お知らせ

2023年

ひろばリバイバル

私、今、ヨルダンのアカバです

5組 段中 文子

 12期の皆様、毎日いかがお過ごしですか

 私はこの夏、台風が近づいていた7月19日に横浜を出航し、10月27日まで、101日間の地球一周の船旅にでました。船はピ-スボ-トのオセアニック号38,772トンです。

 豪華客船ではないので船賃も安く、船室は相部屋の一人旅です。西回りでベトナムから始まり、スエズ運河を通り、北欧、ロシアより大西洋、パナマ運河を抜けて横浜に戻るまで21カ国に寄港します。

 乗船者は1歳から92歳まで800人程で、男女 4:6位の構成です。他の客船と異なり、ポスタ-貼りなどのバイトで安く乗船出来る若者が多いのもこの船ならです。




サリーを着て船内のファッションショーに出演

 乗船前は「100日もの長旅なんて」と皆に言われたのに、レストランで同席したりして知り合った人の話を聞いているとリピ-タ-が多くて、「飛鳥」やその他の船に乗ったという人がいっぱいいるのには驚いてしまいました。

 年輩者も本当にお元気で積極的なので、この調子ならまだ当分私も大丈夫かなと安心したりしています。

(さらに…)

【高37期】第20回市岡高校37期クラス会のご案内

37期生の皆様には益々ご活躍のことと存じます。
 
最近の新型コロナウイルス感染症の状況を考慮した上で、下記の通り、3年半ぶりとなる37期クラス会を開催することとなりました。37期生の方であれば、どなたでも参加できますので、ご都合がつく方には、どうぞ、ご出席ください。
 
市岡高校37期クラス会 幹事 久米秀樹
 
会の名称 第20回市岡高校37期クラス会
開催日 令和5年(2023年)5月6日(土)
1次会
■時間:
■場所:



■会費:
18:00~20:00 (受付開始 17:30~)
アサヒスーパードライ梅田
梅新交差点南東角 フェニックスタワー 地下1階
大阪市北区西天満4-15-10 電話 06-6311-2829
https://asahiumeda.owst.jp/
4,500円
2次会
■時間:
■場所:



■会費:
20:30~22:30 (受付開始 20:15~)
たよし 曽根崎店
曽根崎お初天神通り商店街
大阪市北区曾根崎2-9-13 電話 06-6312-9388
https://y-tayoshi.co.jp/shop_sonezaki/
3,000円
感染症対策
  • 1・2次会場共に「感染防止認証ゴールドステッカー認証店」です。
  • 入店時に検温をします。当日体調不良の方は、参加をご遠慮ください。
参加申込
問合せ先
ご出席いただける方は、4月20日(木)までに、下記の事務局幹事・久米に電子メールでご連絡ください。
なお、1次会・2次会それぞれの出欠も明記してください。
事務局幹事 久米秀樹(3年4組)
携帯電話  090-9285-1601
電子メール kume7181☆gaia.eonet.ne.jp
※上記☆は@(半角文字)に変更してご利用下さい。
 
<お願い>
  • 今回の開催案内は事務局からの電子メールによる案内のみとなります。
  • 37期生の皆様に開催案内が行き届くよう、このWEBサイトのページをクラスメートにお知らせいただくようご協力をお願いします。

【高校21期】2023 市岡の森 ランチミーティングのお誘い

ポカポカ陽気でサクラの開花が近づいています。
今年のランチミーティングは下記のとおりです。
ありし日の大西君を偲び「栄冠は君に輝く」を熱唱します。
はじめての方もお気軽にどうぞ ♪

◆4月1日(土)
ロッジ舞洲 12:00集合(15時頃まで)
 1)市岡の森で桜鑑賞
 2)校歌、栄冠は君に輝く 熱唱
 3)レストランにて
    ランチミーティング&ミニコンサート
 ★ユニバーサルシティ駅から無料送迎バス利用可(11:35)
参加費:3,000円
 参加の申し込みはメールで → info⭐︎reihyo.com (⭐︎を@に変えて送信)
 ★参加の申し込みは3/26までにお願いします。
お問合せ先:幹事代行/竹内 哲(〇九〇〜八六五九〜六三一五)
メールアドレス:s-takeuchi⭐︎knd.biglobe.ne.jp(⭐︎を@に変えて送信)

第64回東京市岡会総会について

第64回東京市岡会総会は新型コロナウイルスの状況を見て6月か11月の開催で検討します。
開催する場合は従来通り郵送またはメールで連絡します。また中止の場合は東京市岡会ホームページなどで4月、8月にお知らせします。

※第60回までの総会案内が届いていない方はご連絡ください。
問い合わせ 東京市岡会事務局 勝田久仁子 
TEL080-6757-3035
アドレス:katsutank3☆gmail.com
※☆は@(半角文字)に変更してご利用下さい。

「12期の広場」2023新春号のラインアップ


 明けましておめでとうございます。今年も「12期の広場」を宜しくお願い申し上げます。
 
 「12期の広場」の内容を簡略化して初めての新春号です。上の年賀状は松田修蔵君(6組)が描いてくれました。暖かく嬉しい絵手紙です。また「巻頭コラム」として上野裕通君が「新年を迎えて」を書いてくれています。その中にあるように、たしかに幼い頃、お正月の男の子は、高下駄と黒足袋が多かったようです。弟と撮った写真がでてきました。晴れ着は黒足袋に高下駄の黒い学生服姿。小学校1年生の弟は長すぎる袖と裾を折り返し、そこだけが裏地の白の輪っかがはまったようになっていて笑えます。貧しい時代でしたが、キラキラとまぶしい正月写真です。
 あれから70余年、また新しい年がスタートするのですね。新春を寿ぎ、新年に思いをはせるのが、ならいでしょうが、どうも「めでたさも中くらゐなりおらが春」(小林一茶)が正直なところで、「新年の計」にいたっては心もとないかぎりです。
 とは言え、ささやかな迎春準備を終えてのお正月の設えや、家族そろっての正月膳と賀詞交換はやはり嬉しくもあり、目出度くもあります。ややこしく不安ばかりの世情とつのる老いに向き合いながら、月並みですが、気持ちあらたに健康に、この1年を過ごせればと願っています。
 
 同窓生の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。
 
 昨年の12月に同窓生のご家族から喪中はがきが届きました。1組の上原(大川)澄子さん、4組の藤田勝利君、6組の佐藤裕久君が永眠されました。ここに哀悼の誠を込めて、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
 上原さん、藤田君、佐藤君の皆さんは「12期の広場」に複数回投稿して頂いています。本来ならば故人を偲び、投稿文すべてを本号で掲載すべきところですが、紙幅の関係上、上原さんの2011年4月号の「市岡12期HPをみて」を、“ひろばリバイバル”として再掲いたします。
 藤田君と佐藤君の投稿文は、「12期バックナンバー一覧」から閲覧可能ですのでご覧ください。
藤田君の投稿
 
2015年5月号    「韓国語の入門コースを終えて」
佐藤君の投稿
 
2011年1月号    「米国アラバマ在住の友からのメール」
3月号    「めぐりあわせ?~仙台に住んで50年~」
4月号    「3.11東日本大震災体験の二伸」
7月号    「高田松原の“希望の一本松”」
9月号    「我が失敗と補欠人生:その後」
2012年10月号    「夏の思い出」

 さて「12期の広場」2023新春号のラインアップは以下の通りです。
 
  1. 巻頭コラム
    ・「新年を迎えて」 7組 上野 裕通
  2. 掲示板
    ・『「小出楢重と大大阪時代」の此花
     歴史研究会例会に行ってきました』
    7組 張 志朗
  3. “ひろばリバイバル”
    ・「市岡12期HPをみて」(2011年4月号から) 1組 上原(旧姓 大川)澄子
以 上

巻頭コラム

新年を迎えて

7組 上野裕通
 
 新年明けましておめでとうございます。
2022年夏
山形県・酒田駅にて

 1年が経つのは早いですね。80歳、傘寿になったこの1年間は、コロナ感染防止のための外出自粛要請もあり、自宅で過ごす単調な日々が多く、日が経つのが早く感じるのかもしれません。
 私は、早生まれで1月4日に満81歳の誕生日を迎えます。昔、小学生の頃、お正月になれば、新しい黒い足袋を履き、白い鼻緒の高下駄を履いて友達と遊びに出掛けました。野田恵比寿神社へ行くのが楽しみでした。神社に行くまでの通りに様々なお店が出ていて、色々と興味をそそられました。恵比寿神社へのお参りは、付録であったように思えます。
 元旦は、父親を中心に男兄弟3人の家族5人が座卓の前に正座し、父親の「おめでとうございます」の発声で味噌雑煮や赤飯を頂きました。煮しめは母の美味しい味、小さい頃は甘い醤油味の「ごまめ」とツルツルした舌ざわりの「こいも」が大好きでした。懐かしい思い出です。
 今年のわが家のお正月の膳は、すましのお雑煮、赤飯と取り寄せたお正月用の折箱です。子どもの頃と違って、座卓がテーブルに代わり椅子に全員座っています。私は、ここ4~5年、大晦日に、昔、母が炊いてくれた煮しめを自分で炊くようになりました。里芋、人参、蒟蒻、牛蒡、大根、蓮根、椎茸、きぬさや、厚揚げなど自分で調理し、味付けは母の味を思い出して工夫しています。娘家族がここ10年間、同居しているので、元旦は、娘家族4人と私ども夫婦の6人で、私の「おめでとう」の発声で祝います。私が炊いた「煮しめ」は、年々みんなよく食べるようになり、心ひそかに喜んでいます。
 新しい年を迎えて想うことの一つは、知り合いや友達のことです。私は今年も健康な体で元気に新年を迎えることができ感謝していますが、脊柱管狭窄症で外出する事を億劫がっていた小学生時代の友はどうしているだろうか。大学時代、三ノ宮界隈をよく飲み歩いた友が近頃アルコールは少ししか飲めなくなったと衰えを語っていた事を思い出したりしています。この友達は、頭の髪の毛が一本もなくなり、お坊さんのように様変わりしています。歳を重ねることにより、肉体的な変化もありましょうが、心の持ち方にも変化が現れますね。
 古稀を迎えるまでは、家事労働は言われたらするぐらいでしたが、最近は、進んでするようになりました。でも、まだ家内の「5分の1」位かな?
 仕事を辞めて家に終日いるようになってからは、自分にできることはないかと仕事を見つけ出し、毎日の日課にしています。庭の植木の水遣り、時々の草取りから始まり、今では、掃除機を使う事、洗濯物を取り入れてきちんとたたむ事、風呂洗いとお湯はりをする事などしています。永年、家内がしてきたんだなあと思うと、感謝の気持が更にもう仕事はないかと探させます。
 この年まで生きながらえてきたのも、父母のお陰であり、家族のお陰です。また近隣の皆様、職場で共に過ごした皆様との出会いがあったお陰です。60歳まで小学校教員として勤め、定年退職後は、大阪市教育振興公社に9年間勤め、69歳から75歳まで6年間、住まいする自治会の会長を務めました。
自治会活動では、子どもの頃、向う三軒両隣みんな仲良かったことを思い出し、人とのつながりを広め、深めることが大切だと考えました。そこで、ふれあいサロン、ひとり暮らし高齢者交流会などを立ち上げると共に、趣味の会として、ゴルフ同好会、カラオケ同好会などを立ち上げました。今では、それぞれの活動が自主運営され、人の輪が広がり、親密度が増していることに嬉しさを感じています。
 81歳からはまた新しい人生の始まりだと捉え、体の自由がきく間に色々なところに出かけようと思っています。友達に会いに行くもよし、素晴らしい景色を見に行くのもよし、今しか出来ないことをして楽しもうと思っています。
 私の趣味の一つに、青春18切符で鉄道旅をすることがあります。小学校の同級生三人と行くのですが、その内の一人が老人ホームに入ってしまい、去年の夏は東北への二人旅となりました。今年の夏は、北海道へまた行こうという事で、計画を立てる段階から楽しみが始まります。いつまで続けられるかですが、毎日5000歩を歩き、規則正しい生活をして米寿まで続けられればよいと思っています。
12期の同級生は新年をどのように過ごされるのだろう?喜寿の同窓会を最後に同窓会は開催されなくなったので少し寂しいですね。また会える日が訪れます事を楽しみにしています。米寿に同窓会を開きたいですね。お元気で!

掲示板

「小出楢重と大大阪時代」の此花歴史研究会例会に行ってきました

                      
7組  張 志朗
 11月27日、此花区民ホール(千鳥橋)で午後2時から此花歴史研究会の例会–「小出楢重と大大阪時代(その1)」と題した公開講座がありました。講師は同会々員でもある圓尾博一君(6組)です。
 ご存知の通り、小出楢重は日本の近代絵画の巨匠で、旧制市岡中学校の第1期生の大先輩です。
 自宅を出る時「小出楢重先輩の公開講座に行く」と娘に話すと「すごい」と言われ鼻高々、おまけに千鳥橋は生まれ育った所でもあり高揚した気分で会場に向かいました。同窓生の酒井八郎、松田修蔵、上野裕通、伊東慎一郎君と北浦(小寺)昌子、古藤知代子、鈴木(酒井)政子さんの7名が来ていました。
 参加者は研究会会員を含めて40名。講座は準備された資料を手元に、真摯で和やかな雰囲気で終始しました。圓尾君の講演は、同業の巨匠の画業にふれることの難しさがあったのではと思いましたが、抑えて外さず、深くて親しみやすく、多面的でユーモアたっぷりの話しぶりでした。小出楢重は大阪の島之内育ちです。それに配慮してか、はたまた圓尾君の人柄か、小出楢重の言葉をなぞった時の彼の大阪弁が、たおやかで懐かしいイントネーションで聞きとれました。
 講演は大好評。「小出楢重の年譜」とエピソード、その画業と随筆集、市岡中学の同窓生、重要文化財「Nの家族」二科展特選「少女於梅之像」について、大大阪への変貌など多岐にわたる内容で、2時間があっという間でした。
 そのうちの幾つかを下に書きます。
 小出楢重の同窓生には、市岡中学校第1期卒業生(明治39年卒業)の石濱純太郎(東洋史学者)、信時潔(音楽家・チェロ奏者)がおられ第2期卒業生に津田勝五郎(鋼材商)がおられます。
 小出楢重が東京美術学校卒業後、画業に専念することを諦めかけた時、ばったり出会った石濱純太郎に「先生になんかなったらあかん。僕らで何とかするからやめとけ」と説得されます。その後、石濱は友人の画家の桑田信子、栗山清太郎を誘い「三人展」を企画します。そして小出楢重の出品作品40点に信時潔、津田勝五郎などを動員して“売約済み”の赤札を貼り回る一芝居を打って、楢重の母を安心させました。その結果、絵画制作を続けられるようになったそうです。この石濱との出会いと市岡同窓生の絆が画家小出楢重の誕生の起点であったようです。
 次に重要文化財「Nの家族」についてです。この作品には「謎が多いと思っている」としながら、楢重、妻–重子と長男の構図や異なる三人の視線、ホルベインの画集と静物の配置、背景の肖像画と壁の材質などについて話してくれました。言われて見ると、確かにミステリアスです。この絵に対する見方の幅が広がります。
 更に圓尾君は、小出楢重の数学との付き合いの悪さに触れた次の文章を紹介してくれました。誰がやっても『5+5が10で・・・10とならぬ時には落第するのだからつまらない。羽左衛門がやると100になったり、延若がやると55となり、天勝がやると消え失せたりするような事を大いに面白がる性分なのである』。 デジタルとその整合性だけが大手をふるような現代の一面を的確に射抜いているようで痛快です。
 資料の「年譜」は、明治から太平洋戦争開戦までの主要史実の抜き書き付きです。歴史研究会の例会ですから当然のことかもしれません。それによると日清戦争、日露戦争、日韓併合、大逆事件、第一次世界大戦、ロシア革命、治安維持法成立等々、小出楢重の画業は大正・昭和の激動期と重なります。この視点に、私は目から鱗が落ちる想いで、「枯れ木のある風景」の送電線上に腰かけた小出楢重の姿とその心象風景に少し近づけたように感じます。
 講座が終わったあと、参加した同窓生8人(酒井八郎、松田修蔵、上野裕通、伊東慎一郎、北浦昌子、古藤知和子、酒井政子)で軽く食事をしました。主人公の圓尾君は所用のため残念ながら同席できませんでした。
 コロナ禍の中、久しぶりの得難い会食です。皆さんそれぞれお元気で、意気軒高、嬉しさいっぱいでした。伊東君が足の具合が悪いのに遠路、杖をついて来られたのには、感激です。
 亡くなられた同窓生の話をはじめ、圓尾君の名講演の感想や健康維持のためのラジオ体操の話、リハビリの話、仕事の話、趣味の話など、話題はつきません。こうして楽しく話し、笑いころげることが出来る幸せ、市岡があってのことと再認識しました。健康で再会することを約束して別れました。

ひろばリバイバル

 ラインアップに書きましたように、上原(大川)澄子さんの投稿を再掲します。訃報をメールで知らせた所、「勉学にテニスにと、ピカ一に輝いていて眩しすぎる存在でしたね」、「よく笑う女の子でしたね」などの返信がありました。故人を偲んでお読みください。
― HP委員 記 ―
 

市岡12期HPを見て


投稿 上原澄子(旧姓大川)(1組)

 お彼岸も過ぎて桜の蕾もふくらんできました。 市岡12期の皆様にはお変わりなくお過ごしですか。3月11日の東日本大震災はまるで悪夢のようで胸が痛みます。東京電力管内の沼津は2日おき位に計画停電があり3時間ほど停電します。

 先日HPの上野裕通さんの「市岡高等学校12期同窓会を振り返る」を読み、私も北浦昌子さんとの想い出を少し話したくなりました。

 小学校・中学校・高校と一緒だった昌子さんとは家も近かったので「一緒に勉強する」という口実でよくお互いの家を行き来していました。昌子さんの亡きお母様の詠まれた歌集を見せてもらって、涙したことが思い出されます。

 私の家では細巻寿司やサンドイッチを作ったりして楽しい時間を過ごしました。
今年の年賀状の歌は「うさぎさん目と耳貸してこの一年よく見よく聴くじじばば二人」でした。

 昌子さん元気でまた会いましょう。 

 市岡の同期会は70才近い現在の生活をちょっとタイムスリップさせてくれ、元気で頑張っていた18才の頃に戻してくれます。

 高校時代は同じクラスになったことも、口をきいたこともない友とも親しく話をすることが出来ます。
「東大湖の水受けて…」とみんなで校歌を歌う時、気持ちが一緒になる様な気がします。

 そんな友達の中に8組の村崎裕昭さん、山田正敏さんがいます。

 市岡東京12期会の小旅行で箱根に行った折、自己紹介で村崎さんが「絵手紙を始めました。」と挨拶され、20数年前から水墨画の絵手紙を書いていた私は思わず「私も描いています」と言いました。それがきっかけで絵手紙のやりとりをするようになりました。描き方は違うのですが、村崎さんの絵手紙の進歩は素晴らしかったです。

 それでは、二人の絵を見て頂きたいと思います。

 まず私の作風をご覧になってください。(画像はクリックで拡大します)

 
 

 次に村崎裕昭さんの作品です。

   

 そして、私が村崎さんの絵に影響されて描いてみた作品です。

 また、陶芸をされている山田正敏さんの造られた大皿に「あけび」を描きました。

 市岡は50数年過ぎた今でもよい想い出をつくってくれています。

 最後に懐かしい写真を一枚(ご存知の母校中庭で)