同期会

【高21期】“東京市岡21期会” 開催のご案内

高校21期 竹本ミチ


秋冷の心地よい季節、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。

2008年3月22日「銀座クルーズクルーズ」にて第1回東京市岡21期会の会合を催して以来、不定期に開催してきました同期会を久しぶりに企画致しました。

当日は関西方面より篠原 博(3-2)・田中健夫(3-7)・網本博孝(3-10)・二村和義(高谷 3-10)・竹内 哲(3-10)・西尾賢治(3-10)・前川健一(3-10)・湊口護(3-10)の8名が大挙参加していただく予定です。今のところ東京から中條隆一(3-1)・中川卓志(3-5)・田尾美子(中井 3-3)・竹本ミチ(伊藤 3-5)・山田泰江(野口 3-8)の参加が確定しております。

※ 参加者等の情報はこのホームページで都度更新致します。 ( 澪標ホームページ・トップ左側サイドバーの「同期会」から「21期」をクリック、このページを探してご覧ください。)
 下記の方々が追加参加者です ( 追加申込みの順に表示 )。
  浮舟恢弘先生、横溝廣和(3-7)、松田幸信(3-8)、岡恵子(田中 3-3)、森田茂(3-8)、瀧川充朗(3-2)、中原英三郎先生、長谷川啓三(3-6)。

場所は神楽坂の創作料理店で私達の年齢に応じた食事を提供していただきます。歓談後はカラオケ設備も完備しておりますので、心ゆくまでおくつろぎいただけると思います。

日 時  平成25年10月26日(土) 18:00~24:00(貸し切りにつき各自自由解散)
場 所  「木瓜(ぼけ)の花」 新宿区神楽坂4-8 神楽坂プラザビル B1F
      (TEL 03-3268-8020)

会 費  男子 10,000円    女子 6,000円  (当日徴収します)

以上

  【連絡先】
竹本ミチ(090-4367-1214)メール t-kohei【アットマーク】nifty.com
山田泰江
(090-4372-8949)メール sy_yamada【アットマーク】jcom.home.ne.jp
二村和義(090-2105-9281)メール pskazu【アットマーク】pearl.ocn.ne.jp
ファックス 0120-533-567(二村くんの会社のフリーダイヤルです)

※ 経費節減のため返信ハガキは入れておりません。出来るだけファックスメールでお願いします。
  尚、上記の【アットマーク】は@ (半角文字) に変更してご利用下さい(迷惑メール防止のため)。

ホームページ  URL:https://www.reihyo.com/

地図あります。 (← PDFの地図。↓Google Map)

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【高21期】「震災川柳」が発刊されました

高校21期  前川健一
 

我らが21期生の長谷川君が「震災川柳」の増補版を出版しました。東北大学で教授をやっている、あの長谷川啓三君です。※1 第一版は自費出版で、南三陸町の旭ヶ丘地区の方たちが、仮設もまだない発災後1ヶ月ほど経ってから詠み始めた作品を纏めたものでした。

今回の増補版は第一版の内容に、それから二年後に同じ方達を中心に詠まれた作品と、調査結果などが加わっているのだそうです。※2 二年経ってガレキの処理が進んだとはいえ、まだ仮設住まいの方が多くいらっしゃいます。そんな方達の、決して望んでそうなった訳ではないが、少しは取り戻した「日常」が、言わば日記のように笑いを含んで綴られている、といったところでしょうか。

今回は自費出版ではなく、「JDC出版」という港区にある会社が、長谷川君の志を汲んで店頭にも並ぶ市販本にしてくれたようです。※2
幸い、NHKラジオ第一で、震災二年半にあたる、この11日に全国ネットで紹介されました。昨年はTBS系テレビで東北、北海道を含む関東地区で放送され、関心を集めたそうです。今回も東北地区では放送の予定があります。

臨床心理学を専門とする彼の立場に自分を置こうとすると、その立ち位置を設定するのが意外と難しいことに気づかされます。
通常でも、精神心理的な問題そのもの、あるいは問題を抱える人達に対峙しつつ、援助・改善・予防・研究、あるいは精神的健康の回復・保持・増進・教育への寄与と拡がりがあります。そこに、研究者・教育者としての立場を超えて、いわばボランティアとして、作品の川柳を散逸させずにまとめ、出版にまでこぎ着けられた訳です。(また前川が難しい話をしている<屁理屈を捏ねている>、という声が聞こえて来そうですが。※3)

僕は自費で出した第一版の話を彼としたときに、川柳という着想が良かったり※4――これは彼によると大阪の育ちが市岡の血がそうさせたらしいですが――、臨床的な効果が期待できたとしても、「長谷川君自身(と学生達)が地元に住む被災者であったから、サポートを受け入れてくれた」という側面があったのではないか、と言いました。本当のところは旭ヶ丘地区の方たちに聞いてみないと判りませんが、今でもそんな気がしています。

書籍という形にはできました。次の段階は、広くみんなに知ってもらうことであろうと思います。※5

とにかく五・七・五の短い言葉の中に、関西の報道ではあまり扱われない、現地の方達の心模様が伝わってきます。サラリーマン川柳とはもちろん心象風景が違っていますが、ひょっとしたら国土強靱化や東京オリンピックに向けて、皆さんの態度を決めるヒントになるかも知れません。
 

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【高21期】21期“同窓会”のご報告

高校21期 写真班 前川健一
 

恩師の福井・小掠・浮舟先生をゲストに迎え、21期生の同窓会が行われましたのでご報告します(於て 母校同窓会館。9月22日開催)。

竹内君(3-10)の司会進行で、西尾君(3-10、幹事長)の活動経過・内容の紹介、山子君(3-5)の会計報告、小掠先生から“movie(音楽つきスライドショー。皆さんに既配布)”の後日談があり、福井先生の音頭で乾杯を経て歓談へと相成りました。


暫くしてブラスバンド部OB・OGによる演奏を楽しませて頂きました(何時も我々高齢者向けに選曲を工夫して頂き、この場をお借りして感謝申し上げます)。
 

写真あります(撮影は西尾君と前川(3-10)+酒井君(3-1)です)。尚、堀江君(3-2)が当日持参してみんなで盛り上がった、在校当時の珍しい写真(7点)も末尾にUPしましたたので、是非ご覧ください。

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「12期の広場」 9月号ラインアップ

 9月です。暦の上ではもう秋ですが、残暑が相変わらず厳しい今日この頃です。

 過日、K君から「青春18キップ」で東京に行って来たとのメ-ルを受け取りました。それに刺激を受けた訳ではありませんが、筆者も今夏は「青春18キップ」のお世話になり、以前から気になっていた「平地に現れている分水嶺」を訪ねてみました。

 場所はJR福知山線の石生(兵庫県丹波市)です。石生駅は篠山口から福知山への中間地点でかの春日の局の生地であるJR黒井駅の一駅大阪寄りの無人駅。

 取りあえず駅前の案内図を見て、「水分れ公園」を目指して炎天下20分の徒歩です。

 まず線路沿いに南へ。石生踏切を横切ると川幅がせまい高谷川があり、それを川上に向かうと水分橋(国道176号線との交差点)があります。そこがすでに目的の「平地に現れている分水嶺」の一部でした。


分水界の碑(分水橋のたもとにあり、右は瀬戸内海、左は日本海を示す。)

 正確には一般的な「分水嶺」ではなく、日本列島に降る雨を日本海側と太平洋側に分ける背骨部、つまり中央分水界で、それが平地に現れたものを特に谷中分水界と言うそうです。石生の谷中分水界は本州ではもっとも低いもので、その海抜は分水橋地点で101mです。

 しばらく水分橋のたもとに立ち止まりましたが、どう見渡しても分水界の南北は平らな盆地、勾配がある地点とは思えません。またこの分水界が東に行っても西にいっても日本の脊梁山地(分水嶺)に連なるとはとても想像できませんでした。

 石生の谷中分水界は高谷川の右岸の自然堤防に沿って東西に長さ1.25kmにわたって続いています。東は「水分れ公園」付近で山から氷上盆地に降り、海抜95.45mまで下がりながら水分橋、石生踏切付近を経て、城山の稜線をまた登って行きます。そして石生付近の盆地を南北に分け、その北側に降る雨は黒井川から由良川を経て日本海に、南側にふる雨は柏原川から加古川を経て瀬戸内海に注ぐそうです。

 高谷川沿いに大和屋という立派な老舗料理旅館があるのですが、その屋根をつたう雨水は、屋根勾配によって日本海、瀬戸内海へと水分かれするのです。もっと驚いたことは、もし海面が100m程度上昇したとすれば、このあたりに若狭湾と瀬戸内海を結ぶ海峡が出現し、本州を二分することになることです。どのようにしてこの地域に分水界ができたのか、またそれは自然界や人々の生活にどのような影響を及ぼしたのかなど、自然の神秘と人々の営みへの興味は尽きません。

 「水分れ公園」で豊かで美しい水の姿を堪能し、すぐ側の「丹波市立水分れ資料館」を見学しました。

 夕暮れがせまり、川魚が群れる高谷川のせせらぎを眺めながらのんびりと石生駅に向かいました。1時間に1本の大阪行き普通列車に乗る頃には暑さも幾分やわらぎ、分水界である石生踏切付近を越えると列車は確かに長くて緩やかな下り勾配を進みます。すべるように軽やかな列車の加速が殊更、心地よく感じた一日でした。

 さて今月号のラインアップです。今月号は記事が一つです。お楽しみ下さい。

 
  1. 法格言にみるイギリス法の精神 3 (上)」        3組   松村 勝二郎
以 上

法格言にみるイギリス法の精神 3(上)

松 村 勝二郎
〈裁判官は事実問題に答えず、陪審は法律問題に答えず〉
 (Judges do not answer questions of fact, jurors do not answer questions of law. )
 

 いつ頃できた法格言であるか、不詳であるが、〈裁判官が、事実問題に答えないのと、まったく同様に、陪審は、法律問題には答えない。〉という法格言が、クック『リトゥルトンの不動産保有条件論注釈』(1628)に出ているというから(『守屋』224頁)、陪審制が確立し十分に機能していた時代の法格言であることが窺われる。私は、この法格言は職業法曹に宛てたもの、否、その候補生である法学生に宛てたものであろう、と推定している。格言自体には、なんのむつかしさもないからである。そして教師も法学生も、主たる関心はその内容に、法律問題とはなにか、事実問題とはなにか、どのように区別するのか、それはなぜかといった点にあったことと思われる。

 しかし、この問題に入る前に、英国の陪審とは〈似て非なる〉、我が国の裁判員に関係するある日の新聞記事を見ておこう。なぜなら、我が国の裁判員は〈法律問題にも答え、事実問題にも答える〉からである。

 

   1 ある日の新聞記事から(2013.6.20 朝日夕刊)

 東京高裁〈裁判員の死刑判決 破棄〉強盗殺人[を]無期懲役に

 上記見出しに続く〈事実の概要〉は次のとおり。「東京都港区のマンションで飲食店経営の男性を殺害したとして、強盗殺人罪などに問われたY被告に対し、東京高裁は20日、一審・東京地裁の裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とする判決を言い渡した。A裁判長は「一審判決は、2人を殺害した[被告の]前科を重視しすぎている」と指摘した。裁判員裁判による死刑判決は19件あるが、二審で(くつがえ)るのは初めて。」

 以上の事実の概要に続いて記された記事について、陪審制を考えるうえで、私は次の点に関心を持った。

 (1)控訴したのは誰か(被告と推定されるが、記事中に明記なし)。
陪審裁判において、英法では、控訴できるのは被告だけである。訴追側は、警察という巨大な捜査能力を持ち、国費つまり国民の税金を自由に使えるから、たとえ訴追側の不十分な立証によって無罪判決が言い渡されても、被告を拘束してはならないという人権上の配慮であろう。しかし、同時にそれは、イギリス法に存在する〈裁判は一回で完結すべし〉とする、裁判の一回性の要請が、特に陪審裁判を重視する伝統と深く結びついたものでもあろう。正しい裁判には上訴や再審は不要とみなすのである(ただし、裁判所による法令解釈・判例解釈の誤りについてだけは、検察側も上訴できる)。

 (2)記事中に、一審の裁判員であった人へのインタビュー記事が、匿名ででている。

 「本当ですか」[死刑が無期懲役に変えられたことに驚いている。]

 Y被告の一審で裁判員を務めたある女性は、驚きを隠せない。そしてこう述べている。

 「あれほど考え抜いた結論だったのに…。混乱している」と。 

 〈私の疑問〉一審の裁判員だった人物に新聞社がインタビューしているが、新聞社には人物名がわかっているのか。それはなぜか。裁判所が知らせたのか、それとも裁判員個人が知らせたのか。裁判員は、たとえ匿名であろうと、自己の担当事件についてインタビューをうけてよいのか…等々である(断っておくが、裁判員法にはこれらの事項について禁止する法文は存在しない)。言うまでもなく、英国の陪審には個人名はなく、全員番号で呼ばれ、全く無個性である。たとえば陪審長(foreman)は1番である。陪審員が担当事件を評釈したり、インタビューを受けるなどは論外であろう。

 なお、フランスにも陪審と称する裁判員制があるが、担当事件につき意見等を表明することは、法律によって一切禁止されている。
 英法の陪審の歴史から眺めると、日本国の国民は純真無垢(むく)な赤ちゃんのようなものか。もし機会があれば後述するが、陪審の歴史は陪審に対する脅迫や賄賂による陪審腐敗の歴史でもあるが、我が国の立法者は裁判員をそれらからどう防ぐかの手立てを講じていない。このことについては、手口を教えないため詳論しなかったが、裁判員制発足前の2006年の講演で一言したことがある(のちに講演原稿を記録に残した。松村「陪審の母国イギリス法が語ること」38頁。Mariners’ Law Reports, vol.6 別冊)。

 なお、我が国でも裁判官や裁判所書記官の個人情報は、一般公務員に比較して、かなり慎重に守られている。その意味で、裁判員の個人情報が明らかにされた結果、有罪判決を下した裁判員が危害を加えられたりしたら、どうするのであろうか。東大教授を定年後、最高裁の裁判官になった団藤重光氏は、死刑判決を下したとき、傍聴席から〈人ごろし〉と怒声を浴びせられ、これが同氏『死刑廃止論』執筆の一動機である、と同書中に述べている(もっとも、私個人は、双方の権利の主張が激烈に対決する裁判の審判人である裁判官を、定年を迎えた学究の再就職とでも考えているらしいこんな気弱な裁判官には決して裁かれたくはないが…。刑事の名裁判官として知られた三宅正太郎氏が『裁判の書』において述べるように、裁判、特に刑事裁判は覚悟の問題である。そしてイギリス中世法では、判決非難を理由とする上訴は、申立人と〈虚偽判決〉を下したと非難される裁判官との決闘を意味したのである。松村訳『グランヴィル』164頁)。

 

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【高21期】21期“同窓会”のご案内

謹啓 猛暑の続く毎日、21期の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
 今年は同窓会のない年なんですが今年も開催しようと言う声が多く案内をさせて頂きます。何かとご多用とは思いますが万障お繰り合わせの上、ご出席くださいますようお願い申し上げます。
 尚、当日はアトラクションとして現役ブラスバンド部員(約60名)による演奏を予定しています。
敬白
平成25年8月吉日
幹事 西尾 賢治
 
* * * 記 * * *
会の名前 21期 同窓会
開催日時 平成25年9月22日(日曜日) 午後2時~5時
開催場所 母校同窓会会館
会   費 6,000円
連 絡 先 代表幹事: 西尾 賢治 (高校21期)
E-mail: biriken☆gold.ocn.ne.jp
※ 迷惑メール対策のため☆を@(小文字)に変更してご利用ください
電話: 090-1598-0491


【参加申し込みとお願い】
ご住所の分かっている21期生の方には、全員に往復の案内ハガキを差し上げております。参加希望の方は、返信ハガキに必要事項をご記入の上お申し込み下さい。
尚、準備の都合もありますので、9月10日までにご出欠の返事をお知らせください。

ところで、今年の4月1日付けで同窓会誌の「澪標」が発行されました。このホームページをご覧になった方で、お手元に会誌が届いていない方や、同窓会案内ハガキが届いていない方は、現住所が把握できていません。
「案内ハガキは届いていない参加ご希望の方は、氏名・ご連絡先等を添えて、上記までメールで申し込んで下さい。
「参加は希望しないが、案内ハガキや『澪標が届いていない21期生の方ホームページの「異同通知」等で連絡先をお知らせ下さいますようお願い致します。
 

「12期の広場」 8月号のラインアップ

 自分の住んでいるところを褒められたり、敬われたりすることは大変嬉しく気持ちの良いことですね。実は6月中旬~下旬にトルコを旅行したときにそれを経験しました。120年以上前からトルコ人は日本が好きであるとガイドが何度も何度も言い、子供たちは小学校の教育で必ず日本の串本町のことを教えられているというのである。和歌山県串本町の海で遭難し多くのトルコ人が受けた恩を決して忘れてはならないということである。紙面の都合上詳細は省くが教育の重要性まで影響を受けたようであり、今日のトルコがあるのも日本と串本町のお陰とガイドさんは思っている。

 それが実感できたのは二日目のエーゲ海に面したホテルに着いたあと、海岸を散歩したり写真を撮ったり膝まで海に浸かったりしていると、海に入っていたトルコの子供たちがニコニコしながらなにやら話している。「こんにちわ」と声を掛けると応えてくる。「こんにちわ。ジャポーニア?」「エベト」頼りないが会話をする。そして「バイバイ」と何度も何度も手を振りながら去って行った。

 大人の人も海から出て近づいて同じように「ヤーパン」やら「ニホン」と言いながら握手を求めたり息子や娘に何か言っている。きっとこの人たちは日本人だよと言っているようだ。

 子供たちもニコニコして手を握りに来る。やはり本当なんだ。ガイドさんは2002年の日韓ワールドカップでトルコ対日本の試合、串本町の小学生たちがトルコの応援をしてくれたこと。そして勝てたこと。最終的に3位になったこと。その他たくさんのお話をしてくれました。

 折りしも6月のトルコでは現政権批判のデモが渦巻いていた。そのようなことを微塵にも感じない旅でした。政教分離が徹底されて国民の90%が回教徒の国と感じさせない。国民から建国の父と尊敬されている初代大統領アタチュルクが実は日本人の教え子で、日本の精神文化を学んだことが代々伝わっているのかもしれない。考えさせられた旅行になったのは確かでした。

 
 


 さて、8月号のラインナップは以下のとおりです。夏本番の8月をエンジョイしてください。

  1. 盛夏の思い出」                        4組  寒川 詔三
  2. 東京市岡会に参加しました」            8組  榎本 進明
  3. 夏の地方大会3回戦(福井高校戦)観戦記」   7組  張 志朗
  4. お祭り訪問 雑感短信 ①」             8組    末廣 訂
 
以上

盛夏の思い出

4組 寒 川 詔 三  

 今年も夏の全国高校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」を、よく耳にするようになってきました。

 高校3年生の盛夏、暑い、口惜しい1日を忘れることができないのは、硬式野球部員だけだったでしょうか? 12期生が一丸となって青春を謳歌した学校行事は色々あったが、部活で甲子園を目指した硬式野球部の夏の高等学校野球選手権・大阪大会における激戦に、血沸き肉躍るものを感じられた方が、沢山おられたのではないでしょうか。

 

 昭和34年(1959年夏の高校野球選手権大会 大阪大会)の市岡高校は三井君の好投で準決勝に駒を進めた。1回戦:浪速工 2回戦:今宮高 3回戦:大阪商大附属高 を接戦で勝ち抜き、日生球場における準々決勝の近大附属高戦は、延長10回の激闘を1:0で制し、戦後初の夏の甲子園出場が手の届くところまできた。当時の部員は同期の3年生が三井君、森君、山田(克)君の3名がプレーヤー、私(スコアラー)と美記君はマネージャー、そして洲崎さん、田村さん(いずれも旧姓)が女子部員(女子マネージャー)であった。市岡高校は女子マネージャーを設置した最初の高校であったと思われるが、合計7名が同期生、プレーヤーは2年生4名、1年生6名、計13名の少人数の構成で参加した。

 当時の大阪府の高校野球は私立8強時代といわれ、浪商(現在の大体大浪商)、PL,興国、明星、北陽(現在の関大北陽)、上宮、近大附属、大鉄(現在の阪南大高)等が群雄割拠していた。ただ昭和34年、準決勝に勝ち残った4高校は、市岡、八尾、阿倍野の公立3高校と私立の興国で、公立優位の状況であった。私は準決勝の抽選で八尾高との対戦を引き当てた時、ぼんやりと見えていた甲子園の姿が、くっきりと見えるようになってきたものである。


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東京市岡会に参加しました

8組 榎本進明

 平成25年7月20日(土)13:00から新宿三井ビル54階で「第54回東京市岡会」が開催され参加しました。それに先立ち9:15~11:30まで近藤太一さん(高校15期 京都市民大学院 教授)が主催するミニツアーにも参加いたしました。今年は「東京愛宕山NHK放送博物館見学会」でした。このミニツアーは毎年恒例となっていて、今では近藤さんの旅行会社勤務での豊富なご経験から発せられる説明に聞き入るのが楽しみになっています。

 案内される先々で「先生」「先生」と呼ばれて、親しみのある人柄にも魅力を感じています。

近藤さん(写真左)の説明を聞く参加者
愛宕山の頂上に湧き水があるのが不思議

 NHK放送博物館のある愛宕山は西郷隆盛が勝海舟と会談、内戦を回避した場所とのこと。標高25.69mの山の上になぜ水が出るのか不思議で、徳川家康は江戸防火のために神社を祀られたとされています。(愛宕神社)

 博物館の中に入ると従業員の皆さんが我々を迎えてくれました。ベテランの若山さん(広島県出身)が我々の案内役で懇切丁寧に説明してくださいました。1925年(大正14年)3月22日東京芝浦にある東京高等工芸学校(1951年東京工業大学に移管)図書館の一隅に開設した仮放送所から日本初のラジオ放送が始まった。同年7月には愛宕山新局舎が完成して本放送が開始されるが、それまでの4ヶ月間マイク1本でニュース、天気予報、音楽演奏、講演、ラジオ劇、など放送された。

富士山頂でラヂオを聴く 1925年(大正14年)
8月
初めての中等野球実況中継1927年(昭和2年)
8月13日

 放送に関する技術的なものからエピソードまで詳細な説明を受けた中で、歌手の藤山一郎さんとNHKの関係は印象に残りました。昭和3年17才のとき独唱で出演したのが始まりで、昭和21年には復員第一声をラジオ「音楽玉手箱」で、また25年~26年に「愉快な仲間」にレギュラー出演、昭和26年「第1回紅白歌合戦」にキャプテンとして出演以来平成4年まで連続43回出演、また昭和26年には終身刑戦犯者の慰問もされました。晩年(81才)には国民栄誉賞を受賞され翌年82才で永眠されました。

戦犯を収容していた戦後の巣鴨プリズン特別警備本部より送られた感謝状。
「熱烈慰問演奏」とあるように日米安保条約締結を記念して斯界大物が連名で自署している。
文面は、「神も人も ききいる妙の 楽の音に あまの岩戸も 開けゆくらし」
昭和二十六年霜月十八日 平和安保両条約批准 国会通過の佳き日

 午前中のミニツアーは地下鉄神谷町駅で終了しました。近藤さんとはひとまずお別れして13:00からの同窓会でお会いすることになります。9:15から立ちどうしのツアーでしたので、近くのカフェで休憩後新宿三井ビルに向かいました。

 受付終了後、しばらくして同窓会(東京市岡会)が始まりました。今年は出席者108名で盛会となりました。幹事さんのご努力の賜物と深く感謝したいと思います。
 

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夏の地方大会3回戦(福井高校戦)観戦記

 夏、市岡高等学校とくれば高校野球です。第95回全国高校野球選手権記念大阪府大会の母校の試合を見に行ってきました。

 母校硬式野球部は2回戦からの登場だったそうです。2回戦の大阪府立阿武野高校戦で夏の地方大会200勝の歴史的勝利(8対1)をしたと聞き、7月18日、あたふたと都合をつけての3回戦の応援です。相手は大阪府立福井高校(茨木市)で球場は万博球場です。

 当日、午前中は曇り空、午後はカンカン照りの酷暑日。自宅を出て電車を乗り換え、最寄りの万博記念公園前駅(モノレ-ル駅)で降りて球場までの15分ほどあるいたのですが、強い日射、その照り返しと道両側の雑草の草いきれで頭がくらくらするありさまです。

 球場は森の中、客席はすべて芝生席で外野は緑豊かな木々で囲まれての別世界です。外野の芝生と内野の黒土、引き直された白線が目に沁み、噴水のように水を打ち丁寧に均し整えられたマウンド周辺はまさに舞台そのもの。猛練習を耐えてきた母校球児が悲願の甲子園出場をめざす夢舞台です。三本線の鮮やかな帽子をかぶった選手の姿が一層まぶしく感じられ、「後攻市岡高校、一番キャッチャ-杉村君」、ウグイス嬢のアナウンスが遠い昔の懐かしさを運んできました。



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