同期会

今年も充実した一年になりますよう。

5組  段中 文子(旧姓 高田)

 12期の皆様 明けましておめでとうございます

 今年も無事に新しい年を迎えられたことに感謝したいと思います。秋には同期会もあり皆様方とお逢い出来ることを楽しみにしています。昨年東京での同期会の様子をホームページで拝見すると少人数のせいかゆっくりと語り合っているようでいいなと思います。大阪では参加される方が多いのでなかなか全部の方とは言葉を交わすことが出来ないのが少し残念です。それでも今回も来て下さっているなとお顔を拝見するだけでも嬉しくて、語り尽くせない言葉は二次会もあるので、ぜひ今年もご参加下さいますようお待ちいたしております。

 新年の抱負があれば・・・ということで抱負というほど大した事ではないですが、若い頃と違い確実に残りの人生に限りがあることが解っているのでやりたいなと思えば遠慮せずに実行することにしています。

 年末には少しリホームして日の当たる場所に机を置き書斎らしき部屋に変えたり、体力のあるうちに不用品の処分に精を出したりと結構忙しい日々を過ごしています。それも健康だから出来ることで、これからも身体に気を付けながら旅行も楽しみたいなと思っております。12期の皆様には今年も充実した一年になりますよう心からお祈り申し上げます。

年の瀬風景いろいろ

  いつごろからでしょうか年末の街の風景にイルミネ-ションが増えましたね。いまではクリスマス、年末というとイルミネ-ションで、それが日本の年の瀬風景になっています。
  関西でも沢山の人が集まるイルミネ-ションがあります。
  阪神淡路大震災の復興を祈念してはじまった神戸の「ルミナリエ」がもっとも有名で、大阪でも中之島、御堂筋の「光のルネッサンス」や今年から始まった「大阪城3Dマッピングスーパ-イルミネ-ション」など大小合わせると数限りがないようです。皆さんの住む町にどんなイルミネ-ションがあるのでしょうか。
  大阪、神戸のいくつかをご覧下さい。なお撮影は酒井八郎君と私(張志朗)です。
     ①、②     神戸のルミナリエ
     ③、④、⑤  「光のルネッサンス」
     ⑥       JR大阪駅の「時空の広場」
     ⑦、⑧     グランフロント大阪の広場周辺









【高21期】“忘年会”のご報告

幹事長 西尾賢治
12月21日に21期生の忘年会を催しましたのでご報告します。

恒例になったづぼらや(松田/旧姓吉川さんが女将)での忘年会も今年で早5回目。出席者は17名とやや小ぶりながら、定演の浅井(旧姓劔崎)さんの三味線に加えて、鬼塚君のテナーサックスの演奏もあり。料理に舌鼓を打ちながら、ゆったりしたくつろぎの中に、遅くまで各位盛り上がったのでした。
 
浮舟先生の乾杯に始まった、以下はその模様の写真です。
 
(それでも飲み足りずで帰り足の鈍い、先生を含む約5名は、深夜の街を今年の同窓会で知ったVIVACCHUSへと赴いたようです。)
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「12期の広場」12月号のラインアップ

 早や師走です。
子供の頃にあんなに待ち遠しかったクリスマスやお正月が、あっという間に巡ってきます。生来の貧乏性なのか、リタイヤ後も悠々自適とは程遠く、慌ただしい日々を送っていますが、出かける用があり、会う人がいるということは健康を保つ上では良いのかも知れぬと自得しています。

 自然が好きで山に登ったり、川歩きをしていると、この時期の寒い朝が特に清々しく感じられます。早起きは得意ではありませんでしたが、この頃は目覚めが早く、街路樹の葉も落ちて見通しの良くなった広場で、朝日を浴びていると背筋がのび、心が寛やかになります。
たまには夕暮れの街に出て、鍋で一杯、というのもささやかな冬の楽しみです。

 さて50余年前の市岡で、師走はどう過ごしていたのでしょう。人並みに受験勉強の追いこみで、寒い明け方まで眠い目をこすっていたのでしょうか。ラジオの深夜放送が良い友であったのは、今と変わりがないようで不思議です。

 閑話休題、今号は11月16日に開催された同窓会、6回目(隔年)の「市岡東京12期会」の特集です。恒例の川歩きの報告とあわせ、東京組の動静をお伝えします。長短とりまぜて、味わいのある投稿から、かつての美少女、才媛、悪童、秀才たちの姿がにじみでてきます。

 12月号のラインアップは次の通りです。盛り沢山ですがお楽しみください。

  1. 「川歩き」、荒川核心部 (第4回)     3組 西條 軍蔵
  2. 第6回「市岡高校東京12期会」

第4回 荒川 川歩き 平成25年10月18日(金)~19日(土)

3組 西條 軍蔵
<1日目>

 東武東上線寄居駅 AM10:00集合

 今回はフルメンバー、泉、榎本、大石橋、川合、山田、西條の6人で元気に出発する。


今回の川歩きで大回りをした経緯が書かれているので、まず概略図を示します。(点線が道です)
図の「分かれ道」から「本来の道」ではなく、より川原に近い道を進むと「玉淀ダム」に出る道に入った。そこで作業をしていた人がいたので道を聞いたところ、ダムを渡って右岸に出て川沿いに「寄居橋」に出るルートがあるという。地図にはないので半信半疑ながらそのルートを選んだ。川沿いには道がなく峠を越えて「思案点」に出る。そこで「寄居橋」に出て本来の道に戻るか、「峠道」を進んで「合流点」をめざすか、思案の末「寄居橋」に戻り本来の道に入った。

荒川の正喜橋から、《ふる里歩道、玉淀コース》を歩く。

 玉淀河原をちらちら見ながら、宗像神社(荒川を鎮める寄居の鎮守)、正龍寺(青龍伝説の寺)、善導寺(百人一首の描かれた格天井がすばらしい)と神社、寺院で道中の無事を祈願しながら玉淀ダム(水力発電施設)に到着する。先日の大雨の影響で流木をいっぱいにためていた。
 

   


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第6回市岡高校東京12期会報告書

8組 山田正敏

 東京での12期同期会を立ち上げ10年。第6回目の市岡高校東京12期会を11月16日(土)銀座「三笠会館」にて13時より開催予定で皆さんに連絡。

 男女合わせて21名の参加連絡を頂いていたが、13時迄に30分遅刻の連絡をもらっていた佐藤君を除き、20名が集合。誕生以来6周り目の「巳年」、今年度で72歳、いずれも爺さん、婆さんではある。しかし、我が同期生はひいき目ではあるが世間の72歳と比べ若い。爺さん、は54年前の美青年の名残があり、婆さん方もマドンナの面影がかすかに垣間見る事ができる気がしました。

 ともあれ榎本幹事長の開会の辞、大石橋会長の挨拶、張全同窓会幹事の来賓挨拶そしてその間遅れていた佐藤君も到着。川合幹事の乾杯の発声で瞬く間に会は無礼講の佳境に入る。その後、かなりのアルコールが入った後、全員各自の近況報告をしてもらった。

 近況報告の中で新しい川歩き「荒川 川歩き」の報告をリーダーの西条君よりしてもらった。
今回で4回目で後2回で水源に到達予定との事。

 最後は恒例の全員による記念写真を榎本幹事長のカメラで撮影。

 酒の量が多すぎたのか会費が足らなかったようであるが、小生は既に出来上がり過ぎて、その顛末は良くわからない。

 最後はカラオケである。15~16名は参加したと思われるが、わいわいがやがやとにかく楽しく19時前には散会となった次第である。


(追)7月20日(土)13時より新宿三井ビルで東京市岡会の総会あり参加。
   12期参加者は榎本君、中柴君と小生(山田)

 会も終盤、5期の先輩の話である。
5期の同窓会は今年で終わりにしたという。解散である。理由は色々あるが要は会員の老齢、病、死亡、による不参加者の増大であるらしい。5期といえば我々より7年上、79才。

 少し早すぎると思うが我々12期が何時まで同期会を続けられるか。小生、人生90年を目標として皆さんに明言している。何がどうなるか勝手な目標であるが、少なくともこの会は出来れば88才の米寿まで続けられればと思っている。夢か! 皆さんいかがですか。


第6回「12期会」出欠状況
出席:「男子」
西条 軍蔵(3組)、重松 清弘(4組)、川合 兵治(4組)、阿部 清二(5組)、
泉 信也(5組)、中山 賀弘(5組)、大石橋 宏次(6組)、中柴 方通(6組)、
佐藤 裕久(6組)、平松 弘行(6組)、大西 佑治(7組)、榎本 進明(8組)、
緒方 宏文(8組)、辻 紘一郎(8組)、稲田 紘(8組)、村崎 裕昭(8組)、山田 正敏(8組)、 
大阪より:張 志朗(7組)             以上18名

   「女子」
上原 澄子(1組)、佃 富江(2組)、坂野 雅子(2組)  以上3名
 

欠席:
須藤 憲司(7組) ・大変ご無沙汰しています。 当日、小生は元所属していました事業所の催しが有り、滋賀県守山に参ります。申し訳御座いませんが欠席させていただきます。ご出席の皆様に宜しくお伝えください。
森重 克己(3組) ・ご案内ありがとうございました。勝手ながら欠席させていただきます。
小林 勝之(8組) ・ 病弱の為、来る平成25年11月16日、開催の市岡高校東京12期会に出席する事は困難であります。ご理解の程お願い申し上げます。
佐藤 登 (8組) ・市岡高校東京12期会のご案内、誠にありがとうございます。都合により、欠席させていただきますので、よろしくご了承の程、お願い申し上げます。
萩原 貞男(8組) ・市岡東京12期会の案内ありがとう。前回? 美々卯からもう2年も経ちましたか。歳のせいか時の流れが実感しにくくなりました。当日は、伊豆で一泊ゴルフを今年の初めから予定しており残念ながら欠席。皆様にお会いしたいのはやまやまなのですが、よろしくお伝えください。
興梠 十七郎(5組) ・暑い夏も過ぎ、秋を感じるようになりました。お元気にお過ごしの事と思います。今回の同窓会の件ですが、体調不良もあり、参加できません。皆様によろしくお伝え下さい。
三浦 孝文(7組) ・同窓会の案内メール頂きましたが、欠席させて頂きます。ご盛会をお祈りします。
橋本 豊 (7組) ・第6回目の開催との事ですが、残念ながら今回も欠席とさせていただきます。昨年12月脊柱管狭窄症を手術しましたが、いまだ完治せず憂鬱な日々を送って おります。医師の話では加齢が大きな要因とのことなので、皆さんもあまりご無理をされる事のなきよう健康には十分配慮してご自愛ください。
村木 雅章 (8組) ・4年ぐらい前からになりますか、医者からは何度ももうだめだといわれながら、その都度、医者も首をかしげるほど奇跡的に回復し、自慢していたが、今回は体調思わしくなく欠席するとの返事。心配している。 
古谷野 泰子(1組) ・両眼の白内障手術の為欠席。通常の白内障と違い、困難な手術のようで、両眼共成功しても2~3週間程度掛かるらしい。皆さんによろしくとの事。
高谷 尚江(2組) ・当日は法事があり(関西・亀岡か?) 欠席。
杲田 慶子(2組) ・ご主人が仕事から引退。長野県茅野市に転居しばらくはのんびりするとの事で今回は欠席。


住所・転居先不明:
山崎 巌 (7組) ・封書にて案内・・・「あて所に尋ねあたりません」との事、TELするも不通。行方不明 ?  (10月10日現在)


同窓会代表幹事 酒井八郎君のメッセ-ジ (張 志朗君が代読)

 市岡高校東京12期会の皆さん、こんにちは。酒井八郎です。

 高校卒業後、54年目の今日の集い、おめでとうございます。

 4年前、卒業50周年を迎え、母校の第62回卒業式に参列させていただき、記念の同窓会を催したのが、昨日のように感じます。

 また、2年前の東京12期会に参加させていただき、東京の皆さんと楽しい一時をすごさせていただいたばかりか、深夜のミ-ティングから翌日の建設中のスカイツリ-の見学や帝釈天詣での余韻が今も残っています。

 楽しい集いがこれからも続きますよう、今日お集まりの皆様のご健勝を心から願っています。

 来年の秋の大阪での同期会で皆様をお待ちしております。


第6回東京12期会に参加して

7組 張 志朗

 東京12期会に参加させていただきまた歓待していただき感謝しています。

 今回の東京行きは、懐かしい皆さんにお会いするのは勿論のことですが、同窓会代表幹事である酒井八郎君のメッセ-ジをお伝えすること、私が保管している同窓会の横幕をお持ちすることが主たる目的でした。横幕を持って東京に向かう道中、72歳を越えてなお、誰がいつまでこの横幕をお預かりするのかなど、考える所大でしたが、会場に着いた途端ただただ懐かしく、嬉しくまた楽しい気持ちだけでした。

 私を含めて21名の参加者で東京12期会が盛会裡に開かれたことは、大石橋会長はじめ幹事の皆さんの努力、参加者皆さんの熱い気持ちの賜物であると心からの敬意を表したいと思います。

 常々、東京12期会はネ-ムプレ-トがなくても、参加者のお顔やそのお話しが全員に分かる、実にこの上がない程の和気藹々の雰囲気が特徴と思っていましたが、今回もその通りでした。

 特に今回は私が以前からお会いしたいと願っていた、5組の中山賀弘君、6組の平松弘行君、7組の大西佑治君らが初めて参加されておられ、一層盛り上がったのは感激の一言でした。卒業を前に病を得、その療養のため卒業式に参加できなかった中山君のスピ-チをはじめ、皆さんのスピ-チはそのすべてが共感と笑いに包まれ、私にとっても一層味わい深いものでした。村崎君のアルツハイマ-度を調べるテストには一瞬、ドッキリ。幸いにも私を含めて概ね問題のない記憶力に安堵しました。大いに食べ、杯を汲みかえし、大いに唄って帰ってきました。

 仕事で貯まっていたストレスもほぼ解消、楽しく、励まされ、ともにこれからを生きる力をもらった一日であったとしみじみと感じています。東京の皆さん、ご健勝におすごし下さい。また本当にありがとうございました。
 

第6回市岡高校東京12期会を終えて

東京12期会会長 6組 大石橋宏次

 第6回市岡東京12期会同窓会、盛大に開催されたこと、心より感謝いたしております。榎本君を始め、幹事の皆様に深謝、深謝。また、張 君、佐藤君、稲田君、辻君、上原さん達遠方からお運びいただき、本当に有難うございました。そして、お集まりの皆様全員がお元気だったこと、何より嬉しく思いました。次回も元気な顔を合わせられるよう念じております。

 ところで、二次会のカラオケ店で、最後にみんなで歌った「高校3年生」の曲に、いつになく、ジーンとくるものがありました。これも年のせいでしょうか。とまれ、次回に向けて、健康で頑張りたいと思います。

 なお、西条君がリーダーを務めてくれている、「荒川歩き」の会への皆様の参加をお薦めいたします。健康的ですよ。


市岡高校時代の思い出(哀悼の意を込めて市岡中出身の物故者のことを中心に)

7組 大西 佑治

 実家の転居に次ぐ転居、亡父の蔵書の処分等々のドサクサで小生は小・中・高の卒業アルバム等々一切合財を無くしてしまったので、おぼろげな記憶を頼りに以下思いつくままに記してみた。この一部は先日開催されたばかりの第6回市岡高東京12期会の席上、初参加ということで、少し長めの時間をいただき紹介させて貰った。

 昭和34年度市岡高PTA会員住所録(これを先日実家の倉庫の片隅から見つけた。我ら12期生の卒業50周年時に、高校時代に借りていたので返却するとSU君から送付あり、実に52年ぶりに持ち主である小生に戻った1年生時の生物のノートと共に我が高校時代を偲ぶ唯二のもの)には全学年各生徒の氏名、住所等と共に出身中学校名が記載されている。

 それによると我ら12期の3年生は男子246名、女子133名の計379名。この内、市岡中は地元だったためか市岡高への進学者が多く、男子28名、女子18名の計46名を占め一番多い。これだけ多いと家が近所だったとか、小・中・高のいずれかで同じクラスあるいは同じクラブだった、大学も同じだったとか何らかの接点がない限り、お互いよく知らないまま卒業となる。
 卒業50周年記念文集[みおつくし]の[発刊に寄せて]に物故者の名前が記載されているが、その後、[12期の広場]の情報で3名が加わり、物故者は男子28名、女子8名の計36名となる。
消息不明者の中にも物故者がいるかも知れないが、少なくとも略70歳までに男子は11%、女子は6%が亡くなっていることになる。女性の方が統計的に長生きなのがこれでも証明されている。

 この内、市岡中出身者が男子4名(女子は幸いにも0、但し後述するように定時制生徒も含めると1名)を占め確率が高い。(市岡中出身の男性諸君!お互い気をつけましょう。先日の第6回市岡高東京12期会での話題のように、病気の早期発見に努め、気になったら早目に「ご学友のドクター」に相談しましょう!)

 この内、山本芳彦君、白石英三君及び籠谷登志夫君の3名については既に[みおつくし]と[12期の広場]に彼等と同じクラスだった川村浩一君や同じクラブ、大学だった佐藤裕久君等から心温まる追悼の文が寄せられているが、彼等を含む物故者5名を中心に市岡時代の思い出を少し語りたい。


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