12期の広場

12期の広場

Let’s 絆

7組 柏木 赫子

 台風12号が接近中の9月1日、カナダから帰省中の山本(古荘)久美子さんを囲んで木本(勝原)さん、古藤さん、川副君、酒井君、末廣君、田端君、張君そして柏木(後藤)の9名が梅田「がんこ」で一年振りに再会し、近況と某君達の「美人妻」、「初恋談義」に花を咲かせました。

 古荘さんがカナダに移住して36年! 彼女から「結婚・カナダ移住」の連絡を受けた時、「移住」と言うことに大きな衝撃を受けました。私はクラブ活動(茶道部、箏曲部)を通じて古荘さん、津田(現 倉森)さんと親交があり、在学中のハイキング、箏曲の演奏会、卒業記念旅行など楽しい思い出を共有しています。卒業後それぞれの道に進み、津田さんと私は子育ての真っ最中でしたが、古荘さんのカナダ出発の前には京都・大原に集い彼女の新しい旅立ちの幸せを祈って別れを惜しみました。

 その後数年を経て、カナダから一時帰国された折、大阪・難波で3人が再会し、夢中で時計の針を巻き戻すかのように近況を語り合いました。その再会以来、彼女がお里帰りされる度、「じゃあ-いつもの場所でネ。」と連絡を取り合い、昼食を共にしながら近況報告・・・という交流が続いてきました。

 子供が一人立ちし、自由な時間が出来た頃から、一泊の小旅行を楽しむようになり、私の住む三重県にも数回、足を運んで頂きました。夫の運転で津、松阪、伊勢志摩地方の風光明媚なスポットを案内し、鳥羽湾のクル-ジングをしたり、松阪の本居宣長記念館、明和町の斎宮歴史博物館、伊勢神宮の徴古館、鳥羽の海の博物館などを見学しました。夜はホテルで伊勢志摩国立公園の海の幸に舌鼓みを打ちながら時には叙情歌、フォ-クソングを歌い、夫も2人の来県を楽しみにするようになりました。







エクシブ鳥羽で新鮮な海の幸を
楽しむ (左端は夫)

 一方、私は二度トロントを訪れる機会があり、古荘さん宅でお世話になりました。初回は私が37才の時で、古荘さんのカナダ生活4年目の秋でした。未だ10月半ばと言うのに関西地方では考えられない凍てつく街並みに驚きました。夫がアメリカ留学を終え、帰国の途に着く前、モントリオ-ル、ロンドン、フラクフルト、ストックフォルム、各地の研究者との意見交換会が計画され、その折、私も同行と言う思いがけないチャンスに恵まれました。

 小学生であった二人の娘を両親に預け、一人成田から夫の待つアメリカへ出陣の思いで機上の人となりました。サンフランシスコとナイアガラ瀑布を見学した後、モントリオ-ルに一週間滞在、その間一人トロントを訪れ、山本御夫妻の歓迎を受けました。

古荘さんは日本語補習校で小学校教員として働き、ピアノの個人レッスンなど異国の地、カナダの生活に一生懸命慣れようと努力されておられた時期でした。その頃のトロントは、ケベック州の政策(フランス語圏)で英語圏の企業がトロントに集まるようになり、人口は増加しており、街は活気が漲っていたように記憶しています。ご夫妻の案内で、トロントで唯一の歴史的建造物である「カサロ-マ」を見物し、当時世界一の高さであった「CN タワ-」にも登りました。タワ-の展望台からの眺望は360度平坦で、眼下前方に五大湖のひとつオンタリオ湖が目に飛び込み、カナダの「大きい!」「広い!」大地に感嘆しました。




2005年6月二度目のトロント訪問CNタワ-から市街地、オンタリオ湖を見渡す

 二度目のトロント訪問は6年前(2005年)の6月でした。私の次女がボストンのMGH(Massachusetts General Hospital)で研究生活を送っており、娘を訪ねた際、古荘さんに会いに出かけました。彼女はマイホ-ムを購入し、すっかりトロントの地に根をおろし、カレッジで日本語講師としての仕事や日本文化を紹介するAJC(Association for Japanese Culture )女性グル-プの一員として活躍されており、充実した日々を過ごしておられました。

 トロントは10月半ばから寒さが厳しくなり、特に1月~2月はマイナス20~25度という極寒で、5月の春を待つまでの間、各家庭は持ち寄りのホ-ムパ-ティ-( potluck party と言います。)をしばしば開き会話を愉しむと聞いています。カナダは余りにも広大で日本のように、春の一日を京都や奈良へ・・・というような日帰り小旅行は不可能です。人と人とのつながり、絆を大切にして生活をエンジョイしているようです。彼女のマイホ-ムはプライベ-トゾ-ンとゲストゾ-ンが独立しており、いつでもゲストを招き、専用のダイニング、リビングでお食事、会話を楽しむことが出来る間取りは羨ましく思った次第です。



 日本とカナダに離れて生活すること36年、古荘、津田、後藤。3人の交流は30年近く続き、今や古希という節目の年を迎えました。津田さんの「私達、あと何回会えるだろう?」の一言に、はっと卒業後51年の年月の重みを実感しました。

 いつの頃からか張君、段中(高田)さんのご尽力で大阪近郊の同窓生を誘っていただき、“古荘さんを囲む会”が定着しており、非常に嬉しく思っています。

 昨年3月、卒業50周年記念同窓会が開催され、記念文集「みをつくし」が編集委員のご努力で出来上がりました。この文集は私にとって人生の宝物の一つになりました。男子ばかりのクラス、7組で落ちこぼれの生徒であった私は「高校生活」イコ-ル「灰色」というイメ-ジでした。しかし卒業25周年の初の同窓会で懐かしい友との再会は、在学中の数々の思い出を蘇らせ「こんな素晴らしい仲間達と一緒に市岡で学んでいたんだ」ということに気付き、大きな誇りとなって今日に至っています。

 古荘さんは、将来日本に帰国して私達と一緒に老後を楽しみたいと言う願望が大きいのでは・・・と思っていますが、日系カナダ人になりつつある現在、その心の内は複雑で、諸事情もあって難しくなっているのではないかと感じているところです。

 この後、3人の交流も含め、恒例となりつつある“古荘さんを囲む会”が毎年開かれることを願い、友情を温め、市岡の絆をより深めて行けたらと思います。


 

2011.9.3 ウエスティン京都にて 
(左から津田、古荘、後藤の順)

2011.9.17

“Let’s 絆” への1件のフィードバック

  1. 北村彰一 says:

    ふとああ月はじめと気がつきページを開けて見ると今月も興味深々でした。

    毎月すべてにコメントをつけたいのですが、そうもゆかず代表して後藤さんの記事

    につけたいと思います。多くの方の写真があり古荘さんを囲む長いおつきあいが判

    り良かったです。

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