同期会
2013年11月1日
私の生まれたのは1931年(昭和6年)所謂満州事件の起こった年であり以後中断はあったが15年間中国で戦争状態があった。
中学二年までの生活に大きく影響した。戦線は優勢だったが長引き物資は窮乏していった。打開のため米国等と新しい戦争となった。
初めは予想に反して勝利が続きあわよくばと思ったが、半年後より逆転が始まった。
国民学校六年になるとアッツ島などで玉砕のニュースが相次ぎ心中悲しんだ。日本軍は降伏は許されず最後まで戦うのが当然とされた。各地で補給が断たれ、悲劇が起ったことは後で知った。
中学では軍隊に準じた教育が行われた。校長の独断で全員が国民兵役に志願したと告げられた。同じ中学生が沖縄に於いて取った行動を見ればもし樺太(私の生地)に米軍が上陸してきたら同じ状況が生まれていたのは確実である。
しかし黙殺したはずのポッダム宣言を受諾することが14日までに決まっていた。2回の原爆の投下、ソ連の参戦が民族の絶滅をもたらすと懸念した為政者が宣言を受諾しても国体の変更はないと判断したためである。一億玉砕を叫び国民はそう思いこまされ、本土決戦を覚悟していたので全く驚いた。このようなことが出来るのか。これまでの犠牲者に申し訳ない気持ちと助かったという安心の気持ちが忘れられない。
ドイツと異なり日本政府は残った。出来たら全てもとのままにしたいと決意したようだ。
10月農地改革、婦人参政権等の指令が出て、米国の政策に賛意を表す日本人も出てきた。日本国憲法は占領軍の押しつけであるから自主憲法をと言う人がいる。しかし文章はともかく内容は第九条をはじめ当時の国民の気持ちを代弁していて、明治憲法の改正手続きをふんで天皇の裁可を得ている。
「東京裁判」は宣言の結果行われたが、判決について、後いろいろ批判がでている。しかし戦争の総括、日本人による戦争の責任検証はされていない。すべてを水に流す無責任体制は日本人の特色であろう。
昭和30年頃まで私は上京時いつも靖国神社に参拝し犠牲者に哀悼の気持ちを表してきた。しかし現在はする、しないが政治的に判断されそうで困っている。
もう一つ驚かされたのはソ連の崩壊だった。理想の国と思う人もいたがスターリンの行動などで非情な独裁国家に過ぎないと判っている人は多かった。それでも米国等に対抗して社会主義勢力の本家であり冷たい戦争の中心であり次善の希望を託する人もいた。私の卒業大学でもマルキシズム全盛だった。ソ連では幼児期、少年期、青年期と政治教育は完璧と思われていた。ゴルバチョフの出現により秘密暴露が進み米国との軍備拡張が経済を破綻させ遂にソ連は解体する。共産党は唯一の政党の地位を失いロシアの現在は如何になっているか。石油などにより成金も台頭し資本主義国と同じようだ。衛星国はあるいは瓦解し指導者は処刑や追放された。ベルリンの壁が崩壊し私は生徒より現物をプレゼントされた。領土人口は縮小したがロシアは中国と共に世界の警察として振る舞う米国に依然として抑制力を発揮している。
HP委員から:
ご多用のところ原稿依頼を快諾いただきまたご寄稿頂きましたこと、感謝いたします。原稿を拝見して先生が12期の私達よりほぼ一回り上であることを知りました。いわゆる戦前のお生まれ、多感な時期を戦時中に過ごされ、また激動の時代に生きてこられたのですね。はや一世紀に近い長い人生で経験されたことやそれにまつわる感慨や如何にと文中より拝察いたしました。
これからもお体大切に、お元気にお過ごしになられること心より祈念いたします。
2013年11月1日

小さい時から絵を見ることも、描くことも好きでした。
中でも比較的多く描いたのが仏像です。年賀状にカットとして使ったりしましたが曼陀羅状にしたケースを紹介します。
約1年かけて仏画を模写、墨絵ですので慎重かつ一気に描きます。写仏は下絵をなぞりますが、模写は真似することで別物です。
描き上ったものが150枚ほどたまりましたので、”曼陀羅”を気取ってこれらを配置、巻物風の作品に仕上げました。
HP委員コメント:
作品は中央に大日如来二体を配した、横幅90cm、縦長さ250cmの寸法の大作です。写真に撮りましたが細部まではご覧になれないと思いますので幾つかをスキャンして掲載いたします。拡大してお楽しみ下さい。(下の絵の中央をクリックすると拡大出来ます。)
2013年11月1日
暑い夏の夜に 涼しげに鳴っていた風鈴
今では色もあせ その音色は秋の空に
さびしさをさそっているようだ
あの白い雲に 呼びかけているようだ
ちりちりと 忘れられた風鈴が鳴っている
- 作者 不詳 -

立ち並ぶ貨車の群が驚いて ちょっと 顔を上げた
荒い息づかいで 機関車が通り過ぎた
賑やかなスキ-列車を引いて・・・
青いシグナルが震えて立っていた
ホ-ムのにぶいはだか電球の下に 三つのベンチが体を寄せ合っていた
駅の名もぼんやり見えた 「 かしわざき 」・・・・・・・
「 ボ- ッ 」と 一人ぼっちの機関車の遠吠え
悲しい響きが雪の夜空に流れた 停車場全体が静かに移動を始めた
- 作者 不詳 -

2013年10月1日
ようやくの秋と言うのが実感です。酷暑や豪雨、突風に竜巻、加えて早々と台風の被害に見舞われるなど、「天候狂乱」とも言える晩夏をくぐり抜けてきただけに、先の中秋の名月、その煌々とした月明かりと虫の音に身も心も洗われるばかりでした。
実りの秋、紅葉の秋、スポ-ツの秋、食欲の秋、行楽の秋、読書の秋など、秋に冠する言葉は実に多種多様です。ビル群に切り取られた狭い都会の空さえこの時節は一層高く、すっきり澄みわたり、雲もバラエティ豊か。少し冷気を含んだ風が心地良く、雑踏の中でもなんとはなく気持ちが落ち着きます。タラタラ、イライラ、カリカリ、バタバタ、グズグズ、フラフラ、挙げ句に果てにただぐったりしていたことが嘘のよう。
近所の小学校から運動会の練習の元気一杯のかけ声や歓声が聞こえてきます。運動会や文化祭の季節なのですね。久しぶりに母校の100周年記念誌を取り出しました。
昭和34年、私達が3年生の頃ですが、9月27日(日曜日)の運動会が台風15号の接近で29日(火曜日)に延期されています。29日、運動会(9時から5時30分)フォークダンス、ファイヤーストーム(午後7時30分終了)とあります。思い出がゆっくりと甦ります。クラス対抗綱引き大会(私のクラス全員が柔道着姿で見事、優勝)、仮装行列、ファイヤーストームとフォークダンスはしっかり覚えていますが、鈍足の私は徒競走が苦手であった為でしよう、そのその他の記憶がほとんどありません。その鈍足は今も変わらないばかりか、人並みの運動神経も衰える一方で、最近は脳の「運動神経」さえ心もとない始末です。
10月4日が「文化祭」、10月20日午後2時から「映写会」(「鉄路のたたかい」「愛情の翼」)10月28日は「一日遠足」(3年生奈良方面、嵯峨方面)とあります。秋らしい行事が集中して続いていたようですが、11月5、6日は実力考査(国語、英語、社会、理科、数学)で、楽しい行事の後にちゃんとおそろしい試験が待っていた訳です。
思い出も途端に少々ほろ苦くなります。
さて、今月号のラインアップです。お楽しみ下さい。
- 第6回「市岡高校東京12期会」のご案内 6組 大石橋 宏次
- 「古荘さんの里帰り」 8組 川副 研治
- 「法格言にみるイギリス法の精神 3(下)」 3組 松村 勝二郎
2013年10月1日
会長 大石橋 宏次
9月も半ばに入り、やっと、やっと身体に優しい秋らしくなりました。皆さんいかがお過ごしですか。
それにしても今年の猛暑には、まことに参りました。電気代がいくら掛かろうと朝、昼、夜、ただ、ただ、クーラーに頼るのみの毎日でした。 この異常な気候はたまたま今年だけの現象ではなく、人類が吐き出したCO2、放射能、ゴミ等々により、地球の環境が徐々に、大きく変化しつつあるのがその原因かも知れません。
何はともあれ、我々全員、世間的には間違いなく老人です。気持ちは若く、久しぶりに歳を忘れ、又、猛暑や家族を忘れ、真昼間からではありますが、ワイワイ、がやがや、やろうじゃありませんか。
この案内状作成中の9月8日早朝、2,020年のオリンピック開催地が東京に決定 !! 7年後。人生2度目のオリンピック。素直に嬉しく思います。
と、云う様な訳で、下記のとおり 第6回目の「市岡高校東京12期会」を開催致したく、ご案内申し上げます。・・・・・残り少ない人生です。どうか万障お繰り合わせの上、ご参加いただきますようご案内申し上げます。
記
1.日 時 : | 平成25年11月16日(土) PM 1:00 ~ 3:00 頃 |
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2.会 場 : | 「三笠会館本館」(中央区銀座5‐5‐17 TEL 03-3571-8181) ※地下鉄 銀座線・丸の内線・日比谷線の「銀座駅」下車 B5出口上がりすぐ ※JR山手線 有楽町駅 下車徒歩5分 |
3.会 費 : | @7,000円 ( 酒代・通信経費を含みます。余剰金は2次会の補填に使います。) |
4.議 事 : | 特になし。 |
5.その他 : | 食事歓談の中で、新しく始まった「荒川・川上り」の報告があります。 |
6.2次会 : | 終了後、有志による2次会(カラオケ)を予定しています。 全員の参加を期待します。 |
7.出欠の返事: | 出欠のご返事は10月20日(日)迄に下記にお願いします。 ハガキ、TEL、FAX、携帯メール、電子メールいずれでも結構です。 |
毎回関西在住の同窓生複数名が「東京12期会」に参加しています。今回もその予定ですが、初めての方でも大歓迎。参加希望を連絡いただけましたらご案内いたします。
2013年10月1日
今年の夏は、記録的な猛暑で我々高齢者は熱中症の心配にさらされたかと思うと、一変して豪雨と竜巻で、日本列島に甚大な被害をもたらしました。
猛暑も峠を越した9月2日、この「12期の広場」でもたびたびアップされ、恒例になっている「古荘さんを囲む会」(在カナダ38年の古荘さんの一時帰国を機に開いている食事会)に今年もお声を掛けていただきました。今年は趣向を変えて、会場を京都にしようということになり、京都在住の川村君のお世話で山荘料理貴船「ふじや」で「納涼川床」(鴨川では「ゆか」、貴船、高雄では「かわどこ」と読むのが一般的だそうです)を楽しむ計画でした。
残念ながら、当日は生憎の雨模様、足早に、貴船神社へのお参りを済ませ、「川床」はあきらめて御座敷に上がり「懐石料理を頂くことになりました。
帰り際に頂いた団扇(うちわ)に 「瀬の音に 話とられて 川床 すゞし」…泊月と、一句したためてありましたが、瀬の音に、話とられることなく、部屋の中でゆっくりと歓談できました。この一句、もとは、どこぞの酔客が落書きして帰ったもんやろぅと思っていましたが、オッとどっこい、兵庫県生(明治15年)で旧姓西山伯月と言い早稲田大学前身の東京専門学校卒で高濱虚子に師事した高名な俳人でした。
「ふじや」は貴船川に初めて床几(縁台)を置き、いわゆる元祖「貴船の川床」で、川端康成も訪れたという老舗でしたので、泊月先生の俳句の件が成る程と、うなずけました。
話が少し脱線しましたが、宴もたけなわになった頃、高校時代の「合唱コンクール」に話題が移るや、後藤さんと勝原さんのお二人が立ち上がり、当時の課題曲の合唱が始まりました。…大変お上手でしたよ。
初めて聞くびっくりした話(小生が知らぬだけかも…)に「修学旅行時の飲酒」事件があったそうです。今の時代ならば大きな問題になりそうですが、もう時効ですよね。事の顛末はというと、2年生の修学旅行時、自由時間に渡邊先生(通称ギャング)が部活の柔道部員の有段者を中心とした連中を部屋に集め、ウイスキーを振舞ったということですが、先生の真意は、彼らが夜の街へ繰り出し、問題を起こされては困るという親心からの、一種の「監禁」だったことを知り安堵しました。
古荘さんは、帰国にあたり、日本の今夏は酷暑との情報を得、熱中症の心配をしながらの帰国だったそうです。「来年の夏もまた元気なお顔を見せて下さいね」という言葉を残し無事散会いたしました。来年の夏も、地球温暖化の傾向が続く限り、また猛暑になるでしょうが、この暑い季節になると「古荘さんを囲む会」を思い出し、次回またお誘いがあったら出掛けようと思います。
当日の出席者(敬称略順不同)
古荘、後藤、勝原、高田、古藤(いずれも旧姓)…5名
川村、張、末廣、別宮、塩野、川副…6名
2013年10月1日
4 陪審問題あれこれ
(1)イギリスとアメリカ
陪審は、地方住民の中から無作為で選ばれ、宣誓したのち事件の審理に関与するか、刑事事件について正式起訴の決定をするか、する(前者を判決陪審ないし審理陪審、後者を起訴陪審という)。そしてこれらとは別に、不審な死者について裁判手続をするか否かを決定するコロナー(検屍官)の陪審がある。
陪審は、12世紀後半から13世紀にかけて、民事・刑事の双方において、〈事実を知る人々〉として、同じ地域の人々の証言が証明方法として採用されたのに始まる。盛んに行なわれるようになるにつれて、その役割も見直され、証明から審理に参加して〈事実問題〉を判定するという方向へ変化してきている(from proof to trial)。しかし、イギリスではマグナ・カルタ39条(1215)に由来するものであろうか、〈人はその同輩によって裁判されるべし〉との憲法的法原則を形の上だけでも維持することが徐々に困難になるとともに、陪審の付和雷同性や腐敗堕落も指摘され、時代が進むに連れて、イギリスでは徐々に利用の低下を示して、現在に至っている。すなわち、刑事起訴陪審は1933年に廃止され、起訴するかどうかの決定は治安判事裁判所の予備審問に委ねられた。また、刑事事件については正式起訴された事件だけに、陪審が行われ(それも一部は強制的に陪審へと進むが一部は被告の同意で陪審へと進む)、民事事件についても契約違反や不法行為を理由とする損害賠償事件で当事者が請求したものに限られている。
他方、アメリカ合衆国では、刑事の起訴陪審(大陪審)と判決陪審(小陪審)ともに、必ず行なわれるし、民事陪審も盛んに行われている。その法的根拠は憲法の規定によるものであるが、同時に、独立期の職業法曹の不均質が法曹不信を招き、〈素人の判断〉を重視した点もたしかにある、と私は考えている。
(2)陪審の短所
陪審はコモン・ローにおいて発達した訴訟手続である。重要な刑事事件と当事者が陪審に付すことを要求する一部の民事事件において、行なわれている。契約の特定履行や違法行為の差止命令を求める訴えなど、エクイティ法上の手続では行われない。以下では、重要な刑事事件を想定して考える。
さて、陪審には、訴訟の費用や時間といった訴訟経済上の問題、さらに、イギリスでは一般に陪審を選択すると刑の幅が広くなるという傾向がある(結果的に刑が重くなるという恐れがある。)。これに加えて、陪審の短所ないし弱点として、次のような点が指摘されている(指摘は、主としてウィリアムズ『イギリス刑事裁判の研究』学陽書房による)。
- 偶然に選任された集団である。
- 陪審は、法廷において証言・証拠を精査した経験がない。
- 法廷という環境と法廷で使用される言葉に慣れていない。
- 感情に流された判断をしやすい(弁護人の弁論や裁判官の意のままにコントロールされやすい)。
- 陪審は名誉ある仕事ではない。
- 経済的損失をもたらす(その損失は、僅かな陪審手当ではほとんど補償されない)
- 公判を長引かせる。等々である。
(3)陪審支持論
陪審を信頼し、陪審を熱烈に支持する見解は、有力弁護士・裁判官に以外に、否、圧倒的に多い。陪審は、提示された証言・証拠と裁判官の説示に基づいて真の評決を行っている、とみるのである。これは、かれらが陪審制の下における成功者であるからかもしれない。
陪審制には、一般に、次のような長所が指摘される。
- 善良な人々による神聖な評決が期待できる。
- 国民の司法への参加が可能になる。
- 老若男女さまざまな人々から構成されている(裁判官は、多くの場合、高齢男性である)。
- 裁判官の仕事が軽減される(裁判官はアンパイアの仕事に専念できる)。
以上において、陪審の長所と短所を通覧してみた。結果として言えることは、陪審の抱える問題とは、〈陪審は証言を含む証拠にもとづいて真の評決を行いうるのか〉である。特に、自分が裁判に付されたとき、〈その陪審に、自分の有罪・無罪の決定を託せるか〉である。近年、イギリスなどで問題になっている、少数民族出身の被告が多数民族からなる陪審の構成に異議を申立てる背景には、つねに、裁判の原点の問題―その陪審が、証拠のみにもとづいて判決を下しているか、の問題が存在するといえよう。
なお本稿では、紙面の関係で、陪審に適しない事件や専門参審員といった陪審に代わるか補助する法制については、言及しなかった。
5 陪審員からみた裁判員―まとめに代えて
以上に述べた陪審(あるいは陪審員)についての議論を要約し、我が国の裁判員と比較してみよう。
〈両法制の簡単な比較〉陪審員 | 裁判員 | |
a 無差別に選ばれた人々である | ○ | ○ |
b 個性のない人々である | ○ | ?(1) |
c その事件かぎりの決定を下す | ○ | ○ |
d 自分たちだけで別室で判定する | ○ | ×(2) |
e 判断の理由を決して語らない | ○ | ×(2) |
f 事実問題だけしか判定しない | ○ | ×(3) |
(1)イギリス(イングランド)の陪審員は、個性のない人々(無個性)である。全員が、名前ではなく番号で呼ばれる。陪審長(foreman)は陪審員の1番である。
裁判員はどうか。無個性であるはずであるが、新聞やテレビで見る限り、匿名を理由にインタビューを受けたり、ある事件の担当裁判員全員で記者会見などしたりして、意見を表明している。悪を見たことのない人々の集団であるとも言える。
(2)イギリス(イングランド)の陪審は、決して判断理由を語らない。それゆえに、往時において、神判、すなわち、自然神の判断にもたとえられた。神判なる証明方法の代わりに導入されたという歴史的理由もあろうが、判断理由を語らないことは素人の法的判断に相応しい。聞くところでは、我が裁判員に似た法制に、ドイツの参審員制があり、これは審理において職業裁判官と同席して共同して判決を下す。ただし、参審員はなりたい旨希望し、許された者だけが就任するという。言い換えると、参審員としての資格がある程度考えられているということであろう。
自分たちだけ別室で協議し、評決を下す陪審制は、市民の司法への参加と言う利点とともに、裁判官の負担を軽くする利点がある。陪審が有罪か否かを決定し、裁判官は、刑事事件では量刑の問題だけを考えればよいからである。
裁判員制は、これと大きく異なる。裁判官は、一方で法廷の秩序維持・事件の進展を考えつつ、他方で法に不慣れな裁判員を指導して判決へと導き、しかもともに量刑まで考えねばならない。裁判員裁判における裁判官は、まさにスーパーマンさながらの活躍を期待されているのである。精神病を発症しないよう祈るのみである。
(3)事実問題と法律問題を分けたことは、イギリス法の法の叡智を示すものである、と私は考えている。法律問題と称する枠組みをこしらえて、〈陪審は法律問題に答えず〉とばかりに陪審を閉め出したことにより、ある種の法律問題の、あるいは一回かぎりではなく後続事件に関係する法律判断の、決定を職業法曹にとり込むことは、一面では責任の自覚を促したでもあろうが、それとは別にもっと重要なことは、職業法曹、特に裁判官にとって法の理論的考察が深められるという側面があろうかと思う。どのような問題にも〈市民目線〉と称する素人の議論が侵入してくる可能性のある、裁判員制と冷静に比較されたい。
ベイカー氏は、中世陪審において確立したと思われる法格言〈裁判官は事実問題に答えず、陪審は法律問題に答えず〉を持する法制が〈イングランドの実定法[実体法と訴訟法]を念入りなものにするのに役立った〉、と述べている(『法制史第4版』76頁)。深く味わうべき一言である。
主要参考文献
守屋善輝『英米法諺』1973年、日本比較法研究所。(『守屋』と引用・言及する)
小山貞夫『英米法律語辞典』2011年、研究社。(『小山』と引用・言及する)
これ以外のものは、必要に応じて言及する。
なお、英米法格言と言いながら、ラテン語表記のものが多い。それらについては、『小山』「序」に掲げる英米法の辞典類を、またラテン語表記の法格言の日本語訳については『小山』の該当項目か、『守屋』法諺索引から原文の日本語訳をご覧下さい。
2013年9月28日
高校21期 竹本ミチ
秋冷の心地よい季節、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
2008年3月22日「銀座クルーズクルーズ」にて第1回東京市岡21期会の会合を催して以来、不定期に開催してきました同期会を久しぶりに企画致しました。
当日は関西方面より篠原 博(3-2)・田中健夫(3-7)・網本博孝(3-10)・二村和義(高谷 3-10)・竹内 哲(3-10)・西尾賢治(3-10)・前川健一(3-10)・湊口護(3-10)の8名が大挙参加していただく予定です。今のところ東京から中條隆一(3-1)・中川卓志(3-5)・田尾美子(中井 3-3)・竹本ミチ(伊藤 3-5)・山田泰江(野口 3-8)の参加が確定しております。
※ 参加者等の情報はこのホームページで都度更新致します。 ( 澪標ホームページ・トップ左側サイドバーの「同期会」から「21期」をクリック、このページを探してご覧ください。)
※ 下記の方々が追加参加者です ( 追加申込みの順に表示 )。
浮舟恢弘先生、横溝廣和(3-7)、松田幸信(3-8)、岡恵子(田中 3-3)、森田茂(3-8)、瀧川充朗(3-2)、中原英三郎先生、長谷川啓三(3-6)。
場所は神楽坂の創作料理店で私達の年齢に応じた食事を提供していただきます。歓談後はカラオケ設備も完備しておりますので、心ゆくまでおくつろぎいただけると思います。
記
日 時 平成25年10月26日(土) 18:00~24:00(貸し切りにつき各自自由解散)
場 所 「木瓜(ぼけ)の花」 新宿区神楽坂4-8 神楽坂プラザビル B1F
(TEL 03-3268-8020)
会 費 男子 10,000円 女子 6,000円 (当日徴収します)
以上
【連絡先】
竹本ミチ(090-4367-1214)メール t-kohei【アットマーク】nifty.com
山田泰江(090-4372-8949)メール sy_yamada【アットマーク】jcom.home.ne.jp
二村和義(090-2105-9281)メール pskazu【アットマーク】pearl.ocn.ne.jp
ファックス 0120-533-567(二村くんの会社のフリーダイヤルです)
※ 経費節減のため返信ハガキは入れておりません。出来るだけファックスかメールでお願いします。
尚、上記の【アットマーク】は@ (半角文字) に変更してご利用下さい(迷惑メール防止のため)。
ホームページ URL:https://www.reihyo.com/
地図あります。 (← PDFの地図。↓Google Map)
2013年9月28日

高校21期 前川健一
我らが21期生の長谷川君が「震災川柳」の増補版を出版しました。東北大学で教授をやっている、あの長谷川啓三君です。※1 第一版は自費出版で、南三陸町の旭ヶ丘地区の方たちが、仮設もまだない発災後1ヶ月ほど経ってから詠み始めた作品を纏めたものでした。
今回の増補版は第一版の内容に、それから二年後に同じ方達を中心に詠まれた作品と、調査結果などが加わっているのだそうです。※2 二年経ってガレキの処理が進んだとはいえ、まだ仮設住まいの方が多くいらっしゃいます。そんな方達の、決して望んでそうなった訳ではないが、少しは取り戻した「日常」が、言わば日記のように笑いを含んで綴られている、といったところでしょうか。
今回は自費出版ではなく、「JDC出版」という港区にある会社が、長谷川君の志を汲んで店頭にも並ぶ市販本にしてくれたようです。※2
幸い、NHKラジオ第一で、震災二年半にあたる、この11日に全国ネットで紹介されました。昨年はTBS系テレビで東北、北海道を含む関東地区で放送され、関心を集めたそうです。今回も東北地区では放送の予定があります。
臨床心理学を専門とする彼の立場に自分を置こうとすると、その立ち位置を設定するのが意外と難しいことに気づかされます。
通常でも、精神心理的な問題そのもの、あるいは問題を抱える人達に対峙しつつ、援助・改善・予防・研究、あるいは精神的健康の回復・保持・増進・教育への寄与と拡がりがあります。そこに、研究者・教育者としての立場を超えて、いわばボランティアとして、作品の川柳を散逸させずにまとめ、出版にまでこぎ着けられた訳です。(また前川が難しい話をしている<屁理屈を捏ねている>、という声が聞こえて来そうですが。※3)
僕は自費で出した第一版の話を彼としたときに、川柳という着想が良かったり※4――これは彼によると大阪の育ちが市岡の血がそうさせたらしいですが――、臨床的な効果が期待できたとしても、「長谷川君自身(と学生達)が地元に住む被災者であったから、サポートを受け入れてくれた」という側面があったのではないか、と言いました。本当のところは旭ヶ丘地区の方たちに聞いてみないと判りませんが、今でもそんな気がしています。
書籍という形にはできました。次の段階は、広くみんなに知ってもらうことであろうと思います。※5
とにかく五・七・五の短い言葉の中に、関西の報道ではあまり扱われない、現地の方達の心模様が伝わってきます。サラリーマン川柳とはもちろん心象風景が違っていますが、ひょっとしたら国土強靱化や東京オリンピックに向けて、皆さんの態度を決めるヒントになるかも知れません。
2013年9月27日
高校21期 写真班 前川健一
恩師の福井・小掠・浮舟先生をゲストに迎え、21期生の同窓会が行われましたのでご報告します(於て 母校同窓会館。9月22日開催)。
竹内君(3-10)の司会進行で、西尾君(3-10、幹事長)の活動経過・内容の紹介、山子君(3-5)の会計報告、小掠先生から“movie(音楽つきスライドショー。皆さんに既配布)”の後日談があり、福井先生の音頭で乾杯を経て歓談へと相成りました。
暫くしてブラスバンド部OB・OGによる演奏を楽しませて頂きました(何時も我々高齢者向けに選曲を工夫して頂き、この場をお借りして感謝申し上げます)。
写真あります(撮影は西尾君と前川(3-10)+酒井君(3-1)です)。尚、堀江君(3-2)が当日持参してみんなで盛り上がった、在校当時の珍しい写真(7点)も末尾にUPしましたたので、是非ご覧ください。
続きを読む- 「同窓会ホームページ・名簿システムをリニューアルしました」について
吉川初恵さんより: - 「ひろばリバイバル」について
川村 浩一さんより: - 「市岡高校18期生同窓会」について
堀義昭さんより: - 「【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告」について
中間 實徳さんより: - 「市岡高校卓球部OB会「市卓会」 第27回会長杯卓球大会開催」について
水谷晴信さんより: