同期会

高40期生同窓会 収支計算表

【高37期】2020年市岡高校37期生同窓会の開催について

37期生の皆様には益々ご活躍のことと存じます。

新型コロナウイルス感染拡大が懸念されていますが、2020年4月29日の市岡高校37期生同窓会「令和だョ!全員集合」は、予定通り開催いたします。
なお、今後の感染拡大等の状況により「延期」等の判断をする場合は、このホームページ上でお知らせいたしますので、ご確認いただくようお願いします。
このホームページでお知らせしない限り、予定通り開催いたしますので、ご出席の方にはご予定をお願いいたします。

2/28現在、1次会149名(担任の先生4名含む)、2次会125名の方にご出席のお返事をいただいています。 
出欠の変更等があれば、4/10(金)までに各組幹事又は事務局・久米までご連絡ください。

【連絡・お問い合わせ先】
37期生同窓会事務局 幹事 久米秀樹(3年4組)
携帯電話 090-9285-1601
電子メール kume7181☆gaia.eonet.ne.jp
※上記☆は@(半角文字)に変更してご利用下さい。

「12期の広場 」 2020 新春号のラインアップ

 
 明けましておめでとうございます。
 令和になって初めてのお正月、2020年のスタートです。少々、不本意な迎春準備で迎えた元日ですが、やはり身も心も新たになり、新年の喜びと期待が溢れてくるものですね。カット写真を十国峠からの富士山にしました。雄大にして壮麗、荘厳で実に美しく、清々しい心持ちで一杯。今年もきっと良い事が沢山あるような気がするのは、名にし負う、霊峰、富士の力でしょうか。
 今年も「12期の広場」を、どうぞよろしくお願い申しあげます。
 
 実はこの写真、昨年の11月11日の市岡東京12期会の翌日、同窓生の皆さんと熱海に小旅行した時に撮ったものです。十国峠は中学校の修学旅行に訪れていますが、その時の記憶が全くありません。雲一つない秋晴れの中の360度の眺望は、まさに絶景の一言。前日の同窓会の余韻と、今ここに友と共に在る感慨もあってか、2019年のハイライトになりました。
 東京12期会の同窓会は、一昨年、大阪での同窓会が終了しただけに、格別なものでした。会場は高度成長真っただ中、そのシンボルとして建てられた日本初の超高層建築の「霞が関ビル」。30歳代にこのビル内で仕事をしていた緒方君の言葉によれば、ここから東京湾が見えたそうです。今は周辺に超高層ビルが林立し、東京は大変貌。我が同窓生の足跡も、「夢の跡」のように埋もれていき、また、老は日常にさまざまな影を落としているようです。それでも市岡健児・健女の意気は高くありました。また学友との再会は何にも代えがたい喜びでした。「歳を“とる”ことを引き算で考え、日一日と若くありたいと思っています」と話した杲田さんの言葉に、心がぼぅと温かくなりました。
 今年は、「2020東京オリンピック・パラリンピック」の年でもあります。12期会で、萩原君から、添付写真の1964年東京オリンピックの時の役員証が披露されました。これは、彼が江の島でのヨット競技開催時に競技役員として参加し、その記念として贈呈されたものだそうです。一気にオリンピックが身近なものに感じられました。すでに、卓球、バドミントン、柔道などなど、東京五輪出場をかけての厳しいドラマが報じられています。オリンピック・パラリンピックは全世界からアスリートが集う平和の祭典。本番は、さらなる人間ドラマと鍛え抜かれた心技体の素晴らしさを目の当たりにすることでしょう。
 今からどきどき、わくわく、楽しみにしています。
 
 さてわが「12期の広場 」 2020新春号のラインアップです。市岡東京12期会の報告ほかに加え、11月16日に亡くなられた三井健司君を偲んで、酒井君が文章を寄せてくれました。
 三井健司君は12期の野球部エース、夏の甲子園にあと一歩に迫ったあの熱い夏の記憶はいまだに色褪せることがありません。心からのご冥福をお祈り申しあげます。
 新春号の記事は以下の5編です。ご覧ください。

1. 「第9回市岡高校東京12期会と熱海小旅行」  ・・・・・・・・・・・・・・8組 萩原 貞雄
2. 「東京12期会に参加して」  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7組 小原 靖夫
3. 「『 甲子園への夢をありがとう !!  』— 三井健司君を偲んで」 ・・・・4組 酒井 八郎
4. 「野球と人生」(卒業50周年記念文集からの転載)  ・・・・・・・・・・4組 三井 健司
5. 「四季の花籠 ― つれづれに ③ 」  ・・・・・・・・・・・・・・・・6組 高見 政博

以  上

第9回市岡高校東京12期会と熱海小旅行

8組 萩原貞雄

霞が関ビルへ

 今日は令和1年11月11日、東京霞が関ビル35階での市岡高校東京12期会の日だ。熱海小旅行参加組は12期会終了後熱海へ移動することになる。
この霞が関ビルからは眼下に皇居が見える。昨日は天皇・皇后両陛下の即位パレードが皇居から赤坂御所まで4.5kmにわたっておこなわれた。霞が関ビルは建設当時日本一高い超高層ビルであった。戦後日本の成長を象徴するビルだ。高層ビルが乱立する東京にあって、建設後50年が経った古いビルだがまだまだ健在だ。我々も昭和、平成を経て令和元年のこの日、卒後60年目の同窓会を迎えるのだ。
 

開会


 定刻になり榎本幹事による12期会のスタートだ。大石橋東京12期会会長の開会宣言に続き酒井12期会会長の祝辞を頂く。
長きに亘りこの会が続くのも両会長と幹事達、歴代の会長のお陰であろう。酒井会長から東京12期会の開催に当たり12期会本部よりお祝い金を頂く。今回の資金の一部とした。



 

物故者への黙とう

 2018年4月27日ご逝去の4組・野田播磨 君に対し全員で黙とうを捧げる。
 

ショートスピーチ


 司会の榎本幹事の計らいで今回は3時間たっぷりとってあった。遠来の山本さん、近くは都内在住の児玉さんから始まった。病気と付き合いながら元気に活躍している人。会社勤めを終え地域コミュニティへの貢献、孫のお世話に忙しい人。年金だけでは生活できないとして働き出した人もいる一方、趣味に旅行にと贅沢な時間を過ごしている人も居る。総じて女性達ははつらつとして活動的だ。スピーチの話題は尽きない。


 

参加者

 今回の参加した全員23名で記念撮影をする。写真の中に名前を榎本幹事が入れてくれた。このうち酒井会長、張、末廣、梶、古藤、藤井(鍋島)、段中(高田)さんは関西から、山本(古荘)さんはカナダから、柏木(後藤)さんは三重からの参加だ。遠くからよく来てくれました。
 この会を終わってそのまま熱海小旅行に参加する人は張、榎本、児玉(青木)、古藤、大石橋、山本(古荘)、段中(高田)、杲田(鵜飼)、柏木(後藤)、萩原、末廣、泉君の男性6名、女性6名の計12名だ。
 

今後の市岡高校東京12期会

 歓談とスピーチの時間もあっという間に過ぎ、今後のこの会の運営について皆さんの意見を聞く。以前にもいつまでこの会を続けるかについてこの会で話し合った。東京オリンピックは大分先と思っていたがやってきた。寿命も延びている。我々も体に気を配りながら年齢を重ねて行く。結局期限を定めず、可能な限りこの会を続けるということになった。
また会長、幹事についてもこれまでのご努力に感謝するとともに今まで通り続投していただくということを参加者一同で確認し合った。
 
 最後に皆さんで肩を組み校歌「東太湖の水受けて、溶々西に20余里・・・」を歌い、次回の再会を願って散会する。

熱海小旅行

 霞が関ビルから東京駅まで直線距離ではたったの2.5 km。虎ノ門から地下鉄に乗る。新橋駅で山手線に乗り換え東京駅に向かう。1時間半もかかった。12人の皆さんは旅慣れた人たちだ。それでも通勤客の激流にもまれ、東京駅で新幹線の特急券を買うのに手間取った。この混乱の中、とうとう12人は3つのグループに分かれてしまった。児玉さんらの第一グループ、段中さんらの第二グループ、榎本君らの第三グループだ。児玉さんらは先の新幹線で行ってしまったらしい。第二、第三グループは首尾よく、同じこだまの車内で一緒になった。最後は熱海駅の改札で第一グループの児玉、山本、杲田さんから出迎えを受け無事再会する。
 

熱海KKRホテル

 児玉さんのお世話で予約済みの熱海の海岸沿いにあるホテルで夕食を一緒にする。市岡という同じ高校で育ち、昭和、平成と比較的平和な時代を過ごしてきたが、60年の歳月にはそれぞれ違った山谷があっただろう。夕食を挟んでお互いの近況を話し、級友の消息を確かめ合い、夜中まで話は続く。
 

太平洋に朝日が昇る

 このホテルは熱海の海岸に面している。朝、カーテン越しに朝日が射す。カーテンを開けると太平洋に朝日が昇る。初島、伊豆大島は目の前だ。早速ホテルの7階にある露天風呂で一風呂浴びる。絶景である。今日は快晴だ。
貫一・お宮の像のある熱海の海岸から海抜771mの十国峠展望台までバスとケーブルカーの旅だ。我々12人は乗り合いバスの後部座席を陣取る。バスは熱海の街並みを見下ろしながら喘ぎながら登っていく。十国峠登り口でバスを降りケーブルカーに乗り換え頂上へ向かう。
 

十国峠


 ケーブルカーを降り立った我々を待っていたのは360度広がる景色だ。雲一つない快晴。展望台の係の人がいうにはこれほど視界の良い日はめったにないと。富士山はもとより伊豆半島の大室山、眼下の沼津、熱海、太平洋に浮かぶ伊豆大島。また目を東に転ずれば手前の三浦半島、はるか房総半島まで見える。横浜のみなとみらいにあるランドマークタワーが見えたのは感激だ。



 

来宮神社へ

 十国峠への往路、バスの運転手からバスとケーブルカー往復乗り降り自由の一日フリーパス1200円の紹介があった。全員これを買っていた。これで来宮神社に向かう。
身を清めてお参りする。
60年後の再会が果たせたことに感謝し、皆さんでこれからの健康と無事を祈る。

 

再び熱海駅へ


 フリー切符で再び熱海駅に向かう。熱海は、退職後の終の棲家として移り住んでくる人も多い。また観光地としても復活してきた。
その為か駅前は平日にも関わらず人出が多い。
昼時に12人の食事ができる居酒屋を見つけてここでも歓談の花が咲く。大分長居をしたがここで関西組と関東組はお別れとなった。

 

再会を約して

 これからもそれぞれ違った環境で違った道を歩むことになる。いつかまた再会し、来し方行く末を語り合うことがあろう。同窓会、英語でリユニオンという。簡単に言えば再会ということだ。
あの世での再会はまだ早い。あの世での同窓会の案内も当分来ないだろう。
それまで健康でいよう。また今回病気などで参加を見合わせた人は健康を取り戻して再会しよう。

 
 
                          

 写真アラカルト

霞が関ビルからの皇居 ♪♪東太湖の水受けて♪♪
スピーチに聞き入る フムフム、それでどうしたの?
旧交を温める イョー!待ってました
十国峠 真鶴半島、三浦半島、房総半島を望む 十国峠 上の地図の様に10の国が見える
ケーブルカーの中で 十国峠ケーブル駅から富士山
皆さん良い笑顔ですね
2020年もこの笑顔で行きましょう!

 
写真提供:榎本幹事、萩原

東京12期会に参加して

7組   小原靖夫
 2019年11月11日東京霞ヶ関ビル35階で開催された同窓会には、関西地方の方始め全国から参集され、和やかな中に各自の人生から湧き出た情報の交換で学びの多い大変幸せな3時間を共有することができました。
 思い起こしますと1960年3月に卒業して60年目になり、この継続を支えられてこられた方々のご尽力には並ならぬものを感じ、敬意を表し感謝申しあげます。私は今回が2回目にすぎず、この貴重な会報に載せて頂くには相応しくないと心得ておりますが、おゆるしくださいますようお願い申しあげます。
 
 歴史(人生)は過去を包含しながら現在を突破し未来に向かっていますが、私は過去を振り返る勇気を長い間、持つことができませんでした。惨めな過去に存在を見出せない自分にある種の嫌悪感を持ち続け、学生時代は劣等感との戦いの毎日であり、社会に出てからは人間関係が上手くゆかず悪戦苦闘の連続で少数者意識に逃げていました。それ故に、ひたすらに未来に向かって邁進するほかありませんでした。同窓会の案内を頂く度に、心が痛み、それを無視する自分の二面性を自覚していました。
 
 今回、私にとっては驚くべき出会いがあり、大いなる過去を気づかせて頂き感謝に耐えません。それは柏木姉(旧姓後藤姉)が、私が市岡高等学校に存在していたこと、私が全く忘却の彼方に追いやっていた時を鮮明に語ってくだり、過去の一点に火が灯されました。柏木姉は、「あるとき席が前後であったこと、私が卒業式には受験で出席できなかったこと」を思い起こしてくださったのです。そのことから鮮明に思い出したことは「人の5倍努力していた自分」でした。
 入学した最初の試験が220番でした。担任の吉田先生との個人面接で、厳しい指導を頂き、素直に従いました。次の試験では8番になり、吉田先生自慢の生徒になりました。それは範囲のある試験でしたから、人の5倍努力すれば可能なことでした。しかし、実力は低く、次の試験では98番になりました。その後も激しい変動が続き、どんなに努力しても物理と生物についていくことができなくなり自己嫌悪に陥りました。今ならそれを受け入れられる知識もあります。
 「この世に生まれる一人一人は、何か今までに存在しなかった新しいもの、独自なものを表している。一人一人は彼と同じ存在がいまだかって世になかったことを知る義務がある。一人一人は彼にしか果たせない使命を果たすべく、この世に存在している。もし、彼と同じ存在が過去においてあったとしたら、彼はこの世に今いる必要はないのだ」(マルチン・ブーバー)
 
 次に、大切なことを想起しました。内向的で暗い性格を丸出しにしていたので、同期のM君が「君には聖書があっているよ」と助言してくれました。同じ時期に川村君が何かの集会に私を誘ってくれたような記憶があるのですが。
 これを確かめたく来年は同君に会いたいと思っています。その何かの集会で私は聖書を読もうと決心しました。読んでも分かりません。M君が教会いけば、と言われ場所まで探してくれました。音楽が苦手な私に讃美歌を歌うのが辛く長続きはしませんでした。この聖書への芽がこのとき、私の中に植えられたと感じたのはずっと後のことでした。とても大事な出会いを忘れ過去を否定し続けた自分が過去の一瞬に助けられていたことに気づいたのは、今回の同窓会に出席して、柏木さんから声をかけて頂いたお蔭です。張兄は現役時代にお助けと励ましを頂いてずっと私を見守ってくださっていました。
 47歳の時に仏教詩人で有名な坂村真民さんと出会いました。最も有名な詩は「二度とない人生だから」で、多くの方の知るところです。もう一つ抜きんでているのが「念ずれば花ひらく」でこの言葉が700近く国内のみならず5大陸に建てられています。私はイスラエルの平和を願い、この仏教詩人の言葉をヘブライ語と英語に訳して、キリストの教えに従い、ヘブライ大学の植物園に建立しました。(1994年3月31日)
 今はひたすら母が残した「希望に目覚め、使命を果たし、感謝に眠る」日の来たらんことを願っています。
 この拙文にお目通し頂く皆さんに感謝いたします。

「 甲子園への夢をありがとう !! 」 — 三井健司君を偲んで

4組  酒井 八郎
 
 市岡高校の野球部エースだった三井健司君が、昨年の11月16日、彼岸へ旅立たれました。
 11月11日、東京で市岡東京12期会の同窓会が開催されて5日後のことでした。ご冥福をお祈りいたします。
 2月、6組の畠平雅生君に続いてのお別れです。お通夜、お葬式には二十人近い12期の同窓生が参列し、三井君を偲び、お見送りしました。京都から7組の別宮君が来ておられたのですが、三井君とは幼稚園、小、中、高校、そして大学まで20年近く同じ学舎で、共に過ごされた間柄だそうです。お二人がまだ幼い頃、三井君の父上が、馬車で荷物を運搬されておられたお姿を憶えておられます。
 荷車と言えば、私にも想い出があります。桶作りの職人であった父の手伝いで、子供の頃、西区の材木問屋へ行ったことです。「すしはんぼ」(ご飯を冷やし、すし飯にする時などに使う“半切り”)や「おひつ」などの木桶を作る材料の「さわら」という木材、ひとかかえもある太くて、長い原木を大八車にくくりつけ、川口町、玉川町、野田、西九条、千鳥橋を経て四貫島迄、汗びっしょりになりながら、何度も運んだことでした。
 別宮君の想い出話を聞かせていただいた後、祭壇横に置かれてある、三井君がコツコツ整理されたアルバムを拝見させてもらいました。
 息子さんや娘さん達と、そしてお孫さん達とのなごやかな家族写真と共に、川西君が撮影された写真が、笑顔の写真が何枚もありました。
 添付の写真は、昭和62年、市岡高校が第59回の春の選抜に出場した時、甲子園からの帰路、応援に行った12期の皆さんで、三井君を中心に撮ったものです。
 高校三年生の夏、藤井寺球場での大阪大会準決勝戦、彼はピッチャーズマウンドで、力投を続け、私はスタンドで、手を振り、声をはりあげ応援、八尾高校を相手に一つになっての試合でした。「もし、あの時八尾高校に勝っていたら !」の想いは、この春の選抜出場で実現されました。
 平成7年、阪神淡路大震災の年にも、市岡高校は春の選抜で甲子園に出場しています。「 甲子園出場 !! 」が、どれだけ多くの人を勇気づけ、元気づけたことでしょう。後輩のプレーに一喜一憂しながら応援し、みんなで校歌を歌い、ふたたびの夢の実現を喜び合いました。
 阪神淡路大震災の当日、三井君の運送会社の車両が貨物運送中に神戸で被災、その救援にご苦労された話を聞かせてもらいました。自宅と商店が全壊した私へも「ハッチャン、がんばりや !!」と声をかけてくれました。
 母校同窓会の佐藤会長から、12期生からも同窓会役員を出すように要請された時、心よく引き受けてくれたのが三井君です。副会長として、野球部の支援のみならず、母校同窓会の運営にも、力を注いでくれました。
 舞洲のお花見には、奥様とお孫さんと一緒に、市岡の森まで登ってこられたこともあり、やさしい「オジイチャン」でもありました。
 三井健司君、本当に長い間、甲子園への夢をありがとう !!   合掌

野球と人生

三井健司  4組
 
 名門、市岡高校卒業50周年を祝して発行される記念誌の1ページに、投稿させていただく事に感謝いたします。

 私の人生は、市岡高校公式野球部に始まり、諸先輩方の激励とおだてに乗せられて、母校の甲子園出場を夢に青春の情熱を傾けてまいりました。今振り返ってみましても、先輩、監督・コーチの怒鳴り声が絶えることがなかった厳しい練習風景が脳裏に焼きついております。
 真っ黒になったユニホームと、縫い目の切れたボール、所々裂けたグローブに、ひたすら甲子園を目指した青春の思い出ばかりの、市岡高校イコール野球の学生でした。
 紅顔の悪がき大将も、今は老眼の「皺お爺さん」。しかしこの投稿を機に、若かりし頃の思い出に浸ることが出来ましたことに感謝を致します。高校生活最後の、夏の高校野球大阪予選で、市岡高校の野球部員の一人としてマウンドに立ち、仲間達の応援歌「東大湖の水受けて・・・・・・」を聞き、私が母校の主役になったような気分で、元気百倍の勇気を背に受けてマウンドに立ちましたが、準決勝で力及ばず八尾高校に無念の敗退、甲子園への夢は叶うことができませんでした。
 しかし早稲田大学野球部に入部し一年の秋リーグ戦の早慶六連戦に勝って優勝を果たし、石井連蔵監督の胴上げには加わることができました。
 ひたすら野球に専念した高校・大学時代、先輩・後輩の秩序、縦横の教え、社会に出てからの諸先輩方のお助けも、スポーツをした者ものではないと解らない有難味を頂きました。社会人となり、後輩をもう一度甲子園へ出場の一念から、母校市岡高校野球部員に、野球の楽しさと厳しさ、そこからは無尽蔵に汲みだされる人生の喜びを伝えたく思い、昭和62年及び平成7年、河合監督の手助けをして、子供たちを念願の甲子園に連れてゆくことができ、伝統ある三本線の入った野球帽を全国高校野球ファンの前に34年振りに思い起こさせることができました。
 齢68年を数える今、私には汗と埃にまみれた苦労はもうできようもありませんが、その思い出だけは心に深く残っております。野球から学んだ人生、仕事から学んだ野球人、厳しさの連続の中から出会った先輩方からの教えが、現在の未曾有の不況に立ち向かう私の、力の原点となっていると申しても過言ではありません。私の心には、市岡高校のために頑張った青春、今社会から助けていただいている人生も、野球からの教えの賜物との思いが常に溢れております。  
 社会人として認めて頂ける人生も市岡高校に入学をさせて頂いたから現在の私があります。
 若い後輩たちに一言申上げるとすれば、それは、「青春は二度と戻ってこない!今、君達は何を目標として頑張り、また何を思い出として残そうとするのか?」です。
 
 卒業50年を顧みれば、私にとりまして野球だけが青春の思い出となりました。
 市岡高校の益々の発展と、何か伝統あるスポーツ殊に、私にとりましては野球部が全国制覇を果たすのを、見果てぬ夢として筆を擱きます。

四季の花籠 ― つれづれに ③

6組  高見 政博 
 冬の花々です。
 「山眠る」は冬の季語ですが、高い山は厚い雪に覆われて静かに眠っています。高山植物は当然雪の下です。里山でも冬に咲く花はほとんどありません。思うに、この時期は虫たちも冬眠中で大切な花粉を運んでくれるものが居ないのですから、花を咲かせても無駄だということを知ってのことでしょうか。
 そんなわけで、冬に咲く花と言えば山茶花、臘梅(ロウバイ)くらいしか思い浮かびません。昨年の12月のラインアップに掲載されたのは温室の花、洋蘭のデンファレでした。
 しかし、冬を12月から2月とすると選択肢が広がります。
2月も節分を過ぎると陽射しも幾分力強くなってきて、春の気配を感じる日があらわれます。春1番が吹く頃になると先駆けて咲き始める花があります。「スプリングエフェメラル(春の妖精)」と呼ばれる花々です。
 此処ではそんな花のいくつかを紹介します。
 


 「フクジュソウ」です。漢字にすると「福寿草」。めでたい名前から正月の縁起物として、松竹梅の盆栽飾りの下草としてつかわれますが、自然界では2月下旬頃に咲きます。六甲高山植物園で撮影しました。
この日は前日に冷たい雨が降り、標高の高い所にある高山植物園は雪になったようで、花には雪が積もっていました。それでも春を思わせる陽射しを受けてけなげに咲いています。その姿には感動をおぼえました。


 「ミスミソウ」です。この花の近縁種の「スハマソウ」とともに園芸店では「雪割草」の名前で売られています。しかし、「雪割草」という名前の花は高山植物にあって、全く違う花です。ちなみにミスミソウは「キンポウゲ科」雪割草は「サクラソウ科」です。
 直径1㎝に満たない花ですが、色や姿の変化が非常に多く、まるで別の花のように見えるものがあったりします。群落で咲いているところは、まるで昔、女の子が遊んでいた「おはじき」を撒き散らしたようで、たのしい光景です。

 「バイカオウレン」です。この花も2月下旬頃に咲きます。直径1㎝くらいの花で、一面大群落になります。2月下旬、先のフクジュソウと同じ日の撮影です。フクジュソウの項で述べたように前日雪が降って木々にはつららが下がっていて足下は凍結していました。そんな寒さの中で少し力強さを増した陽光を精一杯受けて咲いています。

 


 「セツブンソウ」です。名前のとおり節分の頃に咲きます。
 先のミスミソウやバイカオウレンと同じように、花びらに見えるのは萼が変化したもので、花は蘂(しべ)の根元にある黄色い部分で、蜜腺になっています。直径が2㎝弱の地味な目立たない花ですが、寒風の中、凜とした花姿が印象的です。


 
 
 これらの花々は冬の終わり頃、春に先駆けて咲く花々ですが、木々が葉を落として、林下は太陽の光が一杯にふりそそぎます。木の葉に覆われて薄暗くなる前にいち早く花を咲かせる。その知恵には感心します。
 
 

 

 最後に温室の花も一輪紹介します。「パフィオペディルム」です。
 洋蘭の一種で一見食虫植物の様な姿をしていますが、食虫植物ではありません。
 ヨーロッパでは「貴婦人のスリッパ」と呼ばれているそうです。








 

【高21期】づぼらや忘年会のご報告


令和元年、づぼらや忘年会はもう11回を数えます。
今回は、初参加の南口君と芝崎君が加わって21名が集まり、いつもながらの楽しい会になりました。

◆初参加メッセージ
 2月27日の「記念同窓会」に続いて「づぼらや忘年会」を企画していただいた世話人会の皆様に先ずお礼申し上げます。次に市岡時代に、親交のあった人なかった人。なにはさておき、50年の歳月を経て再会できたことを喜びたいと思いました。
 我々も齢70歳を目前にひかえ、残された時間が多くないことを思えば、動けるうちに顔を見ておく必要があると思います。今後とも、同窓会世話人会の皆様におんぶとだっことはなりますが、よろしく取りまとめの方、お願い申し上げます。
 時節柄、冷え込む毎日が続きますので、皆さま体調にお気をつけてお過ごしください。

市岡高校21期 3年3組 南口和人

追伸 「21期 古希の祝い同窓会」を来年開催することになりました。ご期待下さい。(詳細未定)
幹事代行/竹内 哲

【高校21期】「づぼらや忘年会」のお知らせ

21期同窓会事務局

木枯らし1号が吹けば忘年会の季節。
今年も「づぼらや忘年会」のお知らせです。
飲めや歌えの大騒ぎ。皆さんの参加をお待ちしています。
初めての方も大歓迎ですよ〜♪

※ 昨年の模様はホームページの写真でご覧ください。


◇日 時:令和元年12月7日(土)18:00〜   
◇場 所:づぼらや「新世界本店 新館」(本店斜向い)
◇会 費:7.000円 
 
参加の申込みはメールで → info☆reihyo.com(☆を@に変えて送信)
締め切り 12月1日
お問合せ先:幹事代行/竹内 哲(090ー8659ー6315)
メールアドレス:s-takeuchi☆knd.biglobe.ne.jp(☆を@に変えて送信)