お知らせ

0年

舞州市岡の森で一緒にお花見しましょう。

同窓会代表幹事   酒井 八郎

 「三冷四温」、今年の季節の移り変わりの時期に感じた言葉。

 それほど、昨秋から今春にかけての冷たさは、今まで感じなかった厳しいものでした。12期の皆様はいかがでしたでしょう。

 やっと春がきました。大阪港、舞州新夕陽ケ丘、市岡の森の桜が呼んでいます。記念植樹の2本が待っています。

 丘の芝生に横になり上をみれば、桜の花の向こうは360°青空です。冬の縮こまった雲は真綿のようにふあっとやわらかく暖かい感じです。

 一緒に桜を眺めてみませんか。自然と会話がはずむと思います。
 


昨年の集合写真。川副君、川西君、藤居さんが抜けています。ゴメン。
 

 例年通り、此花市岡会の皆さんが「お花見」を準備して下さいました。この宴は此花市岡会が主催で、今年は10周年記念になるそうです。お弁当の準備もしていただけるようです。

 12期生でご希望の方は4月5日までにゴトオ商会内酒井八郎へご一報下さい。連絡先は、TEL 078-575-6678 FAX 078-577-2749です。

 お花見の日時他は下記の通りです。

 
――   記  ――

日  時 : 平成25年4月14日(日曜日)  午前11時集合(小雨決行)
場  所 : 舞州 新夕陽ケ丘 「市岡の森」
受  付 : 舞州ロッジ 「フロントロビ-」
(バス終点 「舞州スポ-ツアイランド」下車、バス停前)
参加費 : 参加費はお弁当代金となっています。(当日の集金です。)
大人用 \ 2,000 - (ビ-ル、お茶、おつまみ付き)
子供用 \ 700 - (ジュ-ス付き)


 新夕陽ケ丘「市岡の森」までの交通の便ですが、鉄道駅からバス便になります。

 バスは「舞州スポ-ツアイランド」行きで、JR西九条駅、JR桜島駅からの連絡となっています。JR桜島駅からのバス利用が多いようですので、12期の同窓会幹事が待機案内する予定です。

 例年12期同窓生は20名前後の参加です。全体では恩師をはじめ市岡の先輩、後輩、またそのゆかりの方々が参加され、総勢150名前後になります。

 ご連絡をお待ちしております。
 


ちょっとした市岡のお祭りです。一昨年の全体風景です。
 

平成25年3月市岡高等学校 豚汁会の報告

 3月3日、桃の節句の日に市岡高等学校の100周年記念同窓会館で恒例の「豚汁会」が正午から開催されました。武田博君からのお誘いで私は初めて参加しました。参会者は旧制中学校43期~高等学校10期までの方が12名、高等学校11期10名、12期7名、13期11名、吹奏学部OB・OGが16名、同窓会長の佐藤氏と事務局の方を含め約60名でした。

 12期は、川村浩一君、岸川常正君、酒井八郎君、塩野憲次君、武田 博君、張 志朗君と私の7人でした。高見君も参加しておられましたが13期のテーブルにおられました。

旧校門前でのなつかしい記念撮影です。

(さらに…)

theあの頃-読書いろいろ

8組 川村浩一

 末廣君(8組)はドラえもんのポケットを持っています。いつも懐かしいものを出してくれます。今回は図書部(図書室)の新聞?「BOOK END」第3号(昭和33年7月1日)、第5号(7月19日)を出してくれました。

 私たちが2年生だった時の新聞です。手島先生が「館長の言葉」を3号に書かれ、5号では木曽先生が図書館長として「図書館で思う」を書いておられます。この間に館長が交替されたものと思われます。ほかに、林校長が「図書館利用について」、大谷先生が「学生時代の読書の思い出」を書かれています。お名前を見るだけで懐かしい気持ちです。

 また、宮本百合子「文学と生活」、イプセン「人形の家」、ゲーテ「若きヴェルテルの悩み」などの読後感想文も出ています。読書会もやっていたようで、ヘッセの「車輪の下」や鶴見俊輔らの「現代日本の思想」の読書会の予告が見えます。

 ところでこの頃市岡生にどんな本がよく読まれていたのでしょうか?アンケートの結果も見えます。全学年では、男子で「友情(武者小路実篤)」「破戒(島崎藤村)」「坊っちゃん(夏目漱石)」、女子では「赤毛のアン(L.M.モンゴメリ)」「波(?)」「破戒」がベスト3に上がっています。われわれ2年生では「デミアン(ヘッセ)」「アンの青春(モンゴメリ)」も出ています。他の学年では「悲しみよ今日は(F・サガン)」「人間の条件(五味川純平)」「アンナ・カレーニナ(トルストイ)」「大地(パール・バック)」の名が見えます。

 図書室のことを当時の図書部員の方に聞いてみたい気がします。
 

BOOK END 第3号 手島先生のお言葉

(さらに…)

法格言にみるイギリス法の精神  1

3組   松村 勝二郎

 〈人民の安全が最高の法である〉

   1 善き法律家は悪しき隣人

 最初に、有名な格言(俚諺)を考えてみましょう。これは、アメリカ合衆国独立宣言の作成にも関与したというベンジャミン・フランクリン(1706-90)の言であるという。このことばは、どんな法律家を理想と考えるかのヒントになろうかと考えて、私が時に法学部の学生に語っているものです。しかし、この格言には先輩がありました。

 宗教改革の時代、プロテスタント(新教徒)は、一般に、新約聖書の福音書を非常に重視し、その教えを規範と考え、それに基づいて信仰生活と信仰外=世俗の社会生活を組み立てていきます。ルター派の指導者マルティン・ルター(1483-1546)もそうですが、彼は次のように語ったという。「善き法律家は、悪しきキリスト者」「獄吏、死刑執行人、法律家、代言人及び何か無頼漢のようなものは、果たして往生できるだろうか」(大木雅夫「法・人」『時の法令』1323号)。ルターの発言には、「〈キリスト者は善き隣人たれ!〉と教えるキリスト教会が、なかでもプロテスタント教会が、善き=あるべき」キリスト者をその対極にある「現にある」法律家と対照したものでありましょう。‘A good lawyer, a bad neighbour.’と言ったとき、フランクリンはルターを想起したのかもしれません。我が国では法律家とその前身とされる代言人とが、遠い昔のドイツでも無頼漢になぞらえているのが印象的ですね。

 「福音書」に、形式論理を振りかざして原則を押し通そうとするパリサイ人を酷評する場面がありますが(例。マタイによる福音書、23章27節)、上の一文はその文脈から来るルターの法律家批判であろうかと思われます。もとより、「善き」は「悪しき」(good, bad)と韻を踏ませる対置で、褒めているわけではなく、冷笑とでもとるべきでしょう。しかし、法制史の立場からは、ルター時代の法律家の社会的地位と評価とがどうであったか―非常に低かったと言われています―我が国と比較してどうか、といった問題が残されていますが、それにしても、原理・原則だけにこだわり、形式論理を(もてあそ)ぶ法律家の通有性を衝いた、これは痛烈な批判であります。

 最初に、このようなことを述べるのは、ことばというものは真空状態で放出されるものではなく、あらゆることばは、それが発せられた場というか、〈文脈〉をもっているからです。法格言といった法思想の結晶であるとか、法原則の断言であるものは、殊にそうであるといえましょう。そうすると、法格言についても、〈文脈探し〉が重要となります。いつ、どこで、誰が語ったのか、そして特に誰に向けて語られたものか―〈名宛人〉―が非常に重要となります(いわゆる5W1H、特に名宛人の重要性です)。

(さらに…)

「12期の広場」 3月号のラインアップ

 三月は弥生、桃の節句。もちろん陰暦のため桃の開花には程遠いものですが、花屋の店先にはぷっくりとふくらんだ丸い蕾をつけた桃の小枝が並んでいます。一輪挿しに一枝活けて白酒など添えれば、もうこれだけでささやかな雛祭りを楽しむことができます。

 この頃は自然を眺める機会も少なくなり、季節の移ろいをスーパーの店頭で感じることが多くなりました。白酒の次は、4月の花見弁当そして5月になると柏餅、と次々商品が並びます。商売に乗せられているようなものですが季節の行事を忘れずにいられると思うと、それはそれで有難い事かもしれません。

 「併願に比べ専願は合格点が低いんじゃないの?」 電車の中で、高校受験を眼前にひかえた女子中学生の会話が聞こえてきました。そうなのですね。3月は受験シ-ズンのクライマックスの月でもあるのですね。

 私達の高校入試は3月17日で、合格者発表は20日でした。合格発表を見て、家にとって帰り、母と合格手続きに来て、校庭に並んだ記憶があります。ペ-パ-テストとは言え、市岡高校に合格して後の56年を思うと、あの瞬間が今の始まり、決しておろそかには出来ません。

 受験生の皆さん、特に我が市岡を目指す皆さんの健闘と幸運を切に祈りたいと思います。

 

 さて今月号のラインアップは以下の通りです。

 
  1.  「内田勝章君がなくなられました。」      
  2.  「メダカ池とゴ-ヤ (メ-ルから)」     4組  内田 勝章
  3.  「東京12期会 有志新年会」         4組  川合 兵治
  4.  「なにわ福島ものがたり」の紹介
      (福島区歴史研究会30周年記念誌)      
 
 以上

内田 勝章君がなくなられました。

 4組の内田勝章君(花の井中学出身)が昨年の12月15日に亡くなりました。2011年9月、肺がんであることが分かってからの1年3ヶ月の闘病生活。病巣が手術も出来ない状態であったせいもあったせいでしょうか、早い突然の別れに呆然としてしまいます。

 心からご冥福をお祈りすると同時にご家族皆さまへのおくやみを申し上げます。

  (さらに…)

メダカ池とゴーヤ

4組 内田 勝章 

2012年 7月

 今年はもう無理かと、あきらめていたことが出来てホットしている。

 その一つが長さ90cm、幅45cm、深さ40cmと大きいメダカ池( 蓮池でもある )の大掃除と蓮の株分けが4月中に出来たことです。おかげで、今、黄色のきれいな水蓮が順々に咲いています。

 水蓮はメダカ池を浄化するだけでなく、メダカにとっても葉っぱの裏に卵を産みつける最適な場でもある。梅雨明け後の暑さが、メダカの孵化を促し、次々とメダカが生まれる。じっと目を凝らして見てもなかなか見つけられない。

 市立第八一保育所の年長さんが家の前を通って図書館へ、又その横の公園へ散歩に行く時に我が家の前を通る。

 声をかけるとメダカの赤ちゃんを必死になって探す。すぐ見つける子は少ないけど、たまにはいる。

2010年3月の同窓会3次会での筆者

 帰りも寄って行くが、遊びが押しているのに給食の準備もあって先生の時間コントロールが大変だ。

 今一つは緑のカ-テン、ゴ-ヤの垣根作りが出来たこと。

 昨日2個収穫して、ワタを出して妻の塩麹にキュウリやトマトと一緒にいれた。残りはワタを取り、少し塩をして、豚や玉ねぎや豆腐などで炒める。近くのお百姓さんからもらったゴ-ヤの初物は、塩麹につけておいたが食べ頃だと思う。

 今年は花芽が多いので、小さなハケで人工受粉させ、実をたくさん収穫して漬けたい。妻は独特な苦味が苦手で、まったくゴ-ヤ料理をやってくれない。

 今一つ昨年から出来ていないことがあるが、ぜひやっておきたいことに娘宅の藤棚がある。2mも枝が伸び、今年は小さな藤の花房が垂れ下がって、咲いた。枝を大きく伸ばして来年春先には甘い香りと藤の房を楽しみにしている。この炎天下の作業は大変だが、無理せずボチボチと。


 2012年 10月

 体調は一進一退でも良い方ですが、食欲のむらが無くなったのに食べた割に体重が増えないので心
配です。

 上の娘が焼いた食パンや宝塚の「パンネル」の食パンは天然酵母でイ-スト臭く無くおいしい。市販品が食べられない。厚切りなら一枚をペロリと食べる。小松菜やゴ-ヤや果物、バナナなどを入れた野菜ジュ-スは、野菜不足を補うのにちょうどいい。しかし、あまり欲を出して色々混ぜると、かえっておいしくない。オモチ、ギョウザ、ハンバ-グ、うどん、お好み焼きなど手作りでないと食べられなくなった。昨夜は土鍋の鍋焼きうどんで、馬路村のポン酢は少し高額だが味は最高においしい。新しくて少し大きいアジは開いて塩をして干す。塩かげんができて、魚の臭みがなく納得のおいしい開きは最高。

 久しぶりに近くの銭湯へ行ったら釣りキチに会い、シーズンのタチウオを釣ったら持って行くからと、約束してくれた。名人にしても釣りははずれがあるのか、いまだに食していない。釣りに行くにも、酸素を義務付けられているのでままならず、ならば堺大浜の魚市場へ朝早く行く以外に方法がない。

 ゆっくり生きれば安くておいしい手作り食品を食べることが出来る。早く元気になって、あったかい和歌山に住みたい。

市岡高校 東京12期会メンバー有志による新年会

4組 川合兵治
 

 さる2月12日(火)、東京は京橋にある「美々卯」にて「うどんすき」を囲んでの市岡高校東京12期会有志による平成25年度新年会が催されました。茨城の宇宙センターに現役で関与されている名古屋在の小野君や、いまだにテニスを頑張っている静岡在の上原(大川)嬢が参加されるなど総勢11人の賑やかな会となりました。

 また、当日は昨年7月突然「ラムゼイ・ハント症候群」、平たく言えば「帯状疱疹」を発症した榎本君の全快祝いもかねていました。発症当時の榎本君は三半規管をやられ満足に立ち居振る舞いできず、その顔はノルウエーの画家エドヴァルド・ムンクの「叫び」に描かれている男性の顔そのものでしたが、昨年10月の川歩きメンバー6人の打合せ会にもマスクにサングラス、杖を突いてビールをストローで飲みながらも出席されるという前向きな姿勢が功を奏したのか、この新年会では顔つきもほぼもとにもどり、下ネタも話せるほどに回復されていました。

 本人はこれから3月にはスキー、4月には恒例の川歩き、5、6月には国内・海外旅行と本当の全快を目指しています。年齢に関係なく常に前向きな姿勢で生きることの重要性を全員が実感した会でもありました。

参加者
1組 上原 澄子(大川)
2組 杲田 慶子(鵜飼)
2組 坂野 雅子(堀内)
3組 西條 軍蔵
4組 川合 兵治
5組 泉 信也
6組 大石橋 宏次
6組 小野 義雄
8組 榎本 進明
8組 萩原 貞雄
8組 山田 正敏

「なにわ福島ものがたり」 の紹介(福島区歴史研究会30周年記念誌)

 先日、末廣訂君から「なにわ福島ものがたり」を送っていただきました。

 これは福島区歴史研究会が発足30周年に際して発刊された記念誌で、B5版、全236ペ-ジからなる労作です。

 福島区歴史研究会は「12期の広場」でもたびたび、お世話になっています。昨年掲載しました「古地図展」は福島区歴史研究会が主催団体の一つ、武田博君の「ジエ-ン台風」の話しもやはり歴史研究会の「災害展」の準備やその資料収集が下地になっています。また同窓生である末廣訂君、武田博君の両名が会員であると同時に、そのほかの会員に母校の先輩や後輩方がおられ、市岡高校と浅からぬ縁がある研究会でもあります。

 「なにわ福島ものがたり」の表紙デザインは、大阪市中央図書館所蔵の『浪華の賑ひ三篇』、それに『野田ふじ』の紫色をグラデ-ションにしてかぶせています。

 歴史研究会の記念誌ですから、専門的、場合によれば学術的な「堅い書籍」ではと思ったのですが、実際、手に取ると、題名そのままの由緒深く、懐かしく、そして感銘を呼ぶ「なにわ福島ものがたり」なのです。なにより、福島区に生まれ育ち福島を愛する気持ちにみちあふれた本であること。間違いありません。

 巻頭部一連の寄稿文に続いて、「遺稿・村から町へ『鷺洲』のうつりかわり」から「芦分紀行-近世福島区域をめぐる」までの大目次が12編。いずれも個性的な切り口で読ませます。


(さらに…)

「12期の広場」2月号のラインアップ

 今年は節分が2月3日、立春が2月4日です。「節を分ける」との文字の通り、立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分なのですが、私達に馴染みが深いのは、 やはり豆まきに象徴される2月の節分です。もっとも最近は「恵方巻き」なる巻き寿司の丸かじりが主役の座を奪いつつあるようですが、恵方を向き、黙しての寿司丸かじりは「暗すぎる」のではと少々苦手です。とは言え、翌日の「立春」には素直に嬉しくなります。

 立冬以来、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と冬枯れの景色や気分一色でしたが、漸くの春一字、立春です。一年でもっとも平均気温の低いとも言われる2月ですが、春待ちの心が、厳冬の重い扉をうがつのもこの月、その先駆けが節分です。

 時のうつろいを写し取り、四季をさらに細かやかに吟味し丁寧に生活する日本人の感性が一段と冴える月、それが2月と思えるのですが、皆さんは如何お考えでしょうか。

8組の村崎裕昭君の作品です。今年、我が家の水仙はまだまだ先のようです。

  さて「12期の広場」2月号のラインアップです。

 昨年、3組の高橋要君から「『烏合の衆』は第2号で終わりだったっけ」と彼が大切に保管していた2年8組の学級文集「烏合の衆」1,2号を手渡されました。ガリ版刷り、B5版ホッチキス止め製本で茶色に変色して、縁はボロボロと欠け落ちそうです。

 50数年前の貴重な文集で、同窓会再開後、30数年間捜していたものだけに、よくぞ残してくれていたと、感謝感激です。12期の学級文集としては唯一のもの。それが残っていました。

 「12期の広場」今月号は「烏合の衆」から次の記事の転載とします。お楽しみ下さい。

 
  1. ママは重すぎる」-(「烏合の衆2号」から)     エエ 男
  2.  詩 「朝」-(「烏合の衆2号」から)           作者 不明
  3. 侘 言」-(「烏合の衆2号」から)           作者 不明
  4. 我が輩は猫である。」-(「烏合の衆1号」から)   山元 賢治
 
 追記:

 山元賢治君はすでに鬼籍に入っています。

 この原稿は編集有志であった彼が「楽しい記事も必要」と考えて執筆してくれたもので、夏目漱石の「我が輩は猫である」のパロディ風文章として2年8組では大好評でした。運動神経のかたまりのような彼から突然のように溢れでた、滑らかな文章とその優しさや、ユ-モアに驚かされました。