お知らせ
2013年
2013年3月1日
「なにわ福島ものがたり」 の紹介(福島区歴史研究会30周年記念誌)
先日、末廣訂君から「なにわ福島ものがたり」を送っていただきました。
これは福島区歴史研究会が発足30周年に際して発刊された記念誌で、B5版、全236ペ-ジからなる労作です。
福島区歴史研究会は「12期の広場」でもたびたび、お世話になっています。昨年掲載しました「古地図展」は福島区歴史研究会が主催団体の一つ、武田博君の「ジエ-ン台風」の話しもやはり歴史研究会の「災害展」の準備やその資料収集が下地になっています。また同窓生である末廣訂君、武田博君の両名が会員であると同時に、そのほかの会員に母校の先輩や後輩方がおられ、市岡高校と浅からぬ縁がある研究会でもあります。
「なにわ福島ものがたり」の表紙デザインは、大阪市中央図書館所蔵の『浪華の賑ひ三篇』、それに『野田ふじ』の紫色をグラデ-ションにしてかぶせています。
歴史研究会の記念誌ですから、専門的、場合によれば学術的な「堅い書籍」ではと思ったのですが、実際、手に取ると、題名そのままの由緒深く、懐かしく、そして感銘を呼ぶ「なにわ福島ものがたり」なのです。なにより、福島区に生まれ育ち福島を愛する気持ちにみちあふれた本であること。間違いありません。
巻頭部一連の寄稿文に続いて、「遺稿・村から町へ『鷺洲』のうつりかわり」から「芦分紀行-近世福島区域をめぐる」までの大目次が12編。いずれも個性的な切り口で読ませます。
(さらに…)
2013年2月5日
OBOGバンド演奏会のご案内
演奏会のご案内♪
この度、私ども大阪府立市岡高等学校吹奏楽部OB・OG
皆様お誘い合わせの上、お気軽にお越し下さいませ。
大阪府立市岡高等学校吹奏楽部OB・OGバンド第5回定
○日時
2013年2月24日(日)
13:30開場 14:00開演
○場所
クレオ大阪北
http://
阪急「淡路駅」東出口より徒歩約10分
大阪市バス「東淡路1丁目」より徒歩約3分
○曲目
♪ロシアン・クリスマス / A.リード作曲
♪吹奏楽のための詩曲「はてしなき大空への讃歌」 /
♪Far and Away~遥かなる大地へ~ / J.ウィリアムズ作曲
♪ジャパニーズ・グラフィティⅥ~日本レコード大賞、青
UFO/魅せられて/シクラメンのかほり/襟裳岬
♪アンサンブルステージ 他
○入場無料
○お問い合わせ
ichioka_obband_con@mail.go
○ホームページ
http://kisekinotsubomi.jp/
映画やTVで使用されている曲や皆様ご存じの曲等、今回
アンサンブルステージでは昨年行われました第39回大阪
また、開演前13:45頃より前座演奏を予定しています
★☆皆様のご来場を団員一同心よりお待ちしております☆
2013年2月1日
「12期の広場」2月号のラインアップ
さて「12期の広場」2月号のラインアップです。
昨年、3組の高橋要君から「『烏合の衆』は第2号で終わりだったっけ」と彼が大切に保管していた2年8組の学級文集「烏合の衆」1,2号を手渡されました。ガリ版刷り、B5版ホッチキス止め製本で茶色に変色して、縁はボロボロと欠け落ちそうです。
50数年前の貴重な文集で、同窓会再開後、30数年間捜していたものだけに、よくぞ残してくれていたと、感謝感激です。12期の学級文集としては唯一のもの。それが残っていました。
「12期の広場」今月号は「烏合の衆」から次の記事の転載とします。お楽しみ下さい。
- 「ママは重すぎる」-(「烏合の衆2号」から) エエ 男
- 詩 「朝」-(「烏合の衆2号」から) 作者 不明
- 「侘 言」-(「烏合の衆2号」から) 作者 不明
- 「我が輩は猫である。」-(「烏合の衆1号」から) 山元 賢治
追記:
山元賢治君はすでに鬼籍に入っています。
この原稿は編集有志であった彼が「楽しい記事も必要」と考えて執筆してくれたもので、夏目漱石の「我が輩は猫である」のパロディ風文章として2年8組では大好評でした。運動神経のかたまりのような彼から突然のように溢れでた、滑らかな文章とその優しさや、ユ-モアに驚かされました。
2013年2月1日
ママは重すぎる
私は食事がすむと風呂に入った。風呂の窓から外を見ると、ママは火鉢にあたりながら、こっちを向いて私を待っていました。家に帰ってからこの時、初めてママの顔をみたのです。
これまで私はずっと不機嫌面を守り通していましたが、私を大事にしてくれるママに対してこんな態度をとるべきではないと思いながらもママのおしかぶさってくる様な愛情には耐えられなかったのです。
私のこの男性的なタクマシイ肩にもママは重すぎる。(ママは11貫足らずの5尺女だがね。)
あなたのお母様は何貫位の重さがありますか。
2013年2月1日
朝
「わっ! もう7時15分過ぎか。もうちょっと寝ていよう。」
とその時。
「アッチャン、起きなさいよ」と母の声
「あー、にくらしいなあ」
「ううーん」とたよりない返事。
そのまま5分位のうたた寝。
その時の気分の良いことったら。
夢心地とはこんな時をいうのであろう。
「さあ、早く起きなさいよ」ともう一度母の声。
「ふあい。」と今度はちょっぴり元気な声で
「一、二、三。」で起きあがった
「さあ、今から私の今日が始まったのだ」
いそいで洗顔、ご飯を食べ、服を着替え
ああ、なんと忙しいことか、ハンカチ、チリ紙
そらそら そらそら手袋。これで忘れ物なし。
「さあ、では行って来ます!」
満員電車にゆられて
学校へ。

2013年2月1日
侘言(わびごと)
「人間はあわれむべきものではない。尊敬すべきものだ。=ゴーリキ=」この言葉の横に友はつけ加える。「尊敬=飼犬の頭をなでてやる時に感じるくすぐったさ。」私には何もわかりはしない。自分で自分が信じられない。信じられるのは他人のみ。友の言葉がいやに尊大に聞える。それを又私は喜んでいるのだ。
元旦に立てる一年の計「今年は無知であること」と友に云う。「今年は何も考えたくない。人間は深く考えずに生きることができますわね。」
友は答える。「考えを途中で打ち切ればいい。簡単。でも理由は?虚栄心。」私には何も云えない。信念がないから。
「知れば知るほど疑問を生じる=ゲーテ=。」この横にも友のしっかりしたペンが走っている。「知れば知るほど嫌気がさす。脳細胞の無事を望むなら無知であること。」
試験がくればよけいに考えたくなる。考えは最も時間を有効に使いはたす。つまり精神的反発を緩和すると云う有効さに。明日は絶対に白紙答案を提出しようと決心する。その夜の気楽さ。明朝真剣な顔で単語帳をくる友を見ると決心がぐらつく。そうだ、それでいいのだ。だが妙な時だけおろかな信念を貫き通そうとする。でも本当に強いのかと云うとそうではない。何々考査となると白い答案に向かって自分の頭を恥じ、苦しまぎれの文字を書きつらね昨夜の自分を恨む。
(さらに…)2013年2月1日
吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前はピー公。例の三毛と違って立派な名前である。色は黒。現在生まれて二ヶ月である。しかし自分としてはもう一人前、いや一匹前だと思っている。
我々の大先輩である三毛殿はものの本で読んだ所によると、井戸にはまって死んだそうであるが、吾輩はそんな死に方はしたくない。もう死ぬ時期が来たら(あくまでもしであって現在の吾輩には毛頭死ぬ気などない)吾輩は絹の布団を五・六枚重ねた上に寝て、人間共の手厚い看護を受け、その甲斐もなく大往生を遂げる。この様な死に方なら吾輩も満足だし、又そうなりたい。
ここで吾輩の飼主の家族を紹介しておこう。
先ず主人であるがこの人は非常に怒りっぽく、吾輩が膝の上にあがる時には必ず顔色を見てから上がることにしている。商売は自動車のパーツ屋。個人商店としては相当羽振りも良いらしい。次に奥さん。奥さんは直接吾輩を引き取って世話をしてくれるのであって非常に吾輩を可愛がってくれる。つづいて主人の令息。つまり奥さんの息子でもある。この息子とくると、吾輩を可愛がってくれているのか、いじめているのか、皆目判らない。吾輩の最も苦手な人である。吾輩は息子が来るとなるべく敬遠して逃げようと試みるがいつも捕まってしまう。捕まったら最後尻尾を掴まれ逆さまにつるし上げをくらひ其の上二・三回ふり回わされ、あげくの果てには畳にぶちつけられる。こんな事を四・五回続けられるのであるからたまらない。腰がふらふらしてうまく立てない。この息子が吾輩をいじめている時、奥さんは止めてくれるのであるが、何と云っても相手が余りに若すぎるので仕方がない。(まだ五才六ヶ月)
(さらに…)2013年1月31日
東京市岡会名誉会長「松原治氏を偲ぶ会」のご案内
紀伊国屋名誉会長で東京市岡会の名誉会長を務めて頂いていた松原治氏が昨年の年明けに(平成24年1月3日)に身罷られて早1年が過ぎました。
つきましては「松原治氏を偲ぶ会」を開催致したいと思います。お忙しいこととは存じますが、多数の方のご出席を賜れれば幸いです。
■開催日時:2013年3月2日 PM 1時~
■開催場所:新宿
川野宛のメールお待ちしております。
東京市岡会事務局:川野安男
連絡先:yasuo-kwn(at)kyj.biglobe.ne.jp
2013年1月1日
「12期の広場」 新年号のラインアップ
新しい年のスタ-トです。
謹んで新春のお喜びを申し上げます。また今年も「12期の広場」で精一杯に頑張りたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
ほんの数日前まで、街にはポインセチアの真紅と緑が溢れていましたが、今日は門松です。
すっくとたてられた竹と松、やわらかい紅白の葉牡丹にちらばるように添えられた南天。『難を転じる』と言われる朱色の南天が目に鮮やかです。
考えてみればこうしてお正月を迎えるのが、なんと72回目(午年の人は71回目)になるのですね。(念のためですが、0才で一度目を迎えていますから、年齢プラス1です。)日数で言えば2万6千余日、時間に直すと63万時間以上です。悠久の地球の歴史に比せばほんの一瞬とは言え、長い年月をかけて、今ここに至っているわけです。
であればなおさらのこと、清々しい気持ちと希望をもって新年を良い年にしたいと願わずにはいられません。
「苟(まこと)に日に新たに、日々新たに、また日に新たなり」
この言葉が新春を迎えた筆者の気持ちに寄り添うようにして腑におちます。
齢をまたひとつ重ねる今、あらためてこの言葉をかみしめながら、一年をすごすことができればと考えています。
さて今年最初の「12期の広場」ラインアップは、以下の通りです。お楽しみください。
- 「あけましておめでとう」 挨拶文 4組 酒井 八郎
年賀状 1組 上原 澄子
6組 松田 修蔵
8組 村崎 裕昭 - 「2012同窓会会計報告書」
- 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」 7組 児嶋 雄二
- 「荒川安子さんの書を見て」
2013年1月1日
あけましておめでとうございます。
12期の皆様、そしてご家族の皆様、明けましておめでとうございます。
昨秋の同窓会は、たくさんの方々の応援を受け、無事開催することができました。幹事会を代表して心から感謝申し上げます。
新年は大多数の同窓生が7回目の「巳年」ということで神社への初詣も、いつもより多いかもしれませんね。
神戸では「生田さん」「楠公さん」と親しまれる、三宮の生田神社、神戸駅前の湊川神社、それから西の長田神社が、老いも若きも、たくさんの人で賑わいます。「この一年、福をさずかりますように」の願いをこめてのお参りの仕上げは、柳原のえびす神社です。
昨年のNHKテレビの清盛で福原周辺にならんで観光客の参拝が増えた兵庫の厳島神社の近くに住んでいますが、結婚当時は、神社の通りを挟んで南に住まいしていたこともあり、子供達は神社の境内で大きくなった感じで、まずは厳島神社へ、そして湊川神社への初詣コ-スができていました。昭和40年代の神戸の新年は『ボゥ-』『ボゥ-』と一斉に鳴り出す港の船舶の霧笛で始まりました。教員時代は、その霧笛を聞きながら、教え子への年賀状を書いていましたが、「今は昔」の感があります。
新年を迎え、上原澄子さん(1組)、松田修蔵君(6組)、村崎裕昭君(8組)が皆さんへの年賀状をしたためてくださいました。ご覧ください。
今年が同窓生の皆さんにとってより良き年になりますよう願っています。
西田昭夫先生からの伝言『いつまでもお元気で!!』
代表幹事 酒井 八郎
村崎裕昭君(平塚市在住)からの年賀状 |
松田修蔵君(大阪市在住)からの年賀状 |
HP委員から
上原さんと電話でお話したときに高校時代のテニス部の頃、宮崎郁子さんとダブルスを組んで近畿大会で優勝したこと、全国大会でベスト8であった事をお聞きしました。その表彰状を保管しているとのことでしたので、是非にとお願いし送っていただきました。下の写真がその賞状です。
- 「市岡高校18期生同窓会」について
川端一平さんより: - 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
吉川初恵さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: