12期の広場

12期の広場

「12期の広場」 6月号のラインアップ

 6月です。桜の新緑が深緑に変わり、涼しげな日陰を作っています。また大阪の近郊でも田植えの準備が始まり、小型トラクターが忙しそうに田圃を走り回っています。
 日差しは夏そのもの。寒がり、暑がりの私も、ようやくの衣替え、何もかもが夏用です。梅雨入りまでにはしばしの有余があり、好天が続いていますが、たくさんの花芽を付けた庭の紫陽花は、もう「つめいろの雨」-慈雨を待ちこがれているようです。
 
 5月の初めに、京都在住のK君から6組の久保武治君の訃報を知らせるご子息からの挨拶状が、届いたと、連絡がありました。それによりますと、4月29日に、2年にわたる病気療養のすえ、亡くなられたとのことです。またその中に「父は長らく奈良教育大学で勤務し、定年後はテニスと畑仕事に精をだし、毎日を精いっぱいに生きていました。とりわけテニスは闘病中の75才まで公式試合に出場するため、全国を回っておりました。」とありました。
 御存じのように久保君は、12期同窓生の秀才のお一人で、真面目で粘り強く、また何事にも思慮深い雰囲気を持つ、スポーツマンであったと記憶しています。私がテニスにはまっていた50才半ばの頃、一度、彼の公式戦を見たことがあります。お人柄そのままのしなやかで理詰めのテニスに感じ入ったことを思い出しました。同窓会にもほぼ毎回、出席され旧交を温めて居られただけに、突然の訃報に驚いています。
 心よりご冥福をお祈り申し上げ、慎んでここにお知らせいたします。合掌。
 
 さてわが「12期の広場 」6月号のラインアップです。記事は以下の二編です。
 8組の末廣訂君が「福島区歴史研究会 会報」に書いた「山錦関とはどんな力士?」を転載させて頂きました。大阪出身で優勝経験がある山錦関が、鷺洲の出身であることやそのほかの興味深いエピソードなど、お読みください。
 また、奈良市岡歩こう会の春の例会、「しまなみ海道を歩く」の報告を載せました。ウォーキングは大層楽しいものでしたが、その原稿作成には悪戦苦闘、さらに期限ギリギリで大慌て。結局、コンパクトに纏まらず、拙文を垂れ流すことへの叱責覚悟で、今月号、来月号の二回に分け掲載することにしました。ご容赦のほどをお願いいたします。

1. 「しまなみ海道を歩いてきました。- ① 」

7組  張 志朗

2. 「山錦関とはどんな力士?

8組  末廣 訂

     以 上

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