お知らせ

2016年

ツーセル(社長:辻紘一郎)、中外製薬と膝軟骨再生治療でライセンス契約

 辻紘一郎君(8組)が代表取締役社長を務める株式会社ツーセルが、自社の膝軟骨再生細胞治療製品に関するライセンス契約を中外製薬株式会社と締結したという、うれしいニュースが報道されました。すでに各種メディアを通じてご存知の同窓生も居られると思いますが、ここに紹介させていただきます。
 4月26日の日本経済新聞によれば、『広島大発バイオベンチャーのツーセル(広島市)は25日、軟骨の再生細胞治療に関して、中外製薬とライセンス契約を締結したと発表した。契約により受け取る一時金や成功報酬は数十億円規模になるとみられる。大手製薬会社との契約により、早期の臨床試験(治験)開始や実用化をめざす。』とあります。
 2003年4月の創業以降、一貫して間葉系幹細胞(MSC)による再生医療の研究・開発にたずさわってきたツーセルが、いよいよ本格的に再生医療市場にその治療製品を提供する段階に入ったと、大きな期待をもって注目をあびています。
 13年にわたり社長をつとめ、ツーセルを牽引してきた辻紘一郎君は『当社は、自社開発の無血清培地で間葉系幹細胞を大量培養し、医薬品で治療できない疾患に対して移植することで、多くの患者さんの治療に貢献したいという思いから再生医療製品の開発に取り組んできました。大阪大学や広島大学との共同研究により開発したgMSC®1は、"広島を世界の再生医療の拠点の一つにする”を合言葉に掲げ開発を進めてきた「広島発同種移植用細胞製剤の第1号」です』と語っています。
 2年前の12期同窓会での特別講演で、人の自然治癒力と再生医療への想いを語ってくれた辻君の姿が思い起こされますね。
 中国新聞の報道では『ツーセルによると、膝を痛めている患者は全国に約2900万人に上る。スポーツ選手や高齢者への移植を想定する』とあり、日経バイオテクONLINEでは『ツーセルが開発を進めているのは健常人の滑膜細胞から間葉系幹細胞(MSC)を採取、培養した他家の軟骨製品。負傷か所に注射で投与すると軟骨が再生する。拒絶反応を起こしにくいため、ヒト白血球型抗原(HLA)のタイプにかかわらず使用でき、免疫抑制剤の投与も必要ないという。』とありました。また『他家のため価格も押さえられ、「市販時の価格を1桁下げられる」(辻社長)』とあります。2017年から治験を開始、2020年の発売の見込みのようで、変形性関節症にも適用拡大していくそうです。膝関節の疾患に苦しむ患者さんにとって、すばらしい希望、福音になるようです。
 私の身の周りでいえば、家内が若い頃、ソフトボールで膝を痛めて苦しんだことがあり、また息子が移植治療で拒絶反応と免疫抑制剤の投与に苦しみ、未だにその後遺症悩まされています。自身が後期高齢者になったことと考え合わせると今回の再生医療製品は、実に身近なもの、またそのすぐれもの度合いが腑におちます。
 年齢を重ねてますます磨きがかかった磊落でエネルギッシュ、熱い気持ちのかたまりとも言える辻紘一郎君の更なる活躍に期待したいと思っています。
(文責:張 志朗)
  • 追記:「ツーセル」で検索すると株式会社ツーセルのホームページが閲覧できます。
        MSC(間葉系幹細胞)を詳しく知りたい方は是非、検索して見て下さい。

陶芸のこと (3) ー川歩きー

 陶芸について2回にわたって書いたが、退職後の生活でもう一つの大切にしているのが市岡の同窓生と行う「川歩き」である。
 小生65歳の時であった。今は亡き河合兵治の発案により始めた1泊2日の「川歩き」の第1弾が“利根川川歩き”である。
 銚子漁港が出発地点であるが前日、壮行会をやろうと言う事で、犬吠岬のホテルに一泊した。泉は当日、所要で欠席。一日目の宿泊地、潮来のホテルで合流するとの事で川合、榎本、山田の三人がいよいよ出発。平成19年(2007年)10月31日に始まった。潮来のホテルまで地図上約40km。9時ごろホテルを出発、出発地点の銚子漁港を経由、昼食時間30分を除いてその日の日没まで(午後4時半か)を考えると7時間で真っ暗になる。計画ミスである。とても宿泊地の潮来には着けない。潮来まで宿はない。そこで、比較的近い成田線香取駅までなんとかタクシーを拾って出て、潮来まで一駅ではあるが電車に乗る事にしたのである。三人共クタクタ、完全な計画ミスであった。
 潮来の宿で泉と合流。今後のことも含め打ち合わせ。泉の提案で「もう少し余裕を持った計画にする事」。「行路の途中の近くの名所旧暦のあるところを見学する事」。そして「夕食はうなぎを食する事」。全員、反省も含めて納得、大賛成。
 2回目、3回目からは、大石橋と西条が参加。6人のメンバーとなる。
第4回の利根川川歩きの100km地点。
ようやくここで全行程の三分の一である。

踏破可能な源流、八木沢ダムまであと一息。
第8回川歩きの6人のメンバー。


 4年後、平成23年(2011年)5月9日の9回目、群馬県 奥利根湖の八木沢ダム横に建つ「利根川源流の碑」でもってで完了。踏破距離は約300km。
 「利根川川上り」最後の9回目に先立ち、踏破完了後、その記念報告会を群馬県水上市でする為、しかるべきメンバーに案内状を発送するべく、その作成中に発生した「東北大地震と大津波」。案内状の発送は当然中止。「利根川川歩き」踏破記念パーテーは、後日、メンバーのみで行った。人生一寸先は闇。小生当時69歳。大地震と津波で亡くなった、多くの人々の事に思いをはせるに、これからの人生、謙虚に精一杯 頑張ろうと思った次第である。
 そして、第2弾の「川歩きは」関東第2の大河、“荒川”に決定。平成24年3月11日、スタート。27年4月28日、6回目で踏破。(延長173km)
 その間、26年12月 川合が肺癌の為、逝去。3回目以降は5人(泉、榎本、大石橋、西条、山田)となる。
  
荒川の源流に到着。「源流の水で川合君の好物のウイスキーの水割りを作り再び献杯。
・・・ひたすらこの間の自然と人とのふれあいが懐かしく、とりわけ市岡の仲間と楽しく充実した時間を
過ごせたことがうれしい。」(泉信也)

 第3弾目の「川歩きは」メンバー5人の協議の結果、荒川と同じく東京湾を河口とする関東の名流「多摩川」(延長138km)に決定。4~5回程度で踏破か?川合が抜けたのは実に無念である。他の参加者を募っているが、なかなか参加してくれるメンバーがいないようだ。
 川歩きを始めてから、他のメンバーに遅れないようについて行く為、又、体調維持の為
日・祭日や暇なときに船橋市内を3時間程度、時々ルートを変えて、「早足散歩」と称し12~15km歩く事にしている。その為か、医者から糖尿病と言われていたが、最近すこぶる体調が良く、現在体重は10kg減の65kg。糖尿病の数値が改善、酒が旨い。これも「川歩き」の為の「早足散歩」の効用である。 陶芸と3時間の「早足散歩」、暇を持て余す事がない。出来れば、90歳までは続けたいと思っている。

 小生、日頃から皆さんに人生90年、長生きしようと言ってきたが、最近もう少し長生きしなくてはならなくなった。
 それは、小生の長男家に一昨年8月、孫娘が生まれたのである。我が山田家としては初孫であり、可愛さでは何処に出しても引けを取らない自慢の孫娘で、2ヶ月に一度、我が家に来てくれ、3~4日泊まっていくのであるが、来る度にその成長が見受けられ、何事にも代えがたい喜びを味わっている。成人したらどんなに美人になるのだろう。成人式の孫娘をなんとしても見たいものだと考えたとき、小生の寿命90歳では3年、時間が足りない。93歳まで長生きしなくてはならない。
 選挙権が20歳から18歳に2年早くなった今日、成人式もそうはならないのか !! いやいや、そんなセコイ事は考えまい。
 そこで、小生「人生93年」93歳まで生きる事を宣言する。
 その為、「陶芸」と「早足散歩」を絶対続ける事を決心した次第である。
ご拝読有難うございました。
以上。
 
利根川歩きの途上の一里塚ならぬ河口からの距離表示。はるか彼方に赤城山、子持山、小野子山が見えています。ここまでで行程は181.5km。この倍近くの距離を川合君を含めた同窓生と踏破したのですね。

「12期の広場」5月号のラインアップ

 5月です。「風薫る5月」と書き始めたいところですが、熊本市を中心とした地震とその被害に心が晴れません。と言うより、この地震に大きな衝撃を受けています。
 震度7の前震に続いてそれを上回るエネルギーを持つ震度7の本震、過去に事例がない程に続発する余震とそれによる大被害に言葉がありません。東日本大震災、特に私自身が阪神淡路大震災を経験しただけに、地震への恐怖とその惨状の記憶が甦り、被災地の方々の心労、心痛や如何ばかりかと胸がふさがる思いです。
 九州に12期同窓生が何人か在住していますが、同窓生名簿によると、熊本県にはおられないようです。震央に近い市域で言えば、福岡県大牟田市内に田中健治君(7組)が在住しています。大牟田市は、震度5強の揺れがあった玉名市に県境で接しています。電話で連絡を取ったところ、震度4から5弱程度、自宅の建物被害も大きくなく、家族、親戚一同の人的被害もなかったとのことで、まずは安堵しました。
 新聞、テレビの報道によれば、地域差はあるものの、被災地の懸命の努力と基幹インフラの復旧や被災者支援が進むことによって、入浴など、ささやかな日常の回復がようやく始まったように見受けられます。
 余震が一分一秒でも早く沈静化し、心と体のケア、生活の再建と復旧が加速することを願うばかりです。
 今月号の上原澄子さんの「絵手紙」は端午の節句にちなんでの「兜」です。その表書きにこうありました。「新緑の良い季節になりましたね。思いがけない熊本の震災には地震国日本の恐ろしさを思い知らされました。熊本城も悲しくなります。今月は兜を描きました。」
 震災に思いを馳せ、そして描いてくれた味わい深い「絵手紙」に感謝、感謝です。
 新緑が美しい野や山には百花が咲き誇り、大空に雄々しく鯉のぼりが泳ぐ。まさに端午の節句の5月なのですね。
 端午の節句は5節句(七草の節句、桃の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句)の内の一つ、調べてみると紀元前3世紀ころに始まったとのことです。そのいわれと長い歳月をかさねあわせると、営々とつづく人の願いやそのたおやかな営みへのいとおしいさが、一層、つのるように思えてなりませんが、「感傷」に過ぎるでしょうか。
 
 さて今月号の「12期の広場」のラインアップは、次の通りです。
 舞洲の此花市岡会のお花見の後、幹事会が開かれ、今秋の同窓会の要項が決定されました。まずはその報告記事です。今年も多くの同窓生と再会できることを楽しみにしています。
 『趣味のギャラリ』は山田正敏君の「陶芸」の2回目です。無理を言って、陶芸クラブの内容についても追加投稿して頂きました。作品写真を合わせてお楽しみ下さい。
 
1.  「市岡の森のお花見と幹事会の報告」
2.  『趣味のギャラリー』 「 陶芸のこと -②」       8組  山田 正敏
以  上

市岡の森のお花見と幹事会の報告

 4月10日(日曜日)、大阪舞洲の市岡の森で此花市岡会による恒例のお花見が開かれました。当日は晴天とはいきませんでしたが、おおむね晴れ。気温も20度前後でお花見には申し分ありませんでした。
 午前11時前に“舞洲ロッジ”の玄関前に集合し、注文しておいたお弁当を受け取り、小高い丘陵地である“夕陽が丘”に登り、会場の市岡の森に向かいました。ここには我が12期同窓会をはじめ、各期同期会や市岡ゆかりの方々が植樹した桜、数十本があります。12期は母校創立100周年と卒業50周年の2回、ソメイヨシノ二本の記念植樹をしています。樹勢はまだまだ若木といった感じですが、立派に育ち、さながら桜の森といった風情でした。また市岡の森について、玉田先生が『森は市岡の名を冠して人々が集うところ』と話されたことを思い出しました。
爛漫の桜を満喫しました
 2~3日前の強い雨と風で桜の花が散ってしまったのではと心配していましたが、市岡の森の桜は満開から散り始めの状態で、美しい桜を十分に楽しめました。
 11時過ぎにお花見会が開会。
 此花市岡会の副会長である大山泰正さん(高校19期)が挨拶され、恒例のお花見会開催に大きく尽力され、3月に急逝された此花市岡会西尾賢治会長(高校21期)への黙祷をささげました。『人を楽しませる達人』と言われた篤志の人、西尾会長の突然の訃報に言葉がありません。
 お花見会の参加者は全体で約200名、12期は16名でした。12期の参加者は、八島節子(1組)さん、山西邦子さん、北浦昌子さん、熊谷郁代さん(2組)、清水誠二郎君(3組)、酒井八郎君、原清明君、竹田裕彦君、古藤知代子さん(4組)、段中文子さん(5組)、武田博君、畠平雅生君ご夫妻(6組)、張志朗(7組)、末廣訂君、川村浩一君(8組)の皆さんでした。
 12期は市岡の森のあずま家で車座になり、おいしいお花見弁当とビールやお酒(此花市岡会の城山先輩からの差し入れ)とお喋りで宴をスタートさせました。
 例年、“幻の”お酒とあて、コップや氷まで持ってきてくれる原清明君が、今年はなんと高級シャンパン“ドンペリ”を持ってきてくれました。まずは“女の子”にとみずから注いでくれて大盛り上がりでした。
お弁当にお酒、それにおしゃべりとで
宴たけなわです
桜とお酒。自然に顔がほころびます
 

 八島節子さんは今年お一人の参加。同窓生の御主人(八島平玐君)は野田の自宅から自転車で大阪城公園にある弓道場に試合に出かけたそうで、元気一杯。
ニコニコと全員集合の記念撮影です
武田博君は地域のラジオ体操の担当で、毎朝6時半にラジオを持って公園に出かけて体操をしているそうです。冬は大変で一人も出てこないことがあるそうですが、かかさず出かけるそうです。先月号の“豚汁会の報告”を書いてくれた末廣訂君もこの日は杖なしで元気な顔を見せてくれました。竹田裕彦君は長い介護の末、お父様を103才で、お母様を99才で見取られたとの事でした。12日違いの葬儀、お父様の49日とお母様の35日が同じ日だったそうです。あれやこれや、皆さんの近況よもやま話は、つきることがありませんでした。
 お花見の会では母校吹奏楽部の演奏がありました。今年の母校新入生は「定員割れ」でしたが、そのショックをのり越えての元気で楽しい演奏を聞かせてくれました。特に“美空ひばりメドレー”には参加者の大きな手拍子が起こり、大喝采でした。吹奏楽部の伴奏で校歌を斉唱してお花見会は午後1時過ぎに中締めとなりました。
今秋の同窓会内容について話し合いました
 その後、「市岡の森記念碑」の前での記念撮影です。この前と横に12期が記念植樹した桜があるのですが、数年前の暴風でその「銘板」が飛ばされてどれがその桜か分からなくなっています。木工機械と木工の専門家である畠平君に相談して復旧することになりました。
 12期の私たちは会場を舞洲ロッジのレストランのバルコニーに移して、今秋の同窓会のための幹事会を開催しました。ここには幹事14名が参加し、下記のように『2016同窓会』の要項を決定しました。ご覧ください。
          ―    ―
 名 称: 「大阪府立市岡高等学校12期 2016同窓会」
 日 時: 平成28年10月16日(日曜日) 午後12時30分 受付開始
                            午後 1時    開  会
 場 所: ホテルクライトン新大阪( 大阪市淀川区西中島 2-13-32 )
       TEL 06(6885)1211 FAX 06(6885)7011
        *地下鉄西中島南方 徒歩 5分で前回と同じ会場です。
 会 費: 本会 ¥8,500-  二次会 ¥1,500-
 主内容: ・1時~4時 本会 (同窓生による特別講演も予定しています。)
        ・4時半~6時半   同ホテル別室にて二次会
 その他: 8月20日 案内状発送予定。
(文責:張 志朗)

『趣味のギャラリー』―「陶芸のこと (2)」

8組   山田 正敏
 
 今回はわが陶芸クラブの詳細を紹介する。
「クラブの組織」
部長 (1名)
会計 (1名)
会計監査 :1名
業務 責任者(1名)、担当者(2名)
 A班・・・ 班長(兼・副部長)・・・副班長(1名)、総務幹事(1名)
H18年:(たこ)唐草(からくさ)(もん)象嵌(ぞうがん)土瓶と湯呑
 B班・・・ 班長(兼・副部長)・・・副班長(1名)、総務
              幹事(1名)
 C班・・・ 班長(兼・副部長)・・・副班長(1名)、総務
              幹事(1名)
 D班(新人研修班)・・・責任者:講師、補佐:副講師(2名)
   ( D班は1年のみにて、2年目以後はA、B、C班のいずれかに配属。)
「釉薬管理」: 釉薬の作成及び作業日に於ける釉薬の撹拌。
     統括責任者・・・1名
     A班責任者・・・1名、 補佐・・・2名
     B班責任者・・・1名、 補佐・・・2名
     C班責任者・・・1名、 補佐・・・2名
「窯当番」: 素焼、本焼時に於ける作品の窯詰及び焼成管理。
      4班編成にて、それぞれ責任者:1名、担当者:3名。
      窯出は当日の作業班が全員で作業する。
「講師・指導援助体制」
 講師 : (1名)、 副講師  :  1~2名 
           指導援助 : 2~3名
「作業日」
  • A、B、C班はそれぞれ月2回、年24回のロクロ及び手びねりによる自主研修。
  • D班は第2、第4の土曜日に於ける月2回、年24回の講師による研修。
  • 講師・副講師によるロクロ研修は、陶芸クラブ専用で使用できる釉薬室を使用して、第1、3週の木曜日は講師の担当で、第2、4週の木曜日は副講師が担当して研修している。いずれも月2回、年24回である。
  • 各班の作業日以外の釉薬室使用による、6台のロクロ使用による自主研修については、希望者による6人を抽選によって選定している。 作業時間は陶芸クラブ全て9時半~15時迄で終わるようにしている。
「作陶」
  クラブで扱っている粘土は、「半磁土」「白土」「赤土」の三種類で、業者から一括購入して、原価でクラブ員に販売(1kg150円)。他の粘土の使用に関しては、自前で購入して使用しても可。
 さて、作品造りであるが、方法として、大きくは 「ロクロ成形」と「手びねり成形」がある。(その他、粘土をドロドロにして、型に入れて造る、「鋳込み」があるが説明を省く)ロクロ成形は電動ロクロを廻しながら、水ですべりを良くし目的の形に成形する。
 H19年:鉄釉(てつゆう)(つぼ) 高さ:30cm
             直径:16cm
 そして、壷とか、皿とか大きな器のような作品一ヶを作る場合に、必要な量の粘土で作る “一個引き“ と、茶碗とか湯呑、徳利、ぐい呑みのような小さな作品を数多く作る場合は、3Kg前後の粘土をロクロに設置、上から順番に作品作成に応じた量を判断しながら成形。その都度、タコイトを40センチほどに切った、シッピキという糸を使い切り離していく “数引き” とがある。
 手びねりの場合は、粘土を紐状にして積重ねていくので、丸くない歪な物や、超大物にむいているが製作に時間が掛かる。そして紐状粘土の接着部分を良く均して、必要な水分を使い平にする事と、その部分の接着に気をつけて、乾燥時にヒビが行かないように注意する事が大事である。又、乾燥の段階でどうしても歪が出たりするが、その為、緻密な乾燥管理が必要である。そしてその後、作品の大きさにもよるが、大体1~3日後、ある程度乾いてから底の“高台”を削って成形が完了する。
「素焼」
 成形完了後、大きさにもよるが、3~7日して完全乾燥後 素焼(月1回・年12回)となる。素焼は本焼と同じ電気窯を使用、最高温度750℃、焼成時間8時間。
土が石になり元には戻らない。焼成日は通常土曜日。窯出は3日後の火曜日。
「釉掛」 
 素焼完了後、各自、備え付けの釉薬(12種類ある)を掛けて本焼(月2回・年24回)となる。釉薬掛けは、自前で購入した釉薬を使用しても良い。
 釉掛は、直接、作品を釉薬容器に浸す「ズブ掛」と、柄杓などで「流し掛け」する方法と、霧吹を使う「吹き付け」等の方法があるが、全体として、いかに釉薬を均等に所定の厚さに掛けるかが、最大のポイントである。
「本焼」
 通常、素焼1回に付き、本焼は2回予定している。素焼は重ねて焼く事が出来るが、釉薬を掛けた本焼の場合はそれが出来ない。焼成日は素焼と同じく土曜日。窯出は3日後の火曜日。本焼温度は最高1240℃。本焼時間は15時間30分。酸化焼成である。
 本焼の窯出日は、その日の作業日の班員だけでなく、他班のメンバーも出てくる。クラブ員、全てが楽しみにしている最大のイベントでもある。
 小生、初心者の頃、出来上がった作品を手にとって見て、感じたことは、作品の寸法があまりにも小さくなっていることである。それは、収縮率の関係で、生の粘土から乾燥して約7%、本焼後にさらに約7%、トータルで寸法は約85%になると言う事で、これが粘土の最大の特徴であり、欠点でもあると言えよう。今後はその事を頭に入れながら、作陶時に寸法を決めなければならない。
 クラブに入って1年目だったか、自分の晩酌用の「ぐい呑み」を造るつもりが、出来上がって見るとあまりにも小さく、結局 ぐい呑みとして使うのは諦め、“楊枝入れ” として今も使っている。
 さて、本焼後の窯出が済み、各自、自分の作品を手にして良く出来た人、そうでない人、悲喜こもごもである。そうでない人からは、よくその原因を小生に訊ねられるが、その答えは難しい。成形段階でいかに丁寧に仕上たかどうか、釉掛で手際良く、釉薬を均等に掛けたかどうか。いつもその場に居合わせている訳ではないので答えに窮する事が多い。
 又、いい加減で、雑に造る人の作品が、本焼窯出後、たまに、素晴らしい出来の場合がある。これが陶芸というものかもしれない。
H19年:黒釉(くろゆう)白流(しろなが)し徳利と
ぐい呑み
「個人の必要経費」
 個人の必要経費としては、当初の入会金5,000円 、 道具代4,000円~5,000円、年会費14,000円 、粘土代はそれぞれ造る作品の種類、作品数によって違うが、茶碗一個造るのに要する粘土の量を、約350gとすると、0.35Kg×150円=52.5円 程度。 (釉薬作成、素焼、本焼経費は全て年会費に含まれている。電気代は市の負担。)
「作品展」
 年1回、10月頃「福祉センター」文化祭が2日間あり、他のクラブの作品展や、催し物があるが、陶芸クラブも協力して文化祭に花を添えている。
 他に、大体10月~12月に1週間の予定で他の施設を利用して作品展を開催するが、強制的に全員に1人3点出展のノルマが与えられる。
 これがクラブのメンバーの最大のプレッシャーになるらしく、2~3ヶ月前から、日頃怠けている人も必死に作陶に取り組む。しかし、これは高齢者達にとって生き生きしていると感じられる数ヶ月である。
「講師としての小生の役目」であるが、大まかには下記の通りである。
  • 全般的には手びねり、ロクロによる作陶及び釉掛の指導。
  • D班(新入会員)の1年間の「手びねり」による技術研修を副講師と共に、月2回(年24回)おこなう。
  • 入部2年目以降で希望者による1年毎のロクロ研修班(1班6名で2班ある)を副講師と1班ずつ受け持ち、月2回(年24回)基礎から指導。
  • 焼成後、良く出来上がった作品の選別・講評。
  • 1年間の全作業・行事の年間スケジュールの作成等々である。
 
最後に : この我等の陶芸クラブがこれほど充実し、発展してこられたのは、37年前(1979年)。
創部に努力され、その発展に尽力された先輩諸氏のお陰であり、それに協力賜った「船橋市役所 高齢者福祉課」のご理解のお陰である。

(次号につづく)

 H23年:和紙(わし)(ぞめ)螺旋(らせん)(もん)(つぼ)
高さ:30cm 直径:20cm

H21年:白釉瑠(しろゆうる)璃流(りなが
浅鉢セット(大小)




 H20年:和紙(緑釉(りょくゆう)片口(かたくち)(はち()
直径:18cm
H21年:黒釉(くろゆう)白流(しろなが(し抹茶茶碗

【此花市岡会】「お花見」のご報告(写真)

去る4月10日(日)に催したお花見のスナップ写真をご披露致しますので、お楽しみ下さい。
 
(さらに…)

「12期の広場 」4月号のラインアップ

 4月です。いよいよ春本番です。
 今月号の上原さんの絵手紙も「蓮華草の花と蝶々」で、そこに「春が来た、野にも山にも、心にも」とあります。長くわすれていた唱歌『春が来た』そのものずばりです。嬉しくなって思わず口ずさんでしまいますね。蝶々は「もん黄蝶」、蓮華草は「亡き母と摘み草に行った時の思い出の花」だそうです。
 桜前線も北上中です。薄紅いろの桜が時とともに日本列島を染め上げる様子は、想像するだけですが、美しさをこえて壮麗でさえあり、それに寄せる人々の想いもそれぞれに格別なものであることでしょう。
 関西の同窓生は10日(日曜日)、『市岡の森』がある舞洲での「此花市岡会のお花見」に集います。この数日の冷え込みのせいで満開の時期がずれて、今年は爛漫の桜が楽しめそうと期待しています。また花見の後、同窓会幹事会が開かれ、10月16日(日曜日)に予定されている12期同窓会の具体的な準備が始まります。
 
 『 いのちふたつの 中に咲きたる さくらかな 』
        ( 『のざらし紀行』:松尾芭蕉 )
 
 現代国語を教えて頂いた田中順三先生が、この句を何回か前の同窓会の御挨拶で引用されました。この句は芭蕉が同郷(伊賀上野)の旧友で弟子でもある服部土芳と、滋賀県の水口宿で20年振りの再会を果したときに詠んだものです。田中先生はこの句を通して、同窓会に集う私たちの縁の奥深さとその得難さについてお話しされたように記憶しています。
 今年、私たちの多くは『後期高齢者』に仲間入りしますが、齢をかさねるごとに元気に学友と再会できる喜びは大きくなります。幹事一同、この桜に思いを寄せて、今秋の同窓会に一人でも多くの学友が集えるようにしっかり準備したいと考えています。
 
 さてわが「12期の広場」今月号のラインアップは、次の通りです。
 母校の伝統的恒例行事である「豚汁会」について末廣訂君がその報告と感想を書いてくれました。次に今月号から『趣味のギャラリー』のコラムを設け、その第1弾として山田正敏君の「陶芸について」を連載致します。『趣味のギャラリー』は絵、書、写真、手芸、俳句などなど、皆さんの趣味を紹介する欄にしたいと考えています。幅広い投稿をお待ちいたします。
 お楽しみ下さい。
 
1.  「久しぶりに豚汁会に参加して」              8組  末廣 訂
2.  『趣味のギャラリー』-「陶芸について ①」       8組  山田 正敏
以 上

『豚汁会』に久しぶりに参加して

8組  末廣 訂
 
 3月6日の日曜日、久しぶりに「豚汁会」に参加しようと心と体の準備をした。
 というのは、昨年の春に2回目の脊柱管狭窄症の手術をし、また8月末に左肩の腱板断裂で手術をして、3週間入院した。ところが9月に退院したものの、肩に固定ギブスがあり、不自由な毎日が1カ月ほど続き歩行が困難になってしまった。
左奥二人目が川村君です。
 その間、あらゆる治療をするも、回復のきざしなく年が開けてしまい、最近やっと杖をついて歩けるところまできた。
 数年ぶりの豚汁会、久しぶりに地下鉄弁天町に降りたが、出口をどう間違えたのか市岡への道筋がわからず足が痛いのでタクシーに乗った。ところが運転手曰く「市岡高校という名前は初めて聞く学校や」と途中車を止めて、大きな地図を出し調べ始めたのには大変驚いた。
 幸い5分前に会場につき、受付名簿を見ると、いつもと違って参加者が少なく30余名でしかも旧制中学OBは1名の参加しかなく、寂しい感じがした。
左から古藤さん、上野君、酒井君、
武田君です。
 我が12期生はそのうち女性1人を含む9名が参加して、1テーブルを独占している。久しぶりに参加したので、お互いの近況など話した。
 はじめに同窓会長の8期生佐藤会長から挨拶と学校の近況報告があった。冒頭黒板に書かれていた数字(320-289)の説明があり、市岡の受験者数が定員に31名足らないので、学校長は各中学校に受験の勧誘に奔走しているという大変ショッキングな話と、もし3年連続定員未達の場合は、廃校または他校と合併することが考えられるという話があった。
(残念ながら、最終5名の定員未達となった)
左から田端君、末廣君、岸川君、
塩野君です。
 今年の大阪府の高校入試は大きく変わり、学区はなくなり府下どこの高校へも志望校選択ができ、しかも受験のチャンスは今までの前期、後期がなくなり1回しかできなくなった。
 そのような中で、人気校は高い倍率で特に旧制中学校では天王寺高校(文理学)募集360名に対し応募468名、四條畷高校360名に556名、高津高校360名に543名と、旧制中学校で定員割れは市岡のみ。また普通科単位制導入の4校のうち、未達校は市岡だけである。市岡の進学内容や部活について最近の風評をネットで見ると、読むにたえない書き込みがあり、気分が悪くなってくる。母校の伝統の重みがここまで落ち込んでしまったということを考えると大変残念である。
 学校はじめ、OBや府教育委員会の心ある対応を願うばかりである。
 10数年前の豚汁会には学校長も出席して、学校の現況、進学内容の報告もあったが、昨今そのような式次第もなく、同窓会長の司会進行で参加者1人1人に近況報告の機会があったあと、OBによる吹奏楽部の演奏がはじまった。60期代の若い演奏者にまじわって、18期生2名が演奏に加わっていたのが心強く思った。演奏はふるさとや春の小川、NHKの朝のドラマのテーマ曲があり、校歌は3番まで全員で合唱した。
吹奏楽部OB・OGバンドの演奏です。
 今年から食堂の委託業者が変わったので、豚汁の味見を事前にしてくれたようで、いつものように美味しくいただいた豚汁であったが、今後とも市岡の伝統の重みを本当に大切にしたい気持ちを持ったのは私1人ではなかったような気がした豚汁会であった。
 1度も豚汁会に参加したことがないOBの方に、お互い誘い合って縦の同窓会・市岡の伝統の一部を味わってみるのもよいのではないでしょうか。
 我々12期はそのあと古藤さんの案内で近くの喫茶店へ全員行き、4月10日の舞洲の花見会、10月16日の12期同窓会の話で盛り上がり散会した。
 今回参加した12期生は 酒井、古藤、川村、武田、上野、岸川、塩野、田端、末廣の9名です。

『趣味のギャラリー』―「陶芸について (1)」

8組   山田 正敏
 
 昭和39年 大学卒業以来38年間、61歳でサラリーマン生活を卒業。その後の勤めについては一切考えず、生活については退職金、年金と僅かの蓄えで何とかなるだろう位の考えでいた。 問題は、仕事を離れた人生に於ける“暇”というものを、如何に潰し、残りの人生を楽しむかである。 就職するまで、高校、大学と懸命に励んだ「剣道」。その後40年近く止めていたが、その再開と「ゴルフ」、「海釣り」、「囲碁」、友人達との月1~2回の「飲み会」 等々、これで まあ何とか“暇”潰しは出来るだろうと考えていた。
平成15年頃の作品
タタラ作り長皿
 しかし、「剣道」は近くの剣友会に入会したものの、初日早々左足ふくらはぎ肉離れでダウン。2週間程度トレーニングを積んでの事であったがあまりの体力の衰えに愕然。そして再開を断念。「海釣り」は師匠としていつも同行させてもらっていた友人を交通事故で失い断念。
 結局 「囲碁」と 「飲み会」 だけで残り人生を楽しむには何となく寂しい気がしていた。
 「陶芸」 については小生なんら経験が無く、興味も無かったが、毎年、5月と11月に栃木県・益子市で「陶器市」が開催され、陶器の鑑賞を大いに趣味とする、我が女房殿のアッシーとして、50歳ぐらいから車の運転手を務め、ほとんど毎年のように年2回、陶器市に行くようになった。其処で、プロの作品を見たり、作陶の実演を見学したりする内、なんとなくやってみたい、又、自分にも出来るかもしれないと言う気になってきたのかもしれない。
平成17年頃の作品
タタラ作り花器φ24cm
 昭和50年、34歳で大阪から東京に転勤して以来、千葉県船橋市の夏見台団地という690戸の団地に住まいしているが、その東側に隣接して市の 「中央老人福祉センター」 がある。その「センター」には 書道・華道・水墨・詩吟・コーラス・カラオケ・茶道・日本舞踊・等々22のクラブがあり、その1つに陶芸クラブがある。そこに入会できる条件は船橋市民である事、4月1日付で満60歳以上である事の2点だけである。そこで平成14年4月入会。
 当時陶芸クラブの部員は104名だったと記憶している。
 この陶芸クラブに入って思ったことは、現在、小生の付き合いする仲間は、市岡の同期、大学土木科同期で関東に住まいする一部の仲間達、大学剣道部の仲間達であるが、おそらく、この陶芸クラブのメンバーが人生最後の仲間達になるであろうという事を感じている。
平成17年頃の作品
黄瀬戸釉皿φ23cm
 メンバーの年令は60歳~90歳前後、気の合う人、合わない人、耳の遠い人、足腰の不自由な人、月に何日も医者通いしている人、在籍中に亡くなる人、小生のこれからの人生が全て詰まっているような気がする。
 このクラブのシステムは未経験の新入会員は、1年間講師の指導のもと手びねりによる研修を受けることになっている。研修は、当時、月2回の金曜日であったが、やればやるほど面白く、やりかけの作品を自宅に持ち帰り、毎日毎日、女房殿があきれるほど、夜遅くまで土と格闘したものである。そして2年目以降は教室で、手びねりによる自主制作を先輩たちの指導を受けて、作陶する。
 当時、電動ロクロは3台しかなく、一部の先輩達が使う為、我々は手びねりのみの自主制作による作陶ではあったが、慣れてくると、益々のめり込み、他に用事が無い限り、センター作業室や自宅の一室を工房とし、のめり込んだ。
平成18年頃の作品
飛び鉋文茶碗
 さすがに女房殿も「電動ロクロ」を買うことを勧めてくれるようになる。金額は10万円を少し超えたが、センターで使用しているものと同じものを買い、益々の上達を確信していたが、これがなかなか思うようにいかない。
 先輩で上級者と思われる人の作陶を、一心不乱に見学させてもらったり、又、船橋の東武百貨店や東京三越百貨店で陶器市をやる時、たいがいプロによるロクロの実演がある。11時頃から昼食をはさんで1時から3時頃まで色々な作品の製作(水引きと言う)について、初めから終わるまで見学させてもらった事が、小生のロクロ上達にずいぶんと役に立ったと思っている。あまりに熱心に見学しているのでけっこう顔見知りになり、「何でも判らんことがあれば聞きなさい」と言って貰った時はさすがに嬉しくて、色々質問させて頂いた事を思い出す。
平成19年頃の作品  三島手茶碗
 見よう見まね、悪戦苦闘の毎日であったが、入会後8年、当時講師をしておられた先生が、高齢を理由で引退される事になって、その後任に部員の総意により、小生が選出され、福祉センター及び船橋市の同意を得て講師に就任。今年3月で満6年になる。技術的にはまだまだと自覚しているが、クラブ全員の技術アップの為、小生の益々の技術アップの為、精進し、もう一年講師を続け、後進に道を譲るつもりでいる。
 
(次号につづく)

2016年春「バレーボールを楽しむ会」の写真です


2016年3月26日(土)、母校で「バレーボールを楽しむ会」が開かれました。練習風景 をスナップ撮影しましたのでお楽しみください。

(さらに…)