お知らせ

0年

ブータン紀行 (2)

5組 泉 信也

 多難の年を越し、2012年が平穏な年であるよう祈ります。

 辰年の初めに「雷龍の国・ブータン」の山旅紀行を綴るのも、何かの縁を感じています。


トレッキング第四日:チョモラリBC(C3)

 今日も快晴。三角テントから顔を出すと真正面の「白い女神・チョモラリ」に朝日が射し、ヒマラヤ襞がモルゲンロートに染まってこの上ない美しさだ。それに比べて体調は最悪、高山病で脳がふくらんでいるのか頭痛と吐き気に悩まされ今日は休養日ということにする。

 相棒は前年のヒマラヤ経験から高所順応がうまくゆき、キャンプサイトから頂上につづく尾根歩きを試してみると云う。フラフラしながらも後を追って、ヤクの踏み跡を辿りながら4,769メートルの峠まで上がる。眼下にはエメラルドグリーンの氷河湖をのぞみ、絶景ポイントだ。すぐ先には雪をかぶった5,150メートルの小ピークが誘っているが、息切れで気力もわかずテントに戻ることにする。

 昼、夕とも食事をパスしてひたすら水を飲む。持参したパルスオキシメータで血中酸素飽和度を測ると70%台にまで落ちている。腹式呼吸を繰り返すと80%台には戻るがそれでも危険な値だ。アスピリンを一錠。2リットルのペットボトルにお湯を入れ、湯たんぽ代わりにして無理やり寝につく。


第五日:チョモラリBC-ヤクセ(C4)

 快晴、気温3度。テント内は霜に覆われている。 休養のお蔭で頭痛は軽減、コックが特別に作ってくれた赤米おかゆを何とか口にする。

 今日は行程中の最難所にさしかかるので気合いを入れて出発する。モレーン(氷河上に堆積する岩屑)の急斜面を喘ぎながら登り、U字型の氷河谷をひたすら奥に向かう。やがて勾配が緩くなると、幅広い谷底に細い流れが現れる。ヤク飼いの粗末な仮小屋が二連の氷河湖、ツォフ湖のそばに佇んでいる。
対岸にはヤクの群れがのんびりと草を食み、振り返れば起伏の大きなブータンヒマラヤの白い峰々が、コバルト色の空に映えてまさに桃源郷の趣だ。

 ふたたび登りがきつくなり、残雪が現れる。坂を上りきると氷河圏谷の底のような湿地帯。際限のない長い登りに、100メートル歩いては息を整えることを繰り返す。ルート中の最高点4,890メートルのポンテ・ラ(峠)への最後の登りは急な雪の壁で、見上げると雪庇が張り出している。何とか抜けられそうなポイントを見つけ、ステップを切って、やっとの思いでせり上がると眼前に峠の雪原が開ける。ガイドのリンジン君に記念写真を撮ってもらい、しばし最高点からの眺めを目に焼き付ける。ところが疲れと高山病のせいか、二人とも肝心の絶景写真を撮るところまで頭がまわらない。惜しいことをしたものだ。

 下りは南面で雪も少なく、難所を切り抜けた安心感で足も軽くなる。それでも勾配はきつく、ヨレヨレで膝が笑いだした頃にヤクセ(C4)にたどり着く。
テントに倒れこんだ途端、睡魔に襲われる。

 まわりの騒がしさに目を覚ますと、近くの集落の住民が我々の到着に気がついて集まってきたと云う。ヤクの乳で作った乾燥チーズや、ヤクの毛の編み物、雑多な飾り物、色鮮やかな手織りの布などを売り込もうと云う訳だ。山の民に英語は通じないが身振り手振りで値引き交渉を楽しみながら、珍しい手作りの土産物を調達できたのは幸いだ。夕食を前にこの旅では初めての雨が降り出す。ようやく少し食欲を取り戻す。
 

第六日:ヤクセ(C4)

 めずらしく昨夜はかなり遅くまで雨がテントを叩いていた。濡れたテントはバリバリに凍っているが、谷奥に朝日が届くころには柔らかく乾きはじめる。順調な天気のお蔭で日程に余裕ができたので、ここでもう一日停滞することにしておかゆ朝食のあとはまた寝袋にもぐりこむ。午前中は持参した本を読んだり、CDを聴いて贅沢な時間を過ごす。

 午後は馬方の案内で、右岸の山腹をしばらく上がったところにある集落まで散歩に出かける。集落と云っても斜面に二軒のみだが家族の数が多く、昨夕土産物を売りに来た女性の顔も見える。家の外には山から引いた共同水場があり、大量の薪が整然と積み上げられている。家は木造で古いがしっかりした作りで大家族用に大きい。それでも近々さらに家族が増えるとかで、自分たちの手で手際よく一部を二階家に改築中であった。

 暮らしぶりを尋ねると、三代六十年にわたり定住していると云うおばあさんと息子夫婦が我々を家に招き入れ、バター茶を振舞ってくれる。室内は薄暗いが、薪ストーブの暖かさと明るさが心地良い。ヤクと馬を五十頭ほど飼ってバター、チーズ、乾燥肉などを里に売りに行き米、野菜などの食料品と日用品を買って生活していると云う。子供たちは学齢になると下の部落に預けるようだ。

 山の民の暮らしは極めて質素だが、雄大な自然の中で心豊かに過ごしていることが良く分かる。お茶代をと云っても受け取らず、わずかに日本製の缶詰めや菓子を珍しがってくれただけだ。名残を惜しみながらテントサイトに戻る。

 夕食前のひと時、積み上げられた枯れ木に火がつけられる。谷を吹きあがってくる風で盛大な炎が上がり、思いがけずのボンファイヤー。どうやら焚火は禁止のようだが、頑張って峠を越えてきた旅人へのご褒美らしい。ドテラ姿の親方は恥ずかしがりでいくら囃しても歌わないが、若い馬子とコックが田舎の情景を詩にした民謡を遠慮がちに披露してくれる。我々も下手な安曇節を返す。

 満天の星につつまれ、久しぶりに寛いだ夜を過ごす。


第七日以降は次回(最終回)に続きます。

フランスに到着です

5組 段中 文子

 無事、戻ってきました。三度目のお便りが遅くなりましたが、スペインからの続きです。
 

 9月2日 ル・ア-ブル (フランス)入港

 この港からバスで3時間ほど走った所が、楽しみにしていた目的地のモン・サン・ミッシェルです。バスの車窓から見える風景は牧草地ばかりで、所々にトウモロコシ畑があり、羊や牛、馬が放牧されていたり、石造りの可愛い家が見えたりしてフランスのイメ-ジとは少し違う、のどかな田舎でした。

 世界遺産のモン・サン・ミッシェルは海の中に優雅な姿を見せていて、干潮と満潮の差が最大といわれる通り、行きは上の道から入り、帰る頃には海だった所が広い駐車場になっていてバスもそこに待機していました。

修道院の中には大きな暖炉がある。
 
モン・サン・ミシェル  バスが駐車している場所は、午前中は海の中だった。

 修道院として建てられた後に監獄としても使われた歴史もなるほどと思わせる頑丈な石造りで、段差の大きな階段がどこまでも続いています。海なかに見る外観は美しく、なるほど世界遺産だなと思うが、冷たい石の部屋を見ていると、冬の寒さはいかほどかと身ぶるいしてしまいます。


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明けましておめでとうございます。  12期生の皆様!

3組 黒田 昌男(札幌市)

 今回この「12期生の広場」に投稿させて頂く機会を得、皆様に北海道のお話ができ大変嬉しいです。北海道に来てもう10年になります。学生時代1ヵ月間の北海道周遊の旅で自然の雄大さの虜になり、それ以来その気持ちが途切れず、念願の北海道移住を果たしてしまいました。テレビドラマ「北の国から」世代の20~40代の若者、転勤族など移住する人、移住を希望する人達も多く、NPO開拓使の会で情報提供、仲間作りの支援などボランティア活動中です。僕が見た北海道の、札幌中心となりますが、年末・年始の風物詩を紹介しましょう。

札幌の年末一番の名物は、
大通り公園のイルミネーションですね。
真っ白な銀世界の中に40万個のイルミネーション。綺麗でしょう!今回のメインイルミネーションはクリスタルリバーと丹頂鶴です。幻想の世界に引き込まれたような素晴らしい光景です。正にホワイトクリスマスの最高のプレゼントです。師走の忙しさを忘れてついうっとりですね。

 昨年は初雪が観測史上3番目に遅く(温暖化の1つの兆候でしょう)やきもきしましたが、きっちりホワイトイルミネーションを演出してくれました。節電のため前年より10万個少ない電球。LEDへの変更で却って鮮やかな色彩です。海外からの観光客も多く大賑わいです。
大通り公園では、雪まつりから始まりライラック祭り、よさこいソーランまつり、ビアガーデン、盆踊り、札幌まつりなど年中イベントが行われています。正月が過ぎると雪まつりの雪像作りが始まります。これらの情報は次回に譲りましょう。

札幌のもう1つの名物は、

 市民に一番親しまれている藻岩山(もいわやま)でしょうね。ハイキングでも、ロープウエーでも、車でも登れ、531mの山頂からは札幌市内が一望、周辺の緑豊かな山々や遠く日本海まで望めるすばらしい眺望に1年中観光客に大人気のポイントです。10、11月は熊出没情報がありハイキングなど立ち入り禁止もありました。

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お正月郷土料理 「越後のっぺ」

6組 佐々木 康之(長岡市)

 昔から新潟に伝わる代表的なお正月料理といえば「越後のっぺ」だと思います。今から四十数年前、はるばる大阪から新潟にやってきて、ややホームシックになりかけていた時に初めて出会った、雪国ならではの暖かい家庭料理がこの「のっぺ」です。ごく一般的な野菜のゴッタ煮料理でありながら、なぜか懐かしいおふくろの味を思い出させてくれます。

 日本食生活全集によれば、この「のっぺ」は北海道から、宮崎まで四十数か所でつくられている全国区の料理だそうです。しかし、日本料理由来辞典には唯一「越後のっぺ」のみの記載があり、そこには「片栗粉を使わず、里芋のとろみを利用した粘りの少ないさらっとしていることや、塩鮭の切り身やトトマメ(鮭の卵)を入れるのが特徴である」としています。

 わが家の「のっぺ」には里芋、塩鮭のほかには大根、人参、ごぼう、こんにゃく、しいたけ、ぎんなん、ゆり根、貝柱などが入っています。この「のっぺ」は、正月だけでなく何か行事のある時は必ずといっていいほどよく作られよく食べられる料理ですから、主婦はわが家の味を出すのにいつも工夫しています。また、この「のっぺ」は煮物だけでなく、時には汁物(のっぺ汁)にも変身したり、祝い事のときには材料を短冊切りにし、不祝儀では乱切りや三角切りにしたり、さらには、入れる材料を変えたりすることもある大変フレキシブルな料理だといえます。今や私にとっては、第二の故郷新潟の味として熱帯アジア原産の里芋と故郷に帰ってきた鮭がこの「越後のっぺ」で出会った、北方と南方文化の接点で醸し出された素晴らしい郷土料理といっても自慢しすぎではないかとも思っています。

 是非、皆様も新潟の農村にでもお立ち寄りの際には、この「越後のっぺ」をご試食いただければ、私の熱い思いもわかっていただけるものと確信しております。

京都-師走、そして正月

8組 川村 浩一(京都市)


 あけましておめでとうございます。8組の川村です。

 昨年は大変な年でした。特に東北地方の大震災に遭われた方々はどのようにお正月を迎えられているのでしょうか?今年が平穏な一年であることを願わずにはいられません。年の暮れには京都東山の清水寺で「今年の漢字」が発表されます。昨年は「絆」でした。ことしはどんな漢字になるのでしょう。

 小生、京都に移り住んで32年になります。それで「京都の正月」を紹介せよということですが、1200年の厚みのある京都の諸行事を描ききることは不可能です。京都の旧家の正月もよく知りません。やむを得ず小生自身の師走から正月にかけての経験をご報告することにいたします。

 この投稿がホームページ上にアップされる元日未明には、たぶん小生は八坂神社の「をけら参り」で、東山あたりを歩きまわっていることでしょう。いつもは家で紅白を見ながら孫たちとゲームをしていますが、今年はこの記事のため初めての「をけら参り」をするつもりです。

去年今年貫く棒の如きもの 虚子

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お正月、ごく普通です

7組 田中 健治(大牟田市)

 お正月行事で、九州と大阪近辺で風習になっている『三社参り』で福岡県の有名な筥崎八幡宮-宮地嶽神社-太宰府天満宮のコ-スを一例に、紹介します。

 筥崎八幡宮は福岡市東区箱崎の箱崎海岸に近くにあり、応神天皇を主祭神とし、神功皇后と玉依姫命を配祀しています。本殿、拝殿は921年藤原真材により創建されました。神門に「敵国降伏」の扁額がありますが、これは元寇の際に亀山上皇が掲げられたもので、蒙古軍を撃退したとされる「神風」は、その「神徳」とされており、以来、海上交通、海外防護の神として信仰されています。

 お正月神事としては、12月31日の「大祓式」、「なまこ餅つき」に始まり、正月3日の「玉取祭」、11日の「聖一国師報賽式」が有名。神社前では「梅が枝餅」「回転饅頭」などが販売されています。


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「12期の広場」12月号のラインナップ

 この日を狙い打ちにしたかのような大雨となった11月19日(土)に「東京12期会」が銀座三笠会館にて行われました。12月号はこの特集といたしました。

 おりしもブータン国王夫妻が来日し、東京12期会・泉会長の「ブータン紀行」の連載と重なり話題性もあることから、特集の中に組み入れました。

 この大雨の中、大阪から酒井代表幹事と張志朗さん、高尾昌之さんも参加していただき、東京12期会はいつになく華やいだ中で進行して2年後の再会を約しました。

 12月号のラインナップは下記の二編です。お楽しみください。

 さて今年もあと30日、「12期の広場」も無事、12回の更新を重ねることができました。これは読者であり執筆者である12期生の皆さんのご協力の賜物と心から感謝いたしております。

 来年もさらに精進して、よりよい「12期の広場」を作っていきたいと考えていますので、引き続き暖かいご支援をお願いいたします。

  1.  「第5回東京12期会」           8組  山田正敏
  2.  「ブータン紀行」(1)            5組  泉 信也
以上

第5回 「市岡高校東京12期会」

<第5回 「市岡高校東京12期会」報告>
幹事 事務局長 8組 山田正敏

 本会も今回で丸8年、5回目を数える。そして全員が今年度古希を迎える。

 11月19日(土)午後1時から川合君の世話で今年も銀座の「三笠会館」に於いて挙行、出席者は女性6名、男性16名、計22名であった。

 榎本幹事長の開会の辞から始まり、今年2月に逝去した松永康雄君の為に全員30秒の黙祷。

 その後、本会会長・泉君の挨拶に続き、大阪より本会の為上京してくれた12期全体の会長・酒井君や張君より市岡高校110周年の集まりの報告や12期会の今後の方針等丁重なご挨拶を頂く。

 そして、榎本幹事長より会長人事につき、泉 現会長が12期全体のホームページ編集委員兼任という理由で退任、代わって大石橋君が引き継ぐという事に対して出席者の了解を求め、全員の了解を得る。新会長の挨拶をもらい、川合幹事に乾杯の音頭を取ってもらって食事歓談に入った。

 30分の歓談の後、恒例の出席者全員の近況報告を順番にしてもらった。
満身病で医者が見離したにもかかわらず、どういう訳か益々元気な村木君のユニークな話しぶり。広島から駆けつけてくれた辻君の再生医療の話。加古川からわざわざ来てくれた高尾君(8組)。同じく初参加で12年間土浦にいて、来年4月名古屋の実家に帰るのでこれが初めてで最後の参加ですといいながら楽しそうに話してくれた小野君(6組)。そしてやはり酒井、張両君の丁寧で真摯な話が会を盛り上げてくれた気がする。

初めて東京12期会に参加の酒井君(前列左)小野君(前列中央)高尾君(後列右端)

 結果的には最後になり、古希の祝いをするのであるが、たまたま高谷尚江(旧・富田)さんが本日誕生日だという事でそのお祝いもかねた形になった。彼女の嬉しそうな顔を見て、70歳になっても誕生日を喜ぶ女性の可愛さを感じた訳である。

 その段階では司会進行役(山田)はもはや役目を果たさず、ただひたすらに酒を愛でていただけである。本日の大事な報告事項である「利根川 川上り」の最終報告は、時間の関係で後日改めてという事にし、又、恒例の「校歌斉唱」は忘れてしまったのである。(反省)
ということで何とか終了した。大体こんなところが「東京12期会」である。

 2次会はいつものカラオケで17名が参加。歌を歌う為なのか酒を飲む為なのかわからない2次会であったが、わいわいがやがやで楽しく3時間近くを過ごした。

 残り少ない人生!理屈抜きで楽しむのがこの会の良いところでもある。

※尚末筆になりますが、酒井会長から今回の会に、祝い金を頂きました事を東京12期会の皆さんに報告致します。又、その使途につきましては、本会と2次会に於ける赤字の補填に充当致しました。了解願います。

<20日 東京案内>

 東京12期会に出席の為、酒井、張、村木の3君がホテルに一泊する為、在京組の泉、榎本、山田が同宿し、そして、翌日東京案内をする事になった。

 ルートは、「ホテル銀座ダイエー」→柴又の「帝釈天」→「東京スカイツリー」→「珉珉」(食事)とし、ホテルを出発東銀座より都営地下鉄・京成にて約30分で柴又着。そこでボランティアの案内人に従い、うなぎ屋、団子屋、土産物屋などが立ち並び、昔ながらの趣を今なお色濃く残す参道を約200m歩き帝釈天(題経寺)山門に至る。すばらしい彫刻が施された山門をくぐり400円の拝観料を払い本堂へ。

 そこで驚いた。 厚さ20~30cm横3~4m縦1.5m(ぐらいか)の欅の柾目の1枚板に立体的に彫られた壁板が外壁一面に嵌め込まれており、全部で何枚になるだろう、十二支、色々な動物、人物、風景等が立体的に彫られており、芸術的にも技術的にもまさに国宝級だと感じ入る。そして回廊式の大庭園を見た後、すぐ近くを流れる江戸川に出て土手の上まで上り、「矢切の渡し」は遠望するだけにして、帝釈天の鐘楼で衝く正午の鐘を聞きながらもと来た参道を団子で腹の虫を抑えながら駅まで戻る。

 それにしても、映画の影響力は大きい。「寅さん」映画のシリーズがなければこれほど人気になり、これほど多くの人々が参詣するだろうか、少なくとも本日の我々の計画には入れなかった。

 次は柴又発約20分で押上下車。「東京スカイツリー」を見物する。来年5月末オープン予定で現在下部の建築工事中、又、周辺の整備もこれからと言うところであるが、日曜日という事で大勢の人出の中、634mを見上げ、その高さと迫力を実感する。東京近辺では見通しさえ良ければ大概の所から遠望出来るが、近くで見るのは東京組みの3人も初めてである。しかしやはり東京タワー同様これも近くで見るよりは離れて見るものだと実感する。

 帝釈天で時間が掛かりすぎた為、次の予定である「浅草寺」は今回カット。時刻は13時10分。東京駅地下の「珉珉」に急ぐ。遅い昼食をまずビールで乾杯。後、餃子19人前、その他単品でそれぞれが好きなように注文し酒も飲み放題で15時30分頃打ち上げ。東京駅で解散した次第である。

以上
さすがに疲れた・・・山田 記
 
第5回 東京12期会(総集編)

<参加者全員の集合写真>
前列右端が泉会長、二番目が大石橋新会長
泉会長、有難うございました。大石橋新会長、よろしくお願いします。(東京12期会一同)


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ブータン紀行 (1)

 泉 信也(5組)

 前号にご紹介したブータン王国の山旅についてこれから3回に分けてご案内します。

 折しも今週(11月13日の週)は先月結婚式を挙げたばかりのワンチュク国王夫妻が国賓として来日され、新婚旅行とは名ばかりで親善や被災地のお見舞いに忙しいご様子を報道で見られた方も多いかと思います。あらためて遠くて近い国の印象を強めました。


 さて今度の山旅の起点はブータンの古都パロだが、日本からの直行便は無く、バンコクに半泊しての長いフライトになる。観光政策と自然保護の両立のため、入国にはビザと一人一日当たり200米ドルのデポジットを課してコントロールしている。200ドルはホテル代、交通費のほか国内での安全保障にも充てられるので法外と云う訳ではなさそうだ。

 2006年当時、ブータン国営航空の国際便には2機の大型機しか無く、そのうちの真新しい120人乗りエアバスで4月26日にバンコクを飛び立ち、ヒマラヤの山肌をかすめながらパロの河原の小さな飛行場に無事到着。

 空港ビルは簡素なものだが、伝統的なデザインと清潔さが良い。入国手続きもその場で手早くビザが発給され、幸先良い旅を約束してくれるようで印象が良い。出口で迎えてくれたガイドのリンジン君は立派な体格でハンサムな好青年。民族衣装で正装の黒無地のゴ(ドテラを短くしたようなもの)を着用し、流暢な英語(公用語として小学校から習う)でてきぱきと案内してくれる。さすがに車はおんぼろだが日本製で運転も安心できる。

 パロの町の全景を見渡せる高台にあるホテルは広大な敷地に山小屋風のロッジが点在し、翌日からのテント暮らしを控えた身には贅沢な初日となる。夕食はさっそく地元の名物を試す。聞きしに勝る唐辛子料理のオンパレードで、旅行者用に辛さは和らげてあるというものの先が思いやられる味だ。


トレッキング第一日:パロ‐ドゲゾン‐シャナ(Camp 1)

 春とはいえ標高2300メートルの朝はかなり冷え込み、気持ちよく晴れた空に遠くの雪山がまぶしい。今日のリンジン君のいでたちはシェルパらしい山支度で気分も盛り上がる。車でパロ川右岸を15キロほど遡り、トレッキングのスタート地点のドゲゾン村に着くとすでにコック二人、馬方二人、馬九頭が大量の物資をそろえて待っている。ガイドと我々の3人をふくめ大キャラバンで豪勢な大名旅行の始まりだ。ザックひとつの軽装で、清冽な流れに沿ってのんびりと歩く。谷間はやせた畑だが良く手入れされ、日本の農業指導者の苦労がしのばれる。農家は置き屋根をのせた伝統様式で漆喰の白壁が美しい。山腹の森は五葉松や樫の混交林、人家が途絶えるころ左岸に最初の岩山、ドラツェ・ガン(5570メートル)が荒々しい姿を現す。

 初日は5時間半歩いて、Camp 1となるシャナのテントサイトに着く。先行したリンジン達がすでに設営を終え、熱いチャイを振舞ってくれる。三角テントは二人で使うには広すぎるほどで快適な住み心地、日暮れ前にはキッチンテントに全員が集まりご馳走をいただく。旅行者の我々にはスープ、豚肉と野菜の煮込み、茹でアスパラ、サラダに赤米などだが、皆はヤクの腸詰め、チーズや例の唐辛子を野菜代わりと称して旨そうに食べている。少し分けてもらったが昨日の数倍の辛さ、しかし慣れると旨そうだ。

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「12期の広場」11月号のラインアップ

 11月、霜月です。庭の花水木はすでに紅葉が終わるようですし、小さな柿の木は五つほど実をつけました。今年の秋は例年に比べて、何故か駈け足のように思ってしまいます。

 先日、宮津にお住まいの丸橋米子(旧姓-坂本)さんに電話する機会がありました。毎月の一日、朝一番に「12期の広場」を見ていただいているそうです。嬉しい限りです。

 さて11月のラインアップですが、以下の二編です。お楽しみください。

  1.  「ブ-タン紀行」(序)         5組  泉 信也
  2.  「尼崎道意新田開発と海老江村」     8組  末廣 訂
以上