12期の広場

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五・七・五 つれづれに


北浦 昌子 (旧姓 小寺)( 2組 )

 市岡高校「12期の広場」開設、おめでとうございます。そして御尽力いただいた榎本様はじめ関係者の方々にお礼申し上げます。

 HP委員の張志朗さまより「貯まった川柳の中からいくつか投稿してもらえないか」と電話をいただいたので恥知らずのおバカさんが調子に乗って詠みました。

 笑ってください。

 

 傍線部は句会当日の「お題」の文字です。この一文字を入れるのが結構私には大変でした。

 まず自分の句の中で真面目に気に入っている句。

  • 人と会い 笑うことこそ の神
  • 今日も無事 沈む夕日に ありがとう
  • 受験生 昨日のは 今日の友
  • 優しさに 勝るとりえは なくて良い
  • みごと ひとつ晴れても またひとつ
  • 駄目もとで 値切ってみるのが 大阪人
  • ちの タクシ-あおる 不況風

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人生の分岐点


圓尾 博一(3年6組)

 今年4月で古稀を迎える。70年は短いような長いような。しかしその間の時々に、右に行くか左に進むか、自分なりに選択して歩んできたが、誰しもそれは同じであろう。そのチョイスが正しかったかどうか、それは自分自身にもわからない。

 市岡高校から大学へ進学するとき、理科系をチョイスした。私の身近な友人は「君は文科系にむいているのになぜ?」とその時アドバイスしてくれたが、家が貧しかったので、その当時理科系に進んだ方が、初任給が数千円高かったという、何ともミミッチィ条件が私の頭を縛っていたように思う。しかしその友人のアドバイスは、至言であることが後々わかった。

 私は大学で応用化学のコ-スへ進み、無事卒業して、東洋リノリュ-ムという会社に就職、研究室(当時ブ-ム)へ配属された。この会社はその名前の通り、主力商品としてリノリゥ-ムを製造していた。現在は全く死に絶えているが、今から50年ぐらい前は、洋式建築の床材として、例えば病院や図書館、事務所などに使用されていた。変わった例としては宝塚歌劇場の舞台に貼られたりした。
 

 この記事の最下部に圓尾 博一さん(3年6組)の個展の案内がございます。
([続きを読む]をクリックして全文をご覧下さい。)

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めぐりあわせ?~仙台に住んで50年~


投稿 6組佐藤裕久記

 今年(2011年)1月3日に、同期8組川村浩一さんから、また、2月2日に、7組小原靖夫さんから、市岡12期ホームページ:「12期の広場」に投稿した小生の記事にコメントを頂いていましたのに気がつきませんで、大変失礼致しました。(なお、小生が投稿したというより、正確には、幹事:榎本さんへの返信メールに添付したPPTファイルを、榎本さんからの指示により投稿する羽目になったということです。)川村さんのご質問に答えられるかどうか怪しげですが、小生がどんな研究をしてきたか、斜めから眺めたような思い出を記してお茶を濁させて頂きたいと思います。

 なお、小原さんとはこれまで話した記憶が小生にはないような気がしています。その事とあまり関係がないかもしれませんが、小原さんの現住所と番地のみ異なる南足柄市塚原1297-1に数年前まで住んでいた大学時代の小生の友人(Nさん)がいます。現在、Nさんは仙台近くの塩釜市に住んでいて、ギター演奏に浸っていますが、年に数回は会っています。

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市岡高等学校12期同窓会を振り返る


上野 裕通(3年7組)

 市岡高等学校を卒業して25年目、私たちが42歳~43歳の年に、第1回の12期同窓会が、代表幹事の方々を中心に企画されました。当時、案内状をいただいた私は、懐かしい友だちの顔を思い浮かべ、1年生の時、2年生の時、3年生の時のクラスメイトを当時の写真や卒業アルバムで確かめたものでした。「25年の歳月を経て、昔の面影を残しておられるだろうか」と興味津々の思いで、出席の返信を出したことを思い起こします。

 あの時から、また、25年が過ぎ、今はもう、68歳になってしまいました。この25年間に12期同窓会が9回開催されました。毎回参加させていただいていますが、みんなとの出会いのほかにもう一つの楽しみがありました。毎回、会がお開きになるときに即興の短歌を詠まれます。場の雰囲気をとらえたすぐれた短歌に出合えることが楽しみの一つです。
 

 この「12期の広場」は「12期同窓会の25年」の延長線上にあります。上野裕通君の文章(卒業50周年記念文集収録)はその足跡を心暖かくまとめてくれています。一部加筆していただきここに再掲します。

-  HP委員 記 -

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卒業50周年記念文集“みをつくし”を読んで

3年2組 吉岡 佳子(旧姓 大澤)
 

 我が家の小さな鉢植えの白梅の花も散り、桜の蕾も赤くふくらみ春の訪れを告げてくれています。

 先日の同期会では大変お世話になり、ありがとうございました。同期会の席だけでは時間的にもなかなか深いお話ができず、ごく普通の会話に終始してきた私ですが、 “みをつくし”を楽しく拝読させて頂き、皆さんの人生の一端までを垣間見れた想いで、大変嬉しく思っています。それならば私も投稿して卒業後の道のりを共に語り合いたかったと後悔しつつペンを取りました。

幼い頃、甘えん坊で泣き虫だった私は5人兄姉の末っ子として生まれました。両親の溺愛のもと、何不自由なく育ち、結果、依頼心が強く、我がまま。高校時代、食欲モリモリの太っちょな、どうしようもない少女でした。高校入学当初、母は私を医者に(早く死去しました身内が町医者だった影響か?)したいと思って、家庭教師までつけて、教育熱心だったのですが、一向に成績が上がらず、落ちこぼれの私に母の夢は、はかなくも消え去りました。

 卒業間近になりどんどん就職先が決まっていく仲間たちに、私は劣等感を抱いていました。就職先も決まらず、先生方には頭の痛い生徒だったと思います。ゴメンナサイ。

 卒業して一年余り経ったある日、「声が綺麗」と言われたので、姿形の見えない電話交換手になろうと決心し、会話の仕方、ボイストレ-ニング等習い、その資格を取得しました。チャンスが来ました。たまたま見た新聞の「寿屋」(現在のサントリ-)の電話交換手募集(有資格者)の文字が目に入りました。早速応募しました。

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サラマリコン


市岡高校12期 萩原貞雄

 サラマリコン、シュクラン、インシャーラと聞いてピンとくる人はアラブの国に何かしら縁のある人だ。それぞれこんにちは、ありがとう、アラーの神の思し召しをという意味だ。 長年、プラント建設で中東諸国の仕事をしてきた。その中でもサウジアラビアとの付き合いが長かった。1日5回のお祈り、禁酒、豚肉の禁止などなど。

 その中でも女性が肌を見せることは厳禁だ。サウジはアラブ諸国でも厳格なイスラム教徒の国だ。女性は家の外では肌はおろか髪の毛、顔を見せてもいけない。そのため、頭の先から足首まで黒いベールを覆っており、目の部分だけを出しているのだ。でもヨーロッパのブランド品が並ぶショッピングセンターを覗くと服、靴、下着などは色もハデハデで家の中と外では大いに違うのだ。

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第1回利根川 川歩き(平成19年10月30~11月1日)

投稿者 川合兵治(4組)
その1:利根川下流には堤防がない!

1日目:10月30日は利根川歩きの壮行会。夕刻、千葉県銚子市犬吠埼、犬吠崎京成ホテルに、山田、榎本、川合の3人が集結。そぼ降る雨の中、本州で一番早く初日の出が見えるという露天風呂を満悦した後、酒宴はくたびれないよう控えめにして、いつもと違う緊張感で全員床に就く。
2日目:10月31日、快晴。AM9:00にホテルを出発。「君ヶ浜」の海岸線を利根川河口に向けて歩き始める。すると、どこからともなく丸々と太ったかわいい子犬が現われ、まるで我々を見送りに来たかのように一緒に3キロほど歩き、浜の海岸線が切れるところまで来ると、どこへともなく去っていった。

  ホテルから約5.5キロ歩いた所にある「千人塚海難漁民慰霊塔」を過ぎて、800メートルほど行くと、スタート地点となる河口の直ぐ側に漁協の「卸売市場」があり、尾びれの根元をぶった切られたマグロが沢山並んでいた。もう競りが終わったのであろうか静かだった。歩いているとこんな風景も体験できるので今後が楽しみとなった。
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12期の広場開設についてご挨拶(12期代表幹事 酒井 八郎)


大阪府立市岡高等学校 12期同窓会幹事会
代表幹事 酒井 八郎
あけましておめでとうございます。

私達12期生は、昨年、市岡高校卒業50周年を迎えました。
 50周年を記念しての事業も、皆様のご協力、ご支援のお陰で予定通り遂行することができました。
 玉田先生が、同窓会の席で、「12期は仲が良くていい!」と言われましたが、2年がかりの事業を進めるなかで、つくづく、そう思いました。本当に皆様ありがとうございました。
 卒業50周年記念事業を無事おえた今、新しい取り組みとして、市岡高校同窓会のホ-ムペ-ジに「12期の広場」を開設することになりました。
 
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市岡高校12期生 卒業50周年記念事業のご報告

市岡高校を卒業して50年が経過した平成22年3月4日、母校体育館での第62回卒業証書授与式に、12期生41名が参列させていただきました。
62期生283名全員が学生服姿で入場してきた時は、50年前の私達の姿と重なって感慨無量で、大型スクリ-ンを駆使した式次第の構成に、新しい時代を感じさせられました。

<以下画像はクリックで拡大します。>
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米国アラバマ在住の友からのメール


投稿 6組佐藤裕久記
昨年4月の中旬であったと思うが、丁度1年振りくらいにメールがきて、「東京・仙台に来ているが会えないか?」というのである。前年、大学の同窓会誌に投稿して頂いたこともあり、彼の仕事の関係でTUの青葉山キャンパスで数十分間の再会を果たすことが出来た。米国のアラバマに彼が帰ったのは5月の中旬であったと記憶しているが、お礼のメールにPPTファイルが添付されていた。その写真を見て、思わず癒されている自分に気がついた。
何故癒されるのかその理由は、見た人にお考え頂く事にしましょう。
 

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