同期会

ヒマラヤトレッキング

 ネパールのトレッキングについて、再度まとめてみましたので、ご覧下さい。ネパールは友人のS君が良く知っており、彼を含め3人で出かけました。コースの目的地は、パンチポカリ(5つの池の意味)というヒンズー教の聖地を目指したものでカトマンズの北東部にあたります。


八島 平玐 (3年 8組) 

 コースは巡礼の道とのことで、途中にロッジはなく総てキャンプとなり、そのため、テント、食糧、我々の荷物を運ぶのにガイド、コック、ポーターの計10名、合せて13名の大編成となり記録映画に出てくるような山行を楽しみました。(登りはポーターを更に1人雇いました)
カトマンズから小型バスで6時間位かけてチョウタラ、更に、シャウレ村へ入り、この村のひえの段々畑が初日のキャンプ地でした。丁度、テハール祭の時期で村にはタルチョ(色とりどりの祈祷旗)が飾られ、途中の昼食を摂った食堂では、犬がマーガレットで作った花の首飾りをかけて貰っていました。テハール祭は光の祭りであり、収穫祭とのことで、山に入る前日のカトマンズの青空市場は、大いに賑わっていました。

キャンプでは、朝6時頃に、まずモーニングコーヒがテント毎(我々は1人1張りづつ)に配られ、その後、お湯を洗面器に入れて持ってきてくれ顔を洗い食事となります。朝食はスープ、パンケーキ(蜂蜜orジャムを付けて食べる)、卵料理で、結構おいしいものでした(我々に合うように味付けされている)。最後にお粥が出ます。お粥は、味が付いていないので持参した梅干し、ふりかけ、塩昆布で食べるといった食事でした。食事後、水筒にお湯を入れてもらいこの湯冷ましを飲み水としました。そして、テントを畳み、後片付けをして出発となります。山に入った最初の村と、最後の村では鶏を買ってきてくれ捌いてご馳走してくれましたし、山から下りた村では山羊を買ってきてジンギスカンやハンバーグとして出してくれました。また、毎日食後にりんごが付きました。りんごは、小さく、味は上高地で見られるものより更に素朴でした。


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塚本建生君(8組)のこと

川村 浩一(3年8組)

(写真1:若き日の塚本君)

 塚本君は3年間同じクラスで過ごした、懐かしい友です。亡くなってもう20年になろうとしています。いつまでも多くの人に思い出してもらいたいと思い、墓碑銘のつもりでここに塚本君の生涯をご紹介します。写真は藤居さん(2組)、酒井君(4組)、久保君(6組)にご提供いただきました。

 1990(H2).11.23にホテルニューオータニ大阪、鳳凰の間で卒業30年記念同窓会がありました。110人が集合し賑やかでしたが、その中でも30年振りに姿を現した塚本君の元気ぶりが今も伝説となっています。2次会でもお開きになるまで元気に騒いだ塚本君を出雲路のお宅まで送って行きました。

(写真2:一次会にて 山本君も隣にいますね。) 
(写真2:一次会にて 山本君も隣にいますね。)

(写真3:二次会にて)
(写真3:二次会にて)
 

 このときすでに膀胱がんの手術をしていましたが、同窓会であれだけ元気だった塚本君が翌年1991.11.22の夜に鞍馬口病院で亡くなりました。大将軍の妙林寺での通夜には12期生13人が集まってくれました。

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第8回利根川 川歩き(平成22年10月31日~11月2日)

川合兵治(4組)
さすがは山男
 
1日目 今回より、距離も遠くなり、1泊2日はもったいないので、2泊3日の行程となる。季節外れの台風14号の接近をものともせず、全員(泉、榎本、大石橋、西条、山田、川合―ちなみに、西条以外は偶然にも故杉野先生の1年5組だった)AM10:00JR上越線八木原駅(海抜170m)に集合。今回からは山地を歩くことになるので、山に詳しい榎本に歩行計画を川合からバトンタッチ。八木原駅から前回終着の日帰り温泉「スカイテルメ」を経由「大正橋」に出、途上にある室町時代の蔵作りの家並みが残る渋川市白井宿を散策したあと、宿泊地敷島温泉ヘルシーパル赤城に向かう。「川歩き」というよりも「山歩き」、川幅も狭まってきた。利根川が直ぐ下を流れるホテルの露天風呂で体を癒した後、群馬名物のこんにゃく、上州もち豚、上州肉、赤城山のまいたけなどをあしらった群馬会席料理を満喫する(うなぎは前回で卒業となった)。
 
2日目 そぼ降る雨の中を出発。時折、利根川の流れを眼下に見、せせらぎの音を下に聞きながら、ますます勾配のきつくなった山道を必死で歩く。途中雨も上がり日がさしてくると、暑いくらいで、川合は寒さに備えて着込んだ流行のヒートテックの下着(ズボン下)を道端で脱ぐ始末。この日の宿泊地上牧温泉まであと2時間くらいのところで集中豪雨、30分くらいで雨が上がると、われわれを祝福するかのような大きな虹が架かる。宿泊先辰巳館の送迎バスで途中まで出迎えてもらって宿入りする。山下清画伯の大壁画のある風呂で疲れを癒した後、名物の岩魚の塩焼きをメインとした「いろり献残焼き」料理に舌鼓みを打つ(「辰巳館」は谷川岳をよく登ったさい、いつも山小屋に泊まっていた泉あこがれの旅館だった)。
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-高田松原の“希望の一本松”-

6組   佐藤 裕久

 3.11巨大地震によりライフラインが断たれ、トンネル生活から半分以上抜け出して都市ガスとガソリン入手を待っていた3月下旬から始まる一つのエピソードをご紹介したい。

 3月28日の朝日新聞に、岩手県陸前高田市のメインの海岸:高田松原の約7万本の松が1本を残して、すべて、津波で壊滅したことが記事となっていて、私はびっくりしました。:(図1参照)

図1 朝日新聞(平成23年3月28日)に記載された岩手県・高田松原
図1 朝日新聞(平成23年3月28日)に記載された岩手県・高田松原
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高39期「同窓会記録ムービー」上映会

2011年8月27日(土)13:00~17:00大阪府立市岡高校内の 同窓会会館にて、4月30日の同窓会の模様を記録した動画の 上映会を開催します。
是非 ご参加ください。当日参加の恩師の 方々にも、お声がけしています。同窓会当日で話し切れなかった という方も多いと聞いております。
参加費は、会場費・同窓会写真(CD-R)約100枚入り・ワンドリンク付で 500円です。 
参加される方は、Facebook 大阪府立市岡高校39期でお知らせください。
(Facebook でアカウント作成必要)


日時 2011年8月27日(土)13:00~17:00
参加費 500円(会場費・同窓会写真(CD-R)約100枚入り・ワンドリンク付)

「12期の広場」6月号のラインナップ

 もう梅雨入りですね。日本の季節の移ろいとはいえ、今年は東日本大震災の被災地の皆さんのことが気になり、「やさしい梅雨」であることを祈ります。

 さて、今月号のラインアップですが、以下の通りです。

  1. たまたまのこと」                       4組   重松 清弘
  2. 灘五郷めぐり」-第18回兵庫市岡歩こう会      6組   高見 政博
  3. 第6,7回 利根川 川歩き」                4組   川合 兵治
  4. 我が故郷、海老江の話・あれこれ」           8組    末廣  訂

 次回で「12期の広場」も7回目の更新になります。

 HP委員一同、それなりに努力していくつもりですが、なにより皆さんのご支援がたのみの綱です。ご投稿は勿論ですが、ご感想やご意見を是非お寄せください。

 7月号は7月1日に公開予定です。

HP委員

たまたまのこと

重松 清弘(4組)
2011年5月24日
投稿 重松 清弘(4組)

 これはたまたまのことだったのですが、先日市岡12期のHPを見ていたときに杲田慶子さんの「東京12期会の有志新年会」という投稿記事が目に留まりました。新年会は平成23年2月22日(火)17時30分から、と書かれていました。私にはこの会合のご案内をいただいていたかどうか記憶にないのですが、私はこの時何をしていたのかなとこの日の行動記録を手帳で調べてみました。

 平成23年2月22日17時30分、私はこの日、米国フロリダ州オーランド市のInternational Palms & Resort Hotel 11階の部屋で、同時間は東部標準時22日3時30分であり、4時のモーニングコールに起こされる30分前のベッドの中で爆睡中だったのです。何故そんなに早く起きるのか、とのことですが、5時にはオーランド国際空港に到着して、7時発のUA998便に乗り、シカゴ経由で日本に帰るためだったのです。 時計を少しバックさせますと、私は浦安市民15名と共に2月16日成田を出発して途中ワシントンD.C.を経由し、同日夜オーランド市に到着しました。オーランド市は私が住んでいる千葉県浦安市の姉妹都市という関係にあり、訪問の目的は市民交流のためです。従って、到着した翌日から2日間の公式行事が始まりました。17日はオーランド市庁舎に市長を表敬訪問し、午後はRetirement FacilityとDr. Phillips高校での日米文化交流。18日は地元の小学校と浦安市の小学校間での親善人形交換式に臨み、その後は図書館と歴史博物館の訪問と続きました。
 

 親善大使としてオーランド市を訪問 親善大使としてオーランド市を
訪問しました。
 オーランド副市長Tony Ortizさんと  オーランド副市長Tony Ortizさんと
Dr. Phillips高校にて日米文化交流 Dr. Phillips高校にて日米文化交流。
“クールジャパン”を教えました。
Fern Creek Elementary Schoolの
講堂にて全校生徒にご挨拶と日米
人形交換式を行いました。
 Fern Creek Elementary Schoolの 講堂にて

 19日、20日、21日は休養を含めて終日自由行動となり、ウォルト・ディズニーワールド・リゾートに行く人もあり、米国最古の町セント・オーガスティンやケネディー宇宙センターに行く人もありでした。それでここから冒頭の22日につながっていくのです。

滞在ホテル  平成23年(2011)2月22日17時30分(日本時間)
にはこのホテルにいました。

 ところで、最近ちょっと気になるニュースがあります。それは、現在日米間の交流がものすごく減っている、というものです。例えば、議員交流はほとんど存在しなくなっています。ですから、アメリカの議会にいる人の誰が日本に行ったことがあるのか、誰が日本を熟知しているのか、知る人がほとんどいなくなっているそうです。日本の国会議員も実はそのようです。それから、留学生の数も激減しているようです。日本からアメリカに留学する人はものすごく減っています。アメリカから日本に留学する人も減っています。このような状況なのですが、これは危機的と言っても過言ではないと思います。私たちがやっている市民交流は、それは本当に細々としたものですが、それでも継続してやっていけば、細くなっている日米関係のパイプを少しでも太くしていけるものと確信しています。

以上

この記事の中に重松清弘さんのボランティア活動の一部を垣間見ることができます。
彼は今も現役でお仕事をされている中、会社から地域社会貢献のため8日間の休暇をいただき、オーランドを訪問されました。今回で5回目の訪問と伺っています。
今後とも重松さんの活動を応援していきたいですね。
-HP委員より-

「灘五郷めぐり」-第18回兵庫市岡歩こう会

投稿 高見 政博

 昔から京都の伏見と並んで酒造りが盛んな兵庫の「灘」。

 今回の兵庫市岡歩こう会はそんな灘の酒蔵を巡る企画です。江戸時代には伏見、伊丹、灘の酒は「上方の下り酒」と言い、上質の酒として珍重されました。「下らない物」という時の「下らない」はこの「下り酒」からといわれます。(どうでも良い下らない話)

 灘は、「灘五郷」と言われますが、それは西郷、御影、魚崎、西宮、今津を言います。今回は西郷から御影、魚崎の各郷の主だった酒造会社と、悲恋伝説の処女(おとめ)塚(づか)を訪ねる計画です。

 灘の酒造会社は16年前の「阪神淡路大震災」で被災し、酒蔵の倒壊等、生産設備に大きな被害を受け、小さな酒蔵では再起をあきらめたところも出るほどの状況から再起を遂げてきました。神戸に住むものにとって今年の東北関東大震災がそのことと重なって複雑な思いですが、こんな時こそ関西が元気をださなければとの思いからの企画です。

 4月17日、前日までの大雨と打って変わり、気持ちよく晴れて、少し肌寒いくらいです。阪神電鉄大石駅に午前9時30分集合。約50名の同窓生が集まりました。中には旧制中学卒の大先輩のお顔も多数見えます。12期生も末廣、吉岡、駒崎、古藤、久保田、段中、伊東、岸川、島田、畠平の各氏、畠平氏は夫妻での参加です。ちなみに今回の参加で最多は高13期の11名、次が12期の10名、3番目が旧制42期の7名でした。

 遅れて来た人を少し待って、9時45分出発。10分ほどで一番目の訪問先「沢の鶴」に到着。開館時間は10時と言うことで、まだ門前の掃除中。黒板塀の中から遅咲きの桜が満開の枝を伸ばしていました。


桜の前で

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第6回利根川 川歩き(平成22年3月28~29日)

川合兵治(4組)

 

群馬名物は「かかあ天下と空っ風」とはいうが

1日目 東武伊勢崎線羽生駅AM10:00集合。今回は新たに西條(3組)が参加。泉は緊急事態発生で不参加。榎本、大石橋、山田、西條、川合の5人で決行。千葉―茨城―埼玉を踏破し、いよいよ水源のある群馬に入る。3月も終わりだというのに、寒冷前線が停滞していて、身を切るような寒さの中を出発。昼食をとった場所(熊谷市俵瀬)に地元出身、日本初の女医、女性運動家の荻野吟子(1851~1913)記念館(無料)があり、拝観する。この日の終着地「刀水橋(全長810m)」から宿への途中にある日本三大聖天のひとつで、埼玉の小日光とも言われている「妻沼聖天山」を参拝。平成15年から続いている修復中の本殿には、左甚五郎作といわれる「猿を救う鷲」の彫刻があるといわれているが、修復費用基金として拝観料御随意にといわれ断念。夜は境内にある文豪田山花袋「残雪の家」の舞台となり、花袋も泊まったといわれる料亭「千代枡(0485-588-002)」にて恒例のうなぎ晩餐を満喫し、元気のいいかみさんのいるビジネス旅館「明治屋」へ。 

閑話休題 荻野吟子の生涯は、渡辺淳一により「花埋み(はなうずみ)」の題名で小説化され、1971年大空真弓主演でテレビドラマ化、1980年山本陽子主演、1998年三田桂子主演(「命燃える」)でそれぞれ舞台化されている。
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第7回利根川 川歩き(平成22年7月10~11日)

川合兵治(4組)
人情厚い群馬の人たち
 
1日目 これまで暑い夏はさけて歩いてきたが、全員が古希を迎える翌年中に水源地まで行くには、年内に250キロは消化しなければ、ということで熱中症を覚悟で決行することになった。梅雨の名残の雨乞いをするも甲斐なく、観測気温35度近く、さえぎるものが無い土手のうえは体感温度40度近い炎天下の中を、榎本が用意していた熱中症防止のアメをしゃぶったりして、全員無事にこの日の終着地前橋に到着。これまであった河口からの距離表示がなくなり、定かではないがこの日22キロは踏破した。前橋駅前の天然温泉「ゆ~ゆ」で疲れを癒し、新前橋駅はマーキュリーホテル(5千500円朝食つきとは思えないほど良いホテル)近くの「静可(027-252-1314)」にて恒例のうなぎの晩餐をたのしむ。京の雅を思わせる内装に味も一段と良かった。
 

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