お知らせ

0年

ブータン紀行(序)

5組   泉 信也
 

 ちょうど10年前の9・11のテロの記憶は未だに新しく、今また3・11の東北大震災、津波、フクシマの三重苦に遭遇し、人々の価値観や考え方が大きく揺らいでいます。そんな中ヒマラヤの小国「ブータン」の国王が提唱した「国民総幸福量・GNH」と云う概念が、これからの我々の進むべき方向を考える議論の中でひとつの話題になっています。

 世界中がGNPを追い求める中で、GNH(Gross National Happiness)の増進を国是としたのは、ブータンという国がおかれた地政学的な状況の中での智慧の発露と云うべきものかもしれません。
GNPが個人消費や設備投資などから成り立つように、GNHには1心理的幸福、2健康、3教育、4文化、5環境、6コミュニティ、7良い統治、8生活水準、9自分の時間の使い方 の九つの構成要素があります。(Wikipedia)
ブータン国立研究所長のカルマ・ウラは次のように述べています。
「経済成長率が高い国や医療が高度な国、所得や消費が多い国の人々は本当に幸せだろうか。先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか。他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは人間が安心して暮らしてゆく上で欠かせない要素だ。GNPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないか。」(日経インタビュー)
経済がグローバル化し、文化が画一化する現代の文明社会にあってこんなブータンの存在は奇跡と云えるかもしれません。人口67万人、九州ほどの狭い国土のほとんどが山岳地帯で、水(水力発電)以外に資源と呼べるほどのものはありません。インドと中国という大国にはさまれながらも、1000年以上も孤高を保ってきたのは永く鎖国を続け、チベット仏教に深く帰依し、伝統文化を守ってきたからにほかなりません。「足ることを知る」人々は謙虚で優しく、壮大なヒマラヤの景観と手つかずの自然と人が織りなすブータンの心象風景はまさに「最後の理想郷」です。

 縁あって2006年春にそのブータンの峠道を歩いてきました。スノーマントレックと呼ばれる長い行程の一部で、山の民が家畜とともに行き来したり、チベットとの交易に使われる生活道を辿る120キロの道のりです。1日の行程が長く4000メートル以上の峠を越える日もあって苦労しましたが、7000メートルの峰々が続くブータンヒマラヤの神々の座に対峙できたことは、振り返ると夢のようです。 

 いささか旧聞に属しますが、次回に山旅の雰囲気や山の民の生活の様子をお伝えしたいと思い、今号ではブータンの最高峰「チョモラリ・7315メートル」の写真を添えてご案内といたします。


尼崎道意新田開発と海老江村

8組 末廣 訂

 先般の6月号に続いて我が故郷「海老江」に関する歴史物語を披露したく再度投稿します。

思いもかけないきっかけ

 我が家の近所に小さな祠「たかの巳社」があり石碑も建っていて、この祠が何か歴史的史実があるのか以前から不思議に思っていた。「巳さん」を祀っている事は知っていたが、「たか」とは何かもう1つよくわからなかった。

 もう5~6年前になるが市岡高校同期の川村浩一君から「末廣君知っているか–阪神電車尼崎センタープール駅前にある道意神社境内に説明板があり、海老江の人が新田を開いたと書いていたで—-」と教えてくれた。
 



(さらに…)

-お知らせ-松永康雄君がおなくなりになりました。

 市岡高校東京12期会から松永康雄君の訃報の連絡がありました。以下にそのメ-ルの要旨を掲載すると同時に、謹んでご冥福をお祈り申しあげます。

- 大阪府立市岡高等学校第12期同窓会 幹事会 -

 7組の松永康雄君が今年2月20日に亡くなりました。我々(榎本、山田)がそれを知り得た のは9月20日受取の興梠君からのハガキによるものです。

 興梠君は松永君と5月GWに登山の計画があり、その打合せで事前に松永宅に連絡した折、奥様の話で彼の逝去を知ったようです。その時の奥様のお話では、「亡くなる前に故人は、迷惑を掛けたくないので友人知人には一切連絡しないでほしい。家族だけに看取られて静かに、安らかに逝きたいという故人の強い希望でしたので皆さんどなたにも連絡しなかった」というものでした。その為、興梠君も我々同期の誰にも連絡せずに今に至り、11月の同期会の出欠の返事に合わせて連絡をくれたものです。

 7ヶ月たった今、我々はどう対処するかという事ですが、榎本、山田 相談の結果、榎本は故人と市岡高校山岳スキー部で一緒、山田は高校、大学(立命館大学理工学部土木科)共一緒という共通点で、2人だけでお参りだけでも行こうじゃないかということで、9月23日(金)奥様に電話した上で平塚のご自宅に行ってまいりました。そういう事情をご考慮願い、皆様に声をかけなかった事をお許し願いたい。

 故人は若いときから腎臓を患い、35年前から腎臓透析を続けておりましたが、その間、色々な病を併発しながらも自分の寿命の長くない事を知りつつ、奥様とご一緒に日本や世界の山々を登ったそうです。昨年10月頃から体調を崩し、又今年になって肺炎を併発して入院、2月20日ご家族に見守られ亡くなりました。最後の一週間はしゃべる事も出来なかったようですが、彼らしい安らかな最後だったそうです。

 故人の人柄は我々2人だけで無くご存知だとは思いますが、強い責任感、人を思いやる優しさ、どれだけ困っても弱音をはかない人柄で真の男だと思います。

 惜しい友人を失いました。   祈 ご冥福。


8組 山田 正敏 記

「12期の広場」10月号のラインアップ

 秋ですね。先頃までの酷暑が嘘のようで、朝夕は一重、余分に着込んでしまいます。

 「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったものだと思います。

 しかし、3.11の大地震や大津波、原発事故に二度の台風被害と連続する災害に不安と心配ばかりが大きくなります。この先、どうなっていくのかと考え込んでしまいますね。


さて10月号のラインアップです。( 敬称は省略します。 )

  1. 第5回市岡高校東京12期会のご案内」   5組  泉 信也
  2. 私の一時帰国」                   5組  山本(古荘)久美子
  3. Let’s 絆」                     7組  柏木 赫子
  4. -私の散歩道-「偶然見つけた新コ-ス」   6組  佐藤 裕久
  5. 明日からスウェ-デンです」          5組  段中 文子

第5回「市岡高校東京12期会」のご案内

市岡高校東京12期会 会長  泉 信也

 当初本年5月10日~11日に、一泊の予定で有志の方々に集まっていただき、「利根川 川上り踏破」の報告会を兼ねた小旅行を、群馬県水上市で挙行する事を計画していました。

 3月11日、案内状発送準備の段階で東日本大震災発生!テレビ画面を見て愕然。
震度7強の揺れとその後の大津波によるスザマシイ被害状況の増大!いくつもの町が壊滅、2万人を超す死者や安否不明者の数、ライフラインの寸断壊滅、そして福島第1原発の水素爆発、炉心溶融の危機、等々まさに日本沈没を画面で見て遊興気分は吹っ飛びました。この時期このようなことをしていていいのだろうかと幹事一同に相談、結果、当日は我々「川上り」メンバー6人だけで最終行程の「八木沢ダム」まで行き、「利根川 川上り踏破」を成し遂げようという事になり、皆さんに集まっていただく当初計画の小旅行は中止した経緯があります。 

 尚我々はさらに、10月18日~20日の2泊3日で利根川源流碑がある大水上山に新潟県側から登山、頂上を目指す予定です。(当初は、群馬県の「八木沢ダム」から大水上山へは通行不可の為、「ダム」を最終地点としていた。)

 さて、大震災以来半年、いまだその後遺症も癒されず、復旧・復興もこれからという時期ではありますが、12期会のほとんどの人が古希を迎える今年、あえて恒例の第5回「市岡高校東京12期会」を下記の通り計画しました。

 今回は、「会長の交代の件」の審議、「利根川 川上り」の最終報告 等があります。どうか万障お繰り合わせの上、ご参加いただきますようご案内申し上げます。

1.日 時: 平成23年11月19日(土) PM 1時~3時30分 
2.会 場: 三笠会館本館」6F (中央区銀座5-5-17 TEL 03-3571-8181)
※地下鉄 銀座線・丸の内線・日比谷線の「銀座駅」下車B5出口上がりすぐ
※JR山手線 有楽町駅 下車徒歩5分
3.会 費: @7,000円(通信経費含む)
4.議 事: 役員の一部変更の件と承認の件
5.その他: 食事歓談の中で「川上り」の最終報告があります。
終了後、有志による2次会を予定しています。
6.出欠の返事: 出欠のご返事は10月20日(木)迄に下記までお願いします。
ハガキ、TEL、FAX、携帯メール、電子メール
いずれでも結構です。
連絡先 : (事務局) 山田 正敏 (8組)
以上

追記:関西からの参加希望者は10月20日までに張 志朗(7組)に連絡をお願いします。
(ハガキ、TEL、FAX、携帯メール、電子 メールいずれでも結構です。)

私の一時帰国

5組 山本(古荘)久美子

 カナダに移住して36年、カナダでの歳月が、生まれ育った日本での歳月を越えてしまいました。 初めの頃は日本の美味しい食べ物と美しい景色に惹かれての帰国でしたが、年齢と共に日本への郷愁の念が深まっています。それに加えてここ数年はもう一つの楽しみが加わりました。以前から交流のあった 後藤さん、津田さんを通じて 同窓生の皆さんと会えるようになったことです。 36 年のブランクで日本人にもカナダ人にもなりきれない私を 毎年歓迎して下さる皆さんの変わらぬ友情に感謝しています。

 この夏の一時帰国は 少し不安と怖さがありました。 3月11日の東日本大震災以来、原発、猛暑、大雨、台風が 続けざまに日本を襲ったことです。 未曾有の災害で被災された方々に対し のんびりと日本旅行なんかしても良いのか。 自粛すべきではないか。 日本滞在中に大地震に巻き込まれる可能性もあるのではないか。等々。

 そんな気持ちのまま日本に着くと すぐに一週間の小旅行に出かけました。
毎年感じることですが、日本 特に大都市の目まぐるしい変わりようには 目を見張るものがあります。 新幹線という大動脈を軸として巨大化する大都市と 忘れられたように過疎化していく地方都市とのギャップ。 特に今回 東京、京都、大阪、福岡に行った印象として “駅”と言う概念から大きく逸脱した、それ自身 巨大都市と化した“駅”には驚きとショックを受けました。

昔の日本を懐かしむ私には、時代の流れとは言え 寂しいものを感じます。
これからの日本はどうなっていくのだろうと、 一抹の不安と期待を持って 自分自身と日本という国を見つめていくつもりです。



古荘さんを囲んでの食事会

Let’s 絆

7組 柏木 赫子

 台風12号が接近中の9月1日、カナダから帰省中の山本(古荘)久美子さんを囲んで木本(勝原)さん、古藤さん、川副君、酒井君、末廣君、田端君、張君そして柏木(後藤)の9名が梅田「がんこ」で一年振りに再会し、近況と某君達の「美人妻」、「初恋談義」に花を咲かせました。

 古荘さんがカナダに移住して36年! 彼女から「結婚・カナダ移住」の連絡を受けた時、「移住」と言うことに大きな衝撃を受けました。私はクラブ活動(茶道部、箏曲部)を通じて古荘さん、津田(現 倉森)さんと親交があり、在学中のハイキング、箏曲の演奏会、卒業記念旅行など楽しい思い出を共有しています。卒業後それぞれの道に進み、津田さんと私は子育ての真っ最中でしたが、古荘さんのカナダ出発の前には京都・大原に集い彼女の新しい旅立ちの幸せを祈って別れを惜しみました。

 その後数年を経て、カナダから一時帰国された折、大阪・難波で3人が再会し、夢中で時計の針を巻き戻すかのように近況を語り合いました。その再会以来、彼女がお里帰りされる度、「じゃあ-いつもの場所でネ。」と連絡を取り合い、昼食を共にしながら近況報告・・・という交流が続いてきました。

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-私の散歩道-偶然見つけた新コ-ス

6組 佐藤 裕久

 約一ヵ月前の8月18日、小生のTU勤務時代の佐藤裕久研究室・卒研生のKT氏ご一家が我が家を来訪した。既に50代後半?の彼は同期の3名と小生を含めた計4名の同期会の準備をするために、小生の様子が知りたかったらしい。

 その8/18にはKT氏と奥方、および、TU大学院在学中の次女の計3名を、小生が我が家近くにある、林道のしっかりしている青森営林局管轄・国有林・「治山の森」を案内した。

 我が家の近くには太白山(仙台市太白区は、この山の名前に由来する)があり、太白山遊歩道など、上り・下りは多少あるが、沢山の枝分かれした遊歩道があり、管理も行き届いている。これについては、案内の看板もしっかり管理されていて、誰にでも、分かると思われる。小生自身も、こちらにきて四半世紀を超えたが、住んだ当初から、太白山近辺に多くの散歩コースのあることを、何故か、知っていた。

 しかし、上述の「治山の森」コースは、今年になって、偶然知った散歩コースであり、いつか、この詳細をお知らせしたいが、今回は「治山の森」に至る、現役時代、全く気がつかなかった、山道を“「森林浴」を楽しみながら”10分あまり歩くと、その「治山の森」の入口の近くに出る『散歩コース』を、ご案内しましょう。

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明日からスウェ-デンです。

5組 段中 文子

 元気に船旅を続けています。二度目のお便りをいたします。

 コロンボ出航後、海ばかり見ていましたが、久しぶりの陸地、シナイ半島が見え始めると浅瀬の海は素晴らしいエメラルドグリ-ンに輝いています。

 8月13日 早朝 アカバ入港。

 アカバはヨルダンの南端で紅海に接し、エジプトとイスラエルの国境もすぐ近くです。

 アカバでは1日目にペトラ遺跡、2日目はワディラムを見物しました。紅い巨石に囲まれた狭い道をどんどん通り抜けた所に、突然現れる壮大な神殿のあるペトラ遺跡、そしてアラビアのロレンスの撮影場所にもなったワディラムをジ-プで走ると、砂漠の遊牧民のテントやラクダも見えます。暑いけれども湿気がないので日陰は案外涼しいです。

サラサラと手からこぼれ落ちる
赤い砂のワディラムの砂漠
8月16日早朝
スエズ運河に入る

 8月16日 ポ-トサイド(エジプト)に入港。

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私、今、ヨルダンのアカバです。

5組 段中 文子

 12期の皆様、毎日いかがお過ごしですか

 私はこの夏、台風が近づいていた7月19日に横浜を出航し、10月27日まで、101日間の地球一周の船旅にでました。船はピ-スボ-トのオセアニック号38,772トンです。

 豪華客船ではないので船賃も安く、船室は相部屋の一人旅です。西回りでベトナムから始まり、スエズ運河を通り、北欧、ロシアより大西洋、パナマ運河を抜けて横浜に戻るまで21カ国に寄港します。

 乗船者は1歳から92歳まで800人程で、男女 4:6位の構成です。他の客船と異なり、ポスタ-貼りなどのバイトで安く乗船出来る若者が多いのもこの船ならです。




サリーを着て船内のファッションショーに出演

 乗船前は「100日もの長旅なんて」と皆に言われたのに、レストランで同席したりして知り合った人の話を聞いているとリピ-タ-が多くて、「飛鳥」やその他の船に乗ったという人がいっぱいいるのには驚いてしまいました。

 年輩者も本当にお元気で積極的なので、この調子ならまだ当分私も大丈夫かなと安心したりしています。

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