12期の広場
2011年10月1日
秋ですね。先頃までの酷暑が嘘のようで、朝夕は一重、余分に着込んでしまいます。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったものだと思います。
しかし、3.11の大地震や大津波、原発事故に二度の台風被害と連続する災害に不安と心配ばかりが大きくなります。この先、どうなっていくのかと考え込んでしまいますね。
さて10月号のラインアップです。( 敬称は省略します。 )
- 「第5回市岡高校東京12期会のご案内」 5組 泉 信也
- 「私の一時帰国」 5組 山本(古荘)久美子
- 「Let’s 絆」 7組 柏木 赫子
- -私の散歩道-「偶然見つけた新コ-ス」 6組 佐藤 裕久
- 「明日からスウェ-デンです」 5組 段中 文子
2011年10月1日
当初本年5月10日~11日に、一泊の予定で有志の方々に集まっていただき、「利根川 川上り踏破」の報告会を兼ねた小旅行を、群馬県水上市で挙行する事を計画していました。
3月11日、案内状発送準備の段階で東日本大震災発生!テレビ画面を見て愕然。
震度7強の揺れとその後の大津波によるスザマシイ被害状況の増大!いくつもの町が壊滅、2万人を超す死者や安否不明者の数、ライフラインの寸断壊滅、そして福島第1原発の水素爆発、炉心溶融の危機、等々まさに日本沈没を画面で見て遊興気分は吹っ飛びました。この時期このようなことをしていていいのだろうかと幹事一同に相談、結果、当日は我々「川上り」メンバー6人だけで最終行程の「八木沢ダム」まで行き、「利根川 川上り踏破」を成し遂げようという事になり、皆さんに集まっていただく当初計画の小旅行は中止した経緯があります。
尚我々はさらに、10月18日~20日の2泊3日で利根川源流碑がある大水上山に新潟県側から登山、頂上を目指す予定です。(当初は、群馬県の「八木沢ダム」から大水上山へは通行不可の為、「ダム」を最終地点としていた。)
さて、大震災以来半年、いまだその後遺症も癒されず、復旧・復興もこれからという時期ではありますが、12期会のほとんどの人が古希を迎える今年、あえて恒例の第5回「市岡高校東京12期会」を下記の通り計画しました。
今回は、「会長の交代の件」の審議、「利根川 川上り」の最終報告 等があります。どうか万障お繰り合わせの上、ご参加いただきますようご案内申し上げます。
1.日 時: | 平成23年11月19日(土) PM 1時~3時30分 |
2.会 場: | 「三笠会館本館」6F (中央区銀座5-5-17 TEL 03-3571-8181) ※地下鉄 銀座線・丸の内線・日比谷線の「銀座駅」下車B5出口上がりすぐ ※JR山手線 有楽町駅 下車徒歩5分 |
3.会 費: | @7,000円(通信経費含む) |
4.議 事: | 役員の一部変更の件と承認の件 |
5.その他: | 食事歓談の中で「川上り」の最終報告があります。 終了後、有志による2次会を予定しています。 |
6.出欠の返事: | 出欠のご返事は10月20日(木)迄に下記までお願いします。 ハガキ、TEL、FAX、携帯メール、電子メールいずれでも結構です。 連絡先 : (事務局) 山田 正敏 (8組) |
追記:関西からの参加希望者は10月20日までに張 志朗(7組)に連絡をお願いします。
(ハガキ、TEL、FAX、携帯メール、電子 メールいずれでも結構です。)
2011年10月1日
カナダに移住して36年、カナダでの歳月が、生まれ育った日本での歳月を越えてしまいました。 初めの頃は日本の美味しい食べ物と美しい景色に惹かれての帰国でしたが、年齢と共に日本への郷愁の念が深まっています。それに加えてここ数年はもう一つの楽しみが加わりました。以前から交流のあった 後藤さん、津田さんを通じて 同窓生の皆さんと会えるようになったことです。 36 年のブランクで日本人にもカナダ人にもなりきれない私を 毎年歓迎して下さる皆さんの変わらぬ友情に感謝しています。
この夏の一時帰国は 少し不安と怖さがありました。 3月11日の東日本大震災以来、原発、猛暑、大雨、台風が 続けざまに日本を襲ったことです。 未曾有の災害で被災された方々に対し のんびりと日本旅行なんかしても良いのか。 自粛すべきではないか。 日本滞在中に大地震に巻き込まれる可能性もあるのではないか。等々。
そんな気持ちのまま日本に着くと すぐに一週間の小旅行に出かけました。
毎年感じることですが、日本 特に大都市の目まぐるしい変わりようには 目を見張るものがあります。 新幹線という大動脈を軸として巨大化する大都市と 忘れられたように過疎化していく地方都市とのギャップ。 特に今回 東京、京都、大阪、福岡に行った印象として “駅”と言う概念から大きく逸脱した、それ自身 巨大都市と化した“駅”には驚きとショックを受けました。
これからの日本はどうなっていくのだろうと、 一抹の不安と期待を持って 自分自身と日本という国を見つめていくつもりです。

古荘さんを囲んでの食事会
2011年10月1日
台風12号が接近中の9月1日、カナダから帰省中の山本(古荘)久美子さんを囲んで木本(勝原)さん、古藤さん、川副君、酒井君、末廣君、田端君、張君そして柏木(後藤)の9名が梅田「がんこ」で一年振りに再会し、近況と某君達の「美人妻」、「初恋談義」に花を咲かせました。
古荘さんがカナダに移住して36年! 彼女から「結婚・カナダ移住」の連絡を受けた時、「移住」と言うことに大きな衝撃を受けました。私はクラブ活動(茶道部、箏曲部)を通じて古荘さん、津田(現 倉森)さんと親交があり、在学中のハイキング、箏曲の演奏会、卒業記念旅行など楽しい思い出を共有しています。卒業後それぞれの道に進み、津田さんと私は子育ての真っ最中でしたが、古荘さんのカナダ出発の前には京都・大原に集い彼女の新しい旅立ちの幸せを祈って別れを惜しみました。
その後数年を経て、カナダから一時帰国された折、大阪・難波で3人が再会し、夢中で時計の針を巻き戻すかのように近況を語り合いました。その再会以来、彼女がお里帰りされる度、「じゃあ-いつもの場所でネ。」と連絡を取り合い、昼食を共にしながら近況報告・・・という交流が続いてきました。
続きを読む2011年10月1日
約一ヵ月前の8月18日、小生のTU勤務時代の佐藤裕久研究室・卒研生のKT氏ご一家が我が家を来訪した。既に50代後半?の彼は同期の3名と小生を含めた計4名の同期会の準備をするために、小生の様子が知りたかったらしい。
その8/18にはKT氏と奥方、および、TU大学院在学中の次女の計3名を、小生が我が家近くにある、林道のしっかりしている青森営林局管轄・国有林・「治山の森」を案内した。
我が家の近くには太白山(仙台市太白区は、この山の名前に由来する)があり、太白山遊歩道など、上り・下りは多少あるが、沢山の枝分かれした遊歩道があり、管理も行き届いている。これについては、案内の看板もしっかり管理されていて、誰にでも、分かると思われる。小生自身も、こちらにきて四半世紀を超えたが、住んだ当初から、太白山近辺に多くの散歩コースのあることを、何故か、知っていた。
しかし、上述の「治山の森」コースは、今年になって、偶然知った散歩コースであり、いつか、この詳細をお知らせしたいが、今回は「治山の森」に至る、現役時代、全く気がつかなかった、山道を“「森林浴」を楽しみながら”10分あまり歩くと、その「治山の森」の入口の近くに出る『散歩コース』を、ご案内しましょう。
続きを読む2011年10月1日
元気に船旅を続けています。二度目のお便りをいたします。
コロンボ出航後、海ばかり見ていましたが、久しぶりの陸地、シナイ半島が見え始めると浅瀬の海は素晴らしいエメラルドグリ-ンに輝いています。
8月13日 早朝 アカバ入港。
アカバはヨルダンの南端で紅海に接し、エジプトとイスラエルの国境もすぐ近くです。
アカバでは1日目にペトラ遺跡、2日目はワディラムを見物しました。紅い巨石に囲まれた狭い道をどんどん通り抜けた所に、突然現れる壮大な神殿のあるペトラ遺跡、そしてアラビアのロレンスの撮影場所にもなったワディラムをジ-プで走ると、砂漠の遊牧民のテントやラクダも見えます。暑いけれども湿気がないので日陰は案外涼しいです。
サラサラと手からこぼれ落ちる 赤い砂のワディラムの砂漠 |
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8月16日早朝 スエズ運河に入る |
8月16日 ポ-トサイド(エジプト)に入港。
続きを読む2011年9月15日
12期の皆様、毎日いかがお過ごしですか
乗船前は「100日もの長旅なんて」と皆に言われたのに、レストランで同席したりして知り合った人の話を聞いているとリピ-タ-が多くて、「飛鳥」やその他の船に乗ったという人がいっぱいいるのには驚いてしまいました。
年輩者も本当にお元気で積極的なので、この調子ならまだ当分私も大丈夫かなと安心したりしています。
続きを読む2011年9月1日
ひぐらしの声を聞かないなあと思っていたら、8月下旬の午後10時すぎ、帰宅途中の街路樹のそばで、唐突に聞きました。清涼感あふれる鳴き声ですが、深夜のそれはやはり違和感があります。今年は蝉時雨も遅かったようで、何とはなしに嫌な感じ。
さらに時ならぬ秋雨前線の影響で、気温が10度近く下がったりで体がついていきません。
9月を迎えましたが、酷暑と天候不順はまだまだ続きそうです。皆さん、くれぐれもご自愛ください。
さて9月号のラインアップですが、以下の通りです。(敬称は省略します)
- 「ひたむきさと微笑み、そして我が人生」 6組 畠平 雅生
- 「古稀に竹刀を振る」 7組 張 志朗
- 「我が失敗と補欠人生:その後」 6組 佐藤 裕久
2011年9月1日

6組 畠平 雅生
2011年7月18日未明に行われたFIFA女子ワールドカップ・ドイツでの優勝戦。対戦相手は一度も勝ったことが無い米国チーム。日本チームは猛攻に次ぐ猛攻に耐え、先制されつつも引き分けへ。延長戦に入って先制されても慌てず奇跡に近い反撃を行って2対2の引き分けからPK戦へ。
アメリカの選手は勝って当然の相手に引き分けられて衝撃を受け、追い打ちをかけるようにPK戦では最初のキッカーがボールを止められて更に動揺して平常心を失ったか?この時点で勝負有り。
PK戦は3:1の成績で日本が勝ってワールドチャンピオンに!
取り組む姿勢と精神状態で結果は見えていたとも言えます。
実力以上の相手に対して真摯に粘り強く常にあきらめない。ただひたむきに積み重ねた努力と自分達の仲間を信じる一体感。此の姿を生み出したのは、パートで働いて生活費を稼ぐ・遠征のため生活費を切り詰める・毎日会社から1時間以上掛けて練習場に通う等々練習環境も良くない中、競技への思いが粘り強い心を育て、この積み重ねによる絆が一体感を生み出したのでしょう。
活躍した選手も小さい人は身長が154cmと最近の女性の中でも低い位。目立たずひっそりと咲くナデシコの様。多分彼女達と道ですれ違ってもワールドカップの優勝選手達だとは気付かないでしょう。
それ以上に凄いのは、そんな彼女達のPK戦に臨む時の姿です。
PK戦が始まる前の選手達の表情を写した映像を見て驚いた。皆がすがすがしい顔をしてニコニコと微笑んでいる。力が抜けた良い表情です。一流の野球選手がバットを持って打席に立つ時、バットは握らずただ軽く支えているだけ。ボールを打つ瞬間にバットをしっかりと握って強く振り抜く姿。剣道の奥義にも通じるリラックスした待ちの姿勢と似ています。
市井の片隅で平凡に生きて来た私にとっても、此からの過ごし方を示唆し、教えてくれる大会でも有りました。
膵臓ガンを発症し、この世の旅ももう終わり?私本人以上に心配し、世話をしてくれた友人や家族のかげで無事生還。
以来7年が経って今年は古稀を迎えて節目の年です。加えて、3月11日に発生した東日本大震災により、人生のはかなさと人間の強さや愚かさを感じさせられた年でも有ります。
会社運営や家族を支える責任。身の回りの事には自分が先頭に立って対処して行かなくてはと言った思い。今までのしがらみからも多少開放され、肩の力を抜いて、より自由な発想や視点を持った新たな気持ちで過ごすことが許される年の始まりです。 この事を教えてくれたのが、日本チームのあの微笑みでもありました。
一つの戦いを終え、新たな気持ちで次の戦いへ臨んだ彼女達の心境と古稀と言う節目を迎え、次の人生へ向かう私の気持ちと今後の有り様にも合い通じるのではないか?その様な気がしてなりません。
人生とは人が生きると書きます。日々健康に過ごすことが出来、交わる仲間達と語らいの時を持ち、ほんの少し誰かの役に立ち、精神的な豊かさを持って生きる。そして、彼女達のように嬉しい結果が得られれば・・・。
そんな厚かましい思いで過ごしている今日この頃です。
2011年9月1日
7月の中頃、前川光永さん(12期剣道部主将)の古稀を祝う稽古会があるとの話を聞きました。早速、彼に問い合わせたところ、防具をつけての「かかり稽古」があるとの話し。私の「野次馬的好奇心」がむっくり。これは行ってみなくてはと思っていたところに、仙台の佐藤裕久さん(剣道部)も来阪するとの事で、7月23日土曜日、午後1時半から、市岡高校剣道部OB有志、「剣友」による「古稀を祝う稽古会」に行ってきました。
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(左:前川光永さん、右:佐藤裕久さん) |
早朝、東北、東海道新幹線を乗り継いできた佐藤さん、前川さんとJR大阪駅で待ち合わせ、会場の大正区の大阪市立千島体育館剣道場に向かいました。 当日は晴天、強い日差しが容赦なく照りつける真夏日。剣道場は風通しが良いとは言え、室温33度です。
その猛暑の中、7~8kgある防具を着け竹刀を振り、かつ、ぶつかり合うわけですから、想像するだけで「熱中症」になりそう。全く運動部経験のない私としては、かなり緊張しての「観戦」でした。
続きを読む- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
吉川初恵さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: