同期会

「東京市岡会」参加報告

8組 榎本進明
 
 6月29日に関東地方の梅雨が明け、翌日の6月30日(土)は暑いけれどカラッとしたその日に東京市岡会が新宿三井ビル54階で行われました。今年は第59回で来年60回の節目となる前年であったが、参加人数が70名と例年より減りました。会場も例年の3分の2の広さになりました。そのような中で8期の参加者が9人もいらっしゃったのは特筆されます。三浦宏文さんが叙勲されたことを一緒に喜びたいと同期の皆さんが集まったものと推測されます。 
昨年の11月3日宮中で授与された瑞宝中授章と賞状。羽織袴で参上されたと話されました
 
 開会の辞は、根津 武夫さん(高5期)。元号が変わる時代を迎え、新しい時代に即した東京市岡会の発展を期待しています。と挨拶。「平成」最後の年への思いを語られました。
高5期の根津武夫さん
高11期の会長小野惠嗣さん
 会長挨拶は、小野 惠嗣さん(高11期)。まず、高8期の三浦 宏文 東京大学名誉教授が、瑞宝中綬章(勲三等瑞宝章)を受章されましたことをご報告されました。同時に、歴代会長への思いを語られました。初代会長の広岡 知雄(中20期)先輩は「市岡と聞くとどうしようもなく胸が熱くなる」とよく言われていました。入院時に、朝日新聞の社長などがお見舞いに来られた時に、「朝日の社訓は、右からは左と言われ、左からは右と言われる新聞社である」ことを念押しされたこと。3代目会長の中34期の松原 治先輩は、「後輩が市岡と聞くと何でもしてやりたくなる。東京は大阪の植民地で、植民地に来た市岡の後輩を応援したい。東京から大阪に進出した企業の多くは失敗するが、大阪から東京に進出した企業は成功する」とよく話されていたこと。筆者も初めてお聞きした内容でした。三浦先輩は4代目会長で、小野会長は6代目会長です。
 最後に、小野会長からの提案で、今後の市岡卒業生が気軽に集まれる場が欲しいとの希望に沿って、中央区の公共施設利用登録をしました。「東京市岡会スマホふれあい亭」という名称で登録されました。中央区の全21ヵ所利用可能。申し込みはネットでIDとパスワードで簡単。例として、銀座区民館の15名定員の洋室は2室あり、午前700円、午後1,000円で利用できる。
 続いて、母校校長 福島 秀晃 様のご挨拶がありました。市岡の学力が上がってきたこと。教育の真の中身
福島校長先生は今年が最後のご参加
高8期の佐藤同窓会長はよくとおる声でお話
づくりをやっていること。2年後の大学入試方法変更への対応。運動部活動のガイドライン作成。インターネットを活用した英会話能力の向上と大学の先生を招いた理科教育などを取り入れること。等々市岡の潜在能力を引き出し、各分野で活躍できる人の教育を目指し、定年までのあと1年役目を果たすつもりです。
 母校同窓会会長 高8期 佐藤充利 様のご挨拶では、2016年度入試での定員割れ。昨年は福島校長先生はじめ、各先生方の大変なご努力で、定員割れを防ぎ、今年は1.38倍となったので一安心。しかし、港区の人口が往時の半分となっているので、定員割れの危機は続いています。防ぐ方法の一つに野球部を強化すればどうかとの意見が出ました。現在、一番活躍しているのは、府下でトップクラスの実力を持ち、部員も140名になる吹奏楽部です。私立の吹奏楽部ではなく、希望する大学の進学も可能な市岡の吹奏楽部で活躍するために2時間もかけて通学する生徒もいます。3年後には創立120周年を迎えます。甲子園に出た当時は定員割れなど思いもしなかったものです。野球部だけを支援するのも問題があるので、120周年事業に全クラブを支援する事業を入れられるよう努力します。その時は、皆様のご協力をいただきたいと思います。定員割れについては、特に旧制中学期からの先輩から厳しいご指摘を受けました。二度と定員割れを起こさないように同窓会も学校と連携して活動していきます。
 続いて、校歌斉唱、乾杯、歓談となりました。その中で、三浦宏文さん、河合孝さん、はじめ初参加の方や、発言希望者が相次ぎ、にぎやかな歓談兼発表会になりました。
中41期の松本成男顧問のハーモニカ伴奏によ
る校歌斉唱。御年90才
招待期の高校20期・梅本光明さんと三野富久
夫さんのご発声により校歌斉唱
同窓生と歓談中の三浦宏文さん(左) 
 
週刊ベースボール6月28日号増刊を手に河合
孝さん。市岡野球部主将が入場行進する。
  
★河合 孝 野球部元監督のお話
 今年は高校野球100周年記念大会となります。今市岡に取材がたくさん来ています。100回連続予選会に出場した高校は全国で15校です。大阪では、市岡だけです。
 高52期の野口野球部監督は、今日は来る予定でしたが、所用があって来ていませんが、野口監督は野球に対する情熱もさることながら母校愛が強い男です。応援をお願いします。
 右の表紙の写真で市岡の野球部が堂々と載っているのは、なんとも頼もしく嬉しいですね。
 
 
 
 


★初参加の方をご紹介(3人)

 写真上左は、高26期 藤井 一裕さん。山梨県の大月カントリークラブで社長をしています。市岡OBには、特別な扱いをします。
 
 写真上右は、高38期 寄石 和美さん。大阪からきました。卓球部にいました。
 
 写真右は、高43期 古井 なおみさん。
 吹奏楽部にいました。 


★高10期 文屋 正道さん
 娘の オペラ歌手(ソプラノ)の文屋 小百合が、東京二期会オペラ劇場9月6,7日公演〈三部作〉外套/修道女アンジェリカ/ジャンニ・スキッキに出演します。また、日暮里サニーホールコンサートサロンで11月16日(金)19時から独演会をします。応援をしてください。


★此花市岡会会長 高19期 大山 泰正さん
 此花市岡会は20周年を迎えます。毎年4月第二日曜日に舞洲の市岡の森でお花見会を実施しています。また、この舞洲の隣にある夢洲に2025年の大阪万博を誘致しようとしています。午前11時から始まるお花見には東京方面からもぜひご参加ください。(写真は左より名古屋から参加の19期大石さん、中央は24期の粂田さん、右が大山さん)


★母校図書館へ本の寄贈
 高44期 柴崎 友香さん
  「寝ても覚めても」が映画化され、2018年9月1日(土)からテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で公開されます。「きょうのできごと」も2004年3月20日に「きょうのできごと a day on the planet」という表題で映画が公開されています。
 高46期 カネシゲタカシ氏の「みんなのしあわせになるプロ野球」と「野球大喜利 ザ・ダイヤモンド」も寄贈されました。(写真右が柴崎さん、左は司会の高44期 多田 智美さん)

 会もにぎやかなうちに終盤になりました。いつものように送別の歌、佐藤同窓会長の締め、24期 井原 生子 副会長の「閉会の辞」でお開きになりました。井原さんは、「ボランティアで活動してくださる方のおかげでこの楽しい総会が開けました。皆様のお世話に感謝します。」と述べられ、次のようにも語りました。
 昨年、吉祥寺シアターで「トランス☆プロジェクト20年記念公演」を行い、九州、関西ほか全国の市岡の皆様にも大きなご支援を頂き感謝しています。「これこそ市岡だな!」と思いました。ありがとうございました。
 昨年10月10日に大阪吹田のスタジアムで「おはようパーソナリティ40年記念公開生放送」に出演しました。神奈川県や、東京都から来た方もおられてびっくりしました。終了後に、裏話的な収録を当時のメンバーでしました。
注: 「おはようパーソナリティ道上洋三ですWalker」に初代アシスタント・池田生子(アイアイ)として紹介されています。また、2018年3月21日に、「おはパソウォーカーここだけの話&ラジオでは言えない番組裏トーク」が天王寺MIO本館12階のイベントスペースで開催されました。
 
 会の終了後、筆者は初めて54階の喫茶室でのご苦労さん会にも参加させていただき、歓談して家路につきました。お陰様で今までにない楽しい東京市岡会になりました。幹事の皆様には本当に感謝しています。お疲れ様でした。
井原さんが持っている素敵なバッグは、工房を
お持ちの芝野さんの作品です。
左から44期 松村 聖華さん、33期 植村 利隆
さん、27期 芝野 栄さん
カワイイ先輩で人気の19期 大石 薫さんと、
ジャズシンガーの44期 松村 聖華さん
7期 益田 陽子さんは顧問をされています。12
期 藤居(中藤)くみさんのお姉さんです。

古希を祝うビアパーティーご案内

19期の皆様、厳しい暑さが続きますが、ご健勝にてお過ごしの事と存じます。
今年我々は古希を迎えます。
「これからも元気に頑張っていこう!」と、ビアパーティーを企画致しました。
今回は19期同窓会クラス幹事、ピンポン同好会、19の春ゴルフ会中心のミニ同窓会です。奮ってご参加下さいます様ご案内いたします。
 

 

日 時

平成30年8月28日(火)18:30~

場 所 蓬莱本館 
大阪市中央区難波3丁目6-1 電話(06)6634-6836
会 費 ¥5,000

ご参加の方は、下記世話人まで電話又はショートメールにて8月10日迄にご連絡下さい。


ビアパーティー世話人
  • 佐藤昇太郎 090-7367-2214
  • 川﨑健市 090-3266-7578
  • 平中玄雄 090-5016-2168

「12期の広場」7月号のラインアップ

 
 7月、文月です。早いもので、今日から1年の折り返しで、本格的な夏。暦の上では、小暑、土用の入りから、大暑と続き、この夏も耐え難い猛暑になるのではと、身構えてしまいます。
 今月号の写真は、「ミヤマホツツジ」です。撮影者である高見政博君のメールに、「亜高山から少し高い所に咲く花です。これを『稚児のかざぐるま』とタイトルを付けて、写真展(市岡OB写真クラブ)に出展しました。」とあります。
 可憐で愛らしい花に、彼の優しいまなざしとそのタイトルがぴったりと寄り添っているよう。
 漢字で書くと「深山穂躑躅」、海抜1700mから2500mの山の岩場に自生する低木で、私達にとってはめったに見ることがない花ですが、まぎれもない、この7月の花です。
 
 それにして、6月18日の大阪北部地震には肝を冷やしました。震源は高槻市、マグニチュードは6.1で決して大きいとは言えませんが、直下型だっただけに揺れはすさまじく、家内は自宅で悲鳴を上げて逃げ回ったと言っていました。大阪では数十年ぶりの「震度6弱」だったそうです。
 震源である高槻市、すぐ傍の茨木市、枚方市には多くの同窓生が住んでおられますが、大きく被災したとの話がないことから、ほっと一息ついています。とは言ってもやはり地震は恐ろしい。南海トラフを震源とする海洋型大地震の危険性が高まっているそうですから、なおの事です。
 今回の地震で、また人的物的被害がでました。特に、コンクリートブロック塀の下敷きになった小学生の話には、やりきれない気持ちで一杯です。近くのコンビニから飲料水や、弁当、インスタント食品があっと言う間になくなりました。電車は止まり、車の列で道路は身動きが取れず、歩道は歩く人で一杯。水道や都市ガス、電気が止まった地域もあり、ライフラインは断絶。繰り返される、地震による都市型被害の実相は深刻です。それらを再度、目の当たりにしただけに、不安がまた大きくなります。なんとかならないものだろうかと一人ごちながら、結局は自身と家族の心構えとその備えで“減災”に努めるしかないのかと考え込んでしまいますね。
 そんな中にあっての明るい話題は、2018ワールドカップロシア大会での日本選手団の活躍です。“オッサンジャパン”と言われながらの躍動は、目を瞠るものがあります。また超人ではと見まがうばかりのフィジカルやテクニックをもつサッカー強国に対して、走りに走り、ゴールする姿は、無条件、心を打ちますね。メンタルの弱さが垣間見え、またそれを乗り越えようとする姿が伝わるだけに、感動は大きくなります。
 目がさめるような芝生のピッチでくりひろげられる、熱狂的で華麗、繊細であらあらしい激闘が何と人間臭いかと、魅せられます。
 日本はベスト16で、決勝トーナメントに進みました。是非、大活躍して世界をアッと言わせてほしいものです。
 
 さてわが「12期の広場」7月号のラインアップは次の通りです。記事は1篇ですが、お楽しみ下さい。
 
1.   「 安全文化と美術文化 」  ・・・・・・・・・・・・      6組   圓尾 博一
 
以 上

安全文化と美術文化

6組  圓尾 博一
 
 右の写真は昨年末(H15年12月)まで福島県双葉町の国道6号線を跨いで掛けられていた「原子力明るい未来のエネルギー」という原発PR看板である。ひとっこ一人いない町の中を、防護服を着た作業員がこれからこの看板を撤去しようとしているのである。この標語を考えた地元の大沼さんは、負の遺産として現場保存を求めたが、老朽化を理由に東電に不都合なこの標語は撤去されてしまった。これをもって今までの政府と東電によって喧伝されてきた原発の「安全神話」なるものは完全に払拭されたのであろうか。
  原発事故から5年、まだ10万人の人たちが帰還できない現状を差し置いて「安全文化」なる聞きなれない言葉を聞いたのは、確か1年ほど前のことであったように思う。国会中継のニュースの中で、原発再稼働についての質問に対して、安倍首相のペーパーを読みながらの答弁の中に、その言葉はあった。彼の答弁の主旨は再稼働が可能なまでに「安全文化」なるものを積み上げてきて、確固とした技術にまで達している・・・というものである。要するに「安全神話」を信じ込ませ、それが瓦解するや「安全文化」にスルリと変換したわけである。
 私は美術文化という団体に所属しているので、文化とつく言葉には日頃から敏感にならざるを得ない。その眼でみると、文化という言葉は、日常の印刷物やテレビの中で頻繁に使用され、それなり(・・・・)の意味合いで、私たちは理解して咀嚼しているのであるが、余りに安易に使われているのではないだろうか。最近は「戦争文化」なる言葉も存在するようである。その意味するところは、いかに良心の呵責なく人を殺戮し得るか、という空恐ろしいものである。「不倫は文化である」といった御仁もいるが、これはまあカワイイ方であろう。私は文化の背景に「人間の幸せ」がなければならない、と考えるのであるが如何であろうか。宮沢賢治は「農民芸術論」の中で、「世界中の人が幸せでなければ本当の幸せはない」と書いているが、文化の目指す根本の立脚点は、そこにあるように思う。その尺度によって、文化であるか非文化であるかが忖度されるのではないだろうか。
  安倍氏が答弁に使った「安全文化」は英国マンチェスター大学教授の著書「組織事故」という書物の中で使用された言葉で、頭の良い官僚がこの中から引張り出して、答弁書のペーパーとして作成したものであろう。ところで「安全文化」という訳語のもとの語は一体何なのか?原典を読んでいないので、誤っているかもしれないが、訳者は本の中の一個所PROTECTIONを安全と訳した、という注釈をつけている。PROTECTIONとは防御という意味である。すなわち安倍氏のいう「安全文化」というのは「防御文化」と置きかえられる。何に対する防御か。放射能に対する防御であろう。オリンピック招致の際に「汚染水はコントロールされている」と大見得を切っていながら、未だに山からの水を遮水壁で防御できず、日々汚染水は海に流出している。そんな状態を眼のあたりにして「安全文化」は信じられるだろうか。そもそも、それは「組織事故」という範疇のものではないと私は考える。日本にある54基もの原発はほとんど停止中であるが、その使用済核燃料は、各施設のプールに貯蔵され、ゆくゆく再処理されるにしても、最終的な核のゴミを埋蔵する施設を持たない。それらのゴミの放射能半減期は10万年という途方もない時間である。埋設されたとして、地震国日本の地殻変動によって、どんなことが起こるか、だれも想像できない。火山活動によって地上に撒き散らされるかもしれない。現在福島で起こっているように、地下水を汚染し、地球の川や海を、生命が住めないまでに汚染し続けるかもしれない。原爆と原発は同じ科学的浅知恵(・・・)によって成り立っている。そもそも核と生命は並び立ち得ない。放射性物質を対象とする限り、今の科学では「防御文化」も「安全文化」も成り立ち得ない。目先の欲から「安全文化」というような造語によって原発再稼働の正当化を誤魔化そうとしている。生命という究極の幸せをないがしろにする「安全文化」は文化ではない。
 
  次に我々の団体名である美術文化について一考察したい。聞くところによると、美術も文化もARTとCULTUREの翻訳語であるらしい。このような一般名詞を堂々と団体名につけた創立会員たちの考えは、どんなものだったのだろう。創立のテーゼに「日本の正しい美術文化を構想し・・・」とあるように、彼らの思いは「日本の美術」全般の正しい方向性を目指したもので、時代の変化に即応した、いわばコンテンポラリーなものであるように思う。公募のキャッチコピーに使われている「内なる自己に忠実」というような、内向の狭い矯小化されたものではないはずだ。文化の語源が農作業を意味するCULTUREであるように、文化は常に耕し続けなければ、その土壌は活性を失い、生き生きとした作物(作品)は生まれ出て来ないであろう。
  先の「組織事故」の著者は、最後の第九章「安全文化をエンジニアリングする」の結語としてつぎのように述べている。
 
  「最後にぜひとも指摘しておきたいことは、もしあなたが、あなたの組織がよい安全文化をもっていると確信しているならば、あなたはほとんど確実に間違っているということである。優雅さのように、安全文化は努力することであって、めったに達成されることのないものである。宗教のように、成果よりも過程のほうが重要である。美徳、そして報酬は、結果よりもこの努力にある。」
 
  この文章の「安全文化」を「美術文化」に置き換えて、もう一度読んで欲しい。この複雑にして多岐にわたる時代に沿って、コンテンポラリーな作品づくりへの努力、これが今後の「日本の正しい美術文化の構想と具現」への指向であり、その意味で美術文化の使命は永遠に続くものである。
 イタリアを代表する指揮者、リッカルド・ムーティ氏は対テロについて先日7月4日次のように語っている。
 
  文化によって問題をただちに解決することはできない。だが、文化は長期的には力強い武器になる。社会をより気高い水準に引き上げることができるからだ。
 
  「めったに達成されることのない」「正しい美術文化の構想と具現」を目指し「社会をより気高い水準に引き上げる」ために私達の努力が無駄になることは、けっしてないはずである。
 
 HP委員註 : 以上の文章は圓尾君が、所属する美術文化協会機関紙 復刊第30号(2016.10)に執筆されたものを、転載させて頂いたものです。横浜の榎本進明君から紹介を受けて、「12期の広場」への転載をお願いしたところ、快く承諾を頂きました。ご厚情に感謝申し上げながら、承諾のお手紙にありました以下の文章を紹介させて頂きます。
 
  「『美術文化協会』は1939年当時の前衛作家が集まって作った団体(特にパリで勉強してきた福沢一郎という作家が旗を振って作った)で、当時のパリ画壇ではやっていた、シュルレアリスム(日本では超現実主義と訳します)を輸入した傾向が強いとされています。ただ戦争前夜という時代的に大変不幸な時代に生まれまして、福沢はじめ多くの人々が検察に思想犯として検挙され投獄されました。1941年は太平洋戦争勃発の年で、私たちはその年に生まれた訳で、私は美術文化に所属しているのも、何かの因縁かなあ・・・と思っています。」

「12期の広場」6月号のラインアップ

 6月、水無月です。今月号のカット写真は、「ガクアジサイ」です。高見政博君が送ってくれた5枚の見事な写真から、迷いに迷って、この写真にしました。
 この何日、初夏のさわやかな天気が続いていますが、すでに日本列島の南には梅雨前線が横たわり、今年の梅雨入りは早いそうです。高見君のメールに「6月の梅雨時の花の定番『ガクアジサイ』。平凡すぎて気がひけるのですが、6月の花として欠かせないかと」とありました。どうしてどうして、瑞々しい薄緑の葉と浮かぶように取り囲む白いガク、そしてその中心に淡いブルーの冠を戴いたような花の姿は、造形の妙と美しさが際立ち、詩情がこぼれ落ちるようです。
 そぼふる梅雨に濡れる色とりどりの紫陽花と、それをよじ登るまいまいつぶりは、やはり、この時期ならではの風物詩ですね。
 この時期の風物詩と言えば、衣替えがあります。高校時代、黒の学生服から、白のYシャツに着替えたのもこの月。女子生徒も白いセーラー服またはブラウスに着替えたと思います。ごく普通の白地の半袖ではありましたが、気持ちがあらたまり、なんとも軽やかで爽快であったと記憶しています。
 5月は天候不順でした。寒くなったり、暑くなったりで、温度差が15度近くになることがしばしば。お蔭で、長袖の下着を半袖にするのに大いに迷いました。例年そのタイミングで風邪を引いたりするのですが、ここにきてようやくその切り替えが上手くいったようで、今年は、体調を崩すことなく、盛夏を迎えることになりそうです。これから「芒種(ぼうしゅ)」、「夏至」と夏の節季が移ろいます。「新字源」を引けば、「芒種」は穂先のある作物で、イネや麦の類とあります。冬に植えた麦をこの時期に収穫しますが、それを指して「麦秋」と言い、季語です。
 6月の楽しみの一つに14日から始まる、サッカーの「2018FIFAワールドカップロシア大会」があります。先日、西野朗新監督のもと日本代表選手が発表されました。Jリーグも発足25周年。つちかってきた日本サッカーの実績と歴史をになっての出場で、大きな期待が寄せられています。日本の予選リーグはHグループ、コロンビア、ポーランド、セネガルと決勝リーグへの出場をかけて戦います。いずれもサッカー強豪国のチームで、世界ランキングも上位。きびしい戦いになりますが、4年に一度のビックイベントだけに、心技体のすべてをかけての頑張りを楽しみにしています。
 
 さて、わが「12期の広場」今月号のラインアップです。記事は、「第32回兵庫市岡歩こう会」の例会の報告の一篇で、ちょっと寂しい感じがありますが、お読みください。
 1.「『第32回兵庫市岡歩こう会』に行ってきました。」・・・・・・・・・7組 張 志朗
以 上

第32回「兵庫市岡歩こう会」に行ってきました。

7組   張 志朗
 

 
 5月20日の日曜日、「兵庫市岡歩こう会」の例会に行ってきました。今回は13日の予定が雨のために中止、一週間の延期でこの日の開催になったものです。その為に、「奈良市岡歩こう会」の例会と同日開催になってしまいました。「兵庫歩こう会」と「奈良歩こう会」を毎回楽しみにしておられた常連の皆さんには、残念な結果になりましたが、私は先月末に膝を痛めたこともあって、近場の「兵庫市岡歩こう会」に参加、すがすがしい初夏の一日を満喫しました。
 コースは午前10時にJR伊丹駅に集合して、稲野神社から緑ヶ丘公園、瑞ケ池(ズガイケ)を経て昆陽池(コヤイケ)公園に至る約7Kmの行程です。
 参加者は18名です。毎回40名を越える参加者でにぎわう歩こう会ですが、今回は順延と奈良歩こう会とのバッテイングの影響が大きかったようです。しかし、天気は上々で、寒くもなく、暑くもなく、そして、前日までの雨と風で大気は洗われたように澄みきって、空は真っ青です。
 皆さん笑顔いっぱいで伊丹駅を出発、荒木村重の居城であった「有岡城址」を左に見ながら、旧西国街道につながる宮前通りから稲野神社に向かいました。御存じのように伊丹は歴史が古い街で、伊丹市の中心部になるこの辺りも寺院が多く、また白雪酒造を代表する酒蔵や旧家、城下町の名残りが色濃く残っています。それらを上手くとりいれて整備された町並みと道が、情緒があって心地良い。
 稲野神社は904年にこの地に勧請、1685年に本殿が再建されて今に至り、伊丹郷町の氏神として人々の尊崇を集めているそうです。この日も本殿右の土俵でわんぱく相撲大会が開かれていました。時間がなくて見られませんでしたが、多くの子供とお父さん、お母さんはじめ家族の方々が集まって歓声を上げておられ、ほほえましいかぎりです。
 本殿左奥からいきなり「伊丹緑道」の散策路に入ります。振り返ると稲野神社本殿の後ろ側の木立が見え、永い風雪に耐えた古木の大きさに驚きます。また緑道左側は、ほとんどが高い急勾配の斜面、右側は近くに家々が続くのですが、左側は大小の木々と草花がびっしり、右側も植栽が遮って、家々の気配が全く気にならない、文字通りの“緑道”です。所々、木漏れ日が点々とつづく緑のトンネルのようになっていて、住宅地の中の道であることを忘れます。伊丹版「哲学の道」-「昔慕の伊丹緑道」と書いてありましたが、納得です。巨木を見上げては感嘆し、また足もとの草花に見とれました。紫陽花の群生が何か所もありましたが、花はこれからで、満開時は、それはそれは見事なことでしょう。距離は分かりませんが、20分ほど歩いたように思います。
 緑道の出口で、国道171号線に出会います。道路を横切り、すこし登って緑ヶ丘公園です。真っ先に下池の大きな水面が目に飛び込んできます。池の中に「賞月亭」が建てられています。中国古来の庭園建造物で、中国佛山市より平成2年に寄贈されたものだそうです。周りに浮かぶ蓮の花とあいまって独特の美しさです。またすぐ傍に伊丹市の公館である「鴻臚館(コウロカン)」がありますが、伝統的な木造建築と造園の技術の粋をあつめた平屋建てのこの建物は、必見です。 広間と開け放たれた広縁から見る庭は実に見事です。視界一杯の青い空と池の水、それを取り囲む対岸の緑を借景にした和風石組み庭園は、抜群の美しさです。
 可愛いボーイスカウトの一団や、半ズボンに網を手にした夏姿の父子に出会い、初夏の風物詩、「目高(メダカ)」、「水馬(アメンボウ)」を今年初めて見たのもここです。
 昼食は、大きな瑞ケ池の傍の公園でとりました。池にはたくさんのヨットが浮かんでおり、その背後の山並み中腹に川西から中山寺、そしてはるか宝塚の住宅群が眺望できました。こんなに広い空を実感したのも久しぶりです。恒例の自己紹介とショウトスピーチ後、最終目的地の昆陽池に向かいました。
 約1.5キロ程歩いたと思うのですが、住宅地を縫うように続く道も緑一杯です。驚いたことに、絶えず幅の狭いせせらぎが平行して整備されていて、潤い豊か。タニシを見つけて驚き、水に遊ぶ子供の姿をうらやましく思うなど、退屈しません。
 「昆陽池」は、自然池12.5ヘクタールと貯水池4.5ヘクタールの大きな池で、池の中央に日本列島を模した林があり、野鳥の楽園でもあります。関西屈指の渡り鳥の飛来地で、アオサギ、オオガモ、カルガモ、イカル、コゲラ、コブハクチョウなど多くの水鳥の姿が観察できます。伊丹の中心部にあり、住宅や幹線道路に囲まれていますが、大きな木々にセパレートされて、実に自然が豊かです。歴史も深く、天平3年(731年)高僧である、かの行基が昆陽施院(のちの昆陽寺)を建立した後、天平13年、この池を造ったそうです。行基の卓抜した徳と溜池築造の土木技術に感嘆です。
 この日も池の畔に立つアオサギや白鳥を見ることができましたし、池中央の木立から、さまざまな鳥のさえずりを聞くことができました。
 多くの家族づれで賑わい、「都会のオアシス」の呼び名がぴったりです。風薫る初夏の自然もさることながら、若いお父さん、お母さんとその子どもたちが芝生広場でころげるように遊ぶ姿は、本当に美しいと想い、また心温まるものでした。
 歩こう会の解散は午後2時頃、ここ、昆陽池でした。全員無事完歩で、次回の再会を約束して散会となりました。充実した一日で私の膝も問題なし、お世話いただいた幹事の皆さんに感謝、感謝です。

第3回市岡19期ピンポン同好会のご報告



5月29日(火)16:00~18:00 HPC西なんば卓球センターにおいて、19期10名参加で第3回市岡19期ピンポン同好会が開催されました。

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第2回 19の春ゴルフ会(19期20期合同)開催報告


 
 「平成30年5月9日ディアパークゴルフクラブに於いて、快晴微風、絶好のゴルフ日和。当日は19期11名に、ディアパークのメンバーでもある20期の美村篤洋君率いる精鋭7名も加わり、総勢18名で和気藹々の楽しい一日となった。

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「12期の広場」5月号のラインアップ

 5月、皐月(さつき)です。瑞々しい新緑が、生気にあふれて、実に美しい季節になりました。空はあくまでも蒼く、若葉をやさしく揺らしながら吹き渡る風も、一層さわやか。「草分の風」「若葉風」と言われるだけに、「5月の薫風」が腑に落ちます。立夏を待つことなく、時候はすでに初夏そのもの。早すぎる真夏日は願い下げですが、1年で一番心地よいと言われるこの5月を楽しみたいものですね。
 毎月、このラインアッップを書きながら悩むことの一つに、添付写真を何にするかがあります。今月号から同期の高見政博君が撮影した花の写真を掲載することになりました。ご存じのように高見君は市岡OB・OG写真クラブのメンバーで、市岡高校入学は12期で、病気療養のため、卒業は13期になりました。したがって、私達12期の同期として同窓会に参加しており、また、13期として写真クラブや兵庫市岡歩こう会を含めて活躍しています。遅きに失した感がありますが、お願いしたところ、早速に4枚の写真を送って頂き、その中から一枚を選ぶことを委ねられました。うねる海原のような「茶畑」と鮮やかな「かきつばた」の群生、可憐な「姫シャガ」と幻想的な「ヒマラヤの青ケシ」の4枚です。いずれも大いに気にいり、迷いに迷い、結局紙幅の関係から、この「姫シャガ」の一枚にしました。その理由はと問われると困るのですが、強いて言えば、薄緑の中の清々しい立ち姿にひかれたことと、ここ何年間に見続けた高見君の写真から、ともすれば見過ごしてしまいそうな花に焦点を当てた写真こそが彼の真骨頂と思っていたことからです。私はこの花を見た記憶がありません。また、おそらくそう大きくはない花でしょう。しかし、このようにフレームアップされて見える美しさは、格別です。
 時は百花繚乱の5月。豪華絢爛のふじを初め、つつじ、さつき、バラに、おおてまり、こてまり、花水木などなどと美しい花々は数多く咲き誇っています。そのいずれにも人は、見とれて、うれしくなり、想いを寄せまた想いをたくすようですね。じっくりとお楽しみ下さい。
 
 さて、わが「12期の広場」5月号のラインアップは下記の三編です。幹事会の記事には、今年の秋の同窓会の基本方針や日時、会場についてのお知らせが載っています。是非、お読みください。
 
1. 「“2018年12期同窓会”開催に向けての幹事会が開かれました
2. 「市岡の森」創設20周年記念式典とお花見
3. 「圓尾君所属の美術文化展」 
以   上

2018年12期同窓会”開催に向けての幹事会が開かれました。

 4月8日(日曜日)の市岡の森創設20周年記念式典・お花見の後、場所を旧舞洲ロッジに移して、12期同窓会2018年第1幹事会が開かれました。
 ここには、クラス幹事とサポーターの皆さんである、八島節子さん、鈴木政子さん、高橋三和子さん(1組)、北浦昌子さん(2組)、石井孝和君、清水誠治郎君、小牟礼康子さん(3組)、酒井八郎君、竹田裕彦君、原清明君、古藤知代子さん(4組)、段中文子さん(5組)、井東一太郎君、松田修蔵君(6組)、上野裕通君、田端建機君、張志朗君(7組)、川村浩一君、末廣訂君、八島平玐君(8組)の20名が出席しました。
 議題は今年の秋に予定されている、2018年12期同窓会開催につての基本方針と日時・会場などの決定です。
 最初に代表幹事である酒井八郎君から、基本方針についての話がありました。
 酒井君からは、同窓会幹事会の皆さんの中で、病状や体調が思わしくない幹事さんが複数人でていることや、今後それが増えていくこと、ご招待してきた恩師の先生方のご出席が叶わなくなっていること、また、遠方の同窓生の出席や同窓会の円滑な運営に不安がつきまとうことなどから、今回をもって従来形の同窓会は終了し、今後は3月の豚汁会や4月のお花見会、そして全体同窓会などの諸行事に合流していくことにしてはどうかとの、提案がありました。
 今年の同窓会開催の日時は10月28日(日曜日)、会場は、使いなれた会場であるホテルクライトン新大阪(前回と同会場)にしてはどうかとの提案がありました。
 この提案についてクラス幹事とサポーターの皆さんから、いろいろなご意見を出してもらった結果、基本方針、日時と会場は、酒井君の提案で了承・決定されました。
 私達の同窓会の第1回目は、昭和60年(1985年11月24日–東急イン)の開催です。それ以降、同窓会は33年にわたり続けられてきました。そしてそれを通して、恩師の先生方への感謝と学友との熱い友情、母校市岡で学んだ喜びをかみしめてきました。幹事会では、その経過を振り返りながら、喜寿を迎える今回の同窓会で、従来形の開催を終了するのは、適切であるとの意見で一致しました。
 遠来の学友を含めて多くの学友が一同に集う従来の同窓会は終了しますが、12期の同窓会は存続します。したがって、今同窓会はその新たな出発点にもなり、最終回にふさわしい内容になると同時に、今後の運営についての道筋を示すことになります。
 時間などの関係で、これらについては、6月に開催する第2回幹事会で議論し、決めることになりました。
 午後4時前、今秋の同窓会を愉しく、意義深く、思い出に残る同窓会にすることを約束して、幹事会は、終了しました。
 
―   2018年 第1回幹事会の決定事項   ―
①  2018年 12期同窓会を持って、従来形式同窓会は終了する。
②  日時  :  10月28日(日曜日)  午後  1時半~
③  会場  :  ホテルクライトン新大阪 (大阪市淀川区西中島2-13-32 *前回と同会場)
 以   上(張 志朗 記)