12期の広場
2017年1月1日
あけましておめでとうございます。新しい年、2017年がスタートしました。
「12期の広場」も2011年の開設から満6年が過ぎ、今日、この日から7年目の新しい歩みを始めます。開設時の勢いに比べると、現状、ややかげりがありますが、気持ちだけは新たに頑張るつもりでいますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
76回目の正月です。幼い頃のように、「もういくつ寝るとお正月」と指を折って待ち焦がれたお正月のようにはいきませんが、やはり、この日ばかりはどこか心が華やぎ、しみじみと気持ちがあらたまるものですね。なにより、家族が集まり新年のあいさつを交わし、正月膳を囲むのはうれしいものです。そして、今年1年が平穏でありますよう、家族一同が健康でありますよう、うれしいことが一つでも多くありますようにとささやかに念じたりします。
私ごとで恐縮ですが、この春、遠くにいる一番上の孫が高校を受験します。特に有名進学校を受験するわけではありませんが、行きたい高校に合格し、有意義な学園生活とすばらしい友にめぐりあってほしいと、「爺馬鹿」よろしく、今からどきどきしています。
思えば、市岡高校への入学は、まさに筆者の人生のとばくち、と同時にすばらしい恩師と多彩な個性をもった学友にめぐりあい、そして営々と培われた伝統にはぐくまれた高校生活であったようです。その市岡高校が定員割れから存続の危機にあると言いますから、あらためて、いたたまれない気持ちになります。市岡高校は卒業生である私達が拠って立つ所の母校、現役生徒にとっては大切な伝統ある学び舎です。なにがなんでも、この危機を乗り越えられるよう切に願うばかりです。
正月号ラインアップのカットとしては地味かもしれませんが、 井東一太郎君(6組)が保管しておられた写真を添付します。
これは1961年1月2日に 桑山貞子さん(2組)の自宅であった同窓生有志の新年会の写真だそうです。高校卒業後1年目の写真ですから、大学入学後または社会人初年の頃のものです。和服も洋服もみなさん良く映えて、なんと華やかで初々しい写真でしょう。女子の殆どは微笑みを浮かべていますが、男子はかたく口を閉じています。新年を迎えて、それぞれの夢と希望と理想に溢れる心情が見て取れ、ただただ懐かしく、心が温かくなります。
齢をかさねていまや、老境。このまばゆいばかりの若さは望むべくもありませんが、市岡の健児の心意気と初志はいつまでもいつまでも大切にしたいものです。
さて「12期の広場」新年号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
1.「あけましておめでとうございます」 12期同窓会代表幹事 酒井 八郎(4組)
2.「写真投稿」― 12期修学旅行 雲仙 旅館 芳仙館 井東 一太郎(6組)
3.「シャソン・コンサート」 榎本 進明 (8組)
「12期の広場」も2011年の開設から満6年が過ぎ、今日、この日から7年目の新しい歩みを始めます。開設時の勢いに比べると、現状、ややかげりがありますが、気持ちだけは新たに頑張るつもりでいますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
76回目の正月です。幼い頃のように、「もういくつ寝るとお正月」と指を折って待ち焦がれたお正月のようにはいきませんが、やはり、この日ばかりはどこか心が華やぎ、しみじみと気持ちがあらたまるものですね。なにより、家族が集まり新年のあいさつを交わし、正月膳を囲むのはうれしいものです。そして、今年1年が平穏でありますよう、家族一同が健康でありますよう、うれしいことが一つでも多くありますようにとささやかに念じたりします。
私ごとで恐縮ですが、この春、遠くにいる一番上の孫が高校を受験します。特に有名進学校を受験するわけではありませんが、行きたい高校に合格し、有意義な学園生活とすばらしい友にめぐりあってほしいと、「爺馬鹿」よろしく、今からどきどきしています。
思えば、市岡高校への入学は、まさに筆者の人生のとばくち、と同時にすばらしい恩師と多彩な個性をもった学友にめぐりあい、そして営々と培われた伝統にはぐくまれた高校生活であったようです。その市岡高校が定員割れから存続の危機にあると言いますから、あらためて、いたたまれない気持ちになります。市岡高校は卒業生である私達が拠って立つ所の母校、現役生徒にとっては大切な伝統ある学び舎です。なにがなんでも、この危機を乗り越えられるよう切に願うばかりです。
正月号ラインアップのカットとしては地味かもしれませんが、 井東一太郎君(6組)が保管しておられた写真を添付します。これは1961年1月2日に 桑山貞子さん(2組)の自宅であった同窓生有志の新年会の写真だそうです。高校卒業後1年目の写真ですから、大学入学後または社会人初年の頃のものです。和服も洋服もみなさん良く映えて、なんと華やかで初々しい写真でしょう。女子の殆どは微笑みを浮かべていますが、男子はかたく口を閉じています。新年を迎えて、それぞれの夢と希望と理想に溢れる心情が見て取れ、ただただ懐かしく、心が温かくなります。
齢をかさねていまや、老境。このまばゆいばかりの若さは望むべくもありませんが、市岡の健児の心意気と初志はいつまでもいつまでも大切にしたいものです。
さて「12期の広場」新年号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
1.「あけましておめでとうございます」 12期同窓会代表幹事 酒井 八郎(4組)
2.「写真投稿」― 12期修学旅行 雲仙 旅館 芳仙館 井東 一太郎(6組)
3.「シャソン・コンサート」 榎本 進明 (8組)
以 上
2017年1月1日
大阪府立市岡高等学校12期同窓会 幹事会
代表幹事 酒井八郎
12期の皆さん、あけましておめでとうございます。
昨年、秋の同窓会、福井金治先生、田中順三先生をお迎えして67名が無遅刻、無欠席で開催できましたこと、皆様に感謝申しあげます。
1年がかりでクラスメイトに連絡をとりながら準備を進めて下さった各クラスの幹事さんに、そして今回は欠席とのハガキを投函されながら、応援してくださった方々にお礼申しあげます。同窓会で盛り上がった同窓生のパワーの余韻のおかげか、猛威を奮い始めたインフルエンザの侵入も跳ね除け、新年を迎えることができました。同窓会に感謝!感謝!です。
会が始まる前の嶋田ハル子(旧姓 杉山 3組)さんのご指導による筋力トレーニング、ご参加いただいた皆さんは、いかがでしたか。その後も筋トレを心がけていることもあって、新年をケガなく、前を向いて歩んでいこうと思います。
「後期高齢者」と言われると、「老人」になったと思うはずなのに、同窓会での仲間の元気な声に、そんな思いは全く感じられず、毎日、毎日をそれぞれ精一杯生きている様子をつくづく感じました。
若い時のように跳んだり跳ねたりはできなくても、日々の生活の中で、少しずつ運動を続けていくこと。人との係わりを常に保つことで肉体と心のバランスを良くしていこうと、新年、自分に言い聞かせています。
春に向けて、母校での豚汁会、4月第2日曜日の「市岡の森」でのお花見会、6月の母校同窓会、秋には東京12期会の同窓会が予定されています。
後期高齢者になって母校と係わりのある4つの行事に今年は全て参加するつもりです。
「僕も!!」「私も!!」と一人でも多くの同窓生がご参加下さることを願っています。
最後になりましたが、毎年「12期の広場」の充実に努力を惜しまず、編集くださる、ホームページ委員の皆様、そしてご投稿下さる同級生の皆様に心から感謝申しあげます。
新年を迎えて12期の皆様のご健勝と、支えてくださるご家族の皆様のご多幸を謹んでお祈り申し上げます。
2017年 元旦
2017年1月1日
6組 井東 一太郎
修学旅行は2年生の時なので,難波先生は5組です。前半24~28日と後半25~29日に分かれて同じコースを旅行。写真を見ても,この旅館(雲仙―芳仙館)で泊まった記憶もないのだが,写真を見てやはり,泊まったんだという証ですね。皆さんのご記憶はいかがですか。
※ 懐かしい写真ですね。とは言ってもこんな写真があったことさえも記憶にありません。早速井東君にお会いし、お持ちのアルバムを見せていただきました。
これ以外にも下の二枚の集合写真を保管しておられたので送っていただきましたので、ご覧ください。
―― HP委員 記
大分の高崎山です。写真左下に猿が映っています。餌をやろうとして追いかけられたことを想いだしました。

長崎の平和記念像の前ですね。
2017年1月1日
8組 榎本進明
東京12期会会長である大石橋君の令夫人(あい美沙子さん)のシャンソンコンサートが昨年の11月27日(日)に開催されました。朝は晴れ、午後は夕方から雨になるとの予報。その通りになったが小降りであったので濡れずにすみました。このコンサートは毎年行われています。今年で何回目かは聞き漏らしたが筆者は5~6回しか参加していない。ご夫婦で参加したのは5組10人。西條君は奥様がシンガポール旅行中で残念ながらお一人での参加でした。
シャンパーニュという名のシャンソン専用の会場は新宿御苑の近くにあって、そこのオーナーから今年はソロコンサートを提案されたそうですが、横浜の仲間である男女1名に協力していただいて3名で行われました。
コンサートはプログラム通り進行しましたが、あいさんが司会・進行役で、特に歌の初めにそれを選んだいきさつやエピソード・思い出を話されたイントロも印象に残りました。その一部を紹介します。また、夫君宏次君への感謝の思いをこめたプログラムにもなっていました。
- ☆待って・・・この歌はシャンパーニュの先代オーナーであられる矢田部道一さんの訳詩でありますが、とても男性が訳したと思えない歌詞で驚きます。”待って、入るのは着替えが済むまで、待って、裸なのお風呂上がりだから”から始まる歌詞は色っぽくて、聴く人に次の展開を想像させるみごとな出だしです。ドキドキ感に思いっきり浸らせて、期待させて・・・。最期には ”いいわよ、どうぞ!” と彼を部屋に招き入れる辺りはみごとな終わり方です。
- ☆人の気も知らないで ☆陛下お茶をどうぞ・・・この2曲は吉住法子さんの訳詩、作曲になりますが、こころざし半ばで残念なことに他界されました。生前先生から「あいさんは自分にあった曲をじっくり歌っていくと、良い歌い手さんになると思いますよ」と言って頂いていました。
- ☆人の気も知らないで・・・淡谷のり子さんが歌われて有名な曲ですが吉住法子さんは一番原曲に忠実に訳しましたとの事でした。年下の男性に恋をしてしまった女性のストレートな女心が共感を呼びます。
☆ケ・サラ・・・有名なカンツォーネなのですが、今回は伊東ゆかりさんが歌っておられる日本語版が、とても今の私の心に染み入りましたので、こちらで歌わせて頂きました。 ♪ ”見えない明日を夢みて、喜び悲しみ歌い続けるそれが私の人生” で締め括りますが、そうなんです。2月肺癌手術から生還してくれた夫に感謝と、これから二人で終活に向かって行く私の人生そのものなので、ラストソングに選ばせて頂きました。この様に歌はその時の聴く人の心に響き、少しでも心に残せればこんなに嬉しい事はありません。私のモットーは”有名にならなくてもいい、自分らしさが伝えられる味のある歌い手になりた~~い”です。
今回も素晴らしい歌とトークで観客を楽しませてくださったあい美沙子さんでした。筆者も家内も余韻をもって小雨の中を二次会の会場に向かいました。
二次会は11人全員参加でにぎやかでした。あい美沙子さんを中心にシャンソン談義。観客も多かったし大成功だった。と思いきや、本人は反省するところ大とのことで、後日談では帰宅後は寝付かれず一睡もせずに夜が明けたと話してくれました。でも二次会では、12期生とその奥様も交えての飲み会に大はじゃぎされていました。エンタテナーに徹していただいたと解釈しています。宴も終盤近くになって、10月23日に結婚50周年を迎えた筆者夫妻の金婚式に皆さんが乾杯して祝ってくれました。来年は1組、再来年以降は次々と金婚式を迎えるペアがいらっしゃって、皆で「二人そろって長生きしよう」と盛り上がったところでお開きとなりました。2016年12月1日
12月、師走です。「もう12月か・・ 」と時の流れの速さに驚きながら、口をついて出るこの一言が正直な今の心境です。
先日、関東地方を中心に気象観測が始まって以来、初の11月の積雪がありましたね。その写真を横浜在住の同窓生が送ってくれました。右の写真がそれです。今年の冬は寒さが厳しい冬になるとの予想で、寒がりの筆者としては気が重くなります。
真っ赤に紅葉していた近くの街路樹も今は丸裸、その落ち葉が寒風にからからと音をたてながら舞っています。繁華街でも恒例のイルミネーションがあちこちで始まりました。百貨店やその周辺はクリスマス飾りとポインセチアの赤と緑が溢れています。街も人も背中を丸めるようにしておおつごもりへとまっしぐらの感じ。何をするわけではないのですが、せわしなく追い立てられるように思うのは筆者だけでしょうか。
さて「12期の広場」も今年最後の号です。
10月の同窓会の余韻を残した構成になりましたが、「世間しらず」さんがリレー投稿に「つれづれに ⑤ 」を投稿してくれました。題名は「つもり10条」です。市井に生きるさりげない言葉が並んでいますが、なかなかどうして味わい深いものですね。
カナダのトロント在住の山本久美子(旧姓 古荘)さんが日本に里帰りされました。1年振りの再会です。12名の同窓生が集まり、彼女を囲んで歓迎食事会が開かれました。それを川村浩一君が書いてくれました。
お楽しみ下さい。
1.「同窓会幹事会が開かれました」
2.「山本さん(旧姓 古荘)を囲んで」 ……………………………… 8組 川村 浩一
3.「つれづれに ⑤ -つもり十条- 」 ……………………………… 「世間しらず」
先日、関東地方を中心に気象観測が始まって以来、初の11月の積雪がありましたね。その写真を横浜在住の同窓生が送ってくれました。右の写真がそれです。今年の冬は寒さが厳しい冬になるとの予想で、寒がりの筆者としては気が重くなります。
真っ赤に紅葉していた近くの街路樹も今は丸裸、その落ち葉が寒風にからからと音をたてながら舞っています。繁華街でも恒例のイルミネーションがあちこちで始まりました。百貨店やその周辺はクリスマス飾りとポインセチアの赤と緑が溢れています。街も人も背中を丸めるようにしておおつごもりへとまっしぐらの感じ。何をするわけではないのですが、せわしなく追い立てられるように思うのは筆者だけでしょうか。
さて「12期の広場」も今年最後の号です。
10月の同窓会の余韻を残した構成になりましたが、「世間しらず」さんがリレー投稿に「つれづれに ⑤ 」を投稿してくれました。題名は「つもり10条」です。市井に生きるさりげない言葉が並んでいますが、なかなかどうして味わい深いものですね。
カナダのトロント在住の山本久美子(旧姓 古荘)さんが日本に里帰りされました。1年振りの再会です。12名の同窓生が集まり、彼女を囲んで歓迎食事会が開かれました。それを川村浩一君が書いてくれました。
お楽しみ下さい。
1.「同窓会幹事会が開かれました」
2.「山本さん(旧姓 古荘)を囲んで」 ……………………………… 8組 川村 浩一
3.「つれづれに ⑤ -つもり十条- 」 ……………………………… 「世間しらず」
以 上
2016年12月1日
11月22日午後5時から、大阪のお初天神近くの「がんこ」で今年最後の同窓会幹事会が開かれました。主旨は、10月に開かれた同窓会の会計収支報告の確認と撮影した写真の仕分けとその発送準備、それから4月以来の同窓会準備とその実施でご苦労された幹事さん達の懇親でした。
ここには各クラス幹事さんが参加されました。
1組は鈴木政子(旧姓 酒井)さん、高橋三和子(旧姓 平田)さん、八島節子(旧姓 軽矢)さん、2組は北浦昌子(旧姓 小寺)さん、山西邦子(旧姓 西海)さん、藤田克子(旧姓 山下)さん、峰松幸子(旧姓 二口)さん、3組は石井孝和君、清水誠治郎君、4組は酒井八郎君、原清明君、古藤知代子さん、5組は稲葉勝也君、段中文子(旧姓 高田)さん、6組は武田博君、畠平雅生君、7組は上野裕通君、田端建機君、張志朗、8組は川村浩一君、末廣訂君、八島平八君の22名でした。
まず、2016同窓会の盛会と参席して下さった恩師の先生方と67名の学友への感謝、4月以来の幹事さんのご苦労へのねぎらいを込めて、副代表幹事の末廣君が乾杯の音頭をとりました。
次に会計担当幹事の原君と古藤さんから同窓会会計報告がありました。
今同窓会の収入は660,000円(同窓会会費と寄付金合計)、支出は650,176円(ホテルへの支払、通信費などの事務費、写真代など)で、9,824円の黒字でした。残金は同窓会会計に繰り入れとなりました。
また幹事会では同窓会参加者へ送るための写真の仕分けを行い、発送準備をしました。写真と会計の収支決算報告書は同封して後日、発送されました。
同窓会から1か月ですが、幹事さん22名が集うとさながらミニ同窓会、やはり楽しいものです。同窓会の写真やその後のグループの集いの写真などを見ながらの話題で盛り上がりました。
最後に代表幹事の酒井八郎君から、次回の同窓会に向けて頑張ろうとの主旨の発言がありました。幹事全員から賛成の拍手が起こり、幹事会は午後9時前に無事、終わりました。
ここには各クラス幹事さんが参加されました。
1組は鈴木政子(旧姓 酒井)さん、高橋三和子(旧姓 平田)さん、八島節子(旧姓 軽矢)さん、2組は北浦昌子(旧姓 小寺)さん、山西邦子(旧姓 西海)さん、藤田克子(旧姓 山下)さん、峰松幸子(旧姓 二口)さん、3組は石井孝和君、清水誠治郎君、4組は酒井八郎君、原清明君、古藤知代子さん、5組は稲葉勝也君、段中文子(旧姓 高田)さん、6組は武田博君、畠平雅生君、7組は上野裕通君、田端建機君、張志朗、8組は川村浩一君、末廣訂君、八島平八君の22名でした。
まず、2016同窓会の盛会と参席して下さった恩師の先生方と67名の学友への感謝、4月以来の幹事さんのご苦労へのねぎらいを込めて、副代表幹事の末廣君が乾杯の音頭をとりました。
次に会計担当幹事の原君と古藤さんから同窓会会計報告がありました。
今同窓会の収入は660,000円(同窓会会費と寄付金合計)、支出は650,176円(ホテルへの支払、通信費などの事務費、写真代など)で、9,824円の黒字でした。残金は同窓会会計に繰り入れとなりました。
また幹事会では同窓会参加者へ送るための写真の仕分けを行い、発送準備をしました。写真と会計の収支決算報告書は同封して後日、発送されました。
同窓会から1か月ですが、幹事さん22名が集うとさながらミニ同窓会、やはり楽しいものです。同窓会の写真やその後のグループの集いの写真などを見ながらの話題で盛り上がりました。
最後に代表幹事の酒井八郎君から、次回の同窓会に向けて頑張ろうとの主旨の発言がありました。幹事全員から賛成の拍手が起こり、幹事会は午後9時前に無事、終わりました。
2016年12月1日
8組 川村 浩一
毎年帰国されている山本久美子さん(旧姓 古荘、5組)が今年もカナダから帰って来られました。毎年、1ヶ月以上の休暇をまとめてとられるそうですが、うらやましいですね。
例年8月の暑い時期に帰ってこられていましたが、今年は10、11月。日本の秋を満喫していただけたでしょうか? 休暇前半はあいにく暑い秋でした。同窓会が大阪で10月16日にありましたが、残念なことに帰国後の忙しいスケジュールに合わず出席は叶いませんでした。
そこで張君の骨折りで11月5日の土曜日に山本さん歓迎の食事会。場所は梅田・マルビルの「たなごころ」に山本さん含めて12人(ちょうど広島出張中の東京の泉君が飛び入り参加)が集結。(田端君が抜けていますが下の写真をご覧ください。)
左から末広君(8組)、酒井君(4組)、塩野君(8組)、川村(8組)、柏木さん(旧姓 後藤、7組)、木本さん(旧姓 勝原、7組)、段中さん(旧姓 高田5組)、山本さん(旧姓 古荘)、古藤さん(4組)、泉君(5組)、撮影は張君(7組)です。

田端君(7組)も参加して薀蓄をたっぷり聞かせていただきました。
食事会の「たなごころ」と地下の喫茶店での2次会の4時間ほどおしゃべりを続けました。
翌6日(日)は山本さんと柏木さんに京都の秋を楽しんでいただきました。京都駅・伊勢丹の美術館「えき」の「マリー・ローランサン展」を見て、JRで京都を代表する紅葉スポット、嵐山へ。もみじもほんのり上品に色づいていました。竹林の道の人の多さには驚きました。あと、嵐電・阪急で祇園に。祇園のお店で食事。4時間も何ということなくおしゃべり。
さらに次の日、7日(月)は京都グランヴィアホテルのロビーで仲良し3羽ガラスの山本さん、柏木さん、倉森さん(旧姓津田、5組)が3時間おしゃべりされたそうです。さぞ、にぎやかだったことでしょう。
来年も山本さんが帰国されると思います。ミニ同窓会に皆さんご参加を。
2011年に「12期の広場」を始めて以来の山本さん歓迎の記事、ご参考までに挙げておきます。
( )内は筆者です。
2011年10月「私の一時帰国」(古荘さん)
2012年10月「古荘さんを囲んで」(HP編集委員)
2013年10月「古荘さんの里帰り」(川副君)
2014年10月「古荘さんの里帰り食事会」(HP編集委員)
2015年10月「山本さんを囲んでの食事会」(HP編集委員)
2016年12月1日
- 高いつもりで低いのは、 教養
- 低いつもりで高いのは、 気位
- 深いつもりで浅いのは、 知識
- 浅いつもりで深いのは、 欲の皮
- 厚いつもりで薄いのは、 人情
- 薄いつもりで厚いのは、 面の皮
- 強いつもりで弱いのは、 根性
- 弱いつもりで強いのは、 我
- 多いつもりで少ないのは、分別
- 少ないつもりで多いのは、無駄
高尾山に登って城山を縦走して下山したときに、ふと立ち寄った田舎の喫茶兼食堂で見た言葉です。老夫婦が営んでいる派手ではないが清潔感のある食堂でした。
何気なく食器置き場の隅っこに人知れず「つもり十条」が貼ってありました。それは私が座った位置からだけ見える場所でした。
誰の言葉なのかなぁ。ご自分の作かなぁ。と考えながら下山後のビールを飲みました。勘定をお願いしてお釣をいただくときに、両手で包み込むように返してくれました。
笑顔で「有難うございました」と言われたときは心温まる思いでした。
ただ貼ってあるだけではないんだなぁ。実践されているんだなぁ。いいご夫婦だなぁ。
山は快晴、ビールもよく効き、最高の気分で車中の人となって帰路につきました。
(世間知らず)
《追伸》
今回投稿しようと思ってネットで調べてみたら既にありました。
「つもり違い十条」というタイトルでした。また、「・・・・は」ではなく「・・・・が」でした。
そのほかにも、四十箇条もあるのには驚きました。しかし、老夫婦が営んでいた食堂ではじめて見たときの感動には及びません。
ここに四十箇条も載せておきますので、味わいのある言葉をお楽しみください。
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はじめの10箇条は東京・奥多摩の高尾山には真言宗智山派の大本山である「薬王院」があり、そこに「つもり違い十ヶ条」という看板があるそうです。
2016年11月1日
11月、霜月です。『秋山明浄にして粧うが如く』とよく引用されますが、秋が深まり、野山の紅葉が鮮やかに目にしむ季節です。また立冬がこの7日ですから、冬もすぐそこ。同窓会を済ませてほっと一息ついたせいもあってでしょうか、ようやくのように時の移ろいに思いが至り、下の句が目にとまりました。
『うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ』(良寛)
今月号の「12期の広場」は「2016 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会」の記事です。10月16日に開かれた同窓会は、幹事役を担った筆者が言うのもおこがましい感じですが、大盛会でした。
何より、田中順三先生、福井金治先生のお二人の恩師と67名の学友たちが元気に集えたことが大きな喜びです。初めて参加された方(6組 庄村嘉紘君 )や久しぶりの参加になる方が多くおられ、同窓会は盛り上がりました。
また、当然と言えば当然ですが、今同窓会ほど、老境にあることが強く意識されたことはないように思っています。「今回の参加が最後かもしれない」、「会いたい友の顔を見たい」と参加された学友が多かった事や、貼り出された「出欠返信用ハガキ」の近況報告や、プロジェクターに映し出された学級写真をくいいるように見つめる姿が一際、印象的で、握手をし、肩をたたき合い、寸暇を惜しむように話に興じる姿が会場のあちこちで見受けられました。そしてその語らいも、男子も女子も、時間も空間も飛び越えての親しく濃密なものであったようです。北海道の札幌から参加された黒田昌男君は「懐かしい顔、顔とめぐり合い、沢山の仲間たちと語り合い、高校時
代にフラッシュバックした感覚になりました! 気持が若返り、元気になった気持でいっぱいになっていました!あっという間の6時間でした!幸せな気持になって帰ってきました」とメールを送ってくれました。
同窓会に参加された67名学友は勿論のこと、体調不良で参加できなかった同窓会常連の学友、そして盛会を祈ってくれたすべての同期の学友、母校を卒業し56年を経て後期高齢者領域にあっても母校と12期同窓会に寄せる想いは熱いものがあるようですね。
今同窓会では入学者の定員割れに伴い、母校の存続問題が浮上しているとの報告があったのですが、これは多くの参加者にとって、晴天の霹靂のショックでした。市岡高校は創立115年の歴史と伝統に培われた学び舎であり、卒業生の私達にとってはよって立つところのかけがえのない母校です。在学時を含めて60年の今、市岡の自彊・質実剛健の伝統とすばらしい恩師や学友にめぐり会ったことの僥倖を、しみじみと実感しています。そしてその母校の存続と発展を願う気持ちが強くなるばかりです。
さて今月号の「12期の広場」ラインアップは次の通りです。お楽しみ下さい。
1. 「2016大阪府立市岡高等学校第12期生同窓会が開かれました」
2. 「近況短信 2 」-同窓会出欠返信書から-
3. 「2016同窓会の写真あれこれ」
『うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ』(良寛)
今月号の「12期の広場」は「2016 大阪府立市岡高等学校12期生同窓会」の記事です。10月16日に開かれた同窓会は、幹事役を担った筆者が言うのもおこがましい感じですが、大盛会でした。
何より、田中順三先生、福井金治先生のお二人の恩師と67名の学友たちが元気に集えたことが大きな喜びです。初めて参加された方(6組 庄村嘉紘君 )や久しぶりの参加になる方が多くおられ、同窓会は盛り上がりました。
また、当然と言えば当然ですが、今同窓会ほど、老境にあることが強く意識されたことはないように思っています。「今回の参加が最後かもしれない」、「会いたい友の顔を見たい」と参加された学友が多かった事や、貼り出された「出欠返信用ハガキ」の近況報告や、プロジェクターに映し出された学級写真をくいいるように見つめる姿が一際、印象的で、握手をし、肩をたたき合い、寸暇を惜しむように話に興じる姿が会場のあちこちで見受けられました。そしてその語らいも、男子も女子も、時間も空間も飛び越えての親しく濃密なものであったようです。北海道の札幌から参加された黒田昌男君は「懐かしい顔、顔とめぐり合い、沢山の仲間たちと語り合い、高校時
代にフラッシュバックした感覚になりました! 気持が若返り、元気になった気持でいっぱいになっていました!あっという間の6時間でした!幸せな気持になって帰ってきました」とメールを送ってくれました。
同窓会に参加された67名学友は勿論のこと、体調不良で参加できなかった同窓会常連の学友、そして盛会を祈ってくれたすべての同期の学友、母校を卒業し56年を経て後期高齢者領域にあっても母校と12期同窓会に寄せる想いは熱いものがあるようですね。
今同窓会では入学者の定員割れに伴い、母校の存続問題が浮上しているとの報告があったのですが、これは多くの参加者にとって、晴天の霹靂のショックでした。市岡高校は創立115年の歴史と伝統に培われた学び舎であり、卒業生の私達にとってはよって立つところのかけがえのない母校です。在学時を含めて60年の今、市岡の自彊・質実剛健の伝統とすばらしい恩師や学友にめぐり会ったことの僥倖を、しみじみと実感しています。そしてその母校の存続と発展を願う気持ちが強くなるばかりです。
さて今月号の「12期の広場」ラインアップは次の通りです。お楽しみ下さい。
1. 「2016大阪府立市岡高等学校第12期生同窓会が開かれました」
2. 「近況短信 2 」-同窓会出欠返信書から-
3. 「2016同窓会の写真あれこれ」
以上
2016年11月1日
大阪での12期同窓会は2年ぶりに10月16日(日)午後1時30分から開催されました。10月初めまで夏の暑さが残りましたが、台風18号の通過の後、一気に秋が訪れ、日中と朝晩の気温差が随分あり、快晴の翌朝は特によく冷え込むようになった時期でした。会場は前回と同じクライトンホテル新大阪でした。
参会者は満75歳を既に迎えた後期高齢者かこれから半年の内に後期高齢者になろうとする同窓生でした。とはいえ、受付を済ませて久方ぶりの出会いを喜びあっている仲間の心は青春そのもののようでした。会ってものの5分も語り合えば、昔に戻っている。そのような光景があちこちで見受けられました。
今回集われた方々は、先生方は福井金治先生、田中順三先生のお二人、同窓生67名で計69名でした。
本会を始める前に、嶋田ハル子さん(3組)を講師に迎え、「高齢者の体力つくり 元気塾」と題して講演をしていただきました。私たちは後期高齢者と呼ばれる年齢になり、加齢がもたらすカラダの変化(膝痛、腰痛等)を誰もが感じていましたが、「こうすれば筋力を高めることができ引き締まった体をつくると共に、体内の代謝機能を高め肥満や生活習慣病の予防になりますよ。」と元気づけられました。
下半身の筋力アップ、上半身の筋力アップ、体幹のアップ、柔軟性を高める、敏捷性を高める等、短い時間での実地練習でしたが、参会者は興味を抱いて嶋田ハル子さんの指導に従って体を動かしました。総会開始前のほどよいウォーミングアップになりました。
開会に先立って、司会を担当された清水誠治郎・鈴木(旧姓酒井)政子ご両人から2年前の同窓会から今回までに亡くなられた7名の方々、北村 彰一先生、2組の中尾 澄子さん、3組の長谷川 修さん、4組の吉岡 宏さん、川合 兵治さん、5組の川西 庸雄さん、7組の児嶋 雄二さんを悼み、起立して黙祷を捧げました。
司会者の開会宣言の後、酒井八郎代表幹事が開会の挨拶をされました。
酒井さんは、いきなり「ぼくらはみんな生きている」と歌い出し、「生きているから、今日これだけの人が参加して下さいました。ありがとうございます。」と話し始められました。長い間、一緒に同窓会の写真を撮り続けてくれた川西君の突然の死があって、この冒頭の言葉になったようです。
そして、8月下旬の出欠返信ハガキは体調不良を伝えるものが多く、何人集まるだろうかとやきもきしたと話しながら、恩師の先生方をふくめて69名が元気に集えた喜びと感謝を話されました。続けて後期高齢者になってはじめての同窓会であることにも触れて、今日一日を心行くまで楽しみましょうと顔を紅潮させて話され、開会の挨拶とされました。
また会の途中で、同窓会前の幹事会で全体同窓会の佐藤会長(8期)から市岡高校の入学者定員割れに伴う存続問題とそれについての全体同窓会の対応について話があったことの報告が酒井代表幹事からありました。
今回ご臨席いただきました恩師は、田中順三先生と福井金治先生でした。恩師を代表して国語を教えていただいた田中順三先生にお言葉をいただきました。田中先生は、現在私たちより10歳年上の85歳、数年前に、大腿骨を骨折されたとのことで、その後歩行のリハビリをされていますが、杖をついてゆっくりしか歩けないと言っておられました。
乾杯のご発声は福井先生にしていただきました。福井先生は27期生の同窓会が3時からあるとのことで直ぐご退席なさいました。乾杯のご発声だけにお越し願ったようで申し訳なかったです。
司会者の清水さんから、「それではみなさんどうぞごゆっくりご歓談ください。料理と飲み物は十分ございます。」と告げられ、懇親パーティーが始まりました。
30分程して、恩師からの返信を酒井代表幹事が報告されました。吉田安雄先生は、現在入院中で奥様のお話ですと、看護師さんをつかまえては「この子、市岡の教え子や」と話されるそうで、実際とはちがうのですが頭の中は市岡高等学校のことだけのようですと言っておられました。
御前保子先生は、90歳の大台にのり、やはり健康第一と思っていますが足元が不如意のため欠席させて頂きますとのことでした。
今回も、遠方より友来るで、北海道・東京・神奈川・名古屋等々、大阪まで駆けつけてくださいました。泉君は同窓会の2次会までお付き合いいただき、その後、羽田発の深夜便でヨーロッパへ飛び立たれました。
北海道にお住まいの黒田昌男さんから「生活体験発表」と題して20分間ぐらいお話いただきました。
黒田さんは2001年に大腸がんを患われ、その後、肺がんも患われましたが、がんの宣告を受けた後、次の3つのことで元気づけられたと言っておられました。一つは「よく歩くこと」二つ目は「仲間がいること、仲間をつくること」三つ目は「北海道で群生している高山植物を見ること」だったと。
その中でも、半年かけて世界を旅する「オーシャン ドリーム」の話に時間を割かれました。この旅は、観光だけではなく、ゆったりした船旅で新しく多くの仲間ができたこと、特に、シニアーは黒田さんとあと一人で、他は若い人たちが20数人であったとか。「仲間がいること」若者たちから元気をいただいたとのことでした。「生きる」ことに大いに影響を及ぼしているのですね。
沖縄の辺野古では、基地建設反対運動にも参加、カンボジアでは地雷撤去の現状にも立ち会ったとのこと。世界では不発弾が1000万弾残されているらしく、カンボジアには200~300万弾が残っている。戦争の悲惨さですね。
マダガスカル島では大きな木の幹、その木の幹の周囲は、大人が7人ほど手をつないで測れるほどの太さであったとか。その木も地球温暖化の被害を被っていると話されました。そのほか、ネルソンマンデラ氏が収容されていた監獄とか、リオのカーニバルでは1チーム2000~3000人の人が踊っていたダンスとか南極大陸へ大きな船からゴムボートで島に渡った経験などを紹介された。
懇親会も半ばであの人とも話したい等でいろいろと人の動きもあり、益々盛り上がってきました。限られた時間内で旧交を温めるにはあちこち動かれるのも理解のできるところでした。そのために、同窓会の返信はがき、物故者一覧表を会場北端のホワイトボードに掲示しましたが、その場所にも多くの人が集まっておられました。
3時過ぎに市岡高校東京12期会の皆さんからご挨拶がありました。東京12期会の会長は大石橋さんですが体調思わしくなく欠席でしたので、代表して泉 信也さんからご挨拶をいただき、その後、西條軍蔵さん、重松清弘さん、
榎本進明さん、辻紘一郎さん、
中柴方通さん、杲田慶子さん、
小野義雄さんが紹介され、スピーチしていただきました。スピーチの間、コルセット姿で参加された榎本さんが提供して下さった、東京12期会活動の写真が映像で映し出されました。
そのあと、出席しておられる各組クラスメートからの近況報告がありました。この時も、私たちが高等学校の生徒であった時の集合写真がDVDで映し出され、懐かしいひと時を持つことができました。
次に、昨年2月から今年1月まで私たちのホームページ「12期の広場」に石井孝和さんの「想い出を綴る」が連載されましたが、その連載を終えてのお話もうかがいました。今回参加されませんでしたが、高知県で活躍しておられる金本美智子さんが作詞されたCDが酒井代表幹事から紹介されました。
2011年の元旦から開設された「12期の広場」も12月で丸6年になります。これまで「12期の広場」を通して12期の仲間の交流が広まり深まってきています。HP委員の張志朗さんから呼びかけがあり、みんなで作る「12期の広場」にしていくためにもご投稿をお待ちしていますとのことです。
閉会前にみんなで校歌を3番まで声高らかに歌いました。時々歌詞を忘れている部分は、配布された歌詞カードを見ながら頑張って歌っていました。
閉会の言葉は、副代表幹事の北浦(旧姓小寺)昌子さんからありました。
北浦さんは、「ここ数年日本列島は北海道から九州まで天変地異のトラブルが多くて苦しい時が続いていますが、今日は『みおつくし日和』でほんとうに嬉しい一日になりました」と話しはじめられ、恩師の先生方や遠来の学友をはじめ、心あたたまるスピーチをしていただいた方への感謝と卒業56年まで続く同窓会の素晴らしさに触れて次回「『またくるぞ、絶対に』と約束して下さい」と結ばれました。
今回、挨拶で詠まれた短歌を次に紹介します。
十代の 三年間を 共にした 市岡十二期 今日(いま)また青春
十二期の 同窓会こそ 宝物 あの三年間を ぎゅっと抱きしめ
東から 西から集い みをつくし 今宵咲く花 皆美しく
時節(とき)は秋 なつかし笑顔の 揃いぶみ 恩師に感謝の 六十七名
四年後の 十二期会こそ メモリアル 是非とも元気で 東京五輪
閉会後も名残が尽きない同窓生が1階の2次会ルームに三々五々集まりました。話し足りなかったのか、席に着くなり飲み物も運ばずに話し出す始末でした。2次会参加者は50名以上おられました。
開会の挨拶は副代表幹事の末廣訂君からあり、今、市岡高等学校は入学生徒の定員割れ問題で存続の危機に瀕して居るとの強い訴えがあり、何とかしていこうではないかという呼びかけがありました。その後、二次会の司会進行役の畠平雅生君(6組)、峰松幸子さん(旧姓二口 2組)にバトンタッチして、賑やかで楽しい二次会となりました。
カラオケタイムもありましたが、機器の調子が悪く司会者が困っておられました。それでも、女性軍は高等学校時代の合唱コンクールで優勝した曲を指揮者付きで再現されました。
各テーブル、顔を突き合わせるように話し込む熱気の中、副代表幹事の段中文子さんから、二年後の再会を願っての閉会の挨拶があり、午後7時前に無事、散会となりました。
参会者は満75歳を既に迎えた後期高齢者かこれから半年の内に後期高齢者になろうとする同窓生でした。とはいえ、受付を済ませて久方ぶりの出会いを喜びあっている仲間の心は青春そのもののようでした。会ってものの5分も語り合えば、昔に戻っている。そのような光景があちこちで見受けられました。今回集われた方々は、先生方は福井金治先生、田中順三先生のお二人、同窓生67名で計69名でした。
本会を始める前に、嶋田ハル子さん(3組)を講師に迎え、「高齢者の体力つくり 元気塾」と題して講演をしていただきました。私たちは後期高齢者と呼ばれる年齢になり、加齢がもたらすカラダの変化(膝痛、腰痛等)を誰もが感じていましたが、「こうすれば筋力を高めることができ引き締まった体をつくると共に、体内の代謝機能を高め肥満や生活習慣病の予防になりますよ。」と元気づけられました。
下半身の筋力アップ、上半身の筋力アップ、体幹のアップ、柔軟性を高める、敏捷性を高める等、短い時間での実地練習でしたが、参会者は興味を抱いて嶋田ハル子さんの指導に従って体を動かしました。総会開始前のほどよいウォーミングアップになりました。開会に先立って、司会を担当された清水誠治郎・鈴木(旧姓酒井)政子ご両人から2年前の同窓会から今回までに亡くなられた7名の方々、北村 彰一先生、2組の中尾 澄子さん、3組の長谷川 修さん、4組の吉岡 宏さん、川合 兵治さん、5組の川西 庸雄さん、7組の児嶋 雄二さんを悼み、起立して黙祷を捧げました。
司会者の開会宣言の後、酒井八郎代表幹事が開会の挨拶をされました。
酒井さんは、いきなり「ぼくらはみんな生きている」と歌い出し、「生きているから、今日これだけの人が参加して下さいました。ありがとうございます。」と話し始められました。長い間、一緒に同窓会の写真を撮り続けてくれた川西君の突然の死があって、この冒頭の言葉になったようです。
そして、8月下旬の出欠返信ハガキは体調不良を伝えるものが多く、何人集まるだろうかとやきもきしたと話しながら、恩師の先生方をふくめて69名が元気に集えた喜びと感謝を話されました。続けて後期高齢者になってはじめての同窓会であることにも触れて、今日一日を心行くまで楽しみましょうと顔を紅潮させて話され、開会の挨拶とされました。また会の途中で、同窓会前の幹事会で全体同窓会の佐藤会長(8期)から市岡高校の入学者定員割れに伴う存続問題とそれについての全体同窓会の対応について話があったことの報告が酒井代表幹事からありました。
今回ご臨席いただきました恩師は、田中順三先生と福井金治先生でした。恩師を代表して国語を教えていただいた田中順三先生にお言葉をいただきました。田中先生は、現在私たちより10歳年上の85歳、数年前に、大腿骨を骨折されたとのことで、その後歩行のリハビリをされていますが、杖をついてゆっくりしか歩けないと言っておられました。
乾杯のご発声は福井先生にしていただきました。福井先生は27期生の同窓会が3時からあるとのことで直ぐご退席なさいました。乾杯のご発声だけにお越し願ったようで申し訳なかったです。
司会者の清水さんから、「それではみなさんどうぞごゆっくりご歓談ください。料理と飲み物は十分ございます。」と告げられ、懇親パーティーが始まりました。
30分程して、恩師からの返信を酒井代表幹事が報告されました。吉田安雄先生は、現在入院中で奥様のお話ですと、看護師さんをつかまえては「この子、市岡の教え子や」と話されるそうで、実際とはちがうのですが頭の中は市岡高等学校のことだけのようですと言っておられました。
御前保子先生は、90歳の大台にのり、やはり健康第一と思っていますが足元が不如意のため欠席させて頂きますとのことでした。
今回も、遠方より友来るで、北海道・東京・神奈川・名古屋等々、大阪まで駆けつけてくださいました。泉君は同窓会の2次会までお付き合いいただき、その後、羽田発の深夜便でヨーロッパへ飛び立たれました。
北海道にお住まいの黒田昌男さんから「生活体験発表」と題して20分間ぐらいお話いただきました。
黒田さんは2001年に大腸がんを患われ、その後、肺がんも患われましたが、がんの宣告を受けた後、次の3つのことで元気づけられたと言っておられました。一つは「よく歩くこと」二つ目は「仲間がいること、仲間をつくること」三つ目は「北海道で群生している高山植物を見ること」だったと。その中でも、半年かけて世界を旅する「オーシャン ドリーム」の話に時間を割かれました。この旅は、観光だけではなく、ゆったりした船旅で新しく多くの仲間ができたこと、特に、シニアーは黒田さんとあと一人で、他は若い人たちが20数人であったとか。「仲間がいること」若者たちから元気をいただいたとのことでした。「生きる」ことに大いに影響を及ぼしているのですね。
沖縄の辺野古では、基地建設反対運動にも参加、カンボジアでは地雷撤去の現状にも立ち会ったとのこと。世界では不発弾が1000万弾残されているらしく、カンボジアには200~300万弾が残っている。戦争の悲惨さですね。
マダガスカル島では大きな木の幹、その木の幹の周囲は、大人が7人ほど手をつないで測れるほどの太さであったとか。その木も地球温暖化の被害を被っていると話されました。そのほか、ネルソンマンデラ氏が収容されていた監獄とか、リオのカーニバルでは1チーム2000~3000人の人が踊っていたダンスとか南極大陸へ大きな船からゴムボートで島に渡った経験などを紹介された。
懇親会も半ばであの人とも話したい等でいろいろと人の動きもあり、益々盛り上がってきました。限られた時間内で旧交を温めるにはあちこち動かれるのも理解のできるところでした。そのために、同窓会の返信はがき、物故者一覧表を会場北端のホワイトボードに掲示しましたが、その場所にも多くの人が集まっておられました。
3時過ぎに市岡高校東京12期会の皆さんからご挨拶がありました。東京12期会の会長は大石橋さんですが体調思わしくなく欠席でしたので、代表して泉 信也さんからご挨拶をいただき、その後、西條軍蔵さん、重松清弘さん、榎本進明さん、辻紘一郎さん、
中柴方通さん、杲田慶子さん、
小野義雄さんが紹介され、スピーチしていただきました。スピーチの間、コルセット姿で参加された榎本さんが提供して下さった、東京12期会活動の写真が映像で映し出されました。
次に、昨年2月から今年1月まで私たちのホームページ「12期の広場」に石井孝和さんの「想い出を綴る」が連載されましたが、その連載を終えてのお話もうかがいました。今回参加されませんでしたが、高知県で活躍しておられる金本美智子さんが作詞されたCDが酒井代表幹事から紹介されました。
2011年の元旦から開設された「12期の広場」も12月で丸6年になります。これまで「12期の広場」を通して12期の仲間の交流が広まり深まってきています。HP委員の張志朗さんから呼びかけがあり、みんなで作る「12期の広場」にしていくためにもご投稿をお待ちしていますとのことです。
閉会前にみんなで校歌を3番まで声高らかに歌いました。時々歌詞を忘れている部分は、配布された歌詞カードを見ながら頑張って歌っていました。
閉会の言葉は、副代表幹事の北浦(旧姓小寺)昌子さんからありました。北浦さんは、「ここ数年日本列島は北海道から九州まで天変地異のトラブルが多くて苦しい時が続いていますが、今日は『みおつくし日和』でほんとうに嬉しい一日になりました」と話しはじめられ、恩師の先生方や遠来の学友をはじめ、心あたたまるスピーチをしていただいた方への感謝と卒業56年まで続く同窓会の素晴らしさに触れて次回「『またくるぞ、絶対に』と約束して下さい」と結ばれました。
今回、挨拶で詠まれた短歌を次に紹介します。
十代の 三年間を 共にした 市岡十二期 今日(いま)また青春
十二期の 同窓会こそ 宝物 あの三年間を ぎゅっと抱きしめ
東から 西から集い みをつくし 今宵咲く花 皆美しく
時節(とき)は秋 なつかし笑顔の 揃いぶみ 恩師に感謝の 六十七名
四年後の 十二期会こそ メモリアル 是非とも元気で 東京五輪
閉会後も名残が尽きない同窓生が1階の2次会ルームに三々五々集まりました。話し足りなかったのか、席に着くなり飲み物も運ばずに話し出す始末でした。2次会参加者は50名以上おられました。
開会の挨拶は副代表幹事の末廣訂君からあり、今、市岡高等学校は入学生徒の定員割れ問題で存続の危機に瀕して居るとの強い訴えがあり、何とかしていこうではないかという呼びかけがありました。その後、二次会の司会進行役の畠平雅生君(6組)、峰松幸子さん(旧姓二口 2組)にバトンタッチして、賑やかで楽しい二次会となりました。カラオケタイムもありましたが、機器の調子が悪く司会者が困っておられました。それでも、女性軍は高等学校時代の合唱コンクールで優勝した曲を指揮者付きで再現されました。
各テーブル、顔を突き合わせるように話し込む熱気の中、副代表幹事の段中文子さんから、二年後の再会を願っての閉会の挨拶があり、午後7時前に無事、散会となりました。
( 上野裕通、張志朗 - 記 )
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