12期の広場

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松下幸之助翁生誕120年と創業の碑建立10周年を記念して

8組  末廣 訂


 今年平成26年は福島区と大変ゆかりの深い松下幸之助翁(明治二十七年十一月生まれ)の生誕120年の記念すべき年である。そして大開公園に創業の記念碑建立から十年の年月が流れた。当時松下電器OBの一人として記念碑の建立にお手伝い出来、記念碑建立のいきさつやエピソードを歴史研究会30周年記念誌に書いたが、改めて当時を振り返ってみたいと思う。

 松下電器を定年退職した平成13年の秋に福島区役所が主催する生涯学習講座で当会の前事務局長の井形正寿氏を講師として「大開と松下幸之助の跡地」を見学する会に参加した。創業の家や第一次、第二次本店工場等の説明があり、松下電器OBでありながら知らないことが多く、目から鱗が落ちた思いをした。

 創業の大正時代の初め、大開地区は井路川や池を埋め立て、新開地として開発が進み、家や工場が建ち、各方面から人が集まってきて、変化が激しい時代であった。

 記念碑の除幕式に参列された幸之助翁長女の幸子さんが「このあたりはすっかり変わってしまって、昔の面影がありません」と参列者を前に話しておられたのが印象に残っている。

 大開公園に記念碑建立を機に、翁の足跡や跡地を訪ね、当時の大開地域を写真に収めて、かなりの量の資料になっている。また新聞社や放送局に協力してもらい取材活動もした。 

 毎日新聞では5回にわたりシリーズ「幸之助を語る、創業の地・大開で」と題し5名のゆかりのある方に取材し、同行した。

 5人の方は「十一会の子孫」「松下家の植木屋」「翁の愛息を献身的に看病した医師の子孫」また「幸之助翁がよく買いに行ったタバコ屋の娘さん」等で直接お聞きして深い感銘を受けた。その中で幸之助翁が松下の本社を門真に移転して数年後、大開を訪問した時 に、幸之助翁は「わしも2億円の借金ができたわ」という話があり、慌てて松下の株を売ったが、その後松下株が上昇。後で幸之助翁の言いたかったのは「大きな借金ができるほど会社が大きくなった」という事だとわかり皆が驚いた等々エピソードが聞けた。

 また記念碑建立の場所が大開公園に決まるまでの苦労話がある。大阪市は公的な場所で「公人」ではなく「私人」の記念碑は困る、ましてや民間の会社の記念碑は言わずもがなであった。幸之助翁は大開時代に区会議員に当選、その後の公職歴をみても公人の役割をされたことは明白である。また上福島公園にある「洋菓子ヒロタ」の記念碑やその他の事例を示したが結論が出なかった。そして思いついたのが大開小学校50周年記念誌の末尾についていた幸之助翁の詩文「道」を他の大阪市文学碑と同様の扱いとする提案を出し、やっと建立の許可が下りた。

 碑は平成16年11月27日翁の生誕110年の日に除幕式を行った。その後も大開公園を中心にして「ふじ祭り」や「ぜんざいパーティ」等地元の行事として続けられている。

 記念碑の建立までに皆で何度も話し合った旧福島区役所地下の会議室が懐かしい。

 また表面に出ない立場で応援・支援をしてくれたのが当時の松下電器本社である。ほぼ当初から部長職2名が実行委員会のメンバーに入って終始難問を解決してくれた。また記念碑の寄付が始まると本社から部課長職に声をかけ、5000名を超える現役の方から浄財をいただいたことを決して忘れてはならない。

 今年は生誕120年をどのように表したらよいのか福島区歴史研究会でいろいろ話をして、記念の講演会を開催する、と同時に福島図書館では地元大開の展示会を開くことに決定した。

 この記念講演会の講師が元松下電器社長の谷井昭雄氏に決まるのには偶然があった。

 谷井氏は学校法人「関西大倉」の理事長をされており、当会の太田会長とは学校の理事会で時々同席するので「ダメモト」でお願いしたところ、快く引き受けていただいた。講演会では幸之助翁と直接の上司、部下としての裏話が聴けるものと楽しみである。

 話によると谷井氏は個人的に学校と何の関係がなかったが、関西大倉の前身であった「関西商工」に幸之助翁が通ったことがあり、理事長を引受けられたと聞き、大変興味深い話だと思った。

 また11月15日の記念講演会では下福島中学校のブラスバンド演奏や講演後、大開幼稚園児の花束贈呈が予定されている。


HP委員からの追記:
 11月15日 午後2時から『松下幸之助翁生誕120周年記念講演会』(福島区歴史研究会・福島図書館・福島区役所の主催)が福島区民大ホールで開かれました。(冒頭の写真)
 参加者は福島区在住の近隣の皆さんはじめ、区域外の人を含めて、400名。会場はほぼ満席で立ち見がでる盛況ぶりでした。ご存知の通り、福島区歴史研究会は古代史から近代にいたるまでの福島区関連の歴史の顕彰と再発掘をテーマに、その実績も30年におよぶ歴史を持っています。またそのメンバーに生物担当であった小椋先生、同期の末廣、武田両君、そのほかにも先輩、後輩の市岡の卒業生諸氏が参加しており、母校の市岡高校とゆかりが深い研究会です。(末廣君は事務局長です。)
 講演会では現パナソニック特別顧問の谷井昭雄氏(松下電器産業4代目社長)が『師に学び人と街を愛する経営の心』と題して約1時間、講演されました。
 講演は谷井氏が、この地-福島区大開で松下電器産業を創業した松下幸之助翁との出会い、その想い出を中心に、翁の人となり、経営理念を紹介する意義深いものでした。参加者の中には熱心にメモをとる姿があちこちで見られ、講演後の質疑応答も若い人から質疑がでるなど関心の高さを示しての大盛会でした。


『12期の広場』11月号のラインアップ

 同窓会をさかいに急に冷えてきましたが、皆様、お変わりございませんか。
 思えば「12期の広場」が2011年元旦に第1号が発刊されて丸4年が過ぎようとしています。その前年の2010年11月は大忙しの月だったこと、そして除夜の鐘を聞きながら真夜中の0時を迎えるときの「ときめき」を思い出しています。
 幸いにも同窓生のご協力を得て記事や写真、ハッピーな映像が寄せられて幹事や編集委員の抱負と共に初版を飾ることが出来ました。卒業50周年という区切りが「12期の広場」誕生のきっかけでしたが、間もなく5年目を迎えるこの広場も一つの区切りを迎えます。HP委員一同はこの機会にマンネリに気を付けて初心に戻り、いつまでも「ときめき」を感じられるように努力していきたいと思っています。
 さて、10月19日(日)に第11回同窓会が開催されました。昭和60年に始まって30年目の節目を迎えられたことは、幹事の皆様のご努力の賜物だと感謝しています。毎回参加していただいた先生方と、前回を上回る同窓生諸兄の参加はうれしかったですね。
 この11月号は同窓会の特集となりました。どうぞお楽しみください。
  1. 12期同窓会が開催されました。
  2. 恩師の先生方からのメッセージ
  3. 「 近 況 短 信 」- 同窓会出欠返信書から-
  4. 写真集
以上

 

12期同窓会が開催されました。



 10月19日(日曜日)、「2014大阪府立市岡高等学校12期同窓会」が開催されました。10月に入って毎週末ごとに台風の荒天にみまわれていたのが、この日はすがすがしい秋晴れ、会場に向かむ足取りもいつになく軽やか。会場は西中島南方のホテルクライトンで、恩師は北村彰一先生と福井金治先生のお二人と西は高知や広島、東は名古屋、東京と日本各地からの同窓生73名が参加しました。

 

 今回は通算で言えば11回目の同窓会、古希を越えては2回目です。体調不良などで減少傾向にあった参加者数も前回(2012年)を大きく上回り、久々の再会、交歓に受け付け時から雰囲気は盛り上がりました。

 定刻の1時30分、同窓会本会に先立ち「『生涯現役』と『寝たきりを防ぐ』ための再生医療」と題した辻紘一郎君(8組)の特別講演がありました。講演は約30分間、コンピューターを使った映像をふんだんに併用した分かり易く、時折笑いが起こるもので、参加者一同の身近な問題だけに関心も高く、意義深いものになりました。今も現役社長として医療ベンチャーのツーセルを率いる辻君の姿とその心意気、そして「膝の軟骨損傷」と「脳梗塞」治療などにおける再生医療の成果についての話は実に印象深いものでした。老境に向かう私たちにとって頼もしい同窓生にめぐまれたものです。

 2時10分から同窓会本会が始まりました。司会進行役は川村浩一君(8組)と古藤知代子さん(4組)です。

 

 まず、物故者への黙祷がささげられました。前回同窓会以降、亡くなられたのは川端智子さん(旧姓 松田 2組)、内田勝章君(4組)、村木雅章君(旧姓 平野 8組)の3名です。

 つづいて代表幹事の酒井八郎君が挨拶をしました。酒井君はご臨席賜った恩師の先生方への感謝、出席した同窓生と心良く送り出してくださったご家族の方々に対するお礼、そして2年ぶりの再会の喜びを述べながら同窓会が11回を数えることが出来たことや、今回の参加者が卒業50周年記念同窓会をうわまわったことにふれました。また次回の同窓会を目指す考えを話し、最後に先生方はじめ同窓生みなさんのご健勝をお祈りいたしますと結びました。

 次に北村彰一先生、福井金治先生のご紹介の後、代表して北村彰一先生からご挨拶をいただきました。

 

 北村先生は12期同窓会が始まって以来、すべての同窓会にご出席です。また1年次の夏休みの宿題である読書感想文を半世紀ぶりに返していただいたことで多くの同窓生に大きなサプライズを起こされた訳ですが、ご挨拶の中で、それにふれられこのように話されました。

 「感想文の返却が遅れたことは私のミステークです。しかし、その事がこんな反響を得るとは想像していませんでした。それこそ、私にとっては本当の『サプライズ』です。」

 乾杯です。音頭は万年青年と言われる福井金治先生にお願いしました。

 

 元気良く、大声で「乾杯」。いよいよ会食、歓談の宴が始まりました。

 今回同窓会は着席のビュッフェスタイル。席順は恒例のクラスごとではなく、席番号をくじ引きする方法によりました。「知らない同窓生と隣どうしになるかもしれないのでうまくいくやろか」との幹事会での心配もよそに、瞬時に和気藹々。女子同窓生をふくめて笑いの輪が広がり、一層華やいだ雰囲気になりました。グラス片手にあの席、この席と移動する人や、話し込む人、笑い転げる人、懐かしい学友を探す人、二人でまたは数人で記念撮影する人など、用意された9テーブルと会場全体は一斉に笑顔の花が咲いたようです。卒業以来、54年、古希を越えても楽しく、一体になれるのはやはりあの多感な時代をともに学んだ市岡の同窓生ならではのことでしょう。

 

 歓談が一段落したところで、同窓生のスピーチになりました。

 最初は読書感想文を手にした気持ちを北村先生にどうしても直接お伝えしたいと、宮下惈君(4組)が壇上に上がりました。前日、阪神タイガースの日本シリーズ進出が決まったばかりで嬉しさ一杯の宮下君は満面の笑顔。読書感想文を手にした驚きと誤字脱字が多かったことなどユーモアをからめてその感激と感謝の気持ちを話しました。

 次は遠来の友のスピーチです。愛知県からは前回の特別講演をお願いした小野義雄君(6組)が、高知県からは金本美智子(1組)さんがそれぞれ再会の喜びと近況を話され暖かい拍手を受けられました。

 続いて市岡東京12期会の皆さんが揃って壇上に上がりました。西條軍蔵(3組)、重松清弘(4組)、泉信也(5組)、中柴方通(6組)、榎本進明(8組)、辻紘一郎(8組)、東野節雄(8組)の各君と大阪在住ではあるが東京時代から市岡東京12期会に参加していた稲田紘君(8組)、紅一点は児玉恭子さん(4組)の9人です。

 スピーチは短くとの注文にも拘わらず、ゆっくり語りかけて、二度もマイクを握った重松君には大爆笑です。スピーチはそれぞれ個性的で味わい深いものでした。泉君が終始リードしてくれたのですが、「壇上に博士が2名います。遠からずノーベル賞の声がかかるやもしれません」と話したのには万雷の拍手でした。

 

 本会が始まり、すでに二時間半。同窓会も終盤です。

 同窓会の会計報告を幹事会会計担当の原清明君(4組)が行いました。

 続いて一同起立しての校歌斉唱です。高校在学時は「古臭い歌やな」と思っていたのですが、こちらも相当、古臭くなったせいなのか、懐かしさとささやかな誇らしさがあって気持ちが入ります。

 本会のしめは、恒例の副代表幹事の北浦昌子さん(旧姓 小寺 2組)の閉会の挨拶です。

 

 「今日は73名の同窓生の方々、そして福井先生、北村先生、私達にとっては兄貴分のようなお二人の恩師がかけつけてくださりこんな大きな、素敵な12期会になりました」と今同窓会が盛会裏に終わることへの感謝を述べました。また辻紘一郎君の特別講演や遠来の友のスピーチにもふれ「古希過ぎてまだまだ夢追う三本線あの帽子こそ市岡健児」とその感激を披露しました。

 4時40分頃、12期同窓会の本会は閉会となりました。

 本会終了後、川西庸雄君の撮影で全員が二グループに分かれて集合写真をとりました。

 小休止のの後、ホテルの別会場に移って二次会が始まりました。北村、福井両先生はじめほとんどの本会参加者が二次会にも参加されました。歓談する人、カラオケで自慢ののどを披露する人、5時から8時までの長丁場です。会場もL形で歓談組、カラオケ組に分かれるのに好都合でした。

 開会の挨拶は副代表幹事の末廣訂君が行い、二次会の司会進行役の原清明君(4組)、吉岡佳子さん(旧姓大沢 2組)にバトンタッチしました。

 

 約3時間の長丁場、司会進行役は軽妙な語り口ながらもカラオケの歌い手、曲目の選定には汗だく。原君、吉岡さんのコンビぶりはぴったり、さらに原君のカラオケにあわせて、吉岡さんが得意の日舞を舞うなどの大サービスで、あっと言う間に終盤の二次会でした。

 最後に副代表幹事の段中文子さん(旧姓高田 5組)から次のような閉会の挨拶がありました。

 

 「世界で一番はノーベル賞だけではありません。皆さん全員に手が届く長寿記録にも世界で一番があります。それを目指して、一層ご健康にお過ごしください。またお会いできるのを楽しみにいたしております。」

 午後8時、「2014大阪府立市岡高等学校12期同窓会」は全予定を終え、無事終了となりました。


恩師の先生方からのメッセージ

 今回の同窓会に北村彰一先生と福井金治先生のお二方にご臨席賜りました。残念ながら御前保子先生、江本義文先生、吉田安雄先生、田中順三先生、平賀正男先生は都合によりご欠席でした。

 田中先生と平賀先生は17期同窓会とかさなり、連絡の先に来た17期同窓会の方に行かれました。

 田中、平賀先生の返信葉書のメッセージは次の通りです。

 「大変残念ですが、当日市岡17期生の同窓会が開かれ、それに重なります。私としては3年間通して受け持った期ですので、そちらの方に出席いたします。12期会の盛会を祈ります。昨年7月に不慮の事故で右足を負傷(骨折)杖に頼らざるを得ない身障者になりました。多少不便ではありますが、何とか独居生活を送っています。今、83才です。もう少しがんばります。」(田中先生)

 「17期同窓会の案内(10月19日昼)が先に来ており、そちらに出席の返事を出していますので失礼します。」(平賀先生)
 御前先生からは「ご案内有難うございます。今年、米寿を迎え、年のわりに元気な方だと思っておりましたが、最近視力が衰え足元が危なくなりました。出席したいのは山々ですが、失礼させて頂きます。どうぞ皆様によろしくお伝え下さい。御盛会をお祈りしております。」
とのご返事を頂きました。吉田先生からも「小生高齢となり、最近は遠方への外出を控えております。御了承願います。同窓会の御盛会と皆様の御健勝を祈念いたします。」とのお言葉を頂きました。

 江本先生からのメッセージには以下のようにありました。

 「ご丁重な御案内を頂き、ありがとうございます。独居11年、88才。緑内障と加齢黄班症で目がかすんで天眼鏡が頼り。電話の番号もよく見えません。心臓の弁が故障して血流が乱れ、不整脈と心不全で声が出ませんので失礼いたします。」

 ご高齢である恩師の先生方がご健在でいらっしゃることはうれしいかぎりですが、お体に不具合があることをお聞きしますとやはり心が痛みます。

 くれぐれもご自愛いただき、ご長寿なされることをお祈りいたしまして、恩師のメッセージ紹介といたします。

「 近 況 短 信 」ー 同窓会出欠返信書からー

 *10月号に続き、同窓会出欠返信書の近況報告を以下に掲載いたします。( )内は旧姓とします。皆さんのお顔を思い出して頂くために「卒業アルバム」のクラス写真を再掲します。(- HP委員 ー )



1組   高橋 三和子 (平田)(大阪府泉北郡在住)
「私事で色々忙しくして幹事会にも出席出来ず勝手ばかりで申し訳ありません。『次の同窓会にも是非出席したいな』と思えるような楽しい会にしたいものです。私は今、11月の文化祭に向けての作品に取り組んでいます。」

1組   金本 美智子 (高知県安芸市在住)
「絵を描くこと、母(10年自宅介護)の1月17日一周忌、続いて主人のインターフェロン治療の為、少し疲れが出ている今日ですが、作詞でボランティアをして居ります。今回の同窓会、色々考えましたが友人にお会いしたく思い、思い切って出席させていただこうかと・・・・。ただ当日不都合に成りましたら出向く事が出来ないと思いますが・・・。御迷惑をおかけしますが、よろしくお願い致します。」

1組   島田 美代子 (兵庫県川辺郡在住)
「案内状、ありがとうございます。毎回のことながら、ご多忙の中、お世話頂きありがとうございます。皆様にお会い出来るのを楽しみに、しっかり体重管理をして少しでもスマートになって出席したいと思っています。」



2組  吉岡 佳子 (大沢)(羽曳野市在住)
「先日は、お電話ありがとうございました。厳しかった今年の夏も何んとか乗り越え、朝夕は大分涼しくなって参りました。お元気なお声が聞けて嬉しく思います。いつも何かとお世話になりありがとう存じます。今回、2次会の司会とか御指名を頂きどうなるか心配ですが皆さんと楽しくひとときを過ごしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。H26.9.6」

2組  久保 幸子 (小西)(茨木市在住)
「同期会、このところ少しごぶさたしていましたので久しぶりに皆様とお会い出来るのとても楽しみです。それから北村先生からのなつかしい読書感想文にびっくりしました。これ、私が書いたの?と思う位えらいむつかしい事、書いていたのだと我ながら感心しています‼ ありがとうございました。それから小椋先生が編集して下さったDVDもとても楽しみです。アルバム失っていますのでうれしいです。

2組  峰松 幸子 (二口)(大阪市在住)
「毎日、元気に過ごしています。探しものをする時間が増えた様に思います。孫(2才の女子)と一緒に遊んでいる時が一番楽しく、教えられることも事も多く沢山の元気をもらっています。皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています。同窓会のご成功、お祈りしています。お世話役の方々にはいつも感謝しています。

2組  長谷川 恭子 (亀井)(奈良市在住)
「読書感想文をありがとうございました。おどろきと15才の自分を思い出しております。ここ4~5年は96才の義母の介護で時間が取れませんでしたが、今年は久し振りに皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。」



3組   嶋田 ハル子 (杉山)(奈良県生駒郡在住)
「縁あって1985年デンマークでの国際体操指導者研修を終了し、体操の指導を続けています。そろそろ35年も過ぎ、引退をと思った昨年10月、東京で文部科学大臣表彰を頂き、奈良ホテルでの祝賀会の席で、これからは健康長寿の延進のために働いていただきたい、といわれ、今までよりますます忙しい毎日が続くようになり老骨に鞭打っています。懐かしいお顔を拝見し、宇宙の話や再生医療の話など伺えるのを楽しみにしています。」



4組   進藤 司 (宝塚市在住)
「四年前にリタイヤ、新しい仲間と出会う。①近所の石切山 (283m) 毎朝登り、ラジオ体操、 7~8K 歩く。石切山遊山会を結成(12~3名)毎月2回程関西の山歩きをする。②三年前のスペイン旅行より出会った仲間で「ひまわりの会」を結成。海外はベトナム、スイス、又、国内旅行を楽しむ。この夏は五島列島へ行く。③母屋をリフォームして麻雀、カラオケが出来るようになったので週一回位楽しんでいる。」

4組   前川 光永 (豊中市在住)
「当日、市岡高校剣道部OB会(5年毎の総会)があり、役員の交代、選出などどうしても出席しなければなりません。道頓堀ホテルにて12時から3時位までかかります。申し訳ないですが2次会に出席させていただきます。辻君の講演には、ぜひ出席したかったが残念でなりません。健康面では、病気もなく、剣道、社交ダンス、仕事と、毎日、元気に頑張っております。幹事の皆さん、御苦労様です。お会いできるのを楽しみにしております。」

4組   児玉 恭子 (青木)(東京都在住)
「案内状ありがとうございました。いつもお世話頂き有難く感謝申し上げております。今回は
北村先生よりの思いがけない返却物にタイムスリップいたしました。『赤ペンを入れたい所が多々ありますが、十五才の私をお返し頂きありがとうございます。』と北村先生に伝言頂ければと存じます。元気で大阪まで行けそうですので同窓会出席を楽しみにいたしております。」

4組   古藤 知代子 (大阪市在住)
「感想文の返還の件聞いてはいましたが、自分には係わりないと思っていましたので、有った事に驚きました。元気なつもりでも年々体力に自信が無くなり何とかしなくてはと思っています。多くの方にお会い出来ることを楽しみにしています。」

4組   藤井 正枝 (鍋島)(堺市在住)
「幹事の皆様、いつもお世話になり、ご苦労様です。元気にしております。鍛えていた筈の足腰も年と共に衰え、あちらこちらが痛くなっておりますが、だましだまし大好きな山の空気を吸っております。金剛山を登山し20年になります。1500回登山をめざし頑張っております。久し振りに皆様にお会い出来るのを楽しみにしています。」

4組   黒田 任子 (松山)(松原市在住)
「お世話になります。足・腰に痛みがでてきました。週2回のババさんバレーとヘボ碁(老人会)で毎日忙しく過ごしています。今春より18才の孫娘が(長崎県大町市)大学生になり、我が家に下宿しました。ちょっとだけ、忙しくなりました。」



5組   西垣 尹久子 (今田)(奈良県北葛城郡在住)
「毎日、朝はお寺でご奉公して、帰ってから和裁をしています。忙しくて楽しく過ごして居ます。」

5組   竹島 寛治(豊中市在住)
「2014年9月末日をもって現役引退。しばらくは休養予定。これから年金での生活は大変!老後の先行きは暗雲が立ちはだかっているようだ。」

5組   泉 信也 (東京都在住)
「幹事の皆さま、いつもありがとうございます。楽しみに参加させていただきます。NPOで訪問医療と介護の仕事を手伝っています。いずれは世話になる身ですが、元気なうちにお役に立ちたいと思います。相変わらず山登りを楽しんでいます。」

5組   段中 文子 (高田)(吹田市在住)
「今のところ元気で時々旅行したり水彩画を楽しんだりしています。同窓会では皆さんとなかなかゆっくりお話しする時間がありませんが元気なお顔を拝見するのを楽しみにしています。」



6組  畠平 雅生 (大阪市在住)
「しなくてはいけない事をすぐ忘れます。だからすぐ返事をするか忘れるか、二者択一の年齢?参加すると決めてDVDを申し込んで振込・・・、振込用紙がない。全くもー。今、過ごす上で心に言っている事、『あるがままの自分を認め、今を楽しむ』少々エエ格好かな?自己弁護の極み?
追伸:振込先と方法又は振込用紙をFAXして下さい。よろしく。」

6組  吉瀬 順子 (清水)(宝塚市在住)
「12年前に後5年以内の生命と言われましたが、くよくよしない性格と楽しく生活する日々を送っている内に(今も健康体ではありませんが)よく出掛け休養も心がけて元気な日々を過ごしております。久方振りに皆様にお目にかかれることを楽しみに致しております。」

6組  井東 一太郎 (大阪市在住)
「西区文学めぐり、橋と川めぐり、居留地(レトロ)めぐり、など企画し、ボランティアで案内をしてきました。希望あれば、12期生でしませんか。ボランティアのお蔭で老健などから元気をもらうことも(子供からは当然もらうが)あるのです。」



7組   別宮 信彦 (京都市在住)
「再雇用で相変わらず毎日会社に出かけておりますが・・・・やはり相当疲れてきました。ぼちぼち引退の時期!」

7組   上野 裕通 (寝屋川市在住)
「健康維持に努めていますが、経年劣化です。当日、退職者の『見学会』が午前中にあり、午後からの食事会を断って12期同窓会に参加する予定です。遅刻するかも知れませんので悪しからず。」+

7組   柏木 赫子 (後藤)(津市在住)
「前回は当地の行事と重なり欠席しましたので4年ぶりの皆様との再会を非常に楽しみにしております。気持ちと裏腹に身体の方は順調に老化して来ていると実感する昨今ですが、元気に過ごしています。」

7組   新田 隆三 (川西市在住)
「”定年後 図書館員に顔が売れ”先日読んだ川柳傑作作品の一句です。年頭に年間100冊読破を目標にやってきましたが、現在既に130冊目とはるかに目標を突破しています。しかし読み流しが多いせいか、中味の理解に乏しいようです。反省しています。幹事殿へ、毎々ご苦労さまです。」

7組   伊東 慎一郎 (神戸市在住)
「右足と特に右手が不自由ですが、よろしくお願いいたします。」(一昨年の同窓会出席の直前に脳梗塞になり、リハビリの努力の結果、今同窓会に出席されました。前記文章は力強い自筆でした。-HP委員-)



8組  末廣 訂 (大阪市在住)
「昨今、地元の歴史研究会の事務局長として多忙です。区民まつりや地元の史跡・文化の展示会で、特に11/15(土)は松下幸之助生誕120年の記念講演を企画。元松下の社長谷井昭雄氏に語ってもらいます。下福島中学のブラスバンド演奏も楽しみです。」

8組  榎本 進明 (横浜市在住)
「毎回お世話していただきありがとうございます。前回は体調不良で欠席しました。4年ぶりの再会を楽しみにしています。」

8組  丹羽 与 (西宮市在住)
「幹事の皆様には、いつもながらの多大なるお世話をいただき、心から感謝しております。また、北村先生には細やかなご配慮をいただき、はずかしさとなつかしさを思いおこさせる感想文をありがたく受取りました。当方、日頃はズボラな毎日を送っていますが、何とか体が元気な間に・・・と思い、今回は出席します。よろしくお願いします。」

8組  椎間 賢一 (奈良県北葛城郡)
「僕は甲野善紀氏(武術研究家)にずっと興味を持ってきましたが、最近、「筋肉」よりも「骨」を使え! 松村卓(スポーツトレーナー)との対談書に出会い、もっとラクに速く身体を動かせるコツがあることを知り新しい世界が拡がりつつあります。」
以上

写 真 集

酒井代表幹事と皆さん。ニコニコ
この6人で撮った写真は1枚もないもんね
どういった関係?
私たちはずーッと仲良し関係
まだやるのー。時間だよう。
オイオイ最後まで飛ばしすぎじゃないの。
私たちは聞くのが好き。
僕たちはしゃべくりが好き。
二次会はやはり飲みと語りだね。
再生医療は必要ないね。ボク達は。
プロ並みにうまいので思わずパチリ
歌の古さについていけないわ
2組に割り込み。昔も今も
こんなに話が弾むなんて、楽しい。
昔は顔がもっと丸かったよね。ウン。
一心不乱に勉強中
辻さん、生涯現役ですね。ふふふ。
港中学校同窓生。プラス ワン。

『12期の広場』10月号のラインアップ

 10月です。今月は私たち12期生の同窓会の月です。

 全国各地の学友から出欠返信書が返ってきており、そこになつかしく、心温まる近況とメッセージがしたためられていました。特に1年次の社会科の夏休みの宿題を受け取られた同窓生からの返信書は、青天の霹靂とばかりの驚きと喜び、感謝の言葉があふれるばかりでした。

 「タイムカプセルが開いた」、「一気のタイムスリップ」などの言葉とともに、「セピア色の読書感想文と15歳の私との再会は驚きでした。」とありました。いずれも味わい深い言葉です。

 そうですね、セピア色は半世紀を越える長い歳月の証し、そして感想文は「15歳の私」の実像の一端を鮮やかに結ばせたようです。筆者は2年前に読書感想文を手にしました。ろくに本も読まずに読書感想文を一夜付けした記憶がよみがえり、不真面目さだけの後悔が強かったのですが、それでもそれがまぎれもない15歳の自分であったと思います。

 古希を越え、残された時間の限りに戸惑ってばかりの今、こんなに新鮮で驚きに満ちた感動を味わう事ができたことは実に稀有なことと言わざるを得ません。そしてまたそこから、自分自身の人生とそれにまつわるたくさんの物語を思い出しました。前回の同窓会で読書感想文を胸に抱くように「一生の宝物」と涙した同窓生の姿が忘れられません。

 「15歳の私をお返しい頂きありがとうございました」。全くの同感です。

 読書感想文を今日まで保管して頂いた北村先生はじめ多くのすばらしい先生方との出会いは、まさに得難い幸運であったとしか言いようがないでしょう。恩師という言葉を今更ながらにかみしめています。

 19日は第11回目の同窓会。恩師の先生方、多くの同窓生との再会があります。存分に楽しみたいと思います。そして今を生きる学友の姿から様々な糧と元気を得てふたたび新しい「15歳の私」に出会いたいと思っています。

 今秋は例年にくらべて意外なほどの速足のようです。我が家の庭の柿の木はすでに紅葉がさかり。窓から差し込む日差しの長さもどんどん短くなり、黄昏は文字通りのつるべ落としです。

 すがすがしい秋空の下に集う今回の同窓会は、そのどの同窓会よりもきっと格別なものになることでしょう。

    「鮮やかに 十八歳は 甦る プール藤棚 ファイヤーストーム」( 北浦 昌子 )

 さて「12期の広場」10月号のラインナップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
 

  1. 「 近況短信 」- 同窓会出欠返信書から -
  2. 「 前回同窓会の写真あれこれ 」
  3. 「 社会宿題ー読書感想文 」
  4. 「 古荘さんの里帰り歓迎会 」
以上

近況短信 - 同窓会出欠返信書から -


2012年同窓会全体写真

1組   鈴木 政子 (大阪市在住)
「健康の為、週3回社交ダンス。間にカラオケにコーラス、そしてパッチワークと毎日多忙ですが、最近ボケ防止のため健康麻雀をならいはじめました。まだ麻雀用語が言えなく、またスジがわからずまけてばかりです。まだまだヒヨコですが、麻雀をする時お誘いください。」

1組   濱崎 洋子 (大阪市在住)
「なにげなく同窓会の通知を開封したところ、思いがけないものが目に入ってびっくりしました。高1の夏休み宿題の読書感想文でした。こんなことすっかり忘れていましたが、一挙にタイムスリップして昔にも還ったようです。ボールペンではなく万年筆やとか、こんな字書いてたんだなあとか、今の私よりしっかりしたことを言っているとか、いろいろ。北村先生の楽しい授業を思い出しました。今まで保存しておかれたこと感謝します。また面倒なのに返還していただいてありがとうございました。10/19ですが、自治会の行事と重なってどうしても出席しなければなりませんので同窓会は欠席します。皆様によろしく。」+

3組   石井 孝和 (大津市在住)
「北村先生から返された”作文”を見て驚きました。”民主主義”がテーマに。卒業後NHKに就職、記者という仕事をする中で、そのことは意識していました。知ることの大切さとともに、昭和54年に水戸局勤務の頃、他社の記者の協力を得て、裁判所開廷直後の”カメラ持ち込み許可を得たことを思い出しました。おそらく日本では初めてのことでした。明文化して日本新聞協会(NHKも所属)と最高裁判所で代表取材(カメラ)の約束したのは昭和60年です。54年当時の裁判は”県議会議員の議長をめぐる汚職”で私が県警担当キャップ(朝日、毎日、読売、共同、時事、いはらき)に同行してもらい連日、水戸地方裁判所に交渉に当たった結果、1回きりの約束でした。」

3組   清水 誠治郎 (西宮市在住)
「70才を越えると体全体に支障(ガタ)が出てきました。従来からあった腹部動脈瘤が50mmを越えたため、ステントグラフト内挿術という手術をして危険要因(生命)を取り除きました。これから10年間着床が正常かどうかの検査のため年1回入院(短期)しなければなりません。少し長めの入院をしてはじめて健康の”ありがたさ”を再認識しました。」

4組   乾 嘉代子 (奈良市在住)
「同窓会の案内、ありがとうございます。残念ながら他の行事とかさなり欠席いたします。同封の読書感想文にはびっくりしました。そんな宿題があったことすら全く記憶に残っておりませんでした。57年間もきれいな状態で保管してくださった北村先生に感謝致しております。失礼ながら北村先生はほほえましい存在でしたからはっきりと覚えています。マラソン、キャンプファイヤー、フォークダンス、仮装行列、合唱コンクール・・・・・。北村先生にくれぐれもよろしくお伝えください。とてもよろこんでいたと。」

4組   宮下 惈 (堺市在住)
「9月7日現在、金剛山登山回数291回、年内に300回達成目標(予定)。日本百名山は70峰位? 孫の人数10名(男1女9)。最年長2003年生まれ(タイガース優勝年 女)二番目2005年生まれ(タイガース優勝年 女)三四五番目、女、女、女(タイガース絶対優勝すると思った2008年生まれ)。久しぶりに同窓会参加です。読書感想文を読んで高校一年時の誤字とへたくそな字に感無量です。北村先生にお礼を是非いいたので出席を決意!」

4組   藤田 勝利 (枚方市在住)
「・今春から韓国語の勉強を始めました。(週1回、1.5時間)前方後円墳が韓国南西部にあるとしり行ってみたくなったからです。・ほかにインドネシア語勉強会(週1時間:いまは現地の中学校の教科書で歴史を勉強中)・歴史散歩(週1~2時間:今は京都史跡めぐり)・囲碁(週1回5~6時間:近くの市民センターで)といったことで過ごしています。」

5組   坂口 明 (西宮市在住)
「昨年3月、70才の終わりに仕事をやめました。建材関係の営業、会社の設立と失敗。建材の新聞社の記者となって10年、70才を区切りとしました。この1年は孫たちの子守で過ごしています。年賀状に「何かひとつすることを見つけます」と書きましたが、まだ始めていません。「ゆっくり行けば長い道のり」と思っています。北村先生からの贈りものありがとうございました。タイムカプセルからのプレゼントに感謝しています。」

6組   高田 益枝 (篠塚)(高槻市在住)
「なつかしい57年前の読書感想文を送っていただきありがとうございました。子供の頃の未熟さと真剣さともろもろを感じ感激致しました。北村先生の授業も思い出し、大事なことだとと教えるのにユーモアを入れたつもりで、これは家庭におけるメンソレータムの様な大事なことだと云われ皆がシーンとしたことを思い出しました。よろしく御伝え下さいますよう。この年になってまだ仕事をしており、薬局を二軒しております。体がついていかないのでリタイアーを考えておりますが、良き後継者に恵まれません。皆様によろしく御伝え下さいませ。」

7組   田中 健治 (大牟田市在住)
「蒸し暑い悪天候の続く今日この頃、如何お過ごしですか。小生自分なりに”やりたいほうだい”
二つの会社の中間管理職(窓ぎわ族)を退職し、現在小さな有限会社の創立社長を済ませて非常勤取締役(何の仕事もして居りません。ただトラブル発生時責任者)をしながら地域住民の心の支援ボランティアで毎日過ごしております。」

8組   稲田 紘(豊中市在住)
「一昨年の2012年3月に兵庫県立大学大学院応用情報科学研究所ヘルスケア情報科学コースを定年退職し、名誉教授となりましたが、同年4月から特任教授を委嘱され現在に至っています。回数は少ないのですが、講義をしたり、博士課程学生の論文指導などにあたっています。また二、三の学会については引き続き役員など学会活動を行っています。このようにそれなりに充実した日々を過ごしております。」

前回同窓会の写真あれこれ

 前回同窓会は2年前の秋、2012年10月21日。参加されたのは、恩師の江本先生、北村先生、福井先生、御前先生と同窓生65名でした。
 開式の午後1時半から三次会終了の9時過ぎまで、延々と宴は続き、その後、四次会までもありました。ここに前回同窓会のスナップ写真を再掲します。ご覧ください。

歓談です。
あそこでもここでも話の輪が広がりました。
乾杯! 皆さん良い顔色です。
遠来の友の挨拶です。
新潟から駆け付けた佐々木君も元気です。
今回の同窓会で特別講演をする辻君。
さすがベンチャーのリーダー、笑顔が若々しい。
楽しそうですね。何のお話しですか。 先生方のお見送り。ありがとうございました。
御前先生を囲んでパチリ。いつまでもお美しい。
誰がって皆さんでしょう。
二次会での写真。それぞれにあの頃のまんま。
両手に花で熱唱する稲田君。
今日もサザンの唄ですか。
笑顔がはじけます。
傍の谷君の含み笑いも彼らしいです。
これはまたムーディなヂュエットですね。
よっ!お似合いですよ。
元教職にあったお二人。
えらい真面目に話していますね。
 
場所を替えての三次会。
飲むことしゃべること、若者には負けませんね。
 

社会宿題 読書感想文 昭和32年 8月

1年時の夏休みの宿題である読書感想文を受け取った皆さんから感謝、感激の言葉が寄せられています。その内のおひとりに無理をお願いしてその読書感想文をここに掲載させていただきました。筆者は匿名とし、文章は加筆修正なしとしました。-HP委員-


北村先生ありがとうございます。嬉しくて涙がでてきます。
 

 私は『石ころのうたえる』という本を読みました。この本は『農村青年の生活特集』で山形県白川青年隊の人達が労働で疲れ切った腕に一様にペンをとり、眼をこすりながら、叫んだ人生観、社会観なりを素直に表現したものである。わたしはこの詩のなかから特に自分自身に感銘したものを上げて見て、その感想を綴ろうと思う。

 まず最初に「二、三男」と言う詩について述べてみよう。毎日田畑に出て汗水たらして働いて・・・。そのあげくに収入はわずか。このめぐまれない青年達は一体、どの様な生活を送っているのだろうと思う。この「二、三男」を川底の石ころととらえた山形県白川の青年達が村の邪魔者「二、三男」の位置から抜け出す為に、働きながら勉強し、土木技術者として立つ道をひらこうとして山奥の土木現場に行った時、眼の前にころがっている石ころを自分の様に思われたのである。このような詩も書き綴られていた。

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