12期の広場

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液体水素との戦い

6組 小野義雄

 今の若い技術者には理解困難なことですが、最初のロケット設計開始当時、算盤、計算尺と丸善の三角関数表と対数表が計算ツールであり、ロケットに搭載されていた電子装置には、今では目にすることが困難な真空管も使われていたのです。

 最初のロケットは衛星の技術開発と科学観測に使用され、実用衛星を打ち上げるには力不足であることから、初号機の成功後すぐに大型化の検討が開始されましたが、開発期間や工場設備の課題から、応急対策として米国のロケットを輸入する政策がとられて、ひまわりの名称で有名な気象観測衛星、放送衛星および通信衛星等が打ち上げられました。このロケットの誘導装置がブラックボックス扱いという屈辱に耐えながら、技術者維持のために少しでも国内作業を増やすよう知恵を絞り、その次のロケットへの準備として、水素を燃料とする高性能エンジンや集積回路を使う誘導装置の研究が開始されていました。構造設計を専門とする私も不具合の山を築きながら、当時は輸入せざるを得なかった大型タンクの国産化を実現してロケット自主開発への道を拓くとともに、20年後の宇宙ステーション開発につながる基盤技術の一つになりました。最初の国産タンクを使ったロケットの発射の瞬間(左の写真)、私の心臓が破裂寸前であったことを今も鮮明に覚えています。

 その後、この技術と設備を使用して零下250℃の液体水素用タンクを開発することになり、液体水素とのつらい戦いが始まったのです。見たことも触ったこともない液体水素はごく小さな隙間から簡単に漏れ出て、酸素と混ざるとすさまじい威力の爆発につながり、扱いが困難なものです。今ではアルミ合金の大型部材の加工や溶接技術が進歩して問題ないのですが、液体水素の漏れ防止設計に行き詰まり、クレーンで一人下ろされたタンクの底で立ち上がる気力を失くしたり、また水素爆発で部下が死ぬ夢にうなされて眠れぬ夜を過ごすこともあり、以来いまだに就寝前の読書習慣が続いています。液体水素をうんと冷却して固体にすると導電性の金属水素になるようですが、液体水素を真空中に吹き出すと真っ白な水素の雪ができます。アポロ13号の事故時に宇宙の雪として紹介されています。

 多くの技術者の苦闘を経て、液体酸素と液体水素を使用する高性能推進系と国産の誘導装置が完成し、水素を意味するHを冠してH-Ⅰと名付けられた三番目のロケットの打ち上げに成功して、現在のH-ⅡAとⅡBの原型となる純国産のH-Ⅱロケット開発に向けての技術基盤が完成したのです。東大の糸川教授が苦難の末に、日本初の人工衛星打ち上げを成し遂げた固体推進薬を使用するロケット技術も大切な基盤技術の一つです。

 ロケット全体の重量が同じなら、衛星打ち上げ性能は、全重量に占める推進薬の重量比と、エンジンから噴出するガスの速度の二つでほぼ決まります。後者の観点から水素と酸素が推進薬に選定され、前者では贅肉を徹底的に落とすのみです。直径2.4mのタンクでは、0.5インチ厚さのアルミ合金の板を機械で障子のように削り(右の写真)、障子紙に相当する厚さは1.3~1.6mmです。ロケットの完成近くになって計画性能に満たないことが判明して、航空機類似構造の厚さ1.6mmの外板の贅肉部分を0.3mmほど薬品で溶かして軽くするなど最近の日本人が痩せるためにお金を使うのと同じでした。

タンク内面(つくば宇宙センタ展示場)

 H-Ⅰロケットの構造設計をほぼ終えた頃、将来の情報通信量の急速な拡大予想から巨大な通信衛星を打ち上げ得る、世界の最新ロケットと互角性能の大型ロケットへの要望が高まり、主任技師(事務系の係長相当です)の最後の年に、その計画設計のリーダを務めました。1年かけて2トンの静止衛星を打ち上げ得るロケット(左のイラスト)の計画図と開発計画を立案し、好景気のもとで開発予算も確保され、翌年から本格的な開発が開始されたのです。世界最高性能のエンジンの爆発事故で若い技術者の命が失われるなどで予定の開発期間から2年遅れでしたが、次回説明予定の搭載実験機を含めてパーフェクトの初飛行を成し遂げました。しかし光海底ケーブルの普及により通信衛星の需要が減少し、さらに10年の開発期間中の250\/$から125\/$への為替レートの大きな変動により、ロケットの打ち上げ価格は国際競争力を失い、また1機の成功で安心することはできなかったのです。最初のロケット(N-Ⅰ)、次のロケット(N-Ⅱ)と三番目のロケット(H-Ⅰ)まで合計24機全機成功につづく快挙であり、ロケット技術者に驕りが生まれつつあったように思います。

 実は私は、本格的開発開始とともに分離独立した構造設計の初代課長を務めていましたが、構造設計をほぼ終えた頃、ロケットから新たなプロジェクトに移りました。しかし、新聞で大きく報道されたエンジン爆発事故の対策にしばらく駆り出され(右の写真)、設計変更後の最初の燃焼試験に立会い、6分間のすさまじい轟音に腰を抜かしそうでした。まさに市岡高校時代の私が憧れていた男の職場そのものに深く感動を覚えたものです。この実物のエンジンをつくば宇宙センター展示場や横浜の三菱みなとみらい技術館で目にすることができます。最高峰のエンジン技術の結晶をぜひご覧下さい。

左がエンジン/中央が著者


つくば宇宙センターに展示されている H-Ⅱロケット(上)と エンジン(下)

“液体水素との戦い” への8件のフィードバック

  1. 川村浩一 says:

    小野さん、ご無沙汰しています。
    8組の川村です。秋の同総会でまたお会いしたいですね。
    小野さんの一貫した人生に感動しました。高校時代、わたしも進路をまじめに考えたつもりでした。しかし、家の経済状態から「家から通えるところ」「ストレートでいけそうなところ」とか、一人っ子で親の面倒をみる必要があるから「就職に有利なところ」等、消去法で決めていたと思います。気持ちで決めれば京大の東洋史学を目指していたかも知れません。その勇気がなかったというわけです。

    お話の中で、担任の先生の個性にもおかしさを感じました。
    また、昭和32年のスプートニク1号や昭和36年のボストーク1号(ガガーリンの有人衛星、九州旅行中鹿児島でニュースを聞きました。これからでも50年以上経ったのですね。)など興奮したことを思い出します。どちらかというと反米感情からの興奮ではありましたが。

  2. 小野義雄 says:

    川村さん ありがとうございます
     大阪から名古屋に移り市岡の同窓会とは縁遠くなりましが、つくばでの12年間の単身赴任生活の終わりに、榎本さんと山田さんから声をかけて頂き、関東での同窓会に出席しました  その縁で、皆さんがあまりご存知ない世界の話しを書くことになりました 少しでも興味をもって頂ければ幸いです
     市岡という一つの巣から飛び立った旧友と、時に顔を合わせていろいろな知らない世界の話を聞くのは楽しいことですね 小学校から予備校まで一緒で、私と同じ6組だった田中敏昭さんが一昨年6月に亡くなり、三回忌を過ぎた先週、お墓参りに行き、向こうでの暮らしぶりなどを聞いてきました 冗談はよしとして、いずれ田中さんの若い頃の活躍を皆さんにお伝えしたいと思っています

  3. 6組 佐藤裕久 says:

    小野さん、大変お世話になっていましたのに、ご無沙汰ばかりで申し訳ありませんでした。お許し下さい。
     6組の佐藤裕久です。小野さんが三菱重工(MHI)を定年退職され、つくば の現JAXA(ここで、二段式軽ガス銃の実験をしておられましたか?)に単身赴任された頃 であったように思いますので、12年位前でしょうか、勝手ながら電話のみでしたが、いろいろと大変お世話になりました。
     その後、上京したある時に、確か、榎本さん・山田さん・大石橋さんと小生計4人で夕食会をしましたが、席上、山田さんの、「“戻り鰹”を食べたい」という話(過日の、大石橋さんの東京12期会会長就任時あいさつにも出ていたようですね)に小生ものり、泉さんも一緒に東京市岡12期Gと、仙台駅東口で落ち合い、宮城県の気仙沼・大島の民宿に案内しました。民宿の夕食に刺身の鰹がテーブルに出された時、山田さんは『戻り鰹の“たたき”を食べたいのである』といって聞かず、小生はびっくりしました。(もちろん、鰹の一本釣や皿鉢料理で有名な土佐・高知に、小生は若い頃までに、十回以上は行ったことがありましたから、「鰹のたたき」の何たるかは十分承知していました。“郷に入っては郷に従え?”:本場、三陸沿岸では、殆ど“さしみ”!)
     昨年の3.11大震災以後、特に、8月1日に、ボランティアで、塩竈市・浦戸桂島を訪問してから、いろいろの雑務を自分で作ってしまっていたため、今年の春、小野さんのことを東京市岡12期会を通じて、知っていましたが、小生はなおご無沙汰ばかりしています。
     いずれ、あの時(12年前)の「旅客機のPassive Safety 工学」に関する研究の顛末を含め、済みませんが、おいおい、連絡させて頂きます。
     なお、小野さんの E-メールアドレスは山田さんに教えてもらいました。念のため、小生のアドレスを記します:ysatohocn@wine.ocn.ne.jp 以上。

  4. 小野義雄 says:

     佐藤さん ありがとうございます
     MHIやJAXA勤務の頃の私のことをご存知のようで驚いています どこかでお会いしたことがあるのでしょうね
     確かに2段式水素ガスガンを使い、デブリ(宇宙ゴミ)との高速衝突実験を計画し試験に立ち会ったこともあります 佐藤さんのお顔は記憶にあり、さきほど同窓会名簿で当時(今も?)大学におられたことを確認しました ということで、ガンの性能解析や衝突破壊解析などでご指導頂いたのかも知れませんが、まったく記憶に無く申し訳ありません 二人の出会い!に皆さんご関心を持たれているかも知れませんが、私へ直接でも結構ですので経緯をご連絡よろしくお願い申し上げます

  5. 佐藤裕久 says:

     小野さん、ご連絡ありがとうございます。佐藤です。返事が遅れて大変申し訳ありません。
     確か、平成13年度の「革新的な技術開発の提案」というプロジェクト研究公募に応募するため、MHIから、どなたか、航空機の衝突・衝撃問題の専門家を推薦して頂くのに、貴兄の元部下であった、当時の研究部長(名前、失念しました)を貴兄に紹介して頂きました。名古屋に出向いた訳ではなく、電話で、お願いした次第です。(その結果、40歳より少し若い、極めて優秀なエンジニアを共同研究者として推薦頂きました)
     同級生の小野さんでなければ、とても電話で済ますことはできないことでした。どうも有り難うございました。
     その時の電話で、貴兄から「MHI退職後、今はJAXAの手伝いをしていて、二段式軽ガス銃の実験をやっている」と、聞きました。なお、通常の軽ガスは安全のためヘリウムを使いますが、その頃、知人のガン製作者が、「今度、MHIの相模原に水素ガスの二段ガンを納入した:多分、日本一高速だと思う」とか聞かされていました。
     小生は、その十数年前、東北大学(TU)に勤務していた昭和63年度に、TUの流体科学研究所に出向いて、卒研生や大学院生と、初めて、二段式ヘリウムガスガンの実験をやりました。特に、2段目の加速管の試験後の掃除が大変でした。(学生らも、そろって、“大変ですねー”と言っておりました。)

     航空事故(Wikipediaによると”約8割”)は、航空機が離陸・上昇を行う際と進入・着陸を行う際の短い時間帯に起こります。それで、離陸後の3分間と着陸前の8分間の計11分を“critical 11 minutes”:「魔の11分」と呼んでいます。この離着陸時に限れば、旅客機の最大速度は大雑把には毎秒100メートル:時速360kmで、F1カー程度です。
     乗用車の進化した衝突安全技術(①事故を起さない安全技術[active safety engineering]&②事故が起きても助かる技術 [passive safety engineer-ing])を、11分間の間、少し早い旅客機にも応用しようという研究でしたが、この観点での研究助成はゼロでした。(それで、基礎となる、ナノ秒サンプリングによる衝撃波面構造の精密計測など、行ってきました。研究論文などは、別途、小野さんとのメールのやり取りでお送りできると思います)
    以上、取り急ぎ、お礼とご連絡まで。  草々

  6. 佐藤裕久 says:

    12期編集委員会御中 (from Y. Sato)

    3件目のコメント(発信者:6組 佐藤裕久[小生です])を入れさせて頂いた後、小野義雄さん宛に、メールで、当該コメントの件、7/13に、お知らせしました。
    それに対しては、小野さんからは、特に、返信があったわけではありませんが、配信できないという知らせもありませんでしたので、届いているものと考えておりました。

    一方、5件目のコメント(発信者:小生)を入れさせて頂いた後、こちらからの論文など、添付ファイルが多かったこともあり、昨日7/26、と今日7/27、各2件、計4件のメールを、先に述べたと同じ(小野さんの)E-mailアドレス宛に送りました。
    しかし、すべてのメールが配信できないとの、小生側のプロバイダー:OCN から「配信できない」ということで、送付者(小生)にメールで知らせが参りました。

    OCNのシステムで、配信不能である理由がいくつかあります(OCNテクニカルサポート担当の井川という方の説明による)が、本日7/27、添付ファイルなしで、再度、7/13に用いたと同じ小野さんのメールアドレスに、発信した所、OCN から「配信できない」ということでした。

    すなわち、

    『お問い合わせいただいたエラーメッセージについてご案内いたします。

    エラー文中の「Address rejected」は、メールを送信しようとした宛先のメールアドレスが有効ではないということを示しています。

    このエラーメッセージは、一般的に送信先、あるいは返信先として指定した宛先メールアドレス自体が存在しないか、宛先の入力に誤りがある場合に返送されます。

    また、受信したメールに対し「返信」操作をした場合でも送信元の方のメールソフトの設定に誤りがあればお客様のメールは届きません。

    宛先のメールアドレスを正しく入力してもエラーになる場合には、そのアドレスが変更・廃止されている可能性がございますので、恐れ入りますが宛先の方へお尋ねいただけますでしょうか。

    何かご不明な点がございましたらお問い合わせください。今後ともOCNサービスをよろしくお願いいたします。』 との連絡メールが入りました。

    12期編集委員会の皆様には、ご多忙とは思いますが、小野さんとの連絡にE-メールを利用されていると思いますので、よろしくお取り計らい下さいますようお願い致します。

    なお、小生のE-mailアドレスは、3件目のレスポンス(小生からのコメント)欄に示してあります。    草々

  7. 小野義雄 says:

    佐藤さま
     ご連絡ありがとうございます
     先日のHTV「こうのとり」の打ち上げに招待されて種子島へ行き、その後もう一つの射場の内之浦へも行ってきました その後、つくば、東京等へ出かけていて、先ほど佐藤さんからのコメント記事に気づきました   
     4月に名古屋に戻り ono_yoshio@catle.ocn.ne.jp に変更しています アンダーバーにご注意ください
     なおJAXA客員を続けているのでJAXAアドレスも有効ですが、公開は控えさせて頂きます
     佐藤さんとの接点をぼんやりとですが思い出しつつあります

  8. 小野義雄 says:

    佐藤さん
     アドレス間違いでした
      catleではなく、castleです

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