お知らせ

2013年

「12期の広場」 8月号のラインアップ

 自分の住んでいるところを褒められたり、敬われたりすることは大変嬉しく気持ちの良いことですね。実は6月中旬~下旬にトルコを旅行したときにそれを経験しました。120年以上前からトルコ人は日本が好きであるとガイドが何度も何度も言い、子供たちは小学校の教育で必ず日本の串本町のことを教えられているというのである。和歌山県串本町の海で遭難し多くのトルコ人が受けた恩を決して忘れてはならないということである。紙面の都合上詳細は省くが教育の重要性まで影響を受けたようであり、今日のトルコがあるのも日本と串本町のお陰とガイドさんは思っている。

 それが実感できたのは二日目のエーゲ海に面したホテルに着いたあと、海岸を散歩したり写真を撮ったり膝まで海に浸かったりしていると、海に入っていたトルコの子供たちがニコニコしながらなにやら話している。「こんにちわ」と声を掛けると応えてくる。「こんにちわ。ジャポーニア?」「エベト」頼りないが会話をする。そして「バイバイ」と何度も何度も手を振りながら去って行った。

 大人の人も海から出て近づいて同じように「ヤーパン」やら「ニホン」と言いながら握手を求めたり息子や娘に何か言っている。きっとこの人たちは日本人だよと言っているようだ。

 子供たちもニコニコして手を握りに来る。やはり本当なんだ。ガイドさんは2002年の日韓ワールドカップでトルコ対日本の試合、串本町の小学生たちがトルコの応援をしてくれたこと。そして勝てたこと。最終的に3位になったこと。その他たくさんのお話をしてくれました。

 折りしも6月のトルコでは現政権批判のデモが渦巻いていた。そのようなことを微塵にも感じない旅でした。政教分離が徹底されて国民の90%が回教徒の国と感じさせない。国民から建国の父と尊敬されている初代大統領アタチュルクが実は日本人の教え子で、日本の精神文化を学んだことが代々伝わっているのかもしれない。考えさせられた旅行になったのは確かでした。

 
 


 さて、8月号のラインナップは以下のとおりです。夏本番の8月をエンジョイしてください。

  1. 盛夏の思い出」                        4組  寒川 詔三
  2. 東京市岡会に参加しました」            8組  榎本 進明
  3. 夏の地方大会3回戦(福井高校戦)観戦記」   7組  張 志朗
  4. お祭り訪問 雑感短信 ①」             8組    末廣 訂
 
以上

盛夏の思い出

4組 寒 川 詔 三  

 今年も夏の全国高校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」を、よく耳にするようになってきました。

 高校3年生の盛夏、暑い、口惜しい1日を忘れることができないのは、硬式野球部員だけだったでしょうか? 12期生が一丸となって青春を謳歌した学校行事は色々あったが、部活で甲子園を目指した硬式野球部の夏の高等学校野球選手権・大阪大会における激戦に、血沸き肉躍るものを感じられた方が、沢山おられたのではないでしょうか。

 

 昭和34年(1959年夏の高校野球選手権大会 大阪大会)の市岡高校は三井君の好投で準決勝に駒を進めた。1回戦:浪速工 2回戦:今宮高 3回戦:大阪商大附属高 を接戦で勝ち抜き、日生球場における準々決勝の近大附属高戦は、延長10回の激闘を1:0で制し、戦後初の夏の甲子園出場が手の届くところまできた。当時の部員は同期の3年生が三井君、森君、山田(克)君の3名がプレーヤー、私(スコアラー)と美記君はマネージャー、そして洲崎さん、田村さん(いずれも旧姓)が女子部員(女子マネージャー)であった。市岡高校は女子マネージャーを設置した最初の高校であったと思われるが、合計7名が同期生、プレーヤーは2年生4名、1年生6名、計13名の少人数の構成で参加した。

 当時の大阪府の高校野球は私立8強時代といわれ、浪商(現在の大体大浪商)、PL,興国、明星、北陽(現在の関大北陽)、上宮、近大附属、大鉄(現在の阪南大高)等が群雄割拠していた。ただ昭和34年、準決勝に勝ち残った4高校は、市岡、八尾、阿倍野の公立3高校と私立の興国で、公立優位の状況であった。私は準決勝の抽選で八尾高との対戦を引き当てた時、ぼんやりと見えていた甲子園の姿が、くっきりと見えるようになってきたものである。


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東京市岡会に参加しました

8組 榎本進明

 平成25年7月20日(土)13:00から新宿三井ビル54階で「第54回東京市岡会」が開催され参加しました。それに先立ち9:15~11:30まで近藤太一さん(高校15期 京都市民大学院 教授)が主催するミニツアーにも参加いたしました。今年は「東京愛宕山NHK放送博物館見学会」でした。このミニツアーは毎年恒例となっていて、今では近藤さんの旅行会社勤務での豊富なご経験から発せられる説明に聞き入るのが楽しみになっています。

 案内される先々で「先生」「先生」と呼ばれて、親しみのある人柄にも魅力を感じています。

近藤さん(写真左)の説明を聞く参加者
愛宕山の頂上に湧き水があるのが不思議

 NHK放送博物館のある愛宕山は西郷隆盛が勝海舟と会談、内戦を回避した場所とのこと。標高25.69mの山の上になぜ水が出るのか不思議で、徳川家康は江戸防火のために神社を祀られたとされています。(愛宕神社)

 博物館の中に入ると従業員の皆さんが我々を迎えてくれました。ベテランの若山さん(広島県出身)が我々の案内役で懇切丁寧に説明してくださいました。1925年(大正14年)3月22日東京芝浦にある東京高等工芸学校(1951年東京工業大学に移管)図書館の一隅に開設した仮放送所から日本初のラジオ放送が始まった。同年7月には愛宕山新局舎が完成して本放送が開始されるが、それまでの4ヶ月間マイク1本でニュース、天気予報、音楽演奏、講演、ラジオ劇、など放送された。

富士山頂でラヂオを聴く 1925年(大正14年)
8月
初めての中等野球実況中継1927年(昭和2年)
8月13日

 放送に関する技術的なものからエピソードまで詳細な説明を受けた中で、歌手の藤山一郎さんとNHKの関係は印象に残りました。昭和3年17才のとき独唱で出演したのが始まりで、昭和21年には復員第一声をラジオ「音楽玉手箱」で、また25年~26年に「愉快な仲間」にレギュラー出演、昭和26年「第1回紅白歌合戦」にキャプテンとして出演以来平成4年まで連続43回出演、また昭和26年には終身刑戦犯者の慰問もされました。晩年(81才)には国民栄誉賞を受賞され翌年82才で永眠されました。

戦犯を収容していた戦後の巣鴨プリズン特別警備本部より送られた感謝状。
「熱烈慰問演奏」とあるように日米安保条約締結を記念して斯界大物が連名で自署している。
文面は、「神も人も ききいる妙の 楽の音に あまの岩戸も 開けゆくらし」
昭和二十六年霜月十八日 平和安保両条約批准 国会通過の佳き日

 午前中のミニツアーは地下鉄神谷町駅で終了しました。近藤さんとはひとまずお別れして13:00からの同窓会でお会いすることになります。9:15から立ちどうしのツアーでしたので、近くのカフェで休憩後新宿三井ビルに向かいました。

 受付終了後、しばらくして同窓会(東京市岡会)が始まりました。今年は出席者108名で盛会となりました。幹事さんのご努力の賜物と深く感謝したいと思います。
 

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夏の地方大会3回戦(福井高校戦)観戦記

 夏、市岡高等学校とくれば高校野球です。第95回全国高校野球選手権記念大阪府大会の母校の試合を見に行ってきました。

 母校硬式野球部は2回戦からの登場だったそうです。2回戦の大阪府立阿武野高校戦で夏の地方大会200勝の歴史的勝利(8対1)をしたと聞き、7月18日、あたふたと都合をつけての3回戦の応援です。相手は大阪府立福井高校(茨木市)で球場は万博球場です。

 当日、午前中は曇り空、午後はカンカン照りの酷暑日。自宅を出て電車を乗り換え、最寄りの万博記念公園前駅(モノレ-ル駅)で降りて球場までの15分ほどあるいたのですが、強い日射、その照り返しと道両側の雑草の草いきれで頭がくらくらするありさまです。

 球場は森の中、客席はすべて芝生席で外野は緑豊かな木々で囲まれての別世界です。外野の芝生と内野の黒土、引き直された白線が目に沁み、噴水のように水を打ち丁寧に均し整えられたマウンド周辺はまさに舞台そのもの。猛練習を耐えてきた母校球児が悲願の甲子園出場をめざす夢舞台です。三本線の鮮やかな帽子をかぶった選手の姿が一層まぶしく感じられ、「後攻市岡高校、一番キャッチャ-杉村君」、ウグイス嬢のアナウンスが遠い昔の懐かしさを運んできました。



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お祭り訪問 雑感短信 ①

8組  末廣 訂

 最近の訪問した祭りから送ります。

 姫路市三ツ山大祭です。20年に1度の祭りとあって、次回はもう見られないと、家内と思いきって、4月1日に電車に乗り、姫路に行ってきました。行きはJRで、帰りは阪神・山陽電鉄の特急でした。

 祭りの歴史や詳しい内容はインターネットを見れば、良くわかります。とにかく大きな置山(18m)が3基あり、しかもこの山は大きな布や着物で覆われ見事でした。

 播磨国総社付近に置山があり、そして姫路城周辺に屋台や舞台があり大勢の人が集まっていました。

 期間中(3/31-4/7)に稚児行列や市民の集い,雅楽等の行事があるようでしたが、1日では全ては見れませんでした。スナップ写真をご覧下さい。



 

吹奏楽コンクール府大会のお知らせ

市岡高校吹奏楽部は、地区大会で金賞代表となり、大阪府大会の出場が決まりました。
応援よろしくお願いいたします。

大阪府大会
8月10日(土)
市岡高校 午後の部 15時出場
大阪国際会議場
課題曲 エンターテインメントマーチ/川北 栄樹
自由曲 ローマの祭り/O・レスピーギ

東京市岡会「第54回総会」のご案内

 全国の同窓の皆様いつも東京市岡会を応援していただきありがとうございます。
 来る7月20日 ( 土 ) に東京市岡会総会 ( 第54回 ) を開催致します。こぞって参加の程よろしくお願い申し上げます。
 昨年の1月3日私達の敬愛する松原名誉会長 ( 紀伊国屋書店会長 ) が逝去されました。本年は1周忌にあたりこの3月2日に東京市岡会として偲ぶ会を企画し、故人の遺徳をたたえあいました。当日は御長男である角川書店常務取締役の松原眞樹氏にも出席を賜りました。東京市岡会の発展はひとえに松原先輩のご尽力の賜物でございます。私達東京市岡会は先輩の教えのままに更に伝統と歴史を重ねていきたいと念願しております。
東京市岡会会長 三浦 宏文(高校8期)
会の名前 東京市岡会「第54回総会」
開催日時 平成25年 7月 20日 ( 土 ) 13:00より ( 12:00受付開始 )
開催場所 『新宿三井クラブ』 ( 新宿副都心・三井ビルの54階 )
電話: 03-3344-5454
新宿区西新宿2-1-1 新宿三井ビル54階
参加費 通常会員(男女1人) 5000円
夫婦会員(2人) 8000円
同伴家族(1人) 2000円
優待期会員(高15期1人) 3000円
大学・専門学校などの在学生の方は無料御招待
お問い合わせ 北浦 光昭 電話: 03-3812-4181
川野 安男 電話: 090-2465-9927
            E-mail: yasuo-kwn☆kyj.biglobe.ne.jp
            ※ 迷惑メール対策のため☆を@に変更してご利用ください。

地図あります。

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「12期の広場」7月号のラインアップ

 今日から7月、早いものです今年も365日の半分が過ぎ、いよいよ、うだる暑さの夏本番です。寒いのも駄目、暑いのも駄目と厳しい季節との折り合いが難しい年令になっていますが、同窓生の皆さん、くれぐれもお体大切にお過ごし下さい。

 

 先日あったある勉強会での話を書きます。勉強会は台風などの強風による建築被害についてのもの。講師の先生はその分野の研究者です。先生の穏やかな語り口とユ-モア、なにより分かり易くて、知力の衰え甚だしい筆者ですら分かったような気持ちにさせて貰えた有意義なものでした。話はその結びにあった事です。

 講師の先生のお母様が今年の初めに脳梗塞で倒れられ、闘病、薬石の甲斐もなく、最近お亡くなりになりました。その間、お母様は病による障害もあってか、二つの言葉以外、話されなかったそうで「二つの言葉だけで生きる事が出来るのですね」と先生が話されました。

 その言葉とは「はい」と「ありがとう」だったそうです。

 驚きました。同時に胸の中でこの言葉がほのかに熱を持ちました。見事な生き方と言うほかありません。

 思うに、「はい」は今を肯うこと、「ありがとう」は数限りなく去来したであろう事柄に感謝すること。とてもとても私には言えそうにありません。先生が微笑みながらおっしゃった言葉。「ひょっとしたら母はたいそう偉い人であったのかもしれませんね。」が深く心に沁み入りました。

 

 今月は私の誕生月、めでたく満72才を迎えます。72才は母のなくなった歳でもあります。いよいよ目標にしてきた母の歳を越えて行くことになります。

 標高の高い三田市の永沢寺は花菖蒲の群生が今をさかりと咲き誇っているそうです。行くつもりが行けません。その代わりと言えば花に失礼ですが、雨に濡れていっそう艶やかに咲く路傍の紫陽花を楽しむことにします。

 

 さて今月号の「12期の広場」ラインアップです。以下の二篇です。お楽しみ下さい。

 
  1.  「-カメオを通して-
        ミロのヴィ-ナスのポ-ズを考える」     4組  前川 光永
  2.  「法格言に見るイギリス法の精神 2 (下)」    3組  松村 勝二郎
 
 

-カメオを通して-ミロのヴィ-ナスのポ-ズを考える

4組   前川 光永

1820年、エ-ゲ海の小島、ミロ島の畑でミロのヴィ-ナスは発見された。
発見当初から両腕がなかった。
台座や石柱なども周辺から発見されているがもともと両腕はどのように付いていたのだろうか。
 
発見から190年。多くの学者達がその腕のないヴィ-ナスのポ-ズに思いをめぐらせてきた。
ギリシャ神話のパリスの審判でのりんごを持ったヴィ-ナスや両手に大きな盾を持ったヴィ-ナス。
また髪の毛をとくヴィ-ナスの姿を想像したり、恋人である戦いの神、アレスと伴に立つ姿など多くの説が出された。
また、博物館に現存する古代ヴィ-ナスの像を参考にして両腕のついたポ-ズを復元したりもした。
しかし未だ、決定的な答えは出されていない。
 
ミロのヴィ-ナスが作られた古代ギリシャのヘレニズム時代流行のヴィ-ナス象があったのであろうか。
同時代や、また後世に作られた色々なポ-ズをとるヴィ-ナス像も発見されている。
これまで多くの学者は博物館が所蔵する両腕のあるヴィ-ナス像からまた解剖学的見地からも両腕のついたミロのヴィ-ナス像を想像してきた。
しかしどの姿も未だ決定的とされているものはない。
 
同じヘレニズム時代、カメオの技術は完成されていた。
「カメオ」とは宝石に浮き彫り彫刻されたもので宝石に彫られるカメオのモチ-フはギリシャ神話の神々であった。
愛と豊かさの神であるヴィ-ナスは両腕で様々なポ-ズをとりカメオに彫られている。
同じヘレニズム時代に彫られているカメオから、私はミロのヴィ-ナスの元の姿を知る手がかりにしてみるのも一考の価値ありと勝手に考えているのだが・・・・
 
17世紀から19世紀にかけてカメオ美術は全盛期を迎えた。
メディチ家をはじめナポレオンやビクトリア女王など多くのカメオコレクタ-が存在した。
カメラがなかった時代、今博物館にある古代のカメオの多くは手書きで写し取られていた。
ここに掲載したカメオのイラストは当時のもので私が博物館から譲り受けたものである。
これらがミロのヴィ-ナスの両腕がどうなっていたのかどのようなポ-ズになるのかを探求する一助になるような気もするしその本当の元の姿を知りたい気持ちが膨らむがしかし一方、我々に、このように豊かな想像とイメ-ジを掻き立ててくれる腕のないミロのヴイ-ナスの方が
ロマンがあっていとおしく、今のままで良いのではないか・・・という気もしている。
 注:ヴィ-ナス(ロ-マ神話)はギリシャ神話ではアポロディ-テ-と、
      マルス(ロ-マ神話)はギリシャ神話ではアレスと呼ばれていた。
 
 
ナポリ国立考古学美術館 所蔵

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法格言にみるイギリス法の精神 2(下)

3組    松 村 勝二郎
 

     5 イギリス法の罪刑法定主義

 (1)判例法の成文化

 共通法による国内の統治をめざす、ヨーロッパ近代の主権国家は、近代自然法思想を()けて、その法制に罪刑法定主義(人権を保障するために―国家権力の横暴を防止するために、犯罪と刑罰を予め法律の明文によって定めておく主義)を採用する。こうして、ヨーロッパ各国は、罪刑法定主義を盛り込んだ刑法を定めるとともに、刑事訴訟法を整備する。イギリスはどうか。

 周知のように、イギリスは〈不文法国〉と呼ばれることがある。憲法、民法、刑法といった市民の法生活の基本法を法典化していないからである。しかし、個別立法は数多く行なわれている。これについて、エディンバラやエクセター大学の法律図書館における見聞をもとに、私はあるところで、およそ次のように記している。我が国の現行法令集は、条約を含めて、たて・よこ各2メートルぐらいの大きな本箱一つに収まる。イギリスの場合はどうだろうか。少なくとも、10倍のスペースが必要である、と。しかもこれとは別に、約1万冊の判例集が存在するのである。

 これには、大きく分けて、三つの理由がある。一つは、一国家に三個の法域が存在することである。イギリス、つまりこの場合は連合王国は、イングランド・ウェールズ、スコットランド及び北アイルランドの三個の法域に分けられる(略地図参照)。従って、マン島やチャネル諸島、ジブラルタルやバミューダなどの海外植民地・自治領を別にしても、三個の法域が存在していることである。もう一つは、法文の体裁の問題がある。そして三つ目に、イギリスは、不要になった法令をなかなか廃止しない(使用されぬままにおいておく)ことがある(これは、新旧法令の差し替えが行なわれないことを意味する)。これらの理由はなにに由来するのであろうか。

 その理由は、連合王国の形成が順次に行われていき(例.1707 イングランド・ウェールズとスコットランドが連合)、それぞれの法域の法制や裁判所判決を継承してきていることにある(一国内同一法を強制する我が国の法制とは、根本的に異なる)。イギリスの主権は議会にある(三権分立ではない)。それゆえに、議会は、基本的人権を無視する法律すら制定することができるが、しかし法の問題に関しては、裁判所の動向を十分に尊重している。議会は行政の監督に徹している。議会は、その主たる関心を行政のコントロールにおいている。その結果、イギリス議会の制定法には、まったくの新規立法は少ない。つまり、我が国のように、国民の法生活を動揺させる将来を予想した〈見込み立法〉は多くない。将来は、神ならぬ身には誰も予想できない。否、予想しても当たらない。我々にできるのは過去を生かして進むことである、と考えるからであろうか。ともかく、制定法の中心は、整理・修正は加えるが判例法の成文化である。これは、法の実質が従来と変わらないことを保障し、市民の法生活の安定をはかるものである。


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