12期の広場

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お祭り訪問 雑感短信 ①

8組  末廣 訂

 最近の訪問した祭りから送ります。

 姫路市三ツ山大祭です。20年に1度の祭りとあって、次回はもう見られないと、家内と思いきって、4月1日に電車に乗り、姫路に行ってきました。行きはJRで、帰りは阪神・山陽電鉄の特急でした。

 祭りの歴史や詳しい内容はインターネットを見れば、良くわかります。とにかく大きな置山(18m)が3基あり、しかもこの山は大きな布や着物で覆われ見事でした。

 播磨国総社付近に置山があり、そして姫路城周辺に屋台や舞台があり大勢の人が集まっていました。

 期間中(3/31-4/7)に稚児行列や市民の集い,雅楽等の行事があるようでしたが、1日では全ては見れませんでした。スナップ写真をご覧下さい。



 

「12期の広場」7月号のラインアップ

 今日から7月、早いものです今年も365日の半分が過ぎ、いよいよ、うだる暑さの夏本番です。寒いのも駄目、暑いのも駄目と厳しい季節との折り合いが難しい年令になっていますが、同窓生の皆さん、くれぐれもお体大切にお過ごし下さい。

 

 先日あったある勉強会での話を書きます。勉強会は台風などの強風による建築被害についてのもの。講師の先生はその分野の研究者です。先生の穏やかな語り口とユ-モア、なにより分かり易くて、知力の衰え甚だしい筆者ですら分かったような気持ちにさせて貰えた有意義なものでした。話はその結びにあった事です。

 講師の先生のお母様が今年の初めに脳梗塞で倒れられ、闘病、薬石の甲斐もなく、最近お亡くなりになりました。その間、お母様は病による障害もあってか、二つの言葉以外、話されなかったそうで「二つの言葉だけで生きる事が出来るのですね」と先生が話されました。

 その言葉とは「はい」と「ありがとう」だったそうです。

 驚きました。同時に胸の中でこの言葉がほのかに熱を持ちました。見事な生き方と言うほかありません。

 思うに、「はい」は今を肯うこと、「ありがとう」は数限りなく去来したであろう事柄に感謝すること。とてもとても私には言えそうにありません。先生が微笑みながらおっしゃった言葉。「ひょっとしたら母はたいそう偉い人であったのかもしれませんね。」が深く心に沁み入りました。

 

 今月は私の誕生月、めでたく満72才を迎えます。72才は母のなくなった歳でもあります。いよいよ目標にしてきた母の歳を越えて行くことになります。

 標高の高い三田市の永沢寺は花菖蒲の群生が今をさかりと咲き誇っているそうです。行くつもりが行けません。その代わりと言えば花に失礼ですが、雨に濡れていっそう艶やかに咲く路傍の紫陽花を楽しむことにします。

 

 さて今月号の「12期の広場」ラインアップです。以下の二篇です。お楽しみ下さい。

 
  1.  「-カメオを通して-
        ミロのヴィ-ナスのポ-ズを考える」     4組  前川 光永
  2.  「法格言に見るイギリス法の精神 2 (下)」    3組  松村 勝二郎
 
 

-カメオを通して-ミロのヴィ-ナスのポ-ズを考える

4組   前川 光永

1820年、エ-ゲ海の小島、ミロ島の畑でミロのヴィ-ナスは発見された。
発見当初から両腕がなかった。
台座や石柱なども周辺から発見されているがもともと両腕はどのように付いていたのだろうか。
 
発見から190年。多くの学者達がその腕のないヴィ-ナスのポ-ズに思いをめぐらせてきた。
ギリシャ神話のパリスの審判でのりんごを持ったヴィ-ナスや両手に大きな盾を持ったヴィ-ナス。
また髪の毛をとくヴィ-ナスの姿を想像したり、恋人である戦いの神、アレスと伴に立つ姿など多くの説が出された。
また、博物館に現存する古代ヴィ-ナスの像を参考にして両腕のついたポ-ズを復元したりもした。
しかし未だ、決定的な答えは出されていない。
 
ミロのヴィ-ナスが作られた古代ギリシャのヘレニズム時代流行のヴィ-ナス象があったのであろうか。
同時代や、また後世に作られた色々なポ-ズをとるヴィ-ナス像も発見されている。
これまで多くの学者は博物館が所蔵する両腕のあるヴィ-ナス像からまた解剖学的見地からも両腕のついたミロのヴィ-ナス像を想像してきた。
しかしどの姿も未だ決定的とされているものはない。
 
同じヘレニズム時代、カメオの技術は完成されていた。
「カメオ」とは宝石に浮き彫り彫刻されたもので宝石に彫られるカメオのモチ-フはギリシャ神話の神々であった。
愛と豊かさの神であるヴィ-ナスは両腕で様々なポ-ズをとりカメオに彫られている。
同じヘレニズム時代に彫られているカメオから、私はミロのヴィ-ナスの元の姿を知る手がかりにしてみるのも一考の価値ありと勝手に考えているのだが・・・・
 
17世紀から19世紀にかけてカメオ美術は全盛期を迎えた。
メディチ家をはじめナポレオンやビクトリア女王など多くのカメオコレクタ-が存在した。
カメラがなかった時代、今博物館にある古代のカメオの多くは手書きで写し取られていた。
ここに掲載したカメオのイラストは当時のもので私が博物館から譲り受けたものである。
これらがミロのヴィ-ナスの両腕がどうなっていたのかどのようなポ-ズになるのかを探求する一助になるような気もするしその本当の元の姿を知りたい気持ちが膨らむがしかし一方、我々に、このように豊かな想像とイメ-ジを掻き立ててくれる腕のないミロのヴイ-ナスの方が
ロマンがあっていとおしく、今のままで良いのではないか・・・という気もしている。
 注:ヴィ-ナス(ロ-マ神話)はギリシャ神話ではアポロディ-テ-と、
      マルス(ロ-マ神話)はギリシャ神話ではアレスと呼ばれていた。
 
 
ナポリ国立考古学美術館 所蔵

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法格言にみるイギリス法の精神 2(下)

3組    松 村 勝二郎
 

     5 イギリス法の罪刑法定主義

 (1)判例法の成文化

 共通法による国内の統治をめざす、ヨーロッパ近代の主権国家は、近代自然法思想を()けて、その法制に罪刑法定主義(人権を保障するために―国家権力の横暴を防止するために、犯罪と刑罰を予め法律の明文によって定めておく主義)を採用する。こうして、ヨーロッパ各国は、罪刑法定主義を盛り込んだ刑法を定めるとともに、刑事訴訟法を整備する。イギリスはどうか。

 周知のように、イギリスは〈不文法国〉と呼ばれることがある。憲法、民法、刑法といった市民の法生活の基本法を法典化していないからである。しかし、個別立法は数多く行なわれている。これについて、エディンバラやエクセター大学の法律図書館における見聞をもとに、私はあるところで、およそ次のように記している。我が国の現行法令集は、条約を含めて、たて・よこ各2メートルぐらいの大きな本箱一つに収まる。イギリスの場合はどうだろうか。少なくとも、10倍のスペースが必要である、と。しかもこれとは別に、約1万冊の判例集が存在するのである。

 これには、大きく分けて、三つの理由がある。一つは、一国家に三個の法域が存在することである。イギリス、つまりこの場合は連合王国は、イングランド・ウェールズ、スコットランド及び北アイルランドの三個の法域に分けられる(略地図参照)。従って、マン島やチャネル諸島、ジブラルタルやバミューダなどの海外植民地・自治領を別にしても、三個の法域が存在していることである。もう一つは、法文の体裁の問題がある。そして三つ目に、イギリスは、不要になった法令をなかなか廃止しない(使用されぬままにおいておく)ことがある(これは、新旧法令の差し替えが行なわれないことを意味する)。これらの理由はなにに由来するのであろうか。

 その理由は、連合王国の形成が順次に行われていき(例.1707 イングランド・ウェールズとスコットランドが連合)、それぞれの法域の法制や裁判所判決を継承してきていることにある(一国内同一法を強制する我が国の法制とは、根本的に異なる)。イギリスの主権は議会にある(三権分立ではない)。それゆえに、議会は、基本的人権を無視する法律すら制定することができるが、しかし法の問題に関しては、裁判所の動向を十分に尊重している。議会は行政の監督に徹している。議会は、その主たる関心を行政のコントロールにおいている。その結果、イギリス議会の制定法には、まったくの新規立法は少ない。つまり、我が国のように、国民の法生活を動揺させる将来を予想した〈見込み立法〉は多くない。将来は、神ならぬ身には誰も予想できない。否、予想しても当たらない。我々にできるのは過去を生かして進むことである、と考えるからであろうか。ともかく、制定法の中心は、整理・修正は加えるが判例法の成文化である。これは、法の実質が従来と変わらないことを保障し、市民の法生活の安定をはかるものである。


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「12期の広場」 6月号のラインアップ

 毎週、大阪市内でのあるレッスンの後、居酒屋で遅めの夕食をとるのですが、その店で「季節はめぐった。魚はまだか」と書いたポスタ-が目に止まりました。

 「日本さかな検定」のポスタ-です。「漢字検定」や「ご当地検定」など、○○検定がはやる昨今のこと、商業主義丸出し軽薄を地で行く感じがしないでもなかったのですが、このキャッチコピ-と大書きされた旬の魚の名前は、空きっ腹の私の興味を引くに充分でした。

 春は「桜鯛」、秋は「秋鯖」、冬は「寒鱈」とあります。成る程、季節感たっぷり、またその味もひときわ美味と、納得です。

 注目の夏ですが、「梅雨穴子」とありました。この時期、関西地方で旬の魚と云えば普通はハモではないのかとの思いがあっただけに、この魚名が意外であると同時に新鮮でした。早速、知り合いの小料理屋の大将に教えを乞うと「この時期の穴子は一年で一番旨い時期」とのことです。考えてみれば穴子もハモも、うなぎまでを加えても種としては近いようですので旬は同じなのでしょう。それにしてもニョロニョロの穴子を称して「梅雨穴子」とはよく云ったものです。生まれて初めて穴子のお刺身を食して舌鼓を打ったことを思い出し頬がゆるみます。

 6月です。関西地方ももうすでに梅雨入りしています。

 先月、13期の中務敦行さん(元読売新聞写真部長)から若狭地方の棚田と海のすばらしい写真を送っていただきました。ご覧下さい。

 田植えに励む人々の姿が見えます。今頃は棚田の早苗も梅時雨をたっぷりと浴びてぐんぐん大きくなり、青々している事でしょう。

 今年の梅雨がおだやかな慈雨であることを願いたいと思います。

 

 さて今月号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。

 
  1. 第3回 荒川あるき             3組   西條 軍蔵
                             6組   大石橋 宏治
                             8組   榎本 進明
  2. 兵庫市岡歩こう会で西宮の史跡・酒蔵巡り    7組   張 志朗
  3. 法格言に見るイギリス法の精神 2(上)     3組   松村 勝二郎

第3回 荒川歩き (平成25年4月21日(日)~22日(月))

1日目
 

 前回が昨年の5月27~28日だったので、実に1年振りの開催となる。

 JR高崎線、鴻巣駅に午前9時半集合、大阪から川西君がカメラマン・レポーターとして参加してくれる予定であったが、直前に都合がつかなくなり、また利根川以来の連続参加記録をのばすべき山田君が、愛妻の母上の49日法要の為参加できなかったのは残念である。



 今回のメンバーは泉、榎本、川合、大石橋、西條の5人。もともと昨秋に計画されていた第3回であるが、榎本君の原因不明の奇病により延期、再開も危ぶまれていたが、医者の見立てを裏切る驚異的な回復ぶりを皆で喜びつつ歩きはじめた。

 4月も下旬だというのに前夜来の風雨で寒く、中止かと思いきや、リーダーの西條の励まし?に押し出された。御成橋の右岸を出発して1時間、吉見総合運動公園のテントを借りて小休憩、本格的に雨と寒さに備えた。土手に上がり、雨に洗われて、きれいに咲きそろった菜の花を鑑賞しながら北上する。


 吉見ゴルフ場近くになると雨も上がり初め、リーダーの決行判断に納得、荒川水管橋、玉作水門を経て熊谷市民健康スポーツセンターで昼食とする。寒いので、ロビーを借用してコンビニおにぎりや、地元のおばさん手作りの弁当を楽しむ。14時半ごろ久下橋を渡り、荒川左岸の歩きとなる。この辺りから雲が切れて、赤城山や榛名山が優しい姿を現す。相変わらずの強風のなかを、ようやくの思いで荒川大橋までたどり着く。年齢とともに疲れが早くなり、当初予定のゴールの熊谷大橋はあきらめ、本日の宿泊地、熊谷駅近くの老舗、ロイヤルホテル・スズキに早めのチェックイン。夜は駅前居酒屋『酒悦』でカンパイ!

 
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兵庫市岡歩こう会で西宮の史跡、酒蔵巡り


現役最古の木造灯台前で全員集合です。

 5月12日、第22回兵庫市岡歩こう会に行ってきました。今回は傀儡師古跡の碑→西宮神社→白鹿酒造記念館・酒造博物館→宮水庭園→日本盛酒蔵通り煉瓦館→今津灯台などを訪ねる「西宮の史跡、酒蔵巡りウォ-キング」です。

 集合は午前10時、阪神西宮駅西口、参加者は総勢38名です。天気は前日までの激しい雨にうって変わっての爽やかな五月晴れ。薫風に加えて酒の香りまでするのではとの期待感もあってか、足取りはいつもより軽やかな感じです。

 まずは傀儡師古跡の碑を見て西宮神社です。17世紀末、このあたりに40軒を数える傀儡師(人形使い)が住み全国を行脚してえびす神社の神徳を説いてまわったそうです。西宮神社近くにこの碑がある事に納得です。

 少し歩いて「えべっさん」で有名な福の神えびす様の総本宮-西宮神社。私は初めての参拝です。「一番福競争」の赤門、石畳を通って拝殿に向かうのですが、鬱蒼とした木立を背景に持つなどの予想以上の大きさとその手入れの良さに少々驚きました。(石畳横の一般砂利敷き部にまで「帚目」が入っていました。)

 白鹿酒造記念館・酒造博物館周辺は「喜十郎邸」(白鹿酒造の当主辰馬家の洋館式邸宅で兵庫県重要有形文化財)「酒蔵」とそれを結ぶ「帳場」が並んでいます。

 記念館はいわゆる「れんがタイル」貼りの渋いおもむきの建物で「吉田五十八賞特別賞」等を受賞しています。所蔵の名品の展示に目を奪われながらも、建築設計を生業とすることからか建築物の細部に関心が行きます。酒造博物館では入って直ぐの井戸つるべらしきものにおもわずカメラを構え、往時の酒作りの工程、それに使われた道具類に興味津々、来館記念の生酒のビン詰めをお土産にもらいニコニコ顔です。

 近くの交通公園で昼食の後、恒例の「ミ-ティング」がありました。世話役を代表して13期の高見政博さんが挨拶し、それに続いて参加者全員が自己紹介です。

 参加者の中での最高齢は江本義文先生の87才で、お元気に完歩されました。歩こう会の常連でいつも元気な旧制中学42期生の大先輩は今回も5名の参加でますますの意気軒昂です。もっとも参加者が多かったのが13期で、12期は私と古藤知世子さんの二人でした。ちなみにもっとも若かった参加者は30期ですから、やはり50才を越えています。若返りが必要と云いながらもまだまだ皆さんお元気、歩こう会の主役を降りる気配はないようです。

 午後の最初は宮水庭園です。庭園となっていますが、入れません。宮水の井戸の上にステンレスの覆いが見えるだけです。灘五郷の酒作りに欠かせないのが宮水、つまり「西宮の水」で、その利用発祥の地がここだそうです。

 日本盛酒蔵通り煉瓦館を経て今津灯台に向かったのですが、この頃から爽やかな五月晴れが初夏のカンカン照りになり、日に焼けて首筋が痛い感じ。そろそろ疲れがピ-クのようです。

 今津灯台は現役最古の木造の灯台です。建設が文化7年(1810)と云いますからすでに200年になります。高さは6.7m、形がすこぶる美しい。夏日を反射して光輝く海と優美な灯台を背景に記念撮影をしました。

 帰路、阪神今津駅に向かう途中で今津小学校の独立校舎、今津六角堂(明冶15年建築)を見ましたが、残念ながら内部見学はできませんでした。

 4時前、全行程を無事に完歩して今津駅に到着、解散となりました。 

( HP委員-張 志朗 記 )


傀儡師古跡

井戸つるべ

宮水庭園

今津小学校六角堂

法格言にみるイギリス法の精神 2(上)

3組  松村 勝二郎
 

〈犯意なければ、行為は罪とならず〉

   1 復讐から贖罪契約へ

 法は訴訟手続に始まる。実体法は、最初、その手続の陰に潜んでおり、出現はずっと遅れるという。〈訴訟手続から実体法へ〉といういわゆる法の発展法則の一つである。しかし注意すべきは、これはあくまでも大づかみの議論であり、すべての国家の法が裁判官を上、原告被告を左右の頂点とする正三角形に描かれる三極構造の訴訟手続を有したわけでもなく、訴訟手続へと進んだわけでもない(図1参照)。この点に、法制史の面白さと重要性とがある。それらのさまざまのことが、現代各国の法を特徴づけているであろうからである。

 さて、訴訟手続は、他氏族による権利侵害に対する被害者血族の復讐権を、関係共同体が関与してどのようにして断念させ、贖罪契約(のち訴訟契約)を結んで贖罪金を受け入れ、和解させるかに始まると考えられている。この仮説に従うと、訴訟手続の始原は贖罪契約にあることになる。法記録の上でのその出現は、イングランドにおいては、7世紀、封建制へと向かいつつあった部族制の時代であった。社会は、小王・貴族を上層に、自由人、隷農などから構成されていた。

 

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「12期の広場」 5月号のラインアップ

 月並みですが、5月は新緑の季節です。筆者は武田尾近くの山肌を切り開いたニュ-タウンに住んでいるのですが、爛漫と咲き誇った4月の桜に負けず劣らず、新緑とくに芽吹きの美しさに目を奪われます。

 団地の南斜面に約20m位の巨木、メタセコイヤが一列5、6本ずつ、勾配なりに5列程、植わっているところがあるのですが、その一斉の芽吹きが見事です。

 もともとメタセコイヤの枝振りは幹から枝、小枝、またその梢にいたるまで、他の樹木に比べより細密に広がっているようです。落葉した後の樹の形は目の粗い紡錘形のほうきのようにも見え、その整った枝々から点々と芽吹きが始まると、まるで一面に薄緑の沙をかけたようです。そしてしばしの間に、沙から萌黄のカ-テンと変わって行きます。「風薫る五月」といいますが、この木立を吹き渡る風はきっと「清々しい芽吹きの香り」がするのでしょう。

 芽吹いた一葉がたくましい万緑に、そしてそのやわらかい薄緑はしたたるばかりの深緑に。山裾の萌木の緑は笑うように山尾根を目指して駆け登って行き、透け見えていた山稜をくっきりと緑で線引きします。

 

 五月晴れの空に、鯉のぼりが悠然と泳いでいます。5月は端午の節句。

 コンクリ-トの壁に記した孫の背の丈もすでに130cmをはるかに超えました。

 

 さて今月号のラインアップです。お楽しみ下さい。

  1. アンコ-ル・ワットに行ってきました。」       4組  古藤 知代子
  2. 舞州“市岡の森”お花見と圓尾君の画展の報告」   8組  八島 平玐

以上

アンコ-ルワットへ行ってきました。

4組  古藤 知代子


 奈良市岡歩こう会でカンボジアへ行ってきました。参加者は市岡高校のOB、OGとその家族の40名で12期は私ひとり。プノンペンと世界遺産アンコ-ル遺跡巡りです。日程は1月12日~16日で、日本との時差は2時間、カンボジアの方が遅れています。

 関西空港からベトナム経由でプノンペンへ行きます。直行便がないのでその分、時間がかかりました。(ホ-チミンまで空路で5時間15分の予定が30分よけいにかかり、空港での待ち時間が2時間、それからプノンペンまで空路、40分かかりました。)

 

 カンボジアは乾期(11~4月)と雨期(5~10月)があり、1月は観光に最適だとか、気温は35~6度になります。国土の面積は日本の半分、人口は1400万人だそうです。

 観光客が注意しなければいけない意外な行為があります。人の頭は神聖なので他人が触れてはいけない、(可愛いと思い子供の頭を撫でる行為でも)女性は僧侶に触れてはいけない、直接物を手渡しすることなど、厳禁だそうです。

 街中で驚いたことはオ-トバイが3人、4人乗りで平気で走っているのです。運転免許は不要とのことで、小さい頃から乗っているので慣れているらしいのですが、見ている方が恐怖を感じます。

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