうけることは、事業成否の決め手になり、現実に多くのベンチャーが挫折しています。また市場規模が莫大なゲノム創薬にかかわる分野だけに経済的・社会的・倫理的問題をはらみがちです。それらについて辻君の立ち位置は、驚くほど原則的で、コンプライアンス遵守です。
昨年5月、大塚製薬がツーセルの第三者割当による募集株式を引き受け、再生医療について連携する契約を結びました。辻社長は3億円の資金調達と新分野の中枢神経疾患領域への研究と実用化の加速もさることながら、「何よりもツーセルの社会的信用が大きくなった」と笑っていました。
「実用化にあと一歩」
2016年4月にライセンス契約を結んでいる中外製薬(ライセンスとロイヤリティで60数億との報道もある)と、昨年11月に膝軟骨再生細胞治療製品(gMSCⓇ1)の第Ⅲ相比較臨床試験(治験)の第一例目手術実施が発表されました。この治験は、70床例を目標にしているそうです。第Ⅲ相(フエーズ3、とも言われる)治験はもっとも厳しい内容。調べてみるとここに至るのには、最低10年の歳月と莫大な資金が必要です。それを質問すると「私達は15年をかけてここまできています」と、胸をはっています。臨床試験を終えて、医療現場に提供されるのは早くて2年先。それも世界初と言われる革新的な他家での膝軟骨再生治療製品です。その間、いくつものハードルを克服し、ツーセルが作る「gMSCⓇ1」(同種他家移植用の再生医療細胞製品)の安全性と有効性を確立していかなくてはなりません。辻社長を訪ねている間にもそれに関する連絡・協議と思われるものがいくつかあったようです。辻君の対応は、気持ちが良いほど明快で、自信にあふれるものでした。

信頼に値する「ジャックの仲間達」の先頭にたっているのが、辻紘一郎君なのです。
MSC(間葉系幹細胞)は骨・軟骨への分化だけではなく、神経や腎臓、膵臓にも分化する細胞であることが分かっていますが、すでにツーセルは大塚製薬と連携するなど、脳梗塞などの中枢神経領域への実用化へと歩み始めています。
12時前、辻君との話は時間切れになりました。12時半頃の新幹線で東京出張、この日も昼食はバタバタと、車中の駅弁になったようです。榎本君も新横浜まで同行しました。
「見果てぬ夢」
二日間、彼からたくさんの話を聞き、柄にもなく、人の病や人体の神秘、特に幹細胞と再生医療について考え、教えててもらいました。辻君は、病に向き合う時、「根治療法は無いのか?」と思い、「細胞を使った再生医療の可能性に興奮した」そうです。大学、中外製薬で研究・開発に携わっていただけに、その興奮は"運命(さだめ)”と思うほど押さえがたいものであったでしょう。人体は数十兆と言われる細胞の精緻な調和と働きにより生をつなぎます。そして、それは生命の深淵と見果てぬ夢-難病の根治治療の可能性を示しています。

注① ツーセルの業務内容
1) 医療用の遺伝子や細胞、試薬や医薬品、材料などの販売 2) 医療機器、医療器具の開発・研究とその販売 3) 遺伝子と細胞の診断法や培養法に関する研究開発と装置の製造および販売4) 再生医療に関するシステムの開発・販売
2018年3月1日
「同窓生を訪ねて」 自然治癒とは何か

辻紘一郎君には昨年の11月に東京での12期会で会ったばかりであるが、今回はじっくりと彼から『ツーセル』の話を存分に聞くことが目的であったので、楽しみが大きくてウキウキしていた。彼と同窓会で会っても、いわゆる雑談をしている時に『自然治癒力』の話はでるが、こちらも腰が痛いとかの相談をして名医を紹介していただくのがせいぜいで、即効的なモノを求めていた。中身をほとんど知らないままに別れていたのがもどかしかった。

考えてみると世の中が進化して病気にかかることも、治ることも、その原因がわかってきている時に、あらためて『自然治癒力』を声高に言われても、『そんなのはわかっている』という先入観があって、それ以上の質問もしてこなかったのであった。今回、筆者の愚問に対しても、彼のわかりやすい説明と『実験からわかった真実』を聞かされて、謎が解けたことで、彼の偉大さを実感したことは幸せであった。
1.不思議な力
それでは何がわかったのか。不思議な力が解明できたことである。2日目の仕事が終わったお昼過ぎ、彼も客先との打合せのため東京に出張ということで、のぞみ号で話す機会を持てた。そこで、まだモヤモヤしていたことがあったので、『自家と他家』について聞いてみた。
2.自家と他家
まず、素人の筆者及び読者の方は、自家は自分、他家は他人、とご理解ください。
自分の細胞は安心、他人の細胞は危険。筆者はこのような常識を何となく持っていたのが現状。それは『拒否反応』がある。『がん化』するという不安である。結論から言うと、彼は『世界で初めて』この疑問を克服・解決したのがすごいところである。
母親が赤ちゃんをお腹に宿した時に、母親と赤ちゃんは『自家』だと筆者は思っていた。実は間違いとのこと。『他家』なのである。『そんな馬鹿な』が本音でした。しかし、彼の中外製薬(株式会社シー・エス・ケー実験動物研究所)での数多くの実験から導いた結論であった。でも、当時は彼の結論を誰も見抜けず・信用せず、社内ではこれ以上仕事を先に進めさせてくれなかった。それでは自分でやってみようと起業した動機となったのである。
母親はO型、子供はB型、そのような親子がお腹の中で血管を通して栄養補給のため血液が循環している。これは明らかに『他家』の二人であるとのこと。『そう言われてみると・・・・』が本音。しかし、この考え方がベースにあって、現在の膝関節の病気を治すために『治験』に入って、現在、

3.世のため、人のため
1人の細胞で何万人にも投与でき、病気を治せるのは素晴らしいことであるのは言うまでもない。自分の細胞は自分にしか使えない、というのに比べて、格段に量産性があることが素晴らしい。このような夢に向かって邁進しているのが、彼と50人の仲間達である。ツーセルのオリジナルTシャツにもその文字が躍る。
4.次は脳へ
残念ながら膝は膝にしか使えないようだ。それで次のターゲットは脳だ、と彼は言う。
脳梗塞の人を助けたいとのこと。元巨人の長嶋さんに右手でキャッチボールをさせてあげたいと熱く語っていたのが印象的であった。神経細胞の再生は、膝と理屈は同じことであるから今から楽しみにしている。
5.五年きざみ
彼は相当前から自分の体と相談しながら、コントロールしながら、生活をしている。
その習慣は、今から思えばいい習慣となっている。短時間に効率よく物事が進んでいる。しかし、焦っているようには見えないのは、芯が一本通っているせいだろう。
そして、記憶力が全く衰えていないと感じた。メモを取る暇もないようだ。

6.量産は自分たちの工場で
今は量産前なので、いわば手作りで、自分たちで培養して作っている。同じビルの2階にその工場はある。でも生産量は少ない。量産はどうするのだろうと筆者は想像した。ファブレス工場での生産か?と。しかし生産工場は自前でやりたいと言う。喜寿を迎えてこの生命力、ただものではない。やはりその生い立ちにさかのぼらないと一本芯の通った精神力は解明できないのではないか、と思った。
7.絵画が好き
絵を描くことは、誰かの真似をすることではなく、常識にとらわれないことが重要。

8.最後に

人間はそこで学んだ全てを持って卒業後も持ち続ける。辻君は今も市岡イズムを持ち続けている。当時の先生の授業中の言葉、考え方、入学式の校長先生の言葉、みな覚えていて、自分なりの咀嚼を加えて生きている。彼が社員に『常識外』を強調しているのは、一言で言えば『自由人』でないと言えない言葉だと感じ入った
ツーセルにはいたるところに彼の絵や、オリジナルのTシャツが壁に貼られたり吊るされたりしている。社長室のドアはいつもオープンで社長と話ができるようになっている。『先進的な仕事はこのような環境から生まれるのだなあ』と、後ろ髪を引かれる思いでツーセルをおいとましたのであった。ありがとうございました。


2018年2月8日
2018年春「バレーボールを楽しむ会」へのお誘い
市岡高校バレーボール部同窓会の皆様へ
春寒の候 皆様方にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、毎年恒例の春の「バレーボールを楽しむ会」を、下記のとおり開催いたします。同期の皆様等で連絡を取り合って、ふるってご参加くださるようお願いいたします。
2018年2月7日
市岡高校19期同窓会新年会のご報告
2018年1月11日(木)18:00より、難波の蓬莱本店3階にて23名の参加を得て、新年会が開催されました。
川﨑代表世話人より、益々交流の輪を広げたいとの挨拶のあと下川幹事の乾杯発声でスタート
楽しく懇談が続き参加者全員で一言スピーチ
皆、元気に古稀を迎え、人生100年の計を図る。頼もしい限りである。
- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
林芳子(リム パンジャ)さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: