12期の広場
2012年3月1日
「12期の広場」は今月号を含めて15回の掲載を重ねました。HP委員会では創刊号以来の「広場」の内容を振り返り、今後の進め方を話し合うために第2回のHP委員会を2月12日に開催しました。
かねてより、「手弁当で良いから一度じっくり話し合いたい」との意見があり、場所を有馬温泉にしました。ここには関東在住の榎本進明さん、泉信也さん、関西在住の川村浩一さん、末廣訂さん、張志朗さんの5名のHP委員と、12期同窓会の代表幹事の酒井八郎さんの計6名が参加しました。
正式会議はチェックイン後の12日午後3時から5時30分まで行い、その後の会食と座談を通して、翌日の午前1時過ぎまで、いろいろな角度から話し合いました。少々脱線した所もありましたが、話題百出で、大層有意義な集いでした。
遠来のHP委員の歓迎の意を含めて13日は六甲山から明石海峡大橋を経て、平清盛ゆかりの地への神戸探訪を行いました。
以下にHP委員会の内容の要点をお知らせします。
- 創刊号以来の「12期の広場」を振り返って
- 毎月1日に定期公開できたのは同窓生の執筆者、読者の熱意のたまものである。
- 特に記事総数93編、執筆者実数37名は予想をはるかに越えた数字である。
- アクセス数は公開当初から回を重ねるごとに増加し、一月の平均アクセス数が472に達している。 記事内容も旅行関連から趣味領域までバラエティに富み、内容豊かである。
- 東京12期会でのアンケ-トや聞き合わせなどから同窓生の皆さんの一定の評価をいただいていると思われる。
- 12期の同窓生に限らず、市岡ゆかりの人達に見ていただいている。
- 12期同窓会の行事広報と同窓生の親睦と交流を図ろうとして開設された「12期の広場」の目的が実現されていると判断される。
- 「ひろば」として一定の役割をはたしてきたが、HP委員の一致した努力で名実ともに「ひろば」になるように一層の改善が必要である。
- 同窓生の意見を今以上に聞くことが重要である。
- 今後の進め方について
- 毎月1日の「12期の広場」の公開はこれからも継続する。
- 記事の種類や内容の幅を広げると同時にホ-ムペ-ジ上での交流をさらに活発にする。(「真面目さ」に加えて「親しみやすさ」や「楽しさ」を増やすための企画記事が必要。)
- 恩師の先生方、遠方に在住する同窓生をはじめより多くの同窓生が登場して頂けるようにお願いする。
- 今年の秋に大阪での定例同窓会が予定されているが、そのお知らせやアンケ-トを通して、さらに多くの同窓生から「12期の広場」への意見を聞き、ホ-ムペ-ジの改善のためそれを反映して行く。
- HP委員の交代について
- 塩野憲次さんに代わり八島平玐さんにHP委員をお願いしました。
末尾になりましたが、恩師の先生方や同窓生の皆さん、特に執筆の労をいとわなかった執筆者の皆さんに心からのお礼を申し上げるとともに、「12期の広場」がますます活発になりますよう、引き続いてのご協力とご支援をお願い申し上げます。
HP委員会 委員一同
2012年3月1日
酒井 八郎
市岡東京12期会会長を、昨年、大石橋君にバトンタッチし、HP委員に専念していただくことになった泉君、HP委員チ-フの榎本君のお二人を、新神戸駅でお迎えした後、六甲山を南北に突き抜けるトンネル鉄道・北神急行で有馬温泉に向かいました。
5人の委員が全員顔をそろえたところから、この1年間の総括資料をもとに、とにかく皆さんよくしゃべること。しゃべること。
それぞれの角度から、ポンポンと話が飛び出します。あとで録音テ-プを整理した、HP委員サブの張君が、大変だったと思います。
今回は、話し合う項目が多く、長時間の会議になることが予想され、自費宿泊を各自了解の上での集まりでしたが、温泉につかっている時以外、食事中も、部屋でも、話が延々と続き、日付が変わり、午前1時半、やっと就寝となりました。
それだけ各委員が、各々の立場で、この1年間、多くの時間を「12期の広場」に費やしてくださった証だと思います。ありがとうございました。
同時に「12期の広場」をささえてくださった恩師の先生方、同窓生の皆さんにこころから感謝申しあげます。
おかげさまで、「12期の広場」は、私達12期同窓会のまた一つの重要な柱になったのではと考えています。
翌日、各委員への感謝の気持ちを込めて、「真冬の神戸、おもいっきり散歩」と神戸の案内役を買ってでました。
9時半始発のロ-プウェイで、有馬から六甲山頂駅に向かう途中から、雪空になり、紅葉とはまた趣の違った「白いベ-ル」を通しての裏六甲の景色でした。
六甲山頂循環バスが、北側から南側に進むにしたがって雪はなくなり、六甲山頂駅では、標高900mの北と南との気候の変化を感じました。
駅屋上の天覧台では、眼下に、神戸の海と二つの人工島を見下ろし、湾岸道路の東はるかに、大阪・舞州を眺めながら、この日が、満70才の川村君を囲んで、“ハッピバ-スディ浩ちゃん”を歌い、乾杯、二度と味わうことのない「真冬の六甲山」でのひとときでした。
貸し切り状態の下りケ-ブルカ-の中で、疑問がひとつ。
「ロ-プウェイ」と「ケ-ブルカ-」。ロ-プもケ-ブルも同じ意味と違うの?
2012年3月1日
昨年の11月に東京12期会が行われたときに、HPに対するアンケートを実施しました。
すでにHPは11回発行されていましたが、評価していただいた中にもご批判の意見がありました。それは「もう少し柔らかい内容もほしい」というご意見でした。
なるほど市岡12期のHPをあらためて眺めてみると、ご指摘の通りかもしれませんね。
我々HP委員は月1回の発行に追い立てられるように校正やレイアウトに専念するのが精一杯でした。ジャンルを考え、品格を保ち、誹謗や中傷といったマナーに気を遣い、インターネットの危険性に配慮して心に余裕がなかったのも事実でした。「山下智久」名で記事へのコメントが入り「電話をほしい」と外国の電話番号に導くものがあり、読者から高い通話料を取る狙いを察して削除したこともありました。このコメントは記事とは全く関係のないものでした。
今、1年を過ぎ今回で15回目の発行を迎えて、編集作業にも、インターネット対策にも、多少余裕も出来てきて「12期の広場」を再度見直すことが出来ました。今回の編集会議は大変有意義なものでした。
さて、本題に入りましょう。「もう少し柔らかい内容もほしい」にどうお答えするか、HP委員から範を示すのがスジだと思いますね。しかし、メンバーを見るとどうもお堅く真面目な人が多いですね。これでは記事を投稿していただく人も考えますよね。「こんなことを書けば馬鹿にされないか」「こんなにくだけていいのだろうか?」「冗談をわかってもらえるかな?」・・・等々、これでは、かえって気を遣ってより堅くなってしまうかもしれません。私は「柔らかい=リラックス」と考えて肩に力を入れずに自由にのびやかに、思っている通り書いていただくのがいいと思っています。
もう70歳です。今更性格が変わるわけがなく、真面目居士は真面目居士でいいじゃないですか。ダジャレ好きさんには本領を発揮していただき、色ごと師春団治と自称している人には皆を笑い転がしてくださいよ。書いているうちに筆者も乗って来ましたが、それはこの辺にして、HP委員を卒業したら山ほど面白い記事を書くことにします。
今まで写真を多くしてリアリティーを重視してきました。ケータイでは機種が多く、また契約内容がまちまちで、ホームページに繋ぎっぱなしだと高額になる場合があります。ケータイの方は「一度もHPを見たことがない」という方が多いと思っています。
今後は写真を少なくした「お話だけの記事」もあってもいいのかなと思います。その時こそ、そのお話が「おもしろい」ことが条件で、文そのものが「命」となるでしょうね。
今年のHPは読者や投稿者を「もっと広げる」をテーマにしたいと考えています。それこそが「12期の広場」ではないかと思います。皆様の温かいご支援をお願い致します。

アーカイブス・写真の説明
左は満州・大連での七・五・三祝い 昭和18年11月15日に撮影(かぞえ3才)満2才
中央は山岳部合宿 白馬岳頂上で(右は松永、その左が榎本)昭和32年7月~8月 満16才
右は平成24年2月12日 HP編集会議で有馬温泉駅に到着した私 満70才 です。
2012年3月1日
「歳をとると、『きょういく』と、『きょうよう』が大切」という言葉があるそうです。
「教育、教養」と言われたと思い、我が身を振り返りドキッリ。大層緊張したのですが、それに続いての解説が、『きょういく』は『今日行く所』で、『きょうよう』は『今日の用』だそうで、思わず笑い転げました。この当意即妙のしゃれとそのゆるさは、すごいと感心し、うれしくなりました。
「12期の広場」のHP委員としての仕事は適当に忙しく、幸いなことに今日の用事も今日行く所もあったようです。してみればこれは大切な事、さらに「広場」をやって皆さんと共感できれば大いに意味あることと思っています。
振り返ってみますと、掲載記事総数は93編、投稿者の実数は、39人でした。これは予想をはるかに越える数で、少々出来過ぎではと、あわてながらも喜んでいます。2010年に発行した「記念文集」が収録総数51編ですから、総数93編はその約倍で、文集との違いはあるとしても、その労力や熱意には、ただただ感謝、感激です。
内容も同窓会関連のお知らせや行事報告、東日本大震災関連記事に趣味やトピックスや旅行記や探訪記、随想に故郷紹介に郷土史まで、バラエティに富んでいて興味津々、もっとも楽しんだのはそれを一番最初に読めたHP委員ではなかったかと思っています。
記事はHP委員が書いたものもありますが、多くの投稿記事や、執筆依頼に快く応えていただいた記事もあり、その気持ちの暖かさや話題の豊富さや見識の広さには、脱帽の一言。本当に「12期の広場」は同窓生皆さんに支えられて続けることができたのだと実感しています。同時にこれからもやっていけるのではないかとの手応えを感じています。
思えば、同窓生がいかに多彩であるかを実証したこれまでと言えるのではないでしょうか。
あの人の近況を知りたい、あの先生はどうしておられるのかに始まり、同窓生の嬉しい話しや趣味の話や、スポ-ツや食べ歩きや旅行の話しなど、「話題提供」とその「執筆者」には不足がないようです。ど素人のつたない編集ですが、急がず気楽に、楽しみながら、続けて行ければと考えています。すでに書いていただいた方は、勿論、再登場していただきながら、さらにたくさんの方々にお声がけして投稿をお願いし、ともにやっていきたいと考えています。
2012年3月1日
12期のホームページができ、1年が過ぎました。
このHPを我々同期の仲間だけでなく、広く読まれていることと思います。ただ我々が始めたこのHPの広場が広場にふさわしくお互いの意見や感想が自由に言える場となり、それが交流の場になっているのかというとまだそこまで行っていないのかなーと思います。
我々が子供の頃、公園の広場に紙芝居のおじさんが来て、四方八方から子供が集まり、5円の水飴を口にして、おじさんの紙芝居を食い入るように見たことを思い出します。そして、紙芝居が終わると、今日の物語は面白かったとか、来週はどんな話になるのか等を子供心に話し合った経験があります。
人生も70を超えると、時々昔のことや、幼い頃の友達を思い出したりする一方、余生を静かに暮らすにはまだ少し早く、各自、自分にあった趣味やボランテア活動に精を出しておられる人もあり、人生いろいろです。
紙芝居なら、おじさんが拍子木を「カチカチ」とたたいて音で知らせることができますが、パソコンがない人やパソコンに興味のない人には幾ら拍子木をたたいても通じません。
文明の利器とはいえ、パソコンは音を発してくれないので、誰がどんな情報を発しているのかわかりません。しかし一旦、クリックしてパソコンの広場の中に入ってみると、九州の、北海道の、また海外にいる友達と即座に交信ができ、新たな夢を与えてくれます。
そこには、同じ仲間としての交流ができる歓びが生まれてきます。短歌や俳句仲間、植木や庭いじりの仲間、ボランテアの苦労話等などいろいろな交流や情報交換ができる可能性がこの広場にあります。
さあ、まずはパソコンをクリックして現在の紙芝居の広場に集まってみませんか。そして、同じ画面を見ながら、次のシーンが展開できるようにこの広場で騒いで見たいと思います。ご参加の上、ご意見ください。
2012年3月1日
8組の川村です。「12期の広場」がますます活発になってきておりご同慶に堪えません。さらにみんなに親しまれる広場になるよう微力を尽くしたいと思います。
ところで「12期生は格調高かすぎるんちゃうか」という声もあり、誰でも気軽に発言できる企画を考えようということになりました。
で、「theあの頃」シリーズを考えたいと思います。市岡在学時代や昭和30年代を振り返って話題提供をお願いします。学園生活のこと、社会のこと、何でもかまいません。そこから連想を得て「コメント」欄に投稿し合って、話題をみんなでふくらますことができたらいいな、と思っています。ご協力ください。コメント欄にはすぐに書き込めますが、最初の話題提供がある方はHP委員に声をかけてくださいね。
まずは、あの頃をざっと振り返りましょう。
わたし達は昭和32年(1957年)に入学し、昭和35年(1960年)に卒業しました。「もはや戦後ではない」と経済白書で言い切ったのは昭和31年。また、岸首相退陣を受けて成立した池田内閣が「所得倍増計画」を打ち出したのが昭和35年です。日本の最も活力のあった時期に青春時代を過ごしたわたし達は本当に運が良かったといえます。
ちなみに手許に「文藝春秋」の昨年12月号があります。1960年を特集しており、著名人31人に「1960年人生を変えた一日」を訊いています。
その中から面白いコメントを見てみましょう。
出久根達郎氏:作家、前年集団就職で上京、初めての正月に1年前に完成した東京タワーに上る。
西田佐知子氏:21歳。「アカシヤの雨のやむとき」が大ヒット。
杉本毅氏:産科医。浩宮様ご誕生に立ち会う。
小野喬氏:体操。五輪ローマ大会で団体金メダル。
橋幸夫氏:17歳、「潮来笠」大ヒット。アントニオ猪木も大鵬も同じ17歳。
椎名誠氏:作家。1958年登場のチキンラーメンと衝撃の出会い。
出井伸之氏:ソニーに入社。早稲田大学OBとして「早慶6連戦」に夢中。
若松孝二氏:映画監督。浅沼稲次郎刺殺に衝撃。
堺屋太一氏:通産省入省。通産省に学生運動家出身が何人もいることに驚く。
半藤一利氏:週刊文春の編集部在籍。樺美智子さんがなくなった直後の特集「デモは終わった さあ就職だ」を担当。
当時を思い出すきっかけになればと書いてみました。
最後に私の思い出を一つ。高校3年の夏の高校野球大阪大会、ベスト8だったか、日生球場で浪商と対戦。当方のエースは当然三井君、浪商は1年生の尾崎行雄。尾崎も凄かったが、一塁を守っていた浪商の一塁手住友君だか、高校生離れした顔をしていた。オッサン見たい。今年1月、高松のてんぷら屋でたまたま隣り合わせた人と話をしていたら、この人、高松商業のキャッチャーだったそうで交流試合で尾崎と対戦したとのこと。高商の選手は尾崎の球にかすったと言って喜んでいたそうである。
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←高校時代。自宅にて。 ↓2年8組 修学旅行。 |
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2012年3月1日
HP委員を拝命したものの、何も役に立てぬまま1年が過ぎました。
それでも編集委員会が有馬・六甲で開かれるというのに惹かれて、お気軽にいそいそと参加したところ、メンバーの編集にかける誠意と熱気にすっかり当てられてしまいました。
この一年、寄稿された内容は多岐多彩で、市岡時代には思いもよらなかった書き手の横顔に接することが楽しみでした。またすっかり忘れていた往時の記憶が、ちょっとしたエピソードや古い写真から鮮やかに蘇って、とても懐かしい気持ちになりました。そんなわけで今年の「12期の広場」の企画に「アーカイブス」のコーナーを加えてもらうようお願いしました。
記録と記憶で構成するのですが、ぜひ古い記事や写真を掘り出して投稿してください。特にセピア色に変わった古いモノクロ写真にはある時代の感慨を発掘するサインが隠されているように思います。単に情報を伝える今の写真と異なり、サインが解読できれば、壊れかけた僕の脳のような記憶装置でも一気に動きはじめるのです。
榎本君が掘り出してくれた山岳部初合宿(昭和32年夏、白馬)のテント暮らし、亡き松永君には山を楽しむ手ほどきをしてもらいました。五十余年を経て今も山を登りながら、彼が笑顔でそばに居てくれるのを感じます。
1年時、酒井君の家での新年会、皆なスマシこんでいますが誰が誰だか当ててみてください。このところの朝ドラ、「カーネーション」の時代にほぼ重なる頃でしょうか。 市岡時代に限らずに古い記事、記録や写真の中から、興味を惹きそうなものをご提供いただき採録したいと思いますのでよろしくお願いします。
「青春時代は・・・胸に棘さすことばかり」、苦い思い出も山ほど抱えています。「広場」もなんとなく敷居が高く感じられ、遠巻きに眺めている方も多いのではないでしょうか。どなたか思い切って失敗談、悔恨記の封印を解いてもらえませんか。心の奥にしまいこんでいた間に、熟成がすすみ良い味が出ているに違いありません。一片の思い出や、一葉の写真に一言添えてもらえれば共感が集まり、広場に集う人が増えることと思います。
記憶をたどることは、単なる懐古趣味ではなく、思考することに似ているように思えます。感覚が再生され、一つの世界が紡ぎだされてゆくようです。過去への旅でありながら、限られた僕らの未来時間への一歩、気楽に楽しみながら12期版のBack to the Future ! を始めませんか。
2012年2月29日
圓尾博一さんが「-パステル画展-」を下記要領で開きます。
今回の個展は「カンボジア・インド・ペルー…など旅先で出会った子ども達の情景をパステルで表現してみた」ものだそうです。水曜日と土曜日の夜は作者の圓尾さんが会場に居られます。
同窓生の皆さん、是非、お出かけ下さい。
期 間: | 2012年3月3日(土) ~ 3月29日(木)(金、祝休み) |
時 間: | 昼 12時 ~ 夜 7時まで(最終日は5時まで) |
場 所: | 喫茶ギャラリ 「トウリ-ピピット」 大阪市北区天満橋5-7-8 山田ビル2階 tel 06-4800-2356 注記:会場はJR天満駅から徒歩2分です。 |

2012年2月1日
ささやかな日溜まりに10株ほどの水仙が、今年も見事に咲きました。寒さは一段と厳しくなり、今日は関西にも雪が舞いましたが、すがすがしく咲く水仙に、春を待つ心が一層強くなるのを感じます。冬枯れの庭の水仙は、まさに「我が家の春一番」です。
さて「12期の広場」2月号のラインアップですが、次の通りです。お楽しみ下さい。
- 「ブ-タン紀行 (3)」 (5組)泉 信也
- 「中南米、そして横浜」 (5組)段中 文子
- 「お知らせ -母校吹奏楽部OB・OGバンド定期演奏会-」
なお、泉君の「ブ-タン紀行(3)」、段中さんの「中南米そして横浜」(世界一周船旅日記)ともに今回が最終回です。
泉君、段中さん、楽しい旅行記の執筆、ありがとうございました。こころよりお礼申しあげます。
2012年2月1日
昨秋からたどたどしく綴ってきた山旅の記録、最終回をお届けします。
昨夜の雨は上がったが今朝は曇天、気温6度。高度順化が進んだのか血中酸素飽和度が上がり食欲も回復して、朝食は定番となったおかゆから解放される。久しぶりにカリッと焼けたトーストにハムエッグと行きたいところだが、この旅では鳥インフルの心配で最初からタマゴが調達できずコックも腕の振るいようがない。
昨日の休養のお陰で元気良く出発、空模様が気になるが難所は抜けたので足取りは軽い。谷の南側斜面に沿い樹林帯を行く。サルオガセの絡んだトウヒやダケカンバ、白や薄桃色の大きな花をつけたシャクナゲが迎えてくれる。浅い谷を二つばかり越え、更に高度を上げてゆくと三つ目の峠(4115メートル)に出る。雨がパラつき、風も出て寒い。
峠を回り込むと高木は姿を消し、斜面はシャクナゲやツツジのような灌木で広く覆われている。ブータンでは高山帯でもハイマツが見られないことに気づく。このあたりのシャクナゲは未だ蕾。400メートルのつらい登りのあと、四つ目の峠タルン・ラ(4540メートル)に立つ。天気が良ければ遠くシッキム・ヒマラヤが見えると云うが、今日は生憎厚い雲にさえぎられて絶景を逃す。
峠から小1時間ほど下るとタンブ、C5のキャンプサイトだ。
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林芳子(リム パンジャ)さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: