同期会

国道2号線淀川大橋改修の見学と海老江と淀川の歴史 

8組   末廣 訂
 
見学日―平成30年4月20日(金)午前10時~11時半ごろまで。 参加人員11名
1.  はじめに
 当日は久しぶりに雲一つない快晴で、絶好の見学日となった。午前10時前に会員は工事事務所のある旧中津運河ベリのプレハブ事務所に集まった。
 この見学に申し込んだのは、福島区歴史研究会より総勢11名である。
 
 事務所内は会議室になっており、各テーブルに、ヘルメットや安全ベルト・反射チョッキが置いてあり、前方には、パソコン・プロジェクター・スクリーンが準備されていた。担当の方にお聞きすると、今まで約40団体が見学に来たとのことです。
 手元に説明資料が準備され、担当の方からプロジェクターを使いながら説明をいただいた。説明の内容は「淀川大橋の概要、橋の構造、淀川大橋の歴史(西成大橋から淀川大橋へ、鉄道と併用橋、大阪大空襲による被害)そして老朽化の現状と工事内容、床版取替工事、工事の日程」等であり、専門用語が多かったが写真等もあり理解しやすかった。
 この大改修工事は約3年かけ、2020年3月までかかる工事というものです。
 約30分の説明後、見学の準備として、テーブルにある反射チョッキ、ヘルメット等を各自着用した。
 
2. いよいよ工事現場の見学へ
 工事事務所から現場まで約100メートル、重装備姿で一列に並んで歩き、大橋の袂(下流側の現場)にたどり着いた。
 一歩工事現場に足を入れると、大型の機械や機材がおいてあり、まだ舗装ができていない橋道が続いており、右側には交通渋滞の車が並んでいる。舗装ができていない床版上を150メートルほど歩き、その後、橋脇の木組みの足場(幅は約1.5メートル)を100メートルほど進んだ。このあたりになるとほぼ橋の中心部で風が涼しい。ここで、案内の人が今度は下に降りる狭い階段の取手を開け、下に2メートルほど降りた.
 ここは車や人が通っている下で、所謂、橋桁の部分で鉄筋の柱がタテ斜めに乱立いるのが見える場所である。まず驚いたのは、先の大戦で数回にわたり米軍機の爆撃機による攻撃で、被害を受けた痕跡があった。いわゆる戦闘機による機銃掃射により銃弾が貫通した銃弾の痕跡が数か所あり、空襲の激しさを今に伝えている。
 一方、大橋ができて100年近くたち、床版の損傷、鋼材の腐食、また、コンクリートの剥離や鉄筋の露出があり、橋の健全度(橋単位)は4段階でレベル3の悪い状態であると説明を聴いた。
 大正末期の大工事だが、建設当時、大量の鋼材を国内製造で困難であり、八幡製鉄所、神戸製鉄所の他、アメリカやイギリスから鋼材を運んできたという刻印が確認されている。当時は丁度関東大震災(大正12年)の直後で、のちに阪神電鉄の路面電車が走る等、地震に強い橋梁の施工が要求されていた。
 まさに大阪は西成郡を大阪市に編入し、人口211万で日本第1位、世界でも6番目の大都市で大大阪の時代であった。
 橋桁の見学後、上にあがって全員で記念写真を撮った。また、工事担当の方から我々が福島区歴史研究会であるので、記念として当会へ弾痕跡が残っている橋脚部分を約70センチ四方に切取り、寄贈してもよいと提案をいただき、5月の連休前後にいただき、現在、福島図書館と福島区役所5階の2か所で展示中です。
 
3. 淀川と地元海老江の歴史
 我が家に「淀川大橋開通式記念・大正15年8月25日」の刻印がある直径15~6センチメートルの丸い鉄製の記念皿がある。祖父が竣工渡り記念式典に参列した時の記念品ときいている。
 淀川や中津川は大阪の人々の日常生活を大いに潤していたが、その反面、度重なる水害によって人々を苦しめてきた。特に明治18年の台風は被害が大きく、枚方で堤防が決壊したため、大阪市内で14,000戸が流失し、死者も出た。
 のちに治水翁と称賛された大橋房太郎が政府に働きかけ、明治29年に河川工事を国が行うという河川法が成立した。そして当時蛇のように曲がりくねっていた中津川を毛馬辺りからまっすぐ大阪湾に流すという大治水工事が31年から始まった。
 ところが、この工事により、当時の海老江村の土地65%(90町歩・甲子園球場の25倍)が川底になり、しかも海老江新家(現西淀川区花川町)は分断されてしまった。現在でも花川町に海老江南桂寺の檀家がおられ、数10軒の方がお参りに来られている。
 また、海老江村の墓は移転し、「野田福島の戦い」で織田方の陣営だった「海老江城・砦」は川底になった。しかも当時農業が主体だった海老江の農家の田畑も川底になってしまった。
 新淀川の掘削で出た土砂を運ぶため、中津運河が並行してできた。土砂は当時の井路川を通じて、梅田付近、大開や海老江にあった川や池を埋め立て、そこに新しい住宅や工場が建ち、どんどん人がうつり住み新しい町ができてきた。淀川の土砂を運んだ中津運河は昭和になって埋め立てられ、新しく淀川左岸線の高速道路の予定地になっている。この治水工事を記念して海老江八坂神社裏の公園に「疏河紀恩の碑」が建っている。(写真右)
 その後、新淀川に有料の橋がかけられ、「淀川の 銭取り橋や 寒習い」と詠んだ松瀬青々の句が残っている(海老江の住民は無料であった)。そして明治末に当時西成郡で一番大きな橋、西成大橋が完成した。現在その「西成大橋」の親柱が海老江八坂神社と花川町の鼻川神社の境内に残っている。大正末に、西成大橋の上流側に並行して、現在の淀川大橋が建設されることになった。
 明治37年生まれである父親から子供の頃、淀川の土手工事が続いており、「モッコ」を担いだ工事人が土手を行ったり来たりしていた話を聞いたことがある。
今回、淀川大橋の改修工事の見学に参加でき、親から聞いた話や街の変化、また先の大戦で1トン爆弾が淀川大橋と我が家の前に落ちたこと等を思い出し、ひとり郷愁の思いで見学した。  
 その後、歴史研究会の会員10名で上流側の床版取替工事と1トン爆弾が落ちた橋桁を11月末に2回目の見学をした。そして、10月頃から左岸線(阪神高速道路)の本格的な工事がはじまっている。したがって淀川河川敷の子供の遊び場や野球やサッカー・テニス場の利用、天気の良い日は、バーベキューを楽しむ家族や団体が見られたが、高速道路の完成までの7~8年間は進入禁止で、これらの風景は見ることができない。

 
 
 註: この文章は「福島区歴史研究会会報 第11号」に掲載されたものです。筆者の末廣訂君に「12期の広場」への転載をお願いしたところ、一部改訂頂き、掲載となりました。ありがとうございました。
 「平和の碑」の説明文にある「6月26日の死者」は、1945年のこの日、「第5次大阪大空襲」時に犠牲なられた海老江の方々のことです。( HP委員 記 )

19期同窓会忘年会を開催しました

12月18日(火)18:00より、北新地つるとんたん琴しょう楼に於いて、ゴルフ部会ご参加の20期の皆様5名を加え、ゴルフ部会・ピンポン同好会・クラス幹事有志など28名参加にて2018年の掉尾を飾る忘年会が開催されました。

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【高21期】“づぼらや忘年会”のご報告


「会場選びにもセンスが光る21期会」 
会は、新卒者に贈るスピーチの伝統を篠原君にお願いする決定から。彼の世界旅の経験は、話題が多い中東地域も含み僕らも楽しみにしています。
さて宴会。会場が洒落ている。「新世界のづぼらや」CMソングと共に、その名前は全国区。
大学で教員をやってきた自分は、12月は大抵、走り回され、参加が叶わずでした。が遂に、てっさ、から始まり 雑炊、ひれ酒迄、フルコースを堪能。
隣席に美人。ずぼらやの元女将で、市岡21期の松田さん。彼女がジャズを唄われることなど、50年前の市岡合唱大会以来の歌のリーダー、山子君と共に知り嬉しく話が弾みました。
卒後50年当日の予定会場の下見で又びっくり。これは 西尾くん以来のご担当役の 竹内哲くん自身が紹介してくれるはずです。

(寄稿 長谷川啓三/高21期/東北大学名誉教授)
 

  

【出席者】伊藤、大西、酒井、篠原、竹内、西尾(井上)、長谷川、藤原、二村(高谷)、
前川、松田(吉川)、湊口、森山、藪田、山田、山子、横溝、渡壁、高江(妹)

★市岡高校卒業50周年記念行事(予告)
平成31年2月27日(水) 9:30〜 母校にて。同窓会は当日午後中之島中央公会堂にて。

(写真まだあります。)
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【高37期】第18回市岡高校37期クラス会 『平成最後のクラス会』 のご案内(2)

37期生は4年に1度の同期会とは別に毎年「クラス会」を開催しています。来年(次回)のクラス会は、下記のとおり平成31年(2019年)4月28日(日)に開催します。遠方にお住まいの方にもご参加いただきやすいようにゴールデンウィークのお昼間に例年以上の規模で実施することとなりました。12月1日現在、1次会63名、2次会58名、3次会44名の方からご出席の連絡をいただいています。37期生の方であればどなたでも参加できますので、お誘いあわせの上、ご出席ください。『平成最後のクラス会』をみんなで盛り上げましょう。
市岡高校37期クラス会 幹事 久米秀樹
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「12期の広場 」 12月号のラインアップ

 12月、師走です。さすがに寒くなりました。早々と我が家では、石油ストーブが活躍中です。
 1年の最後の月だけに、加速する時の流れへの戸惑いや、多事多難、決して平穏ではなかった日々への感慨など、いろいろあって、ちょっとした焦りみたいなものを感じてしまいますね。
 平成最後の12月。またその平成とほぼ重なった同窓会が最終回を迎え、喜寿に付合するように、77人が集まったことなどを思い起こしながら、1年の締めくくりにふさわしい12月になればと考えています。
 
 今月号の花は、洋花のラン、デンファレです。初めて聞く花の名、初めて見る美しい花で、穏やかな心持ちになります。
 高見政博君が送ってくれた5枚の写真の中から、これを選びました。そのメールに次のようにありました。
 「朝晩急に冷え込むようになりました。季節はもう晩秋ですね。今年も後40日余、いつの間にか忍び寄る老いを感じています。遅くなりましたが、12月の花です。12月は自然界で咲く花は山茶花など限られていて、適当なものがありません。どれにするか迷っていておそくなりました。そこで、今月は不本意ながら温室の花で、洋蘭にしました。写真はデンドロビュームファレノシプス、通称デンファレです。」
 思えばこの月に良く目にする花は、やはり洋花のようです。特にクリスマスが近くなると、大阪や神戸のショッピング街は、ポインセチアであふれかえります。大阪での万国博覧会開催も決まりました。これから関西の町なかで耳慣れない外国語を聞く機会が、さらに増えることでしょう。
 関東在住の同窓生のS君から、大阪万博の2025年に又会えるのかとのメールがありましたが、“齢84才、会えれば全く目出度いことですね” と返信しました。7年後も元気でいるだろうか・・・・・、はてさて如何なりますことやら。
 
 2018年最後の「12期の広場」のラインアップは、以下の通りです。
 「喜寿の同窓会」の報告文と、参加された10人の方々に書いていただいた文章を載せました。お楽しみください。
   
1. 「2018 大阪府立市岡高等学校12期同窓会が開催されました
2. 「同窓会に参加して」・・・・・・・・・・・・ 
2組 久保 幸子 3組 石井 孝和
3組 高橋   要 4組 重松 清弘
4組 藤田 勝利 5組 梶   英子
5組 山本久美子 6組 松田 修蔵
7組 柏木 赫子 8組 稲田   紘
      以 上






 

「2018 大阪府立市岡高等学校12期同窓会」が開催されました

 10月28日、午後12時50分から、ホテルクライトン新大阪で、「2018 大阪府立市岡高等学校12期同窓会」が開催されました。今回の同窓会は大阪での最終同窓会、また喜寿の節目を迎えた同窓会です。 
市岡高校第12期生同窓会  平成30年10月28日  於:ホテルクライトン新大阪
 
 当日は有終の美をかざるにふさわしい見事な秋晴れ。これで終わるのかとの一抹の寂しさがあるとは言え、二年ぶりの同窓生との再会に心浮き立つ一日になりました。
 12時頃からの受付で、一時は受付前がごった返す有様で、この一日に寄せる熱い気持ちが溢れます。同窓会には福井金治先生ご夫妻と、はるばるカナダから来られた山本久美子さんはじめ、国内は、北は北海道、南は広島までの日本各地からの同窓生77名が参加されました。
 12時50分から同窓会本会に先立ち、「海老江村」と八坂神社に伝わる「頭屋と宮座神事」のビデオの映写がありました。これについては本会の中で、その当事者のお一人である末廣訂君から更に説明がありましたので後でふれます。
 続いて写真撮影がありました。今回初めての全員集合の記念写真。会場一杯を使った撮影で、この5倍を越える学友と母校を巣立ったのかと感無量です。
 1時40分頃から本会が始まりました。司会進行は張志朗君(7組)、段中文子さん(5組)のお二人です。
 最初に物故された方々への黙祷をささげました。前回同窓会以後、8組の橘實君、6組の久保武治君のお二人が亡くなっておられます。
 幹事会を代表して4組の酒井八郎君が挨拶されました。
 酒井君は33年にわたる同窓会を振り返りながら、恩師の先生方や同窓生皆さんのご協力、またご家族のご協力に深い感謝を述べられました。また、大阪での同窓会は終了しますが、豚汁会や舞洲のお花見、全体同窓会の総会などを通して、これからも同窓生の絆を大事にしていきたいと話されました。
 福井金治先生の力強いメッセージと乾杯の音頭にあわせて、全員で乾杯の盃をあげ、歓談会食に入りました。
 おいしいお食事とお酒、久しぶりの再会に会場は、最初から大盛り上がり。初参加の方も、顔がわかるだろうかと不安に思っていたようですが、瞬時に高校時代にタイムスリップして懐かしさとうれしさが込み上げてきたようです。
 難病を患いながらも動ける今が大切と、思い切って出て来て本当に良かったと言っておられた同窓生が複数人おられました。
 今同窓会では、特別プログラムを準備していました。その最初として末廣訂君から、「頭屋・宮座神事」についての説明がありました。末廣家は江戸時代からの宮座衆で、ご本人も何年か前に「頭屋」を務めています。毎年12月15,16日に行われるこの伝統行事は、何百年も続いており、現在大阪府の無形民俗文化財に指定されています。古式豊かな神事とその継続と伝承は、大きな驚きと感動を呼んだようです。
 暫く歓談を続けた後、特別プログラムの第二弾である「合唱」「趣味の写真」「独唱」「社交ダンス」「健康体操」が始まりました。ここで女性の司会は、古藤知代子さんが、ピンチヒッターで登場しました。
「合唱」は2組の皆さん。曲目は高校時代の合唱コンクールで優勝した「南国土佐をあとにして」です。指揮はあの時と同じ杲田慶子さんで、往時を思い出させるのに十分でした。
 「趣味の写真」は6組の高見政博君のお話しです。高見君は病気療養のため、卒業は13期です。なんと12期の私たちが卒業する時に、
在校生代表で送辞を読んでくれたそうです。見事な写真の数々に見とれていた時にハプニング。何を勘違いされたのか、福井先生が飛び入り、お蔭で高見君の話は中断してしまいましたが、美しい写真をもっと見たいとの声がしきりでした。
 「独唱」は、同窓生きっての美声の持ち主である1組の鈴木政子さん。曲目は「冬酒場」で、大喝采でした。
 さて期待の「社交ダンス」は酒井八郎・段中文子組。お二人ともダンス歴がうん十年の踊り手で、期待にたがわない見事で、艶っぽいダンスです。演目は「ルンバ」、曲は「ひまわり」です。大向こうから何度も声がかかりました。
 最後の「健康体操」は嶋田ハルコさんです。嶋田さんには前回にも講演をしていただき、たっぷりと汗をかかせていだたきましたが、その指導はさらに磨きがかかったようで、一気に会場の雰囲気をたのしく、ユーモアたっぷりに盛り上げて下さいました。手拭いを使った、シンプルな体操ですが、姿勢が良くなり、元気が出たようです。
 特別プログラムの後、しばらくご歓談の時間を取って、恒例の「遠来の友のスピーチ」に移りました。
 遠来の友のトップバッターはカナダから来日された、5組の山本久美子(旧姓 古荘)さんです。仲良しの柏木赫子(7組 三重在住 旧姓 後藤)さん、児玉恭子(4組 東京在住 旧姓 青木)さんと一緒に登壇しました。山本さんは初参加で、58年ぶりの同窓生との再会です。
 続いて、札幌市在住の3組の黒田昌男君、市岡東京12期会のメンバーで、仙台在住の6組佐藤裕久君、東京在住の泉信也君(5組)中柴方通君(6組)、千葉在住の重松清弘君(4組)、神奈川在住の榎本進明君(8組)、杲田慶子さん(2組 旧姓 鵜飼)、静岡在住の上原澄子さん(1組 旧姓 大川)、愛知在住の小野義雄君(6組)、広島在住の辻紘一郎君(8組)、大阪在住の稲田紘君(8組)の皆さんがスピーチされました。

 スピーチはどれもがそのお人柄と、歩まれた人生の滋味にあふれるもので、ユーモアと機智が随所にちりばめられたものでした。
 同窓会も終盤です。
 酒井君の指揮で、校歌を一番から三番まで声を張り上げて歌いました。
 閉会の挨拶を副代表幹事の北浦昌子さんがされました。北浦さんは、楽しい同窓会になったことについてお礼を述べられながら、数首の短歌を披露され、皆さんお元気お過ごし下さいと結ばれました。北浦さんが詠まれた短歌の内の二首を以下に紹介います。
 喜寿迎え 素直に嬉し この人生 忘れはしない 市岡時代
 喜寿となり ますます栄えある12期は 哀愁ただよう有終の美
 午後5時過ぎ、同窓会本会は、全予定を無事終了して閉会となり、小休止を経て、二次会に移りました。
 二次会会場は1階のカラオケ兼喫茶スペースです。集まった同窓生のほとんどが、これに参加され、二次会も大盛況です。
 二次会の司会進行は、6組の松田修蔵君と7組の柏木赫子さんです。最初に6組の井東一太郎君が「手品」」を披露し、その後、カラオケとお喋りになりました。
 カラオケは時間一杯、途切れることがありません。また、喫茶スペースでは幾つものグループが出来てお喋りに夢中です。ケーキとソフトドリンクが主でしたが、さらにビールにお酒で酒盛りを始めるグループもあり、元気がはじけていました。
 最後の同窓会、名残はつきませんでしたが、午後7時半ごろに全予定を終了し、散会となりました。

同窓会に参加して

2組 久保 幸子(小西)
 
 かえりみますと、12期同窓会に10回くらい参加させてもらっていると思います。学生時代のあたたかい幸せを感じる楽しい想い出がうかびます。
同窓会場にて 福井先生の左が筆者です
 その一つの想い出に、何年か前に、私の親戚が私宅のすぐ近くの山に立派な“桜の苑”を所有されていて、そこの若奥様のご好意で、お花見をしたことがあります。同窓会幹事さんやご家族様が沢山来て下さり、満開の桜の下でお弁当を広げ楽しい酒宴が開催されましたことが忘れられません。二回目は、その若奥様の別邸で美しいお庭を眺めながらお座敷で、お食事会をし、にぎやかに歓談、楽しいひとときを過ごせました。 (写真奥・正面が筆者)  

 私はそのころは、まだ幹事さん達ともほとんど交流もなく、このころ一度に沢山の方とお出会い出来、びっくりしました。代表幹事の酒井さんはじめ幹事皆様の心のこもった御尽力で「12期生喜寿の同窓会」に至りましたことにとても感謝しております。機会があれば、東京12期会にもお訪ねしたいです。ありがとうございました。皆さん、健康長寿でがんばりましょう!!
3組 石井孝和
 
 
二次会でやっと一息。右から2番目が筆者
 有終の美を飾ろうと企画された「12期同窓会」では、私は亡き川西康雄君の後を引き継いで写真撮影の担当に就きました。その機材は4~5年前、娘からプレゼントされたソニーのデジタルカメラでした。
 会場のクライトンホテルには午前11時前に到着、建物の外観や準備されたホールの撮影を済ませ、受付、開会に備えました。
 張・段中両氏の司会で始まった本会を式次第に合わせ撮影し続けました。カメラのスクリーンには、舞台に立って身振り手振りを入れて語る人、歌う人、カラフルな衣装で華麗にジルバを披露した酒井・段中組のダンス、それにタオルを巧みに使って会場の雰囲気を盛り上げた嶋田さんの“健康体操”と、生き生きとしたした表情が映っていました。  
 テーブルに次々運ばれる料理をそれぞれが楽しみながら、膝を交えて歓談する笑顔もアップにして撮ることができました。


 20年あまり、“写真日記”をつけ続けている私は、当日一日に100回以上シャッターを切り、“喜寿”に集う仲間の元気で活力に満ちた笑顔にレンズを通して出逢えたことが、とても印象的でした。
 3組 高橋  要
 
 「近ごろ時間に背中を押される気がして・・・・・」と油絵が趣味の知人、頭の中で画題が尽きないのでしょう。そんなこともあるものかと齢を忘れて暮らしていたところへ“最後の同窓会”の案内、出し抜けに12期生の年齢を通告された思いでした。
福井先生に「肩もみの奉仕」 実は背中を押している?

 最後の宴のなかで思い出された詩のプリントは、国語科が分担してガリを切り謄写版で更紙に印刷した近現代詩のアンソロジ-、その続きで神沢先生の話になりましたね。独特の風貌と身のこなしで映画「道」や「昼下がりの情事」の話に熱の入ったこと、東京みやげは「・・・・その続きで浅草のストリップ劇場に入ったんだ、入りは疎らで寒々とした客席に身を縮こめる男が時折「〇〇ちゃん」と踊り子に声を掛けているんだ・・・・・」
 さて、最後ですね。来週から湖北へ薪作りに出かけます。倒木をチェ-ンソ-で輪切りし、斧で割って自然乾燥させる単調な作業です。雪が来る前に、体が動くうちに、せめて5年分は貯えておかなねばなどと思っている私も、どうやら時間に背中を押されているようですね。
4組 重松清弘
 
 今回大阪での同窓会のために色々準備していただいた幹事の皆様に先ず感謝申し上げます。大阪での同窓会は今回が最終回ということですが、航海中の船が何かあれば母港に帰るというその母港がなくなるわけですから、ちょっとショックというか複雑かつ寂しく感じています。
それから今回は喜寿になる人あるいはなった同期の集まりでもあったわけで、この人生の節目にどう対応すればいいのか私自身迷いつつ参加しました。
 人生には3つの坂があるという。上り坂、下り坂、そして「まさか!」という坂である。これまでの76年の人生で、自分はまさに、この3つの坂を何度も経験してきた。この坂の勾配や長さはそれぞれ違うもので、一週間程度のものから、数年に及ぶものまであり、人生がバラ色に見えるほど有頂天になるほどの感激を覚えたものから、これまで上りつめてきた高みから一挙に崩れ落ちたという感じのするものまで様々である。しかし、私は同年代の他の多数の人々と同様戦後の経済成長の波に乗り、来年は今年よりきっと良くなるであろうとの希望をもって、生きることが出来ただけ幸せだったと言える。そして公私にわたりホドホドの結果を得て、現役生活を終わることが出来た。勝ち組、負け組などとイヤな言葉があるが、さしずめ自分は「分け組」くらいかと思っている。ところが今の若者世代は物心ついたころにはバブルもはじけ不況ばかりで、経済成長を全く経験していないと言う。これに格差社会の顕在化と共に、全くかわいそうな時代である。
 さて人生80年時代と言われるが、冒頭の3つの坂のうち、私にはもはや上り坂はなく、あるのは下り坂と、「まさか!」だけであり、私にとっての人生を終末に向かって如何に生きるか、すなわち如何に最終地点に軟着陸させるかが、現在の課題である。   
惜しまれる同窓会と65年ぶりの同窓会
4組  藤田 勝利
 
 酒井代表幹事をはじめ、市岡12期同窓会幹事のみなさん、33年の長きにわたりお世話いただき本当にありがとうございました。
 今回も、カナダや北海道など各地から77名の参加者で大いに盛り上がりを見せてくれました。
海老江宮座神事保存に活躍される末廣さんのように、いろんな分野で活躍されている私たちの仲間の紹介。締めの小寺さんの短歌など、毎回楽しみにしてきました。
同窓会場にて 写真の左端が筆者

 この市岡12期同窓会が今回で最終回となったのは惜しまれてなりません。酒井代表幹事の案内状にあった「今までの形の同窓会」の開催が困難でしたら、気楽に集まれる形に変えて再会できるのを願っている皆さんも多いのではないでしょうか。
 さて、最終回となった市岡12期同窓会とは別に、65年ぶりの小学校のクラス同窓会を来年5月に開催することを計画しています。
 実は、この5月にバルト三国に行きましたが、そのツアーに小学校の同級生も参加していたのです。卒業後64年も経ってますから、顔も名前も全く覚えてませんでしたが、3日目にバス通路を挟んで隣に座り、その人が大阪弁丸出しで話すのを聞き、別の人が「大阪の方ですか」と聞き「大阪の福島出身」と答えるのを聞いて、福島
リトアニアのカナウスの、旧日本領事館
(現在:杉原記念館)の杉原千畝氏の机
で撮った写真です。
小学校、担任は平田先生と確認して、ようやくわかった次第です。奇遇なので、来年5月にできるだけ多くの同級生に声をかけて集まる約束をしました。  
 年賀状のやりとりをしていた二人と、下福島中学校の同窓会名簿を頼りにあれこれ探しまわった結果、市岡同窓の貴田宗三郎さん、山田正敏さんなど、12名から参加の意向を受け、来年5月12日にホテル阪神で開催することになりました。
 でも、2組61名の内 まだ37名の方が消息不明です。今回の同窓会でも何名かにお願いしましたが、どこで繋がりがあるか知れませんので、12期の広場も借りてお願いします。
 福島小学校2組同窓生で消息不明の方々は以下の通りです。 

 安部史郎、市橋嘉剛、井上博方、岩井宏、梅本佳央、大溝輝雄、大谷佐武郎、兼子雅嘉、鈴木進、島村揆、進藤清、当麻吉宏、富山隆雄、田邉欽一、永岡義雄、日高勇雄、牧野孝、増山良樹、阿佐節子、宇田川テル子、尼岸(旧姓高橋)好子、伊藤幸子、大西悦子、金沢(旧姓村田)加代子、木下明子、久保田喜代子、菖蒲照子、武井百合子、為田弘子、中川恵子、西脇(旧姓小川)俊子、藤川久子、森橋(旧姓松浪)祥子、安井祈美子、山脇静子、湯浅太ミ子、弓前勝代
 消息をご存知の方は、是非連絡をお願いいたします。
 
 HP委員追記 : 連絡は、同窓会幹事または「広場」HP委員宛にお願いいたします。 

5組 梶 英子
 今回が最終の同窓会とのことで、久しぶりに参加しました。
同窓会場にて 写真右端が筆者
 1985年から33年18回開催とのこと幹事団の皆様本当にご苦労様でした。
 その間長らくご無沙汰したので、お話しながら相手の方の昔の面影思い出せてホットしたものです。そんな中で変わらぬ福井先生のお元気そうなお姿が懐かしかったです。
 私は病弱児童で、中学・高校共にまともに体育の授業を受けたことがありません。でもそんな私に三年生のマラソン大会を最後だから、折り返しの朝潮橋の八幡屋市立運動場まででも走ってみようと勧めてくれた友達があり、始めてまともに?体育授業に参加しました。
 ところが、思いもかけず最後まで走れたのです。おまけに時間内で順位も最後から何人かを数えるところにありました。それから技術のいる体育系の競技はだめとしても、足をただ進めるだけの運動なら何とか出来るのではと、山登りを始めました。
 山は空気がいいし、可憐な花を楽しむことも出来ます。山頂から見る雄大な景色は格別です。特別な山を求めなければ、山登りは私でも参加できる運動です。そんな山登りの原点は三年のマラソン大会にあります。この歳になって大抵の方々は体調不良で山を卒業されましたが、お蔭様で私はまだ登山を続けていて、昔の私を知る人達にあきれられています。
 もう体の部品はあちこち劣化して取り換えが必要のようですが、何とかもう少し頑張ってみようと思っています。
筆者は謙遜されていますが、今も3000m級の山を登られているとは驚嘆です。左は南アルプス荒川岳の主峰で、アプローチが長く奥深い山です。右は立山連峰の薬師岳。昭和38年のサンパチ大雪で愛知大生13名が遭難死した、これも行程の長い山です。

5組 山本久美子(古荘)
 
 10月28日に開かれた大阪での最後の「市岡12期同窓会」にお誘い頂き有難うございました。
私にとって最初で最後の同窓会です。
 同窓会前日の思いがけない前夜祭、当日の同窓会本番、そして2次回3次会と夢のような3日間でした。
上の写真は、校歌斉唱の筆者(左)
高校卒業以来の長い歳月、いろいろな人生を歩んでこられたであろう皆さんが、会場に集まった途端に高校時代に戻ったかのように一つの輪になり、旧交を温める様子に大きな感動を覚えています。
 また、10月12日、母校同窓会館での幹事会に参加させていただき、幹事の皆さんの行き届いた事前準備に触れることが出来たのも有意義なものでした。
  卒業以来初めて参加し、皆さんに溶け込めるだろうかと少し不安だった私を、60年のブランクがなかったかのように迎えて下さった皆さんの暖かさが身に染みております。     
左の写真は、健康体操に精を出す筆者(中央)
 最後に33年もの長きにわたり市岡12期同窓会に携わってこられた方々のご尽力に敬意を表して、皆さまの益々のご健康を心より願っております。
「宮座」神事にびっくり
6組 松田 修蔵

 同窓会での末廣君の講演で初めて海老江八坂神社に残る「宮座」神事を初めて知りました。福島区で毎年12月の夜更けに、このような素朴だが格式ある行事が江戸時代の初期から引き継がれ、執行されていたことに驚き、敬意を覚えました。
 海老江の人たちは八坂さんの夏祭りへの愛着心はとても強く、ご祝儀の金額も半端でない、とよく聞きました。遠くに行った親戚も祭りの時期には帰ってきて一緒に祭りを楽しむという、その背景が分かった気がします。大阪府無形文化財に指定されたこの宮座の神事を継承して行くのは携わる方々にとって大変エネルギーの要る事だと思います。地域に残る伝統を守る重みと痛みを感じました。
 私はこの神事を家族に見せたくて、無理を言って末廣君にビデオのコピーをもらいました。ありがとう末廣君!
神事のビデオ画像に見入る同窓生
                                        
7組  柏木 赫子(後藤)
 
 12期 最後の同窓会が終わりました。 33年間の長きに渡って、酒井さんはじめ幹事の皆さんが、12期会を牽引して下さって有難うございました。
 私の高校生活は、25年振りに開催された第1回目の同窓会まで封印していました。
 7組の落ちこぼれで、各教科、特に数学、物理に苦戦したことが強烈な思い出で、灰色の高校時代と思い込んでいました。
 初めての同窓会で、張君が、“かっちゃん”と声をかけて下さったあの日から、友との語らいで色々な記憶が蘇り、会を重ねるごとに市岡に学べた幸せを感じるようになりました。落ちこぼれでも理系の男子ばかりのなかの紅二点、勝原みつるさんと共に学んだことが、今では一番の尊い思い出となっています。
2組は11人参加。積極的に2組のコーラスに参加する7組の筆者(右から2番目)
 12期の仲間達の友情の絆はこの33年間に、より一層深まりましたね。
 とにもかくにも 大変お世話になりました。「12期の広場」の編集も、毎月の原稿集めに御苦労されているのではと思っていますが、毎月の一日を楽しみに拝読しています。
 “涙をふいて”のディュエットは、同窓会での楽しみのひとつでした。お二人の“涙をふいて”を聴きたいためにホテルに一泊するようにもなりました。
 同総会の思い出は尽きませんが、心からお礼申しあげます。有難うございました。
最終同窓会に出席して
8組 稲田 紘
 
談笑中の筆者(左端)
 「12期生喜寿の同窓会」と銘打たれた今回は、77歳の節目の年での開催である。 今回が最終回のためか、参加者数は奇しくも喜寿の年齢と同じ77名もの多数に及んだ。
 今回、筆者が名前を度忘れした学友の数が以前より増え、自分の老化を思い知らされた。
 プログラムとして、海老江村宮座・頭屋神事の紹介のような毛色の異なるものも含めて種々の企画がなされ、各出演者も熱演であったが、会場が少々騒がしく、出演者の声が聴き取りにくかったのは残念であった。
御崎先生のお返事と同窓生の近況ハガキの掲示
 会場外では欠席者についても近況を記したハガキが掲示されたが、筆者にはよい企画に思えた。そして今後、ハガキではなくHP「12期の広場」、を用いて、学友の動向について知らせ合うことができればと願った。
 カラオケを主とする2次会では、終わりに全員で「高校3年生」を熱唱したが、これを歌いながら、60年ほど前にタイムスリップして、高校生活が懐かしく思い出された。
 このように、最後まで楽しかった同窓会を、13回にわたりお世話いただいた酒井八郎さんをはじめとする幹事諸氏に深く感謝します。また末筆ながら、12期生の学友諸君の今後のご健勝とご多幸を祈念します。

第5回19期ピンポン同好会



11月13日(火)15:30~17:30 HPC西なんば卓球センターにおいて、現メンバー12名中11名の出席で第5回19期ピンポン同好会が開催されました

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【高校21期】「づぼらや忘年会」のお知らせ

21期同窓会事務局

お待たせしました。「づぼらや忘年会」のお知らせです。
今年も大いに楽しんで、英気を養いましょう。
皆さんの参加をお待ちしています。

※ 昨年の模様はホームページの写真でご覧ください。

◇日 時:平成30年12月2日(日) 17:00~   
◇場 所:づぼらや「新世界本店 新館」(本店斜向い)
◇会 費:7.000円 
 
今年で10回目。例年通りですが _日曜日の5時から_ です。
参加申込みはメールで → Info☆reihyo.com  (☆を@に変えて送信)
締め切り 11月25日
お問合せ先:幹事代行 竹内 哲(090ー8659ー6315)
メールアドレス:s-takeuchi☆knd.biglobe.ne.jp (☆を@に変えて送信)

19期3年9組クラス会を開催しました

市岡高校19期3年9組クラス会を2018.10.31に開催しました。
16:00にJR弁天町駅に集合し、市岡高校の校内を見学(事前に教頭先生に許可済み)
我々が通学していた時の校舎は建て替えして無く、校舎の位置や運動場の位置は大きく変化していました。
その後クラス会会場へ移動し17:00~19:00まで歓談。
51名中19名の参加なので、一言づつ話をしただけで殆ど時間が無くなってしまいました。懐かしい顔で、懐かしい話をするクラスメートを懐かしく見ていました。
2~3年後にクラス会を開く事として散会しました。
2次会は11名で数100m水平移動(3階)してアートホテルでワインを3本明けました。中島健司君ありがとうございます。2次会は21時過ぎに終えました。
川西 勝