12期の広場

掲載年月で絞り込み: >>12期バックナンバー一覧

HP委員としての抱負(7組 張 志朗)

おめでとう御座います。
パソコン画面上で恐縮ですが、今年も宜しくお願いいたします。
12期のホ-ムペ-ジ開設にあたりその世話役-HP委員の一人として頑張りたいと考えています。
ご覧のようにHP委員の中には現在女子同窓生が一人もいません。すぐにでも女子同窓生にその労を取って頂くようにしたいと思っていますが、当面は私が女子同窓生皆さんのご要望、ご意見の窓口になりますので、なんなりと申しつけて下さい。また皆さんにホ-ムペ-ジ掲載用の記事の執筆依頼などをお願いすることになりますので、是非ご協力下さるようお願いいたします。

私とてパソコンは不慣れ。チ-フの榎本君になんでもかんでも教えてもらいながらの操作ですが、「呆け防止」の効用ありやと考え、気長にやって行きたいと考えています。但し応分の努力はいとはないとのスタンスです。
続きを読む

HP委員としての抱負(8組 末廣 訂)


近所の神社の頭屋(宮座)
神事の正装
皆さん あけましておめでとうございます。

今年でもう70歳(古希)を迎えます。昨年は市岡高校を卒業して50年の記念の年で、母校の講堂で後輩の卒業式に参加する機会を得ました。 その時のスナップ写真を2-3枚掲載します。
 
続きを読む

利根川 川歩き(源流を訪ねて)

12期の皆様如何お過ごしでしょうか。

私たち、東京12期会の有志で行っている「利根川 川歩き」についてお知らせします。
利根川は「坂東太郎」と言われて、長さは信濃川に次いで日本で二番目ですが、流域面積では日本一の大河です。川の長さは322キロメートルですが、現在おおよそ河口から260キロメートルのところまで歩いてきました。

投稿者 川合兵治(4組)
思えば平成19年10月31日に千葉県銚子の犬吠埼を出発して、今回で8回目を数え、平成22年11月2日には茨城県、埼玉県を踏破して群馬県みなかみ町まで辿り着きました。そして来る平成23年初夏(5月下旬)には、みなかみ町を出発していよいよ八木沢ダムに到着します。ダムの上流には登山道がなく、このダムが歩いて行ける最上流になるわけです。
利根川水源まで踏破したいのですが、そこは、岩登りあり、滝登りありの難コースで、山男の世界です。水源の大水上山には裏側の新潟県側からの登山になりますので、それは、今でも登山をしているメンバーが代表して登ることになります。
八木沢ダムまで踏破した後は、水上温泉で祝賀会を開催します。
そのときは、皆様にお声をおかけしますのでお祝いに駆けつけてくださいね。
第1回からのその時々のエピソードは連載でお届けする予定です。お楽しみにお待ちください。
続きを読む

HP委員としての抱負(8組 川村浩一)


東福寺にて
川村浩一です。あけましておめでとうございます。

ITには疎いのに「HP委員」に指名され困惑も感じましたが、逆に苦手を得意に変えるいいチャンスと頑張るつもりです。みんなでいいホームページを作っていきましょう。
 
簡単に自己紹介させていただきます。

モットー:時代と並走する。
(時代をリードする器ではありませんが、時代遅れにはなりたくありませんね。パソコンくらい使いこなせるようになりたいと思います。)
経  歴:1年5組(担任、杉野先生)、2年8組(担任、渡辺先生)、3年8組(担任、杉野先生)。ちなみに中学は大正西です。
高校卒業後の経歴や現在なにをしているかは
京都の中小企業診断士活動ブログ
http://www.kyoto-sindan.com/
をご参照ください。
続きを読む

HP委員としての抱負(8組 塩野憲次)

8組杉野クラスに在籍していました塩野憲次です。

1年2年は難波先生に担任していただきました。難波先生とはちょっとした葛藤があり、心晴れない日々を過ごしましたが、今にして思えば当時は親の心子知らずだったと反省しています。
クラブは歴史部に所属し、クラスよりもクラブの活動を楽しみました。夏休みの宿泊旅行、近郊の史跡へのバスツアー、文化祭の展示などの思い出があります。
写真は3年の秋の体育祭の仮装行列のスナップで最近みつかったものです。右に映るは 原清明君で、左が私ということですが自分の姿とはどうも思えません。すっかり忘れていたのですが、何か切腹するところがあってその時懐から赤い布切れを取出して血を流すシーンを演出したことを脈絡もなく思い出しました。
原君扮するは猿飛佐助なりと写真の裏にメモがあったこと、切腹シーン等から大坂城 落城の一幕だったのでしょうか。とすれば左の女装は千姫のつもり?いえどう見ても 腰元ですね。淀君や千姫はいったい誰が装ったのでしょう。
抱負を書くようにとのことでしたが、抱負を語るには余りに無知無経験に過ぎます。 出来ることは何でもやるつもりですが、手探りの状態です。
この12期の広場がどのようなもので、どのように活用されるのか、作業に参加しつつ 皆さまと同じ目線で見守っていきたいと思っています。
ところで委員が8組に偏りすぎています。どなたか代わってください。

市岡高校 東京12期会 設立経緯


投稿者 山田正敏(8組)
 12期全体同窓会が市岡高校卒業以来25年、昭和60年(1,985年)に大阪東急インで第1回が開催された。当初5年毎と言う事であったが第4回(2,000年)を境に後は2年毎になった。(その後、現在第9回まで開催している。)
 東京に於ける飲み会等の集まりといえば、全学の「東京市岡会」出席者を中心に数人と飲み会をもよおした事がある。又、野球部が甲子園の選抜出場(過去2回)が決まった時に有志20名程度が参加して野球部の健闘を祈り、祝杯を挙げたりした。その他、1組~3組でゴルフをしたり、5~6人で忘年会をするぐらいであった。
12期全体同窓会の開催が2年毎になったのを契機に、東京でも12期会を開催したいと考え、大阪から送って貰った名簿から関東在住者をチェックしたら50名強のメンバーがいる事が判明した。そこで平成13年(2,001年)11月に横浜中華街で忘年会を兼ねて「市岡高校東京12期会」設立の打合せをした。出席者は男子ばかりではあったが12名であった。
 

第1回東京12期会(平成15年11月7日設立記念)
(画像はクリックで拡大します)
続きを読む

HP委員としての抱負(5組 泉 信也)

明けましておめでとうございます。

5組の泉 信也です。
卒業以来の東京住まいですが、今や大阪とのつながりは市岡の同期会が一番です。平成13年の山田正敏君の声がかりで、その後50名を超える在住者の市岡東京12期会が発足しました。その際に柄にもない大役を仰せつかり、隔年の総会や小旅行など楽しい集いを催してきました。名ばかりの会長ですが名幹事の皆さんのおかげさまで、仲良くまとまりの良い同期会が運営されていることを、新年を機に皆さんと一緒に喜びあいたいと思います。
発足10周年の節目をむかえお役御免を楽しみにしていたところ、昨秋の利根川歩きの折にメンバーの諸兄からHP委員を押しつけられる仕儀となりました。
幸い会長交代は了とのこと、「頼まれごとは断らない」を信条のひとつにしてきたことでもあり微力を顧みずお引受けすることにしましたので、どうぞお力添えをよろしくお願いいたします。
続きを読む

HP委員としての抱負(8組 榎本進明)

12期の皆様、あけましておめでとうございます。

昨年3月の同窓会でHP委員に選ばれました8組の榎本です。 どうぞよろしくお願いします。選ばれた理由は、通信会社に勤めていた ということでした。でもホームページとは何ら関係なく、初めてですので自信はありません。今の心境は「選らばれたかぎりやるしかない」という思いです。しかも、川村君の発想で、チーフは、榎本、サブは張、の一声で決まってしまいました。強引ですね。
 そして、市岡高校同窓会ホームページを担当している業者さんとの打合せが始まりました。初歩から聞きまくりの連続で、業者さんの支援のもと、何とか開設にこぎつけることが出来ました。
最初の全体ミーティングで顔合わせをしたときは、委員5人のうち4人が8組なので「誰が選んだのだろう」と思いました。東京からもう一人選んでほしいと言われたときに、思い描く顔ぶれはやはり8組ばかりで、考え抜いた挙句、5組の泉君にお願いすることが出来ました。

続きを読む