同期会
2014年4月1日
3月2日(日曜日)お昼12時から母校同窓会の恒例行事である「豚汁会」が100周年記念会館で開かれました。
「豚汁会」は明治37年に校友会の事業として、年一回厳冬の頃を選んで教職員と生徒が共に豚汁を食したのが始まりだそうです。当日のことを書きしるした「100周年記念史」には以下のようあります。「今日はお采は要らぬというわけで御飯だけを持って登校する。・・・お代わりは自由で・・・二杯目からは豚肉の発見はアラスカの金鉱発見より困難といわれた。」
この豚汁会は大正7年、物価高騰のためにやむなく廃止。それ以後、昭和の初めに同窓会主催で一時復活、そしてまた中断。その後に玉田先生や諸先輩の発案もあって現在のような形で再開されたそうです。まさに伝統の行事です。
この日も、旧制中学校の大先輩をはじめ100名近い方々が参加されました。定刻の12時、佐藤同窓会会長の挨拶、乾杯につづいて豚汁会が始まりました。
まずは食堂関係者が心を込めて作ってくれた豚汁を食してから、宴がスタート。各テーブルは旧制中学、新制高校卒業生が入り混じり、楽しく賑やかな歓談でおおいに盛り上がっていました。会の終盤で参加者のショートスピーチがありました。自己紹介にとどめる方や3分間の制限時間を大幅に越える方がおられるなど、爆笑と喝采につつまれ、と同時に大先輩の意気軒昂さに圧倒されての2時間余りでした。
12期の参加者は上野裕通、川村浩一、岸川常正、酒井八郎、塩野憲次、武田博、田端建機、張志朗の各君9名に来阪中であった東京在住の山田正敏君を加えての10名でした。
同期生の皆さんはご覧のようにいたって元気、ひさかた振りの再会で、健康や日頃の生活ぶりなどの話がとぎれることがありませんでした。
会では平成26年度母校新入生の報告がありました。新入生は320名、なんと男女の比率が完全な女子優位で、男子116名、女子204名だそうです。大先輩から「おいおい野球部の新入部員数は確保できるのか」との声がでました。
また「過去4年間の主大学などへの合格者数」資料を頂きました。これによると昨年4月1日判明分で国公立大学合格者が現役・浪人を含めて47名、関関同立合格者が現役・浪人含めて256名でした。一昨年に比べると概ね増加傾向だそうです。豚汁会参加者からは一層の奮闘が必要との率直な声が聴かれました。
会の終了時に吹奏楽部OB・OGバンドの演奏があり、その伴奏で校歌を合唱してお開きとなりました。
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2014年3月1日
凍み大根干し 榎本進明君撮影
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- ローリングストーンズと再生医療と私 8組 辻 紘一郎
- 『写真短信』 二週連続の大雪 8組 榎本 進明
- 3月の修学旅行 (卒業アルバムから)
- 『舞州市岡の森のお花見でお会いしましょう。』
2014年3月1日
昨年の梅雨の最中、ボストン(米国)でのローリングストーンズのコンサートに行った。写真の左側が主役のミック・ジャガー。右側が相棒のギタリストのリース・リチャーズである。3万人を集めた会場は演奏2時間前から興奮の坩堝。開演すると同時にジャンプし、歌い、叫ぶ姿はまさに、ロックンロール。主役のミック・ジャガーは1943年イングランド生まれの70歳1962年から現在まで52年間、スターとして君臨している。
ローリングストーンズのミック・ジャガーこそスターである。あの迫力、あの声、あの汗、あの皺、あの体形。見習わなければならないあの反骨精神。同じ時代に活躍したビートルズが数多くの名曲を残しながら、コンサート活動では圧倒的にローリングストーンズの勝ちである。
このコンサートを見る動機は再生医療にある。毎年、6月にISSCR(国際幹細胞学会)が世界の各地で開催され、昨年はボストンであった。思い出すと、第1回は2003年のワシントンDCであった。その後、ボストン、サンフランシスコ、トロント(カナダ)、ケアンズ(オーストラリア)、フィラデルフィア、バルセロナ、サンフランシスコ、トロント、横浜(第10回)、そして今回の第11回ボストンとなった。全11回のすべてに出席した私。そのプレゼントが今回のローリングストーンのコンサートと日程が一致したことである。
ミック・ジャガーやキース・リチャーズの現役続行中の姿を見て、再生医療の実現に苦悩する自分を重ねて、中断することはできない。二人のように皺を年輪にして、舞台で元気一杯、ハーモニカを吹き、ギターを弾き、ロックするごとく、難病に効く幹細胞を開発して、製造許可・承認をとり、患者さんたちに届けるぞとの思いを強く固める、昨日、今日です。
18年前に癌が見つかり、緊急手術して、この世に戻った私が、無事、定年を越えて広島大学で会社を起こし、10年を経て、20人の研究スタッフと再生医療製品の開発に挑戦できることは夢のようです。国際幹細胞学会(ISSCR)は、今年(2014年)はトロント、2015年(第13回)はストックホルム(スウェーデン)です。
何とかもう一度、元気なローリングストーンに会うためにも、この学会には参加・発表を続けるつもりです。ミック・ジャガーとキース・リチャーズの友情の反骨精神に敬意を表して、今年の2月、3月に8年ぶりに日本にやって来て日本のファンを熱狂させること間違いなしのミック・ジャガーとキース・リチャーズに敬意を表して、私のローリングストーンズコンサート(ボストン2013・6.12)報告と再生医療に20年を費やした私と再生医療への挑戦の序章とします。
次回の投稿は夏頃になるそうです。また辻紘一郎君が勤務する会社のホームページがあります。「株式会社 ツーセル」で検索、是非ご覧下さい。
2014年3月1日
若きサムライたち
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地元銘酒の利き酒コーナー
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大きなかまくらで甘酒作りに精を出す
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開会式の前から神楽で盛り上げる
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2回目の大雪は2月14日(金)で最初より多い28cmの雪でした。
2014年3月1日
高校在学当時の行事で思い出深いものの一つに、昭和34年3月24日から28日までの修学旅行があるのではないでしょうか。(第2班は25日から29日)
4泊5日の行程でしたが、行きの1泊は列車泊、帰りの1泊は船中泊でしたから、正味の旅館泊は2泊です。24日の夕方の国鉄大阪駅を出発、28日は早朝の大阪港着で、目的地は長崎、雲仙、阿蘇、別府でした。
第1班は25日の昼ごろに長崎到着、長崎市内観光をして雲仙で一泊、26日は長崎から熊本へ渡り阿蘇観光、宿泊は別府。27日は別府温泉観光、そして高崎山まで足を延ばしています。夕方に関西汽船の別府航路に乗船し、28日の帰阪でした。
春休みにあたる3月末の修学旅行は、高校生ながらも季節はずれではとの違和感があったのですが、明けて4月からは3年生、仕上げの1年が控えるだけにこの時期しかなかったのかもしれませんね。
「思い出深い」と書きましたが、実の所、思い出は断片的です。卒業アルバムを片手に書いてみました。
当時、旅行をすることなど滅多になかった時代のことですから、地図でしか知らない九州までの5日間はたいそうな長旅です。第1日目は大阪駅集合後、普通車両での12時間をはるかに超える車中泊です。聞くところの最近の修学旅行では考えられない「強行軍」。通路に新聞紙を敷いて寝る学友もいましたが、ワイワイガヤガヤ、寝るどころではありません。それが無性に楽しくただただ浮き浮きしていたことだけはしっかりと覚えています。
長崎はおきまり通り、平和記念像、グラバ-邸、浦上天主堂などの観光。その後、雲仙に入り一泊です。今考えるとそれぞれに語るべきことの多い史跡や名所でしたが、何を見つけ何を感じたのか、はるか忘却の彼方です。
26日、島原半島からフエリ-で熊本県の三角港に渡り、バスで阿蘇に行っています。
やまなみハイウェーを一路、阿蘇山へ。草千里や、噴煙をたなびかせる阿蘇の雄大な景色に目を奪われました。
27日は別府の名所、坊主地獄めぐりと高崎山の猿山に行っています。ごうごうと吹き上がる間欠泉や真っ青な海坊主が記憶にあり、高崎山では「ただ今300匹」の猿の群れにへっぴり腰で餌をやっている個人写真が一枚、残っています。
アルバムの写真を見ると午後3時前後に別府港を後にしたようです。生まれて初めての船中泊。船の名前は「こがね丸」で、比較的大きな船。他の学校の生徒も乗っていたようです。
つまらない記憶ですが、船べりの波が湧きあがるように白く美しいのに、飽きず眺めて気分が悪くなりました。翌早朝、眠い目をこすりながらの帰宅でした。
その他 まとまりがありませんが、幾つかの事を以下に書きます。
① 集合写真を見るとコートを着ている男子、女子が目立ちます。3月末の修学旅行だったせいでしようが、私も着ていました。私にとっては初めてのコート、母が初めて買ってくれたおろしたて。ちょっと大人になった気分でしたね。春先、街中でスプリングコートを目にすると必ずといって良いほど、それを思い出します。
② 当時、他の学校もこの時期に修学旅行をしていたようで、柔道部の猛者であった同窓生に聞くと「一触即発の喧嘩か」という場面があったそうです。そんな事は全くしらなかったのですが、やはり皆さん、血気盛んな高校生だったのですね。
③ 帰りの船に他校の女子高校生も同乗していたのですが、モテモテの某君はその女子高生と夜通し?話をしていていたそうです。これも最近聞いた話で、ほのぼのとした気分になりました。
④ 母校の100周年記念史によると、3月が主の修学旅行は昭和45年位まで続いています。それ以降は10月や3月となっており、目的地も信州など九州以外が目立ちます。平成9年からさらに遠距離になり、平成12年は北海道ニセコ高原、平成15年はなんとグアムです。
さてさて、皆さんは修学旅行のどんな思い出やエピソードをお持ちでしょうか。投稿して下さい。
![]() 行きの車中泊。誰やここまで来て勉強か! ![]() あちこちから温泉が噴き出しています。(雲仙) ![]() 阿蘇山頂の写真と思うのですが。 ![]() 別府地獄めぐり。 |
![]() 浦上天主堂(長崎)熱心にガイドさんの説明に聞き入っています。 ![]() 雲仙ロープウエイ前での集合写真 ![]() 帰りの船上、ほっと一息の先生方 |
2014年2月24日
2013年8月17日(土)に、ホテル阪急インターナショナルにて「46期☆もうすぐ卒業20周年同窓会」を開催いたしました。
当日の様子を写真でご紹介します。
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2014年2月1日
「えべっさん」に「どんど焼き」、あっと言う間の1か月で、今日から2月です。寒さは一段と厳しくなり、老境にあっては「春よこい、早くこい」が正直なところ。普段の生活に徐々に染まりながらの日常が甦ってきました。
幼馴染からの賀状によると、今年を含めてこれからは「楽しみが多い」とありました。①地上300mの「あべのハルカス」の全面開業が、2014年3月、②東京五輪・パラリンピックが2020年開催、③リニヤー新幹線が2027年開業予定。加えて④リニヤーの大阪までの開業予定が2045年とあり、「喜寿」を過ぎ、「傘寿」の頃がオリンピックで、「米寿」近くでリニヤー開業だそうです。流石にリニヤーの大阪開業予定時のことは書いていませんでしたが、その元気とポジティブ思考には「恐れ入谷の鬼子母神」。思わずのにんまりです。お調子者の私としてはオリンピックに合わせて東京で同窓会を開催できるかも?などと考えてしまいます。目前のソチ冬季五輪・パラリンピック開催、さらに大好きなサッカ-ワ-ルドカップ。確かに「楽しみが多い」のは間違いありませんね。
昨年ハッピーリタイヤメントした同窓生から「光陰矢のごとしが実感されます。急がなくては!」とあり、別の同窓生から「老い支度、大変です」。全くの同感です。別の同窓生は昨年「3月に台湾一周、8月にロシヤ・南サハリン・ウオーキングを満喫」、そして登山や複数のボランティア活動と年末の落語会、矢沢永吉コンサートで「笑い、全身を揺り動かした」ありましたから、まさにパワー全開。是非これからも元気にそうありたいと思います。
昨年に続き更に力強い自筆で「元気にリハビリをがんばっています」とあったのは一昨年に脳梗塞を患った友から。またがん闘病中の友からは「病院への強制収容が年中行事・・・ポイントカードがあれば、そろそろ一回くらいはただになるのに」などと笑い飛ばす言葉が届き、胸が熱くなりました。
年末はあまりのいそがしさに年賀状を出すのにアップアツップの状態だったこともあり、拝受した今年のすべての賀状が、殊更に身と心にしみました。
粛々とした日常にこそ大切な糧があるようで、感謝、感謝の一言。 2月も精一杯やるぞ–。
さて「12期の広場」 2月号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
2014年2月1日
昨年の2月号で2年次の8組の学級文集「烏合の衆」を紹介しました。その際、これが12期唯一の学級文集であると書きましたが、誤りであったようです。
今、私の手元に3年5組の文集「独白」第2号があります。これはカナダ在住の山本久美子(旧姓 古荘)さんが大切に保管されていたものを無理をお願いして送っていただいたもので、末尾に1960年8月7日発行とあります。
2年8組の学級文集「烏合の衆」が在学時の文集であったに対して、この「独白」は3年5組の皆さんが卒業後にクラス同窓会の一環として発行された文集のようで、初めて知って手にした時、大層驚き、また感激しました。
B5版で48ペ-ジのざら半紙のガリ版刷り、表紙はご覧のように橙色でそれに合わせた布ひも綴じになっています。54年前の発行ですから用紙はすでにまっ茶色ですが、印字はいまだに褪せることなくしっかり読めます。
巻頭に以下の文章があります。
『4か月たって僕等は集まった。懐かしい僕等の文集「独白」の上で、遠く離れているが、いや離れていないかな。どんなに遠くにいても僕等はまだハイティ-ンだし、まだ殆ど変っていないもの――「今日は」と皆に話しかけよう。それでも僕等はどんどん変わって行く。そんな時、この文集はどうしているだろう。皆に忘れられ、二才で?三才で?その命を絶ってしまうのか、それとも、どんどんたくましく育って行くのか、本当に面白い事だと思います。』
文集に投稿している同窓生の数は近況報告を含めて23名。3年5組の卒業者数が44名(平成16年名簿による)とすれば半数以上が投稿していることになります。内容も論文に近いものから随想、詩、手紙、小説風のものなど多様です。よくこれだけのものをまとめたものだと舌をまきながら、5組の同窓生の皆さんのまとまりのよさに感じ入ります。
『独白』によれば高校卒業後の進路は、めでたく大学入学を果たした人、就職した人、病を得て病気療養している人など、それぞれですが、高校時代とは異なり社会人としての自意識が強く芽生えたさまがよく現われているように思えます。
2014年2月1日
大阪府立市岡高等学校のOB・OGの写真愛好者が集まって写真を楽しむ作品展が1月16日(木)から21日(火)にかけて開かれました。
場所はMAGギャラリ-(地下鉄南森町下車5分)。写真クラブが10年前に発足以来、今回が5回目の開催です。寒い中、ご覧になられた方の数が約200名、そのほとんどが市岡ゆかりの方々で、日と時間によっては狭い会場がほぼ一杯になるなど、なかなかの盛会でした。
作品展には20名の作品(一人2枚ずつ)、モノクロ写真、カラ-写真の合計40点が展示されていましたが、すべて詩情あふれる力作、メガネを取ったり付けたりしながらしっかり楽しませて頂きました。私達12期の関係では生物の平賀正男先生、高見政博君が出展されていました。
作品は実に多彩。写真教室やクラブの作品展などの場合はどうしてもある傾向が透けて見える場合があるそうですが、写真のテ-マは勿論のこと、モチ-フやそのアングル、撮影手法に加えてカラ-やモノクロなど、写真にずぶの素人の私ですら、その個性とバリエ-ションに引き込まれながらに見続ける事ができました。同窓であるとの贔屓目があるとしても、どの写真からも撮影されたOB・OG皆さんの想いがはっきり伝わってくるのが不思議。さらにどれをとっても写真撮影に没頭し、またそれを楽しんでいるのが良く分かり、写真の奥深さの一端をかいま見た感じです。
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2014年1月1日
新しい年のスタートです。除夜の鐘を聞き、テレビのカントダウンコンサ-トを見ながら年を越すと、年の瀬の喧騒が潮が引くように消えて行き、静かに気持ちがあらたまるのが不思議。また例年通り元日の膳を囲み、おめでとうとあいさつすると今年も良い年でありますようにと願わずにはおれません。
年年歳歳、このことを幾たび繰り返してきたのだろうかと思いながら、齢を重ねてなお、このように自然と心が定まるのは、やはり新春を迎えた喜びやそれへのささやかな期待のなせるわざのように思えます。
幼い頃の凧揚げ、コマ回し、羽根つきなどは私の住むニュ-タウンではもう見かけませんが、着飾って初詣に向かう人々の晴れがましい姿を目にすると正月を実感しますね。
私は今年もおとなしく寝正月。仕事をしている身なれば、この間十分な英気を養い、そこそこのスタ-トダッシュなどをと「妄想」しています。
「広場」も新年号です。巻頭の写真は泉信也君撮影のもの、書は稲葉勝也君によるものです。是非にとお願いして載せました。
「満堂佳気陽春」は稲葉君にあげてもらった候補の中から選ばせてもらった文字で、陽春には少し時間が必要ですが、温かい春よ早く来いとの思いをも込めて書いて頂きました。候補の中に「釣月耕雲」があり、個人的には捨てがたいと思いましたが、稲葉君は「その心境にはまだまだ早い」と笑っていました。
その通りですね。フェ-ドアウトするにはまだ時間があるようです。一昨日と明後日はさておくとしても、健康第一に今日を精いっぱい生きることが大切であることだけは間違いありません。年末の流行語大賞の中に「今でしょ」がありましたが、真面目に考えてまさに「今でしょ!」と強く思っています。
さて新年号のラインアップは以下の通りです。メインは同窓会代表幹事の酒井八郎君、副代表幹事の末廣訂君、北浦昌子さん、段中文子さんのメッセ-ジです。お楽しみください。
また4年目を迎えた「12期の広場」を今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
- おめでとうございます。 4組 酒井 八郎
- 馬耳東風と宜しくね 2組 北浦 昌子
- 今年も元気で 8組 末廣 訂
- 今年も充実した1年になりますよう。 5組 段中 文子
- 年の瀬風景写真いろいろ
- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
林芳子(リム パンジャ)さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: