12期の広場

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 7月、文月です。早いもので、今日から1年の折り返しで、本格的な夏。暦の上では、小暑、土用の入りから、大暑と続き、この夏も耐え難い猛暑になるのではと、身構えてしまいます。
 今月号の写真は、「ミヤマホツツジ」です。撮影者である高見政博君のメールに、「亜高山から少し高い所に咲く花です。これを『稚児のかざぐるま』とタイトルを付けて、写真展(市岡OB写真クラブ)に出展しました。」とあります。
 可憐で愛らしい花に、彼の優しいまなざしとそのタイトルがぴったりと寄り添っているよう。
 漢字で書くと「深山穂躑躅」、海抜1700mから2500mの山の岩場に自生する低木で、私達にとってはめったに見ることがない花ですが、まぎれもない、この7月の花です。
 
 それにして、6月18日の大阪北部地震には肝を冷やしました。震源は高槻市、マグニチュードは6.1で決して大きいとは言えませんが、直下型だっただけに揺れはすさまじく、家内は自宅で悲鳴を上げて逃げ回ったと言っていました。大阪では数十年ぶりの「震度6弱」だったそうです。
 震源である高槻市、すぐ傍の茨木市、枚方市には多くの同窓生が住んでおられますが、大きく被災したとの話がないことから、ほっと一息ついています。とは言ってもやはり地震は恐ろしい。南海トラフを震源とする海洋型大地震の危険性が高まっているそうですから、なおの事です。
 今回の地震で、また人的物的被害がでました。特に、コンクリートブロック塀の下敷きになった小学生の話には、やりきれない気持ちで一杯です。近くのコンビニから飲料水や、弁当、インスタント食品があっと言う間になくなりました。電車は止まり、車の列で道路は身動きが取れず、歩道は歩く人で一杯。水道や都市ガス、電気が止まった地域もあり、ライフラインは断絶。繰り返される、地震による都市型被害の実相は深刻です。それらを再度、目の当たりにしただけに、不安がまた大きくなります。なんとかならないものだろうかと一人ごちながら、結局は自身と家族の心構えとその備えで“減災”に努めるしかないのかと考え込んでしまいますね。
 そんな中にあっての明るい話題は、2018ワールドカップロシア大会での日本選手団の活躍です。“オッサンジャパン”と言われながらの躍動は、目を瞠るものがあります。また超人ではと見まがうばかりのフィジカルやテクニックをもつサッカー強国に対して、走りに走り、ゴールする姿は、無条件、心を打ちますね。メンタルの弱さが垣間見え、またそれを乗り越えようとする姿が伝わるだけに、感動は大きくなります。
 目がさめるような芝生のピッチでくりひろげられる、熱狂的で華麗、繊細であらあらしい激闘が何と人間臭いかと、魅せられます。
 日本はベスト16で、決勝トーナメントに進みました。是非、大活躍して世界をアッと言わせてほしいものです。
 
 さてわが「12期の広場」7月号のラインアップは次の通りです。記事は1篇ですが、お楽しみ下さい。
 
1.   「 安全文化と美術文化 」  ・・・・・・・・・・・・      6組   圓尾 博一
 
以 上
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安全文化と美術文化

2018年07月01日(日)
6組  圓尾 博一
 
 右の写真は昨年末(H15年12月)まで福島県双葉町の国道6号線を跨いで掛けられていた「原子力明るい未来のエネルギー」という原発PR看板である。ひとっこ一人いない町の中を、防護服を着た作業員がこれからこの看板を撤去しようとしているのである。この標語を考えた地元の大沼さんは、負の遺産として現場保存を求めたが、老朽化を理由に東電に不都合なこの標語は撤去されてしまった。これをもって今までの政府と東電によって喧伝されてきた原発の「安全神話」なるものは完全に払拭されたのであろうか。
  原発事故から5年、まだ10万人の人たちが帰還できない現状を差し置いて「安全文化」なる聞きなれない言葉を聞いたのは、確か1年ほど前のことであったように思う。国会中継のニュースの中で、原発再稼働についての質問に対して、安倍首相のペーパーを読みながらの答弁の中に、その言葉はあった。彼の答弁の主旨は再稼働が可能なまでに「安全文化」なるものを積み上げてきて、確固とした技術にまで達している・・・というものである。要するに「安全神話」を信じ込ませ、それが瓦解するや「安全文化」にスルリと変換したわけである。
 私は美術文化という団体に所属しているので、文化とつく言葉には日頃から敏感にならざるを得ない。その眼でみると、文化という言葉は、日常の印刷物やテレビの中で頻繁に使用され、それなり(・・・・)の意味合いで、私たちは理解して咀嚼しているのであるが、余りに安易に使われているのではないだろうか。最近は「戦争文化」なる言葉も存在するようである。その意味するところは、いかに良心の呵責なく人を殺戮し得るか、という空恐ろしいものである。「不倫は文化である」といった御仁もいるが、これはまあカワイイ方であろう。私は文化の背景に「人間の幸せ」がなければならない、と考えるのであるが如何であろうか。宮沢賢治は「農民芸術論」の中で、「世界中の人が幸せでなければ本当の幸せはない」と書いているが、文化の目指す根本の立脚点は、そこにあるように思う。その尺度によって、文化であるか非文化であるかが忖度されるのではないだろうか。
  安倍氏が答弁に使った「安全文化」は英国マンチェスター大学教授の著書「組織事故」という書物の中で使用された言葉で、頭の良い官僚がこの中から引張り出して、答弁書のペーパーとして作成したものであろう。ところで「安全文化」という訳語のもとの語は一体何なのか?原典を読んでいないので、誤っているかもしれないが、訳者は本の中の一個所PROTECTIONを安全と訳した、という注釈をつけている。PROTECTIONとは防御という意味である。すなわち安倍氏のいう「安全文化」というのは「防御文化」と置きかえられる。何に対する防御か。放射能に対する防御であろう。オリンピック招致の際に「汚染水はコントロールされている」と大見得を切っていながら、未だに山からの水を遮水壁で防御できず、日々汚染水は海に流出している。そんな状態を眼のあたりにして「安全文化」は信じられるだろうか。そもそも、それは「組織事故」という範疇のものではないと私は考える。日本にある54基もの原発はほとんど停止中であるが、その使用済核燃料は、各施設のプールに貯蔵され、ゆくゆく再処理されるにしても、最終的な核のゴミを埋蔵する施設を持たない。それらのゴミの放射能半減期は10万年という途方もない時間である。埋設されたとして、地震国日本の地殻変動によって、どんなことが起こるか、だれも想像できない。火山活動によって地上に撒き散らされるかもしれない。現在福島で起こっているように、地下水を汚染し、地球の川や海を、生命が住めないまでに汚染し続けるかもしれない。原爆と原発は同じ科学的浅知恵(・・・)によって成り立っている。そもそも核と生命は並び立ち得ない。放射性物質を対象とする限り、今の科学では「防御文化」も「安全文化」も成り立ち得ない。目先の欲から「安全文化」というような造語によって原発再稼働の正当化を誤魔化そうとしている。生命という究極の幸せをないがしろにする「安全文化」は文化ではない。
 
  次に我々の団体名である美術文化について一考察したい。聞くところによると、美術も文化もARTとCULTUREの翻訳語であるらしい。このような一般名詞を堂々と団体名につけた創立会員たちの考えは、どんなものだったのだろう。創立のテーゼに「日本の正しい美術文化を構想し・・・」とあるように、彼らの思いは「日本の美術」全般の正しい方向性を目指したもので、時代の変化に即応した、いわばコンテンポラリーなものであるように思う。公募のキャッチコピーに使われている「内なる自己に忠実」というような、内向の狭い矯小化されたものではないはずだ。文化の語源が農作業を意味するCULTUREであるように、文化は常に耕し続けなければ、その土壌は活性を失い、生き生きとした作物(作品)は生まれ出て来ないであろう。
  先の「組織事故」の著者は、最後の第九章「安全文化をエンジニアリングする」の結語としてつぎのように述べている。
 
  「最後にぜひとも指摘しておきたいことは、もしあなたが、あなたの組織がよい安全文化をもっていると確信しているならば、あなたはほとんど確実に間違っているということである。優雅さのように、安全文化は努力することであって、めったに達成されることのないものである。宗教のように、成果よりも過程のほうが重要である。美徳、そして報酬は、結果よりもこの努力にある。」
 
  この文章の「安全文化」を「美術文化」に置き換えて、もう一度読んで欲しい。この複雑にして多岐にわたる時代に沿って、コンテンポラリーな作品づくりへの努力、これが今後の「日本の正しい美術文化の構想と具現」への指向であり、その意味で美術文化の使命は永遠に続くものである。
 イタリアを代表する指揮者、リッカルド・ムーティ氏は対テロについて先日7月4日次のように語っている。
 
  文化によって問題をただちに解決することはできない。だが、文化は長期的には力強い武器になる。社会をより気高い水準に引き上げることができるからだ。
 
  「めったに達成されることのない」「正しい美術文化の構想と具現」を目指し「社会をより気高い水準に引き上げる」ために私達の努力が無駄になることは、けっしてないはずである。
 
 HP委員註 : 以上の文章は圓尾君が、所属する美術文化協会機関紙 復刊第30号(2016.10)に執筆されたものを、転載させて頂いたものです。横浜の榎本進明君から紹介を受けて、「12期の広場」への転載をお願いしたところ、快く承諾を頂きました。ご厚情に感謝申し上げながら、承諾のお手紙にありました以下の文章を紹介させて頂きます。
 
  「『美術文化協会』は1939年当時の前衛作家が集まって作った団体(特にパリで勉強してきた福沢一郎という作家が旗を振って作った)で、当時のパリ画壇ではやっていた、シュルレアリスム(日本では超現実主義と訳します)を輸入した傾向が強いとされています。ただ戦争前夜という時代的に大変不幸な時代に生まれまして、福沢はじめ多くの人々が検察に思想犯として検挙され投獄されました。1941年は太平洋戦争勃発の年で、私たちはその年に生まれた訳で、私は美術文化に所属しているのも、何かの因縁かなあ・・・と思っています。」
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 6月、水無月です。今月号のカット写真は、「ガクアジサイ」です。高見政博君が送ってくれた5枚の見事な写真から、迷いに迷って、この写真にしました。
 この何日、初夏のさわやかな天気が続いていますが、すでに日本列島の南には梅雨前線が横たわり、今年の梅雨入りは早いそうです。高見君のメールに「6月の梅雨時の花の定番『ガクアジサイ』。平凡すぎて気がひけるのですが、6月の花として欠かせないかと」とありました。どうしてどうして、瑞々しい薄緑の葉と浮かぶように取り囲む白いガク、そしてその中心に淡いブルーの冠を戴いたような花の姿は、造形の妙と美しさが際立ち、詩情がこぼれ落ちるようです。
 そぼふる梅雨に濡れる色とりどりの紫陽花と、それをよじ登るまいまいつぶりは、やはり、この時期ならではの風物詩ですね。
 この時期の風物詩と言えば、衣替えがあります。高校時代、黒の学生服から、白のYシャツに着替えたのもこの月。女子生徒も白いセーラー服またはブラウスに着替えたと思います。ごく普通の白地の半袖ではありましたが、気持ちがあらたまり、なんとも軽やかで爽快であったと記憶しています。
 5月は天候不順でした。寒くなったり、暑くなったりで、温度差が15度近くになることがしばしば。お蔭で、長袖の下着を半袖にするのに大いに迷いました。例年そのタイミングで風邪を引いたりするのですが、ここにきてようやくその切り替えが上手くいったようで、今年は、体調を崩すことなく、盛夏を迎えることになりそうです。これから「芒種(ぼうしゅ)」、「夏至」と夏の節季が移ろいます。「新字源」を引けば、「芒種」は穂先のある作物で、イネや麦の類とあります。冬に植えた麦をこの時期に収穫しますが、それを指して「麦秋」と言い、季語です。
 6月の楽しみの一つに14日から始まる、サッカーの「2018FIFAワールドカップロシア大会」があります。先日、西野朗新監督のもと日本代表選手が発表されました。Jリーグも発足25周年。つちかってきた日本サッカーの実績と歴史をになっての出場で、大きな期待が寄せられています。日本の予選リーグはHグループ、コロンビア、ポーランド、セネガルと決勝リーグへの出場をかけて戦います。いずれもサッカー強豪国のチームで、世界ランキングも上位。きびしい戦いになりますが、4年に一度のビックイベントだけに、心技体のすべてをかけての頑張りを楽しみにしています。
 
 さて、わが「12期の広場」今月号のラインアップです。記事は、「第32回兵庫市岡歩こう会」の例会の報告の一篇で、ちょっと寂しい感じがありますが、お読みください。
 1.「『第32回兵庫市岡歩こう会』に行ってきました。」・・・・・・・・・7組 張 志朗
以 上
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7組   張 志朗
 

 
 5月20日の日曜日、「兵庫市岡歩こう会」の例会に行ってきました。今回は13日の予定が雨のために中止、一週間の延期でこの日の開催になったものです。その為に、「奈良市岡歩こう会」の例会と同日開催になってしまいました。「兵庫歩こう会」と「奈良歩こう会」を毎回楽しみにしておられた常連の皆さんには、残念な結果になりましたが、私は先月末に膝を痛めたこともあって、近場の「兵庫市岡歩こう会」に参加、すがすがしい初夏の一日を満喫しました。
 コースは午前10時にJR伊丹駅に集合して、稲野神社から緑ヶ丘公園、瑞ケ池(ズガイケ)を経て昆陽池(コヤイケ)公園に至る約7Kmの行程です。
 参加者は18名です。毎回40名を越える参加者でにぎわう歩こう会ですが、今回は順延と奈良歩こう会とのバッテイングの影響が大きかったようです。しかし、天気は上々で、寒くもなく、暑くもなく、そして、前日までの雨と風で大気は洗われたように澄みきって、空は真っ青です。
 皆さん笑顔いっぱいで伊丹駅を出発、荒木村重の居城であった「有岡城址」を左に見ながら、旧西国街道につながる宮前通りから稲野神社に向かいました。御存じのように伊丹は歴史が古い街で、伊丹市の中心部になるこの辺りも寺院が多く、また白雪酒造を代表する酒蔵や旧家、城下町の名残りが色濃く残っています。それらを上手くとりいれて整備された町並みと道が、情緒があって心地良い。
 稲野神社は904年にこの地に勧請、1685年に本殿が再建されて今に至り、伊丹郷町の氏神として人々の尊崇を集めているそうです。この日も本殿右の土俵でわんぱく相撲大会が開かれていました。時間がなくて見られませんでしたが、多くの子供とお父さん、お母さんはじめ家族の方々が集まって歓声を上げておられ、ほほえましいかぎりです。
 本殿左奥からいきなり「伊丹緑道」の散策路に入ります。振り返ると稲野神社本殿の後ろ側の木立が見え、永い風雪に耐えた古木の大きさに驚きます。また緑道左側は、ほとんどが高い急勾配の斜面、右側は近くに家々が続くのですが、左側は大小の木々と草花がびっしり、右側も植栽が遮って、家々の気配が全く気にならない、文字通りの“緑道”です。所々、木漏れ日が点々とつづく緑のトンネルのようになっていて、住宅地の中の道であることを忘れます。伊丹版「哲学の道」-「昔慕の伊丹緑道」と書いてありましたが、納得です。巨木を見上げては感嘆し、また足もとの草花に見とれました。紫陽花の群生が何か所もありましたが、花はこれからで、満開時は、それはそれは見事なことでしょう。距離は分かりませんが、20分ほど歩いたように思います。
 緑道の出口で、国道171号線に出会います。道路を横切り、すこし登って緑ヶ丘公園です。真っ先に下池の大きな水面が目に飛び込んできます。池の中に「賞月亭」が建てられています。中国古来の庭園建造物で、中国佛山市より平成2年に寄贈されたものだそうです。周りに浮かぶ蓮の花とあいまって独特の美しさです。またすぐ傍に伊丹市の公館である「鴻臚館(コウロカン)」がありますが、伝統的な木造建築と造園の技術の粋をあつめた平屋建てのこの建物は、必見です。 広間と開け放たれた広縁から見る庭は実に見事です。視界一杯の青い空と池の水、それを取り囲む対岸の緑を借景にした和風石組み庭園は、抜群の美しさです。
 可愛いボーイスカウトの一団や、半ズボンに網を手にした夏姿の父子に出会い、初夏の風物詩、「目高(メダカ)」、「水馬(アメンボウ)」を今年初めて見たのもここです。
 昼食は、大きな瑞ケ池の傍の公園でとりました。池にはたくさんのヨットが浮かんでおり、その背後の山並み中腹に川西から中山寺、そしてはるか宝塚の住宅群が眺望できました。こんなに広い空を実感したのも久しぶりです。恒例の自己紹介とショウトスピーチ後、最終目的地の昆陽池に向かいました。
 約1.5キロ程歩いたと思うのですが、住宅地を縫うように続く道も緑一杯です。驚いたことに、絶えず幅の狭いせせらぎが平行して整備されていて、潤い豊か。タニシを見つけて驚き、水に遊ぶ子供の姿をうらやましく思うなど、退屈しません。
 「昆陽池」は、自然池12.5ヘクタールと貯水池4.5ヘクタールの大きな池で、池の中央に日本列島を模した林があり、野鳥の楽園でもあります。関西屈指の渡り鳥の飛来地で、アオサギ、オオガモ、カルガモ、イカル、コゲラ、コブハクチョウなど多くの水鳥の姿が観察できます。伊丹の中心部にあり、住宅や幹線道路に囲まれていますが、大きな木々にセパレートされて、実に自然が豊かです。歴史も深く、天平3年(731年)高僧である、かの行基が昆陽施院(のちの昆陽寺)を建立した後、天平13年、この池を造ったそうです。行基の卓抜した徳と溜池築造の土木技術に感嘆です。
 この日も池の畔に立つアオサギや白鳥を見ることができましたし、池中央の木立から、さまざまな鳥のさえずりを聞くことができました。
 多くの家族づれで賑わい、「都会のオアシス」の呼び名がぴったりです。風薫る初夏の自然もさることながら、若いお父さん、お母さんとその子どもたちが芝生広場でころげるように遊ぶ姿は、本当に美しいと想い、また心温まるものでした。
 歩こう会の解散は午後2時頃、ここ、昆陽池でした。全員無事完歩で、次回の再会を約束して散会となりました。充実した一日で私の膝も問題なし、お世話いただいた幹事の皆さんに感謝、感謝です。

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 5月、皐月(さつき)です。瑞々しい新緑が、生気にあふれて、実に美しい季節になりました。空はあくまでも蒼く、若葉をやさしく揺らしながら吹き渡る風も、一層さわやか。「草分の風」「若葉風」と言われるだけに、「5月の薫風」が腑に落ちます。立夏を待つことなく、時候はすでに初夏そのもの。早すぎる真夏日は願い下げですが、1年で一番心地よいと言われるこの5月を楽しみたいものですね。
 毎月、このラインアッップを書きながら悩むことの一つに、添付写真を何にするかがあります。今月号から同期の高見政博君が撮影した花の写真を掲載することになりました。ご存じのように高見君は市岡OB・OG写真クラブのメンバーで、市岡高校入学は12期で、病気療養のため、卒業は13期になりました。したがって、私達12期の同期として同窓会に参加しており、また、13期として写真クラブや兵庫市岡歩こう会を含めて活躍しています。遅きに失した感がありますが、お願いしたところ、早速に4枚の写真を送って頂き、その中から一枚を選ぶことを委ねられました。うねる海原のような「茶畑」と鮮やかな「かきつばた」の群生、可憐な「姫シャガ」と幻想的な「ヒマラヤの青ケシ」の4枚です。いずれも大いに気にいり、迷いに迷い、結局紙幅の関係から、この「姫シャガ」の一枚にしました。その理由はと問われると困るのですが、強いて言えば、薄緑の中の清々しい立ち姿にひかれたことと、ここ何年間に見続けた高見君の写真から、ともすれば見過ごしてしまいそうな花に焦点を当てた写真こそが彼の真骨頂と思っていたことからです。私はこの花を見た記憶がありません。また、おそらくそう大きくはない花でしょう。しかし、このようにフレームアップされて見える美しさは、格別です。
 時は百花繚乱の5月。豪華絢爛のふじを初め、つつじ、さつき、バラに、おおてまり、こてまり、花水木などなどと美しい花々は数多く咲き誇っています。そのいずれにも人は、見とれて、うれしくなり、想いを寄せまた想いをたくすようですね。じっくりとお楽しみ下さい。
 
 さて、わが「12期の広場」5月号のラインアップは下記の三編です。幹事会の記事には、今年の秋の同窓会の基本方針や日時、会場についてのお知らせが載っています。是非、お読みください。
 
1. 「“2018年12期同窓会”開催に向けての幹事会が開かれました
2. 「市岡の森」創設20周年記念式典とお花見
3. 「圓尾君所属の美術文化展」 
以   上
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 4月8日(日曜日)の市岡の森創設20周年記念式典・お花見の後、場所を旧舞洲ロッジに移して、12期同窓会2018年第1幹事会が開かれました。
 ここには、クラス幹事とサポーターの皆さんである、八島節子さん、鈴木政子さん、高橋三和子さん(1組)、北浦昌子さん(2組)、石井孝和君、清水誠治郎君、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君、竹田裕彦君、原清明君、古藤知代子さん(4組)、段中文子さん(5組)、井東一太郎君、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君(7組)、川村浩一君、末廣訂君、八島平玐君(8組)の20名が出席しました。
 議題は今年の秋に予定されている、2018年12期同窓会開催につての基本方針と日時・会場などの決定です。
 最初に代表幹事である酒井八郎君から、基本方針についての話がありました。
 酒井君からは、同窓会幹事会の皆さんの中で、病状や体調が思わしくない幹事さんが複数人でていることや、今後それが増えていくこと、ご招待してきた恩師の先生方のご出席が叶わなくなっていること、また、遠方の同窓生の出席や同窓会の円滑な運営に不安がつきまとうことなどから、今回をもって従来形の同窓会は終了し、今後は3月の豚汁会や4月のお花見会、そして全体同窓会などの諸行事に合流していくことにしてはどうかとの、提案がありました。
 今年の同窓会開催の日時は10月28日(日曜日)、会場は、使いなれた会場であるホテルクライトン新大阪(前回と同会場)にしてはどうかとの提案がありました。
 この提案についてクラス幹事とサポーターの皆さんから、いろいろなご意見を出してもらった結果、基本方針、日時と会場は、酒井君の提案で了承・決定されました。
 私達の同窓会の第1回目は、昭和60年(1985年11月24日–東急イン)の開催です。それ以降、同窓会は33年にわたり続けられてきました。そしてそれを通して、恩師の先生方への感謝と学友との熱い友情、母校市岡で学んだ喜びをかみしめてきました。幹事会では、その経過を振り返りながら、喜寿を迎える今回の同窓会で、従来形の開催を終了するのは、適切であるとの意見で一致しました。
 遠来の学友を含めて多くの学友が一同に集う従来の同窓会は終了しますが、12期の同窓会は存続します。したがって、今同窓会はその新たな出発点にもなり、最終回にふさわしい内容になると同時に、今後の運営についての道筋を示すことになります。
 時間などの関係で、これらについては、6月に開催する第2回幹事会で議論し、決めることになりました。
 午後4時前、今秋の同窓会を愉しく、意義深く、思い出に残る同窓会にすることを約束して、幹事会は、終了しました。
 
―   2018年 第1回幹事会の決定事項   ―
①  2018年 12期同窓会を持って、従来形式同窓会は終了する。
②  日時  :  10月28日(日曜日)  午後  1時半~
③  会場  :  ホテルクライトン新大阪 (大阪市淀川区西中島2-13-32 *前回と同会場)
 以   上(張 志朗 記)
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 4月8日の日曜日、大阪の舞洲にある「市岡の森」で恒例のお花見会が開かれました。今回はここに「市岡の森」が出来て20周年になる節目の年。それを記念する式典があわせて行われました。
 連日の暖かさで、ここベイエリアの遅咲きの桜もほとんどが散ってしまい、満開の桜の下でのお花見にはなりませんでしたが、市岡ゆかりの地、特に20周年を迎えた「市岡の森」に集うのはやはり心浮き立つものです。
 来賓の方々、先輩はじめ同窓生の皆さん、そして母校吹奏楽部の現役高校生、総勢約200人が参加されました。12期生は、1組の八島節子さん、鈴木政子さん、高橋三和子さん、2組の北浦昌子さん、3組の石井孝和君、清水誠治郎君、小牟礼康子さん、4組の酒井八郎君、竹田裕彦くん、原清明君、古藤知代子さん、5組の段中文子さん、6組の井東一太郎君、松田修蔵君、7組の上野裕通君、田端建機君、張志朗君、8組の上山憲一君、川村浩一君、末廣訂君、八島平玐君、以上、21名が参加しました。
 定刻の12時から記念式典が始まりました。司会は高校23期の木村正敏さんです。冒頭、主催者を代表して佐藤充利全体同窓会会長(8期)が挨拶されました。佐藤会長は市岡の森創設からの20年を振り返りながら、これからも市岡の森とそこで続くお花見を含めた諸行事が受け継がれていってほしいと話されました。
 続いて、来賓である市岡高校の福島秀晃校長が、挨拶されました。
 福島校長は最初にお祝いの言葉を述べられた後、今年、320名の新入生を迎えたこと、特に、公立高校の入学志願者数では、府立高校上位ベスト5に入ったことについて話されました。また、在学生たちが、勉学に、部活に、学校行事にと、良く頑張っていることにふれられながら、吹奏楽部が昨年の大阪府大会で金賞を受賞したことや志望大学への入試で一定の成果をあげつつある事例を紹介され、同窓会の変わらぬ支援を要請されました。
 吹奏楽部の金賞受賞は、府立高校では二校の内の一校です。その一校が淀川工科高校と言いますから、金賞受賞がいかにむつかしい関門であったかが分かります。また、大学進学では一層の頑張りが必要のようですが、大阪市大医学部への合格者が出るなど、今後の展望は明るいようで、嬉しくなりました。
 式典では大阪市港湾局の薮内弘局長の祝辞が代読されました。
 記念式典の最後は、市岡高校吹奏楽部による「記念コンサート」でした。演目は「奇跡のつぼみ」ほかで、市岡高校の“応援歌”である「花になれ」も演奏され、最後に吹奏楽部の伴奏で「校歌」を歌い、記念式典は終わりました。
 記念式典閉会後は、恒例の花見の宴です。葉桜ばかりとは言え、同窓生が車座になって弁当をつっつき、杯を酌み交わすのはやはり楽しいものです。この日はおおむね晴れでしたが、前日までの暖かさにくらべると、気温は低め、おまけに風があって絶好のお花見日和とはいきませんでした。しかし、祝宴は十分に盛り上がったようです。ギターを持ち込み、歌声喫茶顔負けの歌声をひびかせるグループまでありました。
 12期の同窓生21名も、いつもの“あずまや”を独占して楽しみました。今年もまた、4組の原清明君が上物の焼酎、一升瓶を持って来てくれました。「昼間のお酒は良く酔うなあ」と言いながら、結構飲みました。1年ぶりの再会になる人が多く、近況報告や健康のこと、同窓生の消息など、話題はつきなかったようです。
(張 志朗 記)
 
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圓尾君所属の美術文化展

2018年05月01日(火)
 題記の「美術文化展」があり、東京都美術館に4月11日(水)PM4時、8人が集まり鑑賞しました。彼が機関紙に投稿したコピーを戴き、本作品を描くに至ったお話と「文化」についての思いが我々によく伝わりました。彼の画風では今までにない画調で、お話を聞きながらあらためてじっくりと絵の前に立ち尽くしていました。福島県双葉町を歩くチンドン屋のピンクの短冊に書かれた歌は、西行の「ねかはくは 花の下にて 春しなん そのきさらきの  もちつきのころ」(山家集)です。又、毒マスクをつけて持っている黄色い旗には「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれていて、町はモノトーンとなっていました。彼の強い意気地を感じました。
 1時間では、会場は広く作品も多くて駆け抜けた感じでした。このあとの懇親会も楽しみに集まっているので、居酒屋に移動して2時間ほど懇親を深めてお開きとなりました。
(HP委員記)

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 4月、卯月。春ですね。
 関西各地の桜は例年より早く満開になりましたが、私が住む町は標高が高いせいでしょうか、少し遅めです。この拙文を皆さんに読んで頂いている頃に満開を迎えそうです。
 しかし、あちらこちらにあるコブシやモクレンは、白やピンクの花を、枝一杯に付けて今が見ごろです。消防署の前にたくさん植えられた水仙は、見事に咲きそろって黄色の花がこぼれおちるよう。また、陽だまりのゆきやなぎは、可憐な白い花が連なった枝を静かに揺らしています。家々の庭先には、名前の知らない草花が咲きほこり、丸裸の街路樹は、その枝先に点々と新芽を付けました。我が家の庭も賑やかになり、いよいよの「爛漫の春到来」を実感しています。
 今月の8日(日)、大阪のベイエリアである舞洲で、恒例の「市岡の森のお花見会」があります。今回は「市岡の森」が出来て20周年を迎える節目のお花見で、全体同窓会主催の記念式典が同時に開催されます。ここには我が12期同窓会が植樹した二本の桜もあります。「市岡の森」が出来た頃、玉田先生が「森は人が集う場所、末永く市岡のきずなが強まるように」との主旨を話されていたことを思い出しました。20年を経て、桜咲く「自彊(じきょう)」の碑の前に集えることを嬉しく思っています。
 母校の今年の入学志願者は、定員の130%を越えたと聞いています。結果、320名の新入生が無事入学し、明治34年創立の永い校歴に新しい一頁が書き加えられます。これまた、たいそう喜ばしいことで、学校長と教職員の先生方、現役生徒の皆さんはじめ、関係者各位のご努力の賜物と、心から感謝しています。
 先日、ふとしたことから企業人事担当者が新入社員採用時に、出身校、特に出身高校に着目しているとの話を耳にしました。着目点が偏差値か、何か、その詳細はわかりませんが、高校時代に自身の「人としての骨格が決まった」ことを思い起こし、一定納得ができました。
 高校は、少年から青年への第一歩。中学生であった昨日と高校生になった今日の環境の変化に驚き、多彩な恩師や学友に面食らって大きな刺激を受けたことを鮮やかに覚えています。そして高校生活を通して、人生観をはじめ生きる力の大部分を培ったのではと感じています。時代は変わり、将来を見通すことがさらにむつかしくなった社会に在るだけに、市岡の伝統である「自彊」や「質実剛健」、「自主自立」の今日的意味は、思いのほか深いものがあると言えそうです。
 新入生は私達の孫のような世代です。まさに今、人生の壮途に第一歩を踏み出す後輩たちに、心からのエールを送り、その頑張りを見守って行きたいと思っています。
 さて、わが「12期の広場 」4月号のラインアップです。記事は以下の二編、お楽しみ下さい。
 
1. 「2018年 豚汁会の報告 」 ・・・・・・・・・・・・ 8組  川村 浩一
2. 「『一枚の写真』  昭和の大阪駅前旭屋書店付近 」
以  上
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2018年 豚汁会の報告

2018年04月01日(日)
2018年・豚汁会に参加して
8組   川村 浩一
 
 同窓会恒例の「豚汁会」、毎年3月の原則として第1日曜日に母校・同窓会館で行われています。今年は3月4日、大阪の最高気温が21℃、コートが邪魔になる程の春の陽気でした。
 12期生の出席者は酒井君(4組)、古藤さん(4組)、田端君(7組)、岸川君(8組)、塩野君(8組)、末廣君(8組)、川村(8組)の7名。私は1992年から参加させてもらっていますが、多少のメンバー入れ替えはあるものの毎年この程度の出席者数です。これからも頑張って出ようと思っています。関西在住の皆様も遠方の方も3月第1日曜は豚汁会、4月第2日曜は此花市岡会の舞洲お花見会と母校同窓会の行事があると覚えておいてくださいね。
 その昔の3年間、ともに過ごした仲間との屈託のないバカ話も楽しいものです。
 
 まず、佐藤会長のあいさつ。
 今年の入学希望者数は定員の90名オーバーとかで「廃校」の恐れが少し(?)遠のいたとのことです。でも大阪ベイエリアの人口減少がはなはだしいので、先行き安心はできないともおっしゃっていました。
 ついで今回ただ一人の旧制中学の大先輩・浅見忠彦さんのご発声で乾杯。
 浅見さんは中学40期生、皇紀2600年(昭和15年)に入学され敗戦間際の昭和20年3月に卒業されたとのことです。もちろん卒業式などなし。平成7年3月、母校の卒業式に出席し中学41期の皆さんと一緒に、50年ぶりの卒業証書を授与されたそうです。90歳。お元気でした。
 勤労動員のこと、大空襲のこと、終戦後の混乱など先輩方のご苦労は大変でしたが、我々は幸せな時に生まれたものです。子供や孫もいい時代を享受してもらいたいものです。
 じゅうぶんアルコールが回った頃、参加者一人ひとりの近況報告。9期生は17人参加されていました。
 最後は恒例の吹奏楽部OB、OG(18期生から66期生)による演奏。
「イン・ザ・ムード」(ジョン・ガーランド作曲)、「初恋」(村下孝蔵)、「和田アキ子メドレー」「ひばりメドレー」そして校歌の合唱。アンコールは「ピンクレディメドレー」。
 会長をはじめお世話くださっている方々ありがとうございます。いつまでも続けてもらいたいものです。



 このあと、周君を見舞い喫茶店でおしゃべりして解散しました。
 この日、参加した12期の皆さんは、加齢による多少の不具合はあるものの、元気です。酒井君は毎日店に出て、終日、接客に奮闘していますし、末廣君は福島区の歴史研究会の会長になって、頑張っています。古藤さんは、町内会のお世話で忙しそうで、私と言えば京都三昧。ボケないために少々の仕事(ISO審査員をしています。もう来なくてもいいと言われるまで続けてやろうと思っています。)とお茶のお稽古。年に1回ほどのお茶事と数回のお茶会を楽しんでいます。
十ン年後の豚汁会に12期生が最長老組としてグループで参加したいなと思っています。私も頑張りますので皆さんもその時まで体力、気力を温存しておいてください。
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