12期の広場
2018年9月1日

夕べに、庭でチロチロと鳴く虫の音を初めて耳にしました。気のせいか、頬をなでる風も幾分涼やかに感じます。小さな秋は、足元にあるようです。今しばし、心穏やかに本格的な秋を、待ちたいと思います。
今月号のカット写真は「彼岸花」です。「曼珠沙華」とも言いますね。高見君の送ってくれた写真の中からこれを選びました。彼のメールに『秋の花はどうしても地味になってしまいます。1番目は「彼岸花」です。この花は作品にするのが難しくて、これと言うものが無いのですが、9月の花としては外せないと思い、・・・入れました。』とあります。水滴をまとった花の姿を捉えた写真は、生気に溢れて美しい。この花への私のイメージが変わりました。
この秋のビックイベントは、10月28日の12期同窓会です。案内状ができ、その発送が終わりました。これから直前まで、さまざまな準備が具体的に進められます。
ご承知のように、今回が大阪での同窓会の最終回になります。それだけに、幹事の皆さんの意気ごみもひとしおです。合言葉は、案内状にあるように、『 市岡と12期に感謝 !! そして12期生を支えてくださった方々に感謝 !! 』です。
33年、13回を数える同窓会の最終回らしく、有意義で楽しい同窓会になることでしょう。一人でも多い、同窓生皆さんのご参加を楽しみにしております。
さて、わが「12期の広場」9月号のラインアップは、次の通りです。お楽しみ下さい。
1.「2018大阪府立市岡高等学校12期生最終同窓会のご案内」
2.「同窓会の案内状を発送しました」
3.「同窓会33年によせて ②」 ・・・・・・・・・・ 5組 泉 信也
以 上
2018年9月1日
2018.8.25
12期の皆様へ
大阪府立市岡高等学校12期同窓会幹事会
代表幹事 酒井八郎
2018 大阪府立市岡高等学校
12期生最終同窓会のご案内
12期の皆様、おかわりございませんか。12期生最終同窓会のご案内
昭和32年4月、男子250名、女子150名 総勢400名で市岡高校に入学した私達12期生は、卒業25年を経て、初めての同窓会を東急イン梅田で開催しました。以後、5年毎の定期開催にし、還暦を迎えてからはそれを2年毎に変更して、通算12回の同窓会をかさねてまいりました。
昔、旧制中学の大先輩でもある玉田先生が、『100人も集まる同窓会ができるのは、12期が仲が良かった証しだ!』とおっしゃるくらい、毎回、日本全国から多くの同窓生にお集まりいただいたこと、幹事一同、心から感謝しています。
打ち合わせや連絡、その確認で、ご自宅に電話を入れても、ご主人であったり、奥様であったり、時にはご家族の方が受けて下さることがありました。そのたびに、『ああ、市岡の方・・・』と暖かくお話していただくことが多く、12期のご家族の方々の応援があってのこその同窓会だと感謝しております。
そんな12期生を、卒業後も見守り続けてくださった恩師の先生方に感謝申しあげます。
43才から77才迄、33年間続けてまいりました大阪での12期同窓会も、近年、各クラス幹事さんに体調不良が続出し、今までの形の同窓会を開催することが困難になり、今回が大阪での最終回の同窓会になります。
これまで同窓会のご案内をお送りしますと、さまざまなご事情で「出席」より「欠席」の返事が多かったのですが、ほとんどの方が、『皆さんによろしく』と書いて下さいました。もし、ご都合をおつけていただけるなら、今回はお一人でも多くの方にご参加いただけたらと願っています。
幹事会では“市岡と12期に感謝 !! そして12期生を支えてくださった方々に感謝!!”を合言葉に、最終回を想い出に残る同窓会にしようといろいろ計画しております。どうぞお楽しみに。
出欠のご返事は、9月末迄に同封の返信ハガキでお願いいたします。また、会費の振込も合わせてお願いいたします。前日か当日、ホテルご宿泊ご希望の方は、なるべく早く、酒井迄ご連絡下さい。
-記-
2018 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会
日時 : 平成 30年10月28日(日) 午後12時半 受付開始
本会:1時00分~4時00分 二次会:4時15分~6時15分
会場 : ホテル クライトン 新大阪 TEL 06-6885-1211
大阪市淀川区西中島2-13-32(地下鉄西中島南方駅、西へ徒歩5分)
会費 : 本会 10,000円 、二次会 2,000円
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2018年9月1日
8月25日(土)午後2時から、母校の同窓会会館で、2018同窓会の案内状発送作業をかねた、12期同窓会幹事会が開かれました。
この日は、猛暑日。暑い中、八島節子さん、高橋三和子さん、酒井政子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、峰松幸子さん(2組)、石井孝和君、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君、古藤知代子さん(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、塩野憲次君、末廣訂君(8組)の20名の幹事さんが、参加されました。

まず、案内状の発送作業をしました。手持ちの同窓会名簿と、印刷された宛名タグとの住所確認と照合を行い、食い違う住所は手書き補正をして、案内状、返信ハガキ、振込票、案内地図を封筒に入れました。
これが毎回のことで、慣れたとは言え、案外に手間取ります。
「あの人の住所タグがないでェ」、「この人の住所が間違っているでェ」、「この人には是非きてほしいなぁ」などとワイワイ、ガヤガヤ。この作業にも「これが最後の発送作業か!」との思いが、にじみ出ていたようです。
一人でも多くの同窓生との再会を願って、総数250余通を発送しました。
続いて、同窓会のプログラムについて協議しました。最初に、特別講演として、大阪府無形文化財に指定されている、海老江八坂神社の「宮座・頭屋神事」について、8組の末廣訂君からお話しして頂くことになりました。末廣家は江戸時代からの宮座の一員です。
次に、代表幹事の酒井君から、各クラス単位でイベント企画を出してほしいとの提案があり、それについて議論しました。
いろいろ意見は出たのですが、結局、1組は歌、2組は日舞、3組は健康体操のショートスピーチ、4,5組は社交ダンス、6組は写真についてのショートスピーチを、ご披露して頂く方向になりました。最後にふさわしく、楽しい同窓会にとの企画ですが、どうなりますか、今から楽しみです。
午後4時半頃に、10月の直前幹事会、12月の纏め幹事会の日程を決定して、終わりました。
この日は、猛暑日。暑い中、八島節子さん、高橋三和子さん、酒井政子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、峰松幸子さん(2組)、石井孝和君、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君、古藤知代子さん(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、塩野憲次君、末廣訂君(8組)の20名の幹事さんが、参加されました。

まず、案内状の発送作業をしました。手持ちの同窓会名簿と、印刷された宛名タグとの住所確認と照合を行い、食い違う住所は手書き補正をして、案内状、返信ハガキ、振込票、案内地図を封筒に入れました。
これが毎回のことで、慣れたとは言え、案外に手間取ります。
「あの人の住所タグがないでェ」、「この人の住所が間違っているでェ」、「この人には是非きてほしいなぁ」などとワイワイ、ガヤガヤ。この作業にも「これが最後の発送作業か!」との思いが、にじみ出ていたようです。
一人でも多くの同窓生との再会を願って、総数250余通を発送しました。
続いて、同窓会のプログラムについて協議しました。最初に、特別講演として、大阪府無形文化財に指定されている、海老江八坂神社の「宮座・頭屋神事」について、8組の末廣訂君からお話しして頂くことになりました。末廣家は江戸時代からの宮座の一員です。
次に、代表幹事の酒井君から、各クラス単位でイベント企画を出してほしいとの提案があり、それについて議論しました。
いろいろ意見は出たのですが、結局、1組は歌、2組は日舞、3組は健康体操のショートスピーチ、4,5組は社交ダンス、6組は写真についてのショートスピーチを、ご披露して頂く方向になりました。最後にふさわしく、楽しい同窓会にとの企画ですが、どうなりますか、今から楽しみです。
午後4時半頃に、10月の直前幹事会、12月の纏め幹事会の日程を決定して、終わりました。
2018年9月1日
5組 泉 信也
同窓会は一瞬にして時空をとびこえ、心の若さを取り戻せる場所です。大阪、東京と会場はちがえど、33年を営々としてたえることなくお世話いただいた幹事役の諸兄姉のご努力に脱帽し、感謝いたします。
僕はと云えば、1987年に米国駐在から帰国した当時はビジネスマンにとって「会社が社会」の時代で、日々の仕事に追われ、同窓会どころではないというのが実情でした。妻の方は永い空白を取り戻そうとするかのように旧友との交流を再開し、同窓会の楽しさを語ってやみません。
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大阪の集いに毎回欠かすことなく参加するうちに、東京でも集まろうという機運がおこり、山田君、榎本君の肝いりで2003年11月7日、東京駅の会場にて「市岡高校・東京12期会」第1回の集いが発足しました。連絡のつく東京在住者55名の内、30名が出席、大阪からは張君、末廣君、別宮君が同期会の大旗とともにお祝いに駆けつけてくれ、大いに盛り上がりました。
以降は銀座に会場を移し、大阪と交互の実施で、昨年は11月11日、霞が関会館にて第8回を開催、この間の延べ参加者は185名を数えるに至っています。大阪からのゲストを交え、柴又やスカイツリーなど、地元に居ながらも知らない東京名所を楽しむのも毎回の慣例行事となりました。
東京でのイベントとして特筆できるのは「川歩き」のシリーズです。今は亡き川合君の提案で、健康のために歩きましょう、折角なら目的地を定めて、と云うことで始めたのが「利根川歩き」。

季節の集まりとしては忘年会、新年会、高尾山での暑気払いなど、もっぱら飲み会と云うことになりますが、時に応じ圓尾君の絵画展や山田君の陶芸作品などを肴にしたり、小野君の案内で宇宙空間(JAXA)に飛び出したりもしています。最近では大石橋君の細君、

話はそれますが現在NPOホームケアエクスパーツ協会で在宅看護の手伝いをしています。そのうち自分たちが世話になるから、と始めた仕事ですが10年を経て活動の規模、基盤も大きくなり、そろそろ世代交代してバトンタッチの準備も始めねばなりません。喜寿を迎えた我々ですが、今現在の平均余命は女性で13年弱、男性でも10年余と云われます。できるだけ健康寿命を延ばせるよう心がけ、一日一日を楽しく充実して生ききれるようにと願っています。
2011年1月1日にスタートした「12期の広場」を読みかえしてみると、広場に集う寄稿者とともにあらためて張君のご努力に頭が下がります。そして大切な支え役の榎本君にはHP委員長の大役を押しつけた一人として、大いなる感謝を添えて以下に彼の「独白」を紹介し、この稿を終わりたいと思います。
“広大無辺の宙のした、50年の軌跡が描く小さな円がある。それが「12期の広場」。それは尽きることない物語と、いまだ褪せない憧れの森。外は海鳴り轟く大海原。そしてその往還はささやかな心の糧。さあ、また再び一人旅立とう。友の「和の心」を櫂にして。”
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2018年8月1日

今月号のカット写真は、「蓮」です。高見君から、これを含めて6枚の写真を送って頂き、この写真にしました。水生植物で、別名「水芙蓉」。花言葉に「清らかな心」があります。清々しく、気高くそして美しく咲く姿に、心が静まります。
本格的な夏、8月は始まったばかり。皆さん、くれぐれもご自愛くださり、この夏を元気に乗り切って下さい。
先日、3組の石井孝和君から、週刊ベースボールの「第100回全国高校野球選手権大会・2018夏甲子園予選展望号」(ベースボールマガジン社)を送って頂きました。表紙が「三本線」の帽子に身を固めた母校野球部員一同の写真です。感謝、感謝で、うれしくなり、見惚れて、机の前に飾っています。(東京市岡会報告-榎本君が今月号に投稿してくれた記事にその写真が添付されています。ご覧下さい。)
100回を迎えた夏の甲子園で、皆勤出場したのは、全国で15校のみ、大阪では市岡高校のただ一校です。第1回大会が1915年ですから、今年が103年目。戦時中の非開催が、あっての第100回大会で、その開会式で市岡野球部のキャプテンも入場行進するそうです。
残念ながら市岡高校は北大阪地方予選の第2回戦で敗退しました。応援に行った4組の寒川君からメールが届きました。
『過酷な環境下、生田投手が好投し、7回に2点を先取、8回表からエースナンバー1の勝田投手がリリーフするも9回に同点とされ、11回エラーからピンチを招き、1点を与え、残念な逆転負けでした。
この日は勝田君のコントロールがよくなかったこと、内野手のエラーが多かったことなど、若いとはいえ、酷暑による影響が出た感じでした。が常翔啓光学園も同じ条件下、3人の継投と強打で見事な逆転勝ち、あっぱれ! という勝利であったと評価してあげたい気持でした。しかし、いい歳をこいて、炎天下、よく応援にいけるねと、妻には相当な心配をかけたようです。』
寒川君は、昭和34年(1959年)、エースで4番打者であった三井君はじめ、森君、山田君とともに大阪大会の準決勝を戦った時の野球部マネージャーです。その時のことを「12期の広場」(2013年8月号の「盛夏の思い出」)に書いてもらっています。
『終盤8回の裏を迎えた。塁上にランナー2人を置き、4番ピッチャーの三井君がバッターボックスに立った。遂に彼のバットが久野(八尾高)の投じた一球を芯で捉え、レフトオーバーの2塁打で2点を返した。市岡が湧きに沸いた瞬間である。ベンチでスコアをつけていた私は鳥肌がたち、絶叫したことを覚えている。しかし反撃はそこまでであった。
藤井寺に試合終了のサイレンがなったとき、それは市岡高校での硬式野球部の部活の終りを告げられたときであった。そして西日のさす中、三塁側で応援の皆様に挨拶にいったとき、無念さと非情さに涙がとまらなかった。特に三井君の好投に報いてやれなかった森君、山田君と共に、私は彼に好投と強打に対する賞賛の言葉をかけても空しさしか残らず、何を言っても慰めにならないことに気付いた。体調不良のままマウンドを守った三井君と共に戦いに挑んだ3年生、礼儀正しい2年生・1年生の後輩たちに感謝し、今も誇りに思っている。半世紀余りを振り返ったとき、それが高校野球であり、そして暑い夏を同期生とシェアした青春時代の大きな夏の思い出である。』
何回読んでも、心が熱を帯び、確かに甲子園に手がかかったあの時の記憶が鮮やかによみがえります。そして100回の重みが胸にずしりと落ちます。絶えることなく続いた歴史と輝かしい伝統、その誇りを胸に、堂々と行進する姿をしっかり見届けたいと思っています。
さて「12期の広場」今月号のラインアップは次の通りです。今月号から「同窓会33年によせて」を4回にわたって連載します。お楽しみ下さい。
1. 「2018 第2回同窓会幹事会が開かれました。」 ・・・・・・ | HP委員 |
2. 「同窓会33年によせて①」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 8組 川村 浩一 |
3. 「東京市岡会」参加報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 8組 榎本 進明 |
2018年8月1日
今秋の同窓会(日時:10月28日 日曜日 場所:ホテルクライトン新大阪)開催に向けての「2018 第2回同窓会幹事会」が6月30日(土曜日)午後2時から母校100周年記念会館で開かれました。
ここには、八島節子さん、高橋三和子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、藤田克子さん(2組)、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、武田博君、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、末廣訂君(8組)の17名が出席されました。三重県津市にお住いの柏木さんは、この日、母校近くの知人宅を訪問しておられ、午前中に用事をすませ、丁度幹事会があることを知って参加されました。幹事会は常に幹事以外の方の飛び入り参加は大歓迎です。

御存じの通り、大阪に一同が会する従来形の同窓会は、今秋の同窓会を最後に、終了することになります。それを踏まえて、今回の幹事会は、さらに愉しい同窓会、意義ある同窓会にするための具体的内容を決めるものでした。
幹事会では代表幹事の酒井君から、今同窓会の主な内容についての提案があり、まずテーマについて話し合いました。
「まだ77才、一花咲かせよう」や、「市岡と12期生に感謝と乾杯を」、「哀愁と有終の美、12期生最後の同窓会」「喜寿を迎え友情温め元気倍増」などの意見がありました。同窓会は、1985年(昭和60年)に第1回が開催され、今回が13回目になります。母校卒業後、42~43歳の壮年で再会した私達もいまや喜寿を迎えています。33年の長きにわたり同窓会を続けることが出来たのは、同窓生皆さんの熱い気持ちと、ご協力があってのこと。したがって、テーマのもっとも大切なキーワードは、「感謝」と「友情」と「元気」になりそうです。代表幹事の酒井君に一任の形でこの議論は終わりました。
次に会費と案内状発送の期日、当日の司会担当者などを決めました。会費は本会が10,000円、二次会2,000円とし、案内状発送作業は8月25日に100周年記念会館で行うこと、また、本会の司会は、末廣訂君と段中文子さんにお願いすることなどで一致しました。
当日のプログラムについても話合われました。
いつもの内容に加えて、同窓生の皆さんが常日頃、励んでおられるお稽古事や趣味の幾つかを披露していただくことになりました。候補として、日舞、写真、陶芸、社交ダンス、絵画などが上がり、8月25日の幹事会までに候補者に連絡し、具体化することになりました。どんなプログラムになるか、今から楽しみです。
以上、幹事会は無事終わり、時間が許せる10人の幹事さんと恒例の食事会でまた盛り上がりました。
ここには、八島節子さん、高橋三和子さん(1組)、北浦昌子さん、山西邦子さん、藤田克子さん(2組)、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君(4組)、稲葉勝也君、段中文子さん(5組)、武田博君、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君、柏木赫子さん(7組)、川村浩一君、末廣訂君(8組)の17名が出席されました。三重県津市にお住いの柏木さんは、この日、母校近くの知人宅を訪問しておられ、午前中に用事をすませ、丁度幹事会があることを知って参加されました。幹事会は常に幹事以外の方の飛び入り参加は大歓迎です。

御存じの通り、大阪に一同が会する従来形の同窓会は、今秋の同窓会を最後に、終了することになります。それを踏まえて、今回の幹事会は、さらに愉しい同窓会、意義ある同窓会にするための具体的内容を決めるものでした。
幹事会では代表幹事の酒井君から、今同窓会の主な内容についての提案があり、まずテーマについて話し合いました。
「まだ77才、一花咲かせよう」や、「市岡と12期生に感謝と乾杯を」、「哀愁と有終の美、12期生最後の同窓会」「喜寿を迎え友情温め元気倍増」などの意見がありました。同窓会は、1985年(昭和60年)に第1回が開催され、今回が13回目になります。母校卒業後、42~43歳の壮年で再会した私達もいまや喜寿を迎えています。33年の長きにわたり同窓会を続けることが出来たのは、同窓生皆さんの熱い気持ちと、ご協力があってのこと。したがって、テーマのもっとも大切なキーワードは、「感謝」と「友情」と「元気」になりそうです。代表幹事の酒井君に一任の形でこの議論は終わりました。
次に会費と案内状発送の期日、当日の司会担当者などを決めました。会費は本会が10,000円、二次会2,000円とし、案内状発送作業は8月25日に100周年記念会館で行うこと、また、本会の司会は、末廣訂君と段中文子さんにお願いすることなどで一致しました。
当日のプログラムについても話合われました。
いつもの内容に加えて、同窓生の皆さんが常日頃、励んでおられるお稽古事や趣味の幾つかを披露していただくことになりました。候補として、日舞、写真、陶芸、社交ダンス、絵画などが上がり、8月25日の幹事会までに候補者に連絡し、具体化することになりました。どんなプログラムになるか、今から楽しみです。
以上、幹事会は無事終わり、時間が許せる10人の幹事さんと恒例の食事会でまた盛り上がりました。
(HP委員 記)
2018年8月1日
8組 川村 浩一
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先日、6月30日に母校・同窓会館にて幹事会があった。今年、喜寿にて同窓会をいったん終了とするとのこと。
この最後の同窓会の標語は?という酒井君の問いかけに「まだ七十七、もう一花咲かせよう」と提案。却下されたようだが、いいと思うんですがねー。
幹事会後の食事の席で一十百千万健康法が話題になった。私は大学の友人から「一日に一万歩歩き、千文字書き、百回笑い、十人の人と会い、一回感動する」と教えられたが、いろいろ亜流があるようだ。変わらないのは一日一万歩くらい。段中さん(5組、旧姓高田)は「千文字書くのは無理、千文字読むことにしている。」とのこと。また柏木さん(7組、旧姓後藤)は「一回発見し一回感動する」と言っている。いずれにしても大いに人と会い、脳と心を鍛えた方がいいようだ。気心の知れた旧友とたまに会うのは心身を若返えらせてくれる。
思えば12回の同窓会のコアの「効用」はこれだったのかも知れない。
最初の同窓会は33年前の1985年(昭和60年)だそうだが、その頃、同窓会的に私は住所不明者であった。そのあとクラス幹事が私の住所を見つけてくれ、第2回の1990年(会場はホテルニ
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因みに山本芳彦君(8組-当時大阪大学理学部数学科教授)もこの時出席していた。「12期の広場」2011年4月号に山本君のことを書いているので、もう一度読んでください。検索は「山本芳彦 市岡」で初っ端に出てきます。
第1回を除いて多分皆勤。第3回の1995年はホテル堂島。この頃から幹事になった。この幹事会がまたいい。これまでの形の同窓会は終わるとしても、何らかの形の同窓会は続くと思われるので皆さん!ぜひ幹事会から参加ください。
米国の研究にこんなのがあります。
ビジネスマン何十人かに協力してもらっての調査。それぞれの今抱えている課題について
①日頃しょっちゅうあっている人
②かつて仲良くしていたが今は疎遠になっている人
にアドバイスをもらい役に立った程度を評価した。すると②の方が高得点だったそうだ。②かつて仲良くしていたが今は疎遠になっている人
別に同窓会を損得で考える必要はありませんが、たまに会う友人の意義を証明しています。
今後も年に1、2回会って大いに笑いたいですね。
追記
この原稿を書くにために日記を開いた。以下はその時の備忘用メモ。ただし、記憶が曖昧な2000年までと限定したが、書かなかったものを含めて、かなりある。自分は人付き合いに淡白な方と思っていたが、意外である。
1985年には1回目の同窓会のあとだが塚本君の家を探し出して訪問している。
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1985年はいつどこで?上野君の50周年の文を見るが、見当たらない。
1990年9月30日:同窓会の連絡あり。塚本君に伝える。案内書と同窓会名簿を送る。
左から平野、稲田、末廣、堀田、源長、林、川村、東野、緒方の皆さん。3年8組の面々で、中央のお二人がクラスの女子同級生でした。
1990年11月17日:卒業アルバムや同窓会名簿で一所懸命昔を思い出そうとした。1990年11月23日(金) 卒業30周年の同窓会
Hオークラ(正しくはニューオータニらしい) 鳳凰の間 16時 110名 8組は19名
玉田先生、白井先生、北村先生ほか恩師臨席。
会費15000円、2次会は梅田の紫光、会費5000円。クラス幹事は末廣、林。
1990年11月24日:まだ同窓会の余韻あり。
1990年11月26日:東森君の住所を調べて張君に伝える。
1990年11月28日:山岡君の住所を調べ張君に連絡。山岡、東森両君に名簿を送る。
1990年12月 6 日:京大の名簿から福島君の住所等調べTELする。
1990年12月29日:塚本君が来る。飲む。
1991年11月24日:塚本君の通夜 市岡の同窓生13人日集まる。
1995年の同窓会は10月21日、堂島ホテル。
2時前から準備、4時本番。2次会は梅田グランヴィアのアブ。その後、8組の仲間とラーメン。
2000年3 月18日 同窓会準備が動き始める。
2000年4 月19日 茨木徳秀園でお花見。幹事、同窓生とその奥さん方5人含めて38人。
2000年7 月22日 ほの字の里で幹事会、24人参加、その内宿泊は13人。
2000年8 月15~18日 あちこちに電話など。
2000年10月28日、卒業40周年記念同窓会。
ホテルグランヴィアのアブ、102人。8組は19人。3次会に稲田君の馴染みの北新地の店。
2018年8月1日
8組 榎本進明
6月29日に関東地方の梅雨が明け、翌日の6月30日(土)は暑いけれどカラッとしたその日に東京市岡会が新宿三井ビル54階で行われました。今年は第59回で来年60回の節目となる前年であったが、参加人数が70名と例年より減りました。会場も例年の3分の2の広さになりました。そのような中で8期の参加者が9人もいらっしゃったのは特筆されます。三浦宏文さんが叙勲されたことを一緒に喜びたいと同期の皆さんが集まったものと推測されます。
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開会の辞は、根津 武夫さん(高5期)。元号が変わる時代を迎え、新しい時代に即した東京市岡会の発展を期待しています。と挨拶。「平成」最後の年への思いを語られました。
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最後に、小野会長からの提案で、今後の市岡卒業生が気軽に集まれる場が欲しいとの希望に沿って、中央区の公共施設利用登録をしました。「東京市岡会スマホふれあい亭」という名称で登録されました。中央区の全21ヵ所利用可能。申し込みはネットでIDとパスワードで簡単。例として、銀座区民館の15名定員の洋室は2室あり、午前700円、午後1,000円で利用できる。
続いて、母校校長 福島 秀晃 様のご挨拶がありました。市岡の学力が上がってきたこと。教育の真の中身
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母校同窓会会長 高8期 佐藤充利 様のご挨拶では、2016年度入試での定員割れ。昨年は福島校長先生はじめ、各先生方の大変なご努力で、定員割れを防ぎ、今年は1.38倍となったので一安心。しかし、港区の人口が往時の半分となっているので、定員割れの危機は続いています。防ぐ方法の一つに野球部を強化すればどうかとの意見が出ました。現在、一番活躍しているのは、府下でトップクラスの実力を持ち、部員も140名になる吹奏楽部です。私立の吹奏楽部ではなく、希望する大学の進学も可能な市岡の吹奏楽部で活躍するために2時間もかけて通学する生徒もいます。3年後には創立120周年を迎えます。甲子園に出た当時は定員割れなど思いもしなかったものです。野球部だけを支援するのも問題があるので、120周年事業に全クラブを支援する事業を入れられるよう努力します。その時は、皆様のご協力をいただきたいと思います。定員割れについては、特に旧制中学期からの先輩から厳しいご指摘を受けました。二度と定員割れを起こさないように同窓会も学校と連携して活動していきます。
続いて、校歌斉唱、乾杯、歓談となりました。その中で、三浦宏文さん、河合孝さん、はじめ初参加の方や、発言希望者が相次ぎ、にぎやかな歓談兼発表会になりました。
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★河合 孝 野球部元監督のお話
今年は高校野球100周年記念大会となります。今市岡に取材がたくさん来ています。100回連続予選会に出場した高校は全国で15校です。大阪では、市岡だけです。
高52期の野口野球部監督は、今日は来る予定でしたが、所用があって来ていませんが、野口監督は野球に対する情熱もさることながら母校愛が強い男です。応援をお願いします。
右の表紙の写真で市岡の野球部が堂々と載っているのは、なんとも頼もしく嬉しいですね。
★初参加の方をご紹介(3人)



写真上右は、高38期 寄石 和美さん。大阪からきました。卓球部にいました。
写真右は、高43期 古井 なおみさん。
吹奏楽部にいました。



★此花市岡会会長 高19期 大山 泰正さん
此花市岡会は20周年を迎えます。毎年4月第二日曜日に舞洲の市岡の森でお花見会を実施しています。また、この舞洲の隣にある夢洲に2025年の大阪万博を誘致しようとしています。午前11時から始まるお花見には東京方面からもぜひご参加ください。(写真は左より名古屋から参加の19期大石さん、中央は24期の粂田さん、右が大山さん)

高44期 柴崎 友香さん
「寝ても覚めても」が映画化され、2018年9月1日(土)からテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で公開されます。「きょうのできごと」も2004年3月20日に「きょうのできごと a day on the planet」という表題で映画が公開されています。
高46期 カネシゲタカシ氏の「みんなのしあわせになるプロ野球」と「野球大喜利 ザ・ダイヤモンド」も寄贈されました。(写真右が柴崎さん、左は司会の高44期 多田 智美さん)
会もにぎやかなうちに終盤になりました。いつものように送別の歌、佐藤同窓会長の締め、24期 井原 生子 副会長の「閉会の辞」でお開きになりました。井原さんは、「ボランティアで活動してくださる方のおかげでこの楽しい総会が開けました。皆様のお世話に感謝します。」と述べられ、次のようにも語りました。
昨年、吉祥寺シアターで「トランス☆プロジェクト20年記念公演」を行い、九州、関西ほか全国の市岡の皆様にも大きなご支援を頂き感謝しています。「これこそ市岡だな!」と思いました。ありがとうございました。
昨年10月10日に大阪吹田のスタジアムで「おはようパーソナリティ40年記念公開生放送」に出演しました。神奈川県や、東京都から来た方もおられてびっくりしました。終了後に、裏話的な収録を当時のメンバーでしました。


注: | 「おはようパーソナリティ道上洋三ですWalker」に初代アシスタント・池田生子(アイアイ)として紹介されています。また、2018年3月21日に、「おはパソウォーカーここだけの話&ラジオでは言えない番組裏トーク」が天王寺MIO本館12階のイベントスペースで開催されました。 |
会の終了後、筆者は初めて54階の喫茶室でのご苦労さん会にも参加させていただき、歓談して家路につきました。お陰様で今までにない楽しい東京市岡会になりました。幹事の皆様には本当に感謝しています。お疲れ様でした。
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2018年7月1日

7月、文月です。早いもので、今日から1年の折り返しで、本格的な夏。暦の上では、小暑、土用の入りから、大暑と続き、この夏も耐え難い猛暑になるのではと、身構えてしまいます。
今月号の写真は、「ミヤマホツツジ」です。撮影者である高見政博君のメールに、「亜高山から少し高い所に咲く花です。これを『稚児のかざぐるま』とタイトルを付けて、写真展(市岡OB写真クラブ)に出展しました。」とあります。
可憐で愛らしい花に、彼の優しいまなざしとそのタイトルがぴったりと寄り添っているよう。
漢字で書くと「深山穂躑躅」、海抜1700mから2500mの山の岩場に自生する低木で、私達にとってはめったに見ることがない花ですが、まぎれもない、この7月の花です。
それにして、6月18日の大阪北部地震には肝を冷やしました。震源は高槻市、マグニチュードは6.1で決して大きいとは言えませんが、直下型だっただけに揺れはすさまじく、家内は自宅で悲鳴を上げて逃げ回ったと言っていました。大阪では数十年ぶりの「震度6弱」だったそうです。
震源である高槻市、すぐ傍の茨木市、枚方市には多くの同窓生が住んでおられますが、大きく被災したとの話がないことから、ほっと一息ついています。とは言ってもやはり地震は恐ろしい。南海トラフを震源とする海洋型大地震の危険性が高まっているそうですから、なおの事です。
今回の地震で、また人的物的被害がでました。特に、コンクリートブロック塀の下敷きになった小学生の話には、やりきれない気持ちで一杯です。近くのコンビニから飲料水や、弁当、インスタント食品があっと言う間になくなりました。電車は止まり、車の列で道路は身動きが取れず、歩道は歩く人で一杯。水道や都市ガス、電気が止まった地域もあり、ライフラインは断絶。繰り返される、地震による都市型被害の実相は深刻です。それらを再度、目の当たりにしただけに、不安がまた大きくなります。なんとかならないものだろうかと一人ごちながら、結局は自身と家族の心構えとその備えで“減災”に努めるしかないのかと考え込んでしまいますね。
そんな中にあっての明るい話題は、2018ワールドカップロシア大会での日本選手団の活躍です。“オッサンジャパン”と言われながらの躍動は、目を瞠るものがあります。また超人ではと見まがうばかりのフィジカルやテクニックをもつサッカー強国に対して、走りに走り、ゴールする姿は、無条件、心を打ちますね。メンタルの弱さが垣間見え、またそれを乗り越えようとする姿が伝わるだけに、感動は大きくなります。
目がさめるような芝生のピッチでくりひろげられる、熱狂的で華麗、繊細であらあらしい激闘が何と人間臭いかと、魅せられます。
日本はベスト16で、決勝トーナメントに進みました。是非、大活躍して世界をアッと言わせてほしいものです。
さてわが「12期の広場」7月号のラインアップは次の通りです。記事は1篇ですが、お楽しみ下さい。
1. 「 安全文化と美術文化 」 ・・・・・・・・・・・・ 6組 圓尾 博一
以 上
2018年7月1日
6組 圓尾 博一


原発事故から5年、まだ10万人の人たちが帰還できない現状を差し置いて「安全文化」なる聞きなれない言葉を聞いたのは、確か1年ほど前のことであったように思う。国会中継のニュースの中で、原発再稼働についての質問に対して、安倍首相のペーパーを読みながらの答弁の中に、その言葉はあった。彼の答弁の主旨は再稼働が可能なまでに「安全文化」なるものを積み上げてきて、確固とした技術にまで達している・・・というものである。要するに「安全神話」を信じ込ませ、それが瓦解するや「安全文化」にスルリと変換したわけである。
私は美術文化という団体に所属しているので、文化とつく言葉には日頃から敏感にならざるを得ない。その眼でみると、文化という言葉は、日常の印刷物やテレビの中で頻繁に使用され、それなりの意味合いで、私たちは理解して咀嚼しているのであるが、余りに安易に使われているのではないだろうか。最近は「戦争文化」なる言葉も存在するようである。その意味するところは、いかに良心の呵責なく人を殺戮し得るか、という空恐ろしいものである。「不倫は文化である」といった御仁もいるが、これはまあカワイイ方であろう。私は文化の背景に「人間の幸せ」がなければならない、と考えるのであるが如何であろうか。宮沢賢治は「農民芸術論」の中で、「世界中の人が幸せでなければ本当の幸せはない」と書いているが、文化の目指す根本の立脚点は、そこにあるように思う。その尺度によって、文化であるか非文化であるかが忖度されるのではないだろうか。
安倍氏が答弁に使った「安全文化」は英国マンチェスター大学教授の著書「組織事故」という書物の中で使用された言葉で、頭の良い官僚がこの中から引張り出して、答弁書のペーパーとして作成したものであろう。ところで「安全文化」という訳語のもとの語は一体何なのか?原典を読んでいないので、誤っているかもしれないが、訳者は本の中の一個所PROTECTIONを安全と訳した、という注釈をつけている。PROTECTIONとは防御という意味である。すなわち安倍氏のいう「安全文化」というのは「防御文化」と置きかえられる。何に対する防御か。放射能に対する防御であろう。オリンピック招致の際に「汚染水はコントロールされている」と大見得を切っていながら、未だに山からの水を遮水壁で防御できず、日々汚染水は海に流出している。そんな状態を眼のあたりにして「安全文化」は信じられるだろうか。そもそも、それは「組織事故」という範疇のものではないと私は考える。日本にある54基もの原発はほとんど停止中であるが、その使用済核燃料は、各施設のプールに貯蔵され、ゆくゆく再処理されるにしても、最終的な核のゴミを埋蔵する施設を持たない。それらのゴミの放射能半減期は10万年という途方もない時間である。埋設されたとして、地震国日本の地殻変動によって、どんなことが起こるか、だれも想像できない。火山活動によって地上に撒き散らされるかもしれない。現在福島で起こっているように、地下水を汚染し、地球の川や海を、生命が住めないまでに汚染し続けるかもしれない。原爆と原発は同じ科学的浅知恵によって成り立っている。そもそも核と生命は並び立ち得ない。放射性物質を対象とする限り、今の科学では「防御文化」も「安全文化」も成り立ち得ない。目先の欲から「安全文化」というような造語によって原発再稼働の正当化を誤魔化そうとしている。生命という究極の幸せをないがしろにする「安全文化」は文化ではない。
次に我々の団体名である美術文化について一考察したい。聞くところによると、美術も文化もARTとCULTUREの翻訳語であるらしい。このような一般名詞を堂々と団体名につけた創立会員たちの考えは、どんなものだったのだろう。創立のテーゼに「日本の正しい美術文化を構想し・・・」とあるように、彼らの思いは「日本の美術」全般の正しい方向性を目指したもので、時代の変化に即応した、いわばコンテンポラリーなものであるように思う。公募のキャッチコピーに使われている「内なる自己に忠実」というような、内向の狭い矯小化されたものではないはずだ。文化の語源が農作業を意味するCULTUREであるように、文化は常に耕し続けなければ、その土壌は活性を失い、生き生きとした作物(作品)は生まれ出て来ないであろう。
先の「組織事故」の著者は、最後の第九章「安全文化をエンジニアリングする」の結語としてつぎのように述べている。
「最後にぜひとも指摘しておきたいことは、もしあなたが、あなたの組織がよい安全文化をもっていると確信しているならば、あなたはほとんど確実に間違っているということである。優雅さのように、安全文化は努力することであって、めったに達成されることのないものである。宗教のように、成果よりも過程のほうが重要である。美徳、そして報酬は、結果よりもこの努力にある。」
この文章の「安全文化」を「美術文化」に置き換えて、もう一度読んで欲しい。この複雑にして多岐にわたる時代に沿って、コンテンポラリーな作品づくりへの努力、これが今後の「日本の正しい美術文化の構想と具現」への指向であり、その意味で美術文化の使命は永遠に続くものである。
イタリアを代表する指揮者、リッカルド・ムーティ氏は対テロについて先日7月4日次のように語っている。
文化によって問題をただちに解決することはできない。だが、文化は長期的には力強い武器になる。社会をより気高い水準に引き上げることができるからだ。
「めったに達成されることのない」「正しい美術文化の構想と具現」を目指し「社会をより気高い水準に引き上げる」ために私達の努力が無駄になることは、けっしてないはずである。
HP委員註 : 以上の文章は圓尾君が、所属する美術文化協会機関紙 復刊第30号(2016.10)に執筆されたものを、転載させて頂いたものです。横浜の榎本進明君から紹介を受けて、「12期の広場」への転載をお願いしたところ、快く承諾を頂きました。ご厚情に感謝申し上げながら、承諾のお手紙にありました以下の文章を紹介させて頂きます。
「『美術文化協会』は1939年当時の前衛作家が集まって作った団体(特にパリで勉強してきた福沢一郎という作家が旗を振って作った)で、当時のパリ画壇ではやっていた、シュルレアリスム(日本では超現実主義と訳します)を輸入した傾向が強いとされています。ただ戦争前夜という時代的に大変不幸な時代に生まれまして、福沢はじめ多くの人々が検察に思想犯として検挙され投獄されました。1941年は太平洋戦争勃発の年で、私たちはその年に生まれた訳で、私は美術文化に所属しているのも、何かの因縁かなあ・・・と思っています。」
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