同期会
2018年10月1日
5組 段中 文子 (旧姓 高田 )
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今年で33年13回もの同窓会のお蔭で、市岡に学んだ時にはクラスが同じになった人とだけの知り合いが、今ではクラスも関係なく学年全体でお付き合いできるお友達になっているのは何と言う幸せでしょう。長年色々な分野で立派なお仕事をされてきた皆さんと、同期生というだけで対等に話をさせてもらえるなんてとても有難いことだと思います。
同窓会が始まったのは、1985年(昭和60年) 卒業25周年 ホテル東急イン梅田からですから今年2018年(平成30年)10月28日のクライトンホテル迄、33年間13回の同窓会を重ねています。30年以上も前の事を思い出すのはちょっと無理なので、まず写真の整理からはじめました。初期の頃はアルバムに収めていましたが、後半は封書のままなので全部揃うだろうかと心配しながらの作業でしたが、揃ったときは嬉しかったですね。
写真を眺めていると、誰もが笑顔で語り合っている様子が浮かんできます。その中にはもう逢いたくても会えない人達もいて、寂しい思いと共に貴重な写真になっています。
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毎回そんな写真の数々を食事もとらずに写してくれていたのが、5組の川西庸雄さんです。 市岡高校の写真部から始まり、仕事をしながら同窓会の写真撮影、現像、焼き増しと、一人で引き受けてくれていました。 私も同じ5組だったので、「そんなに写真ばかり撮らないで何か食べたらいいのに」と毎回声を掛けるのですが、夢中でカメラに向かっていました。「写真を見れば学年全員の名前が分るのは僕くらいだろう」と言っていたので、撮影しながら一人でも写し漏れがないように、名前を確認していたのだろうと思います。残念ながら前回の2016年のクライトンホテルでは、もう彼の姿を見ることが出来ませんでしたが、その活躍ぶりは今でも忘れがたく感謝あるのみです。
いつも思うのですが、1,2組の女性達の華やかな事、
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第6回は2004年 市岡高校創立百周年を記念して母校内に建設された記念会館で同窓会を開催したので、卒業後はじめて学校を訪れた人も多かったことでしょう。舞洲の市岡の森に12期生がソメイヨシノを植樹したのもこの時で、毎年舞洲のお花見に集まるきっかけとなりました。同窓会がなくなっても市岡の森に行けば皆に逢えると思えばもう安心です。
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第9回は2010年3月4日。ホテル大阪ベイタワーで卒業50周年を祝う同窓会です。
当日は朝から雨でしたが在校生の卒業式に招待されて40数人が式典に参列させてもらいました。控室から会場までは廊下の両端に並んだ生徒達が拍手で歓迎してくれて嬉しい交流となりました。午後からは学校近くのホテル大阪ベイタワーでの同窓会でしたがこの時の参加者は先生5名を合わせて74名と大盛況でした。
卒業50周年を記念して創られた文集「みをつくし」を覚えておられますか?
恩師の原稿5編と学友45編 合わせて128ページの素晴らしい冊子です。久しぶりに読んでみると、卒業後50年の生き方がにじみ出るようで、バラエテイに富み、真面目ななかにもユーモアがあり、本当に面白くて引き込まれました。在校中に作った文集と違うのは、生きてきた歳月の重みでしょうか。ぜひ再読されることをお勧めします。
大阪での同窓会は今年で最後となりますが、忘れてならないのは東京12期会の存在です。
東京在住の人達を中心に20名程が、二年毎に集まり交友を深めています。催しをするときには大阪にも声を掛けてくれるので、昨年11月はカナダにお住いの山本(古荘)久美子さんも加わり酒井八郎代表幹事をはじめ7名が参加して、東京組とともに24名が集いました。
霞が関ビル35階での同窓会と、翌日のスカイツリー最上階からの眺望は、首都東京のすべてが分った気分になりました。今迄にも2005年の箱根小旅行、2006年の熱海初島と参加しましたが、大阪から来てくれたといってはいつも大歓迎を受けました。
全国から同窓生をお迎えする大阪の同窓会で、この暖かいおもてなしをしっかりとお返することが出来たら最高に嬉しいです。10月28日のクライトンホテルの最後の同窓会では、出来るだけ多くの人と笑顔を交わし、語り合いたいものです。
2018年9月19日
日 時 |
平成30年10月31日(水)16:00 |
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集合場所 | JR弁天町駅南口改札 |
問合せ | 090-6900-2060 川西勝 |
備 考 |
弁天町駅に集合後高校を見学。 クラス会は「湖中」06-6577-1286(ベイタワー・イースト・3F) で17~19時。 |
2018年9月1日

夕べに、庭でチロチロと鳴く虫の音を初めて耳にしました。気のせいか、頬をなでる風も幾分涼やかに感じます。小さな秋は、足元にあるようです。今しばし、心穏やかに本格的な秋を、待ちたいと思います。
今月号のカット写真は「彼岸花」です。「曼珠沙華」とも言いますね。高見君の送ってくれた写真の中からこれを選びました。彼のメールに『秋の花はどうしても地味になってしまいます。1番目は「彼岸花」です。この花は作品にするのが難しくて、これと言うものが無いのですが、9月の花としては外せないと思い、・・・入れました。』とあります。水滴をまとった花の姿を捉えた写真は、生気に溢れて美しい。この花への私のイメージが変わりました。
この秋のビックイベントは、10月28日の12期同窓会です。案内状ができ、その発送が終わりました。これから直前まで、さまざまな準備が具体的に進められます。
ご承知のように、今回が大阪での同窓会の最終回になります。それだけに、幹事の皆さんの意気ごみもひとしおです。合言葉は、案内状にあるように、『 市岡と12期に感謝 !! そして12期生を支えてくださった方々に感謝 !! 』です。
33年、13回を数える同窓会の最終回らしく、有意義で楽しい同窓会になることでしょう。一人でも多い、同窓生皆さんのご参加を楽しみにしております。
さて、わが「12期の広場」9月号のラインアップは、次の通りです。お楽しみ下さい。
1.「2018大阪府立市岡高等学校12期生最終同窓会のご案内」
2.「同窓会の案内状を発送しました」
3.「同窓会33年によせて ②」 ・・・・・・・・・・ 5組 泉 信也
以 上
2018年9月1日
2018.8.25
12期の皆様へ
大阪府立市岡高等学校12期同窓会幹事会
代表幹事 酒井八郎
2018 大阪府立市岡高等学校
12期生最終同窓会のご案内
12期の皆様、おかわりございませんか。12期生最終同窓会のご案内
昭和32年4月、男子250名、女子150名 総勢400名で市岡高校に入学した私達12期生は、卒業25年を経て、初めての同窓会を東急イン梅田で開催しました。以後、5年毎の定期開催にし、還暦を迎えてからはそれを2年毎に変更して、通算12回の同窓会をかさねてまいりました。
昔、旧制中学の大先輩でもある玉田先生が、『100人も集まる同窓会ができるのは、12期が仲が良かった証しだ!』とおっしゃるくらい、毎回、日本全国から多くの同窓生にお集まりいただいたこと、幹事一同、心から感謝しています。
打ち合わせや連絡、その確認で、ご自宅に電話を入れても、ご主人であったり、奥様であったり、時にはご家族の方が受けて下さることがありました。そのたびに、『ああ、市岡の方・・・』と暖かくお話していただくことが多く、12期のご家族の方々の応援があってのこその同窓会だと感謝しております。
そんな12期生を、卒業後も見守り続けてくださった恩師の先生方に感謝申しあげます。
43才から77才迄、33年間続けてまいりました大阪での12期同窓会も、近年、各クラス幹事さんに体調不良が続出し、今までの形の同窓会を開催することが困難になり、今回が大阪での最終回の同窓会になります。
これまで同窓会のご案内をお送りしますと、さまざまなご事情で「出席」より「欠席」の返事が多かったのですが、ほとんどの方が、『皆さんによろしく』と書いて下さいました。もし、ご都合をおつけていただけるなら、今回はお一人でも多くの方にご参加いただけたらと願っています。
幹事会では“市岡と12期に感謝 !! そして12期生を支えてくださった方々に感謝!!”を合言葉に、最終回を想い出に残る同窓会にしようといろいろ計画しております。どうぞお楽しみに。
出欠のご返事は、9月末迄に同封の返信ハガキでお願いいたします。また、会費の振込も合わせてお願いいたします。前日か当日、ホテルご宿泊ご希望の方は、なるべく早く、酒井迄ご連絡下さい。
-記-
2018 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会
日時 : 平成 30年10月28日(日) 午後12時半 受付開始
本会:1時00分~4時00分 二次会:4時15分~6時15分
会場 : ホテル クライトン 新大阪 TEL 06-6885-1211
大阪市淀川区西中島2-13-32(地下鉄西中島南方駅、西へ徒歩5分)
会費 : 本会 10,000円 、二次会 2,000円
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2018年9月1日
8月25日(土)午後2時から、母校の同窓会会館で、2018同窓会の案内状発送作業をかねた、12期同窓会幹事会が開かれました。
この日は、猛暑日。暑い中、八島節子さん、高橋三和子さん、酒井政子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、峰松幸子さん(2組)、石井孝和君、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君、古藤知代子さん(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、塩野憲次君、末廣訂君(8組)の20名の幹事さんが、参加されました。

まず、案内状の発送作業をしました。手持ちの同窓会名簿と、印刷された宛名タグとの住所確認と照合を行い、食い違う住所は手書き補正をして、案内状、返信ハガキ、振込票、案内地図を封筒に入れました。
これが毎回のことで、慣れたとは言え、案外に手間取ります。
「あの人の住所タグがないでェ」、「この人の住所が間違っているでェ」、「この人には是非きてほしいなぁ」などとワイワイ、ガヤガヤ。この作業にも「これが最後の発送作業か!」との思いが、にじみ出ていたようです。
一人でも多くの同窓生との再会を願って、総数250余通を発送しました。
続いて、同窓会のプログラムについて協議しました。最初に、特別講演として、大阪府無形文化財に指定されている、海老江八坂神社の「宮座・頭屋神事」について、8組の末廣訂君からお話しして頂くことになりました。末廣家は江戸時代からの宮座の一員です。
次に、代表幹事の酒井君から、各クラス単位でイベント企画を出してほしいとの提案があり、それについて議論しました。
いろいろ意見は出たのですが、結局、1組は歌、2組は日舞、3組は健康体操のショートスピーチ、4,5組は社交ダンス、6組は写真についてのショートスピーチを、ご披露して頂く方向になりました。最後にふさわしく、楽しい同窓会にとの企画ですが、どうなりますか、今から楽しみです。
午後4時半頃に、10月の直前幹事会、12月の纏め幹事会の日程を決定して、終わりました。
この日は、猛暑日。暑い中、八島節子さん、高橋三和子さん、酒井政子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、峰松幸子さん(2組)、石井孝和君、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君、古藤知代子さん(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、塩野憲次君、末廣訂君(8組)の20名の幹事さんが、参加されました。

まず、案内状の発送作業をしました。手持ちの同窓会名簿と、印刷された宛名タグとの住所確認と照合を行い、食い違う住所は手書き補正をして、案内状、返信ハガキ、振込票、案内地図を封筒に入れました。
これが毎回のことで、慣れたとは言え、案外に手間取ります。
「あの人の住所タグがないでェ」、「この人の住所が間違っているでェ」、「この人には是非きてほしいなぁ」などとワイワイ、ガヤガヤ。この作業にも「これが最後の発送作業か!」との思いが、にじみ出ていたようです。
一人でも多くの同窓生との再会を願って、総数250余通を発送しました。
続いて、同窓会のプログラムについて協議しました。最初に、特別講演として、大阪府無形文化財に指定されている、海老江八坂神社の「宮座・頭屋神事」について、8組の末廣訂君からお話しして頂くことになりました。末廣家は江戸時代からの宮座の一員です。
次に、代表幹事の酒井君から、各クラス単位でイベント企画を出してほしいとの提案があり、それについて議論しました。
いろいろ意見は出たのですが、結局、1組は歌、2組は日舞、3組は健康体操のショートスピーチ、4,5組は社交ダンス、6組は写真についてのショートスピーチを、ご披露して頂く方向になりました。最後にふさわしく、楽しい同窓会にとの企画ですが、どうなりますか、今から楽しみです。
午後4時半頃に、10月の直前幹事会、12月の纏め幹事会の日程を決定して、終わりました。
2018年9月1日
5組 泉 信也
同窓会は一瞬にして時空をとびこえ、心の若さを取り戻せる場所です。大阪、東京と会場はちがえど、33年を営々としてたえることなくお世話いただいた幹事役の諸兄姉のご努力に脱帽し、感謝いたします。
僕はと云えば、1987年に米国駐在から帰国した当時はビジネスマンにとって「会社が社会」の時代で、日々の仕事に追われ、同窓会どころではないというのが実情でした。妻の方は永い空白を取り戻そうとするかのように旧友との交流を再開し、同窓会の楽しさを語ってやみません。
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大阪の集いに毎回欠かすことなく参加するうちに、東京でも集まろうという機運がおこり、山田君、榎本君の肝いりで2003年11月7日、東京駅の会場にて「市岡高校・東京12期会」第1回の集いが発足しました。連絡のつく東京在住者55名の内、30名が出席、大阪からは張君、末廣君、別宮君が同期会の大旗とともにお祝いに駆けつけてくれ、大いに盛り上がりました。
以降は銀座に会場を移し、大阪と交互の実施で、昨年は11月11日、霞が関会館にて第8回を開催、この間の延べ参加者は185名を数えるに至っています。大阪からのゲストを交え、柴又やスカイツリーなど、地元に居ながらも知らない東京名所を楽しむのも毎回の慣例行事となりました。
東京でのイベントとして特筆できるのは「川歩き」のシリーズです。今は亡き川合君の提案で、健康のために歩きましょう、折角なら目的地を定めて、と云うことで始めたのが「利根川歩き」。

季節の集まりとしては忘年会、新年会、高尾山での暑気払いなど、もっぱら飲み会と云うことになりますが、時に応じ圓尾君の絵画展や山田君の陶芸作品などを肴にしたり、小野君の案内で宇宙空間(JAXA)に飛び出したりもしています。最近では大石橋君の細君、

話はそれますが現在NPOホームケアエクスパーツ協会で在宅看護の手伝いをしています。そのうち自分たちが世話になるから、と始めた仕事ですが10年を経て活動の規模、基盤も大きくなり、そろそろ世代交代してバトンタッチの準備も始めねばなりません。喜寿を迎えた我々ですが、今現在の平均余命は女性で13年弱、男性でも10年余と云われます。できるだけ健康寿命を延ばせるよう心がけ、一日一日を楽しく充実して生ききれるようにと願っています。
2011年1月1日にスタートした「12期の広場」を読みかえしてみると、広場に集う寄稿者とともにあらためて張君のご努力に頭が下がります。そして大切な支え役の榎本君にはHP委員長の大役を押しつけた一人として、大いなる感謝を添えて以下に彼の「独白」を紹介し、この稿を終わりたいと思います。
“広大無辺の宙のした、50年の軌跡が描く小さな円がある。それが「12期の広場」。それは尽きることない物語と、いまだ褪せない憧れの森。外は海鳴り轟く大海原。そしてその往還はささやかな心の糧。さあ、また再び一人旅立とう。友の「和の心」を櫂にして。”
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2018年8月20日
37期生は4年に1度の同期会とは別に毎年「クラス会」を開催しています。例年30~40名の方にご出席いただき、楽しいひと時を過ごしています。
さて、今年のクラス会は、下記のとおり10月6日(土)に開催することとなりました。37期生の方であればどなたでも参加できますので、是非、ご出席ください。
以上
さて、今年のクラス会は、下記のとおり10月6日(土)に開催することとなりました。37期生の方であればどなたでも参加できますので、是非、ご出席ください。
市岡高校37期クラス会 幹事 久米秀樹
記
会の名前 | 第17回市岡高校37期クラス会 | ||||||
1次会 |
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2次会 |
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お申し込み・ お問い合せ |
1次会・2次会それぞれの出欠のご都合を9月10日までに電子メールでご連絡下さい。 市岡高校37期クラス会 幹事 久米秀樹 携帯電話: 090-9285-1601 電子メール: kume7181☆gaia.eonet.ne.jp ※上記☆は@(半角文字)に変更してご利用下さい。 |
以上
2018年8月1日

今月号のカット写真は、「蓮」です。高見君から、これを含めて6枚の写真を送って頂き、この写真にしました。水生植物で、別名「水芙蓉」。花言葉に「清らかな心」があります。清々しく、気高くそして美しく咲く姿に、心が静まります。
本格的な夏、8月は始まったばかり。皆さん、くれぐれもご自愛くださり、この夏を元気に乗り切って下さい。
先日、3組の石井孝和君から、週刊ベースボールの「第100回全国高校野球選手権大会・2018夏甲子園予選展望号」(ベースボールマガジン社)を送って頂きました。表紙が「三本線」の帽子に身を固めた母校野球部員一同の写真です。感謝、感謝で、うれしくなり、見惚れて、机の前に飾っています。(東京市岡会報告-榎本君が今月号に投稿してくれた記事にその写真が添付されています。ご覧下さい。)
100回を迎えた夏の甲子園で、皆勤出場したのは、全国で15校のみ、大阪では市岡高校のただ一校です。第1回大会が1915年ですから、今年が103年目。戦時中の非開催が、あっての第100回大会で、その開会式で市岡野球部のキャプテンも入場行進するそうです。
残念ながら市岡高校は北大阪地方予選の第2回戦で敗退しました。応援に行った4組の寒川君からメールが届きました。
『過酷な環境下、生田投手が好投し、7回に2点を先取、8回表からエースナンバー1の勝田投手がリリーフするも9回に同点とされ、11回エラーからピンチを招き、1点を与え、残念な逆転負けでした。
この日は勝田君のコントロールがよくなかったこと、内野手のエラーが多かったことなど、若いとはいえ、酷暑による影響が出た感じでした。が常翔啓光学園も同じ条件下、3人の継投と強打で見事な逆転勝ち、あっぱれ! という勝利であったと評価してあげたい気持でした。しかし、いい歳をこいて、炎天下、よく応援にいけるねと、妻には相当な心配をかけたようです。』
寒川君は、昭和34年(1959年)、エースで4番打者であった三井君はじめ、森君、山田君とともに大阪大会の準決勝を戦った時の野球部マネージャーです。その時のことを「12期の広場」(2013年8月号の「盛夏の思い出」)に書いてもらっています。
『終盤8回の裏を迎えた。塁上にランナー2人を置き、4番ピッチャーの三井君がバッターボックスに立った。遂に彼のバットが久野(八尾高)の投じた一球を芯で捉え、レフトオーバーの2塁打で2点を返した。市岡が湧きに沸いた瞬間である。ベンチでスコアをつけていた私は鳥肌がたち、絶叫したことを覚えている。しかし反撃はそこまでであった。
藤井寺に試合終了のサイレンがなったとき、それは市岡高校での硬式野球部の部活の終りを告げられたときであった。そして西日のさす中、三塁側で応援の皆様に挨拶にいったとき、無念さと非情さに涙がとまらなかった。特に三井君の好投に報いてやれなかった森君、山田君と共に、私は彼に好投と強打に対する賞賛の言葉をかけても空しさしか残らず、何を言っても慰めにならないことに気付いた。体調不良のままマウンドを守った三井君と共に戦いに挑んだ3年生、礼儀正しい2年生・1年生の後輩たちに感謝し、今も誇りに思っている。半世紀余りを振り返ったとき、それが高校野球であり、そして暑い夏を同期生とシェアした青春時代の大きな夏の思い出である。』
何回読んでも、心が熱を帯び、確かに甲子園に手がかかったあの時の記憶が鮮やかによみがえります。そして100回の重みが胸にずしりと落ちます。絶えることなく続いた歴史と輝かしい伝統、その誇りを胸に、堂々と行進する姿をしっかり見届けたいと思っています。
さて「12期の広場」今月号のラインアップは次の通りです。今月号から「同窓会33年によせて」を4回にわたって連載します。お楽しみ下さい。
1. 「2018 第2回同窓会幹事会が開かれました。」 ・・・・・・ | HP委員 |
2. 「同窓会33年によせて①」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 8組 川村 浩一 |
3. 「東京市岡会」参加報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 8組 榎本 進明 |
2018年8月1日
今秋の同窓会(日時:10月28日 日曜日 場所:ホテルクライトン新大阪)開催に向けての「2018 第2回同窓会幹事会」が6月30日(土曜日)午後2時から母校100周年記念会館で開かれました。
ここには、八島節子さん、高橋三和子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、藤田克子さん(2組)、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、武田博君、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、末廣訂君(8組)の17名が出席されました。三重県津市にお住いの柏木さんは、この日、母校近くの知人宅を訪問しておられ、午前中に用事をすませ、丁度幹事会があることを知って参加されました。幹事会は常に幹事以外の方の飛び入り参加は大歓迎です。

御存じの通り、大阪に一同が会する従来形の同窓会は、今秋の同窓会を最後に、終了することになります。それを踏まえて、今回の幹事会は、さらに愉しい同窓会、意義ある同窓会にするための具体的内容を決めるものでした。
幹事会では代表幹事の酒井君から、今同窓会の主な内容についての提案があり、まずテーマについて話し合いました。
「まだ77才、一花咲かせよう」や、「市岡と12期生に感謝と乾杯を」、「哀愁と有終の美、12期生最後の同窓会」「喜寿を迎え友情温め元気倍増」などの意見がありました。同窓会は、1985年(昭和60年)に第1回が開催され、今回が13回目になります。母校卒業後、42~43歳の壮年で再会した私達もいまや喜寿を迎えています。33年の長きにわたり同窓会を続けることが出来たのは、同窓生皆さんの熱い気持ちと、ご協力があってのこと。したがって、テーマのもっとも大切なキーワードは、「感謝」と「友情」と「元気」になりそうです。代表幹事の酒井君に一任の形でこの議論は終わりました。
次に会費と案内状発送の期日、当日の司会担当者などを決めました。会費は本会が10,000円、二次会2,000円とし、案内状発送作業は8月25日に100周年記念会館で行うこと、また、本会の司会は、末廣訂君と段中文子さんにお願いすることなどで一致しました。
当日のプログラムについても話合われました。
いつもの内容に加えて、同窓生の皆さんが常日頃、励んでおられるお稽古事や趣味の幾つかを披露していただくことになりました。候補として、日舞、写真、陶芸、社交ダンス、絵画などが上がり、8月25日の幹事会までに候補者に連絡し、具体化することになりました。どんなプログラムになるか、今から楽しみです。
以上、幹事会は無事終わり、時間が許せる10人の幹事さんと恒例の食事会でまた盛り上がりました。
ここには、八島節子さん、高橋三和子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、藤田克子さん(2組)、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、武田博君、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、末廣訂君(8組)の17名が出席されました。三重県津市にお住いの柏木さんは、この日、母校近くの知人宅を訪問しておられ、午前中に用事をすませ、丁度幹事会があることを知って参加されました。幹事会は常に幹事以外の方の飛び入り参加は大歓迎です。

御存じの通り、大阪に一同が会する従来形の同窓会は、今秋の同窓会を最後に、終了することになります。それを踏まえて、今回の幹事会は、さらに愉しい同窓会、意義ある同窓会にするための具体的内容を決めるものでした。
幹事会では代表幹事の酒井君から、今同窓会の主な内容についての提案があり、まずテーマについて話し合いました。
「まだ77才、一花咲かせよう」や、「市岡と12期生に感謝と乾杯を」、「哀愁と有終の美、12期生最後の同窓会」「喜寿を迎え友情温め元気倍増」などの意見がありました。同窓会は、1985年(昭和60年)に第1回が開催され、今回が13回目になります。母校卒業後、42~43歳の壮年で再会した私達もいまや喜寿を迎えています。33年の長きにわたり同窓会を続けることが出来たのは、同窓生皆さんの熱い気持ちと、ご協力があってのこと。したがって、テーマのもっとも大切なキーワードは、「感謝」と「友情」と「元気」になりそうです。代表幹事の酒井君に一任の形でこの議論は終わりました。
次に会費と案内状発送の期日、当日の司会担当者などを決めました。会費は本会が10,000円、二次会2,000円とし、案内状発送作業は8月25日に100周年記念会館で行うこと、また、本会の司会は、末廣訂君と段中文子さんにお願いすることなどで一致しました。
当日のプログラムについても話合われました。
いつもの内容に加えて、同窓生の皆さんが常日頃、励んでおられるお稽古事や趣味の幾つかを披露していただくことになりました。候補として、日舞、写真、陶芸、社交ダンス、絵画などが上がり、8月25日の幹事会までに候補者に連絡し、具体化することになりました。どんなプログラムになるか、今から楽しみです。
以上、幹事会は無事終わり、時間が許せる10人の幹事さんと恒例の食事会でまた盛り上がりました。
(HP委員 記)
2018年8月1日
8組 川村 浩一
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先日、6月30日に母校・同窓会館にて幹事会があった。今年、喜寿にて同窓会をいったん終了とするとのこと。
この最後の同窓会の標語は?という酒井君の問いかけに「まだ七十七、もう一花咲かせよう」と提案。却下されたようだが、いいと思うんですがねー。
幹事会後の食事の席で一十百千万健康法が話題になった。私は大学の友人から「一日に一万歩歩き、千文字書き、百回笑い、十人の人と会い、一回感動する」と教えられたが、いろいろ亜流があるようだ。変わらないのは一日一万歩くらい。段中さん(5組、旧姓高田)は「千文字書くのは無理、千文字読むことにしている。」とのこと。また柏木さん(7組、旧姓後藤)は「一回発見し一回感動する」と言っている。いずれにしても大いに人と会い、脳と心を鍛えた方がいいようだ。気心の知れた旧友とたまに会うのは心身を若返えらせてくれる。
思えば12回の同窓会のコアの「効用」はこれだったのかも知れない。
最初の同窓会は33年前の1985年(昭和60年)だそうだが、その頃、同窓会的に私は住所不明者であった。そのあとクラス幹事が私の住所を見つけてくれ、第2回の1990年(会場はホテルニ
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因みに山本芳彦君(8組-当時大阪大学理学部数学科教授)もこの時出席していた。「12期の広場」2011年4月号に山本君のことを書いているので、もう一度読んでください。検索は「山本芳彦 市岡」で初っ端に出てきます。
第1回を除いて多分皆勤。第3回の1995年はホテル堂島。この頃から幹事になった。この幹事会がまたいい。これまでの形の同窓会は終わるとしても、何らかの形の同窓会は続くと思われるので皆さん!ぜひ幹事会から参加ください。
米国の研究にこんなのがあります。
ビジネスマン何十人かに協力してもらっての調査。それぞれの今抱えている課題について
①日頃しょっちゅうあっている人
②かつて仲良くしていたが今は疎遠になっている人
にアドバイスをもらい役に立った程度を評価した。すると②の方が高得点だったそうだ。②かつて仲良くしていたが今は疎遠になっている人
別に同窓会を損得で考える必要はありませんが、たまに会う友人の意義を証明しています。
今後も年に1、2回会って大いに笑いたいですね。
追記
この原稿を書くにために日記を開いた。以下はその時の備忘用メモ。ただし、記憶が曖昧な2000年までと限定したが、書かなかったものを含めて、かなりある。自分は人付き合いに淡白な方と思っていたが、意外である。
1985年には1回目の同窓会のあとだが塚本君の家を探し出して訪問している。
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1985年はいつどこで?上野君の50周年の文を見るが、見当たらない。
1990年9月30日:同窓会の連絡あり。塚本君に伝える。案内書と同窓会名簿を送る。
左から平野、稲田、末廣、堀田、源長、林、川村、東野、緒方の皆さん。3年8組の面々で、中央のお二人がクラスの女子同級生でした。
1990年11月17日:卒業アルバムや同窓会名簿で一所懸命昔を思い出そうとした。1990年11月23日(金) 卒業30周年の同窓会
Hオークラ(正しくはニューオータニらしい) 鳳凰の間 16時 110名 8組は19名
玉田先生、白井先生、北村先生ほか恩師臨席。
会費15000円、2次会は梅田の紫光、会費5000円。クラス幹事は末廣、林。
1990年11月24日:まだ同窓会の余韻あり。
1990年11月26日:東森君の住所を調べて張君に伝える。
1990年11月28日:山岡君の住所を調べ張君に連絡。山岡、東森両君に名簿を送る。
1990年12月 6 日:京大の名簿から福島君の住所等調べTELする。
1990年12月29日:塚本君が来る。飲む。
1991年11月24日:塚本君の通夜 市岡の同窓生13人日集まる。
1995年の同窓会は10月21日、堂島ホテル。
2時前から準備、4時本番。2次会は梅田グランヴィアのアブ。その後、8組の仲間とラーメン。
2000年3 月18日 同窓会準備が動き始める。
2000年4 月19日 茨木徳秀園でお花見。幹事、同窓生とその奥さん方5人含めて38人。
2000年7 月22日 ほの字の里で幹事会、24人参加、その内宿泊は13人。
2000年8 月15~18日 あちこちに電話など。
2000年10月28日、卒業40周年記念同窓会。
ホテルグランヴィアのアブ、102人。8組は19人。3次会に稲田君の馴染みの北新地の店。
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