お知らせ

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第4回利根川 川歩き(平成21年3月21~23日)

川合兵治(4組)
帰路の温泉詣でが恒例に

 1日目 JR常磐線天王台駅午前10時集合。榎本が復帰し、泉、大石橋、山田、川合の5人で決行。駅近辺のコンビニで昼食を買い、バスで前回終着地点近くまで行く。ピーカンに恵まれ、堤防一面に咲き乱れる菜の花を観賞しながら快適に距離を伸ばし、午後3時過ぎに河口から100キロの地点を通過。河口から104.5キロの地点に架かる「芽吹大橋(全長540m)」でバスに乗り、宿泊地となる東武野田線愛宕駅(「キッコーマン」本社工場のある野田駅のひと駅先―柏駅から)に向かう。この日の宿は「喜久水旅館」。旅館というのはおこがましく、名前で選んだのが間違いだった、ただ寝れるだけの旅館。 それでも、近くの「キノエネ醤油」派の「うなぎの山口(04-7122-4412)」での晩餐は言うことなし。

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第5回利根川 川歩き(平成21年9月30日~10月1日)

川合兵治(4組)
マドンナが参加!

 1日目 前回終着地点最寄りの東武野田線川間駅にAM9:30に集合。そこに泉の山仲間の奥方と称されるマドンナが!聞き及べば、幼少の頃東武日光線の栗橋近辺に住んでおられ、よく利根川の土手での電車を眺めた思い出があり、われらの利根川歩きの話を泉がし、丁度今回その周辺に差し掛かるのを聞いて、懐かしくなって参加されたということ。マドンナは遠泳の選手をされているとのことで、その健脚ぶりは男も顔負け。それにしても、還暦を過ぎたとはいえまだおとろえていない?男5人(泉、榎本、大石橋、山田、川合)の集団に単身参加されるとは!いかに泉が信用されているかということの証だと言えるだろう。家を出た朝6時ごろはかなりの雨が降っていたが、マドンナ効果もあったのか、雨は上がり、江戸川との分流地点「関宿閘門」を出発、マドンナ待望の東武日光線の電車を土手から眺め、竹下登総理大臣の「ふるさと創生」1億円で建てたという「加須未来館」(開店休業状態)のあるこの日の終着地点(河口から約135キロ)にPM3:00ごろ到着。そこから市内循環バス(100円)でわれら男は日帰り温泉「いなほの湯」で途中下車、マドンナは帰路の東武伊勢崎線加須駅へ直行。何事も起こらずマドンナと無事お別れ...。夜はその日の宿、加須第一ホテル(思えば壮行会をした犬吠埼京成ホテルから久しぶりの近代的設備の宿)近隣の「料亭若葉(0480-66-0523)」にて、恒例のうなぎ晩餐会を満喫する。           

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震災お見舞い申しあげます。

 まずはじめに、東日本大震災でおなくなりになられた方々のご冥福を心からお祈り申しあげます。

 東日本大震災の渦中におられる東北、関東地方在住の12期同窓生のみなさんへ心からのお見舞いを申しあげます。

 地震発生時、関西地方でも震度3のゆれを経験しました。そのゆれは記憶にない、実に「不気味な」長周期地震のゆれで、震源付近での大被害を予感させるものではありましたが、まさか東北と関東一円で今日のような大被害を引き起したものとは夢にも思っていませんでした。

 遠く関西にいる私達は、新聞、テレビの報道を通じてしか、その災害の実状を知るすべがありませんが、大震災の壊滅的状況と、いまだに拡大する震災被害のむごさや酷さに身がすくみ、胸がつぶれる思いで一杯です。 (さらに…)

3.11東日本大震災体験の二伸

2011年03月26日(土)  佐藤 裕久 (6組)

 市岡・「12期の広場」と名付けられた当ホームページ(HP)・2月号の拙文『めぐりあわせ?~仙台に住んで50年~』・コメント欄No,3に、小生は、3度目の記事を書かせてもらった。

 3月11日に、仙台市のある宮城県を含む東北地方と関東地方とにまたがる太平洋側地殻の広い範囲に蓄積していたひずみエネルギーが数分の間に解放され、“超巨大地震”が発生したからである。

 その報告の最後を次のように結んだ。『我が家は市の中心街から離れていて、多少不便であるが、太白山の麓にあるため、太平洋に近い地区のような津波被害を受けることはなく、家族一同元気である。震災後、水道やガスは未だ来ていないが、2年前に定年退職した後、私は悠々自適の生活に移行しているので、今、あせったり、あわてたりする必要もないかもしれない。むしろ、この機会を利用して、今後のことなど再考してみようと思う。』

 特に、記しはしなかったが、「地震・津波は自然災害であるが、原発事故は自然災害なのか?」ということに関し、私には、人災の要素の方が大きいかもしれないと感じたので、これを整理してじっくり考えてみたかった。しかし、この報告に、直ぐ反応があり、もう少し、地震・津波のことを詳しく伝えてくれないか、といった内容の意見も聞こえてきた。それも尤もな事であると私は考え、昨日までを目標に、再度記事を書かねばならない羽目に陥った。しかし、どのような問題も整理して論ずるには、2万人以上の死者が出たという重い事実の詳細をつぶさに見もしないでは、時間が足りない。従って、原発問題のみならず地震・津波災害についても、今後、我々は何をどのようにすれば良いかについての考察は別の機会に置くこととしたい。

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4月号「12期の広場」のラインアップ

 関東、東北地方に在住の同窓生の皆さん、東日本大震災にさいして心からのお見舞いを申しあげると共に被災地域の一日も早い復興と生活再建を祈念いたします。

 この件に関しまして1組の井上松子さん、6組の佐藤裕久さん、7組の田端建機さんからそれぞれコメントが書き込まれています。ありがとうございます。皆さん是非お読みください。


 さて本日公開の「12期の広場」ですが、巻頭の「東日本大震災関連」以外のラインアップは以下の通りです。

  1. 「市岡12期HP」を見て     1組 上原 澄子
  2. 山本芳彦君のこと     8組 川村 浩一
  3. 舞州お花見会のお誘い     4組 酒井 八郎
  4. 第2、3回利根川歩き     4組 川合 兵治
  5. 東京12期会の有志新年会     1組 杲田 慶子
  6. 豚汁会の報告     7組 張  志朗

なお次号の5月号は、5月1日公開の予定です。

HP委員一同

市岡12期HPを見て


投稿 上原澄子(旧姓大川)(1組)

 お彼岸も過ぎて桜の蕾もふくらんできました。 市岡12期の皆様にはお変わりなくお過ごしですか。3月11日の東日本大震災はまるで悪夢のようで胸が痛みます。東京電力管内の沼津は2日おき位に計画停電があり3時間ほど停電します。

 先日HPの上野裕通さんの「市岡高等学校12期同窓会を振り返る」を読み、私も北浦昌子さんとの想い出を少し話したくなりました。

 小学校・中学校・高校と一緒だった昌子さんとは家も近かったので「一緒に勉強する」という口実でよくお互いの家を行き来していました。昌子さんの亡きお母様の詠まれた歌集を見せてもらって、涙したことが思い出されます。

 私の家では細巻寿司やサンドイッチを作ったりして楽しい時間を過ごしました。
今年の年賀状の歌は「うさぎさん目と耳貸してこの一年よく見よく聴くじじばば二人」でした。

 昌子さん元気でまた会いましょう。


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山本芳彦君(8組)のこと

8組  川村 浩一

 春まだ浅い2月、山本君の奥様のご案内で山本君のお墓にお参りしてきました。見晴らしのよい三田市霊苑に山本君は眠っています。春は桜がきれいなところだそうです。

 昨年7回忌を前にお墓はできました。

(写真説明:奥様と)

 墓碑に“the addition formula on hyperelliptic curves” (超楕円曲線の加法公式)のグラフが刻まれています。

 山本君の専門は整数論だそうです。数学の素養のある方は山本君のテキスト「現代数学への入門 数論入門」(岩波書店)のp292あたりを読んでください。

(写真説明:数論入門 山本芳彦著(岩波書店)増刷は続いているようです。)
 

 このグラフのほかにも山本君が好きだった音楽(ト音記号と音符)、星、桜が刻まれています。写真でも見えますね。
お墓参りの後、まだ山本君の生前のままのお宅にお邪魔し、奥様から思い出などお聞きしました。仕事場には専門書や教養書がぎっしりと並んでおり、オーディオルームには立派なオーディオ機やCD、レコード(フルトヴェングラーやフィッシャー-ディスカウなどのクラシックに並んで山口百恵などもあった。)がそのままに残されています。奥さまやご家族の山本君への思いが偲ばれます。


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舞州 お花見のお誘い

酒井 八郎

 3月初めの雪に驚かされたのは、人だけではなく舞州の桜の木も同じだと思いますが昨夏の猛暑、水不足、厳冬の1月を無事に過ごしてきた「市岡の森」の桜の花を眺めにお出かけになりませんか。

 今年も、この4月10日(日曜日)午前11時から舞州の新夕陽ケ丘「市岡の森」で此花市岡会主催の「市岡の森“お花見”」の会が開催されます。

 この花見の会には毎年12期同窓生がたくさん参加しており(昨年は21名参加)、遠く明石海峡大橋のぞむ丘の日溜まりの中、満開の桜を愛でながらなつかしい同窓生との宴を楽しんでおります。また恩師の先生方、市岡の先輩、後輩の皆さんも多数参加されており、総勢100名を超える参加者の大にぎわいで盛り上がります。特に今年は母校吹奏楽部による「市岡高校創立110周年記念演奏」も予定されています。

 私達12期が「創立100周年」を記念して植樹した桜と、「卒業50周年」を記念しての桜の2本が、そのほかの桜と共に、元気に皆さんをお待ちしています。

 お誘い合わせの上、是非おこしくださるよう、ご案内申しあげます。

日時 : 平成23年4月10日(日曜日)午前11時から(小雨決行)
場所 : 舞州の新夕陽ケ丘「市岡の森」
受付 : 舞州ロッジ 玄関ロビ-
(JR夢咲線桜島駅から舞州スポ-ツアイランド行きバスを乗車、終点下車)
注:バスは阪神野田駅から西九条経由舞州行きがありますが、
JR桜島駅からの方が便利です。
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第2回利根川 川歩き(平成20年5月12~13日)

投稿者 川合兵治(4組)
恒例となる、利根川沿いうなぎ食べ歩きのはじまり

 1日目 前回最終地点、「神崎大橋(河口より49キロ)」最寄りのJR成田線下総神崎(「しもうさこうざき」と読む)駅は参加者にとって不便な場所にあり、早朝集合して川歩きを先に進めるにも遠う過ぎる。近辺に宿泊施設もないため、二駅戻った佐原(「さわら」と読む)駅に午後1時集合。今回は、榎本は野暮用で参加できず、新たに大石橋(6組)が参加し、泉、山田、大石橋、川合の4人で歩くことになった。

 佐原に集合したもうひとつの訳は、泉が提案した「歩くばかりでなく...うなぎも食べる...」を実行するため。その日は、創業1825年の造り酒屋「東薫酒造」で昔ながらの酒造り工場や56歳から地図作りのために歩き始めたわれ等が歩きの大先輩伊能忠敬の生家見学など、江戸時代の情緒を残している佐原の町を散策。また、少しはなれたところにある創建神武18年(約2千年前)の香取神宮を参拝(往復約8キロ)。夜は本当にくつろげたこぎれいな宿「一蘭荘(0478-55-2029:朝食付き5千8百円)」のちかくのうなぎ屋「山川(0478-52-5061)」にて台湾産うなぎの晩餐(店主曰く「どこも日本産と言っているが、今はほとんどが台湾産だ!」)を楽しむ。

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第3回利根川 川歩き(平成20年11月3~4日)

川合兵治(4組)
大博士の片鱗を見る

 1日目 JR成田線安食(あじき)駅に午後1時集合。今回も榎本不参加、泉、大石橋、山田、川合の4人で決行。翌日の本番のための足慣らしで、安食駅から往復約14キロのところにある「房総のむら」を探訪。昭和61年に開館された体験型博物館で、32ヘクタール(320,000平方メートル)の敷地内には、江戸時代後期から明治初期における商家、武家屋敷、農家などが再現され、全国最大級の規模を持つ方墳(一辺約80メートル、高さ約13メートル)「岩屋古墳」がある。農村歌舞伎で「新撰組」を観劇、路上で「ガマの油売り」の口上を楽しむ。敷地内を散策中、とつぜん大石橋が便意を訴え、後で追いかけるということで一行から離れ、トイレのある方へ向かった。待てど暮らせど追いかけてこず、道に迷ったかと携帯で連絡するもなかなか通じず、やっと通じたと思ったら「資料館が面白いので、あんたらもこっちに来たら」だって!(翌日川合が帰宅すると、「今、資料館にいます」という留守電が大石橋から入っていた)。大博士の片鱗を見た出来事。この日の宿は創業百年という「竹村旅館」(今にもつぶれそうな安食唯一の宿)から1キロほど離れた「鰻のさかた(0476-95-0154)」にて晩餐を楽しむ。利根川の天然うなぎが食せるということであったが、一匹7千円ということだったので「天然うなぎは油が多すぎて口に合わないだろう」と衆議一決し、かみさん曰くの「静岡産」にした。

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