12期の広場

12期の広場

ヒマラヤトレッキング

 ネパールのトレッキングについて、再度まとめてみましたので、ご覧下さい。ネパールは友人のS君が良く知っており、彼を含め3人で出かけました。コースの目的地は、パンチポカリ(5つの池の意味)というヒンズー教の聖地を目指したものでカトマンズの北東部にあたります。


八島 平玐 (3年 8組) 

 コースは巡礼の道とのことで、途中にロッジはなく総てキャンプとなり、そのため、テント、食糧、我々の荷物を運ぶのにガイド、コック、ポーターの計10名、合せて13名の大編成となり記録映画に出てくるような山行を楽しみました。(登りはポーターを更に1人雇いました)
カトマンズから小型バスで6時間位かけてチョウタラ、更に、シャウレ村へ入り、この村のひえの段々畑が初日のキャンプ地でした。丁度、テハール祭の時期で村にはタルチョ(色とりどりの祈祷旗)が飾られ、途中の昼食を摂った食堂では、犬がマーガレットで作った花の首飾りをかけて貰っていました。テハール祭は光の祭りであり、収穫祭とのことで、山に入る前日のカトマンズの青空市場は、大いに賑わっていました。

キャンプでは、朝6時頃に、まずモーニングコーヒがテント毎(我々は1人1張りづつ)に配られ、その後、お湯を洗面器に入れて持ってきてくれ顔を洗い食事となります。朝食はスープ、パンケーキ(蜂蜜orジャムを付けて食べる)、卵料理で、結構おいしいものでした(我々に合うように味付けされている)。最後にお粥が出ます。お粥は、味が付いていないので持参した梅干し、ふりかけ、塩昆布で食べるといった食事でした。食事後、水筒にお湯を入れてもらいこの湯冷ましを飲み水としました。そして、テントを畳み、後片付けをして出発となります。山に入った最初の村と、最後の村では鶏を買ってきてくれ捌いてご馳走してくれましたし、山から下りた村では山羊を買ってきてジンギスカンやハンバーグとして出してくれました。また、毎日食後にりんごが付きました。りんごは、小さく、味は上高地で見られるものより更に素朴でした。


 シャウレ村は1600m位で、ここを出ると尾根にとっつきます。後は、稜線にそって徐々に高度を上げて行きますが、最終のパンチポカリでは、4030mまで登る予定でした。 ネパールは、緯度が奄美大島位で、亜熱帯地区にあるため、森林限界が5000m以上であり、日本のアルプスと異なり4000m付近でも栂の仲間やシャクナゲが繁っていて高い山に登っているという感じがしませんでした。また、雪も少ないのですが、尾根が大きく歩いても歩いても、目的地に到達しないと言った感じでしたし、下の方に遠くに村が見えていました。 2日目のキャンプ地のハタルマリ(3200m)では見事な夜明けで、パンチポカリの奥にあるランタン・リルン(7234m)のモルゲンロートを楽しみました。ランタン・リルンの辺りは、ランタン国立公園で7000m級の山々が連なっています。更に、東方向に行くと、サガルマート(和名 エベレスト)があります。国立公園に入るには申請が必要であり、又、6000m迄はトレッキング、6000mを越すと登山となり入山料が要るようになるとのことです。  ポーターは、我々の荷物や、食器、食材、テント等を運んでくれるのですが、中に素足にゴム草履の人がいました。このポーターは30Kg以上の荷物を背負っているのですが、濡れた岩場を滑ることなく歩くのです。
ただ、山を降りるとちゃんとスニーカーを履いていました。どうしてなのかは聞いていませんが、小さいころから裸足で歩くことに慣れているのでしょう。村では、若者はスニ―カーが多かったのですがゴム草履、素足の人と様々でした。背負う荷物は布の袋に詰めるかドコと呼ばれる円錐台形の竹の粗い網籠に入れ、布のひも(ナムロ)を荷物の下部にかけ、ひもの幅の広い部分を額にかけて背負っています。これは、村の生活でも同じで水を汲んだ水甕、刈り取った牧草を女性がナムロを額にかけて運んでいました。村人の服装は、特に女性は中々おしゃれで、赤い色が多かったし、首飾り、腕輪など豪華ではないが色々着飾っていました。


 キャンプをしたのは、畑や放牧場の管理場所と言ったところでしたが、この管理所や途中の道は、放牧用の牛や羊を歩かせるため、また、巡礼の人達のために、割った石をきれいに積んで並べ良く整備されていました。ただ、至る所に牛や羊の糞が転がっているのには往生しましたが・・・。この、石積の技術は、家にも、垣にも使われており中々しっかりしたものでしたし、日本のお城の石垣のように良く整っていました。

 山は、薬師寺の三蔵院の障壁絵のように赤茶けた土色が目に着きました。ヒレのキャンプ場(3400m)の裏山には、雪がなく、シャクナゲがいっぱい繁っている位ですから。因みに、シャクナゲは、ネパールの国花だそうです。

 トレッキングは、友人の一人の体調が悪くなり、ヒレを少し登ったところで引き返したのですが、私は、ガイドと共にナシンパテの手前の3960m位のところまで行ってきました(上は雪で、景色は見えずじまいでした)。ヒレのキャンプでは、降りてきたヨーロッパのパーティと出会いました。このヒレでは、水場が無く、15分位下の沢迄水を汲みに行っていました。全体に、登山道や村には、水は至る所に湧き水があるのですが、我々ではこの水を飲むことが出来ず、沸かしたものを飲むようにしなければならないとのこと、飲むと肝炎などになるそうです。この、水場・水道では、水汲み、洗濯、体を洗う等が行われ、皆、夫々に気長に順番に待って使っています。 また、気の付いたことの一つに段々畑があります。稲、四国ひえ、トウモロコシ、豆が主な作物ですが、2000mくらいの尾根の斜面全体に作られており、日本のものなど、比べ物にならない規模でした。稲の刈取りは鎌を使っており、“いなき”は、日本のものと良く似ていました。脱穀も機械ではなく、手で行っているようでした。かぼちゃ、冬瓜、にがうりが無造作に作られ、鶏は辺りに走り回っており、牛(水牛が多かった)、羊、山羊、かもが飼われていました。この四国ひえは、発酵させて“ロキシー”と呼ぶ焼酎が作られます。これは、各家庭で夫々味がちがうとのことです。

 カトマンズの観光として行った郊外にあるバクタプルと言う15~18世紀にかけてマツラ王朝時代に首都の一つとして栄えた古都では、石造りの寺院や塔が多く見られました。また、市内にあるパシュパシナートはネパール最大のヒンズー教寺院でありインド亜大陸にある4大シバ寺院の一つとして、日本で言う大本山のような寺院で、多くの人のお参りがありました。寺院の中へは、教徒でないと入れないので建物を見て歩くわけですが、参道にはお供え物店や、みやげ物店が並んでおり、日本と変わらない景色です。
川岸には、エカイダス・ルドウラと呼ばれる11の白い塔があり、建物の周りには、仏像が彫られていました。また、寺院の前の川沿いには、火葬場・・アルエガードがあり(オープンの状態)、遺灰は川に流され聖なるガンジス川に流れ着くのだそうです。この日は、3組の火葬がありました。


 もう一方の、ボダナートも市街地の中にあるチベット仏教徒の主要な巡礼地であり、世界でも有数のチベット文化の中心地とのことです。ネパール最大のストーバ(仏塔)を持ち、このストーバ自体がマンダラの構造を示し、4層の四角い台座は「地」を、半円球のドームは「水」を、四方を見据える目が描かれた部分と13層の尖塔は「火」をその上の円形の傘は「風」を先端の小尖塔は「空」をと、宇宙を構成する5大要素を象徴しているとされています。この、描かれている目は仏陀の、仏の目で、市内にあるどのストーバにも四方に描かれ、ネパールのシンボルのように扱われています。また、所々の通路にはシートが敷かれ五体投地をして礼拝する人が何人か見られました。 以上、トレッキングの前後に歩いた、カトマンズの名所の一端を付記しました。


八島君の「ヒマラヤトレッキング」は卒業50周年記念文集にも掲載されています。文集では残念ながら写真が一枚も載せることが出来ませんでした。そこでHP委員から改めて写真入の記事の執筆を八島君に依頼し、今回の掲載になりました。文集の記事とあわせてお楽しみください。                            ―  HP委員  ―

一段と高くそびえるのがランタン・リルンです。

“ヒマラヤトレッキング” への2件のフィードバック

  1. 金本美智子 says:

    凄い興味を持って見させていただきました。 美しい写真と ともに詳しく解説しておられ
    わくわくしました。 でも お元気なのですね。 凄いパワーです。どこかで講演なさればよろしいのに。 学校などで 生徒さんに話されると喜ばれるのではと。。。。また 楽しみにしています。

  2. 八島 平玐 says:

    金本 様
     コメント有難うございます。ネパールは、馴染みがありそうでなかなか行きにくそうな国ですが、カトマンズでは、みやげもの店の人が日本語で呼び込みをするなど、観光、トレッキングとかなりの日本人が出かけているようです。エベレストもカトマンズから飛行機で見に行けるツアーもあります。また、日本名のレストランもあり、日本食もおいしく、結構行き易いところと思われます。

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