お知らせ

0年

同窓生の近況短信 (最終)

 出欠返信書のコメント欄にたくさんの同窓生からメッセ-ジをいただきました。本来ならば11月号に纏めて掲載すべきでしたが、ご本人の了解をいただく作業が遅れたため、11月号に続いてここに掲載いたします。

市岡高校12期 同窓会幹事会 HP委員会
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「週1回テニスを楽しんでいます。ダンスもバレ-ももう出来ませんが、テニスだけは楽しく出来ることが不思議です。」
( 1組  上原 澄子 (旧姓 大川) 沼津市在住 )   *欠席
 
「年令相応に元気に過ごしております。家族の病気等、そこそこ忙しく生活していますが、旅行等も入れて、余生を充分楽しく送っています。」
( 1組  北野 純子 (旧姓 丹田) 豊中市在住 )   *欠席
 
「カメラ教室に通い、写真を撮りに行って楽しんでいます。今年も横浜SOGOで写真展に出展します。
3年前に20日間、南米(イグアスの滝、クスコ、マチュピチュなど・・・)に行ってきました。空の色が美しく、太陽の光が違うようでした。」
( 2組  鹿谷 明子 (旧姓 谷野)  横浜市在住 )   *欠席
 
「13年間続けているスポ-ツジムでのプログラムも年令と共に激しいエアロビクスは膝が痛むので出来なくなり、水泳や水中エアロビクスに切り替え、ヒップホップダンスだけはエグザエルの曲に合わせて楽しんでいます。海外旅行も10回以上を越え、パック旅行から個人滞在型(一カ所宿泊でその町に暮らすような)旅行に替えてきました。(今年はオランダでした。)元気な間にヨ-ロッパをもっともっと旅したいと思っています。」
( 2組  藤本 加奈子 (旧姓 井堀)  西宮市在住 )   *欠席
 
「数年前、死地をどうにか脱し、以後リハビリの毎日です。特別講演の企画はすばらしいですから今後も機会があればお続けください。」
( 3組  松村 勝二郎   神戸市在住 )  *欠席
 
「3年続けたインドネシア人介護士候補者の日本語教育も、1月の国家試験合格で締めくくり、のんびり過ごしていましたが、10月に枚方市の小学校の校長先生から電話があって、インドネシアからの帰国子女に日本語指導を始めました。
小学校入学前からインドネシアへ行って現地校に入学し、4月に5年生で戻ってきた女子児童です。週に2回、1回2時間のペースで、国語・理科・社会の授業中の児童の隣に座って分かりにくい言葉の助言をしています。僕は、インドネシア語はあまり得意ではないので、教科書を借りて難しそうな言葉の インドネシア語や やさしい日本語への言い換え、「ハヤブサ」や「帯」など言葉では理解できそうにない場合は写真など、の資料を事前に準備するのにけっこう時間がかかっています。
 孫と同じ年代児童たちに囲まれ、昼にかかった日には給食も一緒にいただいたり、ビデオなども使った最近の授業を聴いたりするのも、ボケ防止に役だつと楽しみながら工夫しているこの頃です。」
( 4組  藤田 勝利 枚方市在住 )   *出席
 
「私は昨年7月主人が亡くなり、きままな一人暮らしをしております。今年は年相応の山登り(金剛山はもう少しで1300回達成)とババさんコ-ラスでそれなりに楽しく過ごしております。」
( 4組  藤井 正枝 (旧姓 鍋島)  堺市在住 )   *欠席
 
「関東での生活が48年になりました。幸い健康に恵まれスロ-なライフを楽しんでいます。東京の同期同窓会には必ず出席して楽しんでいます。今回は連絡いただきましたが、先約があり欠席します。『12期の広場』ホ-ムペ-ジ9月を初めて見ました。毎月初めを楽しみにしたいと思っています。」
( 5組  阿部 清二   川崎市在住 )   *欠席
 
「12期の広場、ホ-ムペ-ジの公開を全く知らず今回の御案内で初めてアクセスさせてもらいました。同窓生の日々の多様な生活ぶり等、親しくなつかしく、叉今なおおとろえぬ力、勢いに感動させられました。ありがとうございます。これからも楽しみにアクセスを続けたいと思います。」
( 5組  稲葉 勝也   宝塚市在住 )   *出席
 
「10年目を迎えたここ長崎県生月島での離島暮らしも企業年金の減額で家賃が払えなく成り、10月末で帰阪する事にした。帰阪後は関電への反原発と近所の年寄りを集めてマ-ジャンでもと考えている。次回からの同窓会には参加出来るでしょう。」
( 6組  駒崎 雅哉   平戸市在住 )   *欠席
 
「地域公民館活動も卒業させて頂き、現在、非常勤の仕事もしておりますが、これもボチボチ引退させて頂こうと考えております。全て引退して楽になろうかと思いますが、今までお世話になっていたと考えれば、これからも人付き合いは続けねばと思います。一生人付き合いは消える事はないと思います。」
( 7組  田中 健治   大牟田市在住 )   *欠席
 
「停年退職後11年経過して1パタ-ンの生活リズムが定着したようです。朝4時起床、そこから運動を兼ねた仕事を約3時間、以後は読書を主にした自由時間を楽しみ、夕方になると草花への水やり、6時を定刻に焼酎のお湯割り2杯と夕食をユックリと味わう。10時就寝。
以上の流れですが、これに今年中には新たに厨房作業を加えようと考えています。お陰様で至って健康に毎日を過ごしています。」
( 7組  新田 隆三   川西市在住 )   *欠席
 
「本年始めに体調をくずし、2カ月入院しました。今夏の酷暑にバテているのが現状です。阪神の震災後、住宅再建(全壊)した直後から、両親と実兄(障害者)の介護に追われる中、次々と他界して行きました。昨年末に気の緩みからか体調を崩した次第です。震災からあっという間の17年でした。元気でお過ごし下さい。」
( 8組  田中 博之   神戸市在住 )   *欠席

第21回兵庫市岡歩こう会

6組   高見 政博
 

 11年目に入った兵庫市岡歩こう会。21回目の今回は「日笠山ハイキング」です。
日笠山は兵庫県高砂市の東南に位置する小さな山で、コースの最高点は100m足らずですが、地元では子供から高齢者まで手軽なハイキングコースとして幅広く親しまれています。

 参加者の高齢化が進む兵庫市岡歩こう会でも気軽に参加していただける所と思い企画しました。しかし、実施日の11月4日10時30分、山陽電鉄曽根駅に集まったのは幹事も含めて18名。今までの最少人数でした。やはり場所が遠いからかと反省。

 12期生は高尾昌之さんと私の2名。最高齢は86歳の江本先生。次が83歳になる旧制中学42期の3名の大先輩。皆さんのお元気さに「若手」は圧倒されます。

 歩きはじめてすぐ菅原道真ゆかりの「曽根天満宮」。七五三の時期とあって境内には着飾った子供たちが、これも着飾った親たちに連れられてお参りをしています。

 天満宮を出て民家の中のゆるやかな坂を登って行くと、およそ30分で標高62mの日笠山山頂。ここは桜の名所で春の花見の時期には大勢の人で賑わうとのこと。山頂は広場になっていて播磨灘も見られます。ここから道は細い山道になり、今回一番の急坂を登ります。息が上がりかけた頃に夫婦岩に到着。辺りには兵庫県の県花「野路菊」が植えられています。今年は残暑が厳しかったせいか、残念ながら、ちらほらとしか咲いていません。ここは眺望もすばらしく、眼下に加古川の工場地帯から播磨灘、遠く左に淡路島、右に家島が一望できます。

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日曜日の尋ねびと

3組   髙橋 要

 久しぶりの同窓会でした。

 先生方がそれぞれにお元気そうで何よりでした。北村先生からはわたしも読書感想文を返していただき、思いがけないプレゼントにびっくりいたしました。先生の授業中は、申し訳ないことによく寝込んでしまっていて「僕の授業、フランス革命あたりでおもしろくなります」というお声も夢のなかに残ったようです。

 西田先生の訃報に接し、バレーボール部で3年間お世話になったさまざまな記憶が頭の中を駆け巡りました。また同期の部員であった池上昇君についで、林清矩君が亡くなったことも知りました。池上君の死を連絡してきた彼の電話口での声が鮮明に蘇ります。

 

 「12期の広場」のことを最近になって知りました。寄稿された文章を読むにつけて感慨もひとしお、とりわけ武田博君の「the あの頃―ジェーン台風の写真」(12年7月号)のインパクトは、60余年前の災害と時代の空気とでもいうべきものをいっきに目の前に手繰り寄せてくれました。当時西淀川区の姫島小学校3年生だった私も武田君と同じような体験をしたのです。

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生月島漂流記

6組 駒崎雅哉
(一)

 2001年9月11日の米国での事件を駐在先のシカゴで経験した私は、ひたすら米国旗を車の後ろに結び付け街中を走り回るアメリカ人を見てやるせ ない気持ちになった。つまりグローバリズムの名の下に世界中に害毒を振りまく米国に対するアラブ側の自爆攻撃に直面していささかの自省することもなく、自 国旗に自らの正当性を求めるアメリカ国民に暗澹とせざるを得なかった。同年12月に米国で定年退職を迎え、会社に残ることなく退社し、2003年ピース・ ボートにて世界1周し(途上計画していたイスラエル訪問は、紛争ぼっ発の為実現しなかったが)翌2004年5月より、橋で繋がった島としては、日本最西端 に位置する生月島での一人暮らしを始めた。

 家を出る経緯については、省略するが、当初は、鴨長明又は吉田兼好の生活スタイルが目的で「方丈記」と「徒然草」を持って出たものの爾来8年半、今や島の生活にドップリ浸かってしまいミイラ化している自分に呆れている。
50cmのコチをつり上げた。

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「12期の広場」 11月号のラインアップ

 「あの校庭 図書館、食堂 体育館 思いで鮮やか 市岡高校」 (北浦昌子-3年2組)
 

 月並みな言い方にはなりますが、やはり同窓会は時空を越えての感慨が去来するものですね。

 すっかり忘れてしまっていた思い出が薄皮をはぐように徐々に蘇り、懐かしさやうれしさなど、めぐる思いに心が浮き立ちます。また50数年の歳月を経て、席を同じくするばかりか、共に感じ合い、ともに響く合うことの不思議さに、今更ながらと驚かされます。

 これらを「偶然」と呼ぶのか「必然」と呼ぶのかよく分かりませんが、もっとも多感な季節と熱い時代に市岡高校で学び、そして「私達の時代」を共に生きてきた12期同窓会ならではの感慨であることだけは、間違いないようです。

 さらに2012同窓会は「宇宙のロマンと謎」(小野義雄君の特別講演)と「55年前の読書感想文」(北村先生からの返却)がそのビッグイベントなりました。


 さて今月号のラインアップは「2012 同窓会」の特集です。お楽しみ下さい。

 
  1. 2012同窓会が開催されました。
  2. 読書感想文のこと」             北村 彰一 先生
  3. 12期同窓会を終えて」           酒井 八郎
  4. 二年後にまた、お会いしましょう」      北浦 昌子
  5. 同窓生近況短信-②」-出欠返信書から-
  6. 同窓会写真集」-小野君の講演資料を含む。

大阪府立市岡高等学校第12期生2012同窓会が開かれました。

 大阪府立市岡高等学校第12期生2012同窓会が10月21日、午後1時30分から開催されました。

  この日は抜けるような秋晴れでした。同窓会の会場は地下鉄西中島南方のクライトンホテル新大阪2階宴会場で、恩師4名、同窓生65名の総勢69名が参加さ れました。ご臨席頂いた恩師の先生方は、北村彰一先生、江本義文先生、御前保子先生、福井金治先生で、同窓生は関西在住が中心でしたが、仙台から佐藤裕久 君、千葉から重松清弘君、東京から泉信也君、神奈川から東野節雄君、新潟から佐々木康之君、愛知から小野義雄君、広島から辻紘一郎君の遠来の友、7名も馳 せ参じてくれました。

 午後1時から受け付け開始、なつかしい学友達が次々と集まってくれました。

受付ホ-ルでの握手に力が入ります。
 
「宇宙よもやま話」で宇宙のロマンと謎に魅了され-講演の部
 

 定刻1時30分に特別講演の部が開会。「宇宙よもやま話」の演題で小野義雄君(3年6組)が30分の講演を行いました。

 小野義雄君は、名古屋大学工学部航空学科修士課程卒業後に三菱重工入社、宇宙ロケットシステムおよび構造設計や宇宙ステ-ション開発プロジェクトマネ-ジャ-に従事され平成12年NASDA(現 JAXA)に入社されるなど、一貫して日本の宇宙開発に技術者としてたずさわってこられました。現在もJAXAの客員ならびに九州工業大学非常勤講師をつとめておられ、今年の7月21日、宇宙ステ-ションへの輸送ロケット「こうのとり3号機」の発射時には種子島宇宙センタ-の射場で立ち会われたそうです。

小野義雄君の講演写真

 講演ではDVDを使った「宇宙ステ-ション開発史」の紹介の後、後掲の資料を使って分かりやすく、また興味深い「よもやま話」を紹介していただきました。

 講演は大好評で、恩師の先生方はじめ同窓生皆さんは、地上400km上空、秒速8kmで地球を周回する「国際宇宙ステ-ション」の映像に大いに感嘆すると同時に、その困難に立ち向かう胆力と技術力、はるか彼方の宇宙空間を今も飛行するボイジャ-とダ-クマタ-に代表される「宇宙のロマンと謎」にすっかり魅了されたようでした。

 30数分もあっという間で、質疑応答の時間が取れなかったのが、いまでも残念です。

  (さらに…)

読書感想文のこと

北村 彰一

 12期生の皆さんの入学された四月、私は新卒で市岡に採用して頂きました。

 夏休み前、市岡社会科の伝統ある読書感想文を江本先生のご指導もあり宿題として出しました。

 百冊ほどの本を参考にプリントし、自由に決めてもらいました。9月良く読まして貰いすぐ返すべき成績物ですが授業中に利用出来ると思い保管し3月に返し忘れました。

 ずっと持っていたいという潜在心理があったのかも知れません。宿題を拝見し解説などの丸写しでなく、年齢以上の深い思想、洞察力を発見しました。さすが学区のトップクラスの方々と納得しました。返却時、誰かが批評が無いといわれましたが、軽率に書けない状況でした。

 その後のご発展、「みおつくし」(注:卒業50周年記念文集)の記事、「12期生の広場」より知らされることは当然予想されることだったのですね。「栴檀は双葉より芳し」は褒めすぎでしょうか。       

 選んだ本は戦後十年余りの世相、世界情勢を反映していました。

 55年で世界は変わり宇宙ロケットの講演を拝聴させて頂くようになりました。1957年赴任の年、ソ連の初の人工衛星の発する電波音を宿直室で聞いたのを覚えています。

 さて多数の宿題がまだ手許にあります。ご希望の方は、現住所明記でお知らせください。罪滅ぼしに郵送させて貰います。

 数人一枚目が紛失し名が判らず返せない方がおられます。転校生とかなりの方の作文が残っていて世の中いろいろを感じます。

 みおつくしの上野さんの記事によると12期同期会は十回になり私は運よく全部出席出来ました。


12期同窓会を終えて

12期同窓会幹事会 代表幹事 酒井 八郎

 「何時までもお元気で!」

 この言葉は2年前卒業50周年記念同窓会の3週間後、体育の西田昭夫先生が、たまたま、テレビの画面を見て送ってくださった最後のお言葉です。

 『彼岸も過ぎ、桜満開も今日か明日かというこの頃、12期会にも出席できず、大変失礼いたしました。本日偶然にもテレビで見たお元気な姿に嬉しくなってペンをとりました。(4チャンネル)お二人(酒井、張)のまだ若々しくツヤツヤした笑顔、母校に対しての熱い思い、正に感動ものでした。それに解説の石田氏の「私も市岡、市岡は皆、仲がいいんだ!」と嬉しいオマケ付き。今更の如く往時を懐かしく思っております。何時までもお元気で!草々 』

 毎回、同窓会にはご案内をお出ししていましたが、とうとう一度もご臨席いただけないままのお別れになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 いつもの同窓会への出欠ハガキと異なり、A4用紙での返事ということでスペ-スがあってか、たくさんの返信をいただきました。ありがとうございます。

 今まで以上に、ご本人のみならず、ご家族の体調不良で今回は欠席するという方が多かったようで、ご回復を願っております。何人もの方が「今回は欠席するが、次回は参加するつもりです。」と、うれしいお便りを書いてくださっています。

 これから益々「加齢現象」の言葉がついてまわりますが、お互い健康により一層留意し、西田先生の「何時までもお元気で!」を12期の合い言葉にしましょう。

 「出席するつもりが、この夏の暑さでバテてしまった。今回は不本意ながら欠席」とご連絡下さった吉田安雄先生、いつもの先生らしく、早く元気になって下さい。先に案内のあった17期同窓会へのご出席の田中順三先生、加藤錦江先生、先約ありの平賀正男先生、ご連絡ありがとうございました。

 今回もご臨席の江本義文先生、福井金治先生、御前保子先生、北村彰一先生、いつも12期のためにおいで下さいまして本当にありがたく、感謝申し上げます。次回もお元気なお姿でお出かけくださいますよう、12期一同お待ち致しております。

 そして今回参加いただいた12期のみなさん、参加できないけれど「通信費に使って」と応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

 3月の豚汁会に始まり、舞州のお花見会、そして数度の幹事会と、今回の準備にご苦労をおかけしました各クラス幹事の皆様、ご協力ありがとうございました。

 来年は東京市岡12期会、翌年は大阪での同窓会です。その間は市岡高校同窓会ホ-ムペ-ジの「12期の広場」をお楽しみ下さい。それでは皆様、『何時までもお元気で!』

二年後にまた、お会いしましょう

12期同窓会 幹事会副代表幹事
北浦 昌子(旧姓 小寺)

 先日の同窓会に東から西から駆けつけて下さり、本当にありがとうございました。

 いつも下手な短歌を閉会時に恥じ入りもせず披露する私をお許し下さい。
「同窓会」というシチュエ-ションが決まっていますので毎回、変わり映えしない歌で申し訳ありません。


  • 「 遠来の 友集い来て 12期会 会えばなつかし 心は一つ 」
  • 「 あの校庭 図書館、食堂 体育館 思いで鮮やか 市岡高校 」
  • 「 古希迎え ますます盛ん 同期生 恩師と共に 生涯青春 」
 
 帰宅後、川柳も三句頭に浮かびました。
 
  • 「 同窓会 イケメン美女も みんな古希 」
  • 「 口紅を 濃い目に引いて 同窓会 」
  • 「 大声で 校歌歌えば 十八才 」
 
お粗末でした。最後に皆様へのメッセ-ジといいますか、自分自身への訓辞とでも申しましょうか、こんな歌を思いつきました。
 
  • 折り返し 復路にかかり 鉢巻きを 締め直しする 人生マラソン
 
皆さま、二年後にまた、お元気で大阪に集まってくださいね。ありがとうございました。

同窓生の近況短信 ②

 出欠返信書のコメント欄にたくさんの同窓生からメッセ-ジをいただきました。その内、10月号に続いてご了解を頂いたものをここに掲載いたします。

 紙幅の関係上、同窓会幹事会へのねぎらいの言葉や同窓会の盛会、また同窓生皆さんの健康を祈念する言葉は恐縮ですが、割愛させていただきました。ご了解のほど宜しくお願い申しあげます。

市岡高校12期 同窓会幹事会
 
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「現在ダンスにカラオケ、コ-ラス、パッチワ-ク、そして最近ボケ防止の為、家庭マ-ジャンを教えてもらっています。毎日、飛び跳ねています。」
( 1組  鈴木 政子 (旧姓 酒井) 大阪市在住 )   *出席
 
「今回も思い出に残る同窓会になりますよう願っています。仕事の合間に水彩画、俳画、書道など楽しんでいます。」
( 1組  高橋 三和子 (旧姓 平田)  泉北郡忠岡在住 )   *出席
 
「今年は同窓会に出席したいと思っておりましたが、残念。元気に過ごしております。65才までテニスを続けていましたが、股関節の骨のえし症がわかり、手術を受けました。主人の定年にともない九州福岡に移りました。今は時間をみつけては九州をまわっています。とてもいいところですよ。歩ける間は元気、元気で ・・・・」
( 1組  文屋 久子 (旧姓 松井)  宗像市在住 )   *欠席

「幹事の皆さんご苦労さまです。準備の為に集まりワイワイガヤガヤの話しも楽しそうで、お元気な皆様がうらやましい。
私はタバコをやめて40年。元気な老後の為にジョギング、マラソン、山登り、スイミングとスポ-ツ人間だったのに『肺ガン』に。それも1000人に1人というめずらしい肺ガン。闘病生活は丁度、丸1年になりました。昨年10月末に府立成人病センタ-に入院、退院の繰り返しで、抗ガン剤が全く効果なく、健康な細胞も破壊されて、ゲッソリとやせ、死神を背おっての苦しい毎日でした。外科手術は10cmもの大きさなので無理。放射線治療は、多少効果あった様です。6月1日に『緩和ケア-=在宅治療』で退院し、その後『免疫治療』で神戸ハ-バ-ランドの横川潔医師のもとに通院して、5カ月になります。CT投影では縮小しており、快復のメドがたってきました。11月か12月までにケリがつきそうで、うれしい!同窓会への参加を目標にしていたのですが、長時間にまだ耐える程でもなく、今少し元気を回復して、ニコニコ顔でお会い出来る事を楽しみにして、治療に励みます。」
( 4組  内田 勝章 松原市在住 )   *欠席
 
「皆様と同じく私も本年3月に古希を迎え、家族や前勤務先、元勤務先等から物心両面の祝福があり、感謝しつつ元気に過ごしています。ベ-ト-ベンの第九コンサ-トに3回目のオンステ-ジやゴルフコンペでの入賞など、楽しいこともありましたが、7月に姉が81才の孤独死(死後二日と想定)で天に召されたことは痛恨の極みでした。身近な者を何のサインもなく失ったことから、元気なうちに自分の終活に取り組むこと、死と向き合うための前準備、前始末の必要性を強く教えられた夏でした。」
( 4組  寒川 詔三  豊中市在住 )   *出席
 


「夫、西田昭夫が、昨年2011年5月30日、心筋梗塞のため他界いたしました。
心臓病は持病であり、随分注意をしていたのですが、5月23日大学同窓会の席上、突然意識不明の状態に陥り、緊急手当のかいもなく、旅立ちました。
ここに慎んでご報告申し上げますと共に長年にわたって賜りましたご芳情に対し厚く御礼申し上げます。幹事様には色々とお世話になりましてありがとうございます。私もそれ以来体調がすぐれず、今回は欠席いたします。」
( 4組  西田 良子 (旧姓 小森)  吹田市在住 )   *欠席
 
「家族一同元気にやっております。体力がなくなってきているなぁとは実感しておりますが、これが老化ということかと。みなさま(委員の)の活発な活動、たのもしく感じています。今年はスケッチ旅行の日と重なり、不参加となりますが、みなさまお元気でおすごしくださいますように。」
( 5組  丹羽 美保子  (旧姓 岡 )   西宮市在住 )   *欠席
 
「古希を過ぎると余生を如何に過ごすかと言う話しになることが多い。古希自体が古くて稀と言う事だからまるで博物館に入った様な気分にもさせられる。そうだろうか?何のしがらみも無く、自分に正直に生きる年代を迎えたと思っています。健康が許す限り、皆さんとの交わりを深めたいな-。この様な気持ちを持っています。よろしければいつでもお誘い下さい。」
( 6組  畠平 雅生   大阪市在住 )    *出席
 
「夏は大変苦手で、涼しくなった最近は元気に遊んでいます。4月にお腹のヘルニア手術をしたので、重い荷物は持てないし、坂は上がりにくくなりハイキングに参加も叶わず残念ですが、健康マ-ジャンと俳句を楽しんでおります。友達との交流も大切な時間です。今回は参加出来ませんが、次回は是非、皆様とお会いしたく思っています。」
( 6組  吉瀬 順子  (旧姓 清水) 宝塚市在住 )   *欠席
 


「府大卒業後37年間の地方公務員(兵庫県)生活を経て、10年間総合建設コンサルタント会社勤め、更に現在コンサルタントの関連会社の代表として仕事に励んでいます。
孫の世話、家庭菜園と仕事の3本立てで忙しい毎日です。健康の維持が最大の関心事です。」
( 7組  秋田 実   加古川市在住 )   *欠席
 
「北村先生の答案(1年時夏休みの宿題答案返却)を見られなくて残念です。半年~1年ほど、のんびりリハビリします。(ギリギリまで体調を見てきました。お返事が遅れてごめんなさい。)」
( 8組  榎本 進明    横浜市在住 )   *欠席
 
「今年は祖父が亡くなって60年目、月命日に合わせ田舎に従兄弟が揃って集まり、お墓の前で法要を行うことが出来ました。実に晴れやかな気分です。」
( 8組  岸川 常正  川西市在住 )    *出席
 
「市岡12期生の同窓会の幹事の皆様には常日頃多大な努力を頂き、感謝の気持ちで一杯です。おかげで盛り上がりのある活動が続けられています。特に遠く離れた者にとっては市岡の広場ホ-ムペ-ジは懐かしく、若かりし頃の昔に戻ることが出来ます。」
( 8組  萩原 貞雄 八王子市在住 )   *欠席
 
「5月に“引導を渡すから来い”とのことで閻魔さんの所に行ったら、小生の2人前で“引導の在庫が切れたのですまんが出直してくれ”との事で追い返され、また娑婆で中途半端にうろついています。」
( 8組  村木 雅章 三重県多気町在住 )   *欠席



注 : 写真は末廣訂君から提供していただきました。