同期会

ひろばリバイバル

 ラインアップに書きましたように、上原(大川)澄子さんの投稿を再掲します。訃報をメールで知らせた所、「勉学にテニスにと、ピカ一に輝いていて眩しすぎる存在でしたね」、「よく笑う女の子でしたね」などの返信がありました。故人を偲んでお読みください。
― HP委員 記 ―
 

市岡12期HPを見て


投稿 上原澄子(旧姓大川)(1組)

 お彼岸も過ぎて桜の蕾もふくらんできました。 市岡12期の皆様にはお変わりなくお過ごしですか。3月11日の東日本大震災はまるで悪夢のようで胸が痛みます。東京電力管内の沼津は2日おき位に計画停電があり3時間ほど停電します。

 先日HPの上野裕通さんの「市岡高等学校12期同窓会を振り返る」を読み、私も北浦昌子さんとの想い出を少し話したくなりました。

 小学校・中学校・高校と一緒だった昌子さんとは家も近かったので「一緒に勉強する」という口実でよくお互いの家を行き来していました。昌子さんの亡きお母様の詠まれた歌集を見せてもらって、涙したことが思い出されます。

 私の家では細巻寿司やサンドイッチを作ったりして楽しい時間を過ごしました。
今年の年賀状の歌は「うさぎさん目と耳貸してこの一年よく見よく聴くじじばば二人」でした。

 昌子さん元気でまた会いましょう。 

 市岡の同期会は70才近い現在の生活をちょっとタイムスリップさせてくれ、元気で頑張っていた18才の頃に戻してくれます。

 高校時代は同じクラスになったことも、口をきいたこともない友とも親しく話をすることが出来ます。
「東大湖の水受けて…」とみんなで校歌を歌う時、気持ちが一緒になる様な気がします。

 そんな友達の中に8組の村崎裕昭さん、山田正敏さんがいます。

 市岡東京12期会の小旅行で箱根に行った折、自己紹介で村崎さんが「絵手紙を始めました。」と挨拶され、20数年前から水墨画の絵手紙を書いていた私は思わず「私も描いています」と言いました。それがきっかけで絵手紙のやりとりをするようになりました。描き方は違うのですが、村崎さんの絵手紙の進歩は素晴らしかったです。

 それでは、二人の絵を見て頂きたいと思います。

 まず私の作風をご覧になってください。(画像はクリックで拡大します)

 
 

 次に村崎裕昭さんの作品です。

   

 そして、私が村崎さんの絵に影響されて描いてみた作品です。

 また、陶芸をされている山田正敏さんの造られた大皿に「あけび」を描きました。

 市岡は50数年過ぎた今でもよい想い出をつくってくれています。

 最後に懐かしい写真を一枚(ご存知の母校中庭で)


【高校21期】2022年 湖陽樹忘年会のご報告

 2022年の忘年会は、12月1日、中国料理 湖陽樹(谷町四丁目)で開催されました。
ピッチャーやまだ君の軽妙なトークとカンパ〜イ!で、にぎやかな宴会がスタートしました。
中華料理の円卓を囲んでタイムスリップ。今とあの時とを行ったり来たりです。
コロナで、古希を祝う同窓会も寅年の同窓会も飛んでしまいましたが、
21期は元気元気♪ 楽しい時間が過ぎて行きました。
(紹興酒が無かったのは悔やまれますね。)
/幹事代行 竹内 哲 
 
【出席者】
伊藤 岡田 喜多(竹口) 國津 近藤 酒井 篠原 下津 竹内 南口
西尾(井上) 野原 藤原 二村 前川 前野 松田 湊口 武藤 武藤(林)
藪田 山田 山子 渡壁

  
◆70歳超の引っ越しは大変です 
 
 会社の都合で長い間関東に住んでいました。
気がつけば関東で定年を迎え、実家近くにある墓をお参りする人もいなくなっていました。
そこで墓守をしようと一大決心をして昨年9月に51年ぶりで大阪に戻りました。
 住んでみて感じたのは、大阪は大きく変貌していることです。まさに浦島太郎状態です。
しかし、故郷は大事です。今、毎日仏壇に手を合わせ、四半期ごとに墓参りをしながら、
大阪の生活に慣れようとしています。
 関東では東京市岡会や東京市岡21期会に時々出席していましたが、今回初めて大阪での21期生会に出席しました。知らない顔が多く最初は戸惑いましたが、時間が経って打ち解けてくると少しずつ思い出がよみがえり、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。
 同窓生へアドバイスです。軽い気持ちで同窓会に出席して下さい。楽しかった日がよみがえります。これから引っ越しを考えている人は諦めて下さい。70歳を過ぎてからの引っ越しは大変です。生活に不要なものが余りにも多く、引っ越し先に持って行くものを決められません。やむを得ず引っ越しするときは、私の妻のように強引に徹底的に断捨離を進める助っ人が必要です。
(3年8組 松田幸信) 
 
 
◆やり残したこと (スピーチ&エピソード)
 
 卒業から54年、集うのは総勢24名の寅年72才です。
 恒例の近況報告や思い出話は、過去のおぼろげな記憶が鮮明となり脳に良い刺激が染み渡って次回も是非参加しようと思う瞬間です。
 さて、今年のお題は「やり残したこと」です。

 
  1. 金融機関を退職しました。在職中の統廃合で会社名が3回も変わりました。
    しかしながら「私には転職経験ありません。」(く)
  2. 水泳部です。冬場はギターを弾いていました。卒業後アメリカに留学しました。
    時代背景は1ドル360円の固定相場、海外通話は電話局経由で分刻みの料金体系です。ハワイ経由の航路が飛行機より安かった時代でした。当然ながら音信不通者となっていました。
    帰国後同級生に「生きとったんや」と言われました。「私は死んでません。」(お)
  3. サッカー部でした。今春、JFAオーバー70サッカー全国大会が開催されました。
    何と優勝です。YouTubeに動画が出ています。
    更に連覇を目指して日々練習に励んでいます。仕事も現役です。
    「やりたい事は、海外の孫を含め3世代で記念撮影です。」(む)
  4. 仕事柄ほぼ全都道府県を回りました。今は故郷に戻っています。
    「やっと落ち着きました。(さ)
  5. 数年前に同級生だった夫を亡くしました。今はひとりの生活にも慣れて、強いて言えば楽です。いずれその時が来るけど皆さん大丈夫ですよ。乗り越えられますよ。
    「やり残したこと・・ もっと勉強〜しておけば良かった。」(に)
  6. 仕事、家族に恵まれ、健康に生活できて、未だに妻を愛してます。
    人生に後悔もやり残したこともありません。「妻に感謝しています。」(や)
  7. 日課を決めています。徒歩1万歩、筋力運動等ほぼ10年前と同じです。
    お陰様で健康に恵まれて病気とは無縁です。最近はきついと感じる日もあります。
    「10年前の日課 ‥」(ま)
  8. 趣味の楽器でグループ活動しています。楽譜を見て手を動かすことで脳が活性化していると思います。座しての演奏が多く足腰の衰えを感じています。
    「やり残した事は老人ホームの慰問です。」(わ)
  9. 歴史が好きでした。しかしながら理系を選択しました、物理の赤点が嫌な思い出となっています。進学、就職も終わった今、自分の好きだった日本歴史を研究する日々です。
    「あの日の自分にひとこと・・・」(?)
  10. 長年社長業をやっています。最近お詫び状を書くことが増えています。
    慣れると早く書けるものでして、作業時間は短縮されてはいますが違和感があります。
    「あの日の記憶に戻りたい。」(ふ)
  11. 仲間と自転車ツーリングに出かけたときの事です。日中の疲れを癒すにはローカルの温泉旅館は欠かせません。サイクリストの憧れしまなみ海道には全てが揃っています。
    鍛え上げた太ももや臀部の筋肉を温泉で温め、疲れた目も休めます。全てが順調でした。
    しかし、まさかの階段からの転落です。翌朝ツーリングを中止し何とか帰り着きましたが、救急車での緊急搬送となりました。骨盤と肋骨の骨折、長期入院の重症でした。
    リハリビを経て、今は元どおりに戻っています。
    入院中、心配や迷惑をかけた妻に「もっとありがとう〜!を言いたい。」(た)
  12. 野田の一等地でお好み焼きを焼いています。最近ほとんどお客ケーヘンねん。
    因みにGoogleマップで「お好み焼きぼん」を検索してください、出てきます。
    書き込み評価写真投稿お願いします。
    「お客が来たら美味しく焼くよ。」趣味はギターです。(や)
  13. 高校時代の親友と交わした誓いは何と「一生独身でいよう」でした。背景には複雑な伏線が有るが誓いはそれです。二人共40歳目前にしても独身を謳歌していました。
    世の中全てが右肩上がりの高度成長期です。クルーザーを持ち、高級ワイン、仕事も頗る順調で誰もが羨む高学歴、高収入、高身長+イケメンです。周りが放っておくわけもない時代です。遂に40歳で結婚してしまいました。「ごめん、約束破った事許して欲しい。」
    今は亡き親友に捧げる一言です。(し)
  14. 独身です。家族の話になると出遅れた感あります。同窓会の記録写真を撮り続けています。皆さんのお姿を撮るもの喜びの一つです。この会が続きます様にと思っています。
    「陰謀論と言われている話を聞いて欲しい。」(ま)
  15. 卒業後、結婚して子供に恵まれました。その子が経営するレストランが今は市岡の同窓生が集う場となりつつあります。うれしい限りです。
    「私も、もっと勉強しておけばよかった~。」(き)
  16. 思い切って本デートを切り出すべく、乗り合わせた車中でキッカケを掴めずドキドキしていたら、次の駅で『私ここなの!さようなら』初恋は成就される事なく終わってしまった。
    彼女は早逝した。天国に向けて「好きだったよ」と伝えたい。(な)
  17. 電車通学時、いかがわしい天満座看板が見下ろせる車両に立ってったら、そこを定位置とする男子学生と顔見知りになりました。彼も過ぎゆく一瞬のドキドキを共有していたはずです。あそこに立っていたのは「Ⅿ君、あなたですね!」(〃)
  18. Ⅿ君は私の夫です。(む)
  19. 同窓会、飲み会、忘年会、花見会皆勤賞です。これらの企画運営に感謝します。
    「更に記録を伸ばします。」(?)
  20. 現役です。職場は徒歩3分、娘達も徒歩圏内に住んで居ます。(の)
 
 早退した野球部(や)、本日欠席の野球部(お)は、共に21期会を盛り上げかつ支えてくださっています。バレーボール部(ふ)は、東京開催の同窓会にもご尽力頂きました。
 早逝された方々、病を得ておられる方々へのお見舞いや勇気づけも幹事さんの心使いを感じました。中華テーブルを囲む会場設定も参加者に好評でした。
 二次会は中之島中央公会堂のパブです。
40で誓いを破った男がシャンパンをご馳走してくれるらしい。嫌味なくサラーとできるのも
才能の一つ。二次会は幹事さんへの慰労会です。喜んで付いて行きました♪
 
(あとがき)原稿依頼を受けて、スピーチや個々エピソードのお話を記憶をたどりながら拾い出しました。その際に振った番号が意味無く残っています。
また、澪標ホームページで繋がっているお仲間にも雰囲気をお伝えしたく、僭越ながら多少の脚色も交えて書いています。
お許し頂くこと多々有りますが、「お叱り」は次回の同窓会に持ち越しとさせて頂きたいと思います。皆さまありがとうございました。
(3年5組 武藤(林)ひろみ)

【高校21期】2022年 忘年会のお知らせ

21期同窓会事務局


木々が色づきはじめました。秋の深まりを感じますね。
心がざわつくことが続いた1年ですが、皆さんお元気でしょうか?
今年は中華料理の円卓を囲んでの忘年会を企画しました。
事務局一同、多くの皆さんの参加を期待しています。

 
  • 日時:令和4年12月1日(木) 17:30〜
  • 場所:湖陽樹(こようじゅ)
       (地下鉄谷町線・中央線 谷町四8番出口すぐ 大江ビル16F)
  • 会費:¥6,000
参加の申込みはメールで → info☆reihyo.com(☆を@に変えて送信)
締め切り: 11月23 日
お問合せ先:幹事代行/竹内 哲(携帯 〇九〇〜八六五九〜六三一五)
      メールアドレス:s-takeuchi☆knd.biglobe.ne.jp(☆を@に変えて送信)

「12期の広場」2022秋号のラインアップ

 突然のお知らせですが、清水誠治郎君がお亡くなりになりました。
 9月7日に外出先で倒れ救急搬送されて入院。集中治療を受けておられましたが、薬石の効無く、11日朝、永眠されました。
 ご存知のように清水誠治郎君は3年3組の同窓会幹事で、同窓会活動ではクラス幹事の役割にとどまらず、12期全体の中心幹事のお一人として大活躍してくださいました。その思い出は語りつくせません。同窓会行事の企画推進やそれへの積極参加・協力は勿論のこと、同窓会名簿原案の作成やその他の事務作業、同窓会の司会、度重なる「12期の広場」への投稿など、実に多くのご苦労をお掛けしました。
 ここに哀悼の誠を込めて、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
  故人を偲び本号では、2016年1月号に投稿された「今、物凄く幸せです」を“ひろばリバイバル”として掲載いたします。

 「12期の広場」2022秋号のラインアップは以下の通りです。
 
  1. 巻頭コラム
    ・「ぶらりと福知山」 7組 張 志朗
  2. 掲示板
    ・「コロナ第七波の中、三年ぶりの夏祭り
     海老江八坂神社の夏祭りが盛大に実施」
    8組 末廣 訂
  3. “ひろばリバイバル”
    ・「今、物凄く幸せです。」 (2016年1月号から) 3組 清水誠治郎
以 上

巻頭コラム

ぶらりと福知山

7組  張 志朗

 ぶらり福知山に行って来ました。
 こう書きだせば、"気楽な小旅行"となるのですが、実のところは耐えがたい猛暑とコロナ禍による巣ごもり、さらに思い通りにならない体調に"汗まみれの引きこもり老人"状態になっている筆者のセンチメンタルなフラフラ歩きの旅であったようです。
 日帰りの遠出は数年ぶり、勿論、密を避け、マスクを持ってです。8月の末、晴と気温32度以下の天気予報を確認して、JR福知山線の篠山口行の区間快速に乗りました。
 ご存知のように福知山線は東海道線の尼崎より北上し、篠山口を経て福知山で山陰線に接続します。
 篠山口で二両連結列車のワンマンカーに乗り換えです。若く、かわいい女性運転手です。「福知山まではディーゼル車ですか」と聞いて笑われました。以前から電化されているそうです。
 福知山までは車窓の左右になだらかな山を見ながら、峡谷沿いに、また狭い盆地にある田畑を縫うようして走ります。単線で、電車が木々すれすれの場所も少なくありません。空の青、白い雲、木々の緑、渓流の水しぶきが美しく、心が徐々に開いて行きます。コンバインが停まり半数位の田んぼは、稲刈りを終えてすでに初秋の風景です。2時間ほどで福知山駅に到着しました。

 福知山は京都府の北西部、人口8万人弱の中核都市。丹波高地と丹後山地に囲まれた盆地にあり、北近畿の交通の要衝です。ここから和田山、豊岡を経て城崎へ(山陰線下り)、鬼で有名な大江山を越えて宮津、天橋立へ(京都丹後鉄道)、綾部を経て舞鶴、小浜へ(舞鶴・小浜線)、また亀岡を経て京都へ(山陰線上り)いたるターミナル駅です。通過は何回もし、小休止は1~2度していましたが、ぶらり歩きは初めてです。皆さん、特に関西在住の方には、観光やスキーや登山などでおなじみの地域であることでしょう。
 とりあえずマップ片手に駅周辺をあるきました。駅の南側広場にレールを使った東屋と転車台に乗せられたC11形式40号の蒸気機関車がありました。レールは明治30年から32年に
当時の"阪鶴鉄道"が米国のカーネギー社とイリノイ社に特注したものだそうです。また蒸気機関車は昭和8年の川崎車輛株式会社製で小型機関車としては力が強く、短区間運転用として重宝され昭和19年から31年まで福知山線を走っていたそうです。転車台は機関車の方向転換や扇形車庫への入出庫を行う設備で、昭和47年まで稼働したのち、福知山駅高架化事業により撤去されたそうです。いずれも「鉄道のまち福知山」のシンボルとして保存展示されています。
 雪深い北近畿の鉄道機関区で、ラッセル車と共にもうもうと煙をはいていた雄姿が、思い浮かびます。特に私の家内の従兄が、この機関区で蒸気機関車の機関士であっただけに、思い入れもひとしおです。
 福知山は明智光秀ゆかりの地、歴史の深い城下町でもあります。
 NHKの大河ドラマ"麒麟が来る"が放送されて一躍脚光を浴びましたね。幟(のぼり)やイラストや桔梗紋(明智家の家紋)が目につきます。それらを案内するマップ通り見て歩くことはできません。なにしろこちらは、81歳を超えた老体、真昼間(まっぴるま)の炎天下の徒歩に息絶え絶えです。つばの広い網目帽子と濡れタオル、ペットボトルのお茶を頼りに、とりあえず旧城下町と思われる地域をめぐることにしました。

 懐かしい趣の駅正面通り商店街を直進して左折、アオイ通りを経て、まずは地元の人に「ごりょうさん」と親しまれる御霊神社です。由緒書きに祭神は宇賀御霊大神、配神は日向守光秀とあり、さらに「宝永元年(1704年)朽木植昌候の代 光秀の霊を併せ祀り」とありました。光秀が没したのが天正10年(1582年)ですから122年経ってようやく"配神"として祀られたのですね。
 本殿を持つ境内は高くなった丘の上にありますが、そこに頼山陽の「本能寺」と題した漢詩の石碑があります。近年建てられたものと見受けましたが、それをどう読み解くか、私にはよくわかりません。ただ詩文中の「老いの坂 西に去れば備中の道 鞭を揚げて東を指せば天なお早し」は、岐路に立たされた明智光秀に迫ります。(偶然ですが、8月初めに藤沢周平著の「逆軍の旗」を読みました。この詩文との符合に驚きました)
 この境内に日本で唯一の堤防神社があり、境内から参道を下りた広場に、昭和28年9月25日の台風13号による洪水時の"浸水位20.69m"を示す表示塔がありました。写真ではその高さが実感できませんが、側に立って見上げると私の背丈の4倍近くありそうです。浸水位20.69mは尋常ではありません。おそらく周辺の木造民家の屋根を越える高さまで水がきたでしょう。福知山は古い時代から、すぐ側を流れる由良川の豊かな恵みを受けると同時に、その氾濫による大水害に苦しめられ、不撓不屈に生きてきた町です。
 それを示すように、この神社の近くに治水記念館があります。下柳町の旧街道(山陰道)に面した二階建て民家がそれです。残念ながら休館の札がかかっていて入れませんでした。(休館日が火曜日であることを確認していたのですが・・・)資料によると二階に避難用の船とそれを吊り下げる滑車などが展示されているそうで、水害時の人々の苦闘と知恵を見たかったのに残念無念です。
 江戸期、由良川の舟運は隆盛していたようです。その拠点であった下船渡口(げせんどくち)近くから由良川堤防を歩き、福知山城に向かいました。すぐに蛇が端御藪(じゃがはなおやぶ)=明智藪が見えます。
これは由良川に土師川が合流する地点に明智光秀が築いた堤防(高さ2.0m、長さ1.5km)で、写真のように立派に育ち残っています。
 福知山城は天正7年(1579年)ころに明智光秀によって築城され明治維新まで存在しました。明治6年廃城令により石垣と一部を残して失われたのですが、昭和に入り市民による「瓦一枚運
動」などもあり、昭和61年(1986年)に再建され現在に至っています。由良川に伸びる丘陵にある「平山城」で、こじんまりとしていますが、美しい城です。時間がなくて天守閣の中には入りませんでした。石垣は400年の歳月に耐えてきたもので、多くの五輪塔などの石造物が「転用石」として使用されているのが特徴だそうです。
 天守台の広場から、はるけく福知山市街地が見下ろせます。逆に言えば市街地から福知山城が仰ぎ見えます。満々と水を湛えた由良川は230年の間に40回以上も決壊を繰り返したと言い、そのたびに人々は不屈の心意気で町を復興しました。そんな人々に光秀が築城した福知山城はどう見えたのでしょう。「瓦一枚運動」に寄せる人々の思いが伝わってくるようです。
 夕方、福知山を後にしました。滞在は5時間弱。見られなかった所や。行けなかった所ばかりで心残りですが、次回の楽しみとします。
 帰りは大阪行き"丹波路快速"一本で楽ちん。暮れなずむ里山の家々を眺めながら無事帰ってきました。
 追記:山とスキー好きの友がこの拙文を読んで「福知山線路線模式図」を作ってくれました。ご覧ください。

掲示板

コロナ第七波の中、三年ぶりの夏祭り
海老江八坂神社の夏祭りが盛大に実施

8組 末廣 訂
 
 今年・令和四年の夏は三年ぶりに地元海老江八坂神社の夏祭りが行われ盛大の内に終えることができた。
 京都の祇園祭りでは,鷹(たか)山鉾(やまぼこ)が百九十六年ぶりに新調され大きな話題となり、また大阪の天神祭りでも地車(だし)が新しくなり、久しぶりにテレビで放映されて話題になった。
 海老江八坂神社の祭りでは、祭りの華である地車・太鼓のパレードや夜の宮入りが大勢の見学者で囲まれている様子がユーチューブの動画で発信されている。
 祭り好きなものにとって,待ちに待った祭りであったが、やはり丸二年間もの空白とコロナ禍での開催は、当事者には目に見えない努力と苦労があった。
 
*海老江八坂神社 祭礼行事の移り変わり 
 海老江には、枕太鼓と地車三基がある。一つの村で四台の祭台があるのは大変珍しい。祭の盛んな岸和田、平野でも旧村や町単位で地車が一台しかないが、海老江は東西南北四町あり、それぞれが神社の庫(くら)に納庫している。
 これほど盛大に行われている祭りだが、祭りに関する書いたものが少ない。純農村であった海老江は五穀豊穣を祈って、元々秋祭りが中心であったと考えられるが、疫病予防を祈願する京都の八坂神社と同じ夏の大祭に移り現在に至っている(明治初めに牛頭(ごず)天王社(てんのうしゃ)から八坂神社に改名されている)東西南北四町の世話人の組織はおおむねよく似ており、祭礼は町総代を中心に各役割がある。各町によって法被(はっぴ)、浴衣、鉢巻きの色が決まっている。北之町は白色、東は黄色、南は桃色、西は水色、である。
 地車の囃子や手打ちの言葉は天神まつりの影響がある。「打ちましょう」で始まる手打ちは四町共通だが、北之町だけが最後に「ああ、めでたいなー」が入り、祝儀をいただいた折の手打ちも同じである。
 
*祭りの事前準備とスケジュール
 私が元老を務めている北之町(枕太鼓)の例年の行事進行スケジュールから簡単に紹介する。
 各四町にはほぼ同じ役職がある。太鼓の場合の運営(組織)委員は、町総代始め、会計、会計監査、元老、相談役、中老筆頭、安全委員、庶務委員、児童委員、進行委員、連絡委員、実行委員(若中)、等の担当がある。
 六月に入ると早速祭りの準備が始まる。例えば、六月初旬には現役の役員で実務の打合せとして、全体の役割、スケジュール調整、と巡行等の検討が始まる。一方では福島警察署への巡行コースの申請や四町の打ち合わせ等があり、また六月半ばには元老・相談役と現役役員とで全体の中身の確認会議があり、末日までに、「総会」が開かれる。  
 総会には全祭りの関係者(約百人)が集まり、総代や担当役員から神社全体の四町打合せ事項、太鼓の巡行コースの地図と時刻の確認、等々きめ細かい説明がある。質疑応答の後、直会(なおらい)に入る。
 七月の第一日曜日には、太鼓・地車の洗車、神社内外にのぼり・竹矢来(たけやらい)設置、そして各町それぞれに提灯を建て、主要道路には企業名が入った寄付による御神燈提灯が設置される。
 第二週目から太鼓の囃子の練習が始まる。そして各町は祝儀集めの「趣意書」を事前に各家庭や企業に配り了承を得る。太鼓の練習は児童四~六年生が中心で、毎夕六時から始まる。十六日は祭り用の食事や小休憩や接待場所に氷・飲みもの等を準備し、夕方は太鼓の飾りつけをする。
 今年は七月十七日(宵宮)と十八日(本宮)が日・祝で、実質十五日の金曜日に企業中心に祝儀集めが始まった。
 十七日に宵宮の行事が始まる。祭礼関係者が神社に朝九時に集まり、お祓いを受けた後、早速各町別々に手分けして各家庭に梵天を持ってお祓いし手打ちして祝儀をいただく。夕方五時から神社にて四町の競演があり、その後、夜のパレードに出立する。パレードは自町を二時間ほど巡行して八時ごろから、四町揃ってパレードを行い、神社に戻り納庫する。
 十八日の本宮行事は早朝から太鼓・地車の巡行が始まる。朝、八時に全員がお祓いを受け、神社を出立する。太鼓の場合、朝の食事を副総代宅にて、其の後は自町中心に巡行をし、三時頃から四町揃って午後のパレードを終える。夕方は総代宅で夕食を済ませ夜の宮入りに入る。夜七時頃、当宅前で太鼓の台車を取り外し肩合わせ後、太鼓を担いで宮入りに入る。今年は三年ぶりの宮入りで若中も力が入り、立派な宮入りであった。
 本宮の翌日は、朝から祭りの後片づけや祝儀の花開きがあり、午後はねぎらいの直会で終了する。北之町では祝儀をいただいた約八百件(内二千円以上)を金額順にリストアップして後日印刷し公表している。
 
*コロナの中の祭りと苦労 
 七月に入り、コロナが第七波になり、児童の感染者も増してきた。 この二年間、特に六年生の子供は四・五年生時に祭りが中止となり、今年が太鼓をたたく最後のチャンスであった。練習日の初日から待ちに待った練習が始まり、約四〇名の子供で一〇組ができ、一週間の練習が始まった。祭り目前にコロナ感染で六年生の学級閉鎖があり、半分以上が途中で参加できなくなった。
 三年目になってやっと晴れの姿をと頑張っていた六年生の気持ちは親子ともども残念であったと思う。半面、残った五年、四年生のたたき手たちは本番も少人数で二日間よく頑張ってくれた。」
 実は私の孫も、都島区から二人(五年と六年生)毎晩練習に来ていたが、六年生の孫が十七の前日の晩になって、熱が出て急遽自宅に戻し、本番は出られず大変残念がっていた。
 また、一方で祭りの一か月前に、北之町の一番長老(九四歳)の元老が亡くなられた。本来、北之町では役員が亡くなると、出棺の折は祭関係者全員で手打ちをして見送ることになっているが、コロナ禍でそれも出来なかった。そんな中、ある役員の発案で太鼓巡行の折、長老宅前で太鼓を差し上げしようということになり、私も約三〇年ぶりに長老ご家族の前で太鼓を担ぎ弔うことができた。
 後で他町の役員の話では、祭後、コロナに罹ったという祭り関係者が続出したそうで、今年の祭礼行事が大変な祭りであったことが分かった。
 パソコンやスマホを持っている方は一度「八坂神社夏祭り」を検索してユーチュウブをご覧ください。
(写真は亡くなった長老宅前で三〇年ぶりに太鼓を担いだ当年八一歳の私です)

“ひろば”リバイバル

今、物凄く幸せです

3組  清水誠治郎
 
 “元旦や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし"(一休宗純)
 私が小学4年生(昭和26年5月)の時、父は脳溢血と言う突然の病で48歳の天寿を以ってこの世を去りました。おそらく戦後の動乱期の期末とはいえ、かの歌等考えすらないままに、逝ったのだろうと思います。
  家系の血は争えないもので、私は52歳で中度の心筋梗塞があってからは、今日まで循環器系の病との戦が続いています。近代医学のお陰で、心臓を流れる動脈の支流には4個のステントが入っています。腹部の大動脈にも瘤(52ミリ)があったのですが、適切な手術処置で破裂せずに小さくなり、元気な活動ができています。
 昨年3月、10年間の町会代表や西宮市の校区のスポーツクラブの代表等々、長きに亘って社会奉仕させて頂いていましたが、立派な後継者が出来たのでスムーズに交代する事が出来ました。そして10月には会社の代表を息子に譲り、私は悠々自適の生活を満喫出来るものと確信していました。が、そう上手くはいきませんでした、何か判らないのですが日々多忙です。
 何の趣味も持たず、ひたすら仕事と奉仕に打ち込んできた私ですので、全てを後継者に託した時、家内から“貴方はこのままではすぐに呆けてきますよ!何か趣味をもちなさい!"。まだこの歳ですし、呆けるのはいやだったので考えた挙句、写真を始めようと思い立ち、最新式のレンズシャッターの高級機を購入して写し始めましたが、これがまた難しすぎて手に負いません。特に動体撮影は写そうと思っても、身体や目や頭がついていかないのです。残念で悔しいですが、動かない花や景色を撮っています。
 それともう一つ、絵を習い始めました。未だ10カ月しか経っていませんので御見せ出来るような作品はありませんが、4~5年間、健康に注意して修業が出来れば、喜寿の個展が出来ればいいなと淡い夢を持っています。でもやっぱり好きな画家(特に日本画・河合玉堂や上村松園) の絵をゆっくりと時間をかけボーと観ている方が心癒されます。
 私は今、物凄く幸せです。少し元気になった妻と息子たちと四人の孫に固まれて!
                                2016年 1月
 
(HP委員追記)
 清水誠治郎君の「広場」への投稿は上記の他に3篇があります。何より大きな感動を呼んだのは2011年7月号に掲載された「ツゥールポンロー みおつくし中学校」です。
 これは彼と故畠平雅生君が所属していた大阪西ワイズメンクラブのボランティアプロジェクト—カンボジアに中学校を建設・寄贈する事業の奮闘記です。
 彼はカンボジアの実状を目にするために2007年、建設敷地の視察に2009年、第一校舎落成式出席のために2010年と、3度カンボジアを訪れています。ツゥールポンローはタイのバンコックから4輪駆動車で15時間、二日がかりの辺境の地で、建設予定地の1/3から250個の地雷が発見処理されたそうです。下に貼り付けたのは、出来上がった校舎と落成式での記念写真です。左から3人目が清水君です。長文ですが、「ツゥールポンロー みおつくし中学校」を読んで在りし日の清水誠治郎君を偲んでいただければ幸いです。この原稿の「結び」を下に再掲いたします。
 
“ハチドリのひとしずく”   今、私にできること
 森が燃えていました。森の生き物たちは我先にと逃げて行きました。でも、クリキンディという名のハチドリだけは、いったりきたり、くちばしで水を、一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。動物たちがそれを見て「そんな事をして一体何になるんだ」といって笑っています。  クリキンディはこう答えました。「私は、私に出来ることをしているだけ・・・」
 この物語は南アメリカの先住民に伝わる話です。(クリキンディ・・現地語で金の鳥の意)
 同窓生では畠平雅生君が同志として一緒に運動をしています。又古藤知代子さんが多額寄付者として登録されています。こころざしに感謝いたします。

トランス☆プロジェクト大阪公演のご案内

高校24期 月島紫乃(池田生子)さん主宰のトランス☆プロジェクト大阪公演のご案内です。
[公演日時]
8月27日 (土)  15:00 / 19:00
8月28日 (日)  12:00 / 15:00
[公演場所]
ABCホール
〒553-8503 大阪市福島区福島1丁目1番30号 Tel. 06-6451-6573

市岡高校33期同窓会のお知らせ

同窓生の皆様
 
第7回市岡高校33期同窓会を開催することになりましたのでご案内申し上げます。
昭和56年に市岡高校を卒業し早41年!
この度、還暦という人生の節目を迎えた同窓会を、皆様に楽しんでいただけるよう幹事一同総力を挙げて企画いたしました。
「3年に一度の祭り」です。ぜひ!ふるってご参加ください。
尚、当日はコロナウィルス感染症対策のため検温とマスク着用をお願い致します。


 

<一次会>

  • 日時:2022年8月13日(土) 14:00~16:30(受付開始    13:30)
  • 場所:アートホテル大阪ベイタワー 4F シンフォニー
  • 会費: 8,000円(事前振込制)
着席   和洋ビュッフェ料理   フリードリンク
前回使用した名札をお持ちの方はご持参ください。
還暦同窓会を祝う演出として、よろしければ赤いモノを身につけて来てください!

 

<フリータイム>

  • 日時:2022年8月13日(土) 16:30~18:00
  • 費用:当日各自ご精算
市岡、大正のとっておきのお店(ディープ・おしゃれ・懐かしの e.t.c…)マップもご用意しています。二次会スタート18:00までお楽しみください。
 

<二次会>

  • 日時:2022年8月13日(土) 18:00~21:00
  • 場所:タグボート大正2FB棟 (サンセット・きじむなー・大正いやんばかん) 貸切
  • 会費:5,000円(事前振込制)
 

<出欠連絡締め切り>

7月20日(水) 下記メールアドレスまでご連絡ください。
ichioka33☆gmail.com
※迷惑メール防止のため、☆を@(半角)に変更してご利用ください。

 

<会費振込締め切り>

8月7日 (日)郵便振替にて
市岡高校33期会      口座番号   00990-1-279499
通信欄に3年次のクラス、一次会、二次会の出欠、旧姓を必ず明記ください。

「12期の広場」2022夏号のラインアップ

今号のラインアップは以下の通りです。お楽しみください。
 
  1. 巻頭コラム
    ・「天正15年?6月13日の茶会」  8組 川村 浩一
  2. 掲示板
    ・「圓尾君の“大作”を見に美術文化展に行ってきました」 
    ・「World Art Day と< ダ・ヴィンチ>知の行方 についての思い」
    8組 榎本 進明
    6組 圓尾 博一
  3. “ひろばリバイバル”
    ・「利根川 川歩き」 第1回(平成19年10月30日~11月1日) 
    ・「利根川 川歩き」 第9回(平成23年5月9日~11日)
    4組 川合 兵治
    4組 川合 兵治
以 上