同期会

近況短信 - 同窓会出欠返信書から -


2012年同窓会全体写真

1組   鈴木 政子 (大阪市在住)
「健康の為、週3回社交ダンス。間にカラオケにコーラス、そしてパッチワークと毎日多忙ですが、最近ボケ防止のため健康麻雀をならいはじめました。まだ麻雀用語が言えなく、またスジがわからずまけてばかりです。まだまだヒヨコですが、麻雀をする時お誘いください。」

1組   濱崎 洋子 (大阪市在住)
「なにげなく同窓会の通知を開封したところ、思いがけないものが目に入ってびっくりしました。高1の夏休み宿題の読書感想文でした。こんなことすっかり忘れていましたが、一挙にタイムスリップして昔にも還ったようです。ボールペンではなく万年筆やとか、こんな字書いてたんだなあとか、今の私よりしっかりしたことを言っているとか、いろいろ。北村先生の楽しい授業を思い出しました。今まで保存しておかれたこと感謝します。また面倒なのに返還していただいてありがとうございました。10/19ですが、自治会の行事と重なってどうしても出席しなければなりませんので同窓会は欠席します。皆様によろしく。」+

3組   石井 孝和 (大津市在住)
「北村先生から返された”作文”を見て驚きました。”民主主義”がテーマに。卒業後NHKに就職、記者という仕事をする中で、そのことは意識していました。知ることの大切さとともに、昭和54年に水戸局勤務の頃、他社の記者の協力を得て、裁判所開廷直後の”カメラ持ち込み許可を得たことを思い出しました。おそらく日本では初めてのことでした。明文化して日本新聞協会(NHKも所属)と最高裁判所で代表取材(カメラ)の約束したのは昭和60年です。54年当時の裁判は”県議会議員の議長をめぐる汚職”で私が県警担当キャップ(朝日、毎日、読売、共同、時事、いはらき)に同行してもらい連日、水戸地方裁判所に交渉に当たった結果、1回きりの約束でした。」

3組   清水 誠治郎 (西宮市在住)
「70才を越えると体全体に支障(ガタ)が出てきました。従来からあった腹部動脈瘤が50mmを越えたため、ステントグラフト内挿術という手術をして危険要因(生命)を取り除きました。これから10年間着床が正常かどうかの検査のため年1回入院(短期)しなければなりません。少し長めの入院をしてはじめて健康の”ありがたさ”を再認識しました。」

4組   乾 嘉代子 (奈良市在住)
「同窓会の案内、ありがとうございます。残念ながら他の行事とかさなり欠席いたします。同封の読書感想文にはびっくりしました。そんな宿題があったことすら全く記憶に残っておりませんでした。57年間もきれいな状態で保管してくださった北村先生に感謝致しております。失礼ながら北村先生はほほえましい存在でしたからはっきりと覚えています。マラソン、キャンプファイヤー、フォークダンス、仮装行列、合唱コンクール・・・・・。北村先生にくれぐれもよろしくお伝えください。とてもよろこんでいたと。」

4組   宮下 惈 (堺市在住)
「9月7日現在、金剛山登山回数291回、年内に300回達成目標(予定)。日本百名山は70峰位? 孫の人数10名(男1女9)。最年長2003年生まれ(タイガース優勝年 女)二番目2005年生まれ(タイガース優勝年 女)三四五番目、女、女、女(タイガース絶対優勝すると思った2008年生まれ)。久しぶりに同窓会参加です。読書感想文を読んで高校一年時の誤字とへたくそな字に感無量です。北村先生にお礼を是非いいたので出席を決意!」

4組   藤田 勝利 (枚方市在住)
「・今春から韓国語の勉強を始めました。(週1回、1.5時間)前方後円墳が韓国南西部にあるとしり行ってみたくなったからです。・ほかにインドネシア語勉強会(週1時間:いまは現地の中学校の教科書で歴史を勉強中)・歴史散歩(週1~2時間:今は京都史跡めぐり)・囲碁(週1回5~6時間:近くの市民センターで)といったことで過ごしています。」

5組   坂口 明 (西宮市在住)
「昨年3月、70才の終わりに仕事をやめました。建材関係の営業、会社の設立と失敗。建材の新聞社の記者となって10年、70才を区切りとしました。この1年は孫たちの子守で過ごしています。年賀状に「何かひとつすることを見つけます」と書きましたが、まだ始めていません。「ゆっくり行けば長い道のり」と思っています。北村先生からの贈りものありがとうございました。タイムカプセルからのプレゼントに感謝しています。」

6組   高田 益枝 (篠塚)(高槻市在住)
「なつかしい57年前の読書感想文を送っていただきありがとうございました。子供の頃の未熟さと真剣さともろもろを感じ感激致しました。北村先生の授業も思い出し、大事なことだとと教えるのにユーモアを入れたつもりで、これは家庭におけるメンソレータムの様な大事なことだと云われ皆がシーンとしたことを思い出しました。よろしく御伝え下さいますよう。この年になってまだ仕事をしており、薬局を二軒しております。体がついていかないのでリタイアーを考えておりますが、良き後継者に恵まれません。皆様によろしく御伝え下さいませ。」

7組   田中 健治 (大牟田市在住)
「蒸し暑い悪天候の続く今日この頃、如何お過ごしですか。小生自分なりに”やりたいほうだい”
二つの会社の中間管理職(窓ぎわ族)を退職し、現在小さな有限会社の創立社長を済ませて非常勤取締役(何の仕事もして居りません。ただトラブル発生時責任者)をしながら地域住民の心の支援ボランティアで毎日過ごしております。」

8組   稲田 紘(豊中市在住)
「一昨年の2012年3月に兵庫県立大学大学院応用情報科学研究所ヘルスケア情報科学コースを定年退職し、名誉教授となりましたが、同年4月から特任教授を委嘱され現在に至っています。回数は少ないのですが、講義をしたり、博士課程学生の論文指導などにあたっています。また二、三の学会については引き続き役員など学会活動を行っています。このようにそれなりに充実した日々を過ごしております。」

前回同窓会の写真あれこれ

 前回同窓会は2年前の秋、2012年10月21日。参加されたのは、恩師の江本先生、北村先生、福井先生、御前先生と同窓生65名でした。
 開式の午後1時半から三次会終了の9時過ぎまで、延々と宴は続き、その後、四次会までもありました。ここに前回同窓会のスナップ写真を再掲します。ご覧ください。

歓談です。
あそこでもここでも話の輪が広がりました。
乾杯! 皆さん良い顔色です。
遠来の友の挨拶です。
新潟から駆け付けた佐々木君も元気です。
今回の同窓会で特別講演をする辻君。
さすがベンチャーのリーダー、笑顔が若々しい。
楽しそうですね。何のお話しですか。 先生方のお見送り。ありがとうございました。
御前先生を囲んでパチリ。いつまでもお美しい。
誰がって皆さんでしょう。
二次会での写真。それぞれにあの頃のまんま。
両手に花で熱唱する稲田君。
今日もサザンの唄ですか。
笑顔がはじけます。
傍の谷君の含み笑いも彼らしいです。
これはまたムーディなヂュエットですね。
よっ!お似合いですよ。
元教職にあったお二人。
えらい真面目に話していますね。
 
場所を替えての三次会。
飲むことしゃべること、若者には負けませんね。
 

社会宿題 読書感想文 昭和32年 8月

1年時の夏休みの宿題である読書感想文を受け取った皆さんから感謝、感激の言葉が寄せられています。その内のおひとりに無理をお願いしてその読書感想文をここに掲載させていただきました。筆者は匿名とし、文章は加筆修正なしとしました。-HP委員-


北村先生ありがとうございます。嬉しくて涙がでてきます。
 

 私は『石ころのうたえる』という本を読みました。この本は『農村青年の生活特集』で山形県白川青年隊の人達が労働で疲れ切った腕に一様にペンをとり、眼をこすりながら、叫んだ人生観、社会観なりを素直に表現したものである。わたしはこの詩のなかから特に自分自身に感銘したものを上げて見て、その感想を綴ろうと思う。

 まず最初に「二、三男」と言う詩について述べてみよう。毎日田畑に出て汗水たらして働いて・・・。そのあげくに収入はわずか。このめぐまれない青年達は一体、どの様な生活を送っているのだろうと思う。この「二、三男」を川底の石ころととらえた山形県白川の青年達が村の邪魔者「二、三男」の位置から抜け出す為に、働きながら勉強し、土木技術者として立つ道をひらこうとして山奥の土木現場に行った時、眼の前にころがっている石ころを自分の様に思われたのである。このような詩も書き綴られていた。

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古荘さんの里帰り歓迎食事会


前列中央がカナダ在住の古荘さんです。


 カナダ在住の山本久美子(旧姓 古荘久美子)さんが、1年ぶりに日本に帰ってこられました。例年通り夏休みを利用しての里帰りです。8月15日の来日、9月5日の離日の予定、約3週間の日本滞在だそうですが、前半は新潟から日本海側を北上して青森へ、そして仙台までの東北地方の旅行をしたとの事です。その後、福岡に足を延ばして幼馴染との再会を果たし、8月31日、市岡の同窓生との食事会となりました。

 古荘さんとの食事会はすでに十数回続いています。昨年は京都の貴船での川床料理でしたが、あいにくの雨で床に出られず、座敷での食事会でした。「来年は神戸がどうだろうか」と言うことで、今年は三宮の豆腐料理の「梅の花」になりました。

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2014大阪府立市岡高等学校12期生同窓会のご案内

 12期の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 早いもので、母校、市岡高校を卒業して55年の歳月が経過してしまいました。この間、私達12期生は昭和60年の第一回同窓会開催以来、10回の同窓会を重ねて、今年、お約束どおり、11回目の同窓会を開催することになりました。

 思えば本当に長い歳月を皆さんと共に重ねてきたわけで、楽しいことや、嬉しいこと、つらいことや、苦しいことなど、数えきれない思い出が走馬灯のように脳裏を駆けめぐります。また「100人を越える同窓会が続くのは、12期は仲が良いのだ !! 」と喜んだおられた、大先輩で恩師の玉田先生を始め、同窓会幹事の中井君、門田さんほか、沢山の同窓生との別れがありました。近年では、体育の西田先生、8組の平野雅章君も。もしかしたら、むこうでも同期会が始まっているかもしれません。

 私たちに残された時間の限りがあるだけに、今のこの時を大切に、是非多くの同窓生のみなさんと集い、楽しく語り合い、旧交を温めるとともに明日への新しい元気にしたいと思っています。

 お世話になった恩師の先生方もお招きいたします。

 また前回同窓会での小野義雄君の宇宙の話とは異なり、生身の人間の再生医療に関して、辻紘一郎君の講演を予定しています。

 クラスメートをお誘いのうえ、多数の方々のご参加をお願い申し上げ、下記のとおり、ご案内いたします。


-記-

2014大阪府立市岡高等学校12期生同窓会
日 時 : 平成26年10月19日(日) 午後1時から受付、1時30分開会
会 場 : ホテル クライトン 新大阪 TEL  06-6885-1211
大阪市淀川区西中島2-13-32(地下鉄西中島南方駅、西へ徒歩5分)
会 費 : 一次会 6,500円 、二次会 1,500円
  以上
 

「12期の広場」 9月号のラインアップ

 9月です。普段なら「いまだ蜩(ヒグラシ)の声を聞かず」などと書き始めるのですが、かくもすさまじい天候の乱調、豪雨、土砂災害を目の当たりにすると、気持ちが落ち込みます。 被害に会われた方々の悲しみや、無念さに寄り添い、そしてまた各地の同窓生とそのご家族のご無事を祈らずには居られません。

 

 今月号の「12期の広場」は10月19日の同窓会に向けての記事が中心です。同窓会は今回が11回目です。

 私達が42~43歳の頃の第1回同窓会は皆さん働き盛りで、成熟した大人が瞬時に高校時代に舞い戻ったあの高揚をいまだに忘れることができません。還暦を目前にした第4回は共に第二の人生に向かう不安と期待がみなぎった同窓会でした。第9回は卒業50周年記念同窓会でした。母校の第62回卒業式に招待され、50名近い同窓生と共に62期生の旅立ちを見守りながら感激を新たにしました。酒井八郎君は卒業生への祝辞の中で「一番硬い物質のダイヤモンドを美しく輝かせるには、やはり一番硬いダイヤモンドで磨くしかないのです。それと同様に人は人によって磨かれるのです」との意味合いの言葉を送りました。それはそのまま記念同窓会へのメッセージ。九州、東北からの遠来の友を含めての記念同窓会は格別なものでした。

 筆者のつたない感慨を記せば、学友との再会と交感は実にドラマチックで、同窓であることの誇らしい気持ちは勿論のこと、そこから多くの励ましや元気を得た、の一言です。なにより、同窓生の近況報告は、自身の生活と想いが共鳴するばかりか、笑いと示唆に満ちあふれるものでした。

 先日も、学友からのメールがあり、近況報告をかねて、下の文章が添えられていました。

 
  当然、/ 雨には負け、風にも負け / 雪はもちろん夏の暑さはアウト
  それどころか晴れた日も直ぐよれよれになり / 欲はあっても金も力もなく、
  いつもくたびれてだれている / あらゆることを逃げ回り / 自分のことだけでふうふう言い
  嫌なことは目そらし耳塞ぎ / そして忘れようと努め、
  西も東も南も北も何があっても / 自分の命の間だけは、大事になるなと祈り
  何事にもおろおろもたれ歩き / 人から、でくの坊、役立たず、恩知らずと思われ
  何の覚悟も出来ず、何時の日かを待つ / そういうものになってしまった。
 

 同年代のある文筆家の文章に「いくら忙しくても会いたい人がいればそれが最優先」と言うのがありました。まさに言い得ての妙と腑に落ちます。

 10月19日の第11回目の同窓会には、全国から馳せ参じる多くの学友のなつかしい顔あることでしょう。それを思うとじんわりと胸が熱くなりますが、はたしてそれは筆者だけの感傷でしょうか。

 

 さて今月号のラインアップは以下の通りです。ご覧ください。

 
  1. 幹事会が開かれ同窓会案内状を発送しました。
  2. 観天望気と再生医療と私 」               8組  辻 紘一郎
  3. 12期同窓会に参加するにあたって 」         7組  上野 裕通
  4. 同窓会でのサプライズ 」                2組  山西 邦子(旧姓 西海)
 
以上

幹事会が開かれ、案内状を発送しました。

 8月24日午後2時から12期同窓会幹事会が開かれました。

 ここには代表幹事の酒井君をはじめ、幹事17名が参加し、今秋の同窓会開催の細目を協議決定して、案内状の発送を行いました。

 参加された幹事さんは1組、八島節子さん、2組、西浦昌子、山西邦子、藤田克子、峰松幸子の皆さん、3組、石井孝和君、4組、酒井八郎、原清明の両君と古藤知代子さん、5組、段中文子さん、6組、畠平雅男君、7組、上野裕通、張志朗の両君、8組は末廣訂、川村浩一、川副研治、塩野憲次君の各君でした。

 まず、同窓生に送る案内状の最終承認を行い、次に式次第を協議し、当日の作業分担について基本的な合意を確認しました。

 同窓会の本会司会は、男子は8組の川村浩一君、女子は4組の古藤知代子さん、二次会司会は4組の原清明君に一任とすることを再確認し、その後案内状の発送作業に入りました。

 幹事会に先立ち、午前11時から北村先生が保管されていた一年次の夏休みの宿題の『読書感想文』の整理を行い、それを案内状に同封(発送者数150人)する準備を行いました。

 発送作業は3時から始め終わったのが、5時過ぎでした。宛先の貼り付けやその確認、補足など、今回は少し手間取りましたが、無事、作業を完了して合計概ね280通を発送しました。

 今回は数えて11回目、皆さんが古希を越えて初めての同窓会で、加齢を考えても意義深い同窓会になりそうです。特に、『読書感想文』の同封や『12期生アルバムDVD』の案内など、案内状の発送自体にも喜んでもらえる内容があり、幹事の皆さんも「きっと喜んでもらえるで」と力が入ったようです。

 10月19日に元気に集えることを願いながら幹事会は終了しました。
 


幹事会での議事進行のようすです。

皆さん真剣?に議論しています。

おーい、彼の住所が間違ってるのとちがうか。

ようさんあってなかなか終われへん。

観天望気と再生医療と私

8組 辻 紘一郎
 この絵は2009年の6月に描いた<瀬戸内海>で、私の作品(油絵)です。瀬戸内海の島々と空を再生させたつもりです。まずは空と空気の話です。

 「観天望気」はそれぞれの国、地方、地域毎に違います。その地方の環境や気象の変化の特徴を踏まえた独自の気象観察方法で、雲・風・気温・光などの状況から、これまでの祖先(先輩達)の経験を基に天気の変化を予測するものです。その地方の自然と係りの深い職業の人達に取材を重ねると、気象庁に負けないピンポイントの予報が可能になります。

 広島と東京を往復する生活を14年。広島大学歯学部での2年間の準備の後、広島市内の「観天望気」が少しずつできるようになりました。そのおかげで、会社は順調に発展し、20人の研究員と苦楽を共にしています。資本金は2億6750万円ですが、12年目の株主総会(6月27日)では赤字を計上しました。

 社会保険制度の確認作業や将来の年金問題に眼をつむって、「生涯現役」、「生涯現役」と念仏のようにつぶやいています。「生涯現役」のためには、「観天望気」は必須です。毎日、明日の天気(状況)を予測しなければ、前進できません。

 日本中が団塊世代の定年退職で騒々しい折、団塊世代の人達が「生涯現役」の決心をして定年をパスしたらどうなるでしょう。日本のGDP(国民総生産)や少子化対策や社会保険や介護保険など大きな影響が想像されます。誰か政治家で、「生涯現役」運動を叫ぶ社会改革者は出てきませんかね?どこの組織にも、評論だけして行動しない人間はいる。彼らは、確かに失敗はしないが、協力者はない。逆に、行動し挑戦する人間は、誰かがその姿を見守り、困難にぶつかった時に助けになってくれる。

 私の起業から12年間の道のりは、難問の連続でした。しかし困難にぶつかる度に、誰かが手をさしのべて、不可能を可能に導いてもらった「観天望気」のおかげだと思っています。ピンポイントの次の予測は欠かせません。自ら困難に挑戦する事が、ビジネスの原点であると同時に、自分自身の人生を豊かなものにすると確信しています。

 広島では「秋の南風は3日降らず」が観天望気です。
 

 そこで、いよいよ話の本番の私の再生医療に移ります。私を取り巻く現実は、少子化がゆっくりと進み、超高齢化社会はどんどん進んでいます。この現実への対応ビジョンこそが、再生医療へのエネルギーです。

 私のビジョンは、①要介護ゼロ社会の実現    ②生涯現役主義の普及  であります。①の実現のためにはイノベーションの創出が必須です。下図に示した再生医療の細胞たちの姿は、私のイノベーションです。

 特に最下段の4つの細胞が重要で、私の10年間の研究開発は真ん中の2つに集約されています。1つは、再生した組織・臓器の移植――幹細胞からの再生――軟骨。


 もう1つは、細胞移植――幹細胞――脳梗塞 です。これらのイノベーションの面白さは今年の10月19日(日)でお話しします。さて、<要介護ゼロ社会の実現>は可能でしょうか?
 

 乞う!おたのしみ!

12期同窓会に参加するにあたって

7組  上野 裕通

 この秋、12期同窓会第11回目が開催される。市岡高等学校卒業25年目、私たちが43歳の時に、第1回が開催された。あれからもう、30年が過ぎている。

 この30年間で知ることになった物故者は38名。何故そんなに早く逝ってしまったのと惜しまれる人たちだ。同窓会の知らせを受けたときに、鬼籍に入られた方のご冥福を静かに祈っている。

 「何故同窓会に参加するの?」という素朴な質問を自分自身に投げかけて見る。1回目から10回目まで皆出席だが、懐かしさであの時の友はどうしているだろうかという思いで参加した初回の動機と今回参加しようとする動機には違いがある。

 私は、60歳で定年退職し、69歳まで半ば公的な組織で勤めてきた。仕事への熱意が自分の生きがいでもあった。その職を辞して後、待ち構えていたように自治会長の仕事がやってきた。お世話になった地域のために少しでも恩返しをしなければという思いでお受けした。

 今年で2期、4年目を迎えている。育児に悩む親子対策として「子育てサロン」を月2回、高齢者の「ふれあいサロン」を月1回実施して、地域住民のふれあいづくりの場としている。子ども広場や公園の草刈り・清掃を毎月実施し、親も子も、隣近所の人たちも共に汗を流す中で地域の親睦と協力の輪が広がり、少しだが喜びを感じている。

 しかし、古稀を過ぎ、体力の衰えを感じると、余命を意義あるように過ごすには何をしてゆくかと考えるようになった。今、「今回の同窓会で会える人たちはどのように暮らしておられるか」に関心が高まっている。会って近況を聞かせて頂ければありがたい。

 多くの友が元気な姿で参加されることを期待し、意義あるひとときを過ごせる幸せに浴したいと願っている。

同窓会でのサプライズ

1組  山西 邦子 (西海)

 前回の同窓会から早や2年、この秋、また皆さんとお会い出来るのですね。楽しみにしております。

 母を5年前に見送り、そして近くに住む孫の面倒をみていたのが成人して一段落。多少体のあちこちに不具合が出ていますが、元気に過ごしています。

 3年前、自宅の近所に予備校が出来たのをきっかけに、ささやかなお好み屋さんを始めました。永く事務用品や文房具を扱うお店をしていた経験があるとは言え、勝手の違いに戸惑ってばかりでしたが、それもなんとか慣れたようです。1日3時間程度、無理せず気楽に続けています。疲れることもありますが、なにもせずにいるよりは、体を動かして子供や若い予備校生に接していると思わぬ感激や気づきなどがあり、気持ちに張りがでるようで、楽しいものです。休みの多いお店で、いつまで続けられるかわかりませんが、これからも頑張ってみようと思っています。

 年に4~5回、旅行に出かけます。大体2泊3日の旅が多いのですが、メンバーは市岡卒業以来ずうっと付き合っている同窓生2人と港高校を卒業した幼馴染の女4人です。このグループの旅行はもう何年になるのか数え切れません。今年の春、千葉県、茨城県を旅しました。私にとってこのメンバーでの旅行は最高の楽しみ、最大の喜びです。よくも市岡に学んでそしてこの友に巡り合ったことだと、心から感謝しています。

 市岡を卒業して50数年がたつというのに、同窓会で懐かしいお顔に出会いますと、すぐに、打ち解け高校生だった頃に戻ります。その頃の話題や先生方や旧友の話に花が咲きますね。

 前回の同窓会では思いがけないサプライズがありました。北村先生が1年生の夏休みの宿題の読書感想文を保管されていて、出席者に返していただいたのです。まるで突然、タイムカプセルが開かれ、自分が書いた原稿用紙を手にするなんて思ってもみませんでした。

 「イヤァ、字が間違っているわぁー」、「幼稚な文章を書いていたんやねー」、「宿題に間に合わせるため、大急ぎで読んだのを思い出すわぁー」など、同窓会が終わった後も話題になりました。当日欠席された友人に話すと、「私も返してほしい」と北村先生に連絡して郵送して頂いたそうです。友人は『野菊の墓』、私は『女工哀史』を感想文に書きました。時代が感じられますね。

 今年、群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録され脚光を浴びているのを見ると、また本を読み返し、女4人訪れてみたいと思っています。北村先生が保管して頂いたことに感謝、感謝です。

 今回の同窓会も楽しみに元気で参加したいと思っております。