12期の広場

12期の広場

大阪府立市岡高等学校第12期生2012同窓会が開かれました。

 大阪府立市岡高等学校第12期生2012同窓会が10月21日、午後1時30分から開催されました。

  この日は抜けるような秋晴れでした。同窓会の会場は地下鉄西中島南方のクライトンホテル新大阪2階宴会場で、恩師4名、同窓生65名の総勢69名が参加さ れました。ご臨席頂いた恩師の先生方は、北村彰一先生、江本義文先生、御前保子先生、福井金治先生で、同窓生は関西在住が中心でしたが、仙台から佐藤裕久 君、千葉から重松清弘君、東京から泉信也君、神奈川から東野節雄君、新潟から佐々木康之君、愛知から小野義雄君、広島から辻紘一郎君の遠来の友、7名も馳 せ参じてくれました。

 午後1時から受け付け開始、なつかしい学友達が次々と集まってくれました。

受付ホ-ルでの握手に力が入ります。
 
「宇宙よもやま話」で宇宙のロマンと謎に魅了され-講演の部
 

 定刻1時30分に特別講演の部が開会。「宇宙よもやま話」の演題で小野義雄君(3年6組)が30分の講演を行いました。

 小野義雄君は、名古屋大学工学部航空学科修士課程卒業後に三菱重工入社、宇宙ロケットシステムおよび構造設計や宇宙ステ-ション開発プロジェクトマネ-ジャ-に従事され平成12年NASDA(現 JAXA)に入社されるなど、一貫して日本の宇宙開発に技術者としてたずさわってこられました。現在もJAXAの客員ならびに九州工業大学非常勤講師をつとめておられ、今年の7月21日、宇宙ステ-ションへの輸送ロケット「こうのとり3号機」の発射時には種子島宇宙センタ-の射場で立ち会われたそうです。

小野義雄君の講演写真

 講演ではDVDを使った「宇宙ステ-ション開発史」の紹介の後、後掲の資料を使って分かりやすく、また興味深い「よもやま話」を紹介していただきました。

 講演は大好評で、恩師の先生方はじめ同窓生皆さんは、地上400km上空、秒速8kmで地球を周回する「国際宇宙ステ-ション」の映像に大いに感嘆すると同時に、その困難に立ち向かう胆力と技術力、はるか彼方の宇宙空間を今も飛行するボイジャ-とダ-クマタ-に代表される「宇宙のロマンと謎」にすっかり魅了されたようでした。

 30数分もあっという間で、質疑応答の時間が取れなかったのが、いまでも残念です。

 
「55年前にタイムスリップ」 夏休み宿題の返却に驚き- 本会の部
 

 引き続いて2時10分から「2012同窓会本会」が開会されました。本会司会者は1組の八島節子(旧姓軽矢)さん、3組の清水誠治郎君のお二人です。

 本会冒頭に、前回同窓会以降に亡くなられた西田昭夫先生、4組石崎輝子さん、6組田中敏昭君、早川光輝君、7組松下義樹君、松永康雄君を偲んでの黙祷を行いました。

 次に第12期同窓会幹事会の代表幹事である酒井八郎君が開会の挨拶をしました。

 酒井君は挨拶の中で、参加された先生方はじめ同窓生へ心からの感謝を述べながら「何時までもお元気に!」を12期同窓会の合い言葉にしようと熱く呼びかけました。(後掲のメッセ-ジを参照してください。)

 続いて、恩師の先生方のご紹介がありました。

開会の挨拶をする酒井君
宿題返却に喜ぶ進藤君、原君と北村先生

 恩師を代表して3年5組担任の北村先生からご挨拶を頂きました。また、今年の春にお話のあった、先生保管の「高校1年時の夏休みの社会科の宿題―読書感想文」を返して頂きました。(後掲のメッセ-ジを参照してください。)

 読書感想文が書かれた400字詰め原稿用紙は、55年の歳月の証のように茶色に変色していましたが、鉛筆や万年筆で書かれた文字は今もくっきり、高校1年のういういしさを鮮やかに蘇らせるものでした。多くの学友への返却でしたので会食中まで一人一人への手渡しが続き、そのたびに驚きと歓声が上がりました。

 福井金治先生の乾杯の音頭で宴の始まりです。昼食を我慢しての会食でしたから会場は一気に、にぎやかになります。テ-ブルごとで乾杯が繰り返され、久しぶりの再会にあちらこちらで握手の輪、話の輪が広がっていきました。

 グラスを片手にあの席この席と移動しながら旧友と語り合う人、笑い転げる人や腕を組んで記念写真を撮る人、会場は大盛り上がりです。

 
「老松(ろうしょう)も 我も景なり 通し鴨」-御前先生のスピ-チ
 

 ご臨席の御前先生、江本先生、福井先生からも心暖まるスピ-チを頂きました。

 御前先生からは最近お作りになられた俳句-「老松(ろうしょう)も 我も景なり 通し鴨」のご披露がありました。景は「景色」、「通し鴨」は渡りからはぐれて居着いて夏を日本で越す鴨の事だそうで、これから「老い」に向き合わなくてはならない私達への静謐で力強いメッセ-ジとなったようです。

 次に司会者から「遠来の友の紹介」があり、泉君から東京市岡12期会についてのスピ-チが、ほかの皆さんからも順次、自己紹介と近況報告をかねたスピ-チがありました。また今回初めて参加した7組の児嶋雄二君からもスピ-チがありました。

 引き続いて、「12期の広場」のアンケ-ト調査結果報告(HP委員の張志朗君担当)と12期同窓会の会計報告(幹事会会計の原清明君担当)がありました。

遠来の友7名の紹介

 各テ-ブルに「同窓会の出欠返信書」のコメント欄を纏めた「同窓生近況短信集」が2部ずつ準備されていたのですが、それに見入る人や、返してもらったばかりの「読書感想文」見入る人。特に「読書感想文」は文字通り、55年前にタイムスリップさせてくれたようで、「思いがけない贈り物。一生の宝物。大切にしたい。」との言葉に象徴される「ビッグサプライズ」であったようです。

恩師を囲んでの集合写真の撮影

 次ぎ、全員を2グル-プに分け、先生方を囲んで記念集合写真の撮影です。写真撮影は5組の川西庸雄君の担当で、全体のバランスと同窓生個々人の表情に気配りしての慎重な撮影でした。 

 腕を組んでの校歌斉唱の後、閉会の挨拶を副代表幹事の北浦昌子さんがしました。(後掲のメッセ-ジを参照してください。)

 本会終了後、場所を1階に移して二次会が行われました。

 幹事会副代表幹事の末廣訂君と段中文子さんの司会進行で、歌と踊りでまた盛り上がり、笑いと歓談の輪がとぎれることなく続きました。

 午後7時過ぎ、全予定を滞り無く終了、又の再会を約しての散会になりました。

二次会全景写真
(HP委員-記)

“大阪府立市岡高等学校第12期生2012同窓会が開かれました。” への6件のフィードバック

  1. 北村彰一 says:

    「十二期生の広場」素晴らしく高度の内容になってきて驚いています。写真などもスライドショーで見れます。古稀を超えてこれを製作している方の技術力に脱帽です。準備が大変だったと思います。発表の今日が待ち遠しかった。同窓生短信により出席して談笑している方も大変な病気を抱え、やむなく欠席の方々もこのWEBページをよくご覧と判りました。
    そこで作文返却ですが気楽にリクエストしてください。また口コミで広げてください。住所は二〇〇八年の名簿通りです。ここに書くと時節柄危険と事務局の方は判断されています。

  2. 川村浩一 says:

    北村先生、コメントありがとうございます。
    また、思いがけないタイムカプセルのサプライズありがとうございました。
    わたしも今回返却していただきました。たしかに15歳の字と文章です。「女工哀史」を読んだことは覚えていましたが、宿題だったのですね。近江絹糸の争議のことから我が国の産業構造の推移に論を進めていて、15歳なら合格かなと自分で採点しました。
    周りの人のも覗いてみましたが、「土」(長塚節)、「蟹工船」(小林多喜二)、「昭和事件史」(北条清一)その他「日本農民運動史」「国民の憲法-憲法改正について」「民主主義について」など精一杯背伸びして論じていました。
    背伸びをすれば背が伸びるといいます。ありがたい宿題だったと感謝しています。

  3. 児嶋 雄二 says:

    張君、先日の同期会開催準備、当日の運営など大変ご苦労様でした。
    ところで、あの日に張君から話のあった再開発事業に関する資料について、当方はまだ関係先に当たっていませんが、知りたいことを具体的に私の方へ連絡してもらえば、阿倍野再開発事務所等に照会をかけます。期待に添えるかどうかわかりませんが、
            10月31日        児嶋 雄二
                       

  4. 張 志朗 says:

    児嶋君、早速のコメントありがとう。初めての同窓会参加のご感想は如何でしたか。バタバタしてゆっくり話が出来なかったようで少々気にしています。また機会を作り積もる話をしましょう。
    再開発事業手法について私は全くの素人で現在ぼちぼちと勉強中です。整理が出来ましたらまた後日教えていただきたいと考えています。telいたします。お気遣いありがとうございました。

  5. 椎間 賢一 says:

    佐藤裕久さん。あなたと話ができてよかったです。当日、受付の近くに立っていたあなたに何故か声をかける気になったのです。これまであなたと話をした事はなかったのですが、話をすすめるうち、6組の橋本駿君とは仙台で同じ下宿で勉学に励んだ仲だと聞き、僕は驚き、橋本君が5年位前に亡くなっていることを知らされたあなたは少なからず狼狽しました。僕が中学3年の10月港中学に転校してき、橋本君と同じクラスになり机を並べたのは短い期間でしたが、家も近く就職してからもたまに会う仲でした。お互いに家庭を持ってからか、僕がシンガポール、チュニジアと外地勤務になった頃からか音信が途絶え、再び便りが入ったのは、60歳を3~4年過ぎた頃、中学のクラス会を開こうと呼びかけてくれたのです。しかし翌年か翌々年奥さんから電話が入り大腸ガンで亡くなったことを知らされました。誰にも知らせず、家族葬でと言い遺こしていたらしいのですが奥さんは不憫に思い、年賀状の中から僕の名前を見つけ葬儀(2007年1月15日)の連絡をくれたのでした。     合掌

  6. 佐藤裕久 says:

    椎間賢一さん、この度の市岡高校12期生同窓会で、貴兄と偶然話をする機会に恵まれました。また、この”12期の広場”にコメントとして、詳細な情報を頂き、ありがとうございました。

    卒業アルバムを見て、椎間さんの顔を思い出しました。やはり、話したことは多分なかったと思います。この同窓会での共通の話題が市岡高校3年と大学教養課程でも同級だった橋本駿君のことでしたが、既に、この世の人ではなくなっていたことをお聞きして、驚きました。また、貴兄の今回のコメントで、後2ヶ月もすれば橋本君の7回忌を迎えるのだと知り、改めてびっくりした次第です。

    同窓会での懇談に追加するとすれば、在学中の小生は、現在、クアラルンプール在住の片山逸雄さんを介して橋本君と話していたことが多かったこと、また、橋本君が港中学校のクラス会を開こうとしていたということとが何故か、今、印象として残っています。

    別のことを思い出しました。同じ6組で、仙台でお互いに家庭を持っていた籠谷登志夫君の義理の弟さんから、本人から誰にも連絡するなと口止めされているが、癌の再発・入院でもう危ないとの連絡を受け、病室で面談したことを昨年、この12期の広場に報告させていただきました。詳しくはそこに記しましたので、ご参照いただければ幸いです。命日は2008年9月7日です。
    見舞ったはじめは、弱々しく、また、やや小さく見えた籠谷君でしたが、看護師の勧めもあって、2時間近く話しているうちに、本当に、脳にまで転移しているのか、と疑いたくなるほど声にも張りが出てきたことを思い出します。(籠谷君は、現役時代に亡くなった白石英三君と同じ、市岡中学出身であったと思います。)

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