12期の広場

12期の広場

「12期の広場」 9月号ラインアップ

 9月です。暦の上ではもう秋ですが、残暑が相変わらず厳しい今日この頃です。

 過日、K君から「青春18キップ」で東京に行って来たとのメ-ルを受け取りました。それに刺激を受けた訳ではありませんが、筆者も今夏は「青春18キップ」のお世話になり、以前から気になっていた「平地に現れている分水嶺」を訪ねてみました。

 場所はJR福知山線の石生(兵庫県丹波市)です。石生駅は篠山口から福知山への中間地点でかの春日の局の生地であるJR黒井駅の一駅大阪寄りの無人駅。

 取りあえず駅前の案内図を見て、「水分れ公園」を目指して炎天下20分の徒歩です。

 まず線路沿いに南へ。石生踏切を横切ると川幅がせまい高谷川があり、それを川上に向かうと水分橋(国道176号線との交差点)があります。そこがすでに目的の「平地に現れている分水嶺」の一部でした。


分水界の碑(分水橋のたもとにあり、右は瀬戸内海、左は日本海を示す。)

 正確には一般的な「分水嶺」ではなく、日本列島に降る雨を日本海側と太平洋側に分ける背骨部、つまり中央分水界で、それが平地に現れたものを特に谷中分水界と言うそうです。石生の谷中分水界は本州ではもっとも低いもので、その海抜は分水橋地点で101mです。

 しばらく水分橋のたもとに立ち止まりましたが、どう見渡しても分水界の南北は平らな盆地、勾配がある地点とは思えません。またこの分水界が東に行っても西にいっても日本の脊梁山地(分水嶺)に連なるとはとても想像できませんでした。

 石生の谷中分水界は高谷川の右岸の自然堤防に沿って東西に長さ1.25kmにわたって続いています。東は「水分れ公園」付近で山から氷上盆地に降り、海抜95.45mまで下がりながら水分橋、石生踏切付近を経て、城山の稜線をまた登って行きます。そして石生付近の盆地を南北に分け、その北側に降る雨は黒井川から由良川を経て日本海に、南側にふる雨は柏原川から加古川を経て瀬戸内海に注ぐそうです。

 高谷川沿いに大和屋という立派な老舗料理旅館があるのですが、その屋根をつたう雨水は、屋根勾配によって日本海、瀬戸内海へと水分かれするのです。もっと驚いたことは、もし海面が100m程度上昇したとすれば、このあたりに若狭湾と瀬戸内海を結ぶ海峡が出現し、本州を二分することになることです。どのようにしてこの地域に分水界ができたのか、またそれは自然界や人々の生活にどのような影響を及ぼしたのかなど、自然の神秘と人々の営みへの興味は尽きません。

 「水分れ公園」で豊かで美しい水の姿を堪能し、すぐ側の「丹波市立水分れ資料館」を見学しました。

 夕暮れがせまり、川魚が群れる高谷川のせせらぎを眺めながらのんびりと石生駅に向かいました。1時間に1本の大阪行き普通列車に乗る頃には暑さも幾分やわらぎ、分水界である石生踏切付近を越えると列車は確かに長くて緩やかな下り勾配を進みます。すべるように軽やかな列車の加速が殊更、心地よく感じた一日でした。

 さて今月号のラインアップです。今月号は記事が一つです。お楽しみ下さい。

 
  1. 法格言にみるイギリス法の精神 3 (上)」        3組   松村 勝二郎
以 上

“「12期の広場」 9月号ラインアップ” への1件のフィードバック

  1. 川村浩一 says:

    「分水嶺」いい響きの語です。でも平地の分水界には思い至りませんでした。

    分水嶺というと思い出すのは大昔の文芸春秋・随想欄のどなたかの文章。
    中米某国の旅行中、太平洋と大西洋の分水嶺の峠にて立小便。半分ずつ東と西に向って放出し「太平洋と大西洋に行き別れ」と喜んだというお話。
    これを読んで以来、中国山地でも四国山地でも分水嶺では立小便したくなるようになりました。
    70年以上も生きてくると人生においても「あれが分水嶺だった。」ということがいくつかありそうですね。

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