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0年

ママは重すぎる

エエ男

 ママは重すぎる。

 私はママと二人暮らし。父はママが28才の時、死んだ。それ以来ママは私の為を思って独身を通し、女手一つで現在の此の一人前の私?にまで育ててくれました。

 ママは私を非常に可愛がってくれるので困ります。

 今晩は映画を見てきました。星が沢山輝っています。夜の11時の街を一人口笛を吹きながら帰って来ると、家の2階のスリガラスの窓に、私かどうか確かめに窓を開けるママの姿が映った。

 私は、下を向いてママを見るのを避けて戸を開いて部屋に入ったのでママの顔を見ずにすみました。

 ママは商売をしているから家に帰って来るのはいつも9時過ぎ。今日もそうだったろうに、階下におりて来て、お汁を暖め、お茶をわかしてお茶を出してくれようとしたが、私はお茶を断った。そうしたら風呂をわかしてくれました。

烏合の衆第1号の表紙です。「市岡高2ノ8」を帯のようにして男女が肩を組み、踊っていますね。加藤訓子さんのデザインです。彼女のデザインセンスが光る表紙で、今でも新しい。

 私は食事がすむと風呂に入った。風呂の窓から外を見ると、ママは火鉢にあたりながら、こっちを向いて私を待っていました。家に帰ってからこの時、初めてママの顔をみたのです。

 これまで私はずっと不機嫌面を守り通していましたが、私を大事にしてくれるママに対してこんな態度をとるべきではないと思いながらもママのおしかぶさってくる様な愛情には耐えられなかったのです。

 私のこの男性的なタクマシイ肩にもママは重すぎる。(ママは11貫足らずの5尺女だがね。)

 あなたのお母様は何貫位の重さがありますか。

「ペンギン、ペンギン、うれしいな。」
「わっ! もう7時15分過ぎか。もうちょっと寝ていよう。」
とその時。
「アッチャン、起きなさいよ」と母の声
「あー、にくらしいなあ」
「ううーん」とたよりない返事。
そのまま5分位のうたた寝。
その時の気分の良いことったら。
夢心地とはこんな時をいうのであろう。
「さあ、早く起きなさいよ」ともう一度母の声。
「ふあい。」と今度はちょっぴり元気な声で
「一、二、三。」で起きあがった
「さあ、今から私の今日が始まったのだ」
いそいで洗顔、ご飯を食べ、服を着替え
ああ、なんと忙しいことか、ハンカチ、チリ紙
そらそら そらそら手袋。これで忘れ物なし。
「さあ、では行って来ます!」
満員電車にゆられて
学校へ。


侘言(わびごと)

 近頃「道化」という言葉がふと思い出される。何もない、理由なんてない。ただこの言葉が何か私にふさわしい様なそんな気がしてふと口ずさんでみるだけ。「太宰治は私の今の気分にぴったりします。人は不健康だと云いますが、私もそうですね。」

 これに友は答えてくれた。「太宰治は頽廃的ではありません。真に敬虔な人でなければあの様な文学を生み出すことは出来ないはずです。『表現より深いものを感じとること』。やたらに自己をあまやかす非を改めようと思います。」

 うすぐらい燈のもとで「人間失格」を読み返す。最初に読んだ時のあの胸がなる様な嫌気、自己嫌悪、自分の生活がまるで偽りの道化であるかの様な錯覚。そんなものは今は感じない。やはり友は正しい。中学三年の時のあの幼い感情、それを今までひしと抱き続けた自分のおろかさよ。でも、その時の自分の方がずっと可愛い、成長。これは成長ならばなければよい。つまらない事を針小棒大に悩み時間の浪費を心がけるのが成長ならば。
烏合の衆第2号の表紙です。作者は1号同様加藤訓子さんです。何か分かりますか?そうです。私達が使っていた教室の机です。古く、重たく、座るとプレッシャーを感じました。ガリ版で×を使っての表現には驚きました。

 「人間はあわれむべきものではない。尊敬すべきものだ。=ゴーリキ=」この言葉の横に友はつけ加える。「尊敬=飼犬の頭をなでてやる時に感じるくすぐったさ。」私には何もわかりはしない。自分で自分が信じられない。信じられるのは他人のみ。友の言葉がいやに尊大に聞える。それを又私は喜んでいるのだ。

 元旦に立てる一年の計「今年は無知であること」と友に云う。「今年は何も考えたくない。人間は深く考えずに生きることができますわね。」

 友は答える。「考えを途中で打ち切ればいい。簡単。でも理由は?虚栄心。」私には何も云えない。信念がないから。

 「知れば知るほど疑問を生じる=ゲーテ=。」この横にも友のしっかりしたペンが走っている。「知れば知るほど嫌気がさす。脳細胞の無事を望むなら無知であること。」

 試験がくればよけいに考えたくなる。考えは最も時間を有効に使いはたす。つまり精神的反発を緩和すると云う有効さに。明日は絶対に白紙答案を提出しようと決心する。その夜の気楽さ。明朝真剣な顔で単語帳をくる友を見ると決心がぐらつく。そうだ、それでいいのだ。だが妙な時だけおろかな信念を貫き通そうとする。でも本当に強いのかと云うとそうではない。何々考査となると白い答案に向かって自分の頭を恥じ、苦しまぎれの文字を書きつらね昨夜の自分を恨む。

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吾輩は猫である

山元 賢治

 吾輩は猫である。名前はピー公。例の三毛と違って立派な名前である。色は黒。現在生まれて二ヶ月である。しかし自分としてはもう一人前、いや一匹前だと思っている。

 我々の大先輩である三毛殿はものの本で読んだ所によると、井戸にはまって死んだそうであるが、吾輩はそんな死に方はしたくない。もう死ぬ時期が来たら(あくまでもしであって現在の吾輩には毛頭死ぬ気などない)吾輩は絹の布団を五・六枚重ねた上に寝て、人間共の手厚い看護を受け、その甲斐もなく大往生を遂げる。この様な死に方なら吾輩も満足だし、又そうなりたい。

 ここで吾輩の飼主の家族を紹介しておこう。

 先ず主人であるがこの人は非常に怒りっぽく、吾輩が膝の上にあがる時には必ず顔色を見てから上がることにしている。商売は自動車のパーツ屋。個人商店としては相当羽振りも良いらしい。次に奥さん。奥さんは直接吾輩を引き取って世話をしてくれるのであって非常に吾輩を可愛がってくれる。つづいて主人の令息。つまり奥さんの息子でもある。この息子とくると、吾輩を可愛がってくれているのか、いじめているのか、皆目判らない。吾輩の最も苦手な人である。吾輩は息子が来るとなるべく敬遠して逃げようと試みるがいつも捕まってしまう。捕まったら最後尻尾を掴まれ逆さまにつるし上げをくらひ其の上二・三回ふり回わされ、あげくの果てには畳にぶちつけられる。こんな事を四・五回続けられるのであるからたまらない。腰がふらふらしてうまく立てない。この息子が吾輩をいじめている時、奥さんは止めてくれるのであるが、何と云っても相手が余りに若すぎるので仕方がない。(まだ五才六ヶ月)

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「12期の広場」 新年号のラインアップ

 新しい年のスタ-トです。

 謹んで新春のお喜びを申し上げます。また今年も「12期の広場」で精一杯に頑張りたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 

 ほんの数日前まで、街にはポインセチアの真紅と緑が溢れていましたが、今日は門松です。

 すっくとたてられた竹と松、やわらかい紅白の葉牡丹にちらばるように添えられた南天。『難を転じる』と言われる朱色の南天が目に鮮やかです。

 考えてみればこうしてお正月を迎えるのが、なんと72回目(午年の人は71回目)になるのですね。(念のためですが、0才で一度目を迎えていますから、年齢プラス1です。)日数で言えば2万6千余日、時間に直すと63万時間以上です。悠久の地球の歴史に比せばほんの一瞬とは言え、長い年月をかけて、今ここに至っているわけです。
であればなおさらのこと、清々しい気持ちと希望をもって新年を良い年にしたいと願わずにはいられません。
 

  卒業50周年記念文集「みをつくし」の最後に、7組の上野裕通君の提案で「苟日新、日日新、叉日新」(原典-『大学』)を引用しました。

 「苟(まこと)に日に新たに、日々新たに、また日に新たなり」

 この言葉が新春を迎えた筆者の気持ちに寄り添うようにして腑におちます。

 齢をまたひとつ重ねる今、あらためてこの言葉をかみしめながら、一年をすごすことができればと考えています。 

 

 さて今年最初の「12期の広場」ラインアップは、以下の通りです。お楽しみください。

 
  1. あけましておめでとう」     挨拶文   4組  酒井 八郎
                        年賀状   1組   上原  澄子
                               6組   松田  修蔵
                               8組   村崎  裕昭
  2. 2012同窓会会計報告書
  3. ふるさとは遠きにありて思ふもの」     7組  児嶋 雄二
  4. 荒川安子さんの書を見て」            
 
以 上

あけましておめでとうございます。

 12期の皆様、そしてご家族の皆様、明けましておめでとうございます。

 昨秋の同窓会は、たくさんの方々の応援を受け、無事開催することができました。幹事会を代表して心から感謝申し上げます。

 新年は大多数の同窓生が7回目の「巳年」ということで神社への初詣も、いつもより多いかもしれませんね。

 神戸では「生田さん」「楠公さん」と親しまれる、三宮の生田神社、神戸駅前の湊川神社、それから西の長田神社が、老いも若きも、たくさんの人で賑わいます。「この一年、福をさずかりますように」の願いをこめてのお参りの仕上げは、柳原のえびす神社です。

 昨年のNHKテレビの清盛で福原周辺にならんで観光客の参拝が増えた兵庫の厳島神社の近くに住んでいますが、結婚当時は、神社の通りを挟んで南に住まいしていたこともあり、子供達は神社の境内で大きくなった感じで、まずは厳島神社へ、そして湊川神社への初詣コ-スができていました。昭和40年代の神戸の新年は『ボゥ-』『ボゥ-』と一斉に鳴り出す港の船舶の霧笛で始まりました。教員時代は、その霧笛を聞きながら、教え子への年賀状を書いていましたが、「今は昔」の感があります。

 新年を迎え、上原澄子さん(1組)、松田修蔵君(6組)、村崎裕昭君(8組)が皆さんへの年賀状をしたためてくださいました。ご覧ください。

 今年が同窓生の皆さんにとってより良き年になりますよう願っています。

 西田昭夫先生からの伝言『いつまでもお元気で!!』

 
大阪府立市岡高等学校 第12期同窓会幹事会
代表幹事  酒井 八郎
 

村崎裕昭君(平塚市在住)からの年賀状

松田修蔵君(大阪市在住)からの年賀状


上原澄子さん(沼津市在住)からの年賀状

 12期の同窓会、出席出来なくて残念でした。先日電話をいただき、早速北村先生に電話をいたしましたところ、懐かしい字のお手紙と一緒に「読書感想文」を送っていただきました。セピアカラ-の原稿用紙の字も、文も、懐かしく、最後の1年5組大川澄子という文字にじ-んときました。

 北村先生に感謝いたします。私は藤村の「破戒」を読んでいました。

 私が「大川澄子」だった頃の大切にしている賞状を二枚送ります。セピアカラ-になっていますが、大切にしまってあります。来年の年賀状も同封します。

12月9日   上原 澄子


 HP委員から

 上原さんと電話でお話したときに高校時代のテニス部の頃、宮崎郁子さんとダブルスを組んで近畿大会で優勝したこと、全国大会でベスト8であった事をお聞きしました。その表彰状を保管しているとのことでしたので、是非にとお願いし送っていただきました。下の写真がその賞状です。


 

2012市岡高等学校第12期同窓会 会計報告書

入金の部
会費 本会・二次会の参加者入金 52名 ¥364,000-
  本会のみの参加者 14名 ¥ 77,000-
  当日二次会参加申し込み 2名 ¥  3,000-
写真送料(希望者のみ) 59名 ¥ 29,500-
通信協力の寄付金その他(切手を含む)   ¥ 34,130-
    合計 ¥507,630-

出金の部
会場費・ホテルクライアント 支払い(本会・二次会) ¥416,500-
お土産(焼き菓子) ¥  8,450-
先生用リボンの補充 ¥    787-
会議費 ホテルクライアント 2回   ¥ 15,400-
通信費 案内状発送等   ¥ 49,080-
  写真発送   ¥  5,880-
写真代 ¥ 23,320-
印刷代 (特別講演資料)   ¥  7,940-
  (写真保存用CD作成)   ¥  2,000-
事前欠席者 会費返却(1名) ¥  7,000-
  合計 ¥536,357-
差し引き残高 507,630-536,357= -28,727-
結果、¥28,727-の赤字となりました。


卒業50周年基金の残金を含めての「同窓会一般会計残高」 ¥ 252,544-
 
「2012同窓会会計」赤字は上記「同窓会一般会計残高」から引き当てするものといたします。
したがって2012年12月1日現在、「同窓会一般会計残高」は以下の通りです。
                                                          ¥ 223,817-
 
以上ご報告いたします。
        2013年 12月 1日
 
                大阪府立市岡高等学校 第12期同窓会 幹事会
                         代表 幹事   酒井 八郎 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

7組   児嶋 雄二 

 市岡でどんなことを学んだのだろうか、と思い起こそうとしてもなかなか出てきません。ただ、僅かに神沢先生の、日本近代詩の流れを辿る授業で知った、室生犀星の詩集『抒情小曲集』中の一篇「小景異情その二」が、何故か、深い水底から気泡が浮かび上がってくるかのように思い出されることがあります。犀星がこの抒情詩に詠み込んだ寂寥や哀切の想いが、当時、多感な少年期にあった私の琴線に強く触れたせいでしょうか。

 

 ところで、昨今、世間の話題の中心にあるのは、際立つマスメディアへの露出で注目を浴びる橋下徹さんではないでしょうか。私にとっては、かつて勤めた古巣の職場で、市長の椅子に座ってその一挙一動が報道される人物だけに尚更関心があるのです。

 以下は、OB全般の思いではなく、また市長の方針の下に職務を遂行している現役市職員が感じていることでもありません。あくまでも私個人の考えに過ぎないのですが、その行政手法の特色は、こういうことだと思います。

 その第一は、タレント弁護士時代に身に付けた巧みなメディア戦略を駆使していることです。自分が「不都合・不要」と判断した対象をメディアの前で繰り返し徹底的に叩く。社会が閉塞状況にあるだけに、捌け口を求めている人々がこれを見て溜飲を下げ、共感を覚えていく。このように当面の目的とするところを実現し得る環境を整えていく訳ですが、その政治感覚ないし技術は見事と言う他ありません。

 しかし、その手法には社会の多様性を認めようとする姿勢が余り見えません。橋下さんの改革・見直しにかける熱意は認めますが、市民生活に密接に関係することが多いだけに、その実施に当たっては、長期的・体系的な見通しの下に精緻な評価・検証作業をオ-プンな場ですることが必要だと思います。これまでに、このような作業が現実に橋下改革において行われていると聞いたことは有りませんが、いずれにせよ、この点に関わって橋下改革の評価も決まってくることになるでしょう。

 それから、これはよく言われることなのですが、オ-ケストラとか美術館、或いは大阪が世界に誇りうる伝統芸術・文楽とか南港の野鳥公園への対処のように、どうも文化行政が金銭的な収支計算を最重要視して取り扱いが決められているのではないか、と感じます。


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荒川安子さんの書を見て

 昨年の11月27日、川村浩一君を誘って「第52回璞社書展」に行ってきました。

 主催は「書道研究 璞社」、後援は読売新聞大阪本社・読売テレビ・大阪市で、年1回の開催ですから52年にわたる書展です。作品は「書道研究 璞社」の役員、正会員、準会員、公募の部と数え切れません。会場の大阪市立美術館地下展覧会室1,2,3室のすべてを使っての展示でした。

 私がこの書展に行ったのは、同窓生の荒川安子さん(3年1組)から案内状を頂き関心をもったからです。意識して書展に行くのは二度目。特に今回は市岡高校在学時代に書道をお教えいただいた江口大象先生にお会いできるかもとの期待もありました。

 会場に到着後、早速、荒川さんの暖かい出迎えを受けました。荒川さんとは電話で何回か話をさせていただいていましたが、卒業35周年記念同窓会以来の再会で元気印そのものです。江口先生がいらっしゃるということでまずは先生にご挨拶。

江口先生の作品の前で記念撮影です。
荒川さんの右側が江口先生です。

 短い時間でしたが私達の在学時代、書道のほかに国語も担当しておられたことなど当時のなつかしいお話を聞かせていただいたばかりか、1月に開かれる「第57 回 現代書道二十人展」(2~8日東京松阪屋上野店、10~15日高島屋大阪店、26~2/3日名古屋松阪屋)招待券を頂戴しました。江口先生は、この書展を主催された璞社の会長であるとともに、日本の代表的な現代書家のお一人です。

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「12期の広場」 12月号ラインナップ

 今年は何かにつけて「身近に感じたこと」があります。まだまだ元気だと思っていたのに体調を崩してしまったこと。いよいよ自分にも来る時が来たのかと身構えて丁寧にお付き合いをしています。

 次に、10年以上前の同窓会で8組辻紘一郎君からお話を聞いていた「再生医療」もIPS細胞がノーベル賞を受賞して、マスコミ等の丁寧な解説を聞いて一気に身近になりました。遠い夢の様な感じで脳裏の片隅にあったのですが、表舞台に現れてすっきりとしたのは筆者だけでしょうか。

 また、10月の同窓会での6組小野義雄君の講演で「宇宙」が身近に感じるようになりました。宇宙は大きくて「地球はどこに浮かんでいるのだろう」と単純に不思議だったからそれ以上追求するのをやめて逃避していました。今は宇宙をもっと利用出来ないかと夢は膨らみます。

 そして11月の解散劇です。政治が身近に感じるようになりました。今までは「高度な政治的判断」という高級な言葉に惑わされて、わけが分からず政治が遠くにありましたが、大阪発「第3極」がとりざたされて、わかりやすくなりましたね。高級な言葉より実践がわかりやすくしたようです。昭和30年代後半に「大阪に行って勉強して来い」と言われた時がありました。いま再びそのようなときが訪れたと実感しましたね。

 いよいよ今日から12月。選挙の月でもあります。大阪発の結果も楽しみです。大阪から日本を良くするとなれば、古希を過ぎた筆者としてはもうひと頑張りせずにはいられない。来年はそんな年になるのかもしれません。

 

 12月号のラインアップは次の通りです。お楽しみください。

 
  1. 同窓生近況短信(最終)」-出欠返信書から-
  2. 第21回兵庫市岡歩こう会       6組  高見 政博
  3. 日曜日の尋ねびと             3組  高橋 要
  4. 生月島漂流記               6組  駒崎 雅哉
 
以 上