12期の広場

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『12期の広場』10月号のラインアップ

 10月です。今月は私たち12期生の同窓会の月です。

 全国各地の学友から出欠返信書が返ってきており、そこになつかしく、心温まる近況とメッセージがしたためられていました。特に1年次の社会科の夏休みの宿題を受け取られた同窓生からの返信書は、青天の霹靂とばかりの驚きと喜び、感謝の言葉があふれるばかりでした。

 「タイムカプセルが開いた」、「一気のタイムスリップ」などの言葉とともに、「セピア色の読書感想文と15歳の私との再会は驚きでした。」とありました。いずれも味わい深い言葉です。

 そうですね、セピア色は半世紀を越える長い歳月の証し、そして感想文は「15歳の私」の実像の一端を鮮やかに結ばせたようです。筆者は2年前に読書感想文を手にしました。ろくに本も読まずに読書感想文を一夜付けした記憶がよみがえり、不真面目さだけの後悔が強かったのですが、それでもそれがまぎれもない15歳の自分であったと思います。

 古希を越え、残された時間の限りに戸惑ってばかりの今、こんなに新鮮で驚きに満ちた感動を味わう事ができたことは実に稀有なことと言わざるを得ません。そしてまたそこから、自分自身の人生とそれにまつわるたくさんの物語を思い出しました。前回の同窓会で読書感想文を胸に抱くように「一生の宝物」と涙した同窓生の姿が忘れられません。

 「15歳の私をお返しい頂きありがとうございました」。全くの同感です。

 読書感想文を今日まで保管して頂いた北村先生はじめ多くのすばらしい先生方との出会いは、まさに得難い幸運であったとしか言いようがないでしょう。恩師という言葉を今更ながらにかみしめています。

 19日は第11回目の同窓会。恩師の先生方、多くの同窓生との再会があります。存分に楽しみたいと思います。そして今を生きる学友の姿から様々な糧と元気を得てふたたび新しい「15歳の私」に出会いたいと思っています。

 今秋は例年にくらべて意外なほどの速足のようです。我が家の庭の柿の木はすでに紅葉がさかり。窓から差し込む日差しの長さもどんどん短くなり、黄昏は文字通りのつるべ落としです。

 すがすがしい秋空の下に集う今回の同窓会は、そのどの同窓会よりもきっと格別なものになることでしょう。

    「鮮やかに 十八歳は 甦る プール藤棚 ファイヤーストーム」( 北浦 昌子 )

 さて「12期の広場」10月号のラインナップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
 

  1. 「 近況短信 」- 同窓会出欠返信書から -
  2. 「 前回同窓会の写真あれこれ 」
  3. 「 社会宿題ー読書感想文 」
  4. 「 古荘さんの里帰り歓迎会 」
以上

“『12期の広場』10月号のラインアップ” への3件のフィードバック

  1. 6組 佐藤裕久 says:

    小生(6組 佐藤裕久)、都合により残念ながら、今回の同窓会には出られませんが、同期の方々に教えてもらいたいことがあり、この欄をお借りしました。
    高1か高2の時の行事:御嶽登山に参加しました。今、あの御嶽山が噴火していて、火山災害で戦後最悪の犠牲者が出ていることはご存知のことと思います。
    当時、いわゆる山岳信仰の登山が多く、大半の登山客は杖に白装束姿で「六根清浄 御山快晴」と唱えながら登山していました。
    頂上付近では赤塗りの鳥居はみましたが、雲の中だったようで、素晴らしい青空や風景の記憶はありません。
    生物担当の水野先生や平賀先生による登山準備説明会では、「海抜3千米級の登山では、高山病に罹る恐れもあるが、高山植物の王様: コマクサを見つけることもある。また、我々の登るルートでは、落石事故に注意する必要があり、自分や他人の踏んだ石が落転石となるころに気付いたときには、『落石!』と大声で叫ぶように。」とか、諸注意があった。
    なお、登山に際して歌う歌曲として、シューベルトの「鱒」を原語: ドイツ語で歌えるように、水野先生から歌詞も丁寧に教えてもらった。
    記憶が定かではありませんが、20名前後?の団体だったと思うのですが、どなたか、当時の御嶽登山を憶えておられる方はいらっしゃいませんか?

  2. 張 志朗 says:

    佐藤裕久様
    ご無沙汰いたしております。お元気でお過ごしのこと、嬉しく思っています。また貴方が今回同窓会には出られないとのこと、残念ですが、いつかまたお会いして色々お話したいと考えております。19日の同窓会は前回を上回る学友が出席されるようです。北村先生の夏休みの宿題返却のこともあって大いに盛り上がることでしょう。「12期の広場」で出来るだけ詳しく報告いたしますので、楽しみにしてください。
    さて御嶽山の登山のこと、何人かに聞いてみましたが、分かりませんでした。そこで100周年記念誌の年表を調べてみました。在学時の夏山登山の記録が2件ありました。1件は1959年8月5日燕岳、槍ヶ岳で8月10日までとあります。これは私たちが3年の時ですね。あと1件が御嶽山登山です。1年生であった1957年8月2日~7日だったようです。(どういう訳か、1958年の記録がありません。)これについて年表に書かれた記録をそのまま下に書きます。
    「御嶽山方面の採集班午後1時校門前よりバス貸切にて大阪駅に向かって出発」これだけです。
    採集班とありますから、これが貴方の行かれた登山に間違いないと思います。別項に「臨海訓練・夏山登山教室」があったのでこれも読んでみましたが、燕岳、剣岳、奥穂高などの記載はありましたが、御嶽山の記載はありません。当時夏休みが近づいた頃に職員室の廊下の壁に「夏休み登山教室参加者募集」の貼り紙をして参加者数限定で行われたようです。貴方の参加された御嶽山登山は生物の先生方のお名前から推察して、生物部関連で記録があるかもしれませんね。折をみて100周年記念誌を調べてみます。また今回の同窓会で生物部の人に聞いて置きます。
    それにしても今回の事故は大変な事故で、災害にあわれた方はじめ、ご家族のことを思うと心が痛みます。

  3. 6組 佐藤裕久 says:

    張 志朗 様
    こちらこそ、ご無沙汰しております。
    御嶽山登山の件、貴兄にはいろいろとご多忙にもかかわらず、懇切丁寧に調べて頂き、有難うございました。
    お陰様で、件の登山日程が1957(昭和32)年8月2日〜7日であったとのことですので、我々が1年生の時に御嶽山登山に出かけたことがハッキリと分かりました。
    どうも有難うございました。
    最後になりましたが、盛会の予想される来週19日同窓会がより一層楽しい会合となることを祈念しております。

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