お知らせ
0年
2011年9月15日
私、今、ヨルダンのアカバです。
12期の皆様、毎日いかがお過ごしですか
乗船前は「100日もの長旅なんて」と皆に言われたのに、レストランで同席したりして知り合った人の話を聞いているとリピ-タ-が多くて、「飛鳥」やその他の船に乗ったという人がいっぱいいるのには驚いてしまいました。
年輩者も本当にお元気で積極的なので、この調子ならまだ当分私も大丈夫かなと安心したりしています。
(さらに…)2011年9月1日
「12期の広場」 9月号のラインアップ
ひぐらしの声を聞かないなあと思っていたら、8月下旬の午後10時すぎ、帰宅途中の街路樹のそばで、唐突に聞きました。清涼感あふれる鳴き声ですが、深夜のそれはやはり違和感があります。今年は蝉時雨も遅かったようで、何とはなしに嫌な感じ。
さらに時ならぬ秋雨前線の影響で、気温が10度近く下がったりで体がついていきません。
9月を迎えましたが、酷暑と天候不順はまだまだ続きそうです。皆さん、くれぐれもご自愛ください。
さて9月号のラインアップですが、以下の通りです。(敬称は省略します)
- 「ひたむきさと微笑み、そして我が人生」 6組 畠平 雅生
- 「古稀に竹刀を振る」 7組 張 志朗
- 「我が失敗と補欠人生:その後」 6組 佐藤 裕久
2011年9月1日
ひたむきさと微笑み、そして我が人生

6組 畠平 雅生
2011年7月18日未明に行われたFIFA女子ワールドカップ・ドイツでの優勝戦。対戦相手は一度も勝ったことが無い米国チーム。日本チームは猛攻に次ぐ猛攻に耐え、先制されつつも引き分けへ。延長戦に入って先制されても慌てず奇跡に近い反撃を行って2対2の引き分けからPK戦へ。
アメリカの選手は勝って当然の相手に引き分けられて衝撃を受け、追い打ちをかけるようにPK戦では最初のキッカーがボールを止められて更に動揺して平常心を失ったか?この時点で勝負有り。
PK戦は3:1の成績で日本が勝ってワールドチャンピオンに!
取り組む姿勢と精神状態で結果は見えていたとも言えます。
実力以上の相手に対して真摯に粘り強く常にあきらめない。ただひたむきに積み重ねた努力と自分達の仲間を信じる一体感。此の姿を生み出したのは、パートで働いて生活費を稼ぐ・遠征のため生活費を切り詰める・毎日会社から1時間以上掛けて練習場に通う等々練習環境も良くない中、競技への思いが粘り強い心を育て、この積み重ねによる絆が一体感を生み出したのでしょう。
活躍した選手も小さい人は身長が154cmと最近の女性の中でも低い位。目立たずひっそりと咲くナデシコの様。多分彼女達と道ですれ違ってもワールドカップの優勝選手達だとは気付かないでしょう。
それ以上に凄いのは、そんな彼女達のPK戦に臨む時の姿です。
PK戦が始まる前の選手達の表情を写した映像を見て驚いた。皆がすがすがしい顔をしてニコニコと微笑んでいる。力が抜けた良い表情です。一流の野球選手がバットを持って打席に立つ時、バットは握らずただ軽く支えているだけ。ボールを打つ瞬間にバットをしっかりと握って強く振り抜く姿。剣道の奥義にも通じるリラックスした待ちの姿勢と似ています。
市井の片隅で平凡に生きて来た私にとっても、此からの過ごし方を示唆し、教えてくれる大会でも有りました。
膵臓ガンを発症し、この世の旅ももう終わり?私本人以上に心配し、世話をしてくれた友人や家族のかげで無事生還。
以来7年が経って今年は古稀を迎えて節目の年です。加えて、3月11日に発生した東日本大震災により、人生のはかなさと人間の強さや愚かさを感じさせられた年でも有ります。
会社運営や家族を支える責任。身の回りの事には自分が先頭に立って対処して行かなくてはと言った思い。今までのしがらみからも多少開放され、肩の力を抜いて、より自由な発想や視点を持った新たな気持ちで過ごすことが許される年の始まりです。 この事を教えてくれたのが、日本チームのあの微笑みでもありました。
一つの戦いを終え、新たな気持ちで次の戦いへ臨んだ彼女達の心境と古稀と言う節目を迎え、次の人生へ向かう私の気持ちと今後の有り様にも合い通じるのではないか?その様な気がしてなりません。
人生とは人が生きると書きます。日々健康に過ごすことが出来、交わる仲間達と語らいの時を持ち、ほんの少し誰かの役に立ち、精神的な豊かさを持って生きる。そして、彼女達のように嬉しい結果が得られれば・・・。
そんな厚かましい思いで過ごしている今日この頃です。
2011年9月1日
「古稀」に竹刀を振る
7月の中頃、前川光永さん(12期剣道部主将)の古稀を祝う稽古会があるとの話を聞きました。早速、彼に問い合わせたところ、防具をつけての「かかり稽古」があるとの話し。私の「野次馬的好奇心」がむっくり。これは行ってみなくてはと思っていたところに、仙台の佐藤裕久さん(剣道部)も来阪するとの事で、7月23日土曜日、午後1時半から、市岡高校剣道部OB有志、「剣友」による「古稀を祝う稽古会」に行ってきました。
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(左:前川光永さん、右:佐藤裕久さん) |
早朝、東北、東海道新幹線を乗り継いできた佐藤さん、前川さんとJR大阪駅で待ち合わせ、会場の大正区の大阪市立千島体育館剣道場に向かいました。 当日は晴天、強い日差しが容赦なく照りつける真夏日。剣道場は風通しが良いとは言え、室温33度です。
その猛暑の中、7~8kgある防具を着け竹刀を振り、かつ、ぶつかり合うわけですから、想像するだけで「熱中症」になりそう。全く運動部経験のない私としては、かなり緊張しての「観戦」でした。
(さらに…)2011年9月1日
我が失敗と補欠人生:その後
我々12期・剣道部では、前川君(主将)、山田君(副将)、吉田君(旧姓:周君:先鋒)が、対抗戦のキーパーソンズでした。この3人がいつも安定しているので、補欠として観戦している小生は、いつも、対北野対抗戦を除き、安心して見物していました。
昨年古稀を迎え、今年、小生も70歳となります。これまでの人生目標はスポーツから教育・研究まで広範、かつ、失敗と補欠の人生だと思っていたのに、3.11後、変身しました。
(さらに…)2011年8月1日
「12期の広場」 8月号のラインアップ
暑中お見舞い申し上げます。
8月になりますが、東日本大震災・原発事故・放射能汚染・食の安全・節電・熱中症、いろいろなものに「慣れ」が生じてくるころで危ない状態だと感じています。
その中で女子サッカーワールドカップ優勝はさわやかでした。「あきらめない」の一言が印象に残っています。ともすれば悪い状態に「慣れ」が出てくるころを見計らったように「勇気」を与えていただきました。我々12期生の古希を迎える年代にも「あきらめない」「まだまだやれる」気持ちをわき起こしてくれました。
8月号は「利根川 川歩き」の特集です。「あきらめない」「まだまだやれる」を実践した人たちが遂に最終地点に辿り着いた様子が書かれています。9回にわたる全シリーズを書いていただいた川合兵治君には心から敬意を表します。また参加者6人全員からそれぞれ感想文をいただきました。あわせてご覧いただき、お楽しみいただきたいと思います。
以下が8月号のラインアップです。(敬称は省略します)
- 「第9回利根川 川歩き」 4組 川合 兵治
- 「利根川源流に到達して」 8組 山田 正敏
- 「利根川を歩いて」 8組 榎本 進明
- 「利根川歩き雑感」 5組 泉 信也
- 「利根川 川歩き感想」 6組 大石橋 宏次
- 「利根川歩きつれづれ」 3組 西條 軍蔵
- 「川歩きのおまけ」 8組 榎本 進明
2011年8月1日
第9回利根川 川歩き(平成23年5月9日~11日)

4組 川合 兵治
バンザーイ!!
平成19年10月31日に河口の銚子をスタートしたこの利根川歩きも、足掛け4年の歳月を経ていよいよ(当面の最終目的地)八木沢ダムに向かう日が来た。(当面の最終目的地)というのは、八木沢ダムに堰き止められた神秘的なムードが漂う「奥利根湖」の先にあるといわれている利根川源流までの残り約20キロの行程はボートを必要とし、沢登り、岩登りありの道なき道を行くことになり、古希を迎えた体には冒険が過ぎるということで断念した次第である。また日を改めて、別ルートで源流を確認する案も出ているが、「利根川歩き」としてはこれが最終回となる。
また今回は、3月11日に発生した東日本大震災被災状況も配慮し、予定を延期する意見も出たが、「だからこそ元気を示そう」ということで川歩きは決行することにしたが、当初計画していた12期全体の希望者を募っての湯檜曽温泉での大打ち上げ会は取りやめとした。

1日目 台風1号がフィリピンはルソン島近辺で発生し、その影響が危惧される中、全員5時起床で元気いっぱいJR水上駅に午前9:20集合。そこから水上高原スキー場、藤原スキー場、宝台樹スキー場などのある奥利根スキー場群の入り口「大穴スキー場」近くの前回最終地点、大穴変電所前(河口から約259キロ)までバスで移動、側のコンビニで昼飯の弁当などを調達し、10時にスタート。熊が出る可能性があるということで、西條は用意してきた小さなカウベル、川合は道端に置き忘れられていた熊除けの鈴を鳴らしながら、榎本は呼びこの笛を時々吹きながら、平均勾配約7度のバス道を歩く。この日は心配した台風1号の影響は全くなくピーカン。標高600メートル前後あるこの行程の5月は、鮮やかな新緑と満開のさくら、さらには八木沢ダム途上にある奥利根三湖のうち二つ、藤原ダムの藤原湖と須田貝ダムの胴元湖にゆったりと貯えられた水のエメラルドグリーンに彩られ、所々で利根川の清流に接することができ快適そのものであった。
お蔭で大過なく(期待していた?熊に出会うこともなく)午後2時過ぎには一日目の宿「民宿やぐら」に到着。早速民宿の露天風呂を満喫。夜は近辺で獲れたという月の輪熊のクマ鍋で精をつけ、山菜料理を愉しむ(普段でも、民宿の直ぐ近辺まで熊や野ざるがエサを獲りに出没し、奥利根名物?のマムシも徘徊し、地元の人は今でもサル以外は折りにふれて食べるという)。
(さらに…)
2011年8月1日
「利根川 川歩き」源流に到達して

8組 山田 正敏
この計画は、モトモトなにか飲み会の席で川合の突拍子の無い発案から始まった。大河を河口から源流まで河の土手を徒歩で行くというのである。まさか実現するなどとは真剣に考えもせず安易に賛成したが、榎本が加わり、泉も乗ってきてとうとう実現の運びとなってしまった。さて、どの河にするネンということであるが、思い切って坂東太郎の異名を持つ日本第二、関東最大、最長の大河「利根川」に決定した。
その第1回目は2,007年10月30日利根川河口の銚子に近い犬吠岬の京成ホテルで壮行会を兼ねて一泊し、翌日の第1日:歩行距離30キロ。宿泊は潮来のホテル。翌々日の第2日:歩行距離20キロで終点はJR成田線神崎駅で解散するという計画であった。壮行会と1日目は泉が仕事の都合で出られず、1日目の夜、潮来のホテルで合流ということで当初メンバーは川合、榎本、山田の3人で始まった。その後、大石橋、西條の参加を得て総勢6名。そして、4年の歳月を経てとうとう今年2,011年 第9回目(5月9日~11日)の5月10日最終目的地点「八木沢ダム」の標高856Mの提頂に到達した。(八木沢ダムは利根川水系最上流、最大のダムで、提高131M、提頂長352M、提頂幅7.9M、提頂標高856M、有効貯水容量175,800,000㎥。)
本当の利根川源流は大水上山の頂上であるが、それには、八木沢ダムに堰き止められた奥利根湖を、ボートを仕立てて10KM行き、そこから、水平距離10KM、標高差1,076Mの沢登りをしなければならず、我々の登山技術ではとても無理だと判断し「八木沢ダム」を終点とした。
(さらに…)2011年8月1日
利根川を歩いて-川合君のリーダーシップ-
8組 榎本 進明
正直、私はリタイアするかもしれない、そして続くとは思わなかった。利根川全長322kmは、322kmに意味があって、それはウォーキングコースを毎日7km歩くと46日で踏破できる。それで利根川の長さを歩いたことになる。実際に地球を一周しなくても40,000kmをどこで歩こうが地球を一周したのと同じ距離になるのと似ている。そんなことを考えていた。
しかし、川合君の情熱には負けた。河口から連続して歩かなければならない。利根川を歩いたことにはならない。利根川を区間に区切って暑いときには涼しい上流を歩いたり、たまには下流に下ったり、最終的には全区間を踏破しても歩いたことにはならない。そんなことは一切許さない。実に律儀で河口から上流に向かって一歩一歩ひたすらに上流を目指す。まるで鮭の遡上のように反則は許さない。このリーダーシップに私はついていったのである。
私は第2回と第3回は不参加だったが、川合君と山田君の二人は完歩した。しかし、山田君の日程が合わず参加が危ぶまれたときがあった。それは第8回のときで、山田君は「皆の都合のいい日にしてくれ」と言ったが、川合君は全区間踏破が途切れるのは良くないと言って皆に声を掛けて調整した経緯もあった。もちろん皆は山田君の日程を最優先にしたが、結果的には山田君が日程を空けることに成功して事なきを得たのだった。

この川歩きは第9回で最終となったが、12泊21日を一緒に過ごして、やはり河口からひたすら上流を目指したことに意義があったのだなとつくづく思う。そして、歩いているときも、宿でも、温泉での裸の付き合いでも、語らいがあり絆が深まっていったのは言うまでもない。
いま回想するとひとつ一つ懐かしさがこみ上げてくる。市岡12期生としてこんなに長く寝食を共にしたことはなかった。一大イベントだったのだなぁと思う。
(さらに…)
2011年8月1日
利根川歩き雑感

5組 泉 信也
「利根川を河口の犬吠岬から源流まで歩き通しました」等と云っても大抵の人はその苦労や喜びを分かってくれない。それで良いのだ、それにしてもこういう途方もないことを考えつくのは市岡のDNAなのか、その上俺も一緒にという輩が6人もいたのも驚きだ。
家康は秀吉に三河の領地を召しあげられ関東に国替えになった時、泣き言を言わず、彼の地には開拓の楽しみがあると言ったそうだが流石の慧眼である。農に始まり、工商の集積そして今につながる人と文化、この豊かさをもたらしたのが利根川の流れだ。足掛け5年、雨にもめげず、風にも負けず、暑さ寒さもなんのその、良い仲間に恵まれてその日本一の流域の景観と歴史を心ゆくまで楽しめたのは秘かな誇りだ。もちろん土地土地のご馳走や疲れた足を癒してくれる温泉も忘れられない。
心残りは源流の一滴を見ていないことだ。もと山岳部のエキスパートにガイドしてもらっても沢を最後まで詰めるのは無理のようだ。越後側から大水上山に登って源流に下ると云う手がある。全員で行こう、そして次は荒川だ。
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