12期の広場

12期の広場

第20回 兵庫市岡歩こう会に参加して

7組 伊東慎一郎

 5月13日(日)午前10時に神戸市営地下鉄の大倉山駅に集合でした。先生では、江本義文先生(86歳、参加者中の最高齢と思います)が来られ、旧制中学42期8人の先輩諸氏から20数期の後輩まで、男女40人程度の参加でした。12期生の参加者は、鈴木政子さん、酒井八郎さん、古藤知代子さん、段中文子さん、張志朗さん、高尾昌之さん、そして私の7名でした。

荒田八幡神社
12期の参加者(薬仙寺にて)高尾君は迷子?

 今回は、「平清盛」ゆかりの史跡12か所(福原京、大輪田泊周辺)を訪ねるコ-スで、五月晴れのさわやかな1日でした。

 最初は荒田八幡神社、2番目に訪れたのが、少し山の手にある祇園神社です。ここからは兵庫の海と市街地が一望でき、清盛が日本最初の人工島(経ケ島築造)の構想をここで練ったらしいです。眼下に湊山温泉ののぼりが見え、郷愁を誘われました。

次に雪見御所(清盛の別荘)旧跡を見て、熊野神社から湊川公園へ。

 体調がやっと戻ったという高尾君がわざと女性の手を借りて、12期生全員がひとかたまりになって地面に腰をおろし、そこでお弁当タイム。

高尾はここに居るぞ!

六甲山系が間近に迫り祇園神社の
背後は緑いっぱい
雪見御所の由緒書き、
英語、韓国語併記でした

熊野神社で参加者全員の集合写真を撮りました

 午後は湊川公園を1時に出発、願成寺から厳島神社です。

 厳島神社では、地元の酒井君が氏子総代をしている関係もあってか、宮司直々のおでましで、お話を皆で聞けました。次ぎに能福寺に行ったのですが、ここでは「兵庫大仏」の御前で大勢の人が見守る中、平安時代の装束で結婚式の真最中でした。

 清盛塚を経て、薬仙寺。そして最終の和田神社へ。

 いつもは、参加者全員が輪になって、一言メッセージを言うのですが、今回は時間の関係で代表者の高見政博さん(12~13期生)のあいさつのみで終了。

 足の裏が少し痛いという酒井君を含めて無事全員最後まで歩き、4時ごろ解散で皆さん地下鉄海岸線和田岬駅へ向かいました。


- コ-ス紹介 -(「あいたい兵庫キャンペ-ン2011」他から引用)
 荒田八幡神社 平頼盛の山荘が福原遷都の際に安徳天皇の行在所となった神社
 祇 園 神 社 スサノオノミコトがまつられた神社で、記事にある経ケ島築造の構想を練ったといわれている
 雪 見 御 所 清盛の別荘があったとされる場所で、現在は旧跡の碑がある
 熊 野 神 社 後白河法皇が深く信仰した熊野権現を清盛が福原遷都の際に勧請したとされる神社
 願 成 寺  源平合戦で命を落とした清盛の弟の子「通盛」の供養塔がある寺社
 厳 島 神 社 清盛が福原京、兵庫津の守護神として安芸の国厳島神社を勧請したと言われている
 能 福 寺  清盛が出家したとされる寺社で、「兵庫大仏」が有名
 清 盛 塚  清盛塚と呼ばれる石造十三重塔がある
 来 迎 寺 築島寺とも言う。築島時に人柱となった松王丸の供養塔がある。清盛の寵愛を受けた妓王と妓女の墓も残されている
 薬 仙 寺 清盛が福原遷都を強行しようとした際、後白川法皇を幽閉したことで知られている
 和 田 神 社 大輪田泊の修築に着手した際、工事の安全と繁栄を祈願して勧請されたといわれている

“第20回 兵庫市岡歩こう会に参加して” への2件のフィードバック

  1. 赤羽 says:

     部外者が読んでも、同窓同期の親密さや旅の全容がわかりやすく、名旅行文
    です。

  2. 伊東慎一郎 says:

    早速読んでくれて、褒め言葉までいただきどうもありがとう。
    かなり間が空いてしまいましたが、お礼申し上げます。
    文章を書くのは難しいものだと実感しています。

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