12期の広場

12期の広場

母校吹奏楽部OB・OGバンド演奏会 「想い出すままに」(特別寄稿) 

想い出すままに (12期 張先輩のご依頼を受けて)
18期 高橋正憲

 「ひとつの曲をきっちりと演奏し終えた時の充実感、満足感、これに勝るものは無い。もう一度この充実感を味わいたくてOBバンドに参加しました。」

 2007年夏、所謂還暦の祝いに家族が楽器(トロンボーン)をプレゼントしてくれたのですが、40年余りもブランクがあるのに、楽器を貰っても今更1人でどうするのと思っていたら、OBバンドを結成するとの連絡があり、何度も何度も躊躇った末に弁天町まで出てきました。その後同期の積川(旧姓土川 フルート)君も練習見学に着て「虫が湧いた」と即楽器を購入、入団してきました。楽器をプレゼント何ぞと大胆なことをするのにはこんな伏線がありました。

 1993年秋、後輩から現役生徒と合同で学外演奏会をするが参加しませんかと、この時も散々躊躇った末に、楽器も無いのに思い切って参加することにしました。冒頭の言葉のように、又まだ小さかった子供たちにお父さんの頑張っている後姿でも見てもらおうとの想いからで、現役生から楽器を借りて練習に臨みました。半年余りの練習後本番に出演しそれなりの充実感を味わいましたが、30年のブランクの後この短期間の練習では充分な音が出る筈も無く、「あー、もっと練習したかった!」で終わりました。

 1967年春、1浪後希望していた学科に入学して、大学でもトップクラスにいた吹奏学部か オーケストラに入ってオーボエを吹きたいとずっと思っていたのが、どちらかを決め兼ねている内に70年の嵐の真っ只中に入り以後長い間音楽とは無縁の生活になりました。

 1963年、当時市岡高校では2年生の秋の文化祭が終われば受験勉強のためクラブ活動は終了、部活から引退することになっていました。1年生の文化祭が終わって、何故か退部する部員が続出し、卒業アルバムのように残った部員は僅かになり、この人数で一体何が出来るねんという有様になりました。音楽室を共有するコーラス部の後で細々と活動を続けることになります。
 


 2年生になって、新1年生が10数名入部してくれ、さあ活動再開です。この当時上手いと言われている団体の演奏をよく皆で聴きに行きました。阪急少年音楽隊、西宮の今津中学校、池田の呉羽小学校、天王寺野外音楽堂での夏のたそがれコンサート、西宮球場での2千人の吹奏楽等々。彼らの持っている楽器はピカピカの物から穴の開いている錆びた物まで様々でしたが 出てくる音と演奏は実に素晴しいものでした。どうしたらあんなにいい音が出るんだろう? とそればかり、そのうち特に女子部員は腹式呼吸が出来ていないのに気付き、朝潮橋、天保山と走りました。走り始めた頃はこれでへとへと、もう楽器を吹く元気もありませんでしたが、この時の走りが今の体の素に成っているのかも?この習慣は僕たちの後20年くらい続いたそうです。

 2年生の後半には曲らしく演奏もできるようになったと思いますので近隣の中学校へ演奏に出かけたりし、その聴衆の中から翌年入部してきた部員もあり、3年生になって、更に10数名が入部してくれました。ところが部員数に楽器が足りず、走る組と楽器を吹く組とに分けて交互に練習したものです。

 『人生のうち僅か3年の間共に演奏し、活動し、しんどかったけれどあの頃は楽しかった』 今もこの想いは私たちの心の中にくっきりと残っており、財産と成っています。昨年の東京市岡会に出演した折に20期の松居仁美さん(フルート)と40年ぶりに再会でき今回の定期演奏会には神奈川県から遥々駆けつけてくれ競演することが出来ました。又19~22期のメンバー達とも40年ぶりに再会でき終演後の記念写真も撮り昔話に大きな花を咲かせました。


 2010年7月3日の東京市岡会では、女性4人が舞台の前に出てピンクレディの振りを披露して大喝采を浴びました。


  51期生の頃に大阪交響楽団チューバ奏者の塩見裕章先生を指導者にお迎えしてから吹奏学部の実力は飛躍的に向上し、現在では吹奏楽コンクール関西大会の金賞常連高に成り全国大会(野球で言えば甲子園)目前のところまで来ており今では部員数100名を超える大所帯になり隔世の感があります。


12・13期の先輩方が苦労して楽器を集めて下さり吹奏楽部ができたことを感謝し、現役時代に吹奏楽部の灯を絶やさず頑張ってきたことは誇りに思っています。詰る所、20歳以後に仕残したことを今頃になって、楽器を手にした事で、やっているのではないか、ならば、子供の様に若い後輩達に元気を貰いながら、良い音・楽しんで頂ける演奏を目指してもう少し頑張ってみようと思っております。

中央が筆者の高橋正憲さん


  私達OB・OGバンドはご依頼があれば演奏の出前を致します、是非ご用命下さいますように。

2011年4月 64歳を前にして

<ご参考>
第49回定期演奏会
5月4日   大阪国際交流センター大ホール(上本町)
現役生との合同演奏で3曲演奏します
市岡高校同窓会総会
6月12日  母校同窓会館
曲目曲数とも未定

 以上2回お目に掛かる事になっておりますので、ご声援の程よろしくお願い致します。

奏友会 18期 高橋 正憲

“母校吹奏楽部OB・OGバンド演奏会 「想い出すままに」(特別寄稿) ” への4件のフィードバック

  1. 18期 高橋 正憲 says:

    本日5月2日義母が亡くなり4日に家族葬を執り行うことになりましたので、今回の定期演奏会には出演できなくなりました。

    皆様にお逢いできる事を楽しみに練習していたのですが叶わぬことになり、次回の同窓会総会では
    是非とも私達OG・OBバンドの演奏を聴いていただきたいと思います。

  2. 張 志朗 says:

    18期 高橋 正憲 様

    お義母さまの悲報に接し、言葉もありません。
    心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

    先に連絡しましたように、所用のため演奏会には行けません。160名もの大演奏を聞けない事、またその中に貴方が居られない事を残念に思っています。
    次回、全学同窓会総会では是非とも再会したいと楽しみしています。
    お気を落としのこととは思いますが、くれぐれもお体大切にお過ごしください。

                      張 志朗

  3. 内田勝章12期生 says:

    音楽は福崎小学校の谷口先生と花の井中学校の池亀先生の指導で特に歌うのが好きになりました。谷口先生はめちゃダンデイ、池上先生はイケメンで女子生徒の憧れの先生でしたが、生徒の誰もが音楽時間を楽しみにした学科でした。市岡高校では音楽部とテニス部に入りましたが、音楽部は女子ばかりでためらい、安田先生にお願いして早朝にピアノの練習を独学でした思い出があります、ものになりませんでしたが。演奏中にチャン君から18期高橋さんの事を聞き大変うらやましく思いました。私も松原アコーデオンクラブの創設者の頼り無い一人ですが、クラブは昨年20周年になりました。自宅の音楽室にはグランドピアノがあるのに弾き手がありません。でも音楽抜きの生活は考えられません。今は惜春会ー作詞小椋・曲うた堀内孝雄NHK深夜便の歌ーにはまっています。

  4. 仲村 康生 (友人) says:

    コメントを読ませてもらうと、皆さん音楽で固く結ばれていますね。
    普通の同窓会よりも数倍楽しい事だろうと思います。

    社会人の方は、家庭仕事と両立しながらの練習で思い入れが届きます。
    現役生からOG・OBと多彩で、完奏を目指してひとつひとつが楽しそうに見えます。
    全員のキビキビした動きも、指導者のお力が伺えます。

    私が始めたのは中学生からでして、部員は10名足らずで女性は2名でした。
    フルートとクラリネットで女性向だと思っていました。

    50年ぶり位の演奏会の招待の時、
    ほとんどが女性で、トランペットや大型のチューバ等を演奏していたので
    大変な驚きをいまだに鮮明に記憶しています。

    大きなホールで、お客さんもいっぱいで緊張もあろう事かと思いますが
    いい思い出を沢山造って下さい。

    その楽しい演奏会にまた招待して下さいね。

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