同期会

「12期の広場」4月号のラインアップ

美しいピンク色のこぶしの花です。
 4月です。待ちに待った桜の花が咲きました。
 春がゆるやかに動き出し、街も人も華やかに色どりを取り戻して行くようです。新年度、新学期が始まり、入社式、入学式に向かう新入社員や新入生を見かけましたが、りりしい若人の姿や着飾った親御さんとピカピカの学生服に身を包んだ新入生の姿は、眺めるだけで心が温かくなりますね。
 週に3回ほど早朝、通学生の多い阪急電車で大阪や神戸にでかけます。車窓から見えるバス停に列をなす学生達も3月は、そのほとんどがノートや教科書を開いていました。しかし今、その姿はありません。燦々と輝く陽光を浴びて楽しそうに談笑しています。
 先月、私達の入学60年の節目の年に母校への入学志願者が定員割れを起こすのではないかと大層心配しましたが、市岡高校の入学志願者率は115%で、320名の第72期生が無事、入学を果たしました。希望を胸に新しい旅立ちに臨む72期生の皆さんの前途に幸多かれとエールを送りたいと思います。
 先日テレビを見ていましたら、「4月は出会いの月」とのコピーが目にとまりました。月並みと言えば失礼かもしれませんが、その言葉がストーンと私の胸におちました。
 振り返れば、60年前に市岡高校に入学し、多くの素晴らしい恩師と多彩な学友に出会いました。そして今、それがささやかな自身の人生の貴重な糧の一つであったと思っています。代表幹事の酒井八郎君が卒業50周年記念で参加した母校の「第62回 卒業式 」で話した「人は人の中にあって磨かれる」との言葉がありますが、これも得難い出会いがあってこそのこと。72期生の皆さんにもそんなすばらしい出会いに恵まれることを願わずにはおれません。
 残念ながら老境にある私達には、老化に向き合い、出会いよりむしろ、別れに向き合う方が多いのが日常であるようです。9日、舞洲の市岡の森でお花見がありますが、同窓生との旧交を温め、元気に楽しく4月を満喫したいと思っています。
 
 さて、我が「12期の広場」4月号のラインアップです。とは言いましても記事は一篇で、それなりにお楽しみください。
 
 
 1.「豚汁会に行ってきました」          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7組  張 志朗
以 上

豚汁会に行ってきました。

 3月5日、市岡高校同窓会の恒例行事、「豚汁会」に行ってきました。
 久しぶりの母校で、在学時通いなれた当時の裏門(現在はここが正門)から入ると懐かしさがこみあげてきます。3月初旬にしては暖かい日でした。正門から会場の「100周年記念会館」までは縦長の運動場の横を通るのですが、野球部の練習風景はなく、代わりに女子ソフトボール部の皆さんが一生懸命に練習していました。キビキビとした練習風景を見るのは心地よいものです。男子生徒と女子生徒の比率が逆転し、女子生徒が多いせいなのかな、などと思いながら敷地の南西にある会場に到着しました。
 12期同窓生の参加者は、酒井八郎君、川村浩一君、岸川常正君、田端建機君、古藤知和子さんと私、張志朗の6名でした。
 定刻の12時、全体同窓会の佐藤会長の挨拶から会が始まりました。
 冒頭、佐藤会長は、明治37年から始まった「豚汁会」について「一時中断がありましたが、新制高校なった戦後からは絶えることなく続く、市岡高校独特の恒例行事であると」と紹介され、続けて6日の入学願書締め切り日を前に、入学志願者数が定員をオーバーしたことを報告されました。参加者は勿論、市岡にゆかりのある皆さんが、心配していた問題だけに、安堵の溜息が広がりました。
 続いて旧制中学45期の益正行大先輩の乾杯の発声で、会食が始まりました。
 まずは会の名称になっている、豚汁です。暖かかったとは言え、早春の一日、また時間も正午ですから、熱々で美味の豚汁は絶品の「御馳走」です。100年以上も前の母校で教師と生徒が一堂に会して和気あいあいと豚汁を食べたことに思いが至り、時は流れ時代は変わりましたが、その味は格別なものでした。食糧難の時代背景があって中断された後に、戦後、同窓会が主体になって復活し、今日にいたっていると言いますから、他校にはない自慢の行事と言えるのではないでしょうか。
 豚汁会に参加していつも思う事ですが、80才を越えた旧姓中学の大先輩から、つい最近卒業したての若い同窓生まで一堂に会することが出来るのは、まさにこの会ならではのことで、この行事を絶えることなく続けてほしいと言うことです。
 会も一段落したところで参加者の皆さんのショートスピーチがありました。このスピーチは参加者の皆さんが学ばれた時代と学校生活の一端をうかがい知ることが出来るもので、古い校歴を持つ市岡ならではのもの、大変興味深いものでした。
 戦時中の「住友伸銅所」(住友電工の前身)の防空壕で空襲に曝された話や、旧制中学から新制高校への移行で男女共学になり、市岡高等女学校(現在の港高校の前身)などから女子生徒が入って来た話、旧制中学43期で入学し、新制高校第1期での卒業した話や、「窓ガラスは割れ、ボロボロの校舎」で勉学とクラブ活動にいそしんだ話など、話題は尽きませんでした。スピーチはさながら市岡の歴史を俯瞰するよう展開して、一筋に連なる言葉と想いを通して、校歴とは、伝統とは何であるかを考えさせられました。
 12期の皆さんもショートスピーチをしました。酒井君は彼の教え子が姪にあたる11期の先輩との出会いに人の縁を痛感した話をし、川村君は現在の関心事が「古都としての『京都』と時代としての『昭和』です」とますます盛んな好奇心について話しました。豚汁会の会場で「タカラジェンヌ誕生」と書いた、資料をもらったのですが、演劇と映画鑑賞が今もっとも興味があることと言う岸川君は「ついに市岡の卒業生にタカラジェンヌが出る時代になったのか」と会場をわかせました。田端君は「先輩と持病の話を楽しんだ」と元気一杯で、古藤さんは山歩きと町内会のお世話にいそがしいとこれまたお元気です。私は役目通り、「『12期の広場』を見て下さい」とアッピールしました。
 締めは恒例の市岡高校吹奏楽部OB・OGバンドの演奏でした。この日編成は29名で、参加者に合わせた選曲とアンサンブルです。「となりのトトロ」に始まり、「美空ひばりメドレー」が入るなど、会場は大いに盛り上がりました。
 OB・OGバンドは2月26日に第9回定期演奏会を終えたばかりです。会場は「エルシアター」で観客数が420名の大盛況だったそうです。残念ながら私は所用のため参加できませんでしたが、「豚汁会」の会場でOB・OGバンドのトロンボーン奏者の高橋正憲(高校18期)さんからその時のアンケートについての「解析まとめ」を頂きました。「まとめ」はA4版で22ページにわたる労作で、ここに収録された248の感想文は、実に多彩、心あたたまるものでした。紙幅の関係上、多くは掲載できませんが、高齢者のいくつかを紹介します。
 「アンサンブルステージ、良かったです。中高吹奏楽を聞く機会が多い中、大人の演奏を楽しませてもらいました。」
 「市岡高校の大ファンです。情報が入らず、苦慮しています。市岡高校の演奏に加えて礼儀良さに感銘を受けています。今年こそ全国大会に行ってもらいたいものです。OB・OGバンドも吹奏楽コンクールにエントリーされてはいかがですか。」
 「音楽はみんなの心をひとつにしてくれる。すべての曲に勇気と元気をいただき、若い皆様と一緒にたっぷり楽しませていただきました。次回お会いする日を楽しみにしております。」
 定期演奏会は次回が第10回目です。次回は万障繰り合わせて必ず行って見ようと思っています。読者の皆さんも是非、ご一緒下さい。
 「豚汁会」は午後2時過ぎ、OB・OGバンドの力強い伴奏で校歌を斉唱してお開きとなりました。
 

「12期の広場」3月号のラインアップ

 3月、いよいよの春-弥生です。庭の水仙もようやくその花を咲かせ、枯れ木のようだった紫陽花の枝先の新芽が薄緑の衣をまとい始めました。気温は寒と温の交番ですが、寒にも温にも確かな春への足取りが感じられます。
 風が冷たい早春とは言え、やわらかな日差しはありがたいもので、そんな事にさえささやかな幸せを感じてしまうのが少々口惜しい。また今月下旬に満開の桜に再会出来ると思うと、あの厳しい寒波が別世界のことのように感じられるのが不思議です。ともあれ爛漫の春がすぐそこにあることを素直にうれしいと思っています。
 
 お気づきの方もおれられかもしれませんが、この3月は12期の私達が市岡高校を受験して、60年の節目になります。言わば「還暦」になるわけで、過ぎ去った長い年月がずしりと胸におちます。また新年号のラインアップで初孫の高校受験について触れましたが、そのめぐり合わせの妙や、母校の入学希望者の定員割れと存続問題を考えてしまいますね。
 60年前の1957年3月18日、午後の入学試験を控えての昼休みに、経験したことのない違和感を感じて母の作ったお昼弁当を半分も残したことを良く覚えています。やはり相当にプレッシャーを感じていたのでしょう。筆者の孫(岡山の県立高志望)を含めて、母校市岡高校を受験する後輩たちがプレッシャーに負けることなく実力を発揮できるよう、心から祈りたいと思います。
 2月の新聞報道によると、今年の市岡高校志願者数の一次集計では定員の82%だったそうです。願書の受付最終締め切りが3月6日ですから、定員割れが回避できるかどうか、まだ不明と言うことにはなりますが、おおかたの判断は厳しいようです。
 新年号に『市岡高校への入学は、まさに筆者の人生のとばくち、と同時にすばらしい恩師と多彩な個性をもった学友にめぐりあい、そして営々と培われた伝統にはぐくまれた高校生活であったようです。その市岡高校が定員割れから存続の危機にあると言いますから、あらためて、いたたまれない気持ちになります。市岡高校は卒業生である私達が拠って立つ所の母校、現役生徒にとっては大切な伝統ある学び舎です。なにがなんでも、この危機を乗り越えられるよう切に願うばかりです。』と書きましたが、受験60年の節目を思う今、尚更にこの気持ちはつのります。改めて母校の存続問題が円満に解決するよう、強くお願いしたいと考えています。
 
 さて「12期の広場」3月号のラインアップは次の通りです。記事が一つですが、ご覧下さい。
 
1.   「スケッチを楽しんでいます。」
 
                                 以 上

スケッチを楽しんでいます。

 右の写真は酒井八郎君から届いた「神戸スケッチ会」の作品展の案内状です。酒井君は、奥様の通子さんともどもに「神戸スケッチ会」発足時からのメンバーで、作品展も彼の自宅店舗の2階がその会場になっていました。残念ながら私は所用のため、「神戸スケッチ会作品展」に行けませんでしたが、後日、酒井君と奥様の作品を見たくて、自宅を訪れました。
 「神戸スケッチ会」のことを少し書きますと、発足して10年。絵を画くことを趣味にしている会員さん15名程度(最高齢者は83才で60才台が主なメンバー)の自由で気楽なグループだそうです。例会はその月の第二日曜日。午前10時に予定された場所に集合して、思い思いにテーマーを決めて午後2時までスケッチ、その後、出来上がった絵を並べて全員で合評会をしておられるそうです。スケッチをする場所は神戸市内が中心ですが、時には東は尼崎、西は加古川あたりまで足を延ばすとのことです。
 酒井君は現役商店主。平日は午前9時から午後6時過ぎまでしっかり仕事をこなし、休日は町内会の所用やその他地域行事などへの参加があり、毎回参加と言うわけには行かないようですが、なんとか時間をやりくりして積極的に参加しているそうです。
 2014年7月号の「12期の広場」で彼のスケッチ(タイトル-「私のスケッチブック」)を紹介させてもらった事があります。そこに以下の文章があります。
『「6インチの荒目ヤスリ」、「1000番の耐水ペーパー」、「0.7mmのストレートドリル」、「K18の6mm引輪」、「シルヴァー3mmのパイプ線」、「0.5カラット用Pt DIA 6本爪」などなど、小学校教員をやめて45年、毎日、ノギスと時計用ピンセットを片手に、細かい宝飾品パーツや時計部品を扱い続けています。縁あって5~6年前くらいから一級建築士の建築デザイナーの指導を受けながら、グループで街のスケッチに出かけるようになりました。「ここで」と思ったら3~4時間、座ったまま。スケッチブックと格闘していますが、いつも時間不足、技能不足で引き揚げる始末です。』
 今回私が店舗兼自宅を訪れたが夕刻。奥様も同席されコーヒーを頂き、作品を拝見しながらお話ししました。
 酒井君は「びっちり4時間、ただ絵を画くことに没頭できるのは、雑事に追われる日常とは全く異なった格別のものです。ただ腕前が上がらないのが残念」と笑っていました。
 神戸は北が緑一杯の六甲山地、南が豊かな大阪湾、それに抱かれるように美しい市街地が広がっています。また由緒ある神社、仏閣、ポーアイと呼ばれる人工島や、異国情緒豊かな港の風景と有名建築物群、そしてそこに息づく人々の生活など、スケッチの対象には事欠かないようです。
 奥様が「神社でスケッチしていると普段はめったに聞かない太鼓の音が響き、巫女さんが緋袴を風にそよがせ通りすぎます。港のスケッチでは行きかう船の汽笛がボーと聞こえます。長く神戸に住んではいますが、こんな所があったのかとの新たな気づきにちょっと驚いたりしますね」と話してくれました。あのいまわしい震災の記憶がよぎるだけに、なにげない神戸の日常をスケッチすることの喜は、ひとしおしみじみとしたもののようです。
 朝早く起き、弁当を作り、スケッチ用具を肩にかついで出かけるそうです。そして現地への行きかえりもワイワイガヤガヤと楽しく、スケッチに夢中になってお弁当を食べるのを忘れることもあったそうです。また作品をポストカードにした所これが好評、作品展会場で品切れになったそうです。
 無理を言って奥様の作品も掲載させて頂くお許しをいただきました。酒井八郎君の作品と併せてお楽しみ下さい。                        
( 張 志朗 - 記 )

明石中崎公会堂から明石天文台を望む
(酒井八郎)
神戸ハーバーランド赤レンガレストランに
(酒井通子)


伊丹荒牧バラ園にて
(酒井八郎)
伊丹荒牧バラ園にて
(酒井通子)

       

「12期の広場」2月号のラインアップ

桜の木も雪で真白です。
 2月、如月です。最近の口癖が「おおっ寒い!」。外出から帰った時は勿論、暖房の効いた部屋を出る時も入る時もこの言葉が口をついて出てきます。ちじこまって身の丈までが小さくなりそうです。
 大寒を前後して寒波におおわれた関西でも今年の冬の寒さは、ことのほかきびしいものになりました。雪も良く降り、そして積ります。庭の水仙と蝋梅の蕾が寒さにふるえているようです。なんと5cmほどのつららができ、玄関アプローチの枕木までもが霜柱でうきあがる始末です。
 暦は立春が目の前ですが、春はまだ雪のなか、厳冬まっただ中です。
 
 先日、末廣君からお誘いがあって、伊丹市図書館であった「第2回浮世絵師―又兵衛まつり」の講演会に一緒に行ってきました。演題は「生き延びた村重の子孫たち」で、講演者は有岡城(兵庫県伊丹市)城主であった荒木村重の子孫にあたる荒木幹雄氏(山梨県在住。塩山市民病院皮膚科医長)でした。伊丹市は一昨年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の重要な舞台でもあり、個人的には20年間ほど生活した所。大河ドラマの「黒田官兵衛、有岡城幽閉の段」への関心も重なっての講演会参加でしたが、内容は期待にたがわぬ、興味深いものでした。
 まず、講演をされた荒木幹雄氏の古文書調査や現地踏査が真摯で細やか、ねばり強いものであることに感嘆しました。その詳細は割愛しますが、それらを通して「黒田官兵衛は、小寺政職(こでらまさもと)に本来殺害されるところ、有岡城に幽閉されることによって荒木村重に命を助けられ、黒田官兵衛とその子孫の黒田藩主は、代々、荒木村重に感謝をしていた」とする説を主張するに至ったとの話に驚きました。荒木氏は具体的にその多くの根拠を示されましたが、その中でも、黒田家が村重の子孫を家臣にし、その多くを黒田領内(黒田藩と秋月藩)で保護していたとの複数の古文書説明は、説得力十分。もともと、大河ドラマでの官兵衛の有岡城行きと1年にも及ぶ地下牢への入牢、そこからの生還の描き方に釈然としていなかっただけに、そうであったのかもしれないと、この説が腑に落ちました。そのほかにも丹念に拾い上げた古文書調査を通して、広く知られている「通説」を覆す解釈をいくつか聞くことができました。
 世の常として「歴史」の多くが「勝者の歴史観」によるものであるだけに、取り残された多くの古文書や埋もれた「歴史資料」から立ち上がってくる「新」史実は、実に人間くさく、魅力的、今日的であると再認識することができました。また会場には末廣君(大阪福島区歴史研究会事務局長)は勿論のこと、歴史を愛好し研究しておられる多く同年輩の方々が居られましたが、それを目の当たりにしては、意義あることをするわけでもなく、漫然と過ごす時間が多い自身の来し方を、反省することしきりでした。
 
 さてわが「12期の広場」2月号のラインアップは次の通りです。中断していた東京市岡12期会の皆さんの第3回目の「川歩き」が再開されました。お楽しみ下さい。
 
 1.「 川歩き再開 」          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3組  西條 軍蔵
 2.「 第8回市岡OB写真クラブ作品展 」
 3.「 2月の写真 二枚 」
以 上

川歩き再開

3組 西條軍蔵
 
 メンバーの体調不良等があり昨年11月9日(水)に約1年半ぶりに川歩きを開始しました。
メンバーは今回も泉 榎本 大石橋 山田 西條の5人です。三つ目の川は多摩川とし羽田空港近くの天空橋を出発点とし奥多摩湖を目指す予定。

もっとも河口に近い五十間鼻で
今は赤れんが堤防の内側に民家があります


 久しぶりのことと、後期高齢者5名のため初回はウオーミングアップなので軽く歩く予定。
出発して最初の橋が大師橋(川向こうが川崎市の川崎大師) 昔の赤レンガ堤防が残る多摩川の漁師街をぶらり。
 今は堤防も整備され 川原は緑地が続く。 対岸は川崎市、第二京浜の六郷橋を過ぎ京浜急行 東海道線の鉄橋近くの六郷土手駅近辺で昼食とる。
 午後出発頃より北風が強くなり 北に向かう我々には少々こたえる。  多摩川大橋を過ぎ ガス橋、緑地、テニスコート、球技場が多くある。

昼食後、広い緑地の水辺では水鳥が遊ぶ
吹きさらしの河原、河口から12キロ地点


 キャノン本社を右に北風のなかを一生懸命に歩く。しかし昔に較べスピードは遅い。  東海道新幹線の鉄橋近くで最後の休みをとり、丸子橋(中原街道)で警視庁交通係りのおまわりさんに写真シャッターを頼み記念写真とする。

最終地点の丸子橋から対岸の武蔵小杉方面を望む

今回の終着点東急東横線多摩川駅に到着。   
毎度おなじみで楽しみでもある打ち上げのため東横線で二駅先の自由が丘駅近くの和バル「SOU」で乾杯!次回は春の予定として解散した。

お巡りさんは快くシャッターを切ってくれました
道を挟んで建つ丸子橋の記念碑とお巡りさん

第8回市岡OB写真クラブ作品展

 1月19日、恒例の「第8回市岡OB写真クラブ作品展」に行ってきました。会場は昨年と同じ大阪天満宮近くのMGAギャラリーです。
 この日は薄日はさすもののいつ雪が降り出してもおかしくない寒い日。自宅で昼過ぎまでクズクズしながら、午後2時頃にやっと重い腰を上げて出かけました。1年ぶりのOB写真クラブ作品との再会は、やはり興味深く、元気が出るものでした。
 入り口近くに次のあいさつ文がありました。
 「私たち市岡OB写真クラブは市岡高校のOB・OGとその家族や友人たちが集まって、月に一度撮影にでかけ、学校で例会を開いています。旧制中学の卒業生から社会人として忙しく活躍中の会員まで年齢差は30歳あまり、写真を撮ること、見ることを楽しんでいます。第8回を迎え、少し上達したかなあ、というところです。どうぞごゆっくりご高覧ください。仲間入りしようという卒業生は是非どうぞ」
 作品数は出展者18名の36点、小ぶりですが、シックなギャラリーの壁面一杯に力作が展示されていました。作品展を訪れのは今回で4、5回目だと思います。リーダーの中務敦行 ( 高校13期 元読売新聞写真部長 ) さんの指導とクラブ員、皆さんの切磋琢磨の賜物でしょう、すべての作品が、すばらしい出来栄えと感じました。
 会場で当日の当番であった、薮田尹久子(14期)さん、椿良忠(15期)さんのお二人とお話しさせて頂きました。お二人とも市岡高校在学時は写真部だったそうです。椿さんはOB写真クラブ発足時からのメンバー、薮田さんは高校時代から教員時代を含めて写真との縁が切れないと楽しそうに笑っておられました。薮田さんは14期ですから、昨年亡くなった同期の川西君をよく御存じで、彼の思い出話に少々、しんみりでした。
 私は「12期の広場」のホームページ委員になってから、記事用の写真を撮ることが多くなりました。考えてシャッターを押すものの写真の出来は、ピントボケに始まり、肝心要の写したいものにフォカスしていないなあーまでのからっきしです。そんな自分ですから、ことさらに近づいては見、離れては見、メガネをはずしては見るなどして鑑賞させていただきました。
 感性ゆたかに選んだ被写体に、息をこらしてシャッターチャンスを待ち、そしてその瞬間を捉える、そんな思いが伝わり、どの写真も流石の「手練れ」と感心することしきりでした。
 薮田さんの「モネの絵に似た池」は岐阜県関市での撮影で、柔らかくて美しい写真に仕上がっており題名通り、椿さんのハスの葉に溜まった水滴の写真は、葉脈に沿って水に映える光が魅力的でした。市街地の水辺(題名:「魅惑」)とこれまた市街地の窓ガラスの雨しずく(題名:「驟雨」)を撮った山田美代子さん(7期)の写真と、長野県小谷村の秋(題名:秋彩」)、大台ケ原の星空(題名:「夏の夜の夢」)を撮った内山博子さん(15期)の写真が大層印象的で、長野県八方尾根で花にくらいつく蜂の鮮やかなシマシマを撮った里見慶彦さん(15期)の写真の題名に「頑張れタイガース」とあったのには思わず笑ってしまいました。わが同期の高見政博君は「早春の妖精」と「オオヤマレンゲ」の二点、可憐な花の写真を出展していました。当日、会えなかったのですが、傍にいるように感じる、優しくて静かな写真で、妙に納得しました。
 毎回感じることですが、よわいを重ねてもなお盛んな感性と好奇心、写真クラブ皆さんの熱い気持ちに脱帽のひとときで、足どりも軽くなったように会場をあとにしました。
( 張 志朗 - 記 )

2月の写真 二枚

* 昨年の年末に1組の藤本加奈子さんと6組の井東一太郎くんから写真が届きました。
  藤本加奈子さんからの分は海外旅行によく出かけられると聞き、その写真とコメントをお願いしたもので、井東君の分は、彼のアルバムにある写真の中で「珍しい」と思われるものをお願いしたものです。偶然ですが、2枚とも2月の写真です。
 
「南仏のニース海岸のモーニングセット」



 先日は丁重なお電話有難うございました。写真はニース海岸で頂いたモーニングセットです。南仏ニースを拠点に国鉄や路線バスを使い、モナコ、カンヌをはじめマントン(レモン祭り)、ニースのカーニバル、ツウレットシュルール(すみれ祭り)、ランドリューラナプール(ミモザ祭り)などコートダジュールを殆ど廻りました。2月といっても陽光サンサン、波もなく泳いでいる人もいましたよ。来年はまたパリに行く予定です。 ーーー 藤本 加奈子
 
「テーブルマナー」



 高校3年次の卒業間近い2月に「テーブルマナー」の講習会がありました。「百周年記念誌」の「年表」に拠りますと昭和35年2月8日「三年特別講習(美容講話、テーブルマナー)」、11日「三年女子特別講習(午後 テーブルマナー)」とあります。この写真は8日の「テーブルマナー」講習時のもののようです。とすれば、2月11日にも「テーブルマナー」講習はあったのでしょうか。まったく記憶にありません。それはそれとしても、女子が中心のようですが、男子も参加しています。なつかしい写真ですね。誰が誰かわかりますか。井東君の記録によると場所は電気科学館の地下だったそうです。

「12期の広場」新年号のラインアップ

 あけましておめでとうございます。新しい年、2017年がスタートしました。
 「12期の広場」も2011年の開設から満6年が過ぎ、今日、この日から7年目の新しい歩みを始めます。開設時の勢いに比べると、現状、ややかげりがありますが、気持ちだけは新たに頑張るつもりでいますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 76回目の正月です。幼い頃のように、「もういくつ寝るとお正月」と指を折って待ち焦がれたお正月のようにはいきませんが、やはり、この日ばかりはどこか心が華やぎ、しみじみと気持ちがあらたまるものですね。なにより、家族が集まり新年のあいさつを交わし、正月膳を囲むのはうれしいものです。そして、今年1年が平穏でありますよう、家族一同が健康でありますよう、うれしいことが一つでも多くありますようにとささやかに念じたりします。
 私ごとで恐縮ですが、この春、遠くにいる一番上の孫が高校を受験します。特に有名進学校を受験するわけではありませんが、行きたい高校に合格し、有意義な学園生活とすばらしい友にめぐりあってほしいと、「爺馬鹿」よろしく、今からどきどきしています。
 思えば、市岡高校への入学は、まさに筆者の人生のとばくち、と同時にすばらしい恩師と多彩な個性をもった学友にめぐりあい、そして営々と培われた伝統にはぐくまれた高校生活であったようです。その市岡高校が定員割れから存続の危機にあると言いますから、あらためて、いたたまれない気持ちになります。市岡高校は卒業生である私達が拠って立つ所の母校、現役生徒にとっては大切な伝統ある学び舎です。なにがなんでも、この危機を乗り越えられるよう切に願うばかりです。
 正月号ラインアップのカットとしては地味かもしれませんが、 井東一太郎君(6組)が保管しておられた写真を添付します。
 これは1961年1月2日に 桑山貞子さん(2組)の自宅であった同窓生有志の新年会の写真だそうです。高校卒業後1年目の写真ですから、大学入学後または社会人初年の頃のものです。和服も洋服もみなさん良く映えて、なんと華やかで初々しい写真でしょう。女子の殆どは微笑みを浮かべていますが、男子はかたく口を閉じています。新年を迎えて、それぞれの夢と希望と理想に溢れる心情が見て取れ、ただただ懐かしく、心が温かくなります。
 齢をかさねていまや、老境。このまばゆいばかりの若さは望むべくもありませんが、市岡の健児の心意気と初志はいつまでもいつまでも大切にしたいものです。
 
 さて「12期の広場」新年号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
 
1.「あけましておめでとうございます」         12期同窓会代表幹事 酒井 八郎(4組)
2.「写真投稿」― 12期修学旅行 雲仙 旅館 芳仙館           井東 一太郎(6組)
3.「シャソン・コンサート」                               榎本 進明 (8組)
以 上

あけましておめでとうございます

大阪府立市岡高等学校12期同窓会 幹事会       
代表幹事 酒井八郎
 
 12期の皆さん、あけましておめでとうございます。
 昨年、秋の同窓会、福井金治先生、田中順三先生をお迎えして67名が無遅刻、無欠席で開催できましたこと、皆様に感謝申しあげます。
 1年がかりでクラスメイトに連絡をとりながら準備を進めて下さった各クラスの幹事さんに、そして今回は欠席とのハガキを投函されながら、応援してくださった方々にお礼申しあげます。
 同窓会で盛り上がった同窓生のパワーの余韻のおかげか、猛威を奮い始めたインフルエンザの侵入も跳ね除け、新年を迎えることができました。同窓会に感謝!感謝!です。
 会が始まる前の嶋田ハル子(旧姓 杉山 3組)さんのご指導による筋力トレーニング、ご参加いただいた皆さんは、いかがでしたか。その後も筋トレを心がけていることもあって、新年をケガなく、前を向いて歩んでいこうと思います。
 「後期高齢者」と言われると、「老人」になったと思うはずなのに、同窓会での仲間の元気な声に、そんな思いは全く感じられず、毎日、毎日をそれぞれ精一杯生きている様子をつくづく感じました。
 若い時のように跳んだり跳ねたりはできなくても、日々の生活の中で、少しずつ運動を続けていくこと。人との係わりを常に保つことで肉体と心のバランスを良くしていこうと、新年、自分に言い聞かせています。
 春に向けて、母校での豚汁会、4月第2日曜日の「市岡の森」でのお花見会、6月の母校同窓会、秋には東京12期会の同窓会が予定されています。
 後期高齢者になって母校と係わりのある4つの行事に今年は全て参加するつもりです。
 「僕も!!」「私も!!」と一人でも多くの同窓生がご参加下さることを願っています。
 最後になりましたが、毎年「12期の広場」の充実に努力を惜しまず、編集くださる、ホームページ委員の皆様、そしてご投稿下さる同級生の皆様に心から感謝申しあげます。
 新年を迎えて12期の皆様のご健勝と、支えてくださるご家族の皆様のご多幸を謹んでお祈り申し上げます。
2017年  元旦