同期会

「同窓生を訪ねて」  細胞再生医療のもう一人の旗手、辻紘一郎君

7組   張 志朗
 
 1月23日から24日にかけて、8組の榎本進明君と一緒に、辻紘一郎君が社長をしている(株)ツーセルの本社(広島市南区比治山)を訪ねました。目的は、今なお現役、元気一杯にツーセルを牽引する辻社長の活躍ぶりと先端的再生医療分野で実績を重ねるツーセルの姿を目の当たりにすることです。
 昨年の東京12期会で、榎本君に広島行きの計画を話したら「旅行を兼ねて行ってみたい」と返事があり、すんなり決まりました。そして、大雪で交通混乱が起こっていた首都圏、横浜から例の腰痛対策用のコルセットを装着して来てくれました。
 榎本君は仕事で何回か広島に来たことがあるとの事ですが、私は30代に6年程住んだことがあります。広島市は中四国最大の都市で、都市機能と人々の生活とのバランスの妙があり、瀬戸内とそれにそそぐ川と山並みに囲まれた美しい街でもあります。なつかしさがこみ上げました。
 (株)ツーセルの本社は広島駅からタクシーで15分程度の市街地中心部にある、「広島産業文化センター」ビルの11階にありました。ここには本社機能と要の製剤化技術開発設備「gMSCセンター」(細胞培養を主にしている)があります。
 「市岡の自負を胸に」
 午後2時頃、ちょっとドキドキしながら訪問を告げて、社長室に案内されました。社長室は窓から瀬戸内や島が眺望でき、明るく、虚飾を排して実に機能的です。この日も膝軟骨再生細胞治療 製品の治験(患者さんを対象にした移植治療試験)が始まっているせいか、電話連絡や打ち合わせが多かったようで、活力にあふれていました。
 「忙しすぎて迷惑では」との思いがよぎりましたが、辻君の満面の笑みと「遠路はるばる御苦労様」の言葉に気分がほぐれ、いつもの「市岡のよしみ」です。彼はこの時間まで昼食もとれなかったようで、食事をしてもらいながら、再会を喜び、いろいろと話をしました。
 まずは、辻君の写真入りで印刷されたプロフィールを頂きました。1941年生まれの次に1960年大阪府立市岡高等学校卒業の文字が光っています。1964年信州大学農学部卒業後、中外製薬株式会社に入社、1985年東京大学で農学博士号を取得、「開発研究所実験動物・安全性センター長・メディカル事業部部長」を経て、2001年に退職、同年に科学技術振興機構(JST)のプレベンチャー事業「骨・軟骨再生療法チーム」サブリーダー、2003年に株式会社ツーセルを起業、社長に就任とあります。また、座右の銘は「自然流(じねんりゅう)で行こう」だそうで、「力まず」「はしゃがず」「嘆かず」「腐らず」「おごらず」とあります。同窓会で会うたびに感じていた辻君のかわらない明るさと元気、形にはまらない発想やチャレンジ精神が、座右の銘とダブってうれしくなります。
 会社規模について聞きました。広島には本社と「gMSCセンター」、出汐(でしお)オフイス/ラボがあり、東京の文京区に「東京オフイス」があるそうです。資本金は10億8250万円、従業員は50名です。
 起業16年目に入ったツーセルとはどんな会社なのかを知りたいと思って辻君を訪ねたのですが、これがなかなか難しい。ツーセルの資料によれば、「間葉系幹細胞をターゲットにした、研究・開発・上市(マーケティング)の一貫体制を持つ価値創造会社」とあります。まず「間葉系幹細胞(MSCと言います)」ですが、成体幹細胞の一つで、人の骨髄、脂肪、臍帯、滑膜(関節周囲にある組織)などに含まれています。この幹細胞が骨、軟骨、腱、脂肪、神経に分化する能力をもっているので、これを抽出し、培養すると同時に、それを再生医療に実用化するための研究や開発を行い、薬や治療法として医療現場に提供する会社と理解しました。したがって事業の内容は、多岐にわたっています。末尾注①をご覧ください。
 「優れものの“無血清培地”」
2階の製剤化技術開発設備「gMSCセンター」を案内していただきました。辻社長と彼のお嬢さんである黒田経営企画部部長代行にその説明を聞きました。この施設では、大阪大学から提供を受けた滑膜組織から、まず目的の間葉系幹細胞を抽出します。そしてそれを初代として培養し細胞の数を増やします。次にその幹細胞を継代としてさらに培養し、実用化のための人工的組織(gMSCⓇ1)にするツーセルの肝心要の設備、いわば幹細胞の工場です。ビルの一角に、壁・床・天井を二重に設け、電気設備や、エアコンをビルのそれとは独立した系統にした完全なクリーンルームだそうです。ここで活躍しているのが、無血清培地のSTKⓇ1、2、3。これはツーセルが研究開発し製品化した"すぐれもの”のひとつで、すでに「STKⓇシリーズ」として販売されています。STKは、本技術の発明者の頭文字だそうです。
 「gMSCセンター」は人の自然治癒力に全幅の信頼を置く辻社長の想いがつまった施設です。ここには第1培養室から第3培養室、そしてそれに関わる各種先端精密機器があります。私達が見学(ただし窓越し)できたのは第3培養室の一部のみでしたが、品質が安定していて、しかも元気がよく、安全でフレッシュな幹細胞をつくる意気込みが窓越しに伝わってきます。しばらくすれば、この施設がさらに大規模になり、将来の工場の心臓部として稼働することになるのかと思うと胸が躍ります。
 「“絵描き”のスピリット」
 夜、三人で食事をしました。広島駅の駅ビルにあって瀬戸内の美味しい魚介類を食べさせてくれる気さくな居酒屋です。老齢にあるとはいえ、「三人寄れば」何とか、いわんや成績はさておき、個性が際立つ市岡の同窓生。飲むのも食べるのも話すのも止まることがありません。細胞についてのトンチンカンな質問をしては、辻君を困らせたようですが、答えはよどみなく、研究と開発のプロフェツショナルならではの明快さでした。やはり楽しい話は高校時代の話、特に初めて聞いた美術部の話は印象深いものでした。授業を抜け出し部室で絵をかいていると、授業中の杉野先生が「これからが良い所、辻を呼んで来い」と山田正敏君が呼びに来た話には爆笑です。当時の美術部は日本の近代絵画の革命児と言われた小出楢重を大先輩にもつ自負があふれていて、大阪の府立高校の中にあっても高いレベルだったそうです。後に陶芸家になった徳本正孝君、デザイン画の才能が光っていた加藤訓子さん、なつかしい名前が出てきました。恩師で強い影響を受けたのも先頃亡くなられた、美術部顧問の梶野先生だそうです。3年次の担任でもあった数学の杉野先生、生物の水野先生はじめ多くの恩師のお名前も出ました。
 彼は、今も時間を見つけては絵を描いています。彼にとっては絵を描くことが、リフレッシュすること、自分を見つめること、思索すること、そして、今日に続く創意とエネルギーを生み出すことなのかも知れません。社長室の窓から見える安芸の宮島の弥山(みせん)や春、桜でピンクに染まる黄金山は、それを刺激してやまないようです。
 翌日、彼の描いた絵がたくさん飾られている社長室でインタビューもどきの話が続きました。
 辻君が最初に話してくれたのが「常識」をこえる事です。幾つかの例をあげながら話してくれましたが、普通定年を迎える60才を越えて仕事をやめるのではなく、新規事業の起業に身を投じ、その社長を15年にわたり務めている事に始まり、東京ではなく、中四国第1の都市とはいえ、地方都市である広島で先端的なバイオベンチャーを牽引している事や、ツーセルの研究・開発でも多くの特許や周辺技術をユニークに組み合わせて相乗効果を引き出している事など、その説得力は抜群です。
 バイオベンチャーにおいて資金提供をうけることは、事業成否の決め手になり、現実に多くのベンチャーが挫折しています。また市場規模が莫大なゲノム創薬にかかわる分野だけに経済的・社会的・倫理的問題をはらみがちです。それらについて辻君の立ち位置は、驚くほど原則的で、コンプライアンス遵守です。
 昨年5月、大塚製薬がツーセルの第三者割当による募集株式を引き受け、再生医療について連携する契約を結びました。辻社長は3億円の資金調達と新分野の中枢神経疾患領域への研究と実用化の加速もさることながら、「何よりもツーセルの社会的信用が大きくなった」と笑っていました。
 「実用化にあと一歩」
 2016年4月にライセンス契約を結んでいる中外製薬(ライセンスとロイヤリティで60数億との報道もある)と、昨年11月に膝軟骨再生細胞治療製品(gMSCⓇ1)の第Ⅲ相比較臨床試験(治験)の第一例目手術実施が発表されました。この治験は、70床例を目標にしているそうです。第Ⅲ相(フエーズ3、とも言われる)治験はもっとも厳しい内容。調べてみるとここに至るのには、最低10年の歳月と莫大な資金が必要です。それを質問すると「私達は15年をかけてここまできています」と、胸をはっています。臨床試験を終えて、医療現場に提供されるのは早くて2年先。それも世界初と言われる革新的な他家での膝軟骨再生治療製品です。その間、いくつものハードルを克服し、ツーセルが作る「gMSCⓇ1」(同種他家移植用の再生医療細胞製品)の安全性と有効性を確立していかなくてはなりません。辻社長を訪ねている間にもそれに関する連絡・協議と思われるものがいくつかあったようです。辻君の対応は、気持ちが良いほど明快で、自信にあふれるものでした。
 ツーセル資料に「私たちツーセルでは社員一人ひとりをジャックと呼んでいます。」とあります。童話「ジャックと豆の木」のジャックの冒険に重ねあわせてのことです。ホームページにも「発見伝-みんなのアンテナ」(社員の気づきを各自が書いたもの)と言う読物がありますが、それからも社内のチャレンジャーらしい自由な発想をうかがえます。
 信頼に値する「ジャックの仲間達」の先頭にたっているのが、辻紘一郎君なのです。
 MSC(間葉系幹細胞)は骨・軟骨への分化だけではなく、神経や腎臓、膵臓にも分化する細胞であることが分かっていますが、すでにツーセルは大塚製薬と連携するなど、脳梗塞などの中枢神経領域への実用化へと歩み始めています。
 12時前、辻君との話は時間切れになりました。12時半頃の新幹線で東京出張、この日も昼食はバタバタと、車中の駅弁になったようです。榎本君も新横浜まで同行しました。
 「見果てぬ夢」
 二日間、彼からたくさんの話を聞き、柄にもなく、人の病や人体の神秘、特に幹細胞と再生医療について考え、教えててもらいました。辻君は、病に向き合う時、「根治療法は無いのか?」と思い、「細胞を使った再生医療の可能性に興奮した」そうです。大学、中外製薬で研究・開発に携わっていただけに、その興奮は"運命(さだめ)”と思うほど押さえがたいものであったでしょう。人体は数十兆と言われる細胞の精緻な調和と働きにより生をつなぎます。そして、それは生命の深淵と見果てぬ夢-難病の根治治療の可能性を示しています。
 彼も今年が喜寿。すでに人生の第四コーナーを回った、同じ市岡12期のあの辻君です。しかし今なお、夢の真っただ中、辻紘一郎君は、細胞再生医療のもう一人の旗手であり続けていると言えるのではないでしょうか。
                 
注① ツーセルの業務内容
 1) 医療用の遺伝子や細胞、試薬や医薬品、材料などの販売 2) 医療機器、医療器具の開発・研究とその販売 3) 遺伝子と細胞の診断法や培養法に関する研究開発と装置の製造および販売4) 再生医療に関するシステムの開発・販売

「同窓生を訪ねて」  自然治癒とは何か

8組 榎本 進明
 1月23日(火)は前日の大雪が止み快晴であった。しかし、電車が定刻通り動いているか不安であり、少し早めに家を出る。新大阪駅で7組の張志朗君と待ち合わせているので、遅れることだけは避けたい。半分祈る思いで横浜を出発した。しかし、そんな心配はなく新幹線は定刻通り新大阪駅に着く。20番ホームでは既に張君が待っていた。駅弁も買ってくれていて、一路広島に向かう。
 辻紘一郎君には昨年の11月に東京での12期会で会ったばかりであるが、今回はじっくりと彼から『ツーセル』の話を存分に聞くことが目的であったので、楽しみが大きくてウキウキしていた。彼と同窓会で会っても、いわゆる雑談をしている時に『自然治癒力』の話はでるが、こちらも腰が痛いとかの相談をして名医を紹介していただくのがせいぜいで、即効的なモノを求めていた。中身をほとんど知らないままに別れていたのがもどかしかった。
 今回、彼を訪問して2日間、徹底的に教えてもらって『自然治癒力』の奥深さの穴を埋めることが出来たのは筆者にとっては大きな収穫であると同時に、彼の仕事の偉大さに感銘したことであった。
 考えてみると世の中が進化して病気にかかることも、治ることも、その原因がわかってきている時に、あらためて『自然治癒力』を声高に言われても、『そんなのはわかっている』という先入観があって、それ以上の質問もしてこなかったのであった。今回、筆者の愚問に対しても、彼のわかりやすい説明と『実験からわかった真実』を聞かされて、謎が解けたことで、彼の偉大さを実感したことは幸せであった。
1.不思議な力
 それでは何がわかったのか。不思議な力が解明できたことである。2日目の仕事が終わったお昼過ぎ、彼も客先との打合せのため東京に出張ということで、のぞみ号で話す機会を持てた。そこで、まだモヤモヤしていたことがあったので、『自家と他家』について聞いてみた。
2.自家と他家
 まず、素人の筆者及び読者の方は、自家は自分、他家は他人、とご理解ください。
自分の細胞は安心、他人の細胞は危険。筆者はこのような常識を何となく持っていたのが現状。それは『拒否反応』がある。『がん化』するという不安である。結論から言うと、彼は『世界で初めて』この疑問を克服・解決したのがすごいところである。
 母親が赤ちゃんをお腹に宿した時に、母親と赤ちゃんは『自家』だと筆者は思っていた。実は間違いとのこと。『他家』なのである。『そんな馬鹿な』が本音でした。しかし、彼の中外製薬(株式会社シー・エス・ケー実験動物研究所)での数多くの実験から導いた結論であった。でも、当時は彼の結論を誰も見抜けず・信用せず、社内ではこれ以上仕事を先に進めさせてくれなかった。それでは自分でやってみようと起業した動機となったのである。
 母親はO型、子供はB型、そのような親子がお腹の中で血管を通して栄養補給のため血液が循環している。これは明らかに『他家』の二人であるとのこと。『そう言われてみると・・・・』が本音。しかし、この考え方がベースにあって、現在の膝関節の病気を治すために『治験』に入って、現在、第3フェーズ(許認可の1歩手前)まで進んでいるのが現状。
3.世のため、人のため
 1人の細胞で何万人にも投与でき、病気を治せるのは素晴らしいことであるのは言うまでもない。自分の細胞は自分にしか使えない、というのに比べて、格段に量産性があることが素晴らしい。このような夢に向かって邁進しているのが、彼と50人の仲間達である。ツーセルのオリジナルTシャツにもその文字が躍る。
4.次は脳へ
 残念ながら膝は膝にしか使えないようだ。それで次のターゲットは脳だ、と彼は言う。
脳梗塞の人を助けたいとのこと。元巨人の長嶋さんに右手でキャッチボールをさせてあげたいと熱く語っていたのが印象的であった。神経細胞の再生は、膝と理屈は同じことであるから今から楽しみにしている。
5.五年きざみ
 彼は相当前から自分の体と相談しながら、コントロールしながら、生活をしている。
その習慣は、今から思えばいい習慣となっている。短時間に効率よく物事が進んでいる。しかし、焦っているようには見えないのは、芯が一本通っているせいだろう。
そして、記憶力が全く衰えていないと感じた。メモを取る暇もないようだ。テキパキとスタッフに指示を与えているのを目の当たりにして感じた。
6.量産は自分たちの工場で
 今は量産前なので、いわば手作りで、自分たちで培養して作っている。同じビルの2階にその工場はある。でも生産量は少ない。量産はどうするのだろうと筆者は想像した。ファブレス工場での生産か?と。しかし生産工場は自前でやりたいと言う。喜寿を迎えてこの生命力、ただものではない。やはりその生い立ちにさかのぼらないと一本芯の通った精神力は解明できないのではないか、と思った。
7.絵画が好き
 絵を描くことは、誰かの真似をすることではなく、常識にとらわれないことが重要。 忙しくても絵は相当量を今でも描いている。この『常識にとらわれない』ことが『常識外のこと』をやる原動力になっていることに間違いない。市岡で培った美術部での体験が今でも忘れないと語っていた。それが大学へ、会社での研究へ、そして今に続いているとのこと。ブレがないのが良かったとも語っていた。
8.最後に
 今の我が母校は廃校の危機に立っているのは悲しく思う。これを何とかするには、やはりトップのリーダーシップが必要ではないか?どのようなものかは、その人が考えるべきだが、筆者は『自由』ではないかと思う。辻君は『自由人』だと思ったからだ。彼にあなたならどうする?と聞いてみたが愚問だった。『そんなのわからない』と言われた。いい先輩がたくさんいらっしゃるが、それが今に繋がらなかったら『即効薬はない』と思う。強い運動部は、在校生が、毎年・毎年、卒業していっても、いつまでも強い。
 人間はそこで学んだ全てを持って卒業後も持ち続ける。辻君は今も市岡イズムを持ち続けている。当時の先生の授業中の言葉、考え方、入学式の校長先生の言葉、みな覚えていて、自分なりの咀嚼(そしゃく)を加えて生きている。彼が社員に『常識外』を強調しているのは、一言で言えば『自由人』でないと言えない言葉だと感じ入った
 ツーセルにはいたるところに彼の絵や、オリジナルのTシャツが壁に貼られたり吊るされたりしている。社長室のドアはいつもオープンで社長と話ができるようになっている。『先進的な仕事はこのような環境から生まれるのだなあ』と、後ろ髪を引かれる思いでツーセルをおいとましたのであった。ありがとうございました。


 

市岡高校19期同窓会新年会のご報告

2018年1月11日(木)18:00より、難波の蓬莱本店3階にて23名の参加を得て、新年会が開催されました。
 
川﨑代表世話人より、益々交流の輪を広げたいとの挨拶のあと下川幹事の乾杯発声でスタート
 
楽しく懇談が続き参加者全員で一言スピーチ
皆、元気に古稀を迎え、人生100年の計を図る。頼もしい限りである。

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市岡高校19期ピンポン同好会発足にあたって

 これまでの同窓会において「市岡の仲間と卓球を楽しみたい」との声が多く聞かれたことから、ゴルフ部会にならって卓球部会という名称で発足しました。そして昨年11月14日「HPC西なんば卓球センター」にて第1回練習会を10名(男子5、女子5)参加のもと開催しました。何十年振りという方から1日6時間/週5日練習している方までバラバラですが、しばらく練習すると若き日の感覚がもどり、ラリーも続くようになり、試合も恰好がついてきて、大いに盛り上がりました。
 「卓球部会」というと元卓球部の集まりで(実はそうではない)、敷居が高そうなイメージがするとの声があり、名前についての検討がなされました。実情は卓球というよりピンポンに近いことが判明したことから、名称を「ピンポン同好会」に変更することにしました。中には名称を「温泉卓球部」とし、温泉旅館に宿泊、入浴後浴衣/スリッパでの卓球に固執する方もおられましたが、それは今後の課題とすることとしました。
 このようにとにかくイージーな会ですので、是非皆様もお気軽にご参加ください。
練習会の後、難波の「蓬莱本館」にて適量の飲酒を伴う反省会を催し、互いの健闘を讃え合いました。反省会のみのご参加も大いに歓迎しております。
幹事:佐藤昇太郎(3年5組)
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「12期の広場」2月号のラインアップ

 2月、如月です。3日が節分、4日が立春ですが、これを書いている窓の外は雪。今冬一番の寒さが足元から這い上がってきます。
 旧暦の月の雅称や二十四節季と、実際の季節感がもっとも大きくずれて感じられる時候の一つが、この月ではないでしょうか。
 しかし1月の20日の大寒からは、それにぴたりでしたね。狙い澄ましたように、極寒の寒波が日本列島をつつみ、以来、『世は冬将軍の天下』で、厚着をして暖房器具にへばりついても、寒い・寒いが口をついて出てきます。
 雪に埋もれた庭の水仙はいまだに蕾が小さく、固そうです。蝋梅も、一輪・一輪と小さな花を咲かせては寒風と雪にうち震え、あげくは野鳥のついばまれるままになっています。蝋梅は可憐な花で、下向きに咲く黄色い花びらが蠟で出来たように見えるのですが、見事な花の連なりを見るのはいつの事でしょう。また、梅のように香立つといいます。我が家の小さな木、一本ではとても無理と思いつつも、それに期待し、春を待ちたいと思っています。
 
 2月9日から平昌(ピヨンチャン)冬季オリンピックが始まります。1998年の長野以来、20年ぶりのアジアでの冬季オリンピックで、2020年、東京でのオリンピック開催を控え、関心が高まっています。時差がなく、その感動がリアルタイムに伝わることから、テレビ観戦にもことさら、力が入りそうです。
 オリンピックは世界最大のスポーツの祭典であり、世界の人々の平和の祝祭です。38度線の近くでこのオリンピックが行われることの意味は格別と言えそうで、世界から集うアスリート達の心技体の息詰まる熱戦は、一層の感動をよび起こすことになるでしょう。
 日本の選手団には、フィギヤースケート、スピードスケート競技や、ノルディック、ジャンプなどのスキー競技他の多くの氷上、雪上競技でメダルが期待されており、特に日本選手の金メダル獲得には、テレビを前にしたリビングも歓声に包まれそうですね。大いなる感動を期待したいと思っています。
 
 さて、わが「12期の広場」2月号のラインアップは以下の二編です。 お楽しみ下さい。
 
1.「 シャンソン・ライブコンサート」  8組 榎本進明
2.「 第9回市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました。」              7組 張 志朗
以 上

シャンソン・ライブコンサート

8組 榎本進明

 
 昨年・2017年11月26日(日)に大石橋宏次夫人・美沙子さん(あい美沙子)のシャンソン・ライブコンサートが新宿御苑近くのChampagne(シャンパーニュ)で行われました。東京12期会から5組10人が参加しました。大石橋夫妻はもちろんのこと、泉夫妻、村崎夫妻、山田夫妻、西條夫妻、榎本夫妻の5組です。
 このコンサートは毎年11月に行われますが、今回は「西條夫妻の金婚式」のお祝の会もコンサート終了後に計画されていました。小生と家内の二人は所用で参加できませんでした。
 また、今回はマリBUNKOさんとの「コラボ・コンサート」でした。毎年3名でしたが、2名は初めてとのことです。今春にマリさんが、「あい美沙子さんのコンサート」を聴きに来られたときのお話で、意気投合されてこの企画にされたとお聞きしました。3人と比べて、歌う曲数やトークが増えて、歌はじっくりと、そしてトークは笑いも交えて、お二人の絶妙な掛け合いを聴けたのは幸運でした。ピアノはいつもの尾崎隆次さん。歌い手さんとの息はぴったりでした。
(写真は上段・左があいさん、右がBUNKOさん、下段・左は二人のトークショー、右は尾崎さん)



 
 さらに、あい美沙子さんは「共演者のマリBUNKOさんとはシャンソンコンクールの会場で良くお目に掛かり10年くらい前からの知り合いでした。その内お互いのコンサートに応援に行く仲になり、ついには二人でのコンサートに至りました。BUNKOさんはシャンソンよりもファドをお得意とされている歌い手さんで、その歌唱力には定評があり、パワーもあり且つ聡明な素晴らしい女性と競演させていただけて思い出に残る今年のライブ・コンサートでした。(感謝)」としました。
村崎君もBUNKOさんのことを『やや野太い声でパンチの効いた歌唱が特徴で、個人的には、やはり「摩天楼」やアンコールで歌われた「アムステルダム」のように、感情を素直に力強く表現する曲がお似合いのようにお見受けしました。なお、一部(前半)で歌われた2曲のファド(ポルトガルの民族歌謡)は物憂く、切ない歌唱で、個人的に結構心を打つものがありました。』と感想を語ってくれました。
毎年のことながら、あい美紗子さんの歌唱は、豊かな表現力とビブラートを効かせた伸びのある声が特徴で、それぞれの曲に味わいがあり、深く心に響きました。特に彼女の曲への思いを込めたお話をお聞きしたとき、彼女は「私のモットーであります“自分らしさが伝えられたら”今年もそんな気持ちでステージに立たせていただきました。」と熱く・静かに、次のように語っていらっしゃいました。

  • 時は魔法ね・・・この歌は昔の彼と再会した時の淡い思い出の歌です。私は自分の思い出を少しお話しました。大阪の元彼と東京に嫁いだ後に偶然公園で出会った時(場所が悪かった?それぞれ男女トイレから出て来て、あ~~ら?どうしてここで逢ったのかしら?)その驚きの瞬間を思い出して歌っていました。

  • 哀しみのソレアード・・・この歌は今年金婚式をお迎えになられた西條ご夫妻にプレゼントさせて頂いた曲でした。歌のせりふの中で、
    ♪この広い世界の片隅でめぐりあい、愛し合い、そして別れてゆく二人でも、さよならの代わりに一言だけ言わせてください。「貴方に会えて私は幸せでした」と言う歌詞が私は大好きです。

  • 慕情・・・2016年4月から9月末まで放送された倉本聰氏脚本のテレビドラマ“やすらぎの郷”のテーマ曲を中島みゆきさんが歌っておられます。ドラマの色々な名場面を思い出しながら聴いて頂きました。

  • 陛下お茶をどうぞ・・・この曲は陛下が2019年4月30日で生前退位なさることが決まりましたので、昨年に続き聴いて頂きました。天皇陛下のお人柄が忍ばれる後世に残したい一曲ですが、歌い納めが近くなって寂しいです。

  • 人生は過ぎ行く(La vie s'en va)・・・この曲は大阪弁に置き換えた新曲で、あい美沙子の独自の世界で歌わせて頂きました。最後のせりふ「行かんといて あんた」は、いつか来るであろう瞬間を想像すると思わず絶句してしまいそうになりました。

 村崎君もさらに続けます。「今回のコンサートは、お二人の特徴が絶妙に組み合わせられていて、近年になくすばらしい公演であったと思います。 それぞれの歌唱の違い・特徴が、お互いに相手を引き立たせる(際立たせる)という、まさに絶妙なスペシャル・コラボ・コンサートでした」と。
(左の写真は前列左があい美沙子さん、右がマリBUNKOさん、中列が左から村崎夫人、西條夫人、泉夫人、山田夫人、榎本夫人、後列左から村崎、泉、西條、大石橋、山田、榎本)


 コンサートが無事終わった後の「西條君の金婚式」に参加できなくて、心残りがあります。ここから先は昨年金婚式を迎えた自分自身を思い出された想像です。ご覧の写真のように筆者にも「ハグをせよ」とのご指示が皆様からあり、強要させられました。家内とハグをしたのは思い出されないほど昔のことでした。内心うれしかったです。「さすが同級生」と今では感謝しています。2017年は、我が家は大変な1年でしたので、特に感じ入るところがあります。
 おめでとう西條君と令夫人。いつまでもお幸せにと祈っています。この後に続く方たちも「はずかしがらずに素敵なハグを」と期待して、本レポートを締めます。
 

はずかしそうにハグをされる西條君を拍手で祝福する同級生(撮影は泉君)
 
「お祝いの会」の出席者・左手前から山田夫妻、村崎夫妻、右手前から大石橋夫妻、泉夫人、
西條夫妻(撮影は泉君)

第9回市岡OB写真クラブ作品展に行ってきました。

7組   張 志朗
 


 1月18日午後、恒例の「市岡OB写真クラブ作品展」に行ってきました。毎年、この時期になると、年が明けるのを待っていたかのように「写真展」が開かれ、その回数も今年が9回目を数えています。出来るだけ欠かさず見に行くようにしていますが、今年も、すばらしく、また楽しい写真と、はっとする感性に出会えて、嬉しくなりました。
 会場は大阪の地下鉄南森町駅の近くのMGAギャラリーです。
 会場入り口にあった「ごあいさつ」に、「私たち市岡OB写真クラブは市岡高校の卒業生とその家族や友人たちが集まって、月に一度撮影にでかけ、母校同窓会会館に作品を持ち寄って例会を開いています。高齢化で出品できなくなった人が増え、少し出品者が減りましたが、写真を撮ることへの情熱は衰えず、ワイワイガヤガヤと楽しんでいます。」とありました。
 出展されていた作品は、出品者16名、各二作品の32点。いずれも挨拶文にある、「写真を撮ることへの情熱」とその精進が存分に発揮された作品で、すべてが魅力的でした。美しさは勿論、優しさや暖かさや愛おしさなどのキーワードが私の胸の中をかけめぐります。また、その感性をさらにみがき、被写体に迫る強い思いが伝わり、とても新鮮でした。
 会場でOB写真クラブの中務敦行さん(13期)、高野久美子さん(13期)、浦口紀子さん(16期)としばらく話込みました。 
 中務敦行さんはOB写真クラブのメンバーであると同時に、クラブを指導する先生でもあります。いつも撮影してこられた写真をメールで送って下さり、私個人としても感謝、感謝の方ですが、穏やかで自然体のお人柄とお元気な姿に、心がなごみます。中務さんは市岡在学時から写真部、読売新聞写真部の部長を経て現在にいたっておられます。
「写真とは縁が切れませんね」とおっしゃりながら、「市岡入学時に吹奏楽部があったらそれに入り、私の人生も変わっていたのでは」と笑っておられました。出品作品「休息(すずめ)」、「飛翔(カラス)」の内、「休息(すずめ)」を添付します。
 高野久美子さんも13期ですから私たちと同年齢と言っていいでしょう。しかし、すこぶる付きのお元気で明るくお若い。「最近、パソコンをウインドウズ10に変えたの。これが便利、便利!」と、膨大な写真の保存、編集からプリントまでの色々な方法をマニアックに話されます。出品された二枚の写真も撮影場所がはるか沖縄。大揺れのフエリーで渡った慶良間諸島でクジラの親子の写真-「お母さんと一緒」を撮られたそうで、そのバイタリティがすごい。

 浦口紀子さんの作品は「寿ぎ(ことほぎ)Ⅰ」「寿ぎⅡ」の二作です。お正月の“しつらえ”が清々しいお茶屋さんの正面玄関を写した端正な写真と舞妓さんの足元のアップ写真です。その対比が印象的で、お人柄がうかがえるようでした。
 12期の同期でもある高見政博君は、「コロボックルのらんたん」と「姫ユリ」の二点を出品していました。いずれも近年、主に撮っている“花”の写真です。幻想的で可憐な「コロボックルのらんたん」を添付します。花の名前は「レンゲショウマ」だそうです。
 出品者の最高齢は7期の先輩方です。お三方もおられ、そのいずれの写真もみずみずしい感性そのもので、驚きました。残念なことは、旧制中学出身の片山孝雄さん(中学42期)が、昨年亡くなられ、その作品を見られなかったことです。
 3時頃から4時半頃まで会場にいました。コーヒーとお菓子まで御馳走になり、ゆったりと豊かな一時をすごさせて頂きました。
 会場を出て、南森町交差点に差し掛かると、夕方のラッシュ時。救急車がけたたましいサイレンを響かせて通りすぎ、街は喧騒の真っただ中です。
 突然のように写真クラブの皆さんのことを考え妄想しました。被写体に魅せられ、慎重にアングルを決めて覗き込んだフアインダーの中に、何が見えているのだろうか。ひょっとしたら、流されるままに私が見過ごしてきたかけがえのない景色と物語が、そこに見えているのかもしれないと・・・・。

20期生の懇親会のお知らせ

田野 登(同窓会20期理事)

 
 私たち20期生は、今春、卒業50年を迎えます。今思えば、騒然とした時代に在学したものです。いきなり、ベトナム縦割り討論の洗礼を受けたりして、そっとうしそうでした。そんななか、さまざまな思いを胸に市岡を旅立ちました。風雪50年。荒波に揉まれて角がとれ丸くなったり、それでいて、まだ尖っていたり、人生いろいろです。先日、校内を散策しておりましたら、「澪標園」の石碑を見つけました。あの鬱蒼とした中庭に立っていた石碑です。

 




 このたび、私たち20期生は、卒業式に招待されます。皆さんに同窓会事務局からの招待状は届きましたでしょうか?卒業式当日、ささやかな懇親会を下記のとおり開きます。ご参加をお待ちしております。
 日  時: 平成30年2月28日(水) 12:00~13:00
 場  所: 母校同窓会館
 会  費: 2000円
 なお、ご出席の有無を同封の返信用葉書にて2月8日(木)までにお知らせください。
懇親会世話人 (50音順)
 碇  延明  高橋 登  田野 登 ☎06-6783-3233 
 土井 一久  藤原 潤一郎 堀  久樹

30分ほど時間はずれ込みそうです。参加人数により時間延長をします。すでに返信用葉書担当へのハガキに「欠席」の意思表示された方で「出席」される方は、懇親会世話人までお知らせください。なお同窓会からの招待状が届いていない方もご一報くださいますようお願いします。
 
ついでながら《市岡高校「澪標」のこと》をブログアップしています。
ご笑覧ください。
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「12期の広場」 1月号のラインアップ

 明けましておめでとうございます。新しい年、2018年が始まりました。
 形ばかりの迎春準備で迎える元日ですが、玄関わきにささやかに生けられた花や、机の前の真新しいカレンダーをみると、やはり正月ならではの感慨がわくものですね。
 正月膳も何時からそうなったのか、百貨店で買ってきた、小ぶりなお重が一つ加わっています。料理することに興味がある孫(小学校4年の男児)は、華やかに盛り付けられ、また凝ったお煮しめの入ったお重に興味津々。家内の解説付きで食しては美味しいやら、口に合わないやらとか賑やかです。今年は、友が買い求め届けてくれた日本酒で、乾杯をします。名前が『百黙』です。あまりの美味に黙してひたすら味わうとの意か、はたまた、語るべきことが多くあるとの言う意か、などと考えつつ、細やかな友の気遣いに、ただただ感謝・感謝です。
 今年は満77才、喜寿を迎える年です。よくぞこの齢までと思い、いつものごとく、ちょっとあわてます。東京12期会での学友の言葉、「健康に生んでくれた父母への感謝とこれからも続く人生への感謝を思えば、めでたいというほかないでしょう」を思い起こし、素直にうべなうばかりです。
 昨年、ふとしたきっかけから「100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン/アンドリュ-・スコット著)を手にしました。この本によると100才を越える人口、6万1000人が、2050年には100万人を越えるそうです。50才未満の日本人は、100年ライフを過ごすつもりでいたほうが良いとあります。
 一斉に学校を卒業、会社に入り、終身雇用を前提に働き、退職して老後を過ごすなどの従来形人生モデルは、その時期も、内容も、そして形までも大きく変化するというのです。「過去のモデルは役に立たない」とも書いています。昨日からの今日が、ほとんど変わることなく明日に続くものと思って生きてきただけに、少しドキリとしました。
 100年を生きるとはつゆほども思いません。しかし長寿社会も健康であってこその話。今月号の「欠席者の近況報告」の大西君、稲田君のコメントから、健康は戦い抜いて勝ち取っていくものだという気迫を強く感じ、励まされています。また長寿健康はこうした努力があってはじめて成り立っていることを忘れてはならないと教えられているようにも感じています。
新春を迎え、考えることは色々ありますが、まずは健康第一に、そして自分らしくを目標に、一年のスタートを切りたいと思っています。
 
 さて、2018年新年号のラインアップは次の通りです。お楽しみ下さい。あわせて、どうぞ今年も「12期の広場」を、よろしくお願い申しあげます。
 
1. 「明けましておめでとうございます」・・・・・・ 同窓会幹事会代表幹事 酒井 八郎
2. 「市岡東京12期会 出席者の近況と感想 」
3. 「市岡東京12期会 欠席者の近況報告 」
4. 「浦島太郎 奮闘記」  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5組 山本美智子
5. 「花の都 12期会(スカイツリータワーハプニング)」・・・・・・ 7組 柏木 赫子
                                 以 上
 

明けましておめでとうございます。



 12期の皆様、日本の北で南で、東で西で、新年をいかがお迎えでしょうか。
 ご存知のように、昨秋、二年ぶりの市岡高校東京12期会が開かれました。
 私は今、その時のことを思い起こしながら、皆さんから頂いたパワーで新しい一歩を踏み出す気持ちで新年を迎えています。
 東京12期会では、集われた同窓生の変わらぬ元気と暖かい友情を痛感しました。また、東京に向かう車窓から、山頂に雪を戴き、青空をバックに裾野までくっきりと眺めることが出来た富士山を、翌日は同窓生と共に、スカイツリーの展望台から、はるかかなたに眺め、さまざまな感慨につつまれたことが、今も鮮やかです。
 皆さん「経年変化」ということばを身近に感じられたことがございませんか。永年、時計の修理や宝飾品の修理、リフォームの仕事をしている関係で、長く使い続けている金属、貴金属の摩耗、摩滅変化はしかたないものと思っていましたが、最近は自分の身体そのものの経年変化に驚いています。
 二年前の大阪の同窓会であつた嶋田ハル子さんの『健康体操』講演を聞いて、気をつけだしたのですが、10年前からの脊柱管狭窄症の足裏のしびれ感から、高見君お勧めの兵庫市岡歩こう会もご無沙汰している状態です。
 40才の時、医者になっていた中学時代の柔道仲間から、「171cmなら65kgがベスト体重」、「まずは74kgを70kgにすること」と忠告されましたが、70kgを切ったのは20年後の60才になってから。そして昨年、やっと66kg、20代後半の体重になりました。
 しかし実態はというと、20代は太ももの太さでズボンを購入していたものが、今はウエストのサイズが優先です。社交ダンスのサンバをチョットやりすぎると、夜半にふくらはぎの引き付け騒動と、見た目と実態の落差に戸惑うこの頃です。
 そんな実状で見た雄大な富士山は、これ迄何度も上京する度に静岡を通過すると「今日は見えるか?」と期待しながらもなかなかお目にかかれなかったのが、今回は最高の状態で、その美しさと荘厳さに出会えたことが、自分に『やればできる!!』と力強く応援してくれているように思えました。今年は健康第一と考えて、肉体改造に取り組みます!!
 12期同窓会にとって今年は、大阪での同窓会開催の年になります。市岡の卒業生らしく、愉しく、そして身の丈にあった同窓会をと、幹事全員で相談しながら計画したいと考えています。3月の母校での「豚汁会」で下打ち合わせをし、4月の第2日曜日、舞洲でのお花見とその後での幹事会で、今秋の同窓会の日時ほかを最終決定することになります。予定では、例年通り、同窓会開催は10月頃、その案内状の発送は8月末頃としています。幹事会の結果は「12期の広場」を通してその都度、皆様にご報告申し上げます。12期各クラス幹事さん、ホームページ委員の皆さん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 末尾になりましたが、12期の皆様、ご家族の皆様にとって、新年、2018年がより良い年でありますように、謹んでお祈り申しあげます。
 そして、今秋の同窓会に、一人でも多くの方々がお集まり下さいますようお願い申しあげます。