12期の広場

12期の広場

第3回利根川 川歩き(平成20年11月3~4日)

川合兵治(4組)
大博士の片鱗を見る

 1日目 JR成田線安食(あじき)駅に午後1時集合。今回も榎本不参加、泉、大石橋、山田、川合の4人で決行。翌日の本番のための足慣らしで、安食駅から往復約14キロのところにある「房総のむら」を探訪。昭和61年に開館された体験型博物館で、32ヘクタール(320,000平方メートル)の敷地内には、江戸時代後期から明治初期における商家、武家屋敷、農家などが再現され、全国最大級の規模を持つ方墳(一辺約80メートル、高さ約13メートル)「岩屋古墳」がある。農村歌舞伎で「新撰組」を観劇、路上で「ガマの油売り」の口上を楽しむ。敷地内を散策中、とつぜん大石橋が便意を訴え、後で追いかけるということで一行から離れ、トイレのある方へ向かった。待てど暮らせど追いかけてこず、道に迷ったかと携帯で連絡するもなかなか通じず、やっと通じたと思ったら「資料館が面白いので、あんたらもこっちに来たら」だって!(翌日川合が帰宅すると、「今、資料館にいます」という留守電が大石橋から入っていた)。大博士の片鱗を見た出来事。この日の宿は創業百年という「竹村旅館」(今にもつぶれそうな安食唯一の宿)から1キロほど離れた「鰻のさかた(0476-95-0154)」にて晩餐を楽しむ。利根川の天然うなぎが食せるということであったが、一匹7千円ということだったので「天然うなぎは油が多すぎて口に合わないだろう」と衆議一決し、かみさん曰くの「静岡産」にした。

 閑話休題

 「安食(あじき)」の由来。平安時代、水郷地帯の宿命で常に水害と飢饉に見舞われていたが、五穀豊穣を祈願して「駒方神社」を創建、その後飢饉から免れ、「食に安ずる」地ということから名づけられたという。

 2日目 早朝、旅館の前にある、春日の局が子宝を祈願し、翌年身ごもったという「大鷲神社」参拝。立派な一物が祀られていた(肝心の?山田はNHK朝ドラを見るため拝観できず)。大利根飛行場を飛び立ったと思えるグライダーを上空に、昭和35年開場の河川敷ゴルフ場「東我孫子カントリークラブ」を右手に見て、終着地点「河口から85キロ」に大過なく到着。前日の足慣らしが効いたのか、そこから最寄りのJR常磐線「天王台」駅までの3キロは正に死の行軍であった。以来、またまた泉の提案で、エネルギー節約のため最寄り駅と出発、到着地点間はバス、タクシーを使うことになる。


春日の局がこよなく愛したという、宿の近くの「大鷲神社」に参拝。
すばらしい一物を拝観する。(山田兄は朝ドラで拝観せず)


第3回到達地点にて(河口より85キロ)。
ここから最寄りの駅「天王台」まで約3キロが死の行軍であった。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です