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「12期の広場」2026新春号のラインアップ

 新しい年、2026年が明けました。謹んで新年のお喜びを申し上げます。また皆様方とご家族一同様のご健康とご多幸を祈念いたします。
 今年は午年。去年が巳年でしたからこれで、12期は全員が8回目の年女、年男の年を迎えたことになります。素直に、年女、年男宜しく福を授かりたいものです。ただ、9回目はと問われるとウン・・・ですね。

 例年のことですが、師走の力仕事は私の担当でした。と言っても主にはサッシュ拭き、ガラス磨きと重い物の買い出しです。体力と気力に合わせこなして大晦日。紅白歌合戦を見て除夜の鐘を聞き、日めくり暦の残り一枚をめくって、お正月です。
 不思議ですね、やはり気持ちがあらたまります。
 迎春花と正月飾り、正月膳らはさらに慎ましやかになり、賀状も少なくなりました。でも新年を迎え祝う喜びと感慨は格別で、また一層に深くなって行くようです。 
 
 振り返れば、わけのわからないトランプ関税に始まり、米騒動を含む物価高、酷暑に大火に豪雨、竜巻、クマ騒動、留めは震度6強の青森県東方沖地震で暮れた2025年でした。年々暮らしにくくなっていくようですね。AIなどの今の“はやり”にいたっては、とてもついて行けず、少々おおげさに言えば周回遅れの徒競走。良い事や嬉しいことも少なからずあったはずなのに、実感は“なんとかまた一つ齢を重ねた”です。
 
 新年はなにがなんでも良い年になってほしいと願うばかりです。難題が山積する世事に目を向けると、そうすんなりとはいかないようです。『禍福はあざなえる縄の如し』とよく言われるように、ここは「亀の甲より年の功」と慌てず騒がず、それなりに新年の日々に向き合あって行こうと思っています。
 何かいいことは無いかとネットのAIに聞いてみました。上手くいきませんでした。でも2月にミラノ・コルティナ冬季オリンピック、3月に野球のWBC、6月にサッカーワールドカップなどが開催されることは確認できました。若人のきらめく心技体を存分に楽しみたいとも思っています。
 
 上の写真は2020年の新春号に掲載された高見政博君の「四季の花籠」から転載しました。左は「福寿草」右は「ゆき割り草」です。可憐な花に目をうばわれながらも、その逞しさに感じ入ります。
 
 さて「12期の広場」ですが、今号の2026新春号をもって、年4回の定期更新を停止することになりました。したがってこのラインアップも最終回です。永々と拙文にお付き合いいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
 「12期の広場」は「いつでも、どこでも、だれとでも同期会」のキャッチフレーズで2011年1月に開設しました。以来15年、スタート時は毎月の更新で、2019年からは年4回の季刊更新としてきましたが、寄る年波には勝てず、更なるギャダウンをして、投稿があった場合や、皆さんへのお知らせがある場合にかぎり、更新(随意更新)することにします。これは「12期の広場」を閉鎖することではありません。今まで通りクリックしてバックナンバーを含めてお楽しみいただければ幸いです。
 
 「12期の広場」2026新春号のラインアップは以下の通りです。ご覧ください。
 
  1. 山本久美子(旧姓古荘)さんの歓迎昼食会がありました
  2. 『北野恒富』について圓尾君の講演会がありました
  3. 訃報です
  以  上

山本久美子(旧姓古荘)さんの歓迎昼食会がありました。


 カナダ在住の山本久美子さん(旧姓 古荘 5組)が今年も日本に帰ってこられました。毎年夏から秋にかけて帰国されておられましたが、なにしろ加齢に加えてカナダのトロントははるか彼方の海外、遠く遠い。今年は無理かも知れないと思っていましたが、元気に帰ってこられ同窓生有志による歓迎昼食会が開かれました。
 10月30日の午後12時30分から“がんこ曽根崎本店”に山本久美子さん、柏木赫子さん、段中文子さん、古藤知代子さん、末廣訂君、川村浩一君、塩野憲次君、上山憲一君、上野裕通君、福積康光君、張志朗の11名が集いました。
 末廣君の歓迎の一言と再会を祝しての乾杯で歓迎会はスタートです。同窓生が集まり、旧交を温める機会がなくなりつつある中、久しぶりのミニ同窓会です。今年もそのきっかけを作ってくれた山本さんの帰国に感謝、感謝です。昨年は11月2日に歓迎食事会がありましたが、それ以来1年のつもる話で大賑わいでした。
 山本さんは9月に帰国、その後お姉様が居られる熊本と友人がおられる東京、実家がある兵庫県夙川に行かれ、主にはご主人の実家の姫路にとどまっておられたそうです。数年前のように帰国を機会にした東北や九州などの国内旅行は、体力の関係でもう無理と言う事だそうですが、お顔の色つやはますます若返るようで、いつもながらの明るく素敵な笑顔は健在でした。膝が痛むようでゆっくり歩かれますが、まだまだお元気。こうして日本に帰り、懐かしい山河と人々、とりわけ友人、同窓生に再会することが山本さんの元気の元、エネルギーのようです。
 
 歓迎昼食会は2時過ぎに終わり、移動して大阪駅前の高層ビルの1階にある今風の喫茶店(名前が出てきません)でコーヒーを飲みながらまたおしゃべりです。お話はつきることがありません。名残惜しい気持ち一杯で午後4時過ぎに散会としました。柏木さんが姫路から迎えにこられた山本さんの御主人が待つホテルまでお送りしてお別れしました。( 記:張志朗 )

「北野恒富」について圓尾君の講演会がありました。


 11月30日に「『北野恒富』を知っていますか」と題した此花区歴史研究会例会の講演会があり、6組の圓尾博一君が講演しました。場所は此花区民ホール、時間は午後2時からでした。
 案内用リーフレットとカメラ、筆記用具を準備し、早めに家を出て会場に向かったのですが、途中、駅のプラットホームで突発性のめまいに見舞われ、急遽、自宅に戻る羽目になり、参加を断念。おおいに期待をしていたのに不本意な結果になりました。私の次男によると関西の画壇では非常に有名な方で、東京出張時に開催されていた展覧会に出かけたことがあるそうです。
 北野恒富は明治から昭和前期に活躍された浮世絵師・日本画家・版画家で、リーフレットによると北野恒富は悪魔派と呼ばれ大・大阪画壇をリードしたフェミニスト、「東の清方」「西の恒富」と呼ばれた巨匠です。(ネットで画業と逸話など検索可です)また現在大ヒット中の映画「国宝」の背景とからめての講演だったようで、巧みな話の組み立てと語り口が想像され、また意気軒高な圓尾君にお会いできなかったのは残念でしかたがありません。
 同級生では6組の松田修蔵君と7組の上野裕通君が参加しました。上野君は講演会写真を送ってくれました。添付した写真がそうです。参加者は60人程度で講演は2時間弱、好評でたいそう有意義だったそうです。(記:張志朗)
 
圓尾君の講演会に参加して(7組 上野裕通)
 此花区民「一休ホール」3階の会場に入った時、本日の講師圓尾君と6組の松田君がなごやかに話をしていました。
 会場には、此花歴史研究会の人達がたくさん参加しておられました。年配の方々が多く、男女同数ぐらいでした。
  圓尾君は落ち着いた話しぶりで、聞き手にとっても分かりやすい内容でした。私が特に印象に残ったのは、北野恒富が描いた船場の「いとはん、こいさん」(健やかな肉体から、生き生きした精神のいきりがにじみ出しているような女性)が谷崎潤一郎作の「細雪」に大きな影響を与えたというくだりでした。圓尾君の話しぶりにも力が入っていたように思いました。
 講演終了後の参加者からの質問にも、分かりやすく丁寧に説明されておられた姿に、圓尾君の優しさが伺えました。
 帰り道、お茶でもしましょうかという話から、お腹もすいてきたのでということで、圓尾君の行きつけの「お好み焼き」屋さんに行きました。83歳二人と84歳一人の話の内容は豊富でしたが、やはり最後は、健康維持に関することでした。若い頃、家事労働をしなかった男子が、今ではそれぞれが家事労働に勤しみ、家内を大事にするように心がけ、長生きするようにそれぞれが努力している話になりました。
 圓尾君の講演会も良かったですが、昔懐かしい友達との会話も楽しめました。

訃報です。

 昨年末に三通の訃報が届きました。
 2024年12月12日、病気療養中であった7組の木本みつる(旧姓:勝原)さんが亡くなられました。
 2025年11月11日、やはり病気療養中であった2組の坂野雅子(旧姓:堀内)さんが亡くなられました。
 また、2025年11月27日、病気療養中の8組の辻紘一郎君が84才で亡くなられました。
 
 慎んでお悔やみ申し上げご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

 木本みつるさんと筆者は3年間同じクラスでした。思い出はつきません。同窓会にも毎回出席され、何事にも自然体で穏やか、飾らず当たり前のことを当たり前に向き合う自由闊達な女性でした。同窓会を通しての交流から多くの気づきを頂きました。ご主人様からの手紙に「長年お友達でいていただいてありがとございました」とあり、その言葉が心に染み入りました。

 
 坂野雅子さんは東京在住で市岡東京12期会の主要メンバーです。東京の同窓会でお会いし、お話をさせていただきました。小柄で慎ましく多くは話されませんでしたが、いまだに少女の面影を残した暖かいお人柄のように見受けました。息子さんが長野県の安曇野に移住してリンゴ栽培をしておられますが、そのお手伝いに安曇野に行かれることが多かったように聞いています。一度友人を介して一箱送って頂いた事があり、丹精込めて育てられた立派なリンゴをうれしく食しました。その味が思い起こされます。 

 辻紘一郎君は、西東京市在住でしたが、2001年7月31日に中外製薬を定年退社後、8月には再生療法の道に進み、翌年広島大学大学院非常勤講師を経て2003年4月に株)ツーセルを設立、代表取締役社長に就任し、広島との二重生活に。
 東京12期会には2003年の設立時から参加されていました。最後にお会いしたのは2017年霞が関ビルでの第8回総会でした。その時には家族も広島に移住していて、広島からの参加でした。
 その後、2018年には「12期の広場」の「同窓生を訪ねて」の取材に応じてくれて、広島の本社を訪問しました。その時の記事は、2018年3月1日の「12期の広場」に載っていますので、ぜひご覧ください。
 
 かさねて、御三人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(記:榎本進明・張志朗)

【12期の広場】バックナンバー一覧

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(さらに…)

「12期の広場」2025秋号のラインアップ

 10月、ようやくの秋、待ちに待った秋ですね。酷暑の夏とその長さ、さらに残暑の厳しさが辛かったことからの実感です。今、涼しさと時折頬を撫でる秋風にほっとし、しみじみとした喜びを感じています。
 カット写真はイガ栗です。「紅葉はまだ早いようです」との付箋を付けて東京のE君が送ってくれました。有り難いものです。
 
 思えばひどい夏でしたね。真夏日、猛暑日、熱帯夜の連続。実に苦しかったです。
 気象庁の発表では6~8月の全国の平均気温は、平年より2.36度も高かったそうで、「130年近い統計データーのなかでも断トツ」、「この夏の高温は異常だった」との事です。平均気温は2020年までの30年間の記録によるものですが、昨年夏の前年度比較のプラス1.76度を大幅に越えて2.36度ですから耐え難いはずです。
 私の住む所から近い兵庫県丹波市で41.2度を記録、大阪の豊中市や枚方市でも体温を上回る40度超え、明日は我が身かとおののくばかりです。
 そんな中、夏が苦手、クーラーが苦手の私は、難行苦行の耐暑生活で家にこもりきりでした。熱中症警報に従った訳ではありませんが、首に保冷剤を巻き、タオル、2リッター入りの冷水ボトルと扇風機を側においての毎日の生活。外出は隔日、夕方の食料品の買い出しだけで、世間への窓口は新聞・テレビのみ。読書も頭までが湯だつているようで日中は出来ません。
 自宅新築時の断熱設計を甘くみたせいでしょう、室内温度の最高は35度までなりました。問題は夜でしたが、ほぼ毎日、日が傾いてから庭とガレージと玄関の散水で何とか室温を下げ、就寝時には30度を切るようにしていました。土砂降りの夕立がなんと有り難かったことか、蓄熱しているコンクリート躯体が冷まされ一気に1~2度ほど室温が下がります。
 こんなに温度計を気にしたのは初めて。その周りをおろおろと歩きまわる、実にしまらない日常でしたが、平均気温2.36度上昇がどれほど身にこたえるものか、またよくぞこの異常な夏をやり過ごしたものだというのが正直なところです。
 
 どういう訳か関西は雨が少なかったようです。しかし日本各地の風雨災害は尋常なものではありませんでしたね。
 雨が降ればすぐに豪雨と被害、風が吹けば突風、竜巻被害。さらに落雷とそれによる火災。テレビ画面からは見たこともない状況が、これでもかと映し出されます。空が怒っているのではとさえ感じられ、自然相手に“ほどほど”などと願いながらも、あまりの容赦のなさに、背筋が寒くなります。“地球沸騰化”が原因で、それが最大効率と膨張を追求した近代文明のもたらした結果であることは、間違いないようです。さらに厄介なことに、それが一朝一夕に解消されるものでないこと、また元には戻らないであろうことでしよう。前段に「この夏の高温は異常だった」という文章を引用しましたが、“異常”が繰り返されて“普通”になって行くのが世のならいのようで落ち込みます。
 
 さて「12期の広場」2025秋号のラインアップは以下の二篇です。久々の「巻頭コラム」を8組 榎本進明君が書いてくれました。「ひろばリバイバル」は2012年4月から連載された、6組 小野義雄君の宇宙ロケットの話です。今回はその第1回『つくば宇宙センター見学記』にしますが、是非9月号までの全4編も合わせてお読みください。
 
1. 巻頭コラム
  「今、起きていること」 
・・・・・ 8組  榎本 進明
2. ひろばリバイバル
  「つくば宇宙センター見学記」
   (2012年4月号から転載)
・・・・・ 6組 小野 義雄

巻頭コラム

今、起きていること

8組 榎本 進明
 最近の世相で感じていることを述べることにしました。
 今、この歳になって、言いたいことが溜まるばかり、イラツキもあり“妄言”になることを覚悟に少し書いてみました。
 
  • 関税の問題
 関税を上げることは、どういうことなのか。自国民は今までより高くなるから、買わないだろう。だから輸出国は困るだろう。
 この発想には驚いた。全く貧相な発想だ。しかも自動車を念頭に置いている。設計や製造・流通・品質に関与していない人は、量が多ければ → 値が下がる。また、値が上がれば → 売れない。と単純に考える。まるで小学生並みで笑ってしまう。
 普通、関税は自国の輸入業者が税金として国におさめ、それを価格に上乗せして販売する。結果、自国民は今までより、高くなったものを買わざるを得ない。それを今頃になって自国政府に文句を言っている。
 品質=技術的なことを考えない結果で、関税を誰が払うかをあわせて見ると関税の問題の見え方が変わると思うのだが・・・。

 
  • 貿易赤字問題
 「輸出額-輸入額」がマイナスの時に「貿易赤字」と言う。誰が名付けたのだろうか?
一般の赤字は、「収入―経費」がマイナスの時に言う。家計も同じである。貿易赤字は、輸入が多いだけである。いらなきゃ買わなければいいだけのこと。
 「あなたたちは売るだけ売って、何も買わない」とクレームをつけている。はっきり言って、買うべき値打ちのあるものがないのが、わからないのである。自国製品の値打ちを見直す謙虚さが足らないとしか思えない・・・。

 
  • 日本の米不足と価格の問題
 こんなに、長引くとは「解決能力がない」としか言いようがない。備蓄米を出して市場に「量」を出せば「価格」は下がる。→ 安く安定する、という。
これもなおざりな発想で、小学生並み。「流通」に全く手を付けないから、価格は下がらないのだ。農家はその恩恵をうけているのか。荒稼ぎをしているのは誰なのか。
「量を出せば、値が下がる」こんな発想で政治をしていて、「さあ、どうだ」と言っている人の顔をみたい。・・・見ている。

 
  • 少子化問題と年金
 誰が「現役世代が高齢者の面倒を見る」と言い出したのか? 昭和39年に就職をした筆者はそんな説明を受けていない。「自分のために」年金を積み立てるのだと言われた。それが、いつの間にか前記の「現役世代が・・・」にすり替えられて、少子化問題になった。すなわち、高齢者の年金を若者が払っていることになった。
 昔は子供が親の面倒をみる。今は「自分の知らない高齢者をみる」になってしまった。
がむしゃらに働き、営々と年金を積み立ててきた筆者としては、なんともやりきれない。
 
 『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい』 高校時代、物知り顔の学友が口にしていた夏目漱石の作品・『草枕』の一節だ。
 普通の年寄りになった今、『とかくに人の世は住みにくい』だけが生々しく迫ってくるのだが・・・・・。

ひろばリバイバル

つくば宇宙センター見学(3月17日)

6組 小野義雄

 榎本さんの企画で、山田さんの奥様を含め10名の方々につくば宇宙センターを訪問頂きました。

 あいにくの小雨でしたが、冬の凍えるような冷たさはなく、むしろ心地よい?春雨の中を近くのレストランまで歩いて昼食会の後、本物のロケットや人工衛星を見学頂きました。運よくロケット打上げ時の轟音体験もあり、ご満足頂けたものと思います。

 東京駅八重洲口からの筑波大学行き高速バスを利用し、並木一丁目で下車されると目の前が宇宙センターの正門です 一年中いつでも見学自由ですので、今回参加できなかった方々もぜひお立ち寄り下さい。

 今回の案内者は、H-IIロケットの前の集合写真で、左端から二人目の小野です。

 撮影者は榎本さんですので写っていません。

 私(小野)は昭和42年に三菱重工の現名古屋航空宇宙システム製作所に入社以来、一貫して宇宙開発に関わり(専門技術はロケットの構造設計)、三菱重工を定年退職後2年ほど子会社に勤務していましたが、幸いNASDA(現JAXA)で現役技術者として復帰する機会を得ました。5年契約終了後さらに有人宇宙システム(株)という宇宙ステーションの運用を担う会社に招かれ、12年間という当初考えてもいなかった長期の単身赴任生活を続けてきましたが、3月末で退職し名古屋の留守宅に戻ることにしました。ということで市岡12期の同窓生の方々が宇宙センターをご案内する最後の機会になりました。なお今後も毎月1週間は若い技術者との議論に来るつもりです。

 今後、機会をいただいて宇宙開発に関わった仕事について書いてみたいと思います。


― H-IIロケットの前で(榎本さん撮影)―

(さらに…)

「12期の広場」2025夏号ラインアップ

 ジェームス三木さんがお亡くなりになりました。
 ご存知のようにジェームス三木さんは6期生でNHKの朝ドラ「澪標」の原作脚本をはじめ、大河ドラマ「独眼竜政宗」「八代将軍吉宗」等数々のヒット作を世に問われた劇作家です。市岡の後輩である私達にも、常に熱いメッセィジを届けてくださるなど、大阪府立市岡高等学校とその同窓生にとって特別な大先輩のお一人でした。謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申しあげます。合掌。
 
 あっと言う間に2025年の前半が過ぎて早や7月です。
 7月の雅な別称は「文月」。その由来は、七夕日に書の上達を願う「文ひろげ月」によるとの説が一般的だそうですが、それとは別に、稲穂がふくらむ時期で、「穂見月」「穂含み月」とする説も有力だそうです。昨今の「コメ騒動」があってか、後者に分があるように思いますが、どうでしょう。
 立夏はとうに過ぎ、夏至も数日前。今は梅雨のまっただ中で、早々と線状降水帯による豪雨被害が発生しているようです。晴れ間になったらなったで、真夏日の猛暑。外出でもしようものなら汗まみれでフラフラ、先が思いやられます。やわらかな薄緑の若葉であつた桜並木も、今は緑の陰を一層濃くし、透け見えていた山の稜線もふか緑のラインでくっきりです。そして日差しは容赦のない真夏のそれ。文字通りの夏本番です。
 
 そんな中、国の内外を問わず、世間はあい変わらず騒がしい。心穏やかにはおられません。身近な「コメ価格騒動」一つとっても高値は収まりませんね。2日に一度スーパーに行くのですが、米価は高止まりで、どこから出て来たのか、銘柄米と訳の分からない配合米が山積みになっています。が、放出された備蓄米は出回っているように思えません。「米価の高騰の原因は」と問われていまだに「分からない」と答える「専門家」が多く居られ、マスメディアの論調さえも“予定調和の落としどころ探し”に右往左往しているように見えてしまうのは、私の予断が過ぎるせいでしょうか。
 今月は誕生月、加齢はとどまる訳はなく、そのスピードは更に加速して、知力、気力、体力の劣化は齢並みに酷くなりました。日常生活も内容、質も限られて内向きになるばかりです。梅田や神戸に出かけることも激減して、もっぱら家にこもって気が付けば“テレビの前”が増えて“水戸の御老公”や“大岡越前”は何処にと愚痴ってしまいます。呆け防止と健康維持の為に先月から公民館の太極拳教室に通い始めました。やってみると何とも無様な運動能力や運動神経が露わになりますが、それでも残り火のような好奇心が刺激されるようで、面白みも感じています。出来れば長く続けたいものです。
 
 さて「12期の広場」2025夏号のラインアップは以下の通りです。掲示板の記事が2篇と「ひろばリバイバル」です。「ひろばリバイバル」は2011年12月号から連載された「ブータン紀行」(5組 泉信也君執筆)です。ご覧ください。
 
  1. 掲示板
    1)「酒井君とのミニお花見」 7組 張 志朗
    2)「圓尾君の作品を囲んで」  
  2. “ひろばリバイバル”
    「ブータン紀行(1)、(2)」
       (2011年12月号から転載)
    5組 泉 信也
以 上

掲示板

酒井八郎君とのミニお花見

 3月29日(土曜日)酒井八郎君を囲んでのミニお花見会がありました。今年の春の天候不順や大阪・関西万博の開催による舞洲市岡の森でのお花見の中止などから、12期同窓生のお花見は無理かと思っていましたが、酒井八郎君はじめ、主要メンバーから有志によるミニお花見をしようとの提案があり、役員中心のお花見会を持ちました。
  場所は歩行に若干の支障がある酒井君の事を考え、神戸王子動物公園としました。
 参加者は地元の酒井八郎君(4組)はじめ、末廣訂君(8組)、川村浩一君(8組)、張志朗(7組)の男子4名と古藤知代子さん(4組)、段中文子さんの(5組)女子2名の計6名です。
 長い間のご無沙汰でしたので、桜の開花状況より、皆さんの健康が心配で、お元気そうなお顔を拝見してそれだけで満足の感じでした。桜は事前調査では“咲き始め”とのことでしたが、添付写真にあるように5分咲き程度でそれなりに楽しめました。王子動物公園は神戸の桜の名所で、無料入園になる“夜桜”は大変な人出で賑わうそうです。満開の頃、是非、あらためて訪れたいと思いました。皆さん、久々の動物園ようで、象やキリン、熊にアシカにフラミンゴなどなどを楽しまれたようです。残念ながらパンダ舎はもぬけのからでした。2時間半ほど桜と動物を楽しみ、三宮に出て昼食と小宴を楽しみました。
 いつの日にか多くの同窓生と再びお花見が出来たら最高と、皆さんお話しておられました。
( 記 ― 張 志朗 )

圓尾君の作品を囲んで

 先日、東京の同窓生E君から私宛にメールがありました。内容は上野の東京都美術館で開かれた「第84回美術文化展」(主催-美術文化協会 5/12~5/18)に際して出品された圓尾博一画伯の作品とそれを囲んでの同窓生有志の懇親会についてです。以下にその要約をまとめて書きます。
 
 同窓生が集まったのは、「美術文化展」の初日、5月12日です。参加者は作品出展者の圓尾君(大阪在住)と同窓生有志の泉信也(5組)、中柴方通(6組)、小野義雄(6組)榎本進明(8組)の皆さんと、児玉恭子(4組 旧姓 青木)さんの計6名です。小野君は圓尾君と梅花中学校の同級生でもあり、愛知県からの参加です。
 出展された圓尾君の作品は、絵画の「ボクの命をかえせ」です。いまだに世界各地で理不尽な戦争が繰り返され、惨状がやむことがありませんが、この作品は圓尾君の変わらない創作意欲とスタンス、鋭い洞察力その表現力、怒りと悲しみに満ちた作品で、皆さんに深い感銘を与えたようです。下の添付写真をご覧ください。
「ボクの命をかえせ」 
戦争で傷ついた子供たちの怨念を描いたもの。絵から飛び出した試みは初めてだそうです。

 圓尾君の作品ではありませんが、皆さんの関心を集めた彫刻の「マリリンモンロー」がありました。これは有名なマリリンモンローの写真に材を取ったもので、まくれ上がったスカートの中に“舌を出したアインシュタイン”が居て、それを猫が見ているものです。近代文明がもたらした“あだ花”を鋭く、シニカルにえぐった作品のようで、苦い笑いを誘いますね。因みにアインシュタインは愛猫家であったそうです。
 
 圓尾君の作品を囲んでの同窓生有志の集いは、これ以外にも毎年8月中旬頃に銀座で開かれる個展(10数人の同人会によるもの)などがありますが、今年の予定はまだ確定していないそうです。
 市岡東京12期会もこのように集える回数が減っていますが、遠来の友とその作品を囲んで親睦を深めることは実に得難いこと、元気で変わりなく交感できることの喜びは同窓生ならではのものです。「文化展」の後、懇親会が開かれましたが、残念ながら写真はありません。
(文責:張 志朗)