お知らせ

0年

圓尾君の画展に行ってきました。

8組    八島平玐

 HPで紹介のあった圓尾君の大阪天満のトゥリービビットでの画展に行ってきました。

 画展は、この喫茶店を借り「カンボジア・インド・ペルー・スイスなど、彼の旅先で出会った子供たちの情景・心象」をパステルで描いた十数点の絵を展示したものです。このトゥリービビットでの画展は数年続いており、昨年はガラス絵と、毎回テーマを変えて開かれています。今回の絵は、どれも柔らかい風景の中に、子供を描きこんだもので部屋に飾ってみたい思いのするものでした。圓尾君の画は、この天満の画展の他に、4月に京都市美術館で、9月に大阪市立美術館の展覧会に出展されています。


 実は、私たちの大学のミニ同窓会を彼の画展にあわせてこの喫茶店でしているのです。今回も3月10日に8名ほどのメンバーが集まり彼の絵を肴に飲みだべり合いました。



「12期の広場」が楽しみ

4組 丸橋 米子(旧姓 坂本)

 毎月一日の朝は、12期のホ-ムペ-ジをひらいております。楽しみにしております。

 私は縁あって、29年前から京都府の北の端、丹後半島の山の中、海抜450メ-トルの過疎の地に暮らしております。

 近くには日本三景の一つ、天の橋立があり、空も海も空気もきれいです。京都府下一番の豪雪地でもあります。昨年も今年も、3メ-トルほどの積雪がありました。
今日は3月11日。午前中は青空が広がり、ポカポカ、午後は猛吹雪です。東日本大震災のニュ-スをたくさん見ました。あれから一年、被災地の皆さまが一日も早く、元の暮らしを取り戻されるようお祈り申し上げます。

 今年は雪解けが遅く、今も1メ-トル50センチほど積もっております。
春が待たれるこの頃です。
雪が解けるとすぐに顔を出すのは、蕗のとう、早春の苦味を味わいます。

 花は福寿草、こぶし・・・桜と順に咲き始め、白一色の冬から色とりどりの風景に変わります。そして新緑へ・・・。



私ごとで恐縮ですが、写真の仏像は夫が彫ったものです。ご覧下さい。


<HP委員 記>
*丸橋さんのご主人の工房のホ-ムペ-ジが開設されています。
ホームページ・アドレスは以下の通りです。
http://www.higashino-kobo.com/
写真説明は、順番に「春の我が家」、「大日如来-比叡山-酒井雄哉大阿闍梨様像」、「釈迦苦行像」との説明文がついていました。
ホームページにアクセスして見ましたら、多数の写真が載っていました。

「水辺の宝石-カワセミ」

4組 内田 勝章

 最近は水がきれいになった身近な川や池などで見られる。
スズメほどの体長、頭は大きく、クチバシは長い。
羽はコバルトブル-でとってもきれい。
止まり木から小魚を探して長いクチバシでダイビングキャッチして食べる。
この瞬間をカメラでとらえるには、長い時間と忍耐が必要。
多少の根気はいるが、一度見つけたらしめたもの。
朝夕に限らずエサ場に何度も出向くと、他の鳥にはない「コバルトブル-の水辺の宝石」に会える。

奈良との県境にある雪降る金剛山にいるブッポウソウの仲間とはおそれいった。
(ブッポウソウ目カワセミ科)

-大阪府準絶滅危惧種などに登録-


第1回 荒川 川歩き(平成24年3月11日~3月12日)

3組 西條 軍蔵

 埼玉 山梨 長野の三県に接する甲武信岳(こぶしだけ 奥秩父)から東京湾に流れ込む荒川の総延長は173㌔で、明治43(1910)年の豪雨で大洪水が起きた為、岩淵水門から下流の22キロを明治44(1911)年から20年の歳月をかけて大工事をした。結果、人工的に作られた放水路が荒川本流となった。


<一日目(3月11日)>

 正午 新木場駅にフルメンバー(泉 榎本 大石橋 川合 山田 西條)プラス初日特別参加の榎本夫人が集合。バスで若洲キャンプ場まで行き軽い昼食(毎度のコンビ二おにぎり等)後、東京湾に新しく出来た東京ゲートブリッジ(別名 恐竜橋・恐竜の形をしているため)全長2618mを往復する。

 前日までの雨も上がり快晴、東京タワーやスカイツリーを遠くに眺めながら東京湾を空中散歩(橋の上は海抜60m以上)する。若洲キャンプ場から再びバスで夢の島公園まで行く途中、あれから1年、14時46分に黙祷する。

 第5福竜丸展示館見学、この船は昭和29年3月1日太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で被爆した総トン数140.8トンの木造のマグロ漁船である。そこから荒川の最下流・荒川河口橋を渡り、葛西臨海公園近くより本日の宿泊地西葛西駅まで歩く。

 ビックリするほど健脚の榎本夫人を駅で見送りし、近くのホテル・サンパティオにチェックイン。その後周辺の居酒屋「江のもと」で明日の本格的荒川歩き・前夜祭で盛り上がる。

(さらに…)

つくば宇宙センター見学(3月17日)

6組 小野義雄

 榎本さんの企画で、山田さんの奥様を含め10名の方々につくば宇宙センターを訪問頂きました。

 あいにくの小雨でしたが、冬の凍えるような冷たさはなく、むしろ心地よい?春雨の中を近くのレストランまで歩いて昼食会の後、本物のロケットや人工衛星を見学頂きました。運よくロケット打上げ時の轟音体験もあり、ご満足頂けたものと思います。

 東京駅八重洲口からの筑波大学行き高速バスを利用し、並木一丁目で下車されると目の前が宇宙センターの正門です 一年中いつでも見学自由ですので、今回参加できなかった方々もぜひお立ち寄り下さい。

 今回の案内者は、H-IIロケットの前の集合写真で、左端から二人目の小野です。

 撮影者は榎本さんですので写っていません。

 私(小野)は昭和42年に三菱重工の現名古屋航空宇宙システム製作所に入社以来、一貫して宇宙開発に関わり(専門技術はロケットの構造設計)、三菱重工を定年退職後2年ほど子会社に勤務していましたが、幸いNASDA(現JAXA)で現役技術者として復帰する機会を得ました。5年契約終了後さらに有人宇宙システム(株)という宇宙ステーションの運用を担う会社に招かれ、12年間という当初考えてもいなかった長期の単身赴任生活を続けてきましたが、3月末で退職し名古屋の留守宅に戻ることにしました。ということで市岡12期の同窓生の方々が宇宙センターをご案内する最後の機会になりました。なお今後も毎月1週間は若い技術者との議論に来るつもりです。

 今後、機会をいただいて宇宙開発に関わった仕事について書いてみたいと思います。


― H-IIロケットの前で(榎本さん撮影)―

(さらに…)

「12期の広場」 3月号のラインアップ

 先日、雪の舞う駅で、近所の大先輩から「貴方も『寿クラブ』に入会していろいろ仕事を手伝ってくださいよ。」と声を掛けられ、「あっそうか、私にも入会資格ができたのだ」と気が付きました。

この3月は、はや生まれの同窓生を含めて私達全員が、古稀を迎える最後の月になります。ことさらに年齢を気にするわけではありませんが、あらためて人生の節目にある自分を考えてしまいますね。

 また、この月は、東日本大震災に見舞われた月でもあります。復興への道は未だ遠く、自然と人、社会と自身のありようなど、難しい問題が山積みのようです。心もとない限りではありますが、何事も前向きに、「市岡健児意気高し」をモット-に進んで行けたらと思うばかりです。

 さて3月号のラインアップです。

 今回は1年半ぶりに開かれた「ホ-ムペ-ジ委員会」の内容のお知らせです。

 「お知らせ」と言うと退屈な感じですが、各委員のパ-ソナリティを生かして出来るだけ楽しい内容にと、心掛けました。皆さん、如何でしょうか。批判も含めてのご意見を是非、お寄せください。

  1. 「12期の広場」第2回HP委員会の報告     12期HP委員
  2. 第2回 ホ-ムペ-ジ委員会に参加して     12期代表幹事 酒井 八郎
  3. 柔らかく、そして広く                 8組 榎本 進明
  4. 出 来 過 ぎ ?                     7組 張  志朗
  5. HP広場が「広場」になっていますか       8組 末廣  訂
  6. 「theあの頃」-はじめに               8組 川村 浩一
  7. 市岡12期アーカイブス               5組 泉 信也


有馬温泉に向かう日、車窓から富士山が(撮影者=榎本)

「12期の広場」第2回HP委員会の報告

 「12期の広場」は今月号を含めて15回の掲載を重ねました。HP委員会では創刊号以来の「広場」の内容を振り返り、今後の進め方を話し合うために第2回のHP委員会を2月12日に開催しました。

 かねてより、「手弁当で良いから一度じっくり話し合いたい」との意見があり、場所を有馬温泉にしました。ここには関東在住の榎本進明さん、泉信也さん、関西在住の川村浩一さん、末廣訂さん、張志朗さんの5名のHP委員と、12期同窓会の代表幹事の酒井八郎さんの計6名が参加しました。
正式会議はチェックイン後の12日午後3時から5時30分まで行い、その後の会食と座談を通して、翌日の午前1時過ぎまで、いろいろな角度から話し合いました。少々脱線した所もありましたが、話題百出で、大層有意義な集いでした。

 遠来のHP委員の歓迎の意を含めて13日は六甲山から明石海峡大橋を経て、平清盛ゆかりの地への神戸探訪を行いました。


HP編集会議のひとこま


以下にHP委員会の内容の要点をお知らせします。

  1. 創刊号以来の「12期の広場」を振り返って
    • 毎月1日に定期公開できたのは同窓生の執筆者、読者の熱意のたまものである。
    • 特に記事総数93編、執筆者実数37名は予想をはるかに越えた数字である。
    • アクセス数は公開当初から回を重ねるごとに増加し、一月の平均アクセス数が472に達している。 記事内容も旅行関連から趣味領域までバラエティに富み、内容豊かである。
    • 東京12期会でのアンケ-トや聞き合わせなどから同窓生の皆さんの一定の評価をいただいていると思われる。
    • 12期の同窓生に限らず、市岡ゆかりの人達に見ていただいている。
    • 12期同窓会の行事広報と同窓生の親睦と交流を図ろうとして開設された「12期の広場」の目的が実現されていると判断される。
    • 「ひろば」として一定の役割をはたしてきたが、HP委員の一致した努力で名実ともに「ひろば」になるように一層の改善が必要である。
    •  同窓生の意見を今以上に聞くことが重要である。
  2. 今後の進め方について
    • 毎月1日の「12期の広場」の公開はこれからも継続する。
    • 記事の種類や内容の幅を広げると同時にホ-ムペ-ジ上での交流をさらに活発にする。(「真面目さ」に加えて「親しみやすさ」や「楽しさ」を増やすための企画記事が必要。)
    • 恩師の先生方、遠方に在住する同窓生をはじめより多くの同窓生が登場して頂けるようにお願いする。
    • 今年の秋に大阪での定例同窓会が予定されているが、そのお知らせやアンケ-トを通して、さらに多くの同窓生から「12期の広場」への意見を聞き、ホ-ムペ-ジの改善のためそれを反映して行く。
  3. HP委員の交代について
    • 塩野憲次さんに代わり八島平玐さんにHP委員をお願いしました。

 末尾になりましたが、恩師の先生方や同窓生の皆さん、特に執筆の労をいとわなかった執筆者の皆さんに心からのお礼を申し上げるとともに、「12期の広場」がますます活発になりますよう、引き続いてのご協力とご支援をお願い申し上げます。

大阪府立市岡高等学校 第12期同窓会
HP委員会 委員一同

第2回 ホ-ムペ-ジ委員会に参加して

12期同窓会幹事会代表幹事
酒井 八郎

 市岡東京12期会会長を、昨年、大石橋君にバトンタッチし、HP委員に専念していただくことになった泉君、HP委員チ-フの榎本君のお二人を、新神戸駅でお迎えした後、六甲山を南北に突き抜けるトンネル鉄道・北神急行で有馬温泉に向かいました。

 5人の委員が全員顔をそろえたところから、この1年間の総括資料をもとに、とにかく皆さんよくしゃべること。しゃべること。

 それぞれの角度から、ポンポンと話が飛び出します。あとで録音テ-プを整理した、HP委員サブの張君が、大変だったと思います。

 今回は、話し合う項目が多く、長時間の会議になることが予想され、自費宿泊を各自了解の上での集まりでしたが、温泉につかっている時以外、食事中も、部屋でも、話が延々と続き、日付が変わり、午前1時半、やっと就寝となりました。

 それだけ各委員が、各々の立場で、この1年間、多くの時間を「12期の広場」に費やしてくださった証だと思います。ありがとうございました。

 同時に「12期の広場」をささえてくださった恩師の先生方、同窓生の皆さんにこころから感謝申しあげます。

 おかげさまで、「12期の広場」は、私達12期同窓会のまた一つの重要な柱になったのではと考えています。

 翌日、各委員への感謝の気持ちを込めて、「真冬の神戸、おもいっきり散歩」と神戸の案内役を買ってでました。

 9時半始発のロ-プウェイで、有馬から六甲山頂駅に向かう途中から、雪空になり、紅葉とはまた趣の違った「白いベ-ル」を通しての裏六甲の景色でした。

 六甲山頂循環バスが、北側から南側に進むにしたがって雪はなくなり、六甲山頂駅では、標高900mの北と南との気候の変化を感じました。

 駅屋上の天覧台では、眼下に、神戸の海と二つの人工島を見下ろし、湾岸道路の東はるかに、大阪・舞州を眺めながら、この日が、満70才の川村君を囲んで、“ハッピバ-スディ浩ちゃん”を歌い、乾杯、二度と味わうことのない「真冬の六甲山」でのひとときでした。

 貸し切り状態の下りケ-ブルカ-の中で、疑問がひとつ。

 「ロ-プウェイ」と「ケ-ブルカ-」。ロ-プもケ-ブルも同じ意味と違うの?


今日(2月13日)は川村君の誕生日、晴れて70才の仲間入り

柔らかく、そして広く

8組 榎本進明

 昨年の11月に東京12期会が行われたときに、HPに対するアンケートを実施しました。
すでにHPは11回発行されていましたが、評価していただいた中にもご批判の意見がありました。それは「もう少し柔らかい内容もほしい」というご意見でした。

 なるほど市岡12期のHPをあらためて眺めてみると、ご指摘の通りかもしれませんね。
我々HP委員は月1回の発行に追い立てられるように校正やレイアウトに専念するのが精一杯でした。ジャンルを考え、品格を保ち、誹謗や中傷といったマナーに気を遣い、インターネットの危険性に配慮して心に余裕がなかったのも事実でした。「山下智久」名で記事へのコメントが入り「電話をほしい」と外国の電話番号に導くものがあり、読者から高い通話料を取る狙いを察して削除したこともありました。このコメントは記事とは全く関係のないものでした。

 今、1年を過ぎ今回で15回目の発行を迎えて、編集作業にも、インターネット対策にも、多少余裕も出来てきて「12期の広場」を再度見直すことが出来ました。今回の編集会議は大変有意義なものでした。

 さて、本題に入りましょう。「もう少し柔らかい内容もほしい」にどうお答えするか、HP委員から範を示すのがスジだと思いますね。しかし、メンバーを見るとどうもお堅く真面目な人が多いですね。これでは記事を投稿していただく人も考えますよね。「こんなことを書けば馬鹿にされないか」「こんなにくだけていいのだろうか?」「冗談をわかってもらえるかな?」・・・等々、これでは、かえって気を遣ってより堅くなってしまうかもしれません。私は「柔らかい=リラックス」と考えて肩に力を入れずに自由にのびやかに、思っている通り書いていただくのがいいと思っています。

 もう70歳です。今更性格が変わるわけがなく、真面目居士は真面目居士でいいじゃないですか。ダジャレ好きさんには本領を発揮していただき、色ごと師春団治と自称している人には皆を笑い転がしてくださいよ。書いているうちに筆者も乗って来ましたが、それはこの辺にして、HP委員を卒業したら山ほど面白い記事を書くことにします。

 今まで写真を多くしてリアリティーを重視してきました。ケータイでは機種が多く、また契約内容がまちまちで、ホームページに繋ぎっぱなしだと高額になる場合があります。ケータイの方は「一度もHPを見たことがない」という方が多いと思っています。
今後は写真を少なくした「お話だけの記事」もあってもいいのかなと思います。その時こそ、そのお話が「おもしろい」ことが条件で、文そのものが「命」となるでしょうね。

 今年のHPは読者や投稿者を「もっと広げる」をテーマにしたいと考えています。それこそが「12期の広場」ではないかと思います。皆様の温かいご支援をお願い致します。





アーカイブス・写真の説明
左は満州・大連での七・五・三祝い 昭和18年11月15日に撮影(かぞえ3才)満2才
中央は山岳部合宿 白馬岳頂上で(右は松永、その左が榎本)昭和32年7月~8月 満16才
右は平成24年2月12日 HP編集会議で有馬温泉駅に到着した私 満70才 です。


出 来 過 ぎ ?

7組   張 志朗

  「歳をとると、『きょういく』と、『きょうよう』が大切」という言葉があるそうです。

 「教育、教養」と言われたと思い、我が身を振り返りドキッリ。大層緊張したのですが、それに続いての解説が、『きょういく』は『今日行く所』で、『きょうよう』は『今日の用』だそうで、思わず笑い転げました。この当意即妙のしゃれとそのゆるさは、すごいと感心し、うれしくなりました。

 「12期の広場」のHP委員としての仕事は適当に忙しく、幸いなことに今日の用事も今日行く所もあったようです。してみればこれは大切な事、さらに「広場」をやって皆さんと共感できれば大いに意味あることと思っています。
振り返ってみますと、掲載記事総数は93編、投稿者の実数は、39人でした。これは予想をはるかに越える数で、少々出来過ぎではと、あわてながらも喜んでいます。2010年に発行した「記念文集」が収録総数51編ですから、総数93編はその約倍で、文集との違いはあるとしても、その労力や熱意には、ただただ感謝、感激です。
内容も同窓会関連のお知らせや行事報告、東日本大震災関連記事に趣味やトピックスや旅行記や探訪記、随想に故郷紹介に郷土史まで、バラエティに富んでいて興味津々、もっとも楽しんだのはそれを一番最初に読めたHP委員ではなかったかと思っています。

 記事はHP委員が書いたものもありますが、多くの投稿記事や、執筆依頼に快く応えていただいた記事もあり、その気持ちの暖かさや話題の豊富さや見識の広さには、脱帽の一言。本当に「12期の広場」は同窓生皆さんに支えられて続けることができたのだと実感しています。同時にこれからもやっていけるのではないかとの手応えを感じています。

 思えば、同窓生がいかに多彩であるかを実証したこれまでと言えるのではないでしょうか。
あの人の近況を知りたい、あの先生はどうしておられるのかに始まり、同窓生の嬉しい話しや趣味の話や、スポ-ツや食べ歩きや旅行の話しなど、「話題提供」とその「執筆者」には不足がないようです。ど素人のつたない編集ですが、急がず気楽に、楽しみながら、続けて行ければと考えています。すでに書いていただいた方は、勿論、再登場していただきながら、さらにたくさんの方々にお声がけして投稿をお願いし、ともにやっていきたいと考えています。


入浴後の夕食で乾杯、これから深夜まで意見交換が続いた