お知らせ
2011年
2011年8月1日
「12期の広場」 8月号のラインアップ
暑中お見舞い申し上げます。
8月になりますが、東日本大震災・原発事故・放射能汚染・食の安全・節電・熱中症、いろいろなものに「慣れ」が生じてくるころで危ない状態だと感じています。
その中で女子サッカーワールドカップ優勝はさわやかでした。「あきらめない」の一言が印象に残っています。ともすれば悪い状態に「慣れ」が出てくるころを見計らったように「勇気」を与えていただきました。我々12期生の古希を迎える年代にも「あきらめない」「まだまだやれる」気持ちをわき起こしてくれました。
8月号は「利根川 川歩き」の特集です。「あきらめない」「まだまだやれる」を実践した人たちが遂に最終地点に辿り着いた様子が書かれています。9回にわたる全シリーズを書いていただいた川合兵治君には心から敬意を表します。また参加者6人全員からそれぞれ感想文をいただきました。あわせてご覧いただき、お楽しみいただきたいと思います。
以下が8月号のラインアップです。(敬称は省略します)
- 「第9回利根川 川歩き」 4組 川合 兵治
- 「利根川源流に到達して」 8組 山田 正敏
- 「利根川を歩いて」 8組 榎本 進明
- 「利根川歩き雑感」 5組 泉 信也
- 「利根川 川歩き感想」 6組 大石橋 宏次
- 「利根川歩きつれづれ」 3組 西條 軍蔵
- 「川歩きのおまけ」 8組 榎本 進明
2011年8月1日
第9回利根川 川歩き(平成23年5月9日~11日)

4組 川合 兵治
バンザーイ!!
平成19年10月31日に河口の銚子をスタートしたこの利根川歩きも、足掛け4年の歳月を経ていよいよ(当面の最終目的地)八木沢ダムに向かう日が来た。(当面の最終目的地)というのは、八木沢ダムに堰き止められた神秘的なムードが漂う「奥利根湖」の先にあるといわれている利根川源流までの残り約20キロの行程はボートを必要とし、沢登り、岩登りありの道なき道を行くことになり、古希を迎えた体には冒険が過ぎるということで断念した次第である。また日を改めて、別ルートで源流を確認する案も出ているが、「利根川歩き」としてはこれが最終回となる。
また今回は、3月11日に発生した東日本大震災被災状況も配慮し、予定を延期する意見も出たが、「だからこそ元気を示そう」ということで川歩きは決行することにしたが、当初計画していた12期全体の希望者を募っての湯檜曽温泉での大打ち上げ会は取りやめとした。

1日目 台風1号がフィリピンはルソン島近辺で発生し、その影響が危惧される中、全員5時起床で元気いっぱいJR水上駅に午前9:20集合。そこから水上高原スキー場、藤原スキー場、宝台樹スキー場などのある奥利根スキー場群の入り口「大穴スキー場」近くの前回最終地点、大穴変電所前(河口から約259キロ)までバスで移動、側のコンビニで昼飯の弁当などを調達し、10時にスタート。熊が出る可能性があるということで、西條は用意してきた小さなカウベル、川合は道端に置き忘れられていた熊除けの鈴を鳴らしながら、榎本は呼びこの笛を時々吹きながら、平均勾配約7度のバス道を歩く。この日は心配した台風1号の影響は全くなくピーカン。標高600メートル前後あるこの行程の5月は、鮮やかな新緑と満開のさくら、さらには八木沢ダム途上にある奥利根三湖のうち二つ、藤原ダムの藤原湖と須田貝ダムの胴元湖にゆったりと貯えられた水のエメラルドグリーンに彩られ、所々で利根川の清流に接することができ快適そのものであった。
お蔭で大過なく(期待していた?熊に出会うこともなく)午後2時過ぎには一日目の宿「民宿やぐら」に到着。早速民宿の露天風呂を満喫。夜は近辺で獲れたという月の輪熊のクマ鍋で精をつけ、山菜料理を愉しむ(普段でも、民宿の直ぐ近辺まで熊や野ざるがエサを獲りに出没し、奥利根名物?のマムシも徘徊し、地元の人は今でもサル以外は折りにふれて食べるという)。
(さらに…)
2011年8月1日
「利根川 川歩き」源流に到達して

8組 山田 正敏
この計画は、モトモトなにか飲み会の席で川合の突拍子の無い発案から始まった。大河を河口から源流まで河の土手を徒歩で行くというのである。まさか実現するなどとは真剣に考えもせず安易に賛成したが、榎本が加わり、泉も乗ってきてとうとう実現の運びとなってしまった。さて、どの河にするネンということであるが、思い切って坂東太郎の異名を持つ日本第二、関東最大、最長の大河「利根川」に決定した。
その第1回目は2,007年10月30日利根川河口の銚子に近い犬吠岬の京成ホテルで壮行会を兼ねて一泊し、翌日の第1日:歩行距離30キロ。宿泊は潮来のホテル。翌々日の第2日:歩行距離20キロで終点はJR成田線神崎駅で解散するという計画であった。壮行会と1日目は泉が仕事の都合で出られず、1日目の夜、潮来のホテルで合流ということで当初メンバーは川合、榎本、山田の3人で始まった。その後、大石橋、西條の参加を得て総勢6名。そして、4年の歳月を経てとうとう今年2,011年 第9回目(5月9日~11日)の5月10日最終目的地点「八木沢ダム」の標高856Mの提頂に到達した。(八木沢ダムは利根川水系最上流、最大のダムで、提高131M、提頂長352M、提頂幅7.9M、提頂標高856M、有効貯水容量175,800,000㎥。)
本当の利根川源流は大水上山の頂上であるが、それには、八木沢ダムに堰き止められた奥利根湖を、ボートを仕立てて10KM行き、そこから、水平距離10KM、標高差1,076Mの沢登りをしなければならず、我々の登山技術ではとても無理だと判断し「八木沢ダム」を終点とした。
(さらに…)2011年8月1日
利根川を歩いて-川合君のリーダーシップ-
8組 榎本 進明
正直、私はリタイアするかもしれない、そして続くとは思わなかった。利根川全長322kmは、322kmに意味があって、それはウォーキングコースを毎日7km歩くと46日で踏破できる。それで利根川の長さを歩いたことになる。実際に地球を一周しなくても40,000kmをどこで歩こうが地球を一周したのと同じ距離になるのと似ている。そんなことを考えていた。
しかし、川合君の情熱には負けた。河口から連続して歩かなければならない。利根川を歩いたことにはならない。利根川を区間に区切って暑いときには涼しい上流を歩いたり、たまには下流に下ったり、最終的には全区間を踏破しても歩いたことにはならない。そんなことは一切許さない。実に律儀で河口から上流に向かって一歩一歩ひたすらに上流を目指す。まるで鮭の遡上のように反則は許さない。このリーダーシップに私はついていったのである。
私は第2回と第3回は不参加だったが、川合君と山田君の二人は完歩した。しかし、山田君の日程が合わず参加が危ぶまれたときがあった。それは第8回のときで、山田君は「皆の都合のいい日にしてくれ」と言ったが、川合君は全区間踏破が途切れるのは良くないと言って皆に声を掛けて調整した経緯もあった。もちろん皆は山田君の日程を最優先にしたが、結果的には山田君が日程を空けることに成功して事なきを得たのだった。

この川歩きは第9回で最終となったが、12泊21日を一緒に過ごして、やはり河口からひたすら上流を目指したことに意義があったのだなとつくづく思う。そして、歩いているときも、宿でも、温泉での裸の付き合いでも、語らいがあり絆が深まっていったのは言うまでもない。
いま回想するとひとつ一つ懐かしさがこみ上げてくる。市岡12期生としてこんなに長く寝食を共にしたことはなかった。一大イベントだったのだなぁと思う。
(さらに…)
2011年8月1日
利根川歩き雑感

5組 泉 信也
「利根川を河口の犬吠岬から源流まで歩き通しました」等と云っても大抵の人はその苦労や喜びを分かってくれない。それで良いのだ、それにしてもこういう途方もないことを考えつくのは市岡のDNAなのか、その上俺も一緒にという輩が6人もいたのも驚きだ。
家康は秀吉に三河の領地を召しあげられ関東に国替えになった時、泣き言を言わず、彼の地には開拓の楽しみがあると言ったそうだが流石の慧眼である。農に始まり、工商の集積そして今につながる人と文化、この豊かさをもたらしたのが利根川の流れだ。足掛け5年、雨にもめげず、風にも負けず、暑さ寒さもなんのその、良い仲間に恵まれてその日本一の流域の景観と歴史を心ゆくまで楽しめたのは秘かな誇りだ。もちろん土地土地のご馳走や疲れた足を癒してくれる温泉も忘れられない。
心残りは源流の一滴を見ていないことだ。もと山岳部のエキスパートにガイドしてもらっても沢を最後まで詰めるのは無理のようだ。越後側から大水上山に登って源流に下ると云う手がある。全員で行こう、そして次は荒川だ。
2011年8月1日
利根川 川歩き感想

6組 大石橋 宏次
9回にわたる利根川河口から源流に至る川歩き(私は8回ですが)を終えて、強い達成感に浸っています。子供時代を関西で過ごした私は淀川、大和川などなど関西の川にはなじみ、親しみがありましたが、成人後東京に来たため、あまり関東の川には親しみを持つことはありませんでした。
今回の利根川歩きを通じて、川沿い各地の風景や人々、古い宿、点在する旧跡などに接し、これまで味わったことのない感動を覚えました。そしてこの川が親しみを超えて、好きになりました。
こんな機会を与えてくれた川合君、榎本君、そして楽しくまた厳しい時に支えながら共に歩いてくれた泉君、山田君、西條君に心から感謝しています。
次回(荒川?)が楽しみです。そして参加者もさらに増えればと願っています。
(さらに…)2011年8月1日
利根川歩きつれづれ

3組 西條 軍蔵
同窓会の二次会で飲んだ数人とのなかで利根川歩きに参加を勧められ 皆について行けるものか心配だったが第6回から参加した。それが私にとっては初体験なのだがいきなり上州空っ風の洗礼をうけ参った。しかし夜のうなぎと酒はうんまかった!
第7回は熱中症と戦いながらの死の行進。第8回は川歩きとゆうより半分山登りの気分だった。疲れを癒した宝川温泉は最高!雨上がりの虹はきれいだった。
そして最終回第9回はダム湖をみながら八木沢ダムで万歳 バンザイ!!と叫びましたね。露天風呂と熊なべ等など一人では決して出来ないことをすばらしい仲間と達成できたことに多々感謝である。有難う!!これからもよろしく願います。
2011年8月1日
川歩きのおまけ
第9回の帰りの列車の中での話。次はどこにしようかということになって「荒川」と決まった。 荒川の源流は標高2475mの甲武信(こぶし)岳直下にあり、約2200mから湧き出る水を最初として、東京湾まで流れ出る延長173kmの川である。秩父側から水源まで歩いて辿り着けるかは調査をしていないが、登山になることには間違いない。
そんな話をしていると、もともと登山に自信のない山田と川合も今まで登ったことのない高尾山なら登りたいと言ったので、急遽計画することになった。標高599mで六甲山よりはるかに低い山を、往復ケーブルカーを使って登ることにした。 このケーブルカーは、高低差271メートルを一気に1分強で昇り降りする日本最急勾配30度8分のケーブルカーである。 |
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男性は利根川メンバー6人に加え、高尾山に近い地元八王子の萩原君(8組)、そして女性4人、杲田さん(2組)、高谷さん(2組)、坂野さん(2組)、藤原さん(1組)を誘い、総勢11人で7月14日(木)登ることになった。 |
2011年7月20日
旭日中綬章を受章された永井 博さん(昭29年卒)より
永井 博さんよりお礼のことばを頂いております。
平成二十二年春、はからずも旭日中綬章受章の栄光に浴しました。
これ偏に、平素より長年公私にわたりご芳情を恭うしている皆様のご支援、
ご交誼の賜物と深く感銘しているところでございます。
また、その節にはご鄭重なご祝詞、ご芳志を賜り身に余る光栄と感謝、感動を 新たにしている次第でございます。
これを一つの機としまして、今後ともさらなる奉仕の精神を燃やし、地域社会の発展、振興に微力を揚げて参りたい所存であります。
何卒、これからも一層のご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ私のご挨拶と致します。
永井 博
永井 博氏 昭和29年3月 卒業 平成22年 春 旭日中綬章受章 元 大阪市会議員 西区選出 (写真:旭日中綬章)
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2011年7月13日
高40期 収支報告書と写真/DVD-R送付のご案内
大阪府立市岡高等学校第40期生 第一回40期生同窓会参加者 各位
同窓会委員 期代表 藤田優子
またこの度の東日本大震災の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。 さて、昨年末は、「市岡高校40期生同窓会」を開催致すことができ、総勢154名(恩師7名、40期生147名)の出席を持ちまして、盛況に終えることができました。これもひとえに皆さまのご協力の賜と心よりお礼申し上げます。
「第一回40期生同窓会」の収支報告書と写真データ(DVD-R)、集合・クラス写真を参加者の皆様へお送りさせて頂きましたので、ご査収くださいますようお願い致します。 皆様のご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます。
- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
林芳子(リム パンジャ)さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: